いまさらしつこいのは十分に承知していますが、シナリオ・センターは商売がうまい。
たとえば、なぜシナセンの先生が偉いかといえば、
生徒の実績があるからと向こうは主張するかもしれない。コンクールの入賞実績。
しかし、嘘つけって話なのね。だって、そうでしょう。
1500人が応募したコンクールで1、2人大賞や佳作を取ったとする。
だから、シナリオ・センターの教育はすばらしい? とんでもない!
なぜなら応募した1500人のうちにシナセンのお客はどのくらいいるか。
あの学校はとにかく安さで大量集客しているわけね。
2ヶ月通った生徒も、1回も課題を出さなかった通信生も出身者としてカウントしている。
へたをすると応募者中、シナセンのお客は半数から2/3いるのではないか?
だとしたら750~1000人が名門のシナリオ・センターに通ったにもかかわらず、
落ちたということになるわけでしょう。そうなりませんか? なら、どこがすごいのよ。

ここの学校で教わったのは、シナリオは紙くずだということ。
所長さんが講義で繰り返し仰せになっていたのを思い出す。
「どうせあんたたちの書いたシナリオなんか、若手ディレクターが撮るのよ」
「あんたたち新人の書いた3行以上のセリフを
俳優さんがそのまましゃべってくれると思う?」
わたしはこの教えを聞きながら、
壇上の所長さんは何十本もドラマを書いた元脚本家なのだとすっかり騙されていた。
ゼミの講師も(あの人だけかもしれないが)生徒のシナリオを紙くずのように扱うのね。
読むのがいやなのはわかるけど仕事でやってるんだから、もう少しどうよ?

同様、シナリオは紙くずだから、執筆経験のない代表さんでも教えることができる。
1回くらい応募してみればいいのになぜか書かない。
そのくせ人間教育の一環として大学や小学校でシナリオを教えているのだから。
このまえ電話で代表さんと話したときに聞いたのね。
「どうして自分はシナリオを書かないのですか?」
「書きたいことがないから」
「じゃあ、どうして人には書け書けとすすめるのですか?」
「人それぞれだからいいでしょう。私の勝手でしょう」
「矛盾していませんか?」
「あなた、そういうことを言うのなら(電話を)切るわよ!」
すごい剣幕で叱られてしまった。偉い人を怒らせると怖い。
まあ、「金を儲けたいから」「先生と尊敬されたいから」とは言えないよね。

「あなたが落ちるのはうちのせいじゃないから、
これからもがんばってぜひコンクールを取ってください。授賞式で逢いましょう」
電話の最後で、人格者の代表さんから励ましていただいたので感謝している。
世の中には元から(生まれながらに)授賞式に参加できる人と、
血の汗、血の涙を流しながらがんばらないと表彰台にのぼれない人がいるのである。
「がんばってコンクールを取って代表さんと再会するのを人生の目標にします」
健気にもこう答えたわたしを、もしかしたらシナリオ・センターの代表さんは
「あいつも少しは大人になったか」と認めてくださったのかもしれない。
シナリオ・センターに行こうか迷っているという相談をたまに受けます。
わたしは行ってよかったと思いますが、あなたがどうかはわかりません。
なにかのお役に立てればと、メリットとデメリットを書いてみることにします。
・友人ができた。
・シナリオ創作という趣味ができた。
これがシナセンに通ってよかったと思うところです。
しかし、あなたに友人ができるかどうかはわかりません。
クラスにはずっとひとりの人も大勢いました、
シナリオが趣味になるかも人によってまちまちです。
趣味を持ちたいならほかにもたくさんありますから、もし向いていなければ
とくにシナリオにこだわる必要はないのではないでしょうか。

プロになりたいからという理由でシナセンに通うのはどうかと思われます。
なぜならプロデビューしたいのなら、まったく効率的な道ではないからです。
数字を使って説明しましょう。
シナリオ・センターの生徒は通信、大阪を含めると3千~3千5百人います。
(ソースは代表の著作およびHPの記載)
HPに生徒の華々しいコンクール受賞実績が載っていますでしょう。
あれは在学者のみならず退学者も出身者としてカウントしています。
料金が安いため、毎年多数の人間がシナセンの門をくぐり辞めていきます。
ですから、5年以内にシナセンに関わった人はどのくらいになるのか?
へたをすると1万人くらいになるのかもしれませんが、
ここは6千人くらいで甘めに計算しておきましょう。
脚本コンクールといってもプロになれるメジャーな賞はかぎられています。
そういう賞にシナセンの出身者(10年前の退学者でさえ出身者!)は何人いるか?
これもHPを見たらわかることですが、だいたい10人くらいです。
シナセン主催のコンクールで賞を取っても業界的に意味はありませんので。

1.シナセンに入っても6千人のうち10人しかデビューできない。
2.シナセンに入らなくてもデビューできる人がいる。



こうやって数字を考えますと、あまり名門校ではありませんね。
少なくとも、プロのライターになりたいのでしたら、
シナリオ・センターに入学するのは確率的にあまり推奨される行為ではありません。
あなたがシナセンへ入ってもプロになれる確率は、0.166666%でしかない。
結構、驚きの数字ではないしょうか?
1%もプロにはなれないのですね。0.1%強であります。
千人にひとりなれるかどうかの話。つまり、ほどんどだれもなれないのです。
他校ではクラス20人のうち1年で数人がデビューするという話を聞きますが、
もとより公開されているデータではなく噂話の域を出ません。
(いちおう書いておくと20人で4人デビューしたら確率は20%になります)
ちなみにシナセン講師で現役の脚本家は数人ですから、コネを求めても無理です。
以上のように確率的に見たら、シナセンはプロになるための近道ではありません。

1.シナセンに入っても99.8%の人はプロになれない。
2.シナセンに入らなくてもプロになる人はいる。



この数字は嘘でもなんでもありません。
シナセンに問い合わせてもらっても結構です。
プロになるということを考えたら費用対効果は最悪です。
ほどんどドブに金を捨てるようなものと言えましょう。

シナセンは500人のプロライターを輩出したことになっています。
40年以上も営業を継続していたら、むしろ少ないくらいではないでしょうか。
HPに出身ライター一覧があります。
執念深く数えてみたら、どうしてか280人しか掲載されていません。
いったいどういうことでしょう。 
あの一覧に圧倒されてはいけません。というのも、よく名前を見てください。
ほとんど知らない人ではありませんか。「だれそれ?」の世界なのです。
そのうえ、出身ライターとして宣伝に使われている脚本家の本心はどうか。
たとえば、有名脚本家の吉田紀子さんはこう言っています。

「それで、入社2年目からシナリオセンターに通い始めました。
だけど、私には全然役に立たなかった。
シナリオの基礎は、本を読めばわかると思うんです。
大学のときに、ある程度は独学で知っている部分がありましたから、
一から知ろうとする人にはいいかもしれないけれど、
大学も演劇科だったので、目新しいことはなかったんです。
それに課題を提出して、返ってくる先生のコメントなども、
あまりピンと来なかったんです」(同文書院「シナリオライターになろう!」P61)


その後、吉田紀子さんは倉本聰氏の富良野塾へ入りシナリオを学びます。
「書く姿勢」を吉田紀子さんは倉本聰氏から教わったといいます。
たしかなのはぜんぜんシナセンへ感謝などしていないことです。
いったい出身ライターの何人がシナセンへ感謝しているのでしょう?
勝手に名前を宣伝に使われて迷惑している人もいるかもしれませんね。
15年前8週間講座を受講しただけでも、彼がデビューしたらシナセンの実績です。
うまいことを考えたものだと感心します。

各種脚本コンクールの下読みをシナセンがしているという噂がありますが、
この学校の社長さんに電話で問い合わせてみたところ、それはデマでした。
シナリオ・センターが下読みをしているのは、
科学ドラマ大賞と河口湖映画祭だけとのことです(2011年)。
このためシナセンの生徒が下読みで優遇されるようなことはありません。

最後にまとめてみましょう。
シナリオ・センターに通うことでのメリットは、プロデビューではありません。
・友人ができるかもしれない。
・シナリオ創作が趣味になるかもしれない。
・ライターになるという夢を持つことができる。
以上の3点がシナセンに入学することで得られるメリットです。
先輩として受講上の注意を書いておきます。
講師の大半は新井一のシナリオ教則本を丸覚えしただけの素人ですから、
多くを求めてはいけません。実績はないのです。
業界の裏側など、業界にそもそも入れなかった人たちですから知りません。
なるべく教えに逆らわないようにしましょう。
講師の指導はハイハイと聞いておけば丸くおさまります。
べつに講師の教えが正しいわけではありませんので、
酷評されても気にしないのがいちばんです。
では、このへんで「シナセンへ行くべきか?」を終えます。
あくまでも、わたしは行ってよかったです。
みなさまにこの記事が少しでも役立てば、書き手はとても嬉しいです。
これほど矛盾した世界はめったにないと思うのね。
コンクールで大賞を取るのは、まあ、個性あふれる人間でしょう(ということにしておく)。
しかし、実際に現場で必要なのは、いくらでも書き直しに応じることができる人材。
タレント事務所、スポンサー、
複数いるプロデューサーのご意向を満足させなければならない。
だから、むしろ個性なんてあったら困る。自分がない人間のほうが望ましい。
いまの時代に新人として山田太一、倉本聰、早坂暁なんていたら、
ぜったいに現場で使ってもらえないから。才能は凡愚につぶされると思う。
ひとりの才人がいても、周囲(プロデューサー等)が無能だったら終わり。
だって、多数決をしたら、脚本家はたったひとりなのだから負けてしまう。

いまはチェーン店の時代なのね。マニュアルの時代。
日本全国どこに行ってもおなじ店があり、おなじ対応をされる。
どのテレビドラマも、おなじような展開になってしまう。職人なんかいらない。
人間を描くドラマだけは、マニュアルではないとみなさんは思いませんか?
ところが、業界最大手のシナリオ・センターは、ドラマなんかだれでも書けると主張する。
だれでも努力をすればドラマを書ける。
この方針でシナリオ・センターは40年ものあいだ君臨しつづけたわけだ。
努力――。

努力すれば、だれでもいいシナリオが書ける。
コンクールに落選してしまうのはどうしてなんでしょう? ――努力が足らないから。
もっとがんばりましょうね。うちの合宿に参加しよう。特別講座を受講しよう。
カネを払えなんて、ぜったいに言わない。もっと努力しましょう。
努力すれば、だれでもすばらしいドラマを書ける。
このように教えている講師が、まったく実績がないのはご愛嬌。
どうして先生はシナリオを書かないの? なんて聞いたらやめさせられてしまう。
努力、努力、努力! がんばってシナリオを書け! ゼミで仲間や講師の意見を聞け!
千人にひとりでもデビューすれば、うちのおかげと宣伝する。たとえ数ヶ月在籍しただけでも。
どのみち、このライターも数年で消えていくのだが、そこは隠しておく。

プロデューサーや映画監督が、ときたまシナリオ・センターで講演する。
おカネをもらえ、かつ主役になれるのだから、当人は大満足であろう。
かれらはこういうライターを求めている、と教えをたれるかもしれない。
しかし、本当に才能あるライターだったら、
教えなんか逆らって独自の世界を他者に突きつけるはずである。
ところがスクールは、個性をつぶそうとする。
(実績のない)講師の意見を聞けという。うちの講師は正しい。
謙虚になれ! それからほかの受講生の意見を聞けという。聞く耳を持て!
視聴者は正しい。うちの講師は正しい。
経営者は正しい。為政者は正しい。スポンサーは正しい。
だから、考えてはならない! 繰り返そう。

だから、考えてはならない!
むかしの2ちゃんねるは本当のことが書かれているからおもしろい。
2ちゃんなんてみなみな眉唾で嘘だろうと思われているから、
かえって本当のことが書かれているのね。
たとえば金の話は、あまりにも本当のこと過ぎるから、一般社会では隠されるよね。
たとえば夢の話は、あまりにもバラ色過ぎるから(脳内で)、本当のことが隠される。
本当のことを書いてしまうと、脚本家なんて目指すものではない。
なりたいとバラ色世界を夢見ながら長い人生の3、4年、退屈しのぎをするもの。
夢というものはまったく本当に見ているうちが華なのだと思う。
男で専業脚本家を志すのはキチガイ沙汰ではないか?
脚本家は若くて容貌平均以上の(すなわち買い手のある)女性、もしくは主婦が夢見るもの。
(わたしはおのれのキチガイぶりをどこまで見て見ぬふりをしていられるか……)

36 名前: 名無シネマさん 投稿日: 01/10/08 06:29 ID:BzxqGeik

脚本というのは、いろいろな人間が口を出してくるものなんです。
 特に日本の場合は、原作本があって、そこから予算とキャストが決められて、そこで始めて脚本の作業が始まるわけです。
 ハリウッドのように脚本があって製作がスタートするわけではありません。
 脚本を書いている間に、ああだこうだと周りが言いだします。スポンサーになっている会社の社長、役者さんのマネージャー、P。
 利害関係のあるすべての人間が、脚本作業の前のプロットの段階から、口を出してきます。みんながバラバラなことを言ってきます。そんなことをいちいち聞いていたら、脚本がどういうことになるのか小学生にでもわかりますよね。
 でも、それを聞いて脚本に取り入れなければ、即クビです。
 脚本家の仕事は、創作ではなく、ほとんど利害関係の調整です。
 制作費が潤沢な映画の方が、利害を持つ人が多いわけだから、いわゆる大作のほうが、ヒドイ脚本になる確率は高いです。
 こういう事情を十分知っているくせに書こうともしない「月刊シナリオ」。要らない雑誌です。



56 名前: 名無シネマさん 投稿日: 01/10/10 04:45 ID:jQxvOKYQ

俺は1000万製作のVシネマを30万で書いた。
仕事の前にプロデューサーが「あなたシナリオ作家協会入ってます?」
って聞いてきやがった。つまり協会員だったらみんな一応5%を
主張してくるからPはもしそうだったら入ってない人に仕事をまわす
つもりだったらしい。俺は入ってなかったから3%でOKした。



(引用元)「月刊シナリオに掲載されるシナリオって?」
http://choco.2ch.net/movie/kako/1002/10022/1002217676.html

むかし通っていたスクールに、こういう受講生がいたな。
自分は映画が好きだから映画のシナリオを書きたい。
だから、テレビのコンクールには出さない。
本当のことを知ったら、たまげるだろうから、むしろ知らないほうがいいのだろう。
けれども、知らせたいから、こういうことを書いてしまう。
創作スクールは、本当のことをなんとかして隠さないと経営破綻しちゃうね(笑)。

本当のことは、怖い。
しかし、本当のことに救われることがなくもないからおもしろいのである。
本当のことを言えば、どんな栄誉を誇った人も死ねば終わり。
なにも次の世界に持っていけない。
人間だれしも死んで数年もすれば、肉親以外だれも思い返すようなことはしない。

バランスが悪いからバラ色の世界も描いておこう。
これは噂レベルだけど、山田太一先生クラスだと2時間ドラマ1本400万円とか聞くよね。
書き直し一切なしで400万!
でも、先生だったら、講演会1回で100万円くらい取れると思う。
(でもでも、山田先生はその100万を蹴って、
無報酬の講演会に出て行くこともあるのだから……)

結論めいたことを申せば、ご同輩! あまりバラ色の世界を夢見るのはやめませんか?
いや、だれかに言いたいのではなく、なによりも自分に言い聞かせたいのだと思う。
もうすぐ誕生日。おまえはいつまでバラ色の世界を夢見ているのか(ため息)。
しかし、人生はいろいろな味わいがあって、人生を棒に振るのもまた妙味なんだよね(苦笑)。
一度きりしかない人生を棒に振るのもまた渋味があってよろしい……と思えなくも……ない。
というのも、バットを思い切り振るのは、爽快感があるでしょう。
変わり者のバッターは、ポテンヒットよりも、空振り三振を好むかもしれない。
ピッチャー(神仏、運命)が全力で投げ込んできた球を空振りするのもまた愉しい。
あの「負けた!」というすがすがしい敗北感よ!
いまのところわたしの人生打率は0割。ヒットなし。さあ、どこまで空振りは続くのか?
四球を選ぶくらいなら、あえてボールに空振りしたいと思っている。
スリーアウト! ゲームセット! ……の日まで。

最後にもう一度、繰り返しておこう。
もしあなたが男で、人生を棒に振りたくないなら、脚本家を目指すのはやめましょう。
スクール関係者が声高らかに合唱する夢のバラ色世界に惑わされてはいけません。
「あきらめなければかならず夢はかなう」――は嘘です。
創作スクールは夢を買うところだと理解したうえでお金を払いましょう。

(参考)「映画監督って食えるの?」
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/movie/1173280537/l50

最近「死んじゃえば終わり」という独り言をしきりにつぶやく自分がいます……。
いまテレビドラマがつまらないでしょう。
よく観てもいないのにドラマをバカにするものがいるけれど、わたしはそうではない。
視聴した結果の発言である。春ドラマの初回は、ほとんどすべて観ているから。
いまのところ2回目まで持ちこたえたのは「チェイス~国税査察官」のみ。

ドラマがつまらなくなった理由はいろいろあるかと思う。
「お客さま第一主義」=「視聴率絶対主義」がおそらく最大の理由ではないか。
話は少しそれるが、いまの日本の閉塞感(デフレ、サビ残)の原因とも通じている。
安ければ安いほどいい。売れれば売れるほどいい。
作り手や売り手など二の次、三の次。
なぜならお客さまは神さまで、その神さまが望むことは絶対正義なのだから。

ところが、これでは生産者や販売者は矜持(プライド)を持つことができない。
安い人件費で馬車馬のように酷使されて誇りなどあろうわけがない。
とはいえ、NO!を言うわけにはいかない。
代わりはいくらでもいると切られてしまうからである。
生産・流通・販売の現場で行なわれていることとまったくおなじことが
ドラマ制作の裏側で繰り広げられているのだろう。
コストを下げろ! いいものではなく売れるものを作れ! 
タレントもライターも使い捨て!

あたかも貧困ビジネスのごとく、悲惨な現状から利益を上げている会社がある。
ドラマ衰退の理由のひとつ、創作スクールの存在である。
もう固有名詞を出してしまおう。業界最大手のシナリオ・センターがよくない。
ここは「だれでもシナリオは書ける」と懸命に集客している。
(しかし、所長、社長、講師の大半はシナリオを書かないのが、なんとも……)
シナリオ・ライターがいかにすばらしい仕事であるか宣伝している。
「なんとかして業界にもぐりこめ」と受講生の尻をたたいている。
なにゆえか。宣伝に名前を用いるためである。

断じてシナリオはだれにでも書けるものではないと思う。
だれにでも書けるようなシナリオはろくなもんじゃない。
シナリオ・センターの(シナリオを書けない)先生がた!
あなたたちが金儲けのためにやっていることがドラマ全体をつまらなくしている。
小学生でもわかる説明をしよう。
林檎(りんご)がたくさん出荷されました。果たして値段はどうなるでしょう?
答え。べらぼうに安くなる。

まともな脚本家ならアホらしくてやっていけないと思う。
次から次へ「ノーギャラでも書きます」「なんでも書きます」
という新人ライターが表参道界隈から現われるのだから。
これでは既存ライターも値段を下げなければならない。
自分を曲げて、書きたくないこともお金のために書かなければならない。
本来、脚本家は大量の遊び(=勉強&取材)をしないと名作なんか書けやしない。
ところが、いまの状況だと食っていくだけでも大変。

あわれな新人ライターの末路はどうなるか。
お小遣いにもならない低額のギャラで生活などとてもできない。
バイトをしながらのライター生活となるだろう。
まったく勉強をする時間がない。テレビドラマを観る時間さえない。
すぐになんのために書くのかわからなくなるだろう。
むしろ、シナリオ・センターとしては、そうなってもらわなければ困る。
かれが消えたあとに新しいライターを送り込むためである(=デビュー実績!)。

結論めいたことを言えば、シナリオ・センターが脚本家の地位を不当におとしめ、
ライターを「使い捨てライター」にしてしまった。
頭のいいものはライターを廃業して「先生」になることだろう。
わたしの教わったUさんなどライターにもなっていないのに「先生」をやっていた(笑)。

ブログ「本の山」は「シナリオセンター」の検索で来るものがやたらと多い。
カテゴリー「シナリオ・センター日記」ほど読まれている記事はないと思う。
ここの受講生からメールをいただくこともある。
受講するかを迷っているかたもいるかもしれない。
いまのテレビドラマはつまらないからアタシでも書ける、
なーんて思っていませんか、そこのアラフォーおばさん♪

ひとつのエピソードを紹介して終わろう(「ドラマ」バックナンバーで読んだ)。
シナリオ・センターの広告塔、脚本家の内館牧子がむかし講師に相談したという。
会社を辞めようか迷っていると――。
シナリオ・センター陣営は、絶対に辞めてはならない!
そう内館牧子に思いとどまらせようとしたそうである。
アタシも内館牧子になれる?
いま内館牧子先生はテレビドラマをお書きになっていますか(オファーがあるか)?
そういうことである。

実のところ、林檎は供給過多で「使い捨てライター」になるのだって楽じゃない!
ヒントは「ふぞろいの林檎たち」にあるのかもしれない。
スーパーに並ぶことさえない「ふぞろいの林檎たち」の酸いよ、甘さよ!
見てくれのいいだけの林檎なんざ、安く売り飛ばされておしまい。
創作ビジネス(=夢を追おう!)は、大量のライターを安く業界に売り飛ばそうとする。
そのほうが自分たちの宣伝になるからである(金、金、金!)。
ドラマをつまらなくしている、この構造に気がついてほしかった。
以上で「使い捨てライター」にもなっていない無能者のざれ言を終える。

(追記)ふと気づいたが、シナリオ・センターは優秀な企業かもしれない。
少なくとも、この会社は「お客さま第一主義」ではない。
冬休み、GW、夏休み……とにかく休みが多い。
生徒が料金を支払ってもニコリともしない事務局員は有名である。
講師と受講生がトラブルになったとき、社長は迷わず従業員の肩を持った。
シナリオ・センターは、客を面前で罵倒できる日本で唯一の企業なのだろう。パチパチ♪
次クールの連続ドラマのライターを確認した人はいますか?
正確に数えたわけではないが半分近くが複数のライターに書かせている。
どういうことか。ひとりのライターが連続ドラマを書く時代は終わったのかもしれない。

いまの連続ドラマを見て、つまらないと怒る人がいるでしょう。
そのあげく脚本家がいけない。むかしは山田太一や倉本聰がいた。
こんなことをおっしゃるかもしれない。
それはおそらく違うのである。ライターのせいにしてはいけない。

いまの連続ドラマ制作は、こうなっているらしい(「月刊ドラマ」より)。
たとえば3人のライターがいる。
プロデューサー(以下P)は第1話のプロット(あらすじ)を3人に書かせる。
そのうちいちばんいいとPの思うプロットが採用される。

そのプロットを提出したライターがシナリオを書けるのかというとそうではない。
おなじプロットでまた3人のライターがシナリオを書く。
3つのシナリオをPが読んで最適だと判断したものをさらに書き直させる。
第2話では別のライター3人を使うかもしれない。
第3話は、第1話を担当した3人がまたおなじことを繰り返す。
全話をおなじ3人のライターが任されるということもあるかもしれない。

この制作方法だと連続ドラマがつまらないのは脚本家のせいではないでしょう。
だれのせいかはわからない(ふりをしておく)。
しかし、この労働環境で仕事をするライターは、ものすごい屈辱的ではないか?
よくもまあこんな環境でものを書けるものだと逆に尊敬してしまう。
自尊心を捨てなければやれない仕事だと思う。

むかし通っていたスクールには、
好きなものを書きたいからテレビを目指すという受講生がいた。
逆に映画だったら好きなことを書けると夢想しているものもいた。
(ところが映画は監督から無断で書き換えられてしまう!)
おそらく、好きなものを書けるのは、いまやコンクールのみなのだろう。
もしくは自主映画を作るしかない。

むかしスクールの講師から「どうせ好きなものなんか書けないよ」と鼻で笑われたことがある。
コンクール受賞歴も映像作品も業界経験もないくせに、やたら偉ぶった五十男であった。
男は「みなさんはもうすぐプロなんだから」と詐欺師めいたことをよく口にした。
いまではもうテレビドラマも映画もまったく見ていないようだった。
今日もあの男は教室で椅子にふんぞり返って、なにかをバカにしていることだろう。
断じてバカにしてはいけないものを――。
主役を考えてみることで、いわゆる業界の整理ができるのではないか。
頭のなかがすっきりするのではないか。たとえば、こんなふうにである。
演劇の主役は俳優である。
映画の主役は監督である。
テレビドラマの主役はプロデューサーである。
お気づきだろうが、どの分野でも物書きは主役ではない。
脇役、もっと言ってしまえば裏方なのかもしれない。
このことをよくよく理解することが物書きには必要なのだと最近思い当たった次第である。

いちばんいいのは主役がホン(台本)を書いてしまうことだ。
演劇は役者が芝居を書いて演じればよろしい。
映画は監督が脚本を書いて撮ればよろしい。
ドラマはプロデューサーが大ヒット確実のシナリオを書けばよろしい。
実際、こういうケースも少なくない。
ところが、大人の事情でこの理想形の崩れることがあるのだ。
このとき物書きが呼ばれるのだが、書き手は断じて主役ではない。
カギがないとドアが開かないから仕方なく呼ばれた職人のようなものである。
ドアのまえに立つものはみなみな本当なら自分で開けてしまいたいと思っている。
ドアひとつ開けるのなどなんでもないことだと本心では職人をバカにさえしている。

職人は仕事をすればいい。ドアを開ければいい。
物書きはホンを書けばいい。しかし、物書きは主役ではない。
芝居だったら俳優陣からいろいろ注文をつけられるだろう。
映画なら監督に現場で大きく改変されても文句は言えない。
ドラマの書き手はプロデューサーから何度も
「これじゃ数字(視聴率)を取れないだろう」と罵倒される。
なんのために物書きはこうも不遇なのか。主役ではないからである。
物書きが主役になれるのは小説である。

おそらく、多くの人間にとって主役を演じるのがいちばん楽しい。
俳優が舞台に上がったときの昂揚はたとえようもないことだろう。
映画監督の喜びはどうだ!
「これじゃオレの世界は出ない」と脚本家に何度も何度も書き直させるエゴの充足感よ!
脚本家が寝ずに書き上げたシナリオを現場で大幅に改変する快感はいかほどか。
プロデューサーの喜悦も想像に難くない。
タレントというコマ、演出家というコマ、ライターというコマ。
3つの手ゴマを自由に動かしみずからが売れると信じるドラマを製作する全能感は、
神になったにも等しいほどの快楽をプロデューサーに与えるはずである。
プロデューサーのみ正社員ゆえ、たとえ失敗しても失業の恐れがないのもいい。

わかりやすく整理してみると以下のようになるのではないか。

・演劇→(主役)俳優(脇役)演出家、劇作家(裏方)プロデューサー
・映画→(主役)監督(脇役)俳優、プロデューサー(裏方)脚本家
・ドラマ→(主役)プロデューサー(脇役)タレント(裏方)演出家、ライター
・小説→(主役)作家(脇役)読者(裏方)編集者

配役を決めるものがある。わかりますか? おカネである。
物書きはおカネをもらいホンを書けない映画監督や俳優の代わりに書いてやる。
主役にとってホンは購入した商品に過ぎないから自由に書き換えられる。
物書きは悔しかったら小説を書けばいいのである。
俳優は本来、芝居をやるのがいちばん楽しいのだが、おカネのためにドラマに出演する。
仕事が来ない映画監督はおカネのためにテレビでやっつけの演出をする。
プロデューサーはおカネのために小説を読み、作品を映像化できないか考える。

脚本家など志望するものではないということだ。
(売れる)小説を書けないものが仕方なく就く専門職がシナリオ・ライターなのだと思う。
挫折したものがやむなく目指すものであって最初から夢見るものではない。
しかし、そこがいいところかもしれなく(本命の小説ではなく)どうせシナリオなのだから、
と断念してライターは映画監督やプロデューサーの無茶苦茶な要求にも耐えられる。
どんな横暴にも(いつか書くと思いつつ書けないだろう)小説を夢見て我慢ができよう。
もしかしたら奇跡が起こっていつかいつか山田太一ドラマのような、
脚本家が主役のドラマを書ける日が来るかもしれないじゃないか!

業界に片足を踏み入れたことで学んだことが多々あった。
なかなかスクールでは教えられないことである。
現状を知ったら夢を見てスクールにカネを注ぎこむ阿呆者がいなくなってしまうからだ。
それでも、そうと知りながら、わたしはもう片方の足を泥沼に入れたいと思う。
なかにはこの記事に書いたようなことを丁寧に教えてくださる人もいる。
きっと悪いことばかりではないのだろう。
なにより、わたしはもう元には戻れない身なのだから。
もう安定した人生には戻る道がない。
かえって踏ん切りがついていいのかもしれない。
もし堅実な人生を歩んでいたら、最初の一歩を踏みだすには相当の勇気が必要だ。
「この道しかない春の雪ふる」(山頭火)――。
どうしてシナリオ作家を目指す人がこうも多いのだろうか。
疑問形で書いたが、答えはわかっている。
だれでも簡単に書ける(書けそうだ)からである。
書くといっても、なにを書くか。
書きたいものを書けばいいという回答が圧倒的に多いと思われる。
ところが、これが問題なのだが、作家予備軍の大半にとりたてて書きたいことはない。
ただ無味乾燥な日常生活に飽き、
シナリオ作家というユートピアを夢見ているだけではないか。
人間、書きたいことなどないのが普通なのだと思う。
にもかかわらず、志望者はみな書きたいことが書きたくてなどと口では言う。

万が一、書きたいことが運よく見つかったとする。
ところが、そんなものはなんの意味もない。
なぜなら映像業界の底辺にいる脚本家は、企画者にはなりえないからである。
企画をするのは上層部のお偉いさんである。
シナリオ・ライターは、常に受身でいなければならない。
「この企画で書いてくれない?」と依頼されたときからが脚本家の仕事である。
どういうことか。皮肉にも、書きたいことのあるライターは求められていないのである。
書きたいことのある脚本家は、他者の提案した企画にうまく対応できないだろう。
「それは自分の書きたいことではない」となってしまう。

残酷な現実だが、映像業界は、書きたいことのあるライターを求めていないといってもよい。
わが母校のシナリオ・センターは現実的かつ実際的で、
受講生に「自分はなんでも書けます」と言いなさいと教えている。
「なんでも書ける」ような人間は、畢竟(ひっきょう)、書きたいことなどないのである。
こう考えると、書きたいことなどない無個性な人間ほど
シナリオ作家に向いているのかもしれない。
とはいえ、書きたくもないことをテクニックで書く仕事に楽しみがあろうはずがない。
低賃金であることも加わり、ほかに定職のある新人作家はすぐに業界を見切るだろう。
悲惨なのは定職のないものである。

ごくたまに奇跡の生じることが業界ではあるから希望の灯は消えてはいない。
プロデューサー(や映画監督)の(企画)意図と、
脚本家の書きたいことが一致したときである。
完全一致は難しいのだろうが、たまさかこういうミラクルが起こるようである。
もしくはプロデューサー(や映画監督)が、
ひとりの脚本家(および、その作品世界)に心底から惚れこんだとき――。
この場合にのみ、脚本家は書きたいことを書きたいように書くことができる。
そうは言っても、こんな幸運を経験できるのは、ほんのひと握りだろう。
言うまでもないが、はなから書きたいもののない人間がこの果実を味わうことは永遠にない。

要約してみよう。シナリオを書くのはいいがプロを目指すのはどうだろうか。
いちばんの果報者は、コンクールで高額の賞金をゲットして消えていく会社員である。
コンクールというのは、書きたいものが書けるでしょう。だから、楽しい。幸せである。
そのうえ賞金までもらえるのだから、こんな嬉しいことは人生にないのではないか。
そうして書きたくないことは書かずに安定した職に戻る。これが最上であろう。
ところが、脚本家予備軍には、定職についてない(つけない)ゴロツキがたくさんいる。
こういう連中が涙ながらに目指さざるをえないのが、いわゆるプロ作家なのだと思う。

(追記)最高の幸福は、自分(たち)でプロデューサー、監督、脚本をすべてやってしまうこと。
いわゆる自主映画はこれである。
この形式でヒットを生みだしたわが恩師・原一男先生はすごいと最近改めて実感している。
*作品中の「カチカチ山」は、河口湖近くにある観光スポットで、
富士山がきれいに見えることで知られています。

<人物>
荒川孝行(42)会社員
荒川心太郎(12)その息子
荒川豊(66)その父親
荒川節子(55)豊の妻
ジャネット(24)イギリス人女性
部下(26)男性
母親(33)
マスター(52)
外国人AB

○公団アパート・玄関
スーツ姿の荒川孝行(42)と部下(26)が母親(33)に土下座しようと身をかがめる。
母親「土下座なんてやめてください」
孝行「非はこちら側にあります。どうにかお許しいただくほかなく」
母親「もう少しで溺れ死ぬところだったんですよ。どう責任を取ってくれるんですか」
玄関脇に玩具「おふろで世界一周」。
母親「あんた、子どもいるの?」
孝行「おります」
母親「だったら、わかるでしょう。自分の子どもが死にそうになったらどう思うか」
孝行「はい、まったく」
母親「おたくの会社の玩具が原因」
孝行「はい」
母親「どう責任を取ってくれるのか」
部下「お言葉ですが、使用上の注意を守ってくだされば決してこんなことには」
孝行「やめないか。こちらのお子さんは悪くない。悪いのは私たちだ」
母親「――(どうだか)」
孝行「むしろ、お子さんの将来が楽しみです。
工夫して遊ぶことを知っている。自分で新しい遊びを創造することができる」
母親「おだてたって」
孝行「違います。本気でそう思っています。
将来有望なお子さんに、わが社の玩具で遊んでいただけて光栄なくらいです」
母親「そんなこと」
孝行「このたびは申し訳ありませんでした」
孝行は深々と一礼。続いて部下も。

○立ち飲み屋(夜)
孝行と部下が並んで生ビールを飲む。
部下「電話の感じだともっと揉めるかと思いましたけれど」
孝行「あのお母さんも悪気はないんだ」
部下「さすが課長だなって。僕も結婚すると変わるのかな。守るべき家族がいる」
孝行「家族、か――」
部下「息子さん、いくつでしたっけ」
孝行「小学六年生」

○進学塾・教室(夜)
教壇に講師。生徒はみな小テストを解く。
そのうちの一人が荒川心太郎(12)。
孝行の声「かわいいのは小さいころだな。
正直、いまは何を考えているのかさっぱり」

○立ち飲み屋(夜)
部下「男同士、話したりしないんですか?」
孝行「ないね。それより、いま――」
部下「どうかしましたか」
孝行「いや、いいんだ。どうかな、もう一軒」
部下「その、明日は彼女と、早くから」
孝行「そうか。ならいいや」
部下「課長も明日は休めるんでしょう」
孝行「ああ」
部下「たまには家族サービスなんて」

○走る電車(ホリデー快速河口湖1号)

○同・中
行楽に向かう乗客で騒がしい。孝行が着席。別の車両に心太郎が座る。
父子はお互いの存在に気づいていない。

○河口湖・俯瞰(ふかん)
空は曇っている。富士山は見えない。

○土産物屋・中
ヒッピー風の欧米系外国人旅行者、男性二人組が店内を物色。
富士山のキーホルダーに目をつける。
二人はレジのそばに座る荒川豊(66)に話しかける。
外国人A「タカイ。ディスカウント」
豊「(腕を組みながら)ノー」
外国人B「(キーホルダーを二つ取り)ツー、ディスカウント(二つ買うから安くしろ)」
豊「(首を振り)ノー」
外国人A「ホワイ?」
豊「ノー(と立ち上がる)」
A、Bは「ノーノー」と豊の口真似。二人は豊をからかいながら店を出る。
豊「バカヤロウ」
拍手する音。ジャネット(24)である。バックパッカー風ながら小奇麗な格好。
ジャネット「サムライ!」
豊「サ、サンキュー」
ジャネット「レイク・カワグチコ?」

○同・表
豊は身振り手振りで教えてやる。
ジャネット「アリガトウ(と去る)」
だらしなく手を振る豊を見ているものがいる。荒川節子(55)である。
節子「デレデレしちゃって」
豊「(慌てて)人に親切にするのは(当たり前)」
節子「ノー、ノー」
豊「あれは(見ていたのか)」
節子「お客さんあっての商売なんですからね。
これからもあんなことがあると困ります」
豊「こっちだってがんばってるじゃないか。英語だって勉強しているし。
おまえね、そんなガミガミ言うならね」
節子「出て行きますか? 出て行くのはそちら。
何回でも言わせていただきますが、十年前転がり込んできたのはあなたのほう」
豊「人の弱みにつけこんで」
節子「息子さんのところへ行きますか。昨日、電話があったのはそのこと?」
豊「いや」
節子「どうしますか?」
豊「悪かった。反省している(と頭を下げる)」
節子「あら、孝行さん」
孝行が立っている。
孝行「(気まずく)フフ、こんちは」
豊「(気まずく)おまえね、来る前に電話一つできないのか。
近々、話があるって、それだけで。今日来るなんてひと言も」
孝行「急に身体が空いたんだ」
豊「こっちにだって予定というものがね」
節子「わざわざ実の息子さんが訪ねてきてくれたというのにこの態度はひどいわね」
孝行「いえ。急で申し訳ありません。
節子さんにもご迷惑をおかけして(と一礼する)」
節子「何よ、水臭いじゃないの」
心太郎が節子の後ろに立っている。
孝行「どうして(心太郎が)?」
節子「(心太郎に気づかず)はあ?」
心太郎「お父さんこそ、どうしてここに?」
孝行「大人には色いろと事情があるんだ」
心太郎「僕はおじいちゃんの顔が急に見たくなって」
豊「そうか(嬉しい)」
孝行「何それ。俺には事前に電話をしないかって怒っていたのに」
豊「おまえは大人気ないことを言うね」
節子「まあまあ。今日はいったいどういう日なんでしょう。
どうぞ上がって、上がって」

○同・奥
店の奥が住居になっている。畳部屋。心太郎、孝行、豊が座る。気詰まり。
孝行「心太郎、どうした?」
豊「(孝行へ)おまえこそ、何かあったか?」
心太郎「ううん。大したことじゃなくて」
孝行「俺も、まあ、その」
心太郎「僕、いないほうがいい?」
孝行「いや、俺、ちょっと湖のほうを散歩してこようかな」
豊「親子して何を。行くなら(と立つ)」
心太郎「え?」
孝行「うん?」
豊「三人で行こう。さあ、立った」

○河口湖・湖畔
心太郎が豊の手を引く。
心太郎「お父さん、待ってよ」
小走りの孝行が立ち止まる。
孝行「こういうところ久しぶり。
(遊覧船を指し)ねえ、あれ乗りましょうよ。お金、出しますから」
豊「当たり前だ」
孝行「切符、切符、切符(と走る)」

○遊覧船・アンソレイユ号・中
孝行、心太郎、豊が入ってくる。
孝行「おっと、ビールがあるや。おじいちゃん、飲む?」
豊「金は出さん」
孝行「わかってます。これはどうやって注文するのか。先に席を取っておいて下さい」
心太郎、豊は二階席へ上がる。

○同・二階席(デッキ)
豊「いつもああなのか(孝行が)?」
心太郎「うん?」
豊「浮かれている」
心太郎「本当(と苦笑)」
豊「お母さんは元気か?」
心太郎「(ためらい)うん」
豊「どうした?」
心太郎「いえ」
豊「何かあったか?」
心太郎「ううん」
豊「大きくなった」
心太郎「逢うたびに言う」
豊「(ふざけて)彼女でも、できたか?」
心太郎「うん」
豊「え? 彼女、いるのか?」
心太郎「振られた」
豊「え?」
心太郎「できたけれど、すぐに振られた」
豊「そうか」
心太郎「どうして女の子って、つきあい始めると色いろ命令してくるんだろう。
ああしなさい、こうしなさい。わけがわからない」
豊「そうか(含み笑い)」
心太郎「おかしい?」
豊「いや、本質的な問題かもしれない。女は男にとって永遠の謎だ。女はわからん」
心太郎「そうなんだ」
豊「それで来たのか。おじいちゃんに相談したくなったか」
心太郎「ううん」
豊「どうした? 何かあったか? 心太郎も孝行も突然来てわけがわからない」
孝行がビールジョッキを二つ持ち、階段を上がってくる。
心太郎「(小声で)このことお父さんには秘密」
豊「(小声で)わかった」
孝行「地ビールだって。いいね。幸福。おじいちゃんと二人で昼からビール。
心太郎が大人になったら三人で飲むのが楽しみだ」
汽笛が鳴り、船が出港する。

○河口湖・俯瞰
遊覧船が湖面を悠々と遊泳する。

○遊覧船・アンソレイユ号・二階席
ジャネットが湖面を見つめる。
心太郎、孝行、豊はそれぞれの思い。唱歌「富士山」が流れる。
録音テープ「右手をご覧下さい。富士山が見えます。富士山は日本を代表する山で」
ところが、富士山は雲に隠れている。
孝行「(素っ頓狂な声で)見えないじゃないの。富士山、見えない。嘘つかない」
孝行の声でデッキの乗客がどっと沸く。「そうだ、そうだ」。一体感が生まれる。
ジャネットは何が起こったかわからず周囲を見回す。豊と目が合う。
ジャネット「(あのときの)サムライ!」
豊はジャネットに近づく。以下、英語の会話は日本語訳を字幕で出す。
ジャネット「(英語で)何が起こったの?」
豊「(拙い英語で)アナウンスでは富士山が見えると言う。しかし、実際は見えません」
ジャネット「(英語で)そういうこと(と笑う)」
豊「(英語で)ご旅行ですか?」
ジャネット「(英語で)はい」
豊「(英語で)どちらから?」
ジャネット「(英語で)イギリスです」
心太郎「おじいちゃん、やるう」
孝行「本当。意外だな」
豊「(二人を指し、英語で)息子、孫」
孝行と心太郎は一礼する。

○河口湖・船着場
豊が手を振る。ジャネットが去る。
豊「(英語で)よいご旅行を」
ジャネット「アリガトウ」
心太郎と孝行は豊の一歩後ろに立つ。
豊「世界一周旅行をしているのだとか」
孝行「へえ、女一人で。すごいな。いや、いまはどこも女のほうが強いのかもね」
心太郎「おじいちゃんもすごい。英語」
孝行「見直したよ」
豊「あれくらい(満更でもない)。さて、今度はお二人さんと日本語でじっくり話そう」

○河口湖・湖畔
心太郎、孝行、豊が湖に面したベンチに並んで座っている。孝行が真ん中。
孝行「静かだな。心が落ち着く」
豊「嘘だ。心ここにあらずだろう」
孝行「ひどいな」
豊「父親が息子の気持をわからんでどうする」
心太郎「――」
孝行「フフ、そうだね」
豊「わかっている」
孝行「――わかるか」
豊「わかる」
孝行「息子にも父親の気持がわかる」
心太郎「――」
豊「そうか」
孝行「お父さんにあやまりたいんだ」
豊「うん?」
孝行「十年前、お父さんが離婚したとき、俺、反対したでしょう。
何もこんな齢になってから別れることはないって」
豊「あったな」
孝行「あのときは何もわかってなかった」
豊「そうか」
孝行「離婚なんてするなよって思った」
心太郎「――」
孝行「一度結婚したんなら、最後まで寄り添えよって思った」
豊「だいぶ厳しいことを言われた」
孝行「俺、いま(急に涙声で)ちょっと、じゃない、かなり参っちゃって。
もうどうしようもなくて(と顔を覆う)」
心太郎「お父さん(と孝行を見る)」
孝行「(鋭く)見るな!」
心太郎「――(顔を伏せる)」
豊「辛いな」
孝行「お父さんだったら、わかってくれるかもしれないって」
豊「そうか」
孝行「いま別居してるんだ。心太郎はお母さん子だから俺が出て行った。
ウィークリーマンションを借りた。もう一ヶ月になる」
心太郎「お父さん」
孝行「息子にどっちが好きかなんて怖くて聞けない」
豊「うん」
孝行「人前で口にするのはこれが初めてだが」
心太郎「お父さん」
孝行「――離婚を考えている」
豊「うん」
孝行「まだ心太郎に言うつもりはなかった。
両親に離婚されると子どもは辛い。まるで自分の存在を否定されたような気がする」
心太郎「――」
豊「そうか」
孝行「しかし、顔を合わせたら言い争いが始まる。心の休まるときがない」
豊「うん」
孝行「(心太郎へ)お母さんが悪いわけじゃない。
お母さんのことをわかってやれないお父さんが悪いんだと思う」
心太郎「お父さん」
孝行「心太郎も親がいがみあっているのを見るのは辛いだろう」
心太郎「――」
孝行「心太郎、お父さんとお母さん、別れちゃダメかな」
心太郎「――」
孝行「ダメだよな」
心太郎「わかるよ。お母さん、口うるさいところある」
孝行「いい」
心太郎「お父さんにはお父さんの人生がある。だから、お父さんが決めたらいいと思う」
孝行「(やさしく)心太郎(と見る)」
心太郎「うん?」
孝行「いつの間にか大人になったな」
心太郎「ううん(と泣いてしまう)」
孝行「俺なんかよりよほど立派だ」
豊「心太郎にも色いろある」
孝行「うん?」
心太郎「おじいちゃん(言わない約束でしょ)」
豊「ああ」
心太郎「――(涙を手でこする)」
孝行「心太郎は大人だ。俺は両親が離婚しようとするのを」
豊「孝行(と押しとどめる)」
孝行「俺の都合だけで反対した」
豊「それでいい――。(空を見て)雨になるな」
孝行「わかるんだ」
豊「ああ」
孝行「俺、どうしたらいい?」
豊「うん?」
孝行「お父さんは離婚してよかった?」
豊「――」
孝行「別れなきゃ、いまの人と逢えなかった。節子さんと逢えなかった」
豊「そういうことだな」
孝行「いま幸せ?」
豊「わからん」
孝行「――わからないか」
豊「ああ、わからん。縁があったということだからな」
孝行「離婚したお父さんに相談に来たってことは、別れたいと言ってるようなものか」
豊「そうでもない。おまえは偉い」
孝行「うん?」
豊「こっちは離婚するとき、まったく子どものことなど考えなかった」
孝行「あのとき俺はもういい大人だったし」
豊「おまえを見ていて、父親とはこうあるべきだと思った」
孝行「からかわないで」
豊「あまりいい父親ではなかったかもしれない」
孝行「そんなことない」
豊「心太郎。お父さんが好きか?」
心太郎「うん」
豊「お母さんが好きか?」
心太郎「うん」
豊「それでいい」
心太郎「――はい」
豊「しかし、よくない。息子が相談に来てもアドバイスひとつできない」
孝行「いいよ」
豊「わからない」
孝行「フウ、わかりませんか」
豊「明日は晴れるそうだ」
孝行「そう」
豊「富士山が見えるだろう」
男三人の背中は、どこか似通っている。

○喫茶店・中
マスター(52)が豊、孝行、心太郎にそれぞれコーヒーを出す。
マスター「もしかして、こちら」
豊「そう、息子」
孝行「どうも。父がお世話になってるようで」
豊「こいつ、東京でバリバリやってる。一流企業。親父には似なかった」
マスター「自慢の息子さんか」
孝行「いえ、そんな。これ、息子です」
マスター「(豊に)へえ、お孫さん」
豊「私、おじいちゃん」
孝行「なかなか優秀で、中学はかなりレベルの高いところに行けそうなんです」
心太郎「お父さん(やめて)」
孝行「(自分を指し)親バカ」
豊「(自分を指し)親バカ」
マスター「みんな自分の子どもはかわいいものです」
孝行、豊、マスター、笑ってしまう。

○同・表
ガラス窓に水滴がつく。ドアの開く音。
客(男)の声「雨だよ、参ったね」

○バックパッカーズ・ホステル・浴室
シャワーを頭から浴びるジャネット。

○同・ラウンジ
外国人旅行者のたまり場になっている。ジャネットが雑談に加わる。

○喫茶店・中
孝行、心太郎が座る。コーヒーは三つ。
孝行「中学から英語はしっかり勉強しておけ」
心太郎「え?」
孝行「見ただろう。金髪の(ジャネット)。あんな子とつきあえるかもしれないんだぞ」
心太郎「だから、英語?」
孝行「そうだ。ドーンだぞ(と手で胸を強調)。ボーンだぞ(と手で尻を強調)」
心太郎「ウワ、本当にお父さん?」
孝行「男同士の会話よ」
心太郎「ドーン、ボーンが?」
孝行「(大真面目に)そう(と頷く)」
二人、笑ってしまう。
孝行「好きな子はいるのか?」
心太郎「聞かないでよ(そんなこと)」
孝行「いいじゃないか、男同士だろう」
心太郎「お父さん、いまでもお母さんのこと好き?」
孝行「――」
心太郎「嫌い?」
孝行「好きだ」
心太郎「(驚き)好きなの?」
孝行「嫌いだ」
心太郎「どっちかはっきりして」
孝行「好きだ。嫌いだ」
豊が現われ椅子に座る。
豊「ホテル、予約しておいた」
孝行「はあ?」
豊「今日は泊まっていけばいい。普段ろくに話もしていないのだろう。
こういう機会に二人でじっくり話し合わないでどうする」
孝行「明日は会社が」
心太郎「僕だって学校がある」
豊「休めないことはないだろう。仕事や勉強よりも大切なことはある。違うか?」
孝行「そりゃあ、そうだけど――」
豊「今日、逢ってな。正直言って、二人ともひどい顔をしていると思った。
あのイギリスの女の子は実にいい顔をしていた。ところが、おまえらときたらどうだ。
疲れ切っているじゃないか。どうして休まない? 何かをしていないと不安か?」
孝行「競争社会だからね。がんばらないと」
豊「がんばりゃ偉いのか? 富士山はどうだ? 富士山は何もしていないだろう。
ただそこにいるだけだ。しかし、富士山は偉い。何もしなくていい。いるだけでいい」
孝行「メチャクチャな理屈だな」
豊「今晩、何も話さなくたって構わない。解決なんて目指すな。
ただ息子の横で寝ていればいい。心太郎は父親の疲れた寝顔を見ればいい。
それだけでいい。いいんだ」

○ホテル・外観(夜)

○同・中(夜)
心太郎はテレビを見ている。
孝行は冷蔵庫を開ける。
孝行「ジュースでも飲むか?」
心太郎「いいよ。高いんでしょう」
孝行「このくらい気にするな」
心太郎「お父さん」
孝行「うん?」
心太郎「こうしない」
孝行「何を?」
心太郎「明日、富士山が見えたら離婚しない」
孝行「だって、明日は晴れるんだろう。おじいちゃん、言っていたじゃないか」
心太郎「わかんないよ」
孝行「富士山が見えたら、か」
心太郎「うん」
孝行「どこにする。カチカチ山か?」
心太郎「え?」
孝行「いいじゃないか。そうしよう」
心太郎「嘘でしょう」
孝行「天に任せるというのは、そういうことを言うのかもしれない」
心太郎「本気?」
孝行「ああ」
心太郎「やめようよ。離婚とか、天気で決めるものじゃない」
孝行「決めるのは富士山だ」
心太郎「どうかしちゃった?」
孝行「心太郎が言い出したことだろう」
心太郎「そうだけど」
孝行「なら、どうして反対する」
心太郎「子どもの考えだよ」
孝行「心太郎はもう子どもじゃない」
孝行が缶ビールを開けると泡、泡、泡。

○土産物屋・奥の寝室(夜)
豊と節子は布団を並べて寝ている。
節子が豊の布団の乱れを直してやる。

○河口湖・俯瞰(朝)
薄日が射す。

○カチカチ山のロープウェイ

○カチカチ山・展望台
心太郎、孝行、豊がやって来る。
雲に覆われて富士山は見えない。
心太郎「(真剣に)富士山、きれいだね」
孝行「え?」
心太郎「おじいちゃん、富士山、見えるよね?」
豊「――」
心太郎「富士山、立派だね」
豊「どうした?」
心太郎「富士山、見えるでしょう?」
豊「(心太郎に気圧され)ああ」
心太郎「お父さん、富士山、見えたね」
孝行「――」
心太郎「僕には見えるよ。僕に見えるものがお父さんに見えないはずないよね」
孝行「心太郎」
心太郎「お父さんにも富士山、見えているでしょう?(と孝行にすがりつく)」
孝行「見えた。いま富士山が見えた」
心太郎「ありがとう」
孝行「礼なら富士山に言いなさい」
心太郎「富士山、ありがとうございます」
孝行「俺からも。――ありがとう」
三人は見えない富士山を見る。

○河口湖駅
土産物の紙袋を両手にかかえた孝行と心太郎。二人を見送る豊と節子。
節子「(心太郎へ)またいらっしゃいね」
豊「(孝行へ)話し合おうとか意識しないことだ。
家族なんてそばにいれば、それだけでいい」
孝行「うん」
豊「何もしないのがいちばん難しい。何もしない。何も言わない。しかし、そばにいる」
心太郎「(おどけて)おじいちゃん、大丈夫。これがあれば(と両手の土産物を掲げる)」
豊「そうか(と微笑)」

○走る富士急行線

○同・中
心太郎が寝ている孝行を起こす。
心太郎「起きて。富士山が見えるよ」
窓の外は快晴。孝行は車窓から富士山を見ると、携帯電話を取り出す。
孝行「(電話へ)お父さん、いまね富士山が」
豊の声「ちょうど電話しようと思っていたところだ。いまどこにいると思う?」

○カチカチ山・展望台
携帯電話を手にした豊。その横に節子。
豊「(電話へ)カチカチ山だ。富士山がようく見える」
ジャネットが通りかかる。
豊「急用だ。また電話するからな」
豊とジャネットは微笑みを交わす。
豊「ご縁があるんでしょう(と富士山を指す)」
節子「日本語で言ったって」
ジャネット「(何となく意味が伝わり頷く)」
豊「ほうら、伝わった。人間は言葉じゃない」
団体客がやって来る。老人が多い。
みな富士山の威容に思わず合掌する。
ジャネットはリュックから絵葉書を取り出し豊と節子に見せる。
インド、ガンジス河の沐浴風景。祈るインド人たち。
目前には富士山に祈りを捧げる日本人たち。人間は祈る。願う。
豊「わかる。人間はおんなじ」
豊と節子は何度もジャネットに頷く。
豊と節子は富士山に合掌する。その真似をしてジャネットも合掌する。
展望台にはたくさんの絵馬がつられている。
人間の様々な願望。絵馬の一つ。
「心太郎、中学合格。孝行、家庭円満。豊、商売繁盛」と書かれている。

○走る中央線・中(夕方)
疲れた孝行と心太郎が並んで寝入る。


(後記)ブログ画面だとたいへん読みにくいでしょう。
申し訳ありません。
このような環境にもかかわらず最後までお読みいただき、
本当にありがとうございます。
物が売れないなら、夢を売れ!
夢は利益幅の大きい商品だと思う。
創作スクールの売っているものは夢でしょう。
「作家になったらバラ色の生活になる」という夢。
実際は、作家なんて大半は編集者やプロデューサーの奴隷。
実入りも恐ろしいほどによくない。
けれども、作家! 作家ですよ作家! 人生が大逆転するかもしれない!
夢を持とう! 夢をあきらめないで!

創作スクールは殿様商売ができる。
夢がかなわない生徒には、がんばれ、がんばれ! 努力が足らないのよ!
あきらめなければかならず夢はかなう!
「もっと努力しましょうね」と高額の講座への参加(=入金)を迫る。
ほうら、がんばれ、がんばれ!
運がよかったのか努力が報われたのか、大勢の生徒のひとりがコンクールに通ったら、
うちの教えかたほどすばらしいものはないと宣伝してまわる。

夢を売る殿様商売は、「ありがとう」を言わないでいいのがポイント。
どの商売でもお客さんには感謝するでしょう。
ところが、夢産業は高飛車である。
お客を説教できると思っている。がんばれ、がんばれ! 夢をあきらめるな!
謙虚になれ! 従順になれ! 夢をかなえたくないのか! 夢をあきらめるな!
小さなコンクールにでも入賞したら、「ありがとう」を言いなさいと迫ってくる。
このビジネスモデルを考えた人は最高に頭がいいと思う。

悪徳な商売とまでは言わない。それなりの社会貢献をしていると思う。
大半の生徒さんは2、3年で挫折するはずである。
創作の世界は、才能や運が強く関係するから、こればかりはどうしようもない。
むしろ、これでよかったのだ。
生徒さんの人生において夢を見ることができた数年は、きっと輝いていたはずだから。
運よくコンクールに通ってしまうと逆に不幸かもしれない。
本職を手抜きしてまで、大してカネにもならない創作に夢中になるからである。
ろくな才能もないのに勘違いしてしまう。
そのうち本職のほうでミスをしてクビになってしまったら目も当てられない。

夢を見ているうちはいいのだが、夢のような現実はどこにもない。
夢のような作家生活は、実のところどこにもないのである。
夢は見ているうちが華ということだ。
夢は言うなれば実体のない金融商品のようなもの。
金融商品とおなじように夢も売買することが可能である。
カネを儲けようと思ったら夢を売るがわにまわったほうがよろしい。
だが、夢を買うことの楽しさを否定するわけではない。
どうせつまらない人生なのだから、いっときでもとろけるような夢を見たいじゃないか!
ひとつ問題なのは夢の売人である。
夢産業の従事者で、おのれをまるで一角の教育者や慈善家のように
勘違いしている御仁がときおり見受けられる。
売り手が買い手とおなじようにおかしな夢を見ていてはいけない。


(参考)とあるスクール経営者の日記から↓

夢を捨てない、書き続ける、その気持ちだけは忘れないで、明日につないでいきましょう。
佳いお年を!!きっと夢はかなう。

「表参道シナリオ日記」12月22日の記事より


「夢を捨てるな=うちにカネを払え」と主張しているわけですね♪

(参考)努力の弊害について↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1854.html