山田太一ドラマ「キルトの家(後編)」を視聴する。
あなたの話をしよう。たましいの話ではなく、あなたの話をしよう。
早朝、6時まえにドアのベルが鳴らされる。
ドアを開けると、顔を知っている程度の老女が米を持って立っている。
3キロの米だ。老婆は「いじらしゅうなって」という。米をくれるという。
このときあなたは素直に「ありがとうございます」と受け取れるだろうか?
南空(三浦貴大)と南レモン(杏)は「ありがとうございます」と笑顔でいう。
とてもいいシーンだったと思う。しかし、あなたはあの真似をできますか?
恥ずかしながら迷惑だ。わたしは迷惑だ。
というのも、おそらくあれはふつうの米。
便利な無洗米の味を一度おぼえてしまうともうめんどうで米をとぐ気がしなくなる。
ずいぶん長く無洗米には抵抗してきたつもりだ。あんなもん、使うもんかと。
しかし一度買ってきたらもうダメ。米を洗うのでさえめんどくさくになってしまう。

南空と南レモンは笑顔で「ありがとうございます」と早朝3キロの米をもらった。
あげた老女もとても嬉しそうだった。
こういうのは奇跡である。通常ならありえない。
震災後の助け合いブームの渦中だったから成立したこと(ドラマの設定は2011年初夏)。
空とレモンが20代前半で世間知らずだったから、たまたまうまくいったこと。
このカップルが新婚旅行の最中に津波に遭遇しなかったら、この美談はなかった。
実際は物をもらうほど難しいことはない。

脚本家の山田太一氏も77歳になって物の見方がかなり変わったのだろう。
40代のころなら氏は断じてこのようなシーンを書かなかったと思う。
かつて脚本家は列車で同乗の人にバナナをすすめれらたにもかかわらず、
かたくなに断ったというエピソードをエッセイに書いている(「車中のバナナ」)。
知らない人からもらったバナナを食べる気がしない。
作家は老人から「いけないよ」と非難されたという。
「たしかに」と40代の作家はいう――。

「たしかに大人気ないのかもしれない。
私の態度が悪い、という人も少なくないだろう。
しかし、見知らぬ人から食べものをすすめられて食べるという神経には、
どこか他人というものをたかをくくっているところがあると思う。(中略)
人のその種の好意はなるべく受けたくない(いってみれば恩を着たくない)
というケチな偏屈もある」(新潮文庫「路上のボールペン」P158)


世間知らずのわたしは長いあいだ、この感覚がわからなかった。
人から物をもらうのが怖いという思いのことだ。

ドラマからそれるが「ちょっとね、スピーチ」――。「話しちゃうね、変な私を」――。
むかし山田太一ファンのオフ会に出たことがある。いい人たちばかりだった。
だから調子に乗ったのだと思う。
ある女性は新聞記事をわざわざコピーしてくれたのだった。
それから飲み会で「いいよ」という話になった。むかしのことだが、そう記憶している。
いいよ、いいよ、いつも山田太一講演会の内容を公開してくれるのだから、いいよ。
居酒屋の代金を払わなくてもいいよ、という話になった。少なくともわたしはそう思った。
たかだか二千円ちょいだから甘く見ていたところもある。
ところが、だ。
数日後、ネット掲示板で女性がわたしを常識知らずだと猛然と非難しはじめた。
金を払わないなんて、とんでもないやつだ。
図々しい。厚かましいにも程がある。調子に乗りすぎじゃないか。ふざけるな。甘えるな。
コピーをあげたのにお礼が足らないともいわれた。危険人物とまでいわれた。
ひたすら謝ったが、もう取り返しがつかなかった。
数日まえに笑顔で歓談した人がこうも豹変するのかと驚いた。
世間とはこういうものなのかと深々と思い知ったものである。
人間とは、怖いものだ。人の好意を安々と信じてはいけない。
軽々しく人から物をもらったり、酒をおごってもらったりしちゃいけないんだ。
後からどんなことをいわれるか知ったことではないのだから。

ドラマで橋場勝也(山崎務)が空に説教したことを学んだといってよい。
だから、あの山田太一ファンの女性にいまでは恨みなどまったくない。
むしろ、世間とはそういうものだと教えてくれたことを感謝している。
油断しちゃいけない。気をつけろ。
いつなんどきでも用心を忘れるな。うっかり他人に気を許すなよ。

「人はあんたのことなんか、なんとも思っていない。
やさしく一緒に心配してくれるとでも思ったのか」

「俺のことなんか人は知ったことじゃないと思っている」


エッセイ等からうかがうに、
これは山田太一氏の人生観、処世術といっても過言ではなかろう。
しかし、なのである。作家は77歳にして自然に変わったのか。
それともあの東日本大震災の惨事が、感性鋭い脚本家を変えたのか。
「キルトの家(後編)」は、ひたすら老人が若者に物をあげる物語なのである。
旅行先で津波を経験した空、レモンのカップルに老人たちが物と言葉の布施をする。
米3キロを義捐金がわりに空とレモンにあげたのは下田美代(正司歌江)。
元チンピラの野崎高義(上田耕一)、元公務員の沢田道治(織本順吉)、
二人の老人は居酒屋に空を招待してビールをご馳走するのである。
とてもいいシーンだと思う。三人は乾杯する。

高義「びっくりしたよ」
道治「ほんとねえ」
高義「津波に遭ってるとはな」
空「はい」
道治「えらいもんだ」
空「別にえらくは」
高義「そんなことはない。そういう目に遭うと人間は一段えらくなるんだ」
道治「自分じゃ気がつかないだろうが、少しマシな人間になっている」
高義「ああ、マシな人間になっている」


「本当になにもかもなくした人はそうかもしれないけれど」と謙遜する空である。
若者よ、負けるな、へこたれるな、
というように高義老人は空の肩をたたき、三人はもう一度乾杯する。
伊吹清子(緑魔子)は豚カツ屋で働くレモンに逢いに行く。
仕事の後、ちょっといいかなという。老人は若者にコーヒーをご馳走する。
このシーンもとてもいい。

清子「元気になって」
レモン「はい」
清子「他人の励ましなんて大ざっぱで役に立たないと思うけれど」
レモン「いえ」
清子「生きているとほんとに、浮いたり沈んだり」
レモン「そうですか」
清子「プライドばっかり高い貧乏な家に生まれて、結婚して、一息ついたら、
 主人が事故で、出張先で、あっけなく死んで――。
 一人息子つれて一緒になった次の夫は、
 ガンになって、お金ほどんど使い果たして――。
 息子はマレーシアに行ったっきり」
レモン「たいへん」
清子「ところが主人、保険に入っていてくれてね。死んだら思いがけないお金。
 ――いわないんだもの」
レモン「よかった」
清子「この先なにがあるかわからないけど、いまはホッとしてるの。――幸せ」
レモン「――そう」
清子「悪いこともあるけど、きっといいこともある。目先のことに慌てないで」
レモン「――はい」
清子「(レモンの手を取り、へこたれるなというように握り締める)」
レモン「――」
清子「――」 


どうしてみんな空とレモンに親切にしてくれるのか。お節介を焼くのか。
津波で二人は見たという。
生きたままのような赤ちゃんの死体、ぼろきれのようになった死体。
パチンコ屋も神社も、跡形もなく流され、残ったのはゴミの山。
身ごもっているレモンは「キルトの家」の老人たちのまえでこんなことを口にする。

レモン「急に来るんです。一瞬でなくなってしまうんだから、なにをしても無駄だって。
 生きていくのはたいへんだなって。
 あっという間に流されてしまうのに、ちゃんとやって生きていけるのかなって」


大丈夫、へこたれるなと老人たちは若者を励ましに行く。物を贈る。
元時計職人の河合秀一(北村総一郎)は二人にガラクタで作った置時計をプレゼントする。
「僕からのエールよ」
もしわたしがもらったら翌日にはゴミ置き場に持って行きそうな代物である。
しかし、物のない若い二人は笑顔で「ありがとうございます」とおしいただく。
いかに物のないことが人間関係を富ませるかよくわかるエピソードである。
さて、レモンはスナック「佐久」で元夫から新妻を見せつけられる。
たんかを切って「ここは地元だから、コーヒー代はこっちが持つ」などといってしまう。
スナックのママもまた若い妊婦のレモンに親切なのである。
コーヒー代金を負けてやるのだから。

「人はあんたのことなんか、なんとも思っていない。
やさしく一緒に心配してくれるとでも思ったのか」
一度はこのように空を叱りつけた勝也は二人に大きなケーキをプレゼントする。
物だけではなく、勝也は言葉も贈ろうとする。
しかし、大したことをいえる身分でもないと老人は自己を卑下するのである。
そうか、ケーキが大きすぎたか。
「私はね、一事が万事、こんなふうに過ぎたり足らなかったり、人生との折合が悪いんだ」
「口だけでね」と自嘲する。

勝也「学校をスペイン語で出て、商社に入って、ブラジルへ行かされた。
 あそこはポルトガル語だ。すぐに慣れるといわれた。二ヶ月で慣れたよ。
 するとすぐアルゼンチンだ。上司が私を嫌ったらしい。いいだろう。
 はじめからスペインじゃなきゃ、メキシコかアルゼンチンだと思ってた。
 ところが――いじめられてね。
 生意気だったから無理もないんだが、そのころは自分のせいだとは思わない。
 辞めたよ」


それから転々とした。パラグアイで日本語教師をやったこともある。
とはいえ、どこかで「俺の本当の仕事じゃないとも思ってた」――。
便利屋のようなこともやった。
チリで国際協力事業団に現地採用されたこともあった。
そこもえらそうな上司がいて辞めてしまった。

勝也「ずっと私は、この仕事は本来俺のやりたいことじゃないと思ってた。
 この先に俺にピタリと向いた仕事があると思ってた」
空「それはなんですか?」
勝也「恥ずかしくていえないよ」
レモン「でも聞きたい」


勝也は板金職人の空をほめたくなったのだという。
「私はあんたをほめようと思って来たんだ」
「そういうのはいいよ。板金一筋、そういう人生はいい」
勝也はレモンにも声をかける。一筋でいけよ。この男、一筋でいけよ。
以下、とてもいいシーンなので長いのは承知でぜんぶ書き写す。
「キルトの家(後編)」におけるもっともすぐれたシーンである。
老人と若者の交流がなんと見事に描かれていることか。

勝也「変えるなよ。この人で辛抱しろよ」
空「辛抱か(苦笑)」
勝也「辛抱は大事だ。私は辛抱がなかった。
 じっくり自分を一箇所に閉じ込めるというところがなかった。
 自分でもどうにもならない勝手なプライドがあって、傷つきやすくて、
 いつも鎧(よろい)を着て身構えて、気に入らないと飛び出した。
 私の人生、散らかったままだよ」
空「それで食ってきたってすごいですよ」
レモン「本当。辛抱しない人生一筋じゃないですか」
勝也「――おい」
空「はい」
勝也「自分をそんなふうに思ったこと一度もないよ」
レモン「悪口じゃない」
空「すごいっていったんです」
勝也「人と腹を割って話してみるもんだな。
 ちょろっと、こともなげに、私の人生をまとめてくれた」
レモン「気に障ったら」
空「すみません」
勝也「怒ってるもんか。わかるだろう? 喜んでるんだ。 若いやつはすごいな。
 人の目が怖いとばかり思っていたが、嬉しいじゃないか。
 俺、辛抱しない人生一筋だったんだ」
レモン「はい」
空「はい」
勝也「どうしてそんな簡単なことを自分では思えなかったんだ?」
レモン「さあ」
空「さあ」
勝也「人と深くつきあうことに臆病で、頭が固くなっていた」
レモン「えらいですよ」
空「すごいですよ」
勝也「軽くいうな。年寄りを舐めてはいけない」
レモン「舐めてません」
空「ちょっと聞いただけでも、滅多にない人生じゃないかな」
レモン「うん」
勝也「(深く打たれて満足げに笑う)ククク。
 (額を手で打ちながら)あんたらを励まそうとしたんだぞ。
 俺がほめられてどうするんだ?」
レモン「(笑う)」
空「(笑う)」
レモン「いいですよ」
空「いいですよ」
勝也「(お手上げというようにバンザイする)」
レモン「勝也さんはすごい(と拍手する)。いよっ」
  三人、笑っている。


人と人が交流するときの理想形がここに表現されているのではないだろうか。
現実には滅多にないのだろうが、実際にはありえないのだろうが、
それでも、もしかしたらこういう会話が交わされることもあるかもしれないではないか。
お互いを批判せずに肯定する。
言葉にすれば簡単なようだが、
人間にとって他者をありのままに、あるがままに肯定するのがどれほど難しいか。
だれかからありのままの姿を肯定されたら人はどれほど嬉しいか。
あたかも母親に抱かれる赤子のように――。
相手を抱きしめる。シナリオ「キルトの家」に何度も書き込まれたト書きである。
そのまんまの相手を認める。ぎゅっと抱きしめる。抱きしめてもらう。
いまのままでいい。あるがままでいい。変わらなくていい。
過去を振り返って後悔しなくてもいいんだよ。そのまんまでいいんだよ。

老人グループ「キルトの家」のポリシーを確認する。
「死ぬまで一人をつらぬく。助けを求めないで、若い人は助ける」
これを「おかしい」と批判するものがいる。
自治会で副会長をしている米川淑子(余貴美子)だ。
「どうして(助け合い)クーポンがいけないの?
みんなで助け合うのがなぜいけないの?」

「キルトの家」の発起人は桜井一枝(松坂慶子)。
だれも部屋に入れないことで有名である。
ある日、「キルトの家」に姿を見せないのを心配した
空、レモン、勝也は一枝の部屋を訪問する。
「入って」と一枝は三人を招き入れる。
三人はひと部屋に一枝の父親の衣服がずらりと並んでいるのを目撃する。
「話しちゃうね、変な私を」と一枝はいう。
2年まえに死んだ父のものを片付けられないのだという。捨てられない。
父のことは、好きではなかった。
6年まえに母が死んでからも、父は工場に嘱託として通っていた。
ガンとわかったときも静かなものだった。
自分の離婚とも重なり、通り一遍のことしかしなかった。
それなのに死ぬ数日まえに「ありがとう」といわれたのをおぼえている。
亡くなってからベッドサイドの引き出しから紙切れが見つかった。
そこにはこう書かれていたと一枝は紙を取り出す。

「私は一老人ではない。
血も涙もある
桜井慶一郎である」


娘は父親の遺したこの紙切れがしだいに重くなったという。
父、桜井慶一郎はだれかに怒っていたのは間違いない。そして、娘は思う。
「怒った相手は私じゃないかって」
自分は父を、どこにも他にはいない特別な人間として大事に思うこともなかった。
「自分の冷たさにぞっとする」と一枝は泣く。
それから変わったのだという。
「団地でお年寄りを見ると、
私は一老人ではない、誰々である、何男何子である、と内心いっている気がして」

一枝「アレルギーね。あの人もこの人も平等に、とかいわれると、
 どの人も十把一絡げにされたみたいで、違うだろうって思っちゃうの。
 一人ひとり違うだろうって。
 とくに一人住まいで仲間を作れなそうなひとを見ると――」
勝也「――」
一枝「声をかけたくなったの。父が見てくれているような気がして」


こうしてはじまったのが「キルトの家」である。
ところが、「キルトの家」は唐突に終わりになる。
まず人がいなくなる。老人がいなくなる。
あるものは息子夫婦の家に引き取られるという。
もう一人は栃木の老人ホームに入ることにしたという。
三人目は、いいお医者を紹介してもらったので横浜の病院に入ってしまうという。
そのうえ老人二人が仲たがいをして「キルトの家」に来なくなっている。
「おかしくない?」となにものかに抗議するのは若いレモンである。
「ばたばた5人もいなくなるなんて、そんなのあり?
だれかが仕組んだみたいに、こんなのおかしくないですか?」

レモン「こういうの、たまらない」
勝也「どうした?」
レモン「あっという間に5人もいなくなるなんて――。
 津波みたい。あの津波みたいに」
勝也「津波じゃない。年寄りはこんなものだよ。
 いつだれがどうなるかわからない。
 見えない弾が狙い定めず飛んでいるようなもんだ。
 腰に当たる。背中に当たる。胃や肝臓や頭にも当たる。胸にもな。
 大事な人もいなくなる。年寄りはこんなもんだ」


現実として「キルトの家」を終わらせたのは金である。現実は金、金、金!
いまのテレビドラマがまるで狂ったように「人生は金じゃない!」
と絶叫するのとは対照的に、山田太一ドラマは金銭の重みをしっかりと描く。
山田太一最後の連続ドラマ「ありふれた奇跡」において、
妻と娘を火災で亡くした中年男を最後に救ったのは仕事で稼いだ金であった。
偏屈な老人の理想郷ともいうべき「キルトの家」を終わらせたのも金である。
このスペースは、夫婦ともに入院してしまった家を好意から借り受けていたのだ。
元々はキルトの商店だったのである。
持ち主の夫婦がキルトを全部売却してしまった。
金のない老夫婦からただで家を使わせてもらうのはもう限界だと老人たちは気づく。

「キルトの家」は終わったが、対立する自治会の助け合いクーポンもうまくいっていない。
1回250円のクーポンを発行したものの、
ボランティアの数が圧倒的に不足しているのである。現実は、そんなに甘くはない。
250円程度の小遣い銭で、困っている老人を助けてくれる人はそう多くないのだ。
人間関係も甘くはない。人と人がそうそううまくいくわけがないのである。
元チンピラ極道の野崎高義は元公務員の沢田道治を一方的に慕っていた。
明るい高義はのんきにも道治のことを友人かなにかのように思っていたはずだ。
道治が腕を骨折してクーポン券を購入することに決める。
お節介にもついていってやる高義である。
ちなみに、以下のシーンはこのドラマでいちばんドキリとしたところである。
このシーンを描いてしまう脚本家はどれほど人間を厳しく見ていることか。
元気な高義老人は、自治会の米川淑子からこういわれる。

淑子「ボランティアやってよ」
高義「やってやるよ。クーポン券なしで、俺はなんでもやってやる。
 (道治に)あんたの世話は俺がするよ」
淑子「それはそれでいいと思う」
道治「俺はクーポン券にする」
高義「どうして?」
道治「合わないよ、あんたとは」
高義「それはないだろう」
道治「断ると怒りそうだからつきあっていたけど、私はあんたが嫌いだ」
高義「――」
道治「嫌いだ(と強くいい切る)」
高義「――」


あなたが友人だと思っている人も本心ではあなたを嫌っているかもしれない。
人間不信のかたまりのような脚本家にしかこのシーンは書けないと思う。
山田太一さんはどれほど低く人間というものを見積もっているのだろう。
人間を見通すその冷たい視線に空恐ろしさすらおぼえるくらいである。
しかし、脚本家は冷たいだけではなく、同時にあたたかい。
ラストシーンは「キルトの家」の元メンバー5人が所在なく、
公園でアイスキャンディーをしゃぶっている。節電の暑い夏だった。
そこに鯛焼きを6つ持った高義老人がやって来るのである。
道治老人の自転車を乗り回していることから、絶縁したのではないことがうかがえる。

「キルトの家(後編)」は最初から最後まで物について語られていたように思う。
人と人がつながるためには結局のところ物に頼るしかないのではないか。
このため老人はおそらく自身はそう食べたくもないであろう鯛焼きを6つも買う。
所詮、人間なんざギブアンドテイクなのだが、
しかしそこにしか救いのようなものはないのかもしれない。
そこに救いを見なかったら、人間も、現実も、たまらないではないか。
わたしが山田太一ドラマ「キルトの家」から感じ取ったメッセージである。
人間関係はめんどう極まりないが、それでもやはり鯛焼きを6つ買おうじゃないか。
鯛焼きを差し出されたらダイエット中でも笑顔で「ありがとう」といおう。
そんな関係はウソだといわれるかもしれないが、
たぶんおそらくそのウソのなかにしか救いはない。
「絆」という言葉は偽善くさくてやりきれないが、それでも人とつきあおう。
まずは偏屈な自分を愛することからはじめよう。
ドラマ「キルトの家」の起点は一老人の死である。
ならば、かの老人を真似てわたしも宣言しておこう。
ここからドラマがはじまるのなら――。

「私は一中年ではない。
血も涙もある
土屋顕史である」

「キルトの家」前編は山田太一ドラマにしてはやや低調かとも思われたが、
あれはすべて後編を盛り上げるための布石作りだったのであろう。
どうしてか「キルトの家」後編を見ながらずっと涙がとまらなかった。
だれも読まない感想を長々と書き連ねてきたが、
ひと言でまとめるなら、よかったになる。とてもよかった。本当によかった。
「キルトの家」も自治会も、どちらもうまくいかないのがよかった。
理想論でも正論でもダメなのである。
しかし「はじめたばっかりじゃない」と笑う二人の中年女性がよかった。
ドラマの終わりが終わりではなく、はじまりになるのがよかった。
山田太一ドラマ「キルトの家(前編)」を視聴する。
登場するのはたくさんの老人と20代前半とおぼしき若々しいカップル。
こちらは人生に夢破れた30半ばのおっさん。
「キルトの家」のどこにも「私」がいないのでドラマ世界に分け入っていくのに苦労した。
しかし、これはあまたの老人が昨今のテレビドラマを見て感じることなのだろう。
今クールの連続ドラマの初回はかなり見たが、どれも老人とは無縁のお話ばかりであった。
華やかな職業につく美男美女の繰り広げる愛と夢にあふれた世界には
わたしでさえ抵抗感があったのだから、老人にはなおさらだったのではないか。
「キルトの家」はその正反対で、まさしく老人のためのドラマなのだと思う。
わたしなぞに感情移入されてはむしろ製作者サイドは困惑するだろう。

とはいえ、自分に引きつけてひとつ嫌味なことを思った。
ドラマで三味線を弾く老女を見て、ああ、そうなのかと気づく。
しわくちゃの老婆もむかしは美しかったことだろう。
なんでも一流の芸者として新橋で名をとどろかしていたというではないか。
それが老いたらどうだ。
だれからも相手にされず得意の三味線でさえむかしのように弾くことはできない。
むかしちやほやされた経験があるぶん、かえって老いが辛いのではないか。
そうなのだ。もしかしたら人生でいい目を見た人間ほど老化が辛いのかもしれない。
定年退職したら肩書のない人間なんかだれも相手にしない。
思うようにならないことが多くなり、そのぶん老いの辛さが人より増すはずである。
NHKや集英社に入った大学の同期を思い出しながら胸のすくような思いがした。
いや、それはいっときの錯覚なのかな。
大企業に入れば退職金や年金の額が違う。
つつましい団地暮らしなんかしなくていいのだ。
そのうえ、やはりイケメンは人生を通して得のような気がする。
というのも、橋場勝也(山崎務)は顔がいいことで老いてからもいい目を見ているではないか。
醜い老いぼれが「たましいの話をしよう」などといってもだれも聞かないのだから。

「キルトの家」は1年後に取り壊しが決まっている巨大団地に引っ越してきた
若いカップルと老人たちの交流を描いた物語である。
老人は若者に「がんばれ」とはいわなかった。
橋場勝也は公園で筋トレをする南(みんなみ)空(三浦貴大)に「がんばれ」とはいわず、
栄養ドリンク「コスモパワー(宇宙力?)」を渡す。
このシーンは山田太一ドラマ「キルトの家」の世界観を象徴しているような気がする。
少子高齢化社会の日本にとっては、若者にがんばってもらうしかないのである。
しかし、老人は見知らぬ若者に話しかける言葉を持たない。
物(栄養ドリンク)を通してつながろうとするしかないのだ。
そう、かつて人と人をつなげるのは物だったけれど、いまでは物もあふれている。
空は栄養ドリンクなどいらないという。
勝也は「がんばれ」とはいわないが栄養ドリンクを空に押しつける。
「私は(栄養ドリンクを)やらない。ずーっと死なないのも困るからな」
「キルトの家」のメンバー勝也はまた別のときにこんなことをいう。
老婆に三味線を弾くことをすすめるときだ。
「じきに途切れてしまう人生だ。完璧じゃなくていいんだ」
死を見すえようとしているのが橋場勝也なのだろう。どうせ死んでしまう。

また団地の公園で空が筋トレをしていると勝也がすがたを見せる。
勝也はもっともらしい言葉を吐いて若者の気を引こうとする。
「俺は鳥や昆虫のように感じ取る力を磨きたいんだ。人からの音波を感じ取る力だ」
こうしてやってきたのは空が自分を呼んだからだと老人はいいはるのである。

勝也「相談があるなら乗るぞ」
空「ああ――。いえ」
勝也「フフ?(とうながす)」
空「相談ではないけど橋場さんに」
勝也「勝也でいい。みんな勝也で通している」
空「逢えないかなと思ってました」
勝也「そうだろう。だから感じたんだ」
空「用事はないけど」
勝也「それがいちばんだ」
空「――」
勝也「そういうのがいちばんいいんじゃないか」
空「はい」
二人、なんだかおかしくなって笑ってしまう。


いつものいかにも山田太一ドラマらしいシーンだ。
一人ではなく二人でいることの価値を重んじる脚本家の書いたシーンである。
とはいえ、二人の会話は続かない。老人と若者のあいだには共通の話題などないのだ。
いきおい勝也は過去の自慢話をする。
自分は世界を舞台に飛び回ったビジネスマンだったというのである。
「南米はいいぞ」などと遠くを見つめ大物ぶる。
高卒の工員に過ぎぬ空に、こんな話をする勝也は明らかに老いを持て余している。
直後の別の老人のセリフで勝也の大言がホラ話に過ぎなかったことが暗示される。
おそらく、人生で一度もいい目を見なかったであろう老人はこんなことをいう。
野崎高義(上田耕一)のセリフである。

「俺はむかしの話ってのが大(でえ)嫌いなんだ。
若いときはこうだった、ああだったって、半分ウソばかりの話を並べてよ。
だれもそんなもん聞いちゃいねえよ。
それがわからねえような年寄りにはなりたかねえんだ」


そうはいっても老人には若者にかける言葉がないのである。
老人は若者と交流しようと思ったら物に頼るしかない。
物に頼って人間関係を構築してきたのが古い人たちである。
老人二人はよかれと思って電子レンジを若いカップルにプレゼントしようとする。
空と同棲しているのは南レモン(杏)である。
話はそれるが、とうとう山田太一ドラマにも空やレモンといった
DQNネーム(おバカな名前)が登場するようになったかと感慨深い。
親の顔がわかる実に現代的な名前といえよう。
さて「キルトの家」の老人は二人で重い電子レンジを若者の部屋に運んでいくのである。
玄関先で――。

老人「レンジをね、ひとつ上げようと思って」
レモン「あら」
老人「少々贅沢でも使えばいいや、な?」
レモン「ごめんなさい」
老人「え?」
レモン「いま、ちょっとまえ、リサイクルショップで7500円で買ったのが届いたんです」


いまや物はあふれているため物で若者をどうこうしようと思っても無理なのだ。
レモンは「キルトの家」の人たちを怪しく思い自治会の副会長に逢いに行く。
「キルトの家」とは店名で、住人だった老夫婦はいま二人とも入院している。
このため空き家となったこの店に、
管理人代わりに集うようになった老人たちが「キルトの家」メンバーだ。
自治会の米川淑子(余貴美子)は、
「イライラしてくるの」と「キルトの家」のメンバーを評する。
花の台団地の自治会と「キルトの家」は対立していたのである。

対立の内容は、いかにも山田太一ドラマらしい理想と現実の衝突だ。
自治会は現実派である。
この団地は老人ばかりになったから新たなシステムを自治会で考えた。
若い人になにかしてもらったら250円を支払うというシステムである。
専用のクーポン券も準備した。
しかし、「キルトの家」の人たちはこのシステムをよしとしないのだという。
あの連中はこんな理想論をいうのである。
「老人を助けてっていうより、若者にまず好かれるのが先だろう」
「老人がいる団地っていいなと思われるほうが先だろう」
だから、「キルトの家」の人たちは空とレモンのカップルに親切にしていたのである。
「キルトの家」の主張はこうだと自治会副会長はレモンに説明する。
「他人を部屋に入れたくない」
「倒れたって自分一人で死ぬ覚悟はできている」
「元々一人になりたくて東京に出てきたんだ」
副会長は「そんなことは自分がまだ元気だからいえるのだろう」と批判する。
現実を見ろ。本当に身体が動かなくなったらどうする? これが現実だ。
「すぐ歩けなくなること、すぐ寝たきりになること、認知症になること。
どうしてすぐ自分に起こることを(「キルトの家」の人は)見ようとしない?」
「イライラしてくるの」と副会長はいう。

ある晩、空は一人で「キルトの家」に行き老婆二人から言い分を聞く羽目になる。
最初の会話が切ない。
どうせ勝也に逢いに来たのだろうと老女は皮肉とも自嘲とも取れる言葉を投げかける。

老女「私らなんかに逢いたくないもんね」
空「――(苦笑)」


たしかにそうで、もう役に立たない老人に若者は逢いに行く理由がないのである。
老人は物でもあげれば若者から好かれるのではないかと期待する。
けれども、若者はそもそも老人から好かれたいと思う理由がないのだ。
別に老人から好かれなくても一向に構わないのだから。
さて、「キルトの家」は変人、ひねくれもの、ゴロツキの集まりらしい。
その本音はこうである。自治会の正論にはついていけないという。
もちろん、老人は弱い。でも――。
「弱いもんでも助けを求めるとは限らないの」
「いよいよになっても死んでも助けなんていらないと思っている人もいるのよ」
「年寄りは死ぬことをそんなに怖がってへん」
「自治会でね、死ぬより生きてるほうがええ、公平に助け合おう、
なんていってるけど、あいつを助けるのは嫌だ、助けられるのはもっと嫌だって」
要約すれば「老人だからといってひとククリにするな」である。
とはいえ、こんなことを聞かされても困惑するばかりの空であった。

ところが、空にも老人を頼りにするときが訪れる。
レモンが家を出てしまったからだ。
実のところレモンは空の兄の妻だった。空は兄嫁を寝取ったのである。
二人は駆け落ち同然で家を飛び出してこの団地に流れ着いた。
空は兄と逢わないというレモンとの約束を破ってしまう。
このことに気づいたからレモンは家を出て行ったのである。
レモンを失いパニックに陥った空は夜半に勝也の部屋を訪問する。
どうしたらいいでしょう? なにか感じ取っていませんか?
「バカヤロウ!」
調子のいいときだけ老人を頼るなとでもいうように勝也は空を拒絶する。
かくして「バカヤロウ」で始まった(駅改札で怒る老人!)ドラマは、
おなじセリフの「バカヤロウ」で幕を閉じるのである。

さて、「キルトの家」後編で山田太一はどんな解決を我われに示してくれるのか。
小説「空也上人がいた」では老人に自殺という選択を決断させた脚本家である。
そう、残酷な話だが高齢化社会を乗り越えるには自殺という道もある。
先のない老人には動けなくなるまえにみずから死を選び取っていただく。
だが、まさかテレビドラマではこういう過激な主張はできないだろう。
(「空也上人がいた」は実際かなり危険な思想を内に秘めていたのだ)
では、「キルトの家」の結末はどうなるか?
実のところ、このドラマの結末、作者の思う理想郷は最初に出現していたのである。
ドラマ冒頭、「キルトの家」の人たちが集まり物故者の写真を焼く。
このとき念仏を唱えるものがいた。それから題目を唱えるものがいた。
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の合唱でドラマ「キルトの家」はスタートしたのである。
あたかも脚本家は、死んでしまえば念仏も題目もないといっているかのごとくだ。
これこそ自身ももうすぐ死んでしまう老作家の抱いた夢であろう。
死んでしまえば思想や信仰の対立などにそう大した意味があろうか。
「キルトの家」後編では老人のうちのだれかが死ぬような気がする。
人生のあらゆる問題は生きているうちにはほとんど解決を見せない。
唯一人生に解決があるとすれば、それをもたらすのは死である。
自他が死ぬことによってしか解決しない問題に人生はあふれている。
いいかえれば、どんな問題も死が解決してくれるということだ。
人は死ぬ。なぜか。人は老いるから死ぬのである。
ならば、人は生まれるから死ぬ。いま生きているから死ぬ。難しいことはなにもない。

*音楽がよかった。いや音楽もよかった。
私見では、もっとも好演していたのは南大地(空の兄)役の俳優さんである。
あ、わたしにいちばん年齢が近そうだからかもしれない。
まあ、杏のような美人を一度でも妻にしたのだから、
南大地さんはどんな災難にも辛抱すべきでしょう。
兄が大地で弟が空か。どんな顔をした両親だったのだろう。くすくす。
「異人たちとの夏」(山田太一/新潮文庫) *再読

→久しぶりに山田太一さんの代表作を読み返す。
これはシナリオの技術で書かれた小説なのだとすぐに気づく。
ご存じのように、シナリオというのはセリフとト書きからできている。
セリフの一種に主人公の気持を表わすナレーションというものがある。
シナリオのお約束ではむかしからナレーションはあまり使ってはいけないことに
なっているのだが、そこは天才脚本家の山田太一で常識にとらわれない。
氏のむかしのドラマにはナレーションを多用したものがいくつもある。
このナレーションとは、小説における心理描写と等しい。
山田太一はナレーションをふくらますことで脚本家から小説家になったのだ。
とはいえ、根っこにあるのはむろんシナリオ作法である。
通例としてト書きは簡素であればあるほどいいとされている。
このためだろうが、「異人たちとの夏」でも風景描写は極めて薄い。
人物描写も特徴となるワンポイントを指摘するくらいにとどまっている。
脚本家が「異人たち」の姿かたちをこと細かく描写するようなことはない。
回想シーンもきちんとあるのだからまったくシナリオ的である。
たとえば、帰りのタクシーに乗ってから死んだ父母と再会した様子を描く。
たとえば、ベッドで目が覚めたところからなにがあったか思い返す。
純粋な小説家ならあまりこういった回想はやらないのではないか。
小説はナレーションで書くもの、というのは勉強になった。

これだけ山田太一を研究しているものが再読するといろいろわかるものだ。
「異人たちとの夏」は作者の「母、恋し」の物語なのではないか。
脚本家は少年期に母と死別している。
きょうだいが多いためあまり構ってもらえなかったそうだ。
母との縁が薄いことを見つめて書かれたのが「異人たちとの夏」だと思う。
そうだとすると、この小説の心臓となる部分はここではないか。
主人公はあたかも山田太一を思わせる48歳の脚本家である。
12歳のときに両親を交通事故で亡くしている。

「子供のころ、強行軍の遠足から帰って、
日本軍の雑嚢(ざつのう)で母がつくったランドセルをそこらにほうり、
シャツもズボンも靴下も脱ぎ捨てて畳にころがり、
すべての身構えや警戒心を解いて、
夕食の支度をする母の後姿を見ながら、うとうとしてしまう。
それに似た快い感覚が、あの夜の私の内部を満たしていた。
十二歳以後の私には、ほとんどそういう記憶がない。
無論かつての妻との間では緊張を解いた時間がいくらでもあったが、
保護されているという快感はなかった」(P74)


かりにここが「異人たちとの夏」の心臓であるとするならば、
心臓から血流はどこに向かうかといえば死んだ両親との別れのシーンだろう。
どういう作用によってか知らないが、脚本家は死んだ両親と再会することができた。
しかし、本来ならありえない関係である。ふたたび別れなければならなくなる。
このとき父が自分にこういってくれる。
脚本家はここをいちばん書きたかったのではないだろうか。
すき焼き屋で父は息子の脚本家を「こいつ」なんて仲居の女性にいう。
こいつは「十二で両親に死なれてさ」――。
「苦労したの。よくやったよ。よくやった、えらいよ」
脚本家は親戚もいたからと謙遜する。それでも父はほめてくれる。
「それだって、大半は一人よ。一人で頑張った。
今はな、ここへ来て、いくら牛肉食ってもいいっていう。出世したもんだよ」
自分の出世を心から喜んでくれる人間なんて実は両親くらいしかいないのである。
その両親がいないと、さみしい。母がいなくてずっと孤独だった。
死んだ母に「よくやった、えらいよ」と脚本家はいってもらいたかった。
いや、母にではなく父にだが「異人たちとの夏」でいってもらったのである。
脚本家が意識的にこのシーンを書いたのではなく、
母の声を実際に無意識ながら創作中の山田太一は聞いたはずである。
きっと「異人たちとの夏」を書きながら作者は深い幸福を感じたことだろう。
「よくやったよ。よくやった、えらいよ」
たとえ出世をしてもだれもほめてくれるものがいなかったら、
むしろむなしく、孤独で、さみしいものなのかもしれない。
出世をすることで反対に一人になるようなこともあるのだろう。
しかし、脚本家は一人で「異人たちとの夏」を書いた。

山田太一節をいくつか引用しておく。
この人はほんと言葉はよくないけれどクソ庶民なのだと思う。
いいのか悪いのかおかしな影響を受けている。

「それにひきかえ、現実は野菜がのぞいているビニール袋だ。
「そんなもんだ」駅へ向かいながら、私は苦笑した。
そうそう簡単に人は死なない」(P30)

「ひき返しても、たいした人生があるとも思わなかった」(P100)

「われながら想像が過ぎるが、ひどいことを考えておく方が、打撃が少ない」(P113)

「このまま自覚なしに、ある日、死んでしまうのなら、
それも仕方がない、という気がした。
死んだ両親と逢えた人間があまり欲を出してはいけない」(P140)

「長い歳月の関係ならともかく、浅いつき合いで、
このように深く心をこめてくれるケイに、私は諭されたような気がした。
人というものを、安く見すぎていた。女というものも」(P150)

「しかし、お門違いじゃないか。赤の他人が酒の誘いを断ったからといって、
道連れにしようというのは、滅茶苦茶じゃあないか。
もっとも、人生なんて、そんなもんだともいえるけど」(P207)


「お父さんの地下鉄」(山田太一/「ドラマ」1981年8月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。昭和56年放送作品。東芝日曜劇場。
福岡市の交通局で心ならずも一般事務職員をしているお父さん(38)の話である。
かつては路面電車の運転士をしていたが、地下鉄に代わってしまうことになった。
事務職など大嫌い、電車の運転が好きだったお父さんは、
なんとしても新しくできる地下鉄の運転士に選ばれたいと思っている。
そのための職場での苦労、妻と娘がいる家庭内でのいざこざがドラマの主な内容である。

貧乏も人の死も壮大な夢もないのに、実に味わいのあるドラマになっている。
地下鉄の運転士になりたいとは、言い換えれば、ちょっと出世をしたい程度の望み。
ほかの人から見たら、まあ、どうでもいい話なのだが、
実のところ我われはそういうところで生きている。小さなエゴで生きている。
このお父さんにはもうひとつの小さな悩みがある。
これはもう悩みなのか自慢なのかわからない。
奥さんが加賀まりこ(32)なのである。きれいだし、そのうえあたまがいい。
教えるのもうまく、近所の子どもを集めて私塾のようなものまでしている。
いいこと尽くめではないか、と思うのは実生活を知らないインテリの考え。
お父さんの男としての顔が立たないのである。
仕事先では慣れない事務職のため計算や書き仕事でミスを連発。
そのお父さんが家に帰ってきたら、加賀まりこが算数を教えているのだから。
これではまるでダメな亭主と賢妻で、やる瀬がないではないか。
小市民は世間体を気にする。よそからどのような目で見られることか。
脚本家はプラスのなかにひそむマイナスに敏感である。

お父さんの努力は実り、みごと地下鉄の運転士に選ばれた。
東京まで研修に行くお父さんは鼻高々である。
プラスのなかにもかならずマイナスはある。
福岡に戻ってきて、開業前の地下鉄運転準備におお張り切りのお父さん。
しかし、実際は技術が進歩したため、電車を運転する必要がなくなっていた。
運転士の役目はただボタンを押すという、まことやりがいのないものになっていた。
夫の上司からそのことをこっそり教わった加賀まりこは一計を案じる。
もしこのことをお父さんが知ったら、どんなにがっかりすることか。
またお父さんの男としてのプライドが傷ついてしまう。
加賀まりこは「負けた」とウソをつくのである。
自分のためではなく、他人のためにつくウソは優しい。
加賀まりこは夫の顔を立ててやる。
宿直明けでまだ寝床の夫に妻は私塾をやめるという。

朋子「負けたんよ」
勝利「負けた? 誰に?」
朋子「うち、お父さんが、事務とってた頃、なんか頼りのうして。
 仕事でも持たんと、どうなるかっちゅう気のして、はじめたばって」
勝利「どうせ、頼りなかよ、俺は(寝る)」
朋子「そうじゃなか。いまのお父さんには、うちは、とっても対抗出来ん」
勝利「なんも(と照れくさくフンという顔)」
朋子「仕事に打ち込んで打ち込んで、魅力たっぷりや」
勝利「よういうばい(とごろごろする)」
朋子「ほんなことよ。いまのお父さんなら、うち意地はらん。
 頼りきって、可愛か奥さんでいたか」
勝利「おうおう、よか年してェ」
朋子「頼りたかよ。男らしかお父さんに、ズドーンと頼りきって、
 よかお父さんばい、よかお父さんばいって、ただ思うていたかよ」
勝利「なんの事や? 一体?(と起きる)」
朋子「なんのて、ただ、それだけの事ばい(と目を合わせられない)」
勝利「それだけて(どうも割り切れない)」
朋子「うちは、いまのお父さん、ほんな事立派だと思うとる。
 たとえ、その、やったことが無駄になったって、ようやったと思うとる」
勝利「無駄? 無駄ってなんのことや?」
朋子「よう立派に研修受けて、素晴らしかったて、思うとる(ととびついて行く)」
勝利「(ひっくりかえり)なんや、朝から」
朋子「(やたらのしかかって抱きついて)好きや。好きや、好きや」(P34)


数日後、お父さんは妻の言葉のほんとうの意味を知って帰ってくる。
張り切って運転するつもりでいたら、仕事はボタンを押すだけだったのである。
お父さんは一号車の運転士に選ばれ、多くの人に見守られるなか花束をもらう。
一見すると、スポットライトを浴びる華やかな場である。
しかし、栄えある一号車を始動させる際、
ボタンを押すお父さんの胸に去来していたのは喜びよりもむしろ苦渋だったはずである。
山田太一は「お父さんの地下鉄」のなかでプラスにひそむマイナスをうまく描いた。
時代はどんどん進歩して便利になっていく。
しかし、それはプラスばかりではなく、かならずマイナスもあわせもっている。
同様にマイナスのなかにも思いがけないプラスが目をこらせば見えるのではないか。
脚本家・山田太一の社会および人間を見通す眼力である。
「読んでいない絵本」(山田太一/小学館)

→三島由紀夫や大岡昇平、小林秀雄が好きだった美青年は、
教育学部を出たら学校の先生にでもなって小説を書くつもりだった。
それがどうしてか松竹に入社して、のちにテレビライターとして独立することになる。
まったく夢などかなっていないのである。
山口瞳がエッセイ「男性自身」に「人生は仮り末代」と書いている。
仮り末代とは、「仮に住んだつもりが、そのままになってしまうこと」。
「ま、人生なんて、そんなものさ」という庶民の言葉だ。

もし山田太一が人生計画通りに教師をしながら小説を書いていたらどうなっていただろう。
資質と合わない(?)純文学的なものを書いただろうから(わからないが)、
いまのように大成しなかったかもしれない。
いや、学生時代にも小説コンクールで佳作をとっているから、
文学の世界でもいいところまでいったという可能性も否定できない。
しかし、いまほど多くのファンを持つ国民的作家にはなっていなかっただろう。
少なくとも、なろうと思っていなかったのはたしかだと思う。
とはいえ、いまのように大御所脚本家になるのが幸福かはわからない。
テレビドラマは多くの視聴者に見られる(見てもらえる)。
必然としてレベルの低い批評に何度も傷ついたのではないか。
見てほしいと思っている識者からは見向きもされず落胆したかもしれない。

そのうえ、である。
どうして教壇の机でこっそり懸賞小説を書いている教員が不幸と決めつけられようか。
傷つきやすい優しさを持った人間は無名で終わったほうが幸福かもしれないのだ。
いまのライターが脚本家として山田太一の地位まで到達することはないと言い切ってよい。
しかし、多くのライター(志願者)があこがれるこの大御所脚本家は、
断じて人生が思うようになったとは考えていないはずである。

「人生というものはそういうものなのだろう」(P16)

「本当と嘘とテキーラ」(山田太一/小学館)

→テレビドラマシナリオ。
3年前の放送を視聴したとき、これは本当らしくないと批判したものである。
娘に自殺された母親の立ち直るのが早すぎる。
その娘に「死ねば」と言った同級生の少女が、なにも心的障害を患わないのがおかしい。
これはわたし自身が自死遺族であることからの批判である。
つまり、体験(=実感)からフィクションであるドラマを裁いた。
さて3年経ってからシナリオで読むといささか考えが変わっている。
まあ、こういうのも本当らしく思えるのかなという感じがした。
さらに進んで、こういうことも現実にあるのかもしれないとまで思いを改めた。

いったい本当のこととはなんだろうか?
たとえば、そう、ありそうもない話をひとつ作り出してみよう。
無職で人生に絶望している32歳の男のまえに、
いきなり綺麗な女性が現われ「あなたが好き」と言ってくれる。
もしこんなストーリーのドラマを書いたら、そんなことあるわけないと批判されるだろう。
それはまったくそうで、わたしもこの話は都合よすぎると思う。
でもさ、現実にはこういうことがあるかもしれないじゃない。
いろんな人生があるんだから、こういう話が実際にあるかもしれないわけでしょう?
しかし、本当にありうることでも、
ニートがいきなり女性から告白される話は嘘くさいとほとんどの人に支持されない。
人生は不可解のひと言に尽きるから、本当ならなにが起こってもおかしくはないのだが。
だって、現実に3億円宝くじに当たっている人がいるんだから。
それに比べたら、キモオタが美女に告白されるほうが確率的には高いんじゃないかな。
いろんな嗜好の女性がいるわけだからさ。

こう考えていくと、現実ってなんだろう? 本当ってなんだろう?
本当は嘘くさいことがばんばん起こるのだが、
それをフィクションで書かれると我われはこんなこと現実にはないと批判する。
さも訳知り顔で、現実を隅々まで調査したようなことを言う。
しかし、我われが現実や本当と思っていることは、その人の経験した実感でしかない。
「こんなことは現実にはない」というのは実のところ誤りで、
正しくは「こんなことは自分の現実にはなかった」という感想の表明に過ぎない。
若者にとっては「こんなことは自分の現実にはありそうもない」かもしれない。
どういうことかと言うと、人間は他人の現実がわからないのである。
どうしようもなく自分の現実に縛られてしまう。
もっと言うなら、自分の現実以上に、通念によって捕われているのかもしれない。
ドラマ「本当と嘘とテキーラ」で言うなら、
自殺した娘を生前に母親が嫌っていたという話を通念から拒絶してしまう。
「母親は娘を愛しているのが本当だ」という通念でドラマを裁いていい気になっている。

本当のところは、他人の現実なんて知りようがないのだろう。
他人が本当になにを考えているのかは、なかなかわからない。
たとえば、奥さんを亡くした中年男がいるとする。
周囲の人々は中年男の気持を想像して、かわいそうだと同情するだろう。
年少者は年少者で、通念からこの中年男のことを気遣う。
だけどさ、本当はこのオッサンがなにを考えているか知れたもんではないじゃん。
若いときはもてなかったけれど、年輪を増して渋みが出てきたころかもしれない。
妻が死んで本心では「若い子となんかないかな」と期待していることだってありうる。
色目を使ってくる部下の女性との情事をさっそく妄想しているのかもしれない。
まさかラッキーとは考えていないだろうけど、悲しみ一色ではない可能性は否定できない。
いや、あんがいラッキーと思うことだって人間ないとは限らない。
リアルっていうのは、そういうことだと思う。
そして人一倍、ドラマのリアルにこだわったのが脚本家・山田太一である。
余談だが、いま放送している「家政婦のミタ」とかになると、
はじめから嘘っぽいから、だれも「こんなこと現実には」とか言わないわけね。
あれも自死遺族を扱っているけれど、
明らかな嘘という設定だからわたしも傷ついたりはしない。

こんなことを考えたのは、
今年新宿で行われた山田太一さんのトークセッションで聞いた話がきっかけ。
脚本家がふっともらしたのね。
「ドラマなんて、そばにガンの家族がいるだけで、
たいしたことのない闘病ものにわんわん泣いちゃうもんですから」
ぜんぜん正確ではないけれど、こんなようなことをポロっと仰せになったのを記憶している。
このとき、まったくそんなことはないのだろうけれど、
えらく自分を批判されたような気がした。
体験(実感)や通念に縛られて、ものを浅くしか見ていなかったのではないかと反省した。
反省とまでいったら大げさで、いい子ぶりが過ぎるような気もするけれど。
いや、実際3年まえに比べたら少し丸くなっているかもしれない。
(丸くなっちゃいけないのかもしれないけれど)
さらに付け加えるなら、
この3年間で本当なら起こらないはずの嘘くさいことをいくつか経験したこともあって、
「本当と嘘とテキーラ」の感想が変化したのだと思う。

「大人は、ゆっくり、変るんです」(P220)

(参考)過去の感想↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1665.html

「黄金色の夕暮」(山田太一/小学館)

→芝居台本。温厚に微笑む山田太一さんの裏メッセージを紹介しよう。
あくまでもこれは高名な山田先生のご主張であって、
愚かなわたしごときの考えではない(=慣れない自己保身をやってみた)。
以下「黄金色の夕暮」の裏メッセージ。
――美しい「黄金色の夕暮」なんて一瞬なんだからな。綺麗事を言うなよ。
結局、人生は金じゃないか。企業人は出世がすべて。それから保身。
おい、だから甘ったれた綺麗事を言うなよ。本当は金、出世、保身。
テレビ局のプロデューサーがシナリオ学校でいい気分の主役顔で講演する。
「いいドラマを作りたい」
サラリーマンの綺麗事を真に受けてっと、さらっと足をすくわれるからな。
編集者だってそうよ。「いい小説を世に出したい」
そりゃあ何割かの本心ではあるのだろうが、
人間は綺麗事がすべてだって思っていたら痛い目に遭うと思え。
編集者なんて新人の原稿を勝手に書き直すくらいなんとも思ってないんだからな。
サラリーマンの出世欲の強さ、保身の素早さを舐めたらいけない。
他人に期待するな。人間なんていざとなったらなにするかわからんもんだぞ。

この芝居のなかでいちばんうまいとうなったところを紹介する。
銀行支店長の花岡雅之はあせっている。
総会屋にこっそり渡した裏金のことを東京地検に嗅ぎつけられたからだ。
雅之は検察の家宅捜索を受ける。証拠のフロッピーを持っていかれ万事休す。
翌日、検事の内田隆志が花岡家を訪問する。個人的な用件だという。
脅えつつもなんだろうと思う雅之と妻の睦子である。

「隆志 迷いました。考えました。その上でとうとう、お尋ねしてしまいました。
雅之 はい。
隆志 (くだけて)まいったねえ、まったく。
雅之 (人払いをした方がいいと思い)お茶をやっぱり貰おうじゃない。(と睦子へ)
睦子 (察して)ええ――。(と台所へ)
隆志 (顔を伏せている)
雅之 検事さん。
隆志 内田です。いまは内田といって下さい。
雅之 はい。率直に申します。秘密厳守いたします。いかほど御用立てしましょうか。
隆志 ―――。
雅之 御遠慮なくおっしゃって下さい。
隆志 いかほど――?
雅之 お困りなんでしょう? 誰だって、そういう時はあります。検事さんだからって。
隆志 なにをいうか! なにをいうか、君は。(と立つ)
雅之 はい。
隆志 いやしくも、東京地検の検事を、君は、金で篭絡しようというのかッ!
雅之 決して、そんな――」(P79)


この間合い、このやり取りは山田太一さんにしか書けないとうっとりする。
人払いをするところも芸が細かくて実にいい。
そして、さらりとなんでもないことのように「いかほど御用立てしましょうか」。
「ビジネス心理学の巨人」内藤誼人氏の成功本にも書かれていたが、
賄賂(裏金)をいかにうまく受け渡しするかがビジネスの要諦なのだろう。
賄賂は向こうから言われるまえに渡すのがビジネス成功の秘訣らしい。
その呼吸、間合いをほとんど虚業の山田太一さんがどうしてこうもうまく描けるのだろう。
虚業というのは侮蔑用語らしいので作者にまず失礼をお詫びする。
しかし、虚業家の実業を見透かす視線はまこと本当っぽいので驚く。
もしかしたら脚本家というのは虚実を扱う、いうなれば虚実家なのかもしれない。
山田太一さんが描くのはことさら本当らしく思える嘘なのだから。
「黄金色の夕暮」からいくつかセリフを引こう。

「大きな銀行になれば、株主総会に持ち出されては困ることは、どうしても出て来る。
金銭を動かしてるんだ。なにもかも綺麗というわけにはいかない」(P58)
「物事にはなんでも裏があるのさ」(P59)
「テレビがやらない現実はいくらでもある」(P75)
「人間のやることなんて、どうせそんなもんだもの」(P101)
「たしかに、うちの小さな不正融資が目をつけられたのは不公平だが、
どうせ人生は不公平なもんだ」(P101)
「どこだって、上司と合わなきゃ、そういうめにあうんだよ」(P115)
「悪いことがあると、いいことが沢山ついて来るの」(P139)


最後のひとつだけどちらかといえば嘘に属する言葉である。
本当のセリフの洪水のなかにポイと嘘を放り込むのが、
山田太一さんのドラマ作法なのだろう。つまり、この劇作家の生き方なのだろう。
作家は「金、出世、保身」だけではないと人間の生き方を見ているのだろう。

10月15日、溝の口の高津市民館大ホールに山田太一先生の講演を聞きに行く。
テーマは「いま生きていること」。
以下に再現する講演会の内容は、すべてを未熟な聞き手の頼りない耳に依っています。
どこかおかしなところがございましたら、あらゆる責任はこの記事の書き手にあります。
とくにこの日は風邪を引いていたため自己の記憶力にあまり自信がありません。
山田太一さんはこの近くにお住まいなのでローカルネタが多く、
地名等あまた誤記があるかと存じます。先にお詫びを申し上げるしだいです。

弦楽四重奏団「タマーズ」のすばらしいご演奏のあと10分間の休憩を挟んで、
お待ちかねの山田太一先生による講演が始まる。

――僕はこの近くに住んでいまして、よくこのへんをふらふらしているんですが、
いつも、その、首を引っ込めて歩いているようなところがあります。
でも、震災がありまして、ほら、「遠くの親戚よりも近くの他人」とか言いませんか。
いざとなったときは助けてもらおうと思って(場内笑)、
今日はこうして断わりきれずに、このような講演をしているわけです。
下作延に小学校があるんですけど、そこの校歌をむかし作詞したことがあります。
その関係から、運動会、入学式と招待状が来るのですね。
何度か行ったこともあります。
すると、このあたりをぶらぶら歩いていますと、小学生から挨拶をされます。
こっちはいろいろ考えごとをして歩いていますから、
うっかり気づかないことがあるかもしれない。
そうしたらせっかく挨拶してくれた子どもを傷つけてしまいますでしょう。
そんなこともあって、僕は、なるべく目立たないよう、気づかれないよう、
この地元で、ほんと首を引っ込めて暮していますですね。

今日お話しするのは「いま生きていること」なんですが、
むかしTBSで「高原へいらっしゃい」というドラマを書いたことがあります。
音楽は小室等さんにお願いしました。
演出家の高橋一郎さんが、こんな提案をするのですね。
音楽に合わせて、毎回違った詩を流してみましょう。
そういうわけで谷川俊太郎さんに、その詩をお願いしました。
「生きる」というのは、そのときの詩のなかのひとつです。
これは「いま生きていること」という一文から始まるのですね。
いま生きているとはどういうことか、ひとつひとつ付け加えられていく。
あれはホットパンツだったかな、いや、ミニスカートだ(場内笑)。
いま生きていること、それはミニスカート。
こういうふうにいまがひとつひとつ増えていくわけです。
いま生きていること――。

3月の地震、それから津波はすごかったですね。
僕なんかは古い人間だから、戦争のころの焼け野原を思い出しました。
津波で、ああいうふうに一瞬ですべてなくなってしまうんですね。
ただこういうことを言うのは不謹慎かもしれませんが、唯一よかったなと思ったのは、
他国からの爆撃ではなかったことです。
もしですよ、あれが、たとえあの1/10だとしても、
他の国の爆弾にやられたのだとしたら、我われはもうその国を許せなくなったでしょうね。
いまの流れを見ていますと、もしあれが爆撃だったら、
もうこの国に戦争への抑止力はないと思う。
やられたらやり返せということで、とことんまでブレーキが利かなかったでしょうね。
津波に続いて原発の問題もありました。
どうなんでしょうかね、原発は。
コストがかかるのがわかってしまったのですから、やめればいいとも思いますが。
しかし、原発でまだ死者は出ていませんが、津波で大勢がお亡くなりになりました。
まったく不平等、無差別に人は死ぬ。津波であたらめて気づかされましたですね。
いちばん大切なものはなにか?
この問題を我われは津波から突きつけられたような気がします。
生きていればいい。生きているというのがどのくらいすごいことなのか。
とはいえ、あれからもうだいぶ時間が経ちまして、我われはそうではないのですね。
生きているだけでいいとはあまり思えなくなっている。
どうしていい会社に入れなかったのだろう。うちの子はあの大学に入れたかったのに。
もうこんなことを思っていますですね。
小じわが増えた、あらどうしよう、なんて(場内笑)。
あの震災をテレビでしか体験していないものはとくにそうです。
これが東北の人だとまた話は違うのでしょうが。
テレビ体験は、すぐ熱が冷めると申しましょうか、どうしても我われは、
ただ生きていればいいとは思えなくて、
なんだかんだと虚栄心を問題にしてしまいますですね。
生きていればいいってわけにはいかない。

震災のとき、家族の絆、なんてこともだいぶ言われました。
ああ、家族が生きているということがどれほどありがたいか。
ふだんは、あいつ大嫌い、とか言っているのがですよ。
嫁と姑になると、殺してやりたい、とまで思っているのかもしれない(場内笑)。
それがああいう非常時になれば、がらりと変わってしまう。
非常時というのはそういうものなのですね。
僕なんかは子どものときに終戦を経験しましたが、あれも非常時でした。
爆撃で焼け野原になって、米軍が上陸してくるという。
すると大人は竹やりの訓練をしたりする。竹やりで米軍兵士をやっつけよう。
常識的に考えたら、竹やりなんかで米兵に勝てるはずがないんですけれど、
そんなことを非常時はやっていましたですね。それから、食べるものがない。
非常時というのはぎりぎりのときです。
ここにゴッホの絵がある。ここにお米がある。
どっちが大事かって言ったら、そりゃあお米なんですね(場内笑)。
そういうときはゴッホの絵なんかより、お米のほうがはるかにありがたい。
しかし、ぎりぎりのときは長く続きません。
そうなると、くだらないことを言い始めるんですね。
いま円高だから海外旅行に行こうか、とか。
韓流スターのだれそれが来るから見にいこうか、とか(場内爆笑)。

イギリスの作家がこんなことを言っています。
いや、こういう言い方はよくないな。E.M.フォースターという人です。
「いつも戦争があったら文化なんて育ちようがない」
こういうことを言う背景として、しょっちょう戦争をしているんですね。
しかし、どっかで終わっている。次の戦争までの「間」がある。
この「間」に文化が生まれているとフォースターは言うわけです。
ピカソもそうだし、ダビデやミケランジェロもそうではないか。
生きていれば幸せというのはたしかにその通りです。
しかし、「生きていれば幸せ」だけでは、文化は育たない。
隣のうちのゴミの出し方が最悪でほんと困っちゃう。
知り合いがタナボタで幸福になって、なんだかむしゃくしゃする。悔しい。
あんがい、こういう取るに足らない日常の不満から、
人類の文化なんていう大げさなものが発展しているのかもしれませんですね。
テレビで「なんでも鑑定団」という番組がありますでしょう。
骨董を集めている人がいる。あんなの津波が来たらどうなると思いますか(場内笑)。
いえ、きっと集めている人もわかっているんですよ。
おれ、いったいなにをやっているのだろう、なんて。
でも、集めてしまう。山のように集めてしまう。
これが人類の文化につながるのかもしれません。

震災が起こったとき、日本がひとつになって、
なんとかして被災者を助けたい、助けよう、という気になったでしょう。
あれはとてもいいことだと思いましたですね。
なかにはひねくれて、助けようとなんか思わなかったという人もいるかもしれませんが。
いまはともかく、そのときは、みんなが被災者を助けようと思った。
それはめったにない貴重な経験だったと思います。
テレビのコマーシャルでタレントが、
「みんな、ひとりじゃない」と呼びかけるようなものもありましたですね。
偽善じゃないか、と思った人がいるかもしれません。
それから、こういうこともありました。
スポーツで勝った人が言います。被災地に元気を与えたい。
歌で被災者に勇気を与えたいと言う人もいました。
元気や勇気は人から人へ与えられるものではないのではないでしょうか。
結局は被災した人たちが自分で取り組んでいくしかない。
ですから、元気を与えたい、勇気を与えたい、
ああいうのは、僕は、どこか上から目線のような気がしてむかつきました。
というのも、突き詰めたら人の痛さはわからないでしょう。
歯痛ひとつとっても、いっしょに痛むわけにはいきません。
それに、基本的に好意には文句を言えないというところがあります。
有名人が避難所に物資を持っていって言う。「みなさんを助けに来ました」
もしかしたら、被災者のなかには「どうしておまえにおれが助けられるんだよ」
と思っていた人もいたかもしれません。いや、いないかもしれませんが。
とにかく、避難所の人は「ありがとう」としか言えないのです。

(突如、長い沈黙。スイミングアイ=目が泳ぐ)
(場内ざわざわ)
(おそらく逐一その場で考えながら論理的に順序だててお話になっているから、
わずかな矛盾にもご自身が最初に気づいてしまい、こういうことが起こるのでしょう。
それだけこの問題は難しい=言葉にしにくいのかもしれません)

震災のときのボランティアはとてもいいと思いましたですね。
被災地に行ってボランティアをしたら「ありがとう」って言ってもらえたと喜ぶ。
「ありがとう」って言ってもらいたくてボランティアをした。
こういうボランティアはほんとうにいいと思いました。
どうしてかというとエゴが入っているからです。
漠然と「みんなを助けたい」というわけではない。
だいたい「みんなを助けたい」なんておかしな話ですよね。
「じゃあ、今夜おれを泊めてくれ」と言われたら、どうするのか。
「それは違う」とか逃げるわけでしょう。「そういう意味じゃない」とか。
「まずは日赤を通してくれ」なんて言うかもしれない(場内笑)。
震災があったからなにもしないというのでなしに、
フラメンコでもなんでも文化サークルでやるのはとてもいいと思いますですね。
フラメンコをすることで、広い意味で、社会がうるおっている部分があると思う。

(ここから少し溝の口、下作延界隈のローカルネタ続く)
話はがらりと変わりますが、ねじめ正一さんの書いた小説「荒地の恋」を読みました。
「荒地」というのは戦後、鮎川信夫、田村隆一、北村太郎らが始めた詩の雑誌です。
やはり詩を書く人というのは独特なものがあるのでしょう。
北村太郎が友人だった田村隆一の奥さんを取っちゃうのですね。
一方の田村隆一さんも負けていなくて、新しい恋人をすぐに作るのですが。
この本はほんと見てきたようなことを書いているので驚きましたですね。
で、田村隆一さんは恋人と同棲をするのですが、
それがなんと下作延なのです(近所なので場内どよめく)。
40年(?)まえの下作延になるのでしょうか。
田村さんは下作延をどう言っているのか。「こんなひどいところはない」(場内悲鳴)
そこまで言うことはないと思いますがね(ちなみに山田さんのお住まいもこの界隈)。
その後、田村さんは久方のほうに移ったのでしたか。
そこもよくないと言って、最後は鎌倉のほうに行ってしまいます。
それはちょっとないよな、と僕は思う。
パッと見ただけではわからないけれど、下作延にもいいところはたくさんあります。
近所にふたつ小さな公園があるけれど、あのよさはなかなかわからないでしょうね。
よく見ていると四季おりおり、ハッとするような美しさを見せることがあります。
溝の口駅の近くに踏切があるでしょう。あの踏切なんかもほんとにいい。
お爺さんが孫と踏切でぼんやり電車を見ている風景なんか心からいいと思いますね。
きっと孫が走る電車を見たがっているのでしょう。
「もう一本だけ見たい」なんて孫が言って、いつまでもふたりで踏切のまえに立っている。
こういう光景をいいと思いませんか? 僕は嫌いじゃないですね。
田村さんはわからなかったかもしれないけれど、溝の口のよさがいくらだってあります。

僕の家は、ほら、火葬場が近くにありますでしょう。
小さいころの娘から言われたことがあります。
「お父さんよかったね。死んだらすぐ行けるじゃないって」(場内笑)
溝の口のよさはそれだけではありません。
渋谷からほどほど離れているのもいいと思いませんか?
だって、渋谷に住んでいたら、ドアを開けたらすぐ渋谷になるわけでしょう。
そんなの渋谷に行く楽しみがなくなるじゃないですか。いつも渋谷なんですから。
渋谷に行くのに川を渡るのもいい(二子玉川のこと)。
というのも、川岸は建物がないから、鉄橋を越えるときぱあっと世界が広がる。
僕はもうずっとここに住んでいますが、すごい選んで買った土地ではないんです。
でも、よく言うでしょう。聞きませんか?
買うまえは欠点を探せ、買ってからはいいところを探せ。

多くのことはすぐにはわからないのかもしれない。
この「こと」というのは値打ちのことです。
多くのものの値打ちはすぐにはわからない。
だから、僕は、あれをおかしいと思うんです。
テレビで、タレントがなにかものひと口食べただけで「うまい」と言うでしょう。
あれ、おかしいですよね。そんなにすぐにわかるものか。
いえ、もちろん裏事情はわかりますよ。
「まずい」なんて言ったらディレクターから叱られちゃいますもんね。
とはいえ、ひと口たべただけで「おいしい」と言うのはやはりおかしい。
外国人が納豆を食べたときのことを考えてみたらわかるはずです。
すぐに納豆を「おいしい」と思う人はまずいないでしょうね。
だんだんと、ああ、こういうのも「おいしい」か、
とわかってくるようになるのだと思います。
なかにはいつまで経っても納豆を「おいしい」と思えない外国人もいるでしょうが。

僕は古い人間だからかもしれませんが、チーズ。
チーズなんか初めて食べたときは、なんてまずいもんだと思いましたですね。
こんなもん、ほんとにうまいのか?(場内笑)
そのうち少しずつ、ああ、こういうものなのかとわかってきましたが。
ワインもそうじゃないですかね。
いろいろなワインがありますけれど、最初からなかなかわからないでしょう。
だんだんと区別もわかってくる。違いもわかってくる。
急いでしまうとわからなくなると思いますですね。
どんどん軽薄になるばかりではないでしょうか。
万事がそうで、いまという時代は急ぎすぎる。
なでしこジャパンに国民栄誉賞が与えられましたが、あれは必要だったのですかね。
オリンピックまで待ってもよかったのではないか。
だって、国民栄誉賞なんて最高の賞でしょう。
逆にプレッシャーになるのではないかと思いますがね。
それに、あんなに早く国民栄誉賞を取ってしまったら、その先どうすればいいんです?
王さんといっしょだって、あんな若いうちから言われても、ねえ?
まあ、菅さんが辞めるまえになにか目立つことをしたかったのかもしれませんが。

長持ちしない時代を生きている、と思いますですね。
そうそう、アップルの偉い人が亡くなりました。
あれはスマホでしたっけ? すごい行列をしていました。
あれもこれも、すぐ古くなってしまう。愛している暇がない。
傷がついたりする暇さえないのかもしれません。
タレントの消費もすごいスピードでしょう。
科学技術が商売と結びついてしまっているから、変化がびっくりするくらい早くなっている。
新幹線が開通したとき、伊左衛門さんがこう言ったという話を聞いたことがあります。
新幹線はあっという間に目的地に着いてしまいますでしょう。
伊左衛門さんが言うには、「乗っている時間が短いのにどうして高いのか?」(場内笑)。
電車に乗っている時間が楽しいのに、
どうして時間が短くなったのに反対に高い料金を支払わなくてはならないのか。
価値観の問題なんですね。どこに価値を置くか。

若い人の本をたまに読んでみようと思って本屋に行くとないんですね。
アマゾンで探せばすぐに買えますよ、なんて教えてもらう。
でも、それは違うんです。探したいんです。探すプロセスを大切にしたい。
ある本を探しているうちに思いがけない本を発見することもありますしね。
かえってそっちの本に夢中になってしまって、
目当ての本は読まないで放ってあるということもある(場内笑)。
不便ということは、感情を育てると思いますですね。
食べ物だってそうでしょう。いまはお取り寄せグルメとかいって、なんでも食べられる。
しかし、なかなか食べられないからこそいいんです。
恋愛だってそう。
「好きです。つきあってください」と告白して、相手が「はい、いいですよ」。
これじゃ、つまらなくありませんか。
相手が「ちょっと待って」とか言ってくれたほうが、いろいろ考えますよね。
どうしようか。こうしようか。ああしようか。
こういう過程で感情が育っていくのだと思います。

手に入らないものが、我われをうるおしてくれるのかもしれない。
むかしの白樺派の人たちは、ゴッホの白黒の絵しか見られなかったそうです。
きっと思ったことでしょうね。いつか本物を見たいもんだ。
ところが、いまの我われはどうでしょう。
美術館に行かずともハイビジョン映像できれいに隅々まで見ることができます。
そこまでは見たくもないっていうくらいの細部まで見てしまいます。
実際に本物を見ても見ないようなところまでハイビジョンで見てしまう。
すると、どうでしょう。パリに行っても大して感動しない。
こんなもんか、なんて思ってしまう。
もしかしたら、到達するまでのじれったさがいいのかもしれない。
到達するまでいろいろ考えるのが楽しいのではないか。
たとえば、モナリザはほんとうに美人か? とか(場内笑)。
モナリザは美人なんですかね。
モナリザの微笑とか言いますけれど、あれはほんとうに笑っているのか。
ちょっと得体の知れないところがあると思いませんか。
しかし、わからないところ、得体の知れないところがいいのかもしれない。
いまはなんでもすぐにわかってしまいますでしょう。
わからないほうがかえっていいのかもしれませんね。
お経なんかも意味がわからない。
ただなんだかありがたいものだと思って聞いています。
それでいいのではないでしょうか。
意味なんか知っても、あんがい大した意味がないのかもしれない(場内笑)。
いや、わかりませんよ。意味があるのかもしれませんよ。
しかし、お経には意味を求めていないところがどこかしらありますよね。

わからないものを、わからないまま受け入れる。
人間関係なんかもそういうところがちょっとあるように僕は思いますですね。
ずっと逢わないでいるといい友だちっていませんか?
たまに逢うとすごくいい友だちです。
あんまりコミュニケートしないからいい友だちになっている。
これがひんぱんにコミュニケートすると友だちどころか嫌なやつになってしまう。
本当に言いたいことは言わない、という人間関係はいいと思います。
言いたいことがあるけれども、最後まで言わない。
じゃあ、どうするかというと黙ってそばにいてあげる。
がんばれ、とか言わない。黙っている。
沈黙は成熟した言葉なのかもしれない。
「黙っているけど、こいつ、なに考えてるんだ?」
と思われるだけかもしれませんが(場内笑)。
生身の人間というのは言葉どおりにはいきかせんからね。
ドラマを書くというのは、頭の中でいろいろシュミレーションしてみることです。
たとえば、そう、飲み屋で政治家を批判しているような人がいたとします。
なーに野田(首相)のバカヤロウ、小泉(元首相)のアホンダラ。
しかし、こういう人でもいざ町で小泉さんと向き合うような場面になったら違うんですね。
「ずっと尊敬してました」とか握手を求めたりする(場内爆笑)。
人間ってそういうところがありますよね。

むかしコンビニのドラマを書いたことがありますが、
最近になってまた改めてコンビニを取材したんです。驚きました。
泥棒、強盗、万引はしょっちゅうというんですから。
コンビニは1日に3回レジをしめるんですってね。
でも、ある現金と売っているものが一致しないのが当たり前というんです。
一致したら3人で拍手するというくらいめずらしいと聞きました。
年寄りのお客が警察に通報してくれと来ることもあるらしい。
万引をしていないのに、万引をしたといって警察に通報してほしいとお願いされる。
いちいち万引をするのも面倒だから。こう言われたんですって。
なぜかというと、刑務所に入りたいんですね。刑務所に行けば三食食べられますから。
これを聞いたときにはドラマに使おうと思いました。
こうしてばらしてしまったから興が冷めてしまいましたが(場内笑)。
いまはインターネットの情報が多く、
検索すれば「コンビニの事情」なんてすぐ出てくることでしょう。
でもやっぱり生身の声はすごいと思いましたですね。
生身の人間はちょっと想像の及ばないところがあります。

新しい情報に合わせていこう、合わせていこうとするのはよくないと思います。
これは僕が古い人間だからかもしれませんが。
日常からチョイスをする、ということをおぼえたほうがいいと思う。
僕はいまだに原稿用紙に手書きで書いています。
きっと鉛筆で書いて消しゴムで消すというプロセスが好きなんでしょうね。
適応が早すぎるというのもどうかと思います。
こうしたら効率よく早くできるという方法をどんどん押し進めていくとどうなるか。
仕事が早く終わります。余暇ができる。
今度はその余暇をどう効率的に埋めるか、なんて考え始めるとおかしくなってしまいます。
余暇を埋めるのが大変だ、なんて悩みが出てきてしまうかもしれません(場内笑)。
生身に適したスピードというものがあるような気がします。

いまの日本はどん底じゃないと思いますですね。
みなさんマイナスのことを言い過ぎるのではないでしょうか。
いまがどん底? ぜんぜんそんなことはありません。
病気になったら、病院に行って薬をもらえるでしょう。
病気になっても薬がない時代もあったんです。
むかしフランスでカミュがこういうことを言ったそうです。
「いまのフランスは地獄ではなく天国ではないか?」
というのも、当時の主流派はサルトルなんかで、サルトルはさかんに言うわけです。
いまのフランスは地獄だ、どん底だ、マイナスだ、ダメでどうしようもない。
またそういう意見のほうが大衆に受け入れられるのですね。
これとおなじことがいまの日本でも言えるのではないでしょうか。
震災のとき、コンビニから一斉にものがなくなったことがありましたね。
コンビニに所狭しとものがあるのが当たり前だと我われは思っていたから驚きました。
いまはもうすっかり戻って、お店に行けばなんでもあります。
いますごくいい状態にあると考えてみたらどうでしょうか。
どん底なんてとんでもない話で、むしろ天国に近いほうにいる。
いえ、そのせいでかえって文句を言いたくなるというようなところがあるのでしょうが。
しかし、文句というのは自分を棚に上げて言っているところがあると思います。
常に自分だったらどうか、を考えるべきです。
自分だったらどうかを考えたら、そんなに文句ばかり言えるものではないと思う。
東京電力が槍玉にあげられていますが、
もちろん原発にかかわってきた人は批判されなければなりませんよ。
でも、東電にも罪がない人がいるでしょう。
東電だからということでみんないっしょくたに非難するのはどうかと思いますね。
自分が東電の社員だったら、どうしていたか。

この「自分だったら」を考えることから自責の念というのが生まれると思いますですね。
生きているということは単純ではなく、善も悪もふくんで我われは生きています。
善だけでは生きていけないところがあります。
人の恋人を取った。保身のためにだれかを傷つけた。
どうしようもなくそういうことが人生にはあります。
いまの人はあまりにも自責の念を持たな過ぎるような気がします。
自責の念なんか忘れてしまえ。人間なんて図々しいもんだ。
こう開き直っている人が多く、それが当たり前のようになっている。
しかし、自分の傷つけた人が死んでしまったら、もう取り返しがつかないんですね。
あやまろうと思ってもあやまることができない。
ヘンリー・ミラーの「南回帰線」にこういうシーンがありました。
子どもが複数で石を投げるいじめをしていて、ひとりの子どもが死んでしまうんです。
だれの投げた石が当たったかはわからない。
小さい村のことだからなかったことにされてしまう。
でも、ヘンリー・ミラーとおぼしき少年はずっとこのことに悩んで生きていきます。
大人になってあるとき旧友と再会する。
そこで「むかしあんなことがあったな」と事件の話をするんです。
「あのことだけは忘れられない」と。
けれども、相手はそんなことがあったのをまるで憶えていなかった。
これだけの話なんですが、
自責の念を持っているというのは質のよい生き方だと僕は思います。
自責の念は、人間を知るよすがになるのではないでしょうか。
もちろん、そんな敏感じゃ生きてられないというのも、それはそうなんでしょうが。

(終了時間が近づく)
来年、俳優座で「日本の面影」が再演されます。
紺野美沙子さんがハーンの妻をやるそうです。
だから、いいかなと思って「日本の面影」の本をサイン会用に持ってきました。
本を売ってもいいと言われたので、とりあえず家にあるものから。
(ちなみに、もうひとつは最新小説「空也上人がいた」)

逆転の発想をするといいと思いますですね。
少し反対グセをつけるように意識しているといいのかもしれません。
いつもみんなとおなじように考えていたら、
いざというときにも戦争反対のような声をあげられなくなりますから。
それでは時間が来ましたので――(万雷の拍手)。

聴き手:土屋顕史(Yonda?)

(編集後記)
いつものことですが、山田太一先生がお話になっていないことも、
こちらの思い込みでだいぶ聞き取ってしまったのではないかという危惧を持っております。
もしご本人のお目に触れたら、「僕はこんなことを話していない」と怒られそうです。
そういうものだとご認識のうえ、どうかこの記事をお納めくださいませ。

(参考)過去の山田太一講演会↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-2595.html
「嫁ぐ娘、嫁がぬ娘へ」(山田太一編/筑摩書房)絶版

→結婚はしたほうがいいのか、それともしないほうがいいのか。
ふたりのお嬢さんがいらっしゃる父親の立場から、
もし娘にアドバイスを与えるなら、といった前提で編まれたエッセイ・アンソロジー。
しかしまあ、恵まれた人もいろいろたいへんなのだろう。
結婚すべきかどうかさんざん迷わなければならないのだから。
こちらはそんな相手が現われる見込みがないから楽である。迷わないで済む。
「結婚する/結婚しない」ではなく「結婚できない」――。
選択肢の多い恵まれた人生もそれはそれで難儀でございますね〜、
と第三者的な冷ややかな心持で読了する。

山田太一さんの流儀(脚本術)のまねをして人の気持になってよくよく考えてみたら、
もてる人は思った以上に人生で苦労を味わうのではないか?
というのも、もてる人は結婚相手の選択肢が多いわけである。
だれを選んでもいいとなると、これはしんどいだろうね、くすくす(←性格わるっ!)。
ふふふ、大勢から選べるのはひとりだけというのは相当に厳しいのではないか。
なぜならもし人生がうまくいかなかったときに、
他の人を選んでいればよかったと過剰に後悔する羽目におちいるからである。
この点、選択肢がひとつしかなかったら仕方がなかったと早々とあきらめることができる。
だれにも聞かれていない自分語りをすると、わたしは向こうありきだからね。
選択肢なんてほとんどないようなもの。
もし好意を持ってくれる異性が現われたら、これは奇跡だと思って飛びつく。
どのみち正体がばれて早晩去っていくのだろうと思いながら。

まあ、これは山田太一さんに教わった人生作法でもあるのだが、期待しない!
なにごともこれに尽きるよね。
いつも最悪の事態になることを考えていたら、
どんな現状にも「ま、こんなものか」とあきらめられる。
思えば、人生なにひとつ思い通りにならなかったけれど、ま、人生そんなもんだよね。
まさか結婚が思うようになるとはこの期に及んで思っていないしさ、ヘヘン。

「家族はどこへいくのか」(河合隼雄・谷川俊太郎・山田太一/岩波書店)絶版

→本書は1999年に小樽市民会館で行なわれた文化セミナーを再録したもの。
テーマは家族である。
父と母がいない人間はいないのだから家族は普遍的なテーマのひとつ。
山田太一さんによると、
「どうしても自分を棚にあげられないというあたりが家族論の楽しさ」とのこと。
たしかにそうで、本書でいちばんおもしろかったのは、
山田太一さんのプライベートの話である。
親子関係、夫婦関係――(ぶっちゃけ親子喧嘩、夫婦喧嘩です)。
ある文庫本の解説で山田太一さんが河合隼雄さんのプライベートを
覗き見したいと書いていたが、どうして人間は好きな人のことをより知りたがるのだろう。
本書における三人の鼎談で、
まあ、山田太一さんが自分の家族のことをかなりあけすけに語っているわけだ。
へえへえ、そうなんですか、と大笑いしながら読んだ。
ここで紹介してもいいのだが、
最近さすがに寄る年波にはわたしも勝てぬようで分別らしきものが生まれてしまったのだ。
つまり、10年以上もまえの口頭でのご発言をネットでおおやけに晒してしまったら、
山田太一さんのご迷惑になるのではないか。
そのくらいネタとしてはおもしろいのである。
(なんてここまで書くと実際にお読みになってがっかりされる方も出るかもしれませんが、
ファンには山田太一さんとお嬢さんの関係はウヘエというくらいおもしろいのです)
それでもまあ、このくらいだったらご迷惑をかけないだろうというあたりを――。

「僕は、子どもが小さいときに、
パパは電話の声を相手によって変えると言われまして、
それ、すごく刺さったんですよ。
でも、すぐ対抗して、どの人にも同じ態度で対する人の方が愚かな人だと言って、
なんとか切り抜けたのですが、
でもやっぱり目上の人に電話でおじぎしたりしていましたので、
やはり恥ずかしいと思いましたね」(P197)


どんな偉い人も家族のまえではいろいろと隠せないものがあるのだろう。
逆にいえば、外に出たらかなりのことをごまかせるのではないか。
ただし、どんな偉人も天才も、その威光は家族にだけは通用しない。
だから、家族はおもしろいのだろう。
この家族の楽しさを裏表、天井底まで知り尽くした脚本家だからこそ、
数々の名作ホームドラマを書くことができたに違いない。