「井上靖展 詩と物語の大河」(神奈川近代文学館)

→2003年に神奈川近代文学館で開催された井上靖展の図録である、
ひとつまえの記事で紹介したものよりもだいぶ薄手になっているから、
やはり作家は死ねばだんだんと影響力は落ちるのだろう。読者世代も老いて死ぬ。
医者(軍医)の息子だった井上靖には教養があった。
というよりもむしろ、教養を身につけるだけの遊びをする余裕があった。
教養は学ぶものではなく、遊びながら自然に身につくものだと思う。
うちは焼鳥屋でバブルの影響もあってかなり教育投資をしていただいた。
バイオリンの鈴木メソッド、代々木の英才教育研究所、浪人時代の河合塾。
わたしはバイオリンのせいでクラッシック音楽が苦手になったし、
英才教育なんてされたから鼻持ちならないプライドを持つようになり孤独になった。
唯一感謝しているのは浪人時代の河合塾池袋校東大クラスくらいかなあ。
あそこで1年ぎっしり教わったことが、いまの読書でも役に立っている。
とはいえ、わたしが勉強に覚醒したのは14歳だから基本の教養がない。
都道府県をぜんぶ一致させられないし、世界地図でも国名があやふやなところがある。

いまさらだが教科書以来で芥川を読み返すと教養がすごいのね。
わたしがいちばん教養がなくて読書の際、困るのは日本の地理。
そもそも現代の都道府県さえ怪しいのに、「逢坂の関」とか古いのがあるじゃない。
ああいうのがぜんぜんわからないから俳句も和歌も理解できない。
あと貴族の階級もわからない。何位以上はどっかに上がれるとか(天皇に会える?)。
そういうのこそ教養だと思うし、焼鳥屋の息子には哀しいながらそれがない。
物心ついたときから周辺に本がなかったから。
本棚のない家に育ったものとそうではないものとは相当の教養の相違が出ると思う。
両親ともにわたしに教養をつけさせようとしたが、
ふたりとも教養のなんたるかを知らなかった。
まあ、教養がないとはそういうことなのだが。
教養とは押しつけるものではなく、本人が遊びながら自然に身につけるもの。
いまのわたしは大学卒業後、
不逞にも貪欲に無頼をつらぬきわがまま放題に遊んできたから、
多少の教養はついている気がするが、
それでも持って生まれたものにはかなわないだろう。
名前は忘れちゃったけど、西村賢太と芥川賞を同時受賞した人とかすごいんでしょ?
選考委員の宮本輝がビビッてもろ手を挙げて降参したくらいなんだから。

井上靖もよく遊んでいるんだ。
この人、岳父のコネで就職するまでいったい何年遊んでいるんだよ。
就職してからも文化部で、新聞記者の立場で有名文化人の遊びに加わり、
酒もがんがん飲んで女遊びもしっかりやって、ようやく作家デビューって、おまえさあ。
しかし、しっかりそれら遊びは創作の養分になっているから無駄にはなっていない。
おそらく井上靖自身は無駄になっても構わないと思っていたことだろう。
なぜならそれが遊びだからである。
井上靖が色紙を請われると座右の銘のように書いていた言葉があったという。

「養之如春」

「これを養うこと春のごとし」と読むらしい。
教養がないわたしは「養うことこれ春のごときにすべし」と誤って読んだが、
意味は大して変わらないと思う。
本書によると意味は――。

「何事をなすにも、春の光が万物を育ててゆくようにゆっくりと、
あせらず、ゆたかにやっていくべきだ」(P15)


「毒蛇は急がない」とおなじ意味だろう。
「毒蛇は急がない」はタイのことわざだかなんだったか、
サントリーの開高健が好んだ言葉で、のちに創価学会の宮本輝もひいきにしている。
意味は、自信のあるものは急がないでゆっくりしている、くらいか。
教養がないからそこらへんはいいかげん。
新米作家の宮本輝が井上靖に宴会に呼び出されたとき、師はポツリと言ったという。
証拠はないが、本人がそう述懐しているなら、それを信じるしかない。
井上靖は宮本輝にこう言った。

「宮本さん、小説って何でしょうねェ。小説は学問でもなければ宗教でもない。
小説は遊びですねェ。贅沢な心の遊びです。
贅沢な心の遊びなんだから、清潔でなければいけませんねェ」(P34)


いま心を遊ばせる未知なる場所がないよねえ。
シルクロードとか結局、井上靖がすべてあさっていって、もういまさらって感じだし。
教養がない宮本輝や当方のような庶民には日本の歴史小説でも書けない。
宮本輝の時代にはまだ朝鮮戦争やベトナム戦争があったけれど、
いまはねえ事件も小粒で全体的に小さくまとまっている。
考えてみたら宮本輝は仕事ばかりでまったく遊んでいない。
育児をまともにやらなかったことを、いまになってご子息から指摘されているんでしょう。
まあ、お金をいっぱい稼いだからいいんじゃないの。
けれど、お金の使い方、遊び方を知らないのが宮本輝。
井上靖も世に出てからは仕事人間でほとんど遊んでいない。
遊ぶって働くより難しいと思う。
わたしは遊ぶのに飽きて働きはじめた人を知っている。怪我をしていったん頓挫。
最近、今度は遊ぶのも飽きたって言っていて、
じゃあ反対に働けばとアドバイスしたのだが、
返答はもうちょっと遊んでみるようなニュアンスだった。
そいつは嫌いだから、どうなってもいいんだけどさ。

高級グルメを食って、ゴルフをして、
金のちからで骨董品を集めるくらいしか宮本輝は遊びを知らなかった。
競馬はいまもやってんの? ファンクラブに入会拒否されたから最新事情がわからない。
スーパー糖質制限でいまは食べたいものも我慢しているんでしょう。
なにが楽しくて生きているんだろう。やっぱり清潔な財団法人宮本輝かしら。がんばれ!
「井上靖展――文学の奇跡と美の世界」(毎日新聞社)

→1992~1993年に各地で開催された井上靖展覧会の図録(ちなみに没後ね)。
少年時代、どこから文学世界へ分け入ったかといえば「しろばんば」や「あすなろ物語」。
あれらが文学かと問われたらどうかわからない。
「敦煌」や「天平の甍」は明らかに娯楽小説としても読めるのだから。
井上靖は凛としているというか文豪のなかでも格好いいよねえ。
アメリカナイズされていないというか、
東洋世界にしっかりと根を張っているようなところがある。
海外西洋文学の物真似をしているやつらとはものが違い、
どっしりと地に足がついている。
安倍公房なんか結局、和製西洋作家みたいなものだったのでしょう。小声で言うが大江もそう。
個人的にはデビューが42、3歳と遅く、スロースターターなところもいい。
ゴリラみたいな顔なのにデビューまえから愛人がいたところも
(この女性が最初に井上を文学者とみなした)、酒豪なところもよろしい。
詩人の大岡信が弔辞で井上靖を以下のように述べている。
一部抜粋する。井上靖は――。

「不逞でしかもたくましい夢想の徒である詩人・小説家の魂が、
謙虚でしかも貪欲な学問研究者の勤勉とみごとに結びついて、
井上靖という文人の厖大な業績を産み出しましたが、
その仕事の根本には、世間的な栄達とはまったく無縁な心、
すなわちわが好むところを好むがままに追求して飽くことを知らない、
無頼で自由でわがままで孤独な夢想家の心がありました」(P13)


「不逞」「貪欲」「無頼」「わがまま」とかおよそ弔辞には不似合な言葉を使用しながら、
きちんとした弔辞にまとめているのはさすが詩人だと思う。
井上靖はわが道を行く人であったし、
「あすなろ」はいくら題目を唱えても「ひのき」にはなれないことを知っている人だった。
「あすなろ」は「ひのき」にはなれないが「ひのき」を目指して「あすなろ」のまま輝け。
ひっくり返せば「あすなろ」は「ひのき」への人間革命などできぬことを深く認めよ。
宮本輝は池田大作と井上靖のふたりを師匠と目しているようで、
先輩作家の作風と非常に似たものを書いているが、
両作家の相違は重量感にあるような気がする。
宮本輝作品はよくも悪くも新興宗教的な、安っぽいキラキラした感じがある。
宮本はおのれの教養がないのをひどく恥じているようで、
むかしネットだったか「教養がないがや」と他人を非難しているのを見たが、
いうまでもなくコンプレックスの裏返しだろう。

30そこそこで世に華々しく出てしまうと勉強する暇がないというのはわからなくもない。
宮本輝もそこは自覚しているようで、
娯楽長編小説に源氏物語といった古典をアクセサリーとして挿入するが、
本人がろくろく読んでもいないのにそういうことをするから小説にチープ感が出てしまう。
井上靖の岳父は大学教授だが、宮本輝さんの奥さまの実家は庶民だろう。
宮本輝には(大岡信のいう)「学問研究者」的態度が
まるで見られないのが両者の相違だろう。
英文科出身だがまったく英語は話せなく、しかし関西弁だけはめっぽう達者な
成り上がりもののイメージから宮本輝は逃れられない。
しかし、宮本輝は井上靖を真似たような文体で人生の深遠を知ったかぶるから、
そこがプチ文学的とも滑稽とも浅ましいとも共感できるとも言えるだろう。
わたしの父は学問となんの縁もない焼鳥屋のおやじだったから、
井上靖よりも金ぴかな宮本輝に共感するときもなくはない。
「3千枚の金貨」や「山盛りのキャビアでシャンパン一気呑み」の幸福を
わたしは宮本輝とおなじで信じてしまいそうなところがある。
井上靖には、そういう金ぴか性とおもむきを異にする枯れたところがある。
40過ぎまで世に出なかった井上靖は世間の栄枯盛衰をよく見たことだろう。
才能もないのにうまく世に出てひと稼ぎして消えていったもの。
才能があるにもかかわらず不遇にも無名のまま死んでいったもの。
この世は「空」だが、「空」のなかにも「色」はあり、
自分はその「色」を娯楽性のある遊びの物語として書きたいと思ったのが井上靖である。
「空」でありながら「色」であるこの世界を遊びとして描きたい。

井上靖は文学賞を「独り占め」し過ぎという悪評もあったようだが、
それは氏が人の嫌がる雑用をよくやったからである。
ペンクラブの会長や選考委員、若手作家の習作読書は、
自分の時間がなくなるから、才能ある作家ならばだれでもあまりやりたがらない。
そもそも社会体験が乏しい作家には「○○会」を開くことさえできない。
会場を手配して出欠を取って、返信を寄こさないやつには直接連絡を取る。
そういうことは毎日新聞の記者を10年以上やっている井上靖にしかできなかった。
「作家の多くは、いうだけはいうが雑用はしたがらない」と三好徹も書いている。
井上靖は、たとえば河合隼雄や池田大作のように実務もできた人だったのである。

この図録で夫人の井上ふみさんが不穏で意味深なことを書いている。

「私は宅の応接にあります靖の祭壇に朝晩報告をいたします。
生前そうしていたように、お早うございますに始まって、お休みなさい、に終わるまで。
南無妙法蓮華経とは素直に口をついては出てきません」(P11)


井上靖の戒名は「峯雲院文華法徳日靖居士」。
日蓮宗の戒名は11字で(創価学会と敵対する)日蓮正宗の戒名は9字。
だから、井上靖は日蓮正宗ではなかったのだろう。
しかし、晩年は親鸞に興味を持っていたという記載もある。
平成3年1月、井上靖没。
同年11月、日蓮正宗から創価学会が独立。
井上靖と池田大作は生前、「四季の雁書」という往復書簡を出版している。
内容はつまらないが、文壇の大御所と創価学会トップが手を組んだという事実は大きい。
これは池田が井上の大ファンで創価サイドから依頼したと言われている。
直後の宮本輝の華々しい文壇デビューはなにか関係しているのだろうか?

長いあいだ愛人に井上靖を取られていたふみ夫人は父からこう言われていたという。

「父は私に言っていました。
若い時はいくら貧乏してもいい。
隣の主人の収入より靖の収入が少ないことを咎(とが)めてはいけない。
四十の声を聞いた時、世間に一寸(ちょっと)芽を出しておかないと、
その後が難しいということを。
芥川賞をいただいて、漸(ようや)く底をついた貧乏からは抜け出せました。
二、三年おそくはなりましたが、一応社会に受賞という芽を出しました」(P12)


そんな貧乏だったら井上靖は愛人を囲えないはずなのだが、そこは追求しない。
40歳というのはたしかにある境で、このへんで人生の勝敗がある程度決まるのだろう。
父親としての井上靖は娘にどういうアドバイスをしていたのか。
本書に遅咲きの作家のご長女さまの記憶が語られている。

「父は賑やかなことが好きで、けちなことが大嫌いなザックラバンな人柄だった。
私たちが何か困ったことが出来て相談すると、
「ザックラバンに話してごらん、隠しだてをしても始まらん」
「物事はよい方へ、よい方へと考えなさい。
そうすれば、きっとよい知恵が浮かんでくるよ。悲観的になってはおしまいだ」
とよく云っていた。
実際に父は、どんな時にもその言葉通りに問題を解決していたようだ」(P103)


「物事はよい方へ、よい方へ」とわたしも考えるようにしたいものだ。

(関連記事)
「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)
「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)←愛人の暴露本
「四季の雁書」(井上靖・池田大作/「池田大作全集17」/聖教新聞社)
「崑崙の玉」(井上靖/文春文庫)

→おなじ作品の感想を二度書くのもまたいい。
「崑崙の玉」は西域を舞台にした井上靖のマイナーな短編小説集である。
宮本輝氏が大絶賛している表題作「崑崙の玉」のよさはこちらが未熟なため
よく理解できなかったが、「聖者」「古い文字」「明妃曲」はおもしろかった。
井上靖は偽物のよさ、嘘の楽しみをよく知っていたのだろう。
真実ってなんだろう、本物ってなんだろう、
という疑念がつねにあったのではないかと思われる。
そこのところが井上靖の死後に弟子を自称する宮本輝氏との相違である。
宮本輝は価値の定まった骨董品を金の力で蒐集(しゅうしゅう)するのが趣味のようだが、
井上靖はどんな高価な骨董でもある日それがゴミになりかねないことに気づいていた。
井上靖は偽物のなかにこそ本物があり、
本物と言われているものも一皮むけばどうだかわからないとおそらく思っていた。
勲章が大好きなうさんくさい新興宗教のトップが、
そのいかがわしさゆえにある意味で本物であると井上靖はみなしていた。
悟り澄ましたようないかにも聖者然とした修行者が偽物であることを見破ることができた。

短編小説「聖者」はみなから尊敬されている村の老人がじつは聖者ではなく、
ただの片輪の老いぼれであることを新参者の青年が見抜くが、
物語の最後でその老人が真実を語る本物の聖者だと読者にわかる仕掛けになっている。
話は飛躍するが歴史の真実とはなにか?
歴史の真実は人間ではなく物であるのかもしれない。

「……人間というものははかないもので、
百年もするとその痕跡すら失くなってしまいます。
それに引きかえて人間が造ったものは、貨幣のような小さなものでも、
千余年の歳月を少しの損傷なく生き延びる場合もあります」(P131)


なにかある物が発見されたら、いともたやすく歴史はくつがえされてしまうのである。
しかし、その物が本物か偽物かどうかはよくわからない。
考えてみたら、いまの歴史も物(史料)によってつくられていると言えよう。
われわれが学校で習った歴史は一見すると人間の歴史のようだが、
じつのところあれは物によってこうではなかったかと推定(創作)された物語である。
もしどれかの物が偽物だったら本当の歴史は違っていたのかもしれない。
茶目っ気のある人間なら歴史を変えてやろうと
自分が死んだあとの歴史のために偽物の史料を作ろうと思うはずである。
それが偽物であるとばれなければ偽物の歴史が本物の歴史になってしまう。

とすれば、本物とはなんだろうか。偽物とはなんだろうか。
石ころと宝石をわけるその鑑定眼の正しさはいったいなんによっているのか。
宝石でも高価なものと安価なものにふるいわけられるが、その差はなんなのか。
たとえ偽物の宝石でもそれは世界一価値のある物だと本人が思って
身につけていたら、それはおのずから本人の自信につながり、
彼女の美しさは倍増しになることだろう。だれが宝石の真贋を見破れるか。
詐欺師から運気が上がると偽物の壺を買わされても、
本人がそれを死ぬまで信じていたらけっこう幸運も舞い込むのではないだろうか。
偽物のご本尊でも偽物のお題目でも十分に効果が上がるのだと思う。
そもそも本物のご本尊や本物のお題目など存在するのかどうか。
このあたりが井上靖の弟子を自称する宮本輝氏の初期作品のテーマであった。
ところが、宮本輝氏は社会的地位の上昇とともに、
本物は偽物であり偽物こそ本物であることを忘れてしまったような気がする。
「高いものはいい、いいものは高い」は最近の宮本輝氏の信念のようである。
見ていないので知らないがネット上でもそれに関する発言を連発しているらしい。
貧乏人から成り上がると金ぴかなものに目を奪われてしまうのは仕方がない。
わが家の小さな庭で見つけた小さな石ころが自分にとっては本物のこともある。
だれも価値を認めていなくても、自分にとっては本物の石ころは存在する。
宮本輝氏はそんな石ころは石ころだとバカにするだろうが、
井上靖は小さななんでもない石ころが本物かもしれないと疑うような
懐(ふところ)の広さがあったように思う。

ある小さな物がひとつ発見されただけで歴史は変わってしまう。
短編小説「古い文字」は、そういう内容の小説である。
研究員の大乃岐は新妻と旅行中に、
地中海近くの小さな村である印章を現地の子どもが持っていることに気づく。
印章には古い文字が書かれていたのだが、それを見て大乃岐は仰天する。
この印章の存在が知れたら世界が騒然とするからである。
なんとか小金をつかませて大乃岐は印章を手に入れることに成功する。
この印章は言うなれば世界の秘密のようなものである。
大乃岐だけが世界の秘密を知ってしまった。
そのときから大乃岐は監視妄想や追跡妄想に襲われるようになる。
夜ベットに身を横たえてもまったく眠ることができない。

「大きな津波のようなものの中に、大乃岐は揺られ続けていた。
世界の学界がこの印章一個のために騒然とする筈であった。
ただ現在はまだ騒然としていなかった。
一個の小さな石の面にインダス文字が二個刻まれ、
しかもそれに対応するアッカド文字が並んで刻まれているのである。
そうしたものがコルドバのホテルの一部屋にあると言っても、
世界中の学者の誰が、それを信ずるだろう。
しかし、実際にそれはあるのである。現にここに自分が持っている。
大乃岐は寝台の毛布の下で自分の首から吊り下げられてある
小さな宝物をまさぐった。確かにそれはあった」(P165)


物の価値は人によって変わることの典型例であろう。
結局、物語はどうなるのか。真実は明らかになるのか。

「若い考古学者大乃岐光矩がセビリアから五二キロ離れたカルモナの町の城門の
附近で心臓麻痺のために倒れたのは、五年前の秋である。
百合枝夫人は夫が身につけていた小さい古代印章のことを思い出して、
そのことを口に出したのは、パリに於いて夫君の仮葬がすんでからであった。
古い石のかけらが、インダス文字解明の鍵となるような貴重なものであったか、
あるいは多分に神経衰弱気味であった大乃岐光矩の
妄想が生んだ幻覚であったかは、
それが失われている現在では残念ながら知ることができない」(P177)


真実はわからないままに終わるのである。
小説家の井上靖はおそらくわからないものほどおもしろいと思っていただろう。
いまはなんでもわかった気分になってしまう時代だが、
井上靖が生きた時代はまだわかっていないものも少なくなかった。
井上靖はわからない時代を生きたおもしろい小説家だったのである。
わからないということがいかに豊かであることか。
わからないからこそ想像力を働かせて物語を創作することができるのだろう。
わからないところに想像力の翼を羽ばたかせる余地がある。
短編小説「明妃曲」には匈奴(きょうど)に憑かれた学生が登場する。

「大体、匈奴という民族は、その正体がよく判っていない。よく判っていて、
研究し尽くされていたら、恐らく私は何の関心も持たなかったに違いない。
判っていないところがあるからこそ、しかも、
それがそれを調べて判ろうというような料簡からではなく、
その反対のどうか判らないところが
いつまでも判らないでいてくれといったような気持から、
匈奴のことに関する記述を、
謂ってみれば古い壺でも手探るような調子で読んでいたのである。
学者の著書に、匈奴についてはよく判っていないが
というような文章が書かれてあるのを見ると、私はその度に、そうだろう、
そう簡単に判って貰っては困るといった気持が働いて、
ひそかに北叟(ほくそ)笑みを禁ずることができなかったのである」(P182)


「私」はおなじように匈奴に惹かれているどこか暗い男と知り合う。
ふたりはどこか似ていた。得体の知れない強い自尊心を持っているところだ。
あるいは匈奴もまたそういう民族ではなかったのかと「私」は思う。
匈奴好きの男は新資料が発見されそれを自分は読んだと言って、
「(美しい)昭君は元帝を憎み、匈奴の若者を愛した」という新説を熱心に物語る。
「私」は新資料なるものなどないことを薄々気づいていたが指摘せず、
自分とおなじように暗く匈奴が好きな男とひとつの物語を共有する。
そうであったことよりも、そうであってほしいことのなかに小説の真実はある。
歴史の真実も嘘もないのだとしたら、人を喜ばせることが真実なのである。
われわれはすぐにわかろうわかろうとしてしまうが、
わからないものをわからないままに愛するような姿勢もあっていいのだろう。
あれが本物か偽物かはわからないからこそ、わからないままであれはおもしろい。
それが本当か嘘かはわからないからこそ、わからないままでそれはおもしろい。
人はわかりあえないけれど、わからないままに人を好きになることはできるのだろう。
わかってしまったらそこで終わってしまうような関係もあるに違いない。
みんなから好かれるスターは正体がわからないからこそ輝いていられるのだろう。

「崑崙の玉」(井上靖/文春文庫)

→貧困家庭出身ながら芥川賞選考委員のみならず
紫綬褒章作家にまで成り上がった大成功者にして大勝利者の宮本輝氏が、
薄っぺらい新刊エッセイ「いのちの姿」で
井上靖の「崑崙の玉」を大絶賛していたので本当かよと思い、
たまたま積ん読していたこともあり読んでみた。
妻や子を亡くした50歳の孤独だが大金持の中国人が、
「崑崙の玉(究極の宝石)」求めて黄河の源泉まで旅をする短編小説である。
井上靖のファンでかなり小説は読み込んでいるほうだが、そこまでおもしろくもない。
というか、むしろ井上靖の小説のなかでは退屈な部類に入ると思う。

どうして創価偉人の宮本輝氏が「崑崙の玉」を絶賛するのか考えてみた。
宮本輝氏は世間的評価のうえでとても偉い人で、
自分のことをとても偉くて正しい人だと思っておられるようだ。
しかし、氏の偉さや正しさを証明する根拠(黄河の源泉!)がないのである。
だから、宮本輝氏はこういうエピソードをでっちあげた。
宮本輝氏は生前の井上靖に逢ったときに、こんな失礼なことを言ったという。
井上靖先生の西域物では「崑崙の玉」がいちばんいい。
「これさえ読めば、(井上靖)氏の他の西域物は読まなくてもいいと思う」
井上靖は怒らず、宮本輝さんがそうおっしゃるのだからきっとそうなのでしょう、
と答えてくれた、とだれも証人はおらず、ただ宮本輝氏だけがそう述懐している。

わたしはこれを嘘だと見破った。
ペエペエの若手作家が当時文壇の大物だった井上靖にそんなことを言えるものか。
本当に言ったのなら、人間として失礼すぎる。
宮本輝大先生に向かって
「先生の小説は『青が散る』さえ読めば、他は読まなくてもいいと思います」
なんて言える人はいないでしょう。わたしだってそんな失礼なことは言えない。
上下関係に厳しい創価学会で鍛えられた宮本輝が、
天下の井上靖にそこまで失礼なことを本当に言ったとはとうてい思えない。
だとしたら、このいんちきエピソードはどういうことか?
宮本輝は自分こそ井上靖の正統の弟子だと主張したかったのである。
井上靖が偉いことは(僭越ながらわたしもふくめ)みな認めている。
宮本輝は権威(偉さ)のご相伴にあずかりたくて、
井上靖の「死人に口なし」をうまく利用して、こういうくだらぬデマを書いたのだと思う。
自分は池田大作先生の弟子であるのみならず、
あの井上靖先生でさえも自分を認めてくれていたのだから、
いいか、いいか、おまえら、我輩は偉いのであ~る。

まったく宮本輝氏はいかにもクソ庶民出身らしいきたねえ手を使うぜ。
井上靖の「崑崙の玉」は絶版だし、読む人は少ないだろう。
いまはそれほどでもないがネット古書世界で超高値がついた時期もあるから、
そういうふうに高額を支払って手に入れたものを
人はなかなかつまらないと言えないのである。
宮本輝氏は骨董が大好きなようだが、
高額の骨董品の価値など目利きと呼ばれる権威者のひと言によっているだけなのである。
権力者の宮本輝氏は石ころに過ぎない井上靖の短編小説「崑崙の玉」を、
まさしく価値のある宝石のように変えてしまった。
それと同時に自分は井上靖のお墨付きなんだという経歴も偽造した。
財産、名声、称賛、権力、妻子孫、
あらゆるものを手に入れた大勝利者の宮本輝氏がいまいちばんほしいのは、
黄河の源泉でしか得られないとされる「崑崙の玉」なのだろう。

「傍観者」(井上靖/潮文庫)

→短編小説集でほとんどの作品は別の文庫で一度読んだことがあるような気がする。
このたびタイトルにもなっている短編小説「傍観者」の恐ろしさに気づく。
「傍観者」は昭和26年発表だから芥川賞受賞の翌年、つまり初期小説である。
40歳をすぎてデビューした遅咲きの作家である井上靖の源泉は、
もしかしたら芥川賞作品よりもむしろこちらの「傍観者」のほうにあるのかもしれない。
ある種の倫理的な問題をはらんだ作品といえよう。
愛する人が毒を飲んで自分の家に来たら、どうしたらいいのか?
いささか性急がすぎた。それまでの流れをかんたんに書いておこう。
「私」は青年時代に遠縁の「わがままで、病弱で、美貌な少女」梨花に恋をする。

「私の恋情の中には、その最初のときから、なにか運命的なものが、その場かぎりでない、
一生を支配するような何ものかが匿(かく)れひそんでいたように思われる」(P17)


「私」は人並みに恋をして女を知るが片時も梨花のことを忘れることがなかった。
ふたりが再会するのは「私」が東洋文化研究所に就職してからである。
二十歳の梨花は「病弱な面影はどこにもなく、わがままなところも見えず、
ただ美貌だけが、往時の蕾(つぼみ)の固さから、
ゆたかに花咲いた派手なものに変っていた」。
「私」は梨花のまぶしさを正視できず、同僚の岸本を呼んできてしまう。
「私」と岸本と梨花の関係が始まる。
あるとき「私」は梨花の家を訪問して辞するときにこの美少女から接吻のお土産をもらう。
時代は中国との戦争が始まったころである。「私」は軍隊に召集される。
中国の戦地で「私」は梨花が岸本と結婚したことを知りショックを受ける。
10年のときを経て日本へ戻ってきた「私」は梨花を憎む気持こそ捨てていたが、
愛着ばかりはどうにもならなかった。
戦後の混乱のさなか、「私」は闇商売で大儲けをした岸本と梨花に再会する。
「私」は独身のままであった。
相変わらず美貌ではあったが、梨花の生活はすさんでいくばかりで若い男に手を出したり、
ときには株で大損を出したりで、大学教授になっていた「私」はそのたびに面倒を見ていた。
「私」と梨花は決して身体のつきあいは持たなかった。
ある晩、暗い顔をした梨花がひとりで「私」のアパートにやってくる。
ベッドで休ませてほしいのだという。

「……やったなと私は思った。
梨花が毒を飲んでいることを、そのとき直観的に私は感じたのである。
私はついに来るべきものが来たという気持だった。
梨花がこのようにしていつか自分の部屋にやって来るのを、もうずっと前から、
私は無意識の中に予感していたようであった。
少しも意外なものがやって来た気持ではなかった」(P50)


このときどうするのが愛なのだろうか。毒を吐き出させるのが愛なのか。
医者(救急車がこの時代あったのか不明)を呼びにやるのがほんものの愛なのか。
「私」は「かまわない、お休みなさい」という。
自分の服毒を「私」が見抜いていることを梨花は知っていた。
最後にひと言「許してくださる?」というと梨花はひどくやさしく「私」を見入った。
そのまま女は深い眠りの中に落ちていった。
後日、このときのことを「私」はこう回想している。

「私は梨花を愛していたし、梨花は私を愛していたのである。
二人のばあいは、二人の愛情をそのような形でおく以外仕方がなかったのだ。
だから二人のあいだには何の醜関係もなかったのだ。
彼女は彼女でかってに他の男たちと身を持ちくずし、私はそれを傍観していたのである。
やがて当然のこととして彼女の生涯に破局がやってきて彼女は毒を飲んだのである。
私はそれさえも見ていた。
私がいかに彼女を愛していたかは、梨花がそうした私によって知ったはずである。
私たちは二人の愛情というものを、
そうした形においてしか終焉(しゅうえん)させることはできなかったのである」(P12)


愛する人が自分の選択で自殺したとき、果たして命を救おうとするのが愛なのか。
もしかしたら、そのまま死を見守ってあげるほうが強い愛を必要とするのではないか。
相手を助けたいと思うのはエゴイズムで、本当には相手のことを思っていないのではないか。
そして、若くして法的または肉体的に安直に結ばれているよりも、
このような屈折した関係のほうが男女ともにあるいは烈しい愛を感じられるのではないか。
ふたりだけにしかわからないこのような烈しい愛情は美しくはないか。
井上靖が「傍観者」で描いたのは男女の愛を超えた運命愛である。
傍観者たる「私」の梨花への愛は最後に運命愛にまで高められている。
女を愛するところから運命を愛するところまで上昇(下降?)しているのである。
女を愛したことからままならぬ人生(運命)をも愛す意志が生まれているではないか。
愛するのが運命なら結ばれぬのも運命で、
ならばその運命を愛する以外に人にどんな生き方があるというのか。
烈しい生き方は十中八九敗北に終わるだろうが、その敗北は夕陽のように美しい。
井上靖は上昇する朝日ではなく下降する落日の美しさを愛した作家であったのだと思う。

「海峡」(井上靖/角川文庫)絶版

→井上靖は無力の美しさを描く作家だと思う。
人間は世界に対して無力だが、そこに世界の美しさがあるのではないか。
無力で敗北感に暮れる人間はときにみっともないが、
その背景に人間を超える大きな世界をしっかり見据えると全体として美しいのではないか。
宿命に勝利する人間を描くのは井上靖をだれよりも慕う後輩作家の宮本輝である。
井上靖は宮本輝とおなじ宿命を描いているのだが、
先輩作家は宿命に敗れ去る人間の美しさを描いているのである。
成功する人間ではなく失敗する人間を描写する。
恋が成就した男女を描くのではなく、恋に破れた、つまり失恋した淋しい人間を描く。
もしかしたら恋愛成就よりも失恋のほうが人生の深い味を堪能できるのではないか。
あたかも井上靖はそう言っているかのごとくである。

新聞小説「海峡」から無力感あふれるシーンを見てみよう。
男が片想いしている同僚女性から酒場で相談を受けると、失恋したという話である。
しかも失恋相手は自分の上司だというではないか。
まこと人生の深い味を感じさせる場面である。
この味わいを井上靖はうまく会話として描く。
宏子は相談相手の杉原がなぜ憤(おこ)っているのかわからない。

「何をそんなに憤ってるのよ」
「憤るさ。憤らせるじゃないか。――くだらん恋愛なんどしやがって」
「しやがってという言葉もいや。下品だわ」
「悪かったな。――まあ、いい、一生に一度だ。今夜は飲ませてくれ。
飲ませて、慰めてくれ」
「反対になったのね。わたしを慰める筈だったじゃない」
「慰める!? お前さんをか。冗談言うなよ。自分が惚れてる女が、
他の男に惚れてるからって慰める馬鹿がどこにある?
俺は今夜自分を慰めるんだ。つき合えよ」
宏子にとっては聞き棄てならぬことを杉原は口走った」(P91)


宏子が帰ろうとすると、杉原は「頼む」と哀願するように言う。
「頼むから今夜もう少しつき合ってくれ」

「でも、いやだわ。酔ってるんですもの。恥ずかしいわ。
大きい声でへんなことばかり言って」
「いいや、もう言わん。恐らく将来二度と言わんだろう。
これから言葉に気をつける。今夜、二人でもう少し一緒に飲もう。
飲もうと言っても、俺ばかり飲むわけだが、おひろさんも飲めよ。
少しぐらいはいいだろう。酔わん程度に飲めよ。
――今夜は二つの恋情を葬る夜だ。
君は編集長のオッさんに対する変な気持をきれいさっぱりと、
今夜限り棄てるんだ。いいか。物にはきっかけというものがある。
今夜を最後に、明日から笑う女になれ。笑う女に!」
それから杉原はボーイを呼んで、
「勘定!」
と言ってから、
「俺は今夜限りさっぱりする。どうも多少俺はおひろさんに気があったと思うんだ。
しかし、考えてみれば莫迦(ばか)らしいことだよ。
どこがよくて、大の男がおひろさんなどに惹かれるんだ。
どこもいいところないじゃないか。俺は俺で今夜限りさっぱりする。
おひろさんもおひろさんでさっぱりしろよ」(P92)


いかにもいかにも井上靖らしいセリフである。
失恋は恋愛成就よりもよほど味わい深いのである。
酒を飲めば飲むほど、この不如意の渋味苦味は豊穣を増し五臓六腑にしみわたる。

人生はうまくいかないからおもしろい。

題目を唱えていたら夢がかなってハッピー! 宿命転換ブラボー大勝利! 
――なんていう世界観を井上靖はどこにもさらさら有していないのである。
人生は人間の思い通りにはならないが、そこにこそ深い味わいがある。
これが無宗教だった文豪・井上靖の持っていた信念のようなものである。
人生がうまくいかないということは、人間を超えるものがあるということではないか。
その大きなものを全身で認めたとき、無力な人間はかえって輝きを放つのではないか。

小説の終盤、人生の不如意をそれぞれに抱えた男3人は、
渡り鳥の声を聞くために本州の最果て青森県の下風呂温泉におもむく。
失恋と別離が確定した杉原は冬の海に向かって走っていった。
青年の姿が見えなくなってから、中年男二人はしみじみと思いを語る。

「去年からろくなことはないよ。病院は不景気になるし、
吉田君はあんな事故で倒れるし、細君は神経衰弱になるし」
「人生とはそうしたものだよ」
「だから僕も人生とはそうしたものだと思ってるんだ。
なんとなくやりきれないものだな」
その庄司のやりきれないと言った言葉が、ふいに松村の心に突き刺さって来た。
松村自身が、庄司以上にやりきれない気持だった。
どこへも持って行きようのない、いわば出口のない感情を、
松村もまたこの雪の半島に棄てたくてやって来たのである」(P344)


人生は、やりきれない。悲しくて、やりきれない。
悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない。しかし、この悲しさは美しい。
人間のちっぽけな悲しみも天から見たらきっと美しいはずだ。
人生のやりきれない悲しさを、井上靖は、わかりやすい物語に託して美しく謳いあげた。

「白い風 赤い雲」(井上靖/角川文庫)絶版

→主人公は少年タアちゃん10歳。父はなく美しい母がいる。未亡人である。
出版社に勤める母は3人の男性から求愛されている。
タアちゃんの学校の担任の角田先生。金持の太った中年男。妻も子もいる志村さん。
3人とも悪人ではなくそれぞれに善良な人物である。
お母さんは本当は志村さんが好きだが、
タアちゃんの将来を考えて金持と結婚することに決める。
井上靖の小説はどれもそうだが、失恋するシーンがとてもいいのだ。
タアちゃんの担任の角田先生が、
妻子のいる志村さんと決闘するシーンは正々堂々としていてすばらしい。
決闘の翌日、先生は自宅でタアちゃんから手紙を渡される。
それは母からことづかった手紙で、角田先生は自分が完全に失恋したことを知る。
このとき学童ふたりのまえで、いさぎよく恋心をあきらめる角田先生がいい。
先生は大きなため息をついたあと、こんなひとりごとを言う。

「人生というものは淋しいことばかりだな」(P237)

それから子どもたちに向かって言い聞かせる。

「君たちも大きくなると、いろいろなことを経験するだろう。
悲しいことや嬉しいことや、そしてまた淋しくて淋しくて、
死んでしまいたくなるようなこともあるだろう」(同)


そして、角田先生はじっと我慢するのである。
こういう美しい失恋シーンを読むと、心底から失恋にあこがれてしまう。
失恋というよりも片想いをしたいのかもしれない。
こちらがどんなに想っていても相手が振り向いてくれないというのは、
宿命や運命を感じさせるほど神々しい体験なのではないか。
たしかに片想いの失恋は死にたいほど淋しいのだろうが、
しかしその淋しさは疑いもなく宿命や運命に通じているのである。
おそらく死以外で宿命や運命を味わえる数少ない貴重な体験が片想い、
そして失恋なのだろう。
ならば、私小説ではなく大きなものを描きたいと小説を書き始めた井上靖が
ことさら失恋描写にこだわるのは必然なのかもしれない。
片想いは向こうから来るもので治そうと思ってもどうにもならない。
失恋は相手ありきゆえ、自分の意志だけではどうしようもない。
このどうしようもないことを宿命や運命と言うのである。
井上靖は繰り返し繰り返し、
ちっぽけ人間にはどうにもならぬ大きな宿命や運命を美しく描いた。
井上靖は非情な宿命や運命を美しいものと思っていた。

「河口」(井上靖/角川文庫)絶版

→いまはもうだれも読む人がいないだろう大衆小説を酒をのみながら楽しむ。
老年に近づいた井上靖が、むかしからの愛人とのゴタゴタに悩んでいた時期の作品だ。
テーマは「本当の愛とは?」ではないか。
やたら金の話題が出てくるのは、
井上靖が愛人との手切れ金問題で悩んでいたからだと思う。
本書のあらすじを書いてもいいが、だれの興味も引かないだろう。

愛の反意語は憎しみではなく金である、とこの小説の書き手が思っていたのがよくわかる。
愛というのは無償の行為だとされている。
愛に溺(おぼ)れているうちはいいのである。
あれほど愛し愛された関係も、結局は金の問題に行き着いてしまう。
本人はさほど恋愛経験がないにもかかわらず、
40近くにできた愛人のおかげで修羅場を味わわせてもらった文豪の言葉は重い。
愛人のおかげで小説を書けるようになったのが井上靖である。

「人生というものは金ですよ。金を持たなくちゃあ」とか、
「恋愛とか愛情とか言ったって、そんなものは結局は何にもなりはしません。
金ですよ、金、金」そんなことを館林は平気で口にした」(P99)


この館林なる男は不能の画商である。
おそらく、この小説を書くまえから井上靖の性欲が減退を始めたのだろう。
いざ性欲がなくなってみると、愛人なぞなんぼのもんか。
性欲が減少したら見えてくる世界が変わる。
これが本書の裏テーマではないかと思われる。
しかし、井上靖はいい。酒をのみながらたいへん楽しく読ませていただいた。
いつか井上靖のように愛人のひとりも持ちたい。
そのためには結婚しなければいけないのだから、まずこれが難題である。

「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)

→お嬢さんの書かれた人間・井上靖にふれてわかったのは、
この人気作家はとにかく大人だったということである。
なにせ42歳で芥川賞を受賞しているのだから。
専業作家になったのは44歳のときで、それまで勤務していたのは毎日新聞である。
井上靖の特異性をあげれば、子供だらけの文壇において、
数少ない大人であったということに尽きるのではないか。
無名の井上靖を引き上げてくれたのは佐藤春夫である。
氏は終生、佐藤を師として感謝を忘れなかったという。
恩返しとして北海道旅行へ招待しているのは、社会人のかがみというほかない。
ほかに井上靖を推したのは大佛次郎、上林吾郎、今日出海、亀井勝一郎の面々。
大人の常識を踏まえた井上靖は生涯彼らへの恩を忘れなかったことだろう。

40代の新人は、年下の編集者を自宅で接待したという。
これなども子供の文学者などには思いも及ばぬことではないか。
年上の芥川賞作家から自宅でもてなされたら、原稿を依頼をするのは当たり前である。
なにかお願いがあったら接待をするのは、サラリーマンの常識である。
まず恩を売るのが成功への近道。
井上靖は卑怯でもなんでもなく、社会の常識にそった行動をしたまでといえる。
新人が、ほとんど上司ともいえる編集者に対して偉そうに振舞うなどとんでもない。
むしろ身銭を切っておもてなしするのが大人の流儀である。

先輩への挨拶を欠かさなかった井上靖が唯一苦手としたのが三島由紀夫だ。
三島は井上にとって20も年下の先輩作家である。
家へ招待されて挨拶に行った中年の井上靖だが、三島だけは受け入れられなかったという。
いくら大人の井上靖とはいえ、当時の文壇の閉鎖性、派閥性には愚痴をもらしている。
どこの派閥に所属しているかで評価が大きく変わることを作家は嘆いている。

「みんなグループを組んで、お互いの身内を誉め合い、引き合うんだ。
弱くてひとりで立てないのだな。
何々派とかなんとかいって、そこに入っていない者を無視するんだよ。
無視された者がどうするか、意地悪く知らん顔して様子をうかがっている。
文学や芸術、学問の世界というものは、
そんなのとは本当は一番遠い世界のはずなのだけれどね」(P107)


そうはいっても井上靖は実社会にもまれた大人である。
すぐに文壇の仕組みを理解して、次々に文学賞を取るようになる。
「賞の取りすぎ」という陰口もあったほどである。
そのコツはどこにあったか。出世したかったらどうしたらいいか。

「誰かに推されて受賞しているのだからね、
自分にできる恩返しは、その賞にふさわしい人を、推薦すること。
人を推薦するというのは面倒なことでね、
皆自分は推されながら、なかなか推すことをしない。
けれど、僕は怠けずにするつもりだ」(P110)


だれかを推したら見返りに自分も推してもらえるのである。
これはべつにずるくもなんともないと思う。
ひとたびサラリーマンになったら、こういうルールは真っ先に覚えることではないか。
井上靖は40半ばまで毎日新聞社でサラリーマンをしていたのである。
こういう処世術を不正と憎む青臭さにはついていけなかったのではないかと思う。
「推してもらいたかったら、まず推せ」「ご恩は一生忘れるな」――。
これは陰謀でも裏工作でもなんでもなく、人として当たり前の感覚なのかもしれない。

井上靖の常識感覚はすばらしい。
作家は一時期、通俗的とも思われかねない恋愛小説を多作していた。
やたら自由恋愛を礼賛する小説である。
しかし、実際の小説家はお嬢さんによるとまったく違っていたらしい。
恋愛の価値などほとんど認めていなかった。
表の顔と内の顔を使い分けるのは、大人の常識だからこれを責めてはいけない。

「恋といったってねえ、あれは小説の上でのことだからね。
突然、燃え上がる感情などには、なんの意味もないよ。
激しく惹かれれば惹かれたところから、ある日突然嫌になりやすい。
そんな不確定なつまらない感情に重きを置き、人生を賭けるものではない。
本当の愛情とは、二人で時間をかけて、
苦労し創り上げ積み上げていくものなのだ」(P89)


日本でもっとも成功した作家のひとり井上靖も、成功者ゆえの悩みがあったようだ。
成功するとは、対人関係が増えるということである。
かつて親しくしていた文芸評論家が、いきなり悪意ある批判しか書かなくなってしまった。
そのあげく評論家はあっけなく死んでしまう。
作家は結局なにが原因でそんなことをされたかわからずじまいだったとのこと。
編集者から逆恨みされることもあったらしい。
担当の編集が代わったのちに、前任者が自分の悪口を広めていた。
井上靖が出版社に圧力をかけて人事を動かしたという被害妄想に陥っていたとか。
成功者は人から理不尽に恨まれる苦痛を、
平凡人よりよほど多く経験しなければならないのかもしれない。

井上靖は存命時、新進気鋭の大江健三郎や阿部公房のような作家をどう思っていたか。
もちろん作家は大人だから表立って批判するようなことはない。
しかし、娘さんにはこういったという。

「新しいものはその新しさ故に、新しいほど早く古臭くなりやすいものだ。
古いものは古いほど、
時代に遅れずに、かえって新しく蘇ることもあるんだな」(P115)


井上靖は大人の作家だという証拠を、このように挙げてきた。
では、大人とはいったいどういうことか。
ウソをたいせつにするということではないかと思う。
なぜなら、人はほんとうよりもウソを好むのだから。
そのうちわたしもあっという間に40歳になるのであろう。
いいおっさんのくせに物語=ウソが好きだ。
ならば、井上靖の小説よりも、
むしろ彼の大人らしい社交術から学ぶべきことが多々あるのかもしれない。
やはり文豪からは教えられることが多い。

「わが母の記」(井上靖/講談社文庫)絶版

→これを「しろばんば」のような自伝的小説と思って読んだらとんでもなかった。
「花の下」(S39年)、「月の光」(S44年)、「雪の面」(S49年)
からなる母三部作ともいうべき「わが母の記」は、
物語作家の井上靖がただひとつ書き残した私小説である。
繰り返すが「わが母の記」は自伝的小説ではなく私小説である。
どういうことかというと、よけいな読者サービス、
つまり現実の美化がほとんどされていないのである。
井上靖の愛読者は「え、こんなの読んじゃっていいの?」という思いにとらわれたはずだ。
表現をかえると井上靖の書いたものでなかったら、こんな身辺雑記に興味を持てない。
わたしが最後まで読み通せたのも、ひとえに有名作家の家族への覗き見根性からである。
これがあの井上靖の筆なるものでなかったら、どんな評価をしたかはわからない。

本音を白状すると人間性を疑われてしまうかもしれないが、
「わが母の記」を読みながら不謹慎な笑いをいくどももらした。
作家は母親がボケていく過程をかなり冷たく突き放して描写している。
本書ではボケのかわりに耄碌(もうろく)という言葉が頻繁に使われているけれど。
なまの現実のおかしみというのがあるのである。
文豪である井上靖先生の耄碌なさったお母様の言動が妙に生々しくて、
笑っていいのか一瞬ためらうが、その逡巡がむしろ笑いを加速するとでもいおうか。
ボケた老婆が香典のやりとりだけ覚えているのは人間の底を教えてくれるようでもある。
国民的作家は義弟から母のことをこう指摘されるが、
あんがいこれは事実ではなく氏が創作したところの他者性(他者の眼)かもしれない。

「香典を貰い、貰った額を返すということは、
確かに人間の貸借関係の中では最も基本的なものかもしれないと思いますよ。
何となく不気味ではあるが、みごとな気もする。
確かに人間は生まれて、結婚し、子供を生んで死ぬ。
人生はせんじつめればこれだけのものかもしれない」(P69)


母の弟――長年アメリカ暮らしをしていた叔父が姉を慕って帰国してくるのだが、
ここも現実のリアルさに笑うほかないような困惑した気分に陥ってしまう。
耄碌した母は叔父のことを弟だと思っていないようなのである。

「叔父は母に対して躍起になっていたが、
母の方は叔父をその名では呼ばなかった。
アメリカさん、アメリカさんと呼んだ。
その呼び方の中には多少の軽蔑感がこめられており、
陰ではなんだ、アメリカさんがとか、アメリカさんのくせにとか、そんな言い方をした。
そのくせ、アメリカさんが姿を見せない日は、
何度でもアメリカさんの家に押しかけていった。
いま訪ねて行ったことを忘れ、すぐまた出掛けて行った」(P75)


まず、おいおい、こんなことを書いていいのかよと思い、
それから、え、こんな恥ずかしい身内の話を読んじゃっていいのという気分になり、
結局は人間の持つおかしさに笑うほかは仕様がなくなるのである。
「わが母の記」は映画になり今年の4月に劇場公開されるそうだ。
宣伝HPを見たら家族愛を謳い上げたものになっているとか。
わたしはこの小説からひとかけらの家族愛も感じなかったが、
原作の映画化とはそういうものなのだろう。
家族愛だ絆だなんだと強調しないとスポンサーが金を出してくれないのかもしれない。
井上靖ファンはことさら「わが母の記」を読まなくてもいいような気がする。
しかし、作家はこれを書かずにはいられなかったのだろう。
「しろばんば」や「あすなろ物語」だけの小説家ではなかったということだ。