「井上靖全集 第25巻 エッセイ3」(新潮社)

→全集第25巻は井上靖の美術記事が中心に収録されている。
井上靖の京都大学での専攻は美学で、毎日新聞でも長らく美術記事をしており、
当時の画壇とも通じていた。
わたしは音感、語感はともかくとして美感はまったくといってよいほどなく、
絵を見て感動したことはほとんどないし美術館に行くこともない。
先日、富士美術館に寄ったのだが、
千円も払って古刀なんて見たくないと入場しなかった。このへんがお育ちの問題で、
美術がわかる人を見ると高貴なお生まれのような人の気がする。
美術鑑賞の基本はこういうことなのだろう。
戦前、毎日新聞の美術記者だった井上靖の書いた文章を引く(昭和18年)。

「古いもの、新しいものを問わず、現代人が美術作品に関心を持ち、
それから何ものかを求めようとしていることはれっきとした事実である。
美術作品のみが持つ、観るものの心を高めてくれるもの、
慰めてくれるもの、鼓吹してしてくれるもの――
そうしたいろいろの美しさを人々は求めているのである。
一言の文句もいわずに、その前に立つだけで
人の心に滲み入ってくる謙虚な話し方、
それでいて他の何物よりも強く働きかけてくる不思議な力、
そんなものが現代人の多忙な心に、大きい魅力となっていることは不思議ではない。
この激しい事実の世紀に処し、光輝ある耐乏の生活を闘い抜くために、
確りと自己を支えるものとして、人々は意識すると否とを問わず、
美術作品の内に持つ永遠なるもの、
芸術的な永遠の生命に激しく惹かれているのである」(P372)


この文章を読んで影響を受け、家にある版画集やら写真集を持ち出してきて、
一丁前の感動をしようと思ったが、この絵はいいとかわからないで、
いくらするんだろう、なんぼや? という庶民的視座から離れることはできなかった。
とはいえ、庶民に芸術的な永遠の感動が必要なのも理解できなくもない。
このまえ花見で、職場でお世話になった59歳の独身男性に、怒らないで、と聞いた。
毎日、なにがおもしろくて生きているんですか?
「仕事がおもしろいよ」って言われて、内容を聞いたら時給千円の単純労働。
本当にそれがおもしろいんですか? と畳みかけたら、相手は言葉を詰まらせた。
「毎日、おもしろくないよ。なんにもないんだもん。くそおもしろくもねえ」
しかし、人生そんなもの。生きていくとは、そういうこと。
これは山田太一ドラマから学んだことである。
上記したものと正反対の生き方が、芸術家的な人生である。
井上靖はいう。

「芸術家も、文学者も、芸術家として、文学者として生きるということは、
己が人生を制作によって刻むことであろうと信じます。
自分が生きた証しを、一歩一歩、制作という形で彫り、
刻むことであるに違いありません。
大芸術家はみなそのようにして生きた人たちであります。
成功も、不成功もありません。立派さがあるだけです。
私もまた文学者の端くれとして、氏[『大同石仏』の前田青邨]にあやかって、
そのような道を歩きたいと思います」(P224)


とはいえ「生活者/表現者(芸術家)」の区分でいまから見たら、
井上靖の人生は芸術家のそれではなく、処世をうまくやった生活者の顔をしている。
井上靖には妻や子ども、愛人、同業者というしがらみが多すぎた。
最前、井上靖を生活者の顔といったが、どんなものが芸術家の顔なのか。
セザンヌといわれてもわたしはひとつも絵が思い浮かばないが、
井上靖によると、セザンヌこそ芸術家の顔という。

「私は芸術家の顔では、セザンヌの顔が好きである。
「自画像」のセザンヌもいいが、
パリの印象派美術館にある写真のセザンヌの顔はもっといい。
傲岸(ごうがん)、不信、拒否、猜疑(さいぎ)、そんなものの固まりのような、
見るからに気難しい髭面(ひげづら)の老人である。
その写真を見た時、このような面魂(つらだましい)で対象を睨(にら)まなければ、
人間であれ、自然であれ、あのように相手の核心に迫り、相手の持つすべてのものを、
あのように愛情深く摑(つか)み出すことはできないであろうかと思った。
セザンヌもそれぞれの時期で、対象への対(む)かい方が謙虚になったり、
烈しくなったりしている違いはあるが、一貫しているのは、
常にどの作品からも対象に対する愛情深い眼を感ずることである。
恐ろしいほど対象をよく観ていることである」(P622)


これはスウェーデンの劇作家のストリンドベリや、
アメリカのノーベル賞作家のユージン・オニールの顔に通じている。
自分が見えなかったら、相手が見えるはずがない。
むかし脚本家の山田太一さんが講演会で言っていたが、
「まず自分を愛せなかったら、他人なんか愛せるわけがないじゃないですか?」。
他者を愛することへの根本は自己愛にあるのだろう。
井上靖によると、ゴッホは自画像をよく書いたという。その数40枚である。

「ゴッホが最も関心を持ったのは自分自身なのだ。
自分でもどうすることもできなかった自分を、
結局は自らの手で生命を断つ以外仕方なかった自分を、
ゴッホはふしぎなものを見詰めるような思いで描いているのである。
(中略) 彼は自分の仕事のことしか認めていない。
彼は世間普通の人として生きる時間も、
常人のいわゆる休養の時間も持たなかったのである。
彼は希望に燃えているか、苦しんでいるか、絶望しているか、
そうした時間しかなかった。
この《自画像》はそうした男の顔である。
内に狂気を持ち、それを無比な冷静さで見守っている男の顔である」(P162)


ゴッホみたいな孤独と狂気、歓喜、絶望を生きるよりは、
平々凡々と会社勤めをして、レベルにあったカーチャンでもゲットして、
毎日なんだかんだとありきたりな愚痴を口にしているほうがはるかに幸福だろう。
芸術なんか目指すものではないし、おそらく天才稼業ほどしんどいものはない。
レオナルド・ダ・ヴィンチを天才として、井上靖は以下のような天才論を述べている。
レオナルドは男色だったのか、生涯独身だったが女を知っていたのか、
ということから始まり、男の宗教や信仰、大量の学術研究の意味等、
さっぱりわからないが、いったいこれはどういうことなのだろうか?
わからないことづくめである。あるいは、と井上靖は思う。

「私たちが判らないのと同様に、レオナルド自身判らないかも知れないのである。
天才というものは自分でも理解できない混沌たるものを自己の内部に詰め込み、
それに動かされている人であろうからである」(P124)


「井上靖全集 第24巻 エッセイ2」(新潮社)

→井上靖全集のこの巻は、作家の小説作法の開示がおもしろい。
小説は文章で書かれるが、価値観は人ぞれぞれだが、
井上靖はどのようにいい文章というものを見ていたか。それは正確な文章だという。

「私は現在、一番簡単なこととして、正確、的確な言葉を、
文章にはめこむことを心掛けている。
薄暮、黄昏(たそがれ)、夕刻、夕方と、いろいろな言葉があるが、
ごく普通の散文の場合、夕刻か夕方をとる。
余分な情感が入って来ないからである。しかし、勿論(もちろん)、
時と場合では、薄暮が必要な時も、黄昏の必要な時もある。
面倒臭い、大儀、億劫(おっくう)、――同じような意味内容であるが、
これを一つの文章にはめ込む場合、どれを選んでもたいした違いはない
という考え方は許すべきではないと思う。
「面倒臭い」がいいか、「大儀」がいいか、「億劫」がいいか、
あるいは多少異なった使い方で
「懈怠(けたい)」といった言葉を持ってくるべきか、
――この中におそらく一番文章を安定させ、
生きたものにさせる言葉があるに違いないのである」(P640)


井上靖は詩作から文学を始めている。
「言葉、言葉、言葉」と言ったのはハムレットだが、語彙が肝心なのだろう。
「しかし」「けれども」「とはいえ」「だが」「がしかし」「でも」でもおなじことが言える。
うまい文章の書き手にはたとえば絶対音感のような、
絶対語感が必要とされているのかもしれない。語彙を増やすには本を読むしかない。

次に小説はどこからやって来るか。井上靖は偶然だという。

「小説の材料というものは、私の場合偶然に向うからやって来る。
私ばかりではなく、他の作家の場合でも、大抵作品の材料というものは、
向うから勝手にやって来るものであろう。(中略)
向うから材料がやって来る以外、
つまり自然に自分が書きたいと思う気持が生れる場合以外、
作家は筆を執ることはできない。
若(も)し自分が無理にこしらえ上げた材料で筆を執った場合、
その作品はまず例外なく失敗である」(P484)


作家は待つのが仕事。似たようなことは山本周五郎も言っている。
締切の関係で悠長に待っていられない場合は、
井上靖の場合、読書や旅行をすると、なにかが向うからやって来るという。
あるいは本当の創作の母は締切りかもしれない。

「……私の場合、締切りがあるので、ともかく作品が生まれている。
締切りがなかったら、私のような怠惰な人間は、
一作生むのも容易なことではないかも知れない。
私の場合、どの作品も締切り日を目指して書いている。
締切り日までに何日か余裕があるといった状態で、
作品の最後の行を書き上げたということは殆(ほとん)どない。
これは必ずしも短い日数でぎりぎりのあわただしい仕事をしているという
許(ばか)りの意味ではない。余裕が何日あっても、
結局最後は同じ状態になってしまうようである。
作品から離れるのは締切りの日である」(P454)


しかるがゆえに、このため、こういう事情で――。

「締切りがないので、なかなか一作が生めないでいる作家志望の人は、
いまでも随分多いのではないかと思う」(P455)


人気作家の小谷野敦さんは締切りのだいぶまえに書き終わっていると聞くが、
かなり最初から計算して、その計画通りに書いているからではないかと思われる。
完全な事実を書くだけの私小説ならば、作品内で人物は勝手に動き出さない。
しかし、フィクションの場合はそうではないと井上靖はいう。
作中人物が勝手に動き始める。どうしてそうなるのか?

「大体作家は一人の人間を造形するのに、
会話や、その仕草(しぐさ)表情を書いて行くが、
不用意にさせた会話とか、不用意にさせた小さな仕草のために、
作中人物の性格は予想していた性格とは
かなりかけ離れたものになり勝ちである。
初め予想した性格とは違った性格の人物が小説の中へ登場してくる場合もある。
人物の性格がずれれば、当然その人物の行動というものもずれてくる。
作中人物は作者の生み出したものではあるが、生み出された途端から、
自分の呼吸の仕方で呼吸し、自分の歩きたい方向に向かって歩き出す。
容易に作者のいうことをきかない鬼子になってしまうものである」(P465)


井上靖の作中人物はほとんどの場合、モデルがいるという。
ただし、フィクションの小説ゆえモデルをそのまま使うわけではない。
まずはじめにどんな人がモデルになるのか。

「その性格について、あるいはその所行について、
どうしても理解し難い人物にぶつかると、その人物を書いてみたい気持が起ってくる。
(中略) 男でも女でもいいが、一人が他の異性に心惹かれるということは、
大抵どこか相手に判らない点があるからである。
その判らない部分を、自分こそ相手の内部へはいり込んで埋めてやろうと思う時、
恋愛感情の最初の出発はあると言っていいであろう。
何もかも向こう側まで透いて見えて、すっかり判ってしまう相手に、
人は心惹かれないものである。
その反対に、何もかも、相手の全部が判らないといった場合もあるが、
その場合は、これは初めから恋愛の対称というものにはなり得ない。
無縁の人物であると言うほかない」(P550)


魅力的なモデルに出会い作中人物にする。
井上靖の場合、本当か嘘かはわからぬが、女性はモデルにならないらしい。
理想の女性像が高すぎるのだろうか?
しかし、井上靖は愛人の白神喜美子の存在を終生隠していたから、
どこまでが本当の小説作法かはわからない。
モデルにするとはどういうことか。

「さきほどモデルにするということは、相手の心の内側へ入りこんで、
相手の心の動き方を、自分の心の動き方として書くことであります。
書くのは自分の心の動きであります。
そして、モデルの心の動き方を書いていく、こういうことになります。
書こうとしているのはモデルの心でありますが、
本当に書いているのは自分の心であります。
従って少し大げさに言いますと小説の中の人物というものは
男を書こうが女を書こうが、
多かれ少なかれ作者の分身であると言えます。
作者の一面をどこか託されて、そして小説の世界を生きていく、
これが小説の中の人物であります」(P584)


しかし、それはむかしの神視点(全体目線)の小説ではないか?
いまは「太郎は花子のことを見て、こう思った」のワンカメラ小説が主流のはず。
「そのとき花子はじつはこう思っていた」と書いたらインチキくさくなるのではないか?
むかしの小説は平気でそういうことをやっていたが。
安吾くらいまでなら複数視点小説があったと記憶している。
主人公目線の小説で、相手の心理は書かないのがいまのルール。
むろん、ルールを壊してはいけないという絶対の決まりはないし、
手紙形式にしたら複数目線(視点)ができる。
ドラマや映画の場合、逆に一人目線だと退屈になる。
井上靖は仏教用語でいう十界互具や一念三千のようなことをいう。

「……モデルを使うということは、モデルを使うことによって
小説家は自分でも知らない自分の心の中に隠れていたあるものを
引っぱり出し、それを書くということであります。
そうでありますから、願わくば私は自分の中にいろんなものが
いっぱい詰まっていればいいと思います。
きたない面もほしいし、いい面も、きれいな面も、みだらな面も、
欲の深い面も、金遣いの荒い面も、何もかもがいっぱい詰まっていれば
非常に都合がいいわけであります。
そしてモデルを捜しては、そのモデルの力によって自分でも気づかなかった
自分の心のある面を引っぱり出し、
そしてそれを小説の中の人物へ託して書いて参ります」(P585)


自分のなかに男も女も、仏心も大悪も、淫蕩も潔癖も、絶望も希望も、美も醜も、生と死も、
――数えきれないものが入っているほうが作家としては強いのだろう。
その作家の複雑な心が読者の心と共鳴したとき、
うまくいけば感動が生まれるのかもしれない。
小説は作者と読者の心の会話なのかもしれない。だとしたら――。

「私は小説を書く場合、ほとんど登場人物の顔、形については言及しておりません。
表情でさえもまた極く大掴みにしか説明しません。
その方が読む方では自由なイメージが作りあげられるようです。
煩瑣(はんさ)な容貌姿態の説明はかえって読者に煩わしいと思っています」(P476)


菊池寛が言ったという、小説は40歳から書くべきもの。
この言葉が井上靖のある種の心の支えになっていたようだ。
40を過ぎて小説を書き始めた井上靖は述懐する。

「小説を書く以外、もう私には別段他に何も面白いことはないようである。
小説の形で自己を表現したい欲望だけが、ただ一つのものとして、
私に残されている」(P437)


「文学とは、それ以外の何ものも出来ない人の仕事である。
私は幸か不幸か、数少いそんな人間に生まれついて来たようである。
[文学志望だった]みんな転向した中に、
私一人が転向できなかった。そんな気持である」(P442)


「井上靖全集 第23巻 エッセイ1」(新潮社)

→10年まえ師匠ぶった老女から「謙虚になれ」と怒鳴られたことがあるが、
ここは謙虚になって文豪の井上靖の言葉を拝聴してみようではないか。
井上靖はあるとき、20歳くらいとおぼしき思い詰めた少女から、
講演会終了後に「あたしはもう文学をするしかないんです」と相談を受けたという。
井上靖は文学少女に嫌悪感はさらさら感じず、むしろ好ましいものを感じたという。
微笑ましく思った。しかし――。

「文学するということは何らかの意味で自分をぎりぎりの立場に立たせることである。
人生へのスタートを切った許(ばか)りの
年若い少年や少女にそうした立場が与えられようとは思わない。
彼等はまずそうしたセットに自分の周囲に築かねばならないのである。
私を訪ねて来た少女は何年かして本物の絶望に対(む)かい立つかも知れない。
結婚し、子供を産み、いろいろな人生体験を持って、ふと文学以外
この世に為すべき仕事はないと思うような瞬間が見舞ってくるかも知れない。
そしてその時、なお彼女が文学する気持を失っていなかったならば、
彼女は初めてその時文学する立場に立ち得るわけである。
その時はそれ以外に実際にどうすることもできないからである。
私には、その少女の、映画のセットのように造り上げられた人生への絶望が、
必しも他の場合の嘘のように不快には感じられなかった」(P535)


口調こそ優しいが、書き写すとけっこう辛らつなことを言っているような気もする。
若くてかわいい金持の女の子が文学するなんて言うもんじゃないぜ、とも聞こえる。
井上靖いわく――。
「彼等はまずそうしたセットに自分の周囲に築かねばならないのである」
これはおのずから不幸の獣道(けものみち)に入って行けと言っているに近い。
よく知らないが、いま文学をするというのは、
大学院へ入って小説を書けない評論家の教授からセクハラされることなんでしょう?
批評理論とか構造とか、わたしもよく知らないので書けないのだが。
井上靖は少年のころから文学への志を持っていたという。
そのことを厳しい伯父に言うと男は優しく励ましてくれたらしい。

「お前は文学が好きらしいから文学をやるつもりかも知れんが、
まずめしは食えんと思わねばならぬ。(……)
――文学もいいだろう。医者になって貰えなくて両親は嘆くだろうが、
まあ、それもいいだろう。人に理解されず、一文(もん)にもならぬ
しち面倒臭いことを書くのも面白いかも知れぬ。やんなさい」(P48)


井上靖の文学への目覚めは中学時代に国語の授業で
谷崎潤一郎の「母を恋うる記」、芥川龍之介の「トロッコ」を読んだことだという。
どちらもまるで「自分のことが書かれてるのではないかと思った」。
「自分の分身」を発見したような気になった。
繰り返すが、「自分の分身」を発見したことで文学のおもしろさに井上靖は気づいた。
井上は高校時代は柔道に夢中になり、
そこで出会ったTという先輩に努力量が諸部を決める寝技の柔道をやろうと誘われた。
井上靖はそれに賛同し寝技ばかりやったが、そこで現実を知る。なぜなら――。

「T自身、三年間猛練習したのに拘(かかわ)らず、
彼は三年の時の一番大切な試合に中堅級の選手として出場して敗(ま)け、
彼が敗けたことが全体の敗因を作ってしまった。
試合に敗れた時のTの顔を、私はいまも思い出すことができる。
彼はその時何も言わなかったが、その時のTの顔からも亦(また)、
私は大きいものを貰っている。人間はいくら努力しても、
敗れる時は敗れるのだということをTは身を以て経験したわけで、
それはそのことに対する怒りと絶望の顔であった。
この時、Tの若い者としての夢は破れ、
現実の冷たさが彼の眼に白い牙(きば)をむいたのである。
人生というものがどううものか、その時Tも知ったであろうし、
また私もTに依って、そのことを知らされたのであった。
私の若い友達の中で、最も懐しい友の一人である。
彼が生きていて、当時のことを話し合えたらと思うことが屡々ある」(P61)


「人間はいくら努力しても、敗れる時は敗れる」――。
そういう冷たい現実にどう向き合ったらいいのか。
井上靖の好きな言葉はまえにも紹介したが「養之如春(ようしじょしゅん)」である。
之を養うや春の如し。

「私はこの「養之如春」を自分流に勝手に解釈して何事にも当てはめている。
また何事に当てはめても、そのまま通用する言葉である。
春の光が万物を育てるように、凡(およ)そ人生の事柄というものは
気長にのんびりとやるべきである。
一朝一夕にそれを育て上げる態度をとるべきではない。
愛情を育てるにも、子供を養育するにも、病気を直すにも仕事をするにも、
宜(よろ)しく春の光が万物を育てるが如くすべきである。
私は温室栽培も、促成栽培も嫌いである。
春の光に依って、徐々に、昨日よりは今日、今日よりは明日と、
次第に大きく育って行ったものが好きであるし、
自分がものを育てる場合も、そうした態度が好きである」(P586)


のんびりしている「とりとめもない」ときに創作のアイディアは生まれるという。

「……小説を書く上に、ものを考える時間が一番大切であるからである。
暇な時間ができたから、さあ、ものを考えようといった、そういう考え方ではなく、
自然に向こうからやって来る思いを、ごく自然に受けとめて、
その中にはいって行くことができるようなそんな時間が欲しいのである」(P443)


ファンだから記録しておくと煙草は1日に50本。
朝食も昼食もほとんど取らず、夕食に1日の栄養をすべて取るという。
酒は日本酒を1本か2本で銘柄は白鹿。外食時はそうではない。

「私は酒を飲み出すと、出てくる料理を片っぱしから平らげる。
酒を飲み出すと、何でも美味く食べられるが、美味いものが沢山出た方がいい。
その点甚だ野暮ったい酒飲みである。
だから肴のない酒もりなど、私には意味がないし、味気ない。
大体料理を食べ終って、もう料理はたくさんという頃になると、
日本酒を洋酒にきり替える。ブランデーでも、ウイスキーでも、
料理など見向きもしなくなってから、うまく飲めるし、気持ちよく酔える。
よくしたもので、オードブルは日本酒は日本風の、
洋酒は洋風のものがいい。洋酒は生(き)で飲む。
水やソーダで割ったのは飛行機の中だけ」(P638)


満腹になってから酒なんか飲んだってうまくはないと思うが、人それぞれか。
「沢山」と「たくさん」の同時表記は原文のママ。
原文は「酒」とかいう出版社もわからぬ雑誌に掲載されたもので、
こういうものは新潮社さまの校正者は統一したくならないのだろうか。
いや、しなくても別に構わないのだが、ちょっと気になった。
このあと24巻、25巻と続きます。

「井上靖展 詩と物語の大河」(神奈川近代文学館)

→2003年に神奈川近代文学館で開催された井上靖展の図録である、
ひとつまえの記事で紹介したものよりもだいぶ薄手になっているから、
やはり作家は死ねばだんだんと影響力は落ちるのだろう。読者世代も老いて死ぬ。
医者(軍医)の息子だった井上靖には教養があった。
というよりもむしろ、教養を身につけるだけの遊びをする余裕があった。
教養は学ぶものではなく、遊びながら自然に身につくものだと思う。
うちは焼鳥屋でバブルの影響もあってかなり教育投資をしていただいた。
バイオリンの鈴木メソッド、代々木の英才教育研究所、浪人時代の河合塾。
わたしはバイオリンのせいでクラッシック音楽が苦手になったし、
英才教育なんてされたから鼻持ちならないプライドを持つようになり孤独になった。
唯一感謝しているのは浪人時代の河合塾池袋校東大クラスくらいかなあ。
あそこで1年ぎっしり教わったことが、いまの読書でも役に立っている。
とはいえ、わたしが勉強に覚醒したのは14歳だから基本の教養がない。
都道府県をぜんぶ一致させられないし、世界地図でも国名があやふやなところがある。

いまさらだが教科書以来で芥川を読み返すと教養がすごいのね。
わたしがいちばん教養がなくて読書の際、困るのは日本の地理。
そもそも現代の都道府県さえ怪しいのに、「逢坂の関」とか古いのがあるじゃない。
ああいうのがぜんぜんわからないから俳句も和歌も理解できない。
あと貴族の階級もわからない。何位以上はどっかに上がれるとか(天皇に会える?)。
そういうのこそ教養だと思うし、焼鳥屋の息子には哀しいながらそれがない。
物心ついたときから周辺に本がなかったから。
本棚のない家に育ったものとそうではないものとは相当の教養の相違が出ると思う。
両親ともにわたしに教養をつけさせようとしたが、
ふたりとも教養のなんたるかを知らなかった。
まあ、教養がないとはそういうことなのだが。
教養とは押しつけるものではなく、本人が遊びながら自然に身につけるもの。
いまのわたしは大学卒業後、
不逞にも貪欲に無頼をつらぬきわがまま放題に遊んできたから、
多少の教養はついている気がするが、
それでも持って生まれたものにはかなわないだろう。
名前は忘れちゃったけど、西村賢太と芥川賞を同時受賞した人とかすごいんでしょ?
選考委員の宮本輝がビビッてもろ手を挙げて降参したくらいなんだから。

井上靖もよく遊んでいるんだ。
この人、岳父のコネで就職するまでいったい何年遊んでいるんだよ。
就職してからも文化部で、新聞記者の立場で有名文化人の遊びに加わり、
酒もがんがん飲んで女遊びもしっかりやって、ようやく作家デビューって、おまえさあ。
しかし、しっかりそれら遊びは創作の養分になっているから無駄にはなっていない。
おそらく井上靖自身は無駄になっても構わないと思っていたことだろう。
なぜならそれが遊びだからである。
井上靖が色紙を請われると座右の銘のように書いていた言葉があったという。

「養之如春」

「これを養うこと春のごとし」と読むらしい。
教養がないわたしは「養うことこれ春のごときにすべし」と誤って読んだが、
意味は大して変わらないと思う。
本書によると意味は――。

「何事をなすにも、春の光が万物を育ててゆくようにゆっくりと、
あせらず、ゆたかにやっていくべきだ」(P15)


「毒蛇は急がない」とおなじ意味だろう。
「毒蛇は急がない」はタイのことわざだかなんだったか、
サントリーの開高健が好んだ言葉で、のちに創価学会の宮本輝もひいきにしている。
意味は、自信のあるものは急がないでゆっくりしている、くらいか。
教養がないからそこらへんはいいかげん。
新米作家の宮本輝が井上靖に宴会に呼び出されたとき、師はポツリと言ったという。
証拠はないが、本人がそう述懐しているなら、それを信じるしかない。
井上靖は宮本輝にこう言った。

「宮本さん、小説って何でしょうねェ。小説は学問でもなければ宗教でもない。
小説は遊びですねェ。贅沢な心の遊びです。
贅沢な心の遊びなんだから、清潔でなければいけませんねェ」(P34)


いま心を遊ばせる未知なる場所がないよねえ。
シルクロードとか結局、井上靖がすべてあさっていって、もういまさらって感じだし。
教養がない宮本輝や当方のような庶民には日本の歴史小説でも書けない。
宮本輝の時代にはまだ朝鮮戦争やベトナム戦争があったけれど、
いまはねえ事件も小粒で全体的に小さくまとまっている。
考えてみたら宮本輝は仕事ばかりでまったく遊んでいない。
育児をまともにやらなかったことを、いまになってご子息から指摘されているんでしょう。
まあ、お金をいっぱい稼いだからいいんじゃないの。
けれど、お金の使い方、遊び方を知らないのが宮本輝。
井上靖も世に出てからは仕事人間でほとんど遊んでいない。
遊ぶって働くより難しいと思う。
わたしは遊ぶのに飽きて働きはじめた人を知っている。怪我をしていったん頓挫。
最近、今度は遊ぶのも飽きたって言っていて、
じゃあ反対に働けばとアドバイスしたのだが、
返答はもうちょっと遊んでみるようなニュアンスだった。
そいつは嫌いだから、どうなってもいいんだけどさ。

高級グルメを食って、ゴルフをして、
金のちからで骨董品を集めるくらいしか宮本輝は遊びを知らなかった。
競馬はいまもやってんの? ファンクラブに入会拒否されたから最新事情がわからない。
スーパー糖質制限でいまは食べたいものも我慢しているんでしょう。
なにが楽しくて生きているんだろう。やっぱり清潔な財団法人宮本輝かしら。がんばれ!
「井上靖展――文学の奇跡と美の世界」(毎日新聞社)

→1992~1993年に各地で開催された井上靖展覧会の図録(ちなみに没後ね)。
少年時代、どこから文学世界へ分け入ったかといえば「しろばんば」や「あすなろ物語」。
あれらが文学かと問われたらどうかわからない。
「敦煌」や「天平の甍」は明らかに娯楽小説としても読めるのだから。
井上靖は凛としているというか文豪のなかでも格好いいよねえ。
アメリカナイズされていないというか、
東洋世界にしっかりと根を張っているようなところがある。
海外西洋文学の物真似をしているやつらとはものが違い、
どっしりと地に足がついている。
安倍公房なんか結局、和製西洋作家みたいなものだったのでしょう。小声で言うが大江もそう。
個人的にはデビューが42、3歳と遅く、スロースターターなところもいい。
ゴリラみたいな顔なのにデビューまえから愛人がいたところも
(この女性が最初に井上を文学者とみなした)、酒豪なところもよろしい。
詩人の大岡信が弔辞で井上靖を以下のように述べている。
一部抜粋する。井上靖は――。

「不逞でしかもたくましい夢想の徒である詩人・小説家の魂が、
謙虚でしかも貪欲な学問研究者の勤勉とみごとに結びついて、
井上靖という文人の厖大な業績を産み出しましたが、
その仕事の根本には、世間的な栄達とはまったく無縁な心、
すなわちわが好むところを好むがままに追求して飽くことを知らない、
無頼で自由でわがままで孤独な夢想家の心がありました」(P13)


「不逞」「貪欲」「無頼」「わがまま」とかおよそ弔辞には不似合な言葉を使用しながら、
きちんとした弔辞にまとめているのはさすが詩人だと思う。
井上靖はわが道を行く人であったし、
「あすなろ」はいくら題目を唱えても「ひのき」にはなれないことを知っている人だった。
「あすなろ」は「ひのき」にはなれないが「ひのき」を目指して「あすなろ」のまま輝け。
ひっくり返せば「あすなろ」は「ひのき」への人間革命などできぬことを深く認めよ。
宮本輝は池田大作と井上靖のふたりを師匠と目しているようで、
先輩作家の作風と非常に似たものを書いているが、
両作家の相違は重量感にあるような気がする。
宮本輝作品はよくも悪くも新興宗教的な、安っぽいキラキラした感じがある。
宮本はおのれの教養がないのをひどく恥じているようで、
むかしネットだったか「教養がないがや」と他人を非難しているのを見たが、
いうまでもなくコンプレックスの裏返しだろう。

30そこそこで世に華々しく出てしまうと勉強する暇がないというのはわからなくもない。
宮本輝もそこは自覚しているようで、
娯楽長編小説に源氏物語といった古典をアクセサリーとして挿入するが、
本人がろくろく読んでもいないのにそういうことをするから小説にチープ感が出てしまう。
井上靖の岳父は大学教授だが、宮本輝さんの奥さまの実家は庶民だろう。
宮本輝には(大岡信のいう)「学問研究者」的態度が
まるで見られないのが両者の相違だろう。
英文科出身だがまったく英語は話せなく、しかし関西弁だけはめっぽう達者な
成り上がりもののイメージから宮本輝は逃れられない。
しかし、宮本輝は井上靖を真似たような文体で人生の深遠を知ったかぶるから、
そこがプチ文学的とも滑稽とも浅ましいとも共感できるとも言えるだろう。
わたしの父は学問となんの縁もない焼鳥屋のおやじだったから、
井上靖よりも金ぴかな宮本輝に共感するときもなくはない。
「3千枚の金貨」や「山盛りのキャビアでシャンパン一気呑み」の幸福を
わたしは宮本輝とおなじで信じてしまいそうなところがある。
井上靖には、そういう金ぴか性とおもむきを異にする枯れたところがある。
40過ぎまで世に出なかった井上靖は世間の栄枯盛衰をよく見たことだろう。
才能もないのにうまく世に出てひと稼ぎして消えていったもの。
才能があるにもかかわらず不遇にも無名のまま死んでいったもの。
この世は「空」だが、「空」のなかにも「色」はあり、
自分はその「色」を娯楽性のある遊びの物語として書きたいと思ったのが井上靖である。
「空」でありながら「色」であるこの世界を遊びとして描きたい。

井上靖は文学賞を「独り占め」し過ぎという悪評もあったようだが、
それは氏が人の嫌がる雑用をよくやったからである。
ペンクラブの会長や選考委員、若手作家の習作読書は、
自分の時間がなくなるから、才能ある作家ならばだれでもあまりやりたがらない。
そもそも社会体験が乏しい作家には「○○会」を開くことさえできない。
会場を手配して出欠を取って、返信を寄こさないやつには直接連絡を取る。
そういうことは毎日新聞の記者を10年以上やっている井上靖にしかできなかった。
「作家の多くは、いうだけはいうが雑用はしたがらない」と三好徹も書いている。
井上靖は、たとえば河合隼雄や池田大作のように実務もできた人だったのである。

この図録で夫人の井上ふみさんが不穏で意味深なことを書いている。

「私は宅の応接にあります靖の祭壇に朝晩報告をいたします。
生前そうしていたように、お早うございますに始まって、お休みなさい、に終わるまで。
南無妙法蓮華経とは素直に口をついては出てきません」(P11)


井上靖の戒名は「峯雲院文華法徳日靖居士」。
日蓮宗の戒名は11字で(創価学会と敵対する)日蓮正宗の戒名は9字。
だから、井上靖は日蓮正宗ではなかったのだろう。
しかし、晩年は親鸞に興味を持っていたという記載もある。
平成3年1月、井上靖没。
同年11月、日蓮正宗から創価学会が独立。
井上靖と池田大作は生前、「四季の雁書」という往復書簡を出版している。
内容はつまらないが、文壇の大御所と創価学会トップが手を組んだという事実は大きい。
これは池田が井上の大ファンで創価サイドから依頼したと言われている。
直後の宮本輝の華々しい文壇デビューはなにか関係しているのだろうか?

長いあいだ愛人に井上靖を取られていたふみ夫人は父からこう言われていたという。

「父は私に言っていました。
若い時はいくら貧乏してもいい。
隣の主人の収入より靖の収入が少ないことを咎(とが)めてはいけない。
四十の声を聞いた時、世間に一寸(ちょっと)芽を出しておかないと、
その後が難しいということを。
芥川賞をいただいて、漸(ようや)く底をついた貧乏からは抜け出せました。
二、三年おそくはなりましたが、一応社会に受賞という芽を出しました」(P12)


そんな貧乏だったら井上靖は愛人を囲えないはずなのだが、そこは追求しない。
40歳というのはたしかにある境で、このへんで人生の勝敗がある程度決まるのだろう。
父親としての井上靖は娘にどういうアドバイスをしていたのか。
本書に遅咲きの作家のご長女さまの記憶が語られている。

「父は賑やかなことが好きで、けちなことが大嫌いなザックラバンな人柄だった。
私たちが何か困ったことが出来て相談すると、
「ザックラバンに話してごらん、隠しだてをしても始まらん」
「物事はよい方へ、よい方へと考えなさい。
そうすれば、きっとよい知恵が浮かんでくるよ。悲観的になってはおしまいだ」
とよく云っていた。
実際に父は、どんな時にもその言葉通りに問題を解決していたようだ」(P103)


「物事はよい方へ、よい方へ」とわたしも考えるようにしたいものだ。

(関連記事)
「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)
「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)←愛人の暴露本
「四季の雁書」(井上靖・池田大作/「池田大作全集17」/聖教新聞社)
「崑崙の玉」(井上靖/文春文庫)

→おなじ作品の感想を二度書くのもまたいい。
「崑崙の玉」は西域を舞台にした井上靖のマイナーな短編小説集である。
宮本輝氏が大絶賛している表題作「崑崙の玉」のよさはこちらが未熟なため
よく理解できなかったが、「聖者」「古い文字」「明妃曲」はおもしろかった。
井上靖は偽物のよさ、嘘の楽しみをよく知っていたのだろう。
真実ってなんだろう、本物ってなんだろう、
という疑念がつねにあったのではないかと思われる。
そこのところが井上靖の死後に弟子を自称する宮本輝氏との相違である。
宮本輝は価値の定まった骨董品を金の力で蒐集(しゅうしゅう)するのが趣味のようだが、
井上靖はどんな高価な骨董でもある日それがゴミになりかねないことに気づいていた。
井上靖は偽物のなかにこそ本物があり、
本物と言われているものも一皮むけばどうだかわからないとおそらく思っていた。
勲章が大好きなうさんくさい新興宗教のトップが、
そのいかがわしさゆえにある意味で本物であると井上靖はみなしていた。
悟り澄ましたようないかにも聖者然とした修行者が偽物であることを見破ることができた。

短編小説「聖者」はみなから尊敬されている村の老人がじつは聖者ではなく、
ただの片輪の老いぼれであることを新参者の青年が見抜くが、
物語の最後でその老人が真実を語る本物の聖者だと読者にわかる仕掛けになっている。
話は飛躍するが歴史の真実とはなにか?
歴史の真実は人間ではなく物であるのかもしれない。

「……人間というものははかないもので、
百年もするとその痕跡すら失くなってしまいます。
それに引きかえて人間が造ったものは、貨幣のような小さなものでも、
千余年の歳月を少しの損傷なく生き延びる場合もあります」(P131)


なにかある物が発見されたら、いともたやすく歴史はくつがえされてしまうのである。
しかし、その物が本物か偽物かどうかはよくわからない。
考えてみたら、いまの歴史も物(史料)によってつくられていると言えよう。
われわれが学校で習った歴史は一見すると人間の歴史のようだが、
じつのところあれは物によってこうではなかったかと推定(創作)された物語である。
もしどれかの物が偽物だったら本当の歴史は違っていたのかもしれない。
茶目っ気のある人間なら歴史を変えてやろうと
自分が死んだあとの歴史のために偽物の史料を作ろうと思うはずである。
それが偽物であるとばれなければ偽物の歴史が本物の歴史になってしまう。

とすれば、本物とはなんだろうか。偽物とはなんだろうか。
石ころと宝石をわけるその鑑定眼の正しさはいったいなんによっているのか。
宝石でも高価なものと安価なものにふるいわけられるが、その差はなんなのか。
たとえ偽物の宝石でもそれは世界一価値のある物だと本人が思って
身につけていたら、それはおのずから本人の自信につながり、
彼女の美しさは倍増しになることだろう。だれが宝石の真贋を見破れるか。
詐欺師から運気が上がると偽物の壺を買わされても、
本人がそれを死ぬまで信じていたらけっこう幸運も舞い込むのではないだろうか。
偽物のご本尊でも偽物のお題目でも十分に効果が上がるのだと思う。
そもそも本物のご本尊や本物のお題目など存在するのかどうか。
このあたりが井上靖の弟子を自称する宮本輝氏の初期作品のテーマであった。
ところが、宮本輝氏は社会的地位の上昇とともに、
本物は偽物であり偽物こそ本物であることを忘れてしまったような気がする。
「高いものはいい、いいものは高い」は最近の宮本輝氏の信念のようである。
見ていないので知らないがネット上でもそれに関する発言を連発しているらしい。
貧乏人から成り上がると金ぴかなものに目を奪われてしまうのは仕方がない。
わが家の小さな庭で見つけた小さな石ころが自分にとっては本物のこともある。
だれも価値を認めていなくても、自分にとっては本物の石ころは存在する。
宮本輝氏はそんな石ころは石ころだとバカにするだろうが、
井上靖は小さななんでもない石ころが本物かもしれないと疑うような
懐(ふところ)の広さがあったように思う。

ある小さな物がひとつ発見されただけで歴史は変わってしまう。
短編小説「古い文字」は、そういう内容の小説である。
研究員の大乃岐は新妻と旅行中に、
地中海近くの小さな村である印章を現地の子どもが持っていることに気づく。
印章には古い文字が書かれていたのだが、それを見て大乃岐は仰天する。
この印章の存在が知れたら世界が騒然とするからである。
なんとか小金をつかませて大乃岐は印章を手に入れることに成功する。
この印章は言うなれば世界の秘密のようなものである。
大乃岐だけが世界の秘密を知ってしまった。
そのときから大乃岐は監視妄想や追跡妄想に襲われるようになる。
夜ベットに身を横たえてもまったく眠ることができない。

「大きな津波のようなものの中に、大乃岐は揺られ続けていた。
世界の学界がこの印章一個のために騒然とする筈であった。
ただ現在はまだ騒然としていなかった。
一個の小さな石の面にインダス文字が二個刻まれ、
しかもそれに対応するアッカド文字が並んで刻まれているのである。
そうしたものがコルドバのホテルの一部屋にあると言っても、
世界中の学者の誰が、それを信ずるだろう。
しかし、実際にそれはあるのである。現にここに自分が持っている。
大乃岐は寝台の毛布の下で自分の首から吊り下げられてある
小さな宝物をまさぐった。確かにそれはあった」(P165)


物の価値は人によって変わることの典型例であろう。
結局、物語はどうなるのか。真実は明らかになるのか。

「若い考古学者大乃岐光矩がセビリアから五二キロ離れたカルモナの町の城門の
附近で心臓麻痺のために倒れたのは、五年前の秋である。
百合枝夫人は夫が身につけていた小さい古代印章のことを思い出して、
そのことを口に出したのは、パリに於いて夫君の仮葬がすんでからであった。
古い石のかけらが、インダス文字解明の鍵となるような貴重なものであったか、
あるいは多分に神経衰弱気味であった大乃岐光矩の
妄想が生んだ幻覚であったかは、
それが失われている現在では残念ながら知ることができない」(P177)


真実はわからないままに終わるのである。
小説家の井上靖はおそらくわからないものほどおもしろいと思っていただろう。
いまはなんでもわかった気分になってしまう時代だが、
井上靖が生きた時代はまだわかっていないものも少なくなかった。
井上靖はわからない時代を生きたおもしろい小説家だったのである。
わからないということがいかに豊かであることか。
わからないからこそ想像力を働かせて物語を創作することができるのだろう。
わからないところに想像力の翼を羽ばたかせる余地がある。
短編小説「明妃曲」には匈奴(きょうど)に憑かれた学生が登場する。

「大体、匈奴という民族は、その正体がよく判っていない。よく判っていて、
研究し尽くされていたら、恐らく私は何の関心も持たなかったに違いない。
判っていないところがあるからこそ、しかも、
それがそれを調べて判ろうというような料簡からではなく、
その反対のどうか判らないところが
いつまでも判らないでいてくれといったような気持から、
匈奴のことに関する記述を、
謂ってみれば古い壺でも手探るような調子で読んでいたのである。
学者の著書に、匈奴についてはよく判っていないが
というような文章が書かれてあるのを見ると、私はその度に、そうだろう、
そう簡単に判って貰っては困るといった気持が働いて、
ひそかに北叟(ほくそ)笑みを禁ずることができなかったのである」(P182)


「私」はおなじように匈奴に惹かれているどこか暗い男と知り合う。
ふたりはどこか似ていた。得体の知れない強い自尊心を持っているところだ。
あるいは匈奴もまたそういう民族ではなかったのかと「私」は思う。
匈奴好きの男は新資料が発見されそれを自分は読んだと言って、
「(美しい)昭君は元帝を憎み、匈奴の若者を愛した」という新説を熱心に物語る。
「私」は新資料なるものなどないことを薄々気づいていたが指摘せず、
自分とおなじように暗く匈奴が好きな男とひとつの物語を共有する。
そうであったことよりも、そうであってほしいことのなかに小説の真実はある。
歴史の真実も嘘もないのだとしたら、人を喜ばせることが真実なのである。
われわれはすぐにわかろうわかろうとしてしまうが、
わからないものをわからないままに愛するような姿勢もあっていいのだろう。
あれが本物か偽物かはわからないからこそ、わからないままであれはおもしろい。
それが本当か嘘かはわからないからこそ、わからないままでそれはおもしろい。
人はわかりあえないけれど、わからないままに人を好きになることはできるのだろう。
わかってしまったらそこで終わってしまうような関係もあるに違いない。
みんなから好かれるスターは正体がわからないからこそ輝いていられるのだろう。

「崑崙の玉」(井上靖/文春文庫)

→貧困家庭出身ながら芥川賞選考委員のみならず
紫綬褒章作家にまで成り上がった大成功者にして大勝利者の宮本輝氏が、
薄っぺらい新刊エッセイ「いのちの姿」で
井上靖の「崑崙の玉」を大絶賛していたので本当かよと思い、
たまたま積ん読していたこともあり読んでみた。
妻や子を亡くした50歳の孤独だが大金持の中国人が、
「崑崙の玉(究極の宝石)」求めて黄河の源泉まで旅をする短編小説である。
井上靖のファンでかなり小説は読み込んでいるほうだが、そこまでおもしろくもない。
というか、むしろ井上靖の小説のなかでは退屈な部類に入ると思う。

どうして創価偉人の宮本輝氏が「崑崙の玉」を絶賛するのか考えてみた。
宮本輝氏は世間的評価のうえでとても偉い人で、
自分のことをとても偉くて正しい人だと思っておられるようだ。
しかし、氏の偉さや正しさを証明する根拠(黄河の源泉!)がないのである。
だから、宮本輝氏はこういうエピソードをでっちあげた。
宮本輝氏は生前の井上靖に逢ったときに、こんな失礼なことを言ったという。
井上靖先生の西域物では「崑崙の玉」がいちばんいい。
「これさえ読めば、(井上靖)氏の他の西域物は読まなくてもいいと思う」
井上靖は怒らず、宮本輝さんがそうおっしゃるのだからきっとそうなのでしょう、
と答えてくれた、とだれも証人はおらず、ただ宮本輝氏だけがそう述懐している。

わたしはこれを嘘だと見破った。
ペエペエの若手作家が当時文壇の大物だった井上靖にそんなことを言えるものか。
本当に言ったのなら、人間として失礼すぎる。
宮本輝大先生に向かって
「先生の小説は『青が散る』さえ読めば、他は読まなくてもいいと思います」
なんて言える人はいないでしょう。わたしだってそんな失礼なことは言えない。
上下関係に厳しい創価学会で鍛えられた宮本輝が、
天下の井上靖にそこまで失礼なことを本当に言ったとはとうてい思えない。
だとしたら、このいんちきエピソードはどういうことか?
宮本輝は自分こそ井上靖の正統の弟子だと主張したかったのである。
井上靖が偉いことは(僭越ながらわたしもふくめ)みな認めている。
宮本輝は権威(偉さ)のご相伴にあずかりたくて、
井上靖の「死人に口なし」をうまく利用して、こういうくだらぬデマを書いたのだと思う。
自分は池田大作先生の弟子であるのみならず、
あの井上靖先生でさえも自分を認めてくれていたのだから、
いいか、いいか、おまえら、我輩は偉いのであ~る。

まったく宮本輝氏はいかにもクソ庶民出身らしいきたねえ手を使うぜ。
井上靖の「崑崙の玉」は絶版だし、読む人は少ないだろう。
いまはそれほどでもないがネット古書世界で超高値がついた時期もあるから、
そういうふうに高額を支払って手に入れたものを
人はなかなかつまらないと言えないのである。
宮本輝氏は骨董が大好きなようだが、
高額の骨董品の価値など目利きと呼ばれる権威者のひと言によっているだけなのである。
権力者の宮本輝氏は石ころに過ぎない井上靖の短編小説「崑崙の玉」を、
まさしく価値のある宝石のように変えてしまった。
それと同時に自分は井上靖のお墨付きなんだという経歴も偽造した。
財産、名声、称賛、権力、妻子孫、
あらゆるものを手に入れた大勝利者の宮本輝氏がいまいちばんほしいのは、
黄河の源泉でしか得られないとされる「崑崙の玉」なのだろう。

「傍観者」(井上靖/潮文庫)

→短編小説集でほとんどの作品は別の文庫で一度読んだことがあるような気がする。
このたびタイトルにもなっている短編小説「傍観者」の恐ろしさに気づく。
「傍観者」は昭和26年発表だから芥川賞受賞の翌年、つまり初期小説である。
40歳をすぎてデビューした遅咲きの作家である井上靖の源泉は、
もしかしたら芥川賞作品よりもむしろこちらの「傍観者」のほうにあるのかもしれない。
ある種の倫理的な問題をはらんだ作品といえよう。
愛する人が毒を飲んで自分の家に来たら、どうしたらいいのか?
いささか性急がすぎた。それまでの流れをかんたんに書いておこう。
「私」は青年時代に遠縁の「わがままで、病弱で、美貌な少女」梨花に恋をする。

「私の恋情の中には、その最初のときから、なにか運命的なものが、その場かぎりでない、
一生を支配するような何ものかが匿(かく)れひそんでいたように思われる」(P17)


「私」は人並みに恋をして女を知るが片時も梨花のことを忘れることがなかった。
ふたりが再会するのは「私」が東洋文化研究所に就職してからである。
二十歳の梨花は「病弱な面影はどこにもなく、わがままなところも見えず、
ただ美貌だけが、往時の蕾(つぼみ)の固さから、
ゆたかに花咲いた派手なものに変っていた」。
「私」は梨花のまぶしさを正視できず、同僚の岸本を呼んできてしまう。
「私」と岸本と梨花の関係が始まる。
あるとき「私」は梨花の家を訪問して辞するときにこの美少女から接吻のお土産をもらう。
時代は中国との戦争が始まったころである。「私」は軍隊に召集される。
中国の戦地で「私」は梨花が岸本と結婚したことを知りショックを受ける。
10年のときを経て日本へ戻ってきた「私」は梨花を憎む気持こそ捨てていたが、
愛着ばかりはどうにもならなかった。
戦後の混乱のさなか、「私」は闇商売で大儲けをした岸本と梨花に再会する。
「私」は独身のままであった。
相変わらず美貌ではあったが、梨花の生活はすさんでいくばかりで若い男に手を出したり、
ときには株で大損を出したりで、大学教授になっていた「私」はそのたびに面倒を見ていた。
「私」と梨花は決して身体のつきあいは持たなかった。
ある晩、暗い顔をした梨花がひとりで「私」のアパートにやってくる。
ベッドで休ませてほしいのだという。

「……やったなと私は思った。
梨花が毒を飲んでいることを、そのとき直観的に私は感じたのである。
私はついに来るべきものが来たという気持だった。
梨花がこのようにしていつか自分の部屋にやって来るのを、もうずっと前から、
私は無意識の中に予感していたようであった。
少しも意外なものがやって来た気持ではなかった」(P50)


このときどうするのが愛なのだろうか。毒を吐き出させるのが愛なのか。
医者(救急車がこの時代あったのか不明)を呼びにやるのがほんものの愛なのか。
「私」は「かまわない、お休みなさい」という。
自分の服毒を「私」が見抜いていることを梨花は知っていた。
最後にひと言「許してくださる?」というと梨花はひどくやさしく「私」を見入った。
そのまま女は深い眠りの中に落ちていった。
後日、このときのことを「私」はこう回想している。

「私は梨花を愛していたし、梨花は私を愛していたのである。
二人のばあいは、二人の愛情をそのような形でおく以外仕方がなかったのだ。
だから二人のあいだには何の醜関係もなかったのだ。
彼女は彼女でかってに他の男たちと身を持ちくずし、私はそれを傍観していたのである。
やがて当然のこととして彼女の生涯に破局がやってきて彼女は毒を飲んだのである。
私はそれさえも見ていた。
私がいかに彼女を愛していたかは、梨花がそうした私によって知ったはずである。
私たちは二人の愛情というものを、
そうした形においてしか終焉(しゅうえん)させることはできなかったのである」(P12)


愛する人が自分の選択で自殺したとき、果たして命を救おうとするのが愛なのか。
もしかしたら、そのまま死を見守ってあげるほうが強い愛を必要とするのではないか。
相手を助けたいと思うのはエゴイズムで、本当には相手のことを思っていないのではないか。
そして、若くして法的または肉体的に安直に結ばれているよりも、
このような屈折した関係のほうが男女ともにあるいは烈しい愛を感じられるのではないか。
ふたりだけにしかわからないこのような烈しい愛情は美しくはないか。
井上靖が「傍観者」で描いたのは男女の愛を超えた運命愛である。
傍観者たる「私」の梨花への愛は最後に運命愛にまで高められている。
女を愛するところから運命を愛するところまで上昇(下降?)しているのである。
女を愛したことからままならぬ人生(運命)をも愛す意志が生まれているではないか。
愛するのが運命なら結ばれぬのも運命で、
ならばその運命を愛する以外に人にどんな生き方があるというのか。
烈しい生き方は十中八九敗北に終わるだろうが、その敗北は夕陽のように美しい。
井上靖は上昇する朝日ではなく下降する落日の美しさを愛した作家であったのだと思う。

「海峡」(井上靖/角川文庫)絶版

→井上靖は無力の美しさを描く作家だと思う。
人間は世界に対して無力だが、そこに世界の美しさがあるのではないか。
無力で敗北感に暮れる人間はときにみっともないが、
その背景に人間を超える大きな世界をしっかり見据えると全体として美しいのではないか。
宿命に勝利する人間を描くのは井上靖をだれよりも慕う後輩作家の宮本輝である。
井上靖は宮本輝とおなじ宿命を描いているのだが、
先輩作家は宿命に敗れ去る人間の美しさを描いているのである。
成功する人間ではなく失敗する人間を描写する。
恋が成就した男女を描くのではなく、恋に破れた、つまり失恋した淋しい人間を描く。
もしかしたら恋愛成就よりも失恋のほうが人生の深い味を堪能できるのではないか。
あたかも井上靖はそう言っているかのごとくである。

新聞小説「海峡」から無力感あふれるシーンを見てみよう。
男が片想いしている同僚女性から酒場で相談を受けると、失恋したという話である。
しかも失恋相手は自分の上司だというではないか。
まこと人生の深い味を感じさせる場面である。
この味わいを井上靖はうまく会話として描く。
宏子は相談相手の杉原がなぜ憤(おこ)っているのかわからない。

「何をそんなに憤ってるのよ」
「憤るさ。憤らせるじゃないか。――くだらん恋愛なんどしやがって」
「しやがってという言葉もいや。下品だわ」
「悪かったな。――まあ、いい、一生に一度だ。今夜は飲ませてくれ。
飲ませて、慰めてくれ」
「反対になったのね。わたしを慰める筈だったじゃない」
「慰める!? お前さんをか。冗談言うなよ。自分が惚れてる女が、
他の男に惚れてるからって慰める馬鹿がどこにある?
俺は今夜自分を慰めるんだ。つき合えよ」
宏子にとっては聞き棄てならぬことを杉原は口走った」(P91)


宏子が帰ろうとすると、杉原は「頼む」と哀願するように言う。
「頼むから今夜もう少しつき合ってくれ」

「でも、いやだわ。酔ってるんですもの。恥ずかしいわ。
大きい声でへんなことばかり言って」
「いいや、もう言わん。恐らく将来二度と言わんだろう。
これから言葉に気をつける。今夜、二人でもう少し一緒に飲もう。
飲もうと言っても、俺ばかり飲むわけだが、おひろさんも飲めよ。
少しぐらいはいいだろう。酔わん程度に飲めよ。
――今夜は二つの恋情を葬る夜だ。
君は編集長のオッさんに対する変な気持をきれいさっぱりと、
今夜限り棄てるんだ。いいか。物にはきっかけというものがある。
今夜を最後に、明日から笑う女になれ。笑う女に!」
それから杉原はボーイを呼んで、
「勘定!」
と言ってから、
「俺は今夜限りさっぱりする。どうも多少俺はおひろさんに気があったと思うんだ。
しかし、考えてみれば莫迦(ばか)らしいことだよ。
どこがよくて、大の男がおひろさんなどに惹かれるんだ。
どこもいいところないじゃないか。俺は俺で今夜限りさっぱりする。
おひろさんもおひろさんでさっぱりしろよ」(P92)


いかにもいかにも井上靖らしいセリフである。
失恋は恋愛成就よりもよほど味わい深いのである。
酒を飲めば飲むほど、この不如意の渋味苦味は豊穣を増し五臓六腑にしみわたる。

人生はうまくいかないからおもしろい。

題目を唱えていたら夢がかなってハッピー! 宿命転換ブラボー大勝利! 
――なんていう世界観を井上靖はどこにもさらさら有していないのである。
人生は人間の思い通りにはならないが、そこにこそ深い味わいがある。
これが無宗教だった文豪・井上靖の持っていた信念のようなものである。
人生がうまくいかないということは、人間を超えるものがあるということではないか。
その大きなものを全身で認めたとき、無力な人間はかえって輝きを放つのではないか。

小説の終盤、人生の不如意をそれぞれに抱えた男3人は、
渡り鳥の声を聞くために本州の最果て青森県の下風呂温泉におもむく。
失恋と別離が確定した杉原は冬の海に向かって走っていった。
青年の姿が見えなくなってから、中年男二人はしみじみと思いを語る。

「去年からろくなことはないよ。病院は不景気になるし、
吉田君はあんな事故で倒れるし、細君は神経衰弱になるし」
「人生とはそうしたものだよ」
「だから僕も人生とはそうしたものだと思ってるんだ。
なんとなくやりきれないものだな」
その庄司のやりきれないと言った言葉が、ふいに松村の心に突き刺さって来た。
松村自身が、庄司以上にやりきれない気持だった。
どこへも持って行きようのない、いわば出口のない感情を、
松村もまたこの雪の半島に棄てたくてやって来たのである」(P344)


人生は、やりきれない。悲しくて、やりきれない。
悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない。しかし、この悲しさは美しい。
人間のちっぽけな悲しみも天から見たらきっと美しいはずだ。
人生のやりきれない悲しさを、井上靖は、わかりやすい物語に託して美しく謳いあげた。

「白い風 赤い雲」(井上靖/角川文庫)絶版

→主人公は少年タアちゃん10歳。父はなく美しい母がいる。未亡人である。
出版社に勤める母は3人の男性から求愛されている。
タアちゃんの学校の担任の角田先生。金持の太った中年男。妻も子もいる志村さん。
3人とも悪人ではなくそれぞれに善良な人物である。
お母さんは本当は志村さんが好きだが、
タアちゃんの将来を考えて金持と結婚することに決める。
井上靖の小説はどれもそうだが、失恋するシーンがとてもいいのだ。
タアちゃんの担任の角田先生が、
妻子のいる志村さんと決闘するシーンは正々堂々としていてすばらしい。
決闘の翌日、先生は自宅でタアちゃんから手紙を渡される。
それは母からことづかった手紙で、角田先生は自分が完全に失恋したことを知る。
このとき学童ふたりのまえで、いさぎよく恋心をあきらめる角田先生がいい。
先生は大きなため息をついたあと、こんなひとりごとを言う。

「人生というものは淋しいことばかりだな」(P237)

それから子どもたちに向かって言い聞かせる。

「君たちも大きくなると、いろいろなことを経験するだろう。
悲しいことや嬉しいことや、そしてまた淋しくて淋しくて、
死んでしまいたくなるようなこともあるだろう」(同)


そして、角田先生はじっと我慢するのである。
こういう美しい失恋シーンを読むと、心底から失恋にあこがれてしまう。
失恋というよりも片想いをしたいのかもしれない。
こちらがどんなに想っていても相手が振り向いてくれないというのは、
宿命や運命を感じさせるほど神々しい体験なのではないか。
たしかに片想いの失恋は死にたいほど淋しいのだろうが、
しかしその淋しさは疑いもなく宿命や運命に通じているのである。
おそらく死以外で宿命や運命を味わえる数少ない貴重な体験が片想い、
そして失恋なのだろう。
ならば、私小説ではなく大きなものを描きたいと小説を書き始めた井上靖が
ことさら失恋描写にこだわるのは必然なのかもしれない。
片想いは向こうから来るもので治そうと思ってもどうにもならない。
失恋は相手ありきゆえ、自分の意志だけではどうしようもない。
このどうしようもないことを宿命や運命と言うのである。
井上靖は繰り返し繰り返し、
ちっぽけ人間にはどうにもならぬ大きな宿命や運命を美しく描いた。
井上靖は非情な宿命や運命を美しいものと思っていた。