「朝まだきのベトナム」(寺井融/制作同人社)

→酒をのみながらなんだか偉いらしいおっさんのベトナム旅行記を読む。
ベトナム旅行記を楽しめるのは、かつてベトナムに行ったことがあるからなんだよね。
ベトナム旅行記を楽しめるのは、ベトナムに行ったことがあり懐かしいがため。
旅エッセイとしてのレベルはあれだから、
もしベトナムに行ったことのない人がこの本を読んでも楽しめないと思う。
というのも、感覚がおっさんでもう凝り固まっているから。
紋切型の文章がさらに加齢臭を増しているというか。
結局、なるべく若いうちに海外を経験をしたほうが
おもしろいということは言えるのではないか。
おっさんの海外旅行記は群れて冒険をしないからつまらないのかもしれない。
なんでもお金で解決しようとするからおもしろいことが起こらない。
若いときにアジアでもひとり旅をするとなにがわかるのか?
これは体験しないとわからないと思うが、「なんとかなる」という感覚である。
危険なことをしても、綱渡りのような冒険をしても、
それを思い切って勢いよくやればかならず「なんとかなる」のだ。
窮地に追い込まれても大丈夫で、そのときかならずなにかが起こり「なんとかなる」。
海外ひとり旅をすると、わかるのがそれである。
いざとなってしまえばかならず「なんとかなる」のである。
そして、その意外な結果ほど人生でおいしいものはない。

いまのバイト先には海外からの留学生がたくさんいる。
ひとりで外国にいるのって、すごい不安でドキドキすることだろう。
あなたたちは勇気がある、すばらしい、拍手したいとわたしは心から思っている。
大丈夫。絶対、大丈夫。「なんとかなる」から。不安なんか笑顔で吹き飛ばそうぜ。
若いときに遊びまくったおれだっていまでもいちおうなんとかなっているんだから、
みんなも絶対に大丈夫で「なんとかなる」。「なんとかなる」は真実だよ。
かといって、お若い社員さんに会社を辞めろとけしかけたいわけではない。
日本に来ている外国の若い衆をちょっとすげえなって目でご覧いただけたら、
それだけでもう十分。
若いうちにいろんな経験をしたほうが絶対におもしろい。
おもしろいは正義。退屈やつまらないは悪。悪魔。魔。魔界。
危険なことをしない旅はつまらないことを本書から学んだ。
そうだとしたら、もしおもしろい人生を送りたい人がいたらなにをしたらいいのか。

「ヴェトナム新時代」(坪井善明/岩波新書)

→かつて自由気ままにふらふら1ヶ月ベトナムを旅したことがあったので、
いまの職場でベトナム人と再会したときは不思議なご縁に驚いたものである。
で、ベトナムについて興味が出てきたのだが、さあ、どうしたらいいか。
ベトナムのことはベトナム人に聞けばいいと思われるかもしれないが、
そうはいかなかった。
2年日本の学校に通っている子でも社会主義という言葉が通じないのだから。
そうとうに難しいとされるN2(日本語検定資格)を持っている子も、
社会主義という言葉は通じなかった。

本書はさすが岩波新書というほかないクオリティの高い本である。
2008年と出版もわりあい最近で、最良のベトナム入門書ではないかと思われる。
わずか250ページにベトナムのいろいろな情報がぎっしり詰まっている。
このため非常におもしろかったが、ことさら推薦はしない。
みなさまが本書を読まなくてもいいようにおもしろかったところを書いてしまうからである。

まず自分が社会主義という言葉をよくわかっていなかったという恥を告白する。
社会主義とは、1.私有財産の否定、2.計画経済、3.共産党の一党支配――。
わかりやすくするためにものすごーく乱暴なことを書くと、
社会主義はお金がなくてもみんなが生きていける社会のこと。
どうしたらそのようなことが可能になるのか。
国がすべてを管理してしまえばいいのである。
最初に国がその年の国民に必要な衣食住の需要を計算する。
それを元にして国が工場や農場に必要分の衣食住製品を発注する。
国民はみなみな公務員か工員か農民になり、労働者として生産活動に従事する。
みなおなじような家賃のいらないところに住み、衣食はクーポンでまかなわれる。
病気になったら医者が無料で診察してくれる。
――ね? これならお金がいらないでしょ?
著者によると、ベトナム戦争中は貧しさをわかちあうことができるため、
この社会主義経済は思いのほかうまく機能していたらしい。
しかし、戦後に社会主義経済の矛盾が露呈しはじめる。
みんなとおなじ服を着ているのなんていやだ~。
お化粧したいけど、国は贅沢品だって支給してくれない、ぷんぷん。
職業選択の自由がほしいよおん。
がんばっても手を抜いても同程度のクーポンだから働く気がなくなるなあ。
このままじゃいかんのではないかと国は資本主義市場の導入を決めたわけである。
みなさん世界史や地理でお勉強したでしょうドイモイ政策というやつだ。
考えてみたらドイモイ政策の採用が決まったのは1986年。
いまの職場のベトナムっ子たちは生まれていない。
あの子たちは生まれてきたころから資本主義世界しか知らないのかもしれない。
だとしたら社会主義という言葉を知らないのは、なにやら象徴的でさえある。

とはいえ、資本主義市場を導入したときも経営者のなり手がいなくて大変だったらしい。
そもそも長期的な視野をもってお金を儲けようとする資本家がいなかったのだという。
市場は、まず大きな資本(お金)を投下して土台を作る人が出ないとはじまらない。
ところが、ベトナム人は相次ぐ戦争で目先のことしか考えられない人が多い。
20年間資本主義を経験した南のホーチミン市は、要人がみな国外へ逃げてしまった。
ボートピープルとかすごかったらしいねえ。
要は北に負けた南の人が財産没収や強制収容所行きを恐れて、
小さなボートで国外へ脱出しようとしたのである。成功率は10%だったとのこと。
当時ボートピープルを選択した人はこの成功率を知っていたのだろうか。

資本主義経済にもかかわらずベトナムは共産党の一党支配の国である。
これはどういうことか? よくわからないよねえ。
まず共産党はどういう立ち位置なのか。
共産党に入らないと経済以外の分野では出世できない(大学など)。
2008年段階でベトナムの人口は8500万人。そのうち共産党員は350万人。
国民の約4%が共産党員ということになる。
だれもが共産党員になれるかといったら、そうではない。
血縁者に共産党員のいることが最重要事項らしく、ならば世襲のようなものなのだろう。
基本的に共産党員はおいしい思いをすることができる。
ベトナムに公平な公務員試験のようなものはなく、共産党員とのコネがすべてである。
とすると、公務員になりたかったら共産党員にあれを払えばいいということになろう。
また公共事業を発注するのも共産党である。
どこの企業に決めるかでも賄賂(わいろ)が派生して共産党員はウハウハである。
どのような資本主義活動も国からの許可を得なければならない。
資本主義行動に許可を与えられるのは共産党員だけだから、あとはわかるでしょう。
しかし、いま都会の若者のあいだで共産党離れが進んでいるらしい。
なぜなら党員になると自由な発言を制限されるからである。
党の方針に沿った言動を求められるようになる。
そのうえ定期的に集会に出席して、マルクス・レーニン思想を勉強しなければならない。
もしかしたら将来的には共産党員だったということが黒歴史になるのではないか。
そういうことを考えるベトナムの若い子もいるとのこと。
現実として外資が導入されたホーチミン市では、
共産党員にならなくても金持になる層が現われはじめている。
英語、中国語、日本語が堪能なら外国企業に入って高額な収入を得ることができる。
グローバル市場経済はベトナムでもどんどん成長しているが、
これをあたまの固い共産党要人たちがコントロールできるのか疑問視されている。

最後に本書で知った豆知識を箇条書きにする。
・ベトナム戦争のとき、米兵は戦地でも冷たいビールが飲み放題だった。うまそう!
・2008年段階でベトナムの人口は8500万人。そのうち40歳以下が8割。すげえヤング。
・いまでも監視の目は厳しくなる一方で現政権の共産党批判をすると公安に逮捕される。
・共産党は情報統制をしている。
・建国者のホーチミンは中国で結婚して子どももいるが、それは国民に隠されている。
・職場でホーチミンってどんな人? とベトナム人の子に聞いたら、
「とても偉い人で何か国語も話せて一生独身でした」と言われたから情報統制はガチ。
・ホーチミンのことはまだよくわかっていないことが多い。
・ベトナムの共産党は常に絶対的に正しく間違うことがない。
・ベトナム人は社会的上下関係を大切にする。
・つまり、どんな会社に勤めているか、どこの大学出身か、既婚か未婚か、年齢はいくつか。
・日本の非常識はベトナムの常識。ベトナムは不正天国。
・少額の賄賂(わいろ)ならば払うのが常識で、もらうのも正当な権利である。
・正しい賄賂の受け取り方はみんなで山分けして生活費以外には使わないこと。
・2005年に廃止されたが、それまで二人っ子政策というものがあった。
・とにかくまあベトナム人は楽天的でしたたか。

「ハノイ挽歌」(辺見庸/文春文庫)

→ジャーナリスト目線っていうのがあるような気がするなあ。
もっとはっきり左翼目線と言ってしまったほうがいいのかもしれないけれど。
どういうことかというと、つまり虐げられたものは美しい。
インテリではない無知なものはその無知がために輝いている。
恵まれている富裕層はおのれの知識を恥じなければならない。
世の中でもっとも光っているものは肉体労働者が流すひたいの汗である。

――こういう発言をするのは決まって体験労働をしているものなのである。
社会見学気分で底辺を味わっているからそういう優等生発言ができるのだ。
本当に明日のメシが食えるかわからない底辺人種にとっては、
ヒューマニズムも親切も思いやりもおそらくなかろう。
経験から申し上げると、下のほうの人はやさしいというのはひとつの真実だが、
それは無知ゆえとも愚かだからとも言えなくもない現象なのだと思う。
最低時給労働者のなかにもやはり人間のクズとしか呼ぶほかない最低のやつはいる。
戦争で殺された人がみなみな善人というわけではない。
戦争で人を殺した兵士がみなみな悪人というわけではない。

生活のために必死で肉体労働をする人の気持を
わかるジャーナリストはほとんどいないような気がする。
なぜなら彼らには「知」があるからだ。
「知」をもって彼(女)らのことをわかったつもりになり、言葉で人を裁いてしまう。
著者は全共闘世代の、現代日本最高権力者のひとり。
まだご存命らしいからうかうかしたことは言えない。
かつてひたいに汗することなく左翼に惹かれたものが、いまの日本を仕切っている。
べつにひたいに汗して働くことが偉いとはちっとも思わないから、それはそれで構わない。
左翼も右翼もそうだが、自分は絶対に「正しい」と思っている人が怖い。
いまの上のほうの老いた偉人先生がたには「正しい」人たちが多そうだなあ。
彼(女)らは幸福なのだろうから、その恵まれたポジションを壊したいこちらは悪になろう。

べつに自分が「正しい」とは思っていない。
ちょっと「正しい」老人が妬ましいとは思うが、不健康な生活ゆえそのうち死ぬ身ゆえ、
なにもかもどうでもいい。左翼も右翼も、どうでもいい。どうにでもなりやがれ。
知ったこっちゃねえ。くそったれ、バカヤロウ!

「季節の中で」(トニー・ブイ脚本/竹内さなみ編訳/角川文庫)

→少しでもベトナムのことを、いやベトナム人のことを知りたいので、
ベトナム映画のノベライズ本を極私的な好奇心から読んでみる。
とはいえ、本書でどれだけベトナム(人)のことがわかるのかも疑わしい。
ベトナム映画「季節の中に」はたしかにベトナムを舞台にした映画で、
監督もベトナム人だがアメリカのにおいがぷんぷんするのである。
監督脚本のトニー・ブイは生まれこそベトナムだが、
わずか2歳のときに一家そろってサイゴン(ホーチミン市)からアメリカに移住している。
このため、トニー・ブイはほとんどアメリカ人と言ってもよいのである。
さらに映画「季節の中で」はアメリカ資本によって製作された作品である。

唯一ベトナムらしさを感じるところは、
編訳の竹内さなみ氏があとがきでばらしていたが映画製作中に
毎日のようにベトナム政府側から厳しい検閲を受けたというところだ。
ここがいちばんベトナムらしい。
日本映画は「売れる/売れない」がもっとも肝心で、
少しはあるだろうが(間接的に)さすがに政府からの厳しい検閲はないだろう。
どうして共産党独裁政権というのは、そういう検閲のようなものをしたがるのだろうか?
きっと「正しい」ものがあると理想を強く信じているからだろう。
宗教に対するような狂信をベトナム要人は共産主義にいだいているのかもしれない。

映画「季節の中で」は、よく知らないが(なら書くなよ!)
むかしの日本のプロレタリア文学(共産主義文学)の
ような香りがする(当方現在鼻風邪あり)。
貧しくても健気に働く若い女性は美しい。
かつての美青年が癩(らい)病(ハンセン病)に侵されてから書く詩こそ美しい。
人間は外見や金ではなく志(こころざし)がいちばん重要だ。
かつての米国兵士がベトナム女性に産ませた娘と再会するシーンで、
庶民や大衆、つまりプロレタリアートは感動すべき、いや感動しなければならない。
底辺のシクロ(自転車タクシー)男性はじつのところ本を読むインテリである。
お金のために富裕層に身体を売る若い女性は「正しい」のだろうか?
貧乏インテリ底辺シクロマンの恋心は通じて、彼は若くて美しい売春婦と結ばれる。

ひとつけっこう強烈な印象に残ったことがある。
われわれはベトナム南北統一などと聞くと、すぐに「良い」ことと思ってしまう。
しかし、実際はそんなかんたんではないことを本書で知った。
北ベトナムが南ベトナムに勝ったとはどういうことか。
南ベトナムの人はそれ以後、冷遇され続けるということである。
どんな知識や能力を持っていてもサイゴン出身というだけで世間から追い払われる。
この映画のトニー・ブイはうまいことサイゴンからアメリカに逃げたのである。
映画監督とわたしの年齢はそう変わりないが、
うまいことコネクションを生かしてベトナム映画を撮影し、いくつも賞を取った。
もしトニー・ブイがあのままサイゴンにいたら、
本当に底辺のシクロ(自転車タクシー)マンになっていたのかもしれないのである。

いま国籍多様な職場でありがたくもアルバイトをさせていただいている。
ベトナムの子に出身を聞くと、どうしてかみんなハノイ近郊出身なのね。
南ベトナムのサイゴン(ホーチミン市)出身の人はおそらくいないのではないか。
ベトナムでは北の人のほうがはるかに社会的身分が高く裕福なのだろう。
ベトナムの人っていったいなにを考えているんだろう。
わからないからそれが魅力になっているようなところがある。
いったいどんな学校教育を受けてきたんだろう。
あの子たちにとってホー・チ・ミンはいったいどういう存在なんだろう。
どうして未知のものはこうも光り輝くのか?
冷戦後の世界でもっとベトナム(人)という存在が注目されてもいいような気がしてならない。

「我々はなぜ戦争をしたのか 米国・ベトナム 敵との対話」(東大作/岩波書店)

→1998年に放送されたNHKスペシャルの書籍化。
ベトナム戦争当時のアメリカ高官とベトナム上層部がハノイで対話をした。
テーマは「我々はなぜ戦争をしたのか」――。
こういう対話があったのを聞きつけたNHK敏腕記者が、
その内容を報道して国民に伝えたいと思った。
ひとりの人が一生で1回できるかできないかの仕事を著者は成し遂げたのだと思う。
とてもわかりやすく、かつたいへんおもしろい書籍であった。
なにかを知ったり発見したりするのってやっぱりおもしろいなあ。

ベトナム人300万人、アメリカ人5万人が死んだとされるあの戦争の真実はなにか?
本当のことを言えば、ベトナムがアメリカに勝ったかどうかもわからないわけである。
だって、ベトナム人はアメリカ人の60倍死んでいるわけだから。
そのうえベトナム兵士がアメリカに上陸して一般人を殺傷したわけでもない。
ベトナムはアメリカに勝ったというよりも、負けなかったのだと思う。
どうして負けなかったのかと言えば、和平交渉の場にベトナムが乗らなかったからである。
戦争における勝ち負けというのは、
要するにいかに秘密裏に敵国と交渉(条件交換)するかの利益分率と言えよう。
ベトナムはこの裏からの交渉におそらくほとんど興味を示さなかったのだろう。
そもそもアメリカにはベトナムの要人とのコネ(人間交流)がいっさいなかった。
落としどころをつけようにも信頼関係のある交渉役がいないのだから仕方がない。
わかりやすい話をすればギブアップだろう。
プロレスや格闘技では「参った」ときにギブアップと言うことになっている。
しかし、相手がそもそもギブアップという言葉を知らなかったらどうだろう?
おそらく、これが小国に過ぎぬベトナムがアメリカに勝ったという真相なのだと思う。

ベトナム戦争の背景にあったのは、アメリカがベトナムをまったく知らなかったこと。
アメリカはベトナムのことをまるでからきしさらさらつゆ知らなかった。
具体的にはベトナムと中国は歴史的にとても仲が悪いことを知らなかった。
おなじ共産主義だからベトナムと中国は親友みたいなものだろうと勘違いしていた。
本当はソ連、中国、ベトナム、それぞれ仲が悪かったのである。
中国はソ連を嫌っている。ベトナムは中国を嫌っている。
ベトナムに数ヶ月滞在したらわかること、ただそれだけのことを知っている人が、
当時のアメリカ上層部にはひとりとしていなかった。
このため、ドミノ理論(ベトナムが共産化したらインドシナ半島全体が共産化する)
などという、いかにもアメリカらしい単純な一見わかりやすげな理論が信じられ、
正義の国であるアメリカが自由のために悪いベトナムを成敗することになった。

アメリカ人というのは気のいい、いわゆる善人が多いのだろう。
怖ろしい本当のことをベトナム人に向けて語っていた。
ベトナム戦争以前、アメリカ人はだれもベトナムのことなど知らなかったと言ってしまう。
ベトナムを世界地図で指せと言われてもだれもできなかっただろう。
アメリカ人はだれもベトナムのことを知らなかった。
ただ共産主義の大国・中国の子分程度の認識しかなかった。
ベトナムの偉い指導者、ホー・チ・ミンは民族独立闘争開始当初、
独立精神にあふれたアメリカに好感を持っていたという。
ホー・チ・ミンはどうか我われの独立運動を支持してくれとアメリカに親書を送ったくらいだ。
しかし、アメリカの要人はベトナムのことなどだれも知らなかった。
このため、ホー・チ・ミンの親しみあふれた手紙を無視してしまった。
庶民レベルの話をしたら、相手が挨拶してきたら挨拶を返したほうがいいのだろう。
このときアメリカが小国ベトナムのホー・チ・ミンに関心を持って
話を少しでも聞いていたら、
歴史に「もし」はないがベトナム戦争は起きなかったのかもしれない。

名著を読んで再認識したが、つくづく歴史というのは「たまたま」の繰り返しなのだと知る。
米国による北爆(北ベトナムへの空襲)のきっかけとなったのはブレイク事件である。
アメリカのお偉いさんが和平交渉などいろいろな選択肢を持ちながら
ベトナムに来たまさにそのときに、南ベトナム軍の要地が攻撃されてしまった。
これでアメリカ人兵士8人が死亡した。
このことへの報復(復讐)としてアメリカはベトナム人を空爆で大量に殺すことを決めた。
アメリカ高官はブレイク事件を北ベトナム軍による挑発だと受けとめた。
しかし、実際のところは(おそらく十中八九これは本当のことだろう)、
ブレイク事件(基地攻撃)は
近くのゲリラ軍がなにも知らないで行なったことだったのである。
アメリカの高官が来ていることなんざまるで知らないベトナム兵士が、
上の命令とかまったくなんの関係もなく、いわばその日の気分で基地を攻撃した。
これがベトナム戦争激化の直接的要因になったのである。
アメリカ軍では上から命令されていない行動は決してしてはならない。
しかし、北ベトナム軍はそれほど指揮系統は成立していなかった。
わかりやすくいえば、北ベトナム軍は「いいかげん」だったのである。
このため大した理由もなく、あるベトナム人がよかれと思ってブレイク事件を起こした。
アメリカはまさにこれこそ北ベトナムサイドの挑発行為とみなし北爆を開始したのである。
なぜなら繰り返しになるが、アメリカ軍においては
上から命令されていないことはしてはいけない決まりになっていたから。
北ベトナム軍はそうではなく、「いいかげん」だということをアメリカ上層部は知らなかった。

ベトナム戦争が泥沼化したのは、いったいどういうわけなのか?
アメリカ人がベトナム人のことをさっぱりまるでわかっていなかったのだろう。
戦争においていちばん卑怯なのは空爆だと思う。
空から爆弾を落として非戦闘員を無差別に殺すというのはさすがにダメだろう。
わたしが政治家や軍部要人でも空爆だけは人として選択できない。
この企画の提案者である、まあ偽善者だろうが、
あるアメリカ人のお偉いさんが言うのである。
自分が自分の責任で空爆をさせてベトナム人を大量に殺したのは、
むしろベトナム人のためなのである。
どうしてベトナム人は同胞がこれほど死んでいるのに和平交渉に乗らなかったのか。
これに対するベトナム人の答えはいさぎよい。
爆撃されているときに和平交渉などしたら、どう民衆に言い訳が立つというのか?
ひんぱんに空襲に来るアメリカなんかと和平交渉できるもんか!

本書にはまったく書かれていないが、
アメリカはおなじアジアだからベトナムを日本とおなじようなものと錯覚したのだろう。
日本はアメリカからさんざん空襲を受けて、原爆まで落とされた。
その結果として無条件降伏を選択して、戦後はアメリカ文化を盲目的に受け入れた。
アメリカはしょせんベトナムなぞ日本とおなじようなものと思ったのだろう。
空爆を繰り返したらいつかギブアップして奴隷的な無条件降伏をするに違いない。
しかし、ベトナムはそうではなかった。ベトナム人と日本人は違う。
ベトナム人が偉いとほめているわけではないのである
(そのような気持もないことはないが)。
自国民が大量に死んでいたら同胞のために「負け」を認めるのもいいのではないか。
広島、長崎のあとにほかにも原爆を落とされていたら日本はどうなっていたか。
ベトナム政治家と日本政治家のどちらが「偉い」のかも「正しい」のかもわからない。
それぞれに「偉い」し「正しい」と思う。
しかし、無抵抗の人間に空襲する米国兵士は「偉い」とも「正しい」とも思わない。

日本人とベトナム人は異なる。
みんなアメリカの動向に夢中だが、わたしはベトナムのことをもっと知りたいと思う。
中国のことも、ネパールのことも、インドのことも、もっと知りたい。
アメリカの卑怯な空爆で自国民が大量に殺傷されているときに、
人命を尊重するのが「正しい」のか、それとも誇りを大切にするのが「正しい」のか、
それはいまのわたしにはわからない。
敗戦時の日本人上層部も、北爆時のベトナム人指導者もそれぞれ辛かったのだと思う。
アメリカ人はあまり好きではないが、
もしかしたら爆弾を落としている飛行機乗りのなかにもしんどい思いをしていた人は
少なからずいたのかもしれない。そうであると思いたい。

「ベトナムロード 戦争史をたどる2300キロ」(石川文洋/平凡社ライブラリー)

→ベトナム社会主義共和国ができた1976年に生まれたものとしては
わからないことばかりなのである。いちばんわからないのが共産主義である。
むろん言葉としての意味は(完全ではないにしろ)わかるけれども、
どうしてむかし共産主義に熱狂する人たちがいたのか、
そして同時にコミュニスト(共産主義者)を過剰に恐れる人があれほどいたのか、
どちらとも本当によくわからない。
わかる話をしよう。身近な話をしよう。
バイト先の中国人の子に先日聞いた。「中国人ってベトナム人が嫌いなんでしょ?」
「どうして?」「だって、むかし戦争をしていたじゃない?」
「日本人こそ中国人を嫌いなんでしょ?」
「そんなことないよ。中国人は好き。むかし旅行したときお世話になったし」
ベトナム人の子には「中国人は嫌いなの?」と気軽に聞けないような雰囲気がある。
こちらの勝手な思い込みだろうが、ベトナム人は中国人よりもちょこっと怖い。

本書は報道カメラマンとしてベトナムに33年かかわった著者の随想である。
いちおうは旅行記のかたちを取りながら、著者のベトナムへの思いが語られる。
おのれのアジア現代史への無知を思い知らされる。
これを読むまでベトナムと中国は歴史的に仲が悪いということさえ知らなかった。
おなじ共産主義だから親友みたいなものだろうと思っていたら、
どうやら実際はそうではないようだ。
そこらへんをアメリカは見誤ってベトナム戦争をおっぱじめたのかもしれない。
著者はベトナム戦争時、現場にいたから現地の声を聞いているのである。
ベトナム戦争のとき、ソ連と中国は北ベトナムに協力したとされている。
しかし、実際はソ連のほうはたしかに武器をまわしてくれたけれども、
中国はその妨害をするようなこともしていたという。
中国はアメリカとドンパチやりたくないからベトナムを南北に分裂させて、
米国の関心を中国からベトナムに移させたという説もあるらしい。
北ベトナムの兵士は民族独立(南北統一)のために戦っていたようだ。
いっぽう南ベトナムの兵士は戦争に負けたら、
ベトナムが中国に支配されてしまうという意識で殺し合いをしていたようだ。
どちらも戦場カメラマンの著者が現場で肌で感じたことだから、
真実と言えばこれほどの真実はなく、反対に噂話程度のものと見下すこともできよう。

日本の戦争責任もすごいよなあ。
沖縄の米軍基地からベトナムに向かった兵士が大量殺戮をしたわけでしょう?
日本は第二次大戦中北ベトナム(ハノイ)に迷惑をかけたのに、
南ベトナム政府に戦争賠償金として140億円を払ったのか。
きっと当時の日本も熱かったのだろう。
いまの我われなんて(わたしだけか?)定職にありつけて、
友人のひとりでもいたら万々歳の世界を生きているような気がする。
結婚なんかできたら奇跡のようなもので、そのくらいしか生きがいみたいなものはない。
しかし、当時は世界平和とか、そういう大きな物語が真顔で語られていたのか。
大きな物語を生きることができたら(デモみたいな集団活動をしていたら)、
個人の孤独のようなちっぽけな問題は消し飛んでしまうのかもしれない。

著者はインテリではなく庶民感覚をお持ちのカメラマンらしく、
このためゲスな言葉が多いのだが、そこがとくにわかりやすくおもしろかった。
第二次大戦で日本が負けて引き上げたあと、中国がベトナムに目をつけたらしい。
このときベトナムのホー・チ・ミンがこう言ったとされるのだが、おもしれえ。

「中国人のくそを一生食らうよりは、フランス人のくそをしばらくの間
嗅いでいたほうがまだましだ」(P55)


ホー・チ・ミンって人のことはぜんぜん知らないけれど、おもしろそうな人だなあ。
本書の著者である石川文洋氏もまたおもしろい人である。
まったく学問的ではないのだろうが、どこか本質を突いた記述をしている。
なるほどと思ったところを列記する。
・社会主義(共産主義)だと金儲けの才能が生きない。
・文学や写真、その他いわゆる芸術の才能があっても共産主義では生かせない。
・共産主義世界のメシはまずいが、資本主義社会のメシはかくだんにうまい。
・ベトナム、ラオス、カンボジアは国境を接しているが実は似ていない。
・メシを食えばそれがわかりベトナムは中国料理、
ラオス、カンボジアはインド料理やインドネシア料理の影響が強い。
・ポル・ポト政権のあれは中国がカンボジアで起こした文化大革命。
・南ベトナムの高官は偉そうだったが、北ベトナムの指導者は質素で素朴だった。

我われは本当にベトナムのことをよく知らない。
以下に引用する、この程度の歴史さえ知らない
(知ってもすぐ忘れてしまう)人ばかりだろう。
どうして我われは他国のことに興味を持たないのだろう。
まあ、それは忙しくてそれどころではないからなのだが。それで構わないのだが。
日本のささいな歴史を知っている在留外国人さえそれほどいないような気がする。
そもそも日本人でさえあまり興味を持たない日本の歴史を
外国人が知りたがるわけがない。ベトナムの歴史なんか知ったってねえ。

「ベトナムの歴史は、まず千年におよぶ封建中国の支配に続いて、
九三八年、ゴ・クエン(呉権)が独立をかちとってから約千年は内乱の時代、
一八八四年から一九五四年のジュネーブ協定までは、
主としてフランスの植民地支配と独立戦争の七十年、
そしてさらに抗米救国の戦争が二十年続いて、
カンボジア三派連合、中国との対立の時代になる。
本当に落ち着く間のない歴史である」(P128)


こうして書き写していて気づいたけれど、ベトナムってすごい国じゃないか?
というのも、中国に勝ってフランスに勝って常勝のアメリカも打ち負かしたのだから。

※ベトナムに敬意を表して本日ブログカテゴリーに「ベトナム」を追加しました。

「泥まみれの死 沢田教一 ベトナム写真集」(沢田サタ/講談社文庫)

→戦場カメラマンのベトナム戦争写真集である。
国際的に評価されている戦場カメラマンらしいが、どの写真のよさもわからなかった。
しかしそもそも写真の審美眼のようなものはないので、
だからどうこうと言うつもりはない。
早死にはしたのだろうが、世界の名誉ある賞をいくつも取るなんてうらやましいなあ。
沢田教一の顔写真を見ると、いかにも功名心のかたまりのような嫌いな風貌だ。
わたしの人生にはそういう彼のような輝かしいことはもうないのかしら。
すっと危険な世界へ入っていけるような投げやりな自棄の精神は持っているけれど。
写真は真実を伝えるって言うけれど、
文章も写真も映像もなにも真実など伝えられやしないと個人的には思っている。
有名な戦場写真にはどれもヤラセ疑惑があるらしいけれど、
そもそも写真は真実を伝えるものではないと思っているので構わないと思う。

そうそう、1枚も心に残ったものがないこの写真集を見て思ったこと。
戦争って男がするもんなんだなあ。
十字架の写真が幾枚かあったが、
米軍兵士は自分たちが「正しい」と思っているのかと本気で驚いた。
またまあ、自分(たち)が「正しい」と思っていなかったら人なんか殺せないわけだが。
「正しい」というのは戦争を作る根本原因で悪魔のような論理なのだろう。
だが、その悪魔の価値判断「正しい」を、
われわれは小中高(人によっては大学でも)と教わってきたのか。
いや、洗脳されてきたと言ったほうがいいだろう。
なにが「正しい」か次の選択肢の中からひとつ選びなさい。
そして「正しい」を多く選択したものほど上の学校、
上の会社に行ける社会構造になっている。
「正しい」を数多く選択したものほど優秀だという価値観を幼少時から植えつけられている。
「正しい」ものがひとつかならずあるというのは真実ではない。
どっちも「正しい」かもしれず、どっちも「正しい」わけではないかもしれず、
そもそも絶対的に「正しい」ことなんてこの世には存在しないのかもしれない。
そんなことを言っちゃあ戦争ができなくなるが、それでいいのだろう。
男の子って「正しい」ことを言いたがるよね。
女の子は「正しい」ことよりも実利を取るというか。
わざとバカなふりをしたほうが男にもてることがあるのを女は知っている。
だから、戦争は男がするのだろう。みんな男なんてやめたらいいのにね。

「越南(ベトナム)不眠惰眠旅三昧」(日比野宏/凱風社)

→日比野宏さんの本の大ファンなのだが、
このベトナム旅行記も深みのあるとてもいい本だった。
いま日本人がベトナムのことを知ろうと思ってどういう方法があるだろう。
インドや中国ほどベトナムは学問領域に入っていない。
インドや中国でさえ欧米志向の強い日本ではマイナーな分野だろう。
どうしたらベトナムのことを理解できるかと言っても方法がないわけだ。
ベトナム人と友人になれればいちばんいいのかもしれないが、ふたつ問題がある。
ベトナム人ならば、ベトナム人というだけで、ベトナムのことをよく知っているのか。
もうひとつのほうの問題は根本的で、
他人と友人関係になるのは神さまや仏さまの手を借りなければならぬほど難しい。
とくにわたしのようなコミュニケーション能力に障害があるカタワもんは。
だからこうして優秀な旅行作家が書いたベトナム見聞記を読むしかないわけである。

日本は戦後70年だが、ベトナムは戦後わずか約40年なのである。
そのうえ日本の戦争とベトナム戦争では格が違うとも言えなくはない。
日本が第二次大戦中に落とされた爆弾の数十倍の量を、
ベトナム北部はアメリカによって落とされたという説もあるらしい。
戦後70年だからか、日本人はお人好しなのである。他人を信じすぎる。
よくも悪くも危機意識があまりない。
まだ「地球の歩き方」も出ていない時期なのだから当たり前なのだが、
当時ベトナム人にだまされたりぼられたりした著者は、
「サイゴン、バカヤロウ」と本書に書いている。
これはわたしもまったくおなじでベトナム旅行中のブログ記事を読み返したら、
ベトナム人の悪口ばかり書いている。
いまはベトナムびいきのようなことを書いているが、
ベトナム人からされたことは親切3、意地悪7くらいのような記憶がある。
ベトナムは、タイ、カンボジア、中国とは毛色が異なるむしろインド寄りの国だろう。
しかし、あのひどい戦争を経験して
それほど時間が経っていないのだから当然とも言えよう。
著者もお書きになっている。

「他者への思いはさて置き、まずは自分中心に生きる――という風潮こそ、
サイゴンという街の厳しさや、ここに住む人間たちのしぶとさを表す証左ともいえる」(P92)


戦後70年で戦争を完全に忘れてしまった日本人は、
絆とか思いやりとか助け合いとか薄っぺらい言葉がお気に入りのようだが、
人間はみんな自分がいちばん大事なのではないか。
自分中心に生きてなにが悪いか?
こう言葉にしてみてわかったが、これはベトナムやインドの旅で思ったことだ。
ベトナムが明らかに日本に比べて活気があるのは、
みんなが「自分中心に生きる」という根っこのところを忘れていないからなのかもしれない。
明日、爆弾を落とされたら財産どころか命の保証さえないのである。
著者が旅先で知り合った戦争経験者の南部ベトナム人はこう言ったという。

「明日がどうころぶか、いまだって誰にもわからんだろ。
だから、いまを精一杯生きていくんだ。
食えるときは思う存分食い、楽しめるときは思いきり楽しんでしまうんだ」(P232)


べつに日本人批判をしたいわけでもなく、ベトナム居住のベトナム人よりも
日本人のほうがはるかにやさしいから日本人は好きなのだが、
日本人はいまを楽しむことを忘れて、あるかどうかわからない老後のために
寸暇を惜しんで労働ばかりしている人が多いような気がしなくもない。
それはそれで日本人のとてもよいところなのだが。
日本は――、日本人は――、と書いているが、みんないっしょくたにはできない。
はっきり言っておなじ日本人でも関西の人はわからないとか、
東京の人はドライで情がないから嫌いだとか、そういう意見もあるわけである。

むろんのこと、ベトナムでもそういう地域差はふんだんにあるらしい。
ベトナム人は――、なんていっしょくたにして語れる存在ではないのである。
ベトナムは南北に広がる国である。
北にあるのがベトナムの首都ハノイ(ベトナム戦争で勝った共産党サイド)。
南の中心地が旧サイゴンのホーチミン・シティ(戦争で負けた資本主義サイド)。
ベトナム戦争では南北でおなじ国の人が殺し合ったわけである。
日本以上に南北の差があるのは当たり前だ。
北ベトナムの人はベトナム戦争を「対米救国戦争」と呼んでいたそうだ。
なかには「アメリカ破壊戦争」と呼んでいた人もいた。
結局、社会主義サイドの北が資本主義サイドの南に勝ったのがベトナム戦争だ。

旅行中、著者についてくれた北ベトナム出身のガイドはこういう表現をしている。

「北も南も、同じベトナム人には変わりありません。
だけど、北の人間は勤勉で辛抱強いのですが、
南の人々は陽気で楽天的で、とても楽しい人たちです。
北の言葉はとても美しい発音ですが、南は抑揚があって元気です」(P132)


敵をつくらないうまい玉虫色の表現と言えよう。
本書によるかぎり、一般的に(戦争に勝った)北は南の人をどこかで見下しているようだ。
履歴書に南ベトナム出身であることを正直に書くと就職できない仕事もあるとのこと。
こういうのってリアルだよなあ。
ここまでベトナムに迫れた著者の人間パワーには感心する。
日本社会でも言葉にできない微妙な差別意識のようなものはあるけれど、
それをたとえばベトナム人留学生が理解するのは相当に難しいはずである。
いまベトナム人の若い子たちといっしょに時給850円で働いている。
男も女もベトナムの子は笑顔がすばらしいのである。
本書によると、ベトナムには以下のことわざがあるらしい。

「一つの微笑みは千の言葉にも値する」(P262)

ベトナム女子の笑顔にメロメロになる男もいるんだろうなあ。
著者もその口だったらしく、笑顔の裏に隠されたベトナム人女子のプライドの高さ、
自分勝手さにほんろうされたことを、
ひとりよがりにならない読書に耐えるレベルの楽しい読み物としてお書きになっている。
ベトナムの子の笑顔って本当は怖いんだなあ、ガクガクブルブル。

日比野宏さんの旅行作家としての才能のひとつは運のよさだと思う。
著者は5年ぶりにある家族に逢いたくなってベトナムに行ったという。
しかし、かつての住所にはその家族はいなかった。
にもかかわらず、著者はかならず逢えるという自信を持って行動するのである。

「……彼女たちの居所はまったくわからなかった。
だが、この地はベトナムである。
また、旅のさなかでは、なにがおきてもおかしくない。
夕食をすませたあと、なんらかの手がかりと偶然を願い、
小雨まじりのドンコイ通りを歩きまわった。
ボローダーというヨーロッパ調のレストランを通りすぎ、
ホテルに戻ろうとしたちょうどそのとき、
背後から「ヒロシ!」という声が聞こえた。ふり向くと、ぬれた路面の上で、
ウエートレス姿の次女バンが銀色のトレンチを片手に、
満面の笑みをたたえながら立っていた。
彼女は昨夜、べつの系列店で働いていたが、
今夜になって人手が足りずにこの店に派遣されたそうだ。
勤務時間が終わりに近づいたころ、窓側の客に呼ばれてふとガラス窓の外を見ると、
店先の小道を歩いていた私に気づいたという。
旅行中はとかくこの手のタイミングで偶然がよくおこるものだ」(P154)


これはまったくその通りで、旅行中は信じられないような偶然がよく起こる。
何度もおなじ人に逢ったり、
シンクロニシティの存在を確信するようなことがたびたび発生する。
きっと「旅のさなかでは、なにがおきてもおかしくない」
と無意識的に思っているからだろう。
いま日常ではなく非日常を生きていると思っているから、
そういう偶然も起こるのではないか。
だとしたら、旅ならぬ人生も「なにがおきてもおかしくない」という態度で生きたらどうだろう。
名著ゆえ、勝手に人生指南のようなものまで読み込んでしまった。
人生は旅とおなじで「なにがおきてもおかしくない」のかもしれない。
「明日がどうころぶか、いまだって誰にもわからんだろ」――。
日本は敗戦時、70年後にこうなっているとは思いもしなかっただろう。
ベトナムも戦争終了時にいまのベトナムを予想できたであろうか。
どうでもいいわたしの個人史を思い返しても、なにが起こるかなんてわかりはしない。

北朝鮮のことをバッシングしている報道を見かけることがある。
だがしかし、いまのベトナムは「勝利した北朝鮮」と言えなくもないのである。
東ドイツもソ連もつぶれたのに、ベトナムだけはうまくやっているのである。
もしかしたらベトナムは今後世界史上で重要な意味を持つ国家ではないか。
ベトナムやベトナム人はおもしろいのではないだろうか。
いまの日本の繁栄がベトナムのおかげという説もあるのである。
1955年生まれの著者はこう書いている。

「東京オリンピックが閉幕したあと、日本経済は不況を迎えた。
しばらくして、アメリカ兵が日本に姿を見せるようになると、
景気は再び上向きに転じた。さらにベトナム戦争が泥沼化すると、
「ベトナム特需」によって日本は高度成長経済に突入し、
その後の目覚しい発展を迎えるきっかけとなった」(P195)


そうしていま2015年、
ベトナムから語学留学生が6千人以上日本に来るようになっている。
その人たちといっしょにいまわたしは働いている。

「図解 早わかり ベトナムビジネス」(ベトナム経済研究所編/窪田光純/日刊工業新聞社)

→こちらのベトナム体験はわずかなもの。
むかし1ヶ月かけてベトナム南北を旅したことがあること。
それからいまベトナム人留学生と一緒に働きはじめて7ヶ月。
このくらいではベトナムのことはわからないよなあ。
しかし、本書に書いてあることが絶対真実であるかどうかもわからない。
たとえば「日本人は勤勉」と言われても、そうじゃない人もたくさんいるでしょ?
小声で白状するけれど、たとえばこの文章の書き手は自分を勤勉とは思っていない。
まあ、そういう眉唾みたいなものとして
本書の内容は参考程度にとどめておいたほうがいいのだろう。

きっとベトナムなんか世界地図でどこにあるか指せない人のほうが多いのではないか。
本書から学んだベトナムおよびベトナム人の要点を箇条書きふうにメモしておく。
・ベトナムは反日的な中国圏でもないし争いごとが好きなイスラム圏でもない。
・ベトナム共産党の一党支配だが政治的には安定している。
・人口8200万人の国民市場がある。2020年には1億人を突破する。
・ベトナムは若い国で30歳以下が6割。老人の国である日本と正反対。
・地縁、血縁が強い。出身地や血族のコネが幅を利かせている。
・これはベトナム戦争を経験したからとも言われている。防衛のため同族意識が強まった。
・「人柄がよい、節度正しい、年長者を重んじる、勉強家」って本当かなあ?
・ベトナム人はプライドが高い。面子を重んじる。
・日本人は謝罪文化と言われるほどよく謝るが、ベトナム人は絶対に自分の非を認めない。
・ベトナム人は自己責任を認めようとしない。絶対に謝らない国民性。
・日本以上に学歴を重視する。家柄、毛並み、階層意識が強い。
・ベトナム人は将来のことをあまり考えずに目先の利益を最優先する。
・定価主義の日本に対して、ベトナムは値切りの文化。価格交渉が面倒くさい。
・会社のことなんかよりも自分の都合をまず優先する。
・ベトナムでは男性よりも女性のほうが威張っている。
・根本にあるのは「独立・自由・幸福」を目標とするホーチミン思想。
・ベトナム人を過度に信頼してビジネスで痛い目を見た日本人も少なくない。
・ベトナムでいくらものが売れても利益幅が小さいから日本円に換算したら儲けにならない。
・ベトナムでは日本人ひとりの賃金でベトナム人百人が雇用できる。
・ベトナムで稼いだ金を日本に送金するのがなかなかたいへんらしい。
・ベトナムで商売しようと思ったら賄賂(わいろ)がかならず各方面に必要となる。
・賄賂横行はきれいごとで言えばお礼文化、贈答文化と言えなくもない。
・高学歴化が進んでいて識字率は90%を超える。
・とはいえ大学を卒業しても就職できるのはほぼ半分の50%。
・そのうち希望の職種に就けるのは10%。
・25%はアルバイト。30%はたぶんニートやら無職やらバイト探し。

この本は8年まえの出版で、
日本に来ているベトナム人留学生の数は2千人程度となっていた。
いまネットで調べてみたら去年の統計では6290人と3倍に増えている。
ならば、いまのバイト先にいるベトナム人は6千人のうちの10~20人なのか。
もっといると思っていたけれども、あんがい少ないから、
彼(女)らはいま日本にいる数少ないベトナム人留学生だったのか。
ちなみに中国人留学生の数は8万人をオーバーしているから、
どのくらいベトナムの6千人が少ないかわかっていただけると思う。
ベトナム長期旅行経験のあるわたしがバイト先でベトナム人とめぐりあう確率って、
考えてみたらものすごく低く、大げさだけれど奇跡のようなものなのかもしれない。
できるだけ親切にしてあげたいなあ。
しかし、きつい持ち場はなにしろ若いんだからベトナム人女子にもやってほしい。

ベトナム人が学歴大好きっていうのは、ちょっと話しただけでなんとなくわかった。
しかし、ベトナム人が勉強家っていうのはどうかなあ?
1年以上も語学留学しているのにまったく日本語がわからない人ばかりのような気が。
無断欠勤とかやりまくりな子もいるような、いないような。
社員さんがいくら親心のような愛情のある叱り方をしても馬耳東風なのが笑える。
もしかしたら本に書いてあるように本当に謝るって精神がないのかもしれない。
変にプライドが高い子が多いのは事実だと思う。みんな大学出だから、
日本の底辺をどこかでバカにしているようなところもあるのかもしれない。
だったら、日本語を徹底的に集中して勉強すればいいのにやらないんだなあ。
昨日バイト先で話した女の子もまったく日本語ができなかった。
社員さんが注意していたけれど、あの話し方だと数%も伝わっていなかったのではないか。
そんな彼女でももう日本に来て1年以上になるのだからベトナム人は勉強家である(え?)。
来年、日本経済大学(のたぶん院)に入るって言っていたな。
「渋谷にある日本経済大学を知っていますか?」
「え? そんな大学あったっけ?」
帰宅してさっそくネットで調べてみたら偏差値40の大学かあ。
ここの大学院だったらお金さえ払えば名前を書くくらいで入れてもらえるのかしら。
でも偏差値40の大学の院で日本語がわからないのにいったいなにを勉強したいのか。
ベトナム人ってよくわからない。だから、惹かれるのかもしれない。
書物ならぬナマのベトナム人と接する機会があるというのは相当ラッキーかもしれない。
アメリカに勝った国、ベトナムのことをもっと知りたい。

「愛と幻想のハノイ」(ズオン・トゥー・フオン/石原未奈子訳/集英社文庫)

→1986年刊。当たり前の話だけれども、ベトナムにも文学はあるみたいだ。
この作品は(英語からの重訳だが)日本語に訳された数少ないベトナム小説のひとつ。
読後に調べて気づいたが作者は女性である。
文学なのか大衆小説なのかはわからないけれど、
そういう区別自体なにも意味はないのかもしれない。
内容を紹介すると、いわゆる恋愛小説である。
主人公はリンという美人高校教師で、理想に燃える新聞記者のグエンと結婚する。
ふたりのあいだにはひとりの娘が産まれる。
社会主義国で生きていくというのは、理想ばかり追っていられるわけがない。
新聞記者のグエンは真実を記事にはせず、生活のために上司の言いなりになっていた。
おかげで優秀な新聞記者として評価されている。生活するというのは、そういうもんだ。
しかし、潔癖なリンには夫の生活のための不正が許せない。
リンは若き日に感じたグエンへの愛を失ってしまう。
グエンはこの国(ベトナム)で生活するとは、
そういうことなんだとリンに何度も説明するが愛妻からの理解を得られない。

まだ若い美貌を持つリンは妻帯者の有名作曲家のチャン・フォンと不倫の恋に落ちる。
そこらの若い貧乏人と恋をするのではなく、
老いた有名作曲家との恋に落ちるところがリアルだ。
リンは錯覚しているわけだ。この作曲家は夫が失ってしまった理想をまだ持っている。
しかし、現実はそんなことはなくチャン・フォンも作曲家として出世するために、
これまでいろいろ権力闘争や世渡りを現実的にこなしてきたのである。
世間知らずのリンはそのことを知らず汚い中年男を理想化して、若い身体を与える。
ひとりしか男を知らなかったリンは、
みずみずしい肉体を恋多き中年からおもちゃのようにもてあそばれたことだろう。
これまであまたの不倫をしてきたチャン・フォンはリンこそ理想の女だと一瞬は思うものの、
強い政治的なコネを持つ妻と別れることはできず、新しい愛人を結局は捨てる。
チャン・フォンはリンに経済的援助をまったくしなかったからリンは貧窮の底に落ちている。
名声を利用して無料で若い肉体をもてあそんだチャン・フォンはまんまとうまくやった。
小説の最後ではまだ妻を愛するグエンが勇気を出してチャン・フォンに逢いに行き、
この老作曲家が若い妻の身体のすみずみまで舐めつくしたのかと想像して歯噛みする。
しかし、すべては後の祭りである。
チャン・フォンは党の上層部とうまくコネをつけたおかげでさらなる出世をする。
グエンは最愛の妻と離婚して、これから娘と孤独なやもめ人生を歩んでいくしかない。
独身に戻った美しいリンにはある画家が目をつけた、というところで小説は終わる。

読み終わった感想は、まあどこの国の人たちも恋愛するんだなあ。
そして、女は地位のある男が大好きってことだ。
それからベトナムは強力なコネ社会だから、不正やスキャンダルもコネで揉み消せる。
しかし、そんなことを言ったら日本だって結局はコネ社会だし、
日本の男女もベトナム以上の恋愛をしているわけではないから、
要約すれば日本もベトナムも大した差はないのだろう。
ただ生活のために小さな不正をしている新聞記者の
夫をとがめる青臭い妻が少しベトナム的かしら。
「正義」とかいう感覚が日本よりもまだ残っているのかもしれない。
小説のなかで編集長が資本主義国は能力主義だが、
ベトナムではそうではない(コネだ)と嘆くシーンがあるけれど、
日本もそこまで能力主義だけではないような気がする。
あれはアメリカと比較していたのかもしれないけれど。

みなさまはベトナムの小説なんて
お目にする機会がないでしょうからお節介から部分を紹介してみましょう。
ベトナム女性は純真とか、そういうイメージにだまされちゃいかんぜ。
ベトナム人女流作家の書く、あるベトナム女性の結婚観はこうである。
ある女性は自分の人生に満足していない。

「エンジニアの夫は、金持ちではあったが、名声への階段を上らせてはくれなかった。
富という夢を叶えただけで、栄光や精神的な満足感は与えてくれなかった。
ものは余るほど手に入ったし、愛情と優しさは存分に注がれたが、
心は満たされなかった。どこへ行ってもちやほやされたかった――
オペラハウスでも、カフェでも、映画館でも。
彼女見たさにみんなが首を伸ばし、見ては好奇心で胸を躍らせ、
名前を囁(ささや)きかわしてほしかった。
視線をくぎづけにし、うらやましがらせたかった。
醜くても地位の高い男をつかまえた運のいい女は多い」(P183)


この小説のヒロインのリンが中年と不倫の恋に落ちるのも、
結局は男が世間から広く認めらた有名作曲家だからなのである。
まあ、人間の女なんてどこの国でもこんなものなのだろう。
いっかいの高校教師にすぎぬリンは思う。

「彼女は自分をありのままに受け止めていた。
何百万といる平凡な教師のなかのひとりにすぎないと思っていた。
それなのに、この才能豊かで有名な男に愛されている。
愛されることが誇らしかった」(P123)


この有名作曲家のチャン・フォンという男がまたおもしろいやつなのである。
やはり芸術家にはどこか悪魔性がないといけないのだろう。
他人なんて知ったことかと自分のために生きるのが芸術家なのである。
この男が不倫をなじられたときに老妻に言う言葉がたいへんよろしい。

「いまのおまえにわたしを誘惑できるなにが残ってる?
器量? 性格? おまえと一緒に暮らしたら仏陀でさえおかしくなる。
普通の人間なら言うまでもない」(P148)


このセリフは女に言ってみたいなあ。
「おまえと一緒に暮らしたら仏陀でさえおかしくなる」
でも、そのためにはまず結婚しなきゃならんのだから壁は高い。
さて、この芸術家が夫の不倫に激情した老妻に向き合ったときの心の声もいい。

「相手は女だ。こっちが屈したら絞め殺しにかかるが、抵抗すれば屈する」(P210)

原文はどうなっていたか知らないが、
ここは「抵抗」よりも「威圧」のほうがいい日本語訳になると思う。
つけたしのように書くが、とても読みやすい日本語訳だった。
若い愛妻を寝取られた新聞記者風情が権力を持つ有名作曲家と対面するシーンもいい。
新聞記者は、女なんて結局は地位に目がくらまされるものだと気づいたことだろう。
賢くもあった若くて美しい妻は、自分よりも老いたこの有名作曲家を選択したのだから。
まだ若い新聞記者の自分は、老いた有名作曲家にはかなわないのである。

「チャン・フォン[有名作曲家]の言葉は
グエン[新聞記者]の耳のなかでガンガンと鳴り響いた。
まだ聞いてはいたが、せわしなくテーブルをたたく作曲家の指を、
ぼんやりと見つめていた。
長く、ほっそりとした、優雅な手。
タバコのやにのあともなければ、肉体労働によるたこや小さな傷跡もない。
ふと思い至った。この手がリンを愛撫(あいぶ)したのだ。
グエンの目に、妻の姿が見えた。
なめらかで柔らかい肌、ひきしまった乳房、すらりとした首。
苦痛という刃(やいば)に貫かれ、肉をえぐられた気がした」(P281)


ベトナムにも日本にもあるらしいけれど、結婚って不思議な制度だよなあ。
ほかにもいい男女はたくさんいるんだから、
いまよりも上が人生舞台に登場したら車のように乗り換えるのが常識じゃないか?
中古車よりは新車のほうがいいし、大衆車よりも高級車のほうがいいでしょ?
日本の場合、国産と外車のどちらの価値が高いのかは知識がないのでわからない。
とはいえ事故車なんて乗っているのは、よほどの物好きとしか思えない。
おそらく変なしがらみがあるから結婚しても車のように男女を乗り換えられないのだろう。
なぜなら愛とは独占欲であり被独占欲だから(世界でひとりだけのあなた!)、
配偶者を裏切ったらかつての自分を裏切ることになってしまう。
それでも人は人を愛するらしい。日本でもベトナムでも。きっとこう叫びながら。
123ページより。

「きみはわたしのもの、わたしだけのものだ」