このたび人気ブログ「みたいもん!」にたてついたことで、
クチコミの天才と評されるかのブロガーのちからを思い知ることになった。
いまだにアクセス数の減る気配がないのだから、宣伝能力は見事なものである。
結果、期間限定の人気ブログになったわけだが、
いろんな人がいると感動した。物申す人びとのことである。
わたしはほかのブログによほどのことがないかぎりコメントをしない。
怖いからである。どんなに好意に満ちたコメントでもネットというのは顔が見えない。
相手がどう解釈するかはわからないと思っていたほうがいい。
コメントをする際は、できるだけ相手のブログをよく読んでから(理想は全部)、
細心の注意をはらって書き込むようにしている。
これはわたしの流儀を紹介しただけで、
断じてみなさまにも真似をしてほしいというわけではない。
なぜなら人間はそれぞれ違うからである。
このことはみなさまにもご理解いただけると思う。
さらに、ここからは個人の考えだが、
わたしは人間はわかりあえないとなかばあきらめている。

物申す人びとの純粋をわたしは尊敬しているといってもよい。
人様のブログにいきなり「あなたは間違っています」と物申す人びとのことである。
なかにはご自分のブログで「本の山」批判をしているかたもいらっしゃる。
この人たちはなんなんだろうとわけのわからぬ敬意が生じるのである。
わたしとかれらはなんの関係もないのだ。
それなのにわざわざ記事を引用して、それは違う、俺はこう思うと書いている。
もしかして高校生かなにかで人と人はわかりあえるなどと思っているのだろうか。
大学のゼミかなにかを思い出して、
お互いの意見を闘わすのはすばらしいとでも夢想しているのか。
話し合ううちにいつしか最善の結論にいたると錯覚している可能性も考えられる。
あるいは、論争ごっこをしたいのかもしれないとも思う。
評論家のように相手を打ち負かすという経験がしたいのかもしれない。

批判記事をブログに書いてトラックバックを送ってくださるかたがいる。
やはり読まねばなるまいと先ほど拝読した。
まるで意味がわからないのである。申し訳ないが、文章がなっていない。
第三者が読んでもおもしろいようには書かれていないのも残念なところ。
くわえていくつか単純な誤解がある。どうしようかと思うわけである。
コメント欄に「それは違いますよ」と指摘するかどうかだ。
めんどうなのでやめた。議論に要する時間と精神的負担が惜しいのである。
さらに人間不信である。どうせわかってくれないだろうとあきらめている。
どれだけ丁寧に説明しても理解できない人がいる。
問題は論理ではないということだ。わたしを嫌いな人にどう弁明しても仕方がない。
時間の無駄である。
だったら、自分は正しいと思うがままにさせておいたほうがいい。
わたしは正しい・誤まりにそれほど重きをおいていない。
べつに見知らぬ他人からどう思われていようが知ったことではない。
むろん、かれらのブログを熟読して誤まりを指摘してやろうなどとも思わない。
興味がないのである。無関係の人に関心を持つことができない。
だから、どうして物申す人びとが、こうまでわたしに執着してくださるのかふしぎである。

先ごろわたしがふたつのブログに言及したのは、引用されたからである。
このようなことがなければ、わたしはどちらのブログにも興味を持たなかった。
で、引用の仕方について批判をした。
これはわかりあえるなどと思ってやったわけではない。
どのみち、両者ともに今後ともブログ運営方針は変えないだろうとあきらめている。
不愉快を伝えたかったのである。引用されてどのくらい憤ったかを知らしめたかった。
もう目的は達したので、これから先、両ブログを読むことはないと思う。
白状すると、「死んだ目でダブルピース」のほうはおまけであった。
「みたいもん!」と同時期に引用されていなければこんなことにはならなかった。
運が悪かったとあきらめてもらうほかない。謝罪が必要ならここに謝意を表したい。

物申す人びとに話を戻す。いったいこの人びとはなんなのだろうか。
顔も知らぬ他人に自分の反対意見をぶちまけたいという欲望の由来である。
よほど生活で鬱屈をかかえているのだろうか。
見知らぬ人を打ち負かすことで得られる爽快感などつまらぬものだと思うが。
いや、やはり人間はわかりあえると素朴に信じているのかもしれない。
みんなが意見をだしあえば理想的な社会が完成すると信じている心豊かなものたちよ!
わたしは心貧しきやからである。かれらのように人間を信じられない。
言うまでもなく、人様のブログを読むこともある。
FC2ブログはミクシィのように履歴システムがあるので、履歴から訪問する。
多種多様なブログが存在する。いろいろな人間がいるのだから当然である。
なかにはわたしの考えと異なるかたもいる。
かといって、とりたてて不満を感じたりはしない。反論しようとも思わない。
人それぞれだからである。
それに、たとえどう反対意見を述べようが当人の考えは変わらないとあきらめている。
実際に面識のあるそれも親友だろうが、
ある人間の意見を変えるのはそうとうに難しいことではないか。
人間がわかっていないのか。人間を信じているのか。
ともあれ、物申す人びとがいる――。
これ以上、深入りするべきではないとも思うが、どのみちアル中。
あと何年生きられるかわからないので書きたいと思ったことは記しておこう。
どうして表現がたかだか自由で、
引用にご大層な権利が与えられるのか心情的に理解できない。
引用というのは、そもそも表現がなければできないことなのである。
主従関係でいえば表現は主、引用は従でしかない。
だのに、表現は自由、引用は権利なのだろうか。
(このとき「ひとを殺す自由はあるが、ひとを殺す権利はない」という例文にしたがい、
自由と権利を別のものと考える)
表現者は「表現の自由を守る」という。
いっぽうで引用者風情が「引用する権利を侵害するな」という。
表現者に与えられるものが自由なら、引用者に与えられるものも自由でいいではないか。
「引用する権利を侵害するな」と騒ぐ引用者はまるで悪質なクレーマーである。
おまえらに与えられているのは、せいぜい引用する自由くらいではないか、と思う。
自分はなにひとつ表現しないで、引用の権利ばかり訴える人間の神経を疑わざるを得ない。

(参考)「ひとを愛する自由はあるが、ひとを愛する権利(=ストーカー)はない」
「自殺する自由はあるが、自殺する権利(尊厳死)はいまのところない」
「生まれてくる自由はないが、生まれた瞬間に権利(人権など)が発生する」
コメント欄を見ると、まだ引用する権利があると思っているかたがいるようである。
何度も繰り返すが、引用する権利はない。
権利という言葉を突きつめれば、法で保障された個人の権益のことである。。
引用する権利があると主張するものは、どこの法にそう記載されているか示してほしい。
著作権法は、著作者の権利を守るための法律で、
引用者の権利については触れられていない。
たしかに引用について書かれているが、
それはこのような引用ならば著作者の権利を侵さないで済むという規定に過ぎない。
引用してはならないと言っているのではない。
引用する権利などは存在しないと述べているのである。
引用をする自由はあると思う。
著作者の権利を侵さない限りにおいて、ひとは引用する自由を有する。
だが、これは表現の自由のように憲法で積極的に認められたものではない。
それでも表現の自由というのがいちばん比較しやすい概念だとは思う。
表現の自由が他人の権益(名誉など)を侵害してもいいのかという問題は、
引用の自由の制限にも適用されるものだと思う。
誤解なきよう念を押しておくが、引用はしてもいいのである。
わたしもするつもりだし、みなさまもどんどんおやりになるがよろしい。
だが、それは引用する権利があってやっているわけではない。
せいぜい引用する自由があるくらいのものである。この自覚を忘れてはならない。
したがって、「引用する権利が侵害された」という表現はおかしい。
なぜなら引用する権利など、どこにも記載されていないからである。
この場合、「引用の自由を守る」という表現なら可能だが、
「表現の自由を守る」に比べるとあまり格好のいいものではない。
というのも、主従関係で説明するなら表現が主で引用が従だからである。
引用ばかりして表現をしない人間が一般的に評価が低いのもこのためだと思われる。

つぎに今回の引用問題を総括したい。
先ほど久しぶりに(3日ぶりかな)いしたにまさき氏の「みたいもん!」を訪問した。
この引用問題については一切言及されていなかった。
わたしはいしたにまさき氏に問うた。「無断引用は正当な権利か」
この質問はいまだに返答をいただけていない。
再度コメント欄から問いを発しようと思ったが、そこまで執着するほどの人物ではあるまい。
笑えるのは「みたいもん!」によると、
ここ数日でいしたにまさき氏はブログセミナーの講師をしたようである。
あの程度の文章しか書けない人間が、他人にものを教えているのである。
いや、文章講座ではない。ブログ講座であった。
専門家・いしたにまさき氏からしたらブログにおいて文章は問題ではないのかもしれない。
いかに引用するか。いかに広告を掲載するか。
いしたにまさき氏にとっては、ブログなどこんなものなのであろう。
最後にもう一度だけ、いしたにまさき(石谷匡希)に問いたい。
「(無断)引用は正当な権利だといまでも思いますか?」

karatedou氏の「死んだ目でダブルピース」にも言及しなければなるまい。
いま更新を見てきたが、いいひとなんだなと思う。
このブログを批判したとき、あるひとから忠告されたものである。
「いつ刺されても知らないぞ(笑)」と。
バカにバカと指摘するのはやばい。
バカがバカゆえに気がつかなかった自分の正体(=バカ)を
第三者から知らされたときほど恐ろしいものはない。

>> 刺される覚悟があってやってるなら、及ばずながら支持します。

> いちおう、いつ刺されてもいい、
> 殺してもらえれば幸いと思いながら生きています、書いています。


いまでもこの気持にかわりはない。
だが、どうやら運のいいことにkaratedou氏から刺されることはないようである。
やはり感謝しておくほうがいいだろう。karatedouさん、ありがとう。
それにしても言葉は危険なものだという認識が、
いしたにまさき氏にもkaratedou氏にも足らないようである。
いまはやるつもりはまったくないが(犯罪予告の否定)、かのカリスマブロガーは
セミナーかなにかでわたしに殴られる危険性を考えないのだろうか。
言葉の扱いについてここまで軽率な人間が、
どうしてカリスマブロガーやらライターでいられるのかふしぎで仕様がない。

(参考1)著作権法第32条

(1)公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

(2)国又は地方公共団体の機関が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。


(注)「公表された著作物は、引用して利用することができる」とは、
「引用の自由」を示唆するだけで決して「引用の権利」をうたうものではない。
そもそも著作権法は、著作者の権利を守るための法律である。


(参考2)著作権法第1条

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。


(注)著作権法のなかで「引用」について明記されているのは
(参考1)に挙げた第32条のみ。
とすると、どこにも「引用する権利」など記載されていないことになるのだが。
認められているのは「公正な慣行に合致する」「正当な範囲内」の
「引用の自由」ではないかと思われる。
はじめに結論を書いておくと、わたしは

ブログの無断引用反対派ではない!

無断引用をマナー違反だと思っているわけではない。
だが、無断引用をする「正当な権利」があるとまではいえないのではないかと思っている。
書籍の引用に関しては著作権法で定められている。
したがって「本の山」における書物からの引用を、無断ではないか、矛盾している、
と批判するのはふたつの意味でおかしい。
そもそもわたしは無断引用を認めている。
さらに書籍からの引用は、新メディアのブログとは異なり長い歴史があるため、
一般的な共通了解が形成されている。
ひるがえってブログは近年、誕生した情報伝達媒体で、
利用者のあいだに衆目一致といえるほどの規則がない。
なかには無断引用を好ましくないと感じるひとがいることは
配慮しなければならないと思う。
ブログの無断引用を「正当な権利」とまでは断言できないと思うゆえんである。

かたい話になってしまったから、少しくだけた話をしよう。
書物からの引用はやってみればわかると思うが、けっこうな骨折りなのである。
時間がかかるわけだ。ネット上の引用のようにはいかない。
はい、コピーしてペースト、というわけにはいかないのである。
引用文によほどの関心、もっといえば愛情か憎悪がなければやれないことだと思う。
さらに書籍の場合、対価を払っているということがある。
古本で買った本は著作者に金銭がいっていないと指摘されそうだが、
古書店に代金を払っているのもまた事実である。
ならば図書館で借りた本はどうか。これも往復する労力を費やしている。
なにがいいたいのかというと、サイトやブログからの引用はあまりにも楽ちんである。
ほとんどコストを必要とせずに引用することができる。
反面、引用文のおかげで無価値なブログでさえも、なんとか形がつくのである。
なにか自分も主張したような錯覚ならびに自己陶酔を享受することが可能だ。
書籍は一定の分量をもった言説である。ブログとは異なり中味が濃い。
どういうことか。バカには本が読めないということである。
書籍を読了したのち大量の情報から一部を引用するなどなおさらバカには不可能。
ところが、ブログ記事ならばかんたんに読め、なおかつ右手を少し動かせば引用できる。
引用先の記事がしっかりしていればそのぶん、
オリジナルのものに寸評をつけただけのアホなブロガーにも箔(はく)がつくわけだ。

以上、まずわたしの立場を表明し、
それから書籍引用とブログ引用の相違について述べた。
引き続き経過報告もかねて個別のケースについて述べたい。

「みたいもん」byいしたにまさき
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8f7e.html


ここに引用の削除をお願いしたのは不愉快だからである。
このブログにわたしの文章が掲載されることに耐えられなかった。
あの記事をあの程度の人間にかるがるしく引用されて非常に傷ついた。
いしたにまさきは、トラックバックを削除しろとのたまった。
「せっかくカリスマブロガーのオレ様が引用してやったのにな」という態度である。
営利というのも気に食わない。
カリスマブロガーいしたにまさきはブログからの引用を繰り返すことで金儲けをしている。
いろんなひとが苦労して書いたブログの文章を狡猾に利用して金銭を得ているわけだ。
人間として恥ずかしくないのだろうか。親の顔が見たいものである。
わたしはいしたにまさきに「無断引用は正当な権利か」と問うた。
イエス・ノーで答えられる容易な質問である。
だが、いしたにまさきは答えようとしない。無視している。
カリスマブロガーともなると、弱小ブロガーなど相手にしないということらしい。
ご立派な態度というほかない。
柳杏とかいうやつもあれだけ高言をぶっておきながら、その後なんの連絡もない。
おかしな話である。

「死んだ目でダブルピース」
http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20080217


こちらはどうでもいい。非営利のどこにでもあるお気楽ブログと思われる。
おもしろいブログとして紹介したのみ。
だから、引用を削除してほしいというお願いもしていない。
世の中には、自分の意見を持てないかわいそうな知的弱者がいるのである。
しかし、かれらとて自己主張したいときがある。
引用先の記事を読んでわたしは同情を禁じえなかった。
こうまで自分のあたまでものを考えられないひとがいるのである。
世の不条理というものに涙ぐみさえした。
うちのようなブログでよければ、これからもどんどん引用していただきたい。
ただし、「はてな粘着」には困ったものである。いまも粘着は続いている模様。
これはいくら本人が否定しようがkaratedou氏によるものとしか思えない。
ほかにだれがあんなことをするというのか。
よろしい。気が済むまでやればいい。1週間もすれば飽きるでしょう。
「本の山」のコメント欄に登場してくださったことには感謝したい。
カリスマブロガーのいしたにまさきとは大違いである。

> 何か勘違いをなさっているようですが、こちらは怒ってもいないし、
> どこかに晒してもいないですよ。


信じられないがkaratedou氏は怒っていないというではないか。
バカにされていることに気がつかないとはよほどの――、いや、よほど人間ができている。
すぐにカッカしてしまうわたしはkaratedou氏を見習わなければならない。

ブロガーは概して読書家よりも知能が劣る。
最後に本記事の要旨を箇条書きにするのはこのため。

・「本の山」はこれからも書籍からの引用をする。
・「本の山」からみなさまが引用をするのも、むろん自由(出典は入れようね)。
ただし相手によってはこちらから削除をお願いすることがあるかもしれない。
しかし削除するしないは、これまたそのブログ管理人の自由。
・ブログから引用ばかりしているとバカに見られるぞ。
・ブログの無断引用で収益をあげているカリスマブロガーいしたにまさきがうらやましい(笑)。
柳杏さんへだしたメールが送れないということで戻ってきた。
わざわざ使用不能なアドレスを記入する神経がわからない。
これも「正当な権利」なのだろうか。
柳杏さんとコンタクトをとるためには「みたいもん!」へ乗り込むしかあるまい。
なんか柳美里みたいになってきたぞ。
火病というのか、怒りがおさまらないのである。

「みたいもん」byいしたにまさき氏
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8f7e.html

> 昨日は引用の削除、ありがとうございます。
> ところで。
> ここに書き込んでいいのかわかりませんけれども。
> 柳杏さんへメールを送ったのですが送信できませんでした。
> なんとか連絡を取る方法はないでしょうか。
> ぜひ教えていただきたいことがあるのです。
> 失礼とは存じますが、以下にリンクをはります。
> また、いしたにまさきさんは無断引用をどう思われますか。
> やはり「正当な権利」というご認識でしょうか。
> ちかぢかご著書を購入して正式に勉強したいと思っております。
> ヒントのようなもので結構ですのでお教えいただけるとうれしいです。

> 「無断引用は正当な権利か?」
> http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1523.html

> 柳杏さん、ここをご覧でしたら、ぜひご教示ください。
> このブログにご迷惑をおかけしたくないので、
> できましたらうちのブログへいらしてください。
> メールをいただけるのもうれしいです。ありがとうございます。

> コメント欄を私信のようなもので汚してしまい、ほんとうに申し訳ありません。
> いしたにまさきさんの寛大なお心に甘えてしまう結果になりました。
引用問題その4

カリスマブロガーにして著書もある、いしたにまさき氏によると、
「無断引用は文化」ということらしい。
文化のためとあってはいたしかたない。
むしろ、文化に貢献したいと思う。無断引用をしなければなるまい。
だが、当方は小心者で、
いしたにまさき氏のように無関係のブログから無断引用をする勇気はない。
ならば、いしたにまさき氏のブログから無断引用をしたらいいではないかと気づく。
無断引用で広告収入を得ているのだから、逆に無断引用をされても文句はいえまい。
そう思っていしたにまさき氏のブログ「みたいもん!」をさっきから熟読しているのだが、
引用するほど価値のある情報がひとつもないのである。引用と広告ばかり。
どうやらふたつのブログがあるようである。
発信型のブログと引用型のブログだ。
ブログは個人の情報発信メディアだが、発信する情報によって種類がわかれる。
オリジナルの情報を発信するブログがある。
いっぽうでブログで発信された情報を引用するブログもあるということだ。
わたしはブログといえば前者ばかりだと思っていたので「みたいもん!」は新鮮だった。

いしたにまさき氏がうちのブログから無断引用をした記事を再読する。
しっかり原一男監督の映画DVDが広告に入っているので大笑いした。
いしたにまさき氏はこの監督のドキュメンタリー映画を見たことがあるのだろうか。
乞食根性といったら問題になるのか。
このDVDが売れたらいしたにまさき氏の利益になるのである。
ネットでものを売るのはよろしい。
だが、宣伝文句をほかのブログから無断引用するのはあまりにも下品ではあるまいか。
それとも、いしたにまさき氏はおのが狡知(こうち)をほこってでもいるのだろうか。
広告をつけないでブログを運営するやつってバカだよな。
オレ様がちゃっかり引用して、かわりに稼いでやるからな。
いしたにまさき氏は新しいビジネスモデルの発見に狂喜乱舞しているのかもしれない。
モラルなどあっては「勝ち組」になれない。
ネットビジネスの最先端をゆくカリスマブロガーいしたにまさき氏から学んだことである。

「みたいもん!」byいしたにまさき氏
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/
柳杏さまへ

はじめまして。「分け入つても分け入つても本の山」のYonda? と申します。
いしたにまさき氏のブログ「みたいもん!」で柳杏さまから以下のご教示を受けたものです。
その節はたいへんお世話になりました。

> Yonda?さま。残念ながら、インターネットに対する認識が完全に間違っています。
> 「ブログに書く」ということは、それを読める人に対してパブリッシュするということです。
> そしてパブリッシュされたものに対して引用するのは、引用する側の正当な権利です。
> なおかつリンクまで貼って引用元を明らかにしているのだから、何も問題ありません。
> ただ、確かにYonda?さまのように「無断で引用されたくない」と考える方もいらっしゃって、
> そういう方に全く救済手段がないのもかわいそうです。
> そういう方のために「クリエイティブ・コモンズ」という、
> 自分がパブリッシュしたものに対して「どこまでを許すか」
> を明示する仕組みがありますので、それを活用してみてはいかがでしょうか?
> あるいは、「特定の人しか見れない」たとえばmixi日記などを使ってはいかがでしょうか?
> いずれにしろ、ブログに書いておきながら「引用するな」はあまりにも失礼です。


理解できないところがありますので、よろしければ教えていただけませんでしょうか。
お忙しいなかお手数をおかけして申し訳ありません。
ほかのブログから無断引用をするのが正当な権利であると柳杏さまは教えてくださいました。
不勉強でお恥ずかしい限りですが、この権利はどこに記載されているのでしょうか。
どこかインターネット憲法のようなものがあるのでしたら教えていただけませんか。
わたしは各人のマナーの問題だと思うのですが、
柳杏さまは無断引用が権利だとおっしゃる。
権利という言葉は一般的に法で保障された個人の権益のことをいいます。
柳杏さまの主張する正当な権利は、どこの法に記載されているのでしょうか。
まさか柳杏さまの作った法律ではありますまい。

一方で「引用しないでください」とお願いするのが失礼になるという。
失礼というのはマナーの問題です。礼を失する。
無断引用されて削除をお願いするのがマナー違反。
これもどこかに決まりが書いてあるのでしょうか。寡聞にして存じあげません。
「パブリッシュ」「クリエイティブ・コモンズ」、目新しい言葉です。
柳杏さまはさぞかしネットにお詳しいのでしょう。
今後のブログ運営のためぜひぜひお教えいただきたいと思っております。
つたない愚見を申し上げますと、日本においてブログは日記として使われることが多いです。
公開されているとはいえ日記は日記です。
人様の日記から無断で引用するのが正当な権利だとはとても思えません。
そのうえ無断引用の削除をお願いするのが失礼にあたるとも思えません。

突然のメール、失礼しました。
何度も柳杏さまの博識にたよる非礼をお許しください。
蛇足ですが、この問題はネットユーザーの関心が高いと思われます。
柳杏さまからのご返信を拙ブログに転載してもよろしいでしょうか。
メールの無断転載の権利の有無についてもご指導いただきたいです。
返信、お待ちしています。
柳杏さまとお知り合いになれて、とてもよかったです。
ありがとうございます。

Yonda?
http://yondance.blog25.fc2.com/
こちらのほうは、おまけとして言及したようなものです。

「死んだ目でダブルピース」
http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20080217


広告もほとんどありませんし、よくあるオレ様ブログとお見受けしました。
基本スタイルは、はじめにどこかから情報を持ってくる。
この件に関してオレはこう思うぜ、という繰り返しのようです。
本人の精神衛生のためにこのようなブログは有益だと思います。
ただ、このkaratedou氏は、特別な才能があります。感心しました。
リンク先をご覧ください。引用だけでブログ記事を作っていらっしゃいます。
こういうやり方があったのかと教えられた思いがします。
小学生の夏休みレポートを想起させるほど若々しい感性にあふれた良質な記事です。

ふたつまえの記事は当初、リンクをはってあったのです。
このためkaratedou氏に気づかれてしまったと思われます。
「はてな」に晒されてしまいました。
いままで「2ちゃんねる」に晒されるということは何度もありましたが、
こういう方法もあるのですね。
karatedouさん、拙ブログを広くご紹介いただき、ありがとうございます。

「はてなブックマーク」
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1520.html


よほどかれを怒らせてしまったのだと思います。
だれだって晒されるのはいやです。
「はてな」から逃げようと記事を削除して、新しく登録しなおしたりもしたのです。
けれども、そのたびに追いかけてきて「ブックマーク」をつけてくださる。
最後には降参しました。「本の山」はコメント欄があります。
もしなにかご意見がございましたら、直接こちらへお願いします。勉強させてください。
うちのブログは基本的に無断引用はかまわないのです。
なかには典拠元さえだせば、
どんなサイトもネット上なら引用可能と考えておられるかたもいるようですが、
わたしはそこまで乱暴なことは思いません。
これは見解の相違というものでしょう。
実際、いままで「本の山」は他のブログから無数に引用されています。
記事全文を断わりもなく引用したかたもいました。
その引用に対してのブログ管理人の感想はわずか数行ということも。
しかし、一度として削除のお願いはしませんでした。
なぜ昨日は削除のお願いをしたのか。
母の自殺のことを書いた記事を引用されたからです。
血涙をしぼりながら書いた文章がほかのブログに転載されている。
しかも、そのブログは山のような広告が掲載されており、
ブログ名と作者を調べるのにだいぶ時間がかかりました。
ここのブログにわたしの文章が載せられるのはかなわないと思いました。
だから、削除してくださいとお願いしたのです。
すると、そこのブログの取り巻きでしょう。わたしを叱るひとが現われました。
ネット上に公開されたものは、どの文章も引用する権利がある。
引用者の権利をおまえはなんと心得るか、というのです。
引用されたくないのならブログになんか書くな、ということのようです。
どうして管理人ではなく取り巻きに、
こんなことを言われなければならないのかわかりませんでした。
のちに管理人が登場し、削除してくれるとのこと。
その際、これは嫌味なのでしょうか。

> ただ、ブログというのは引用をしていくことで、
> 最初に投稿された話が連なっていくことで文化を育ててきた背景があります。


こんなお言葉をいただきました。ブログの管理人はもうすぐ37歳になるとのことです。

「みたいもん」byいしたにまさき氏
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8f7e.html


引用され削除してもらった記事
「課外授業ようこそ先輩 原一男」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1217.html
ブログを更新するのは労力がいる。
だれだって文章を書くのはめんどうなのだ。人間はついつい楽なほうへ行ってしまう。
たとえば本の感想で、あらすじを紹介するとき、
アマゾンから引用するというのがそれである。
あのあらすじは出版社が公開しているものだからなにも悪くはないのだろう。
ただ、読み手としては、このような感想文を見かけると興醒めする。
あらすじくらい自分で書けないのかよ、と思うこともある。

広告をたくさん設置しているブログがある。
どのくらい広告収益があるのか知らないが、旺盛な物欲にあたまが下がる思いである。
広告ブログはとにかく集客しなければ利益があがらない。
更新しなければ、ブログにひとが集まるはずがない。
ところが、いちからブログ記事を作るとなったら骨折りである。
実は、自分のあたまを使わないでブログ記事を作成する方法があるのだ。
リンクと引用を利用するのである。
まずAというブログから記事を引用する。
おなじテーマに関して、B、Cのブログから記事を引用する。
A、B、Cによって、さしたる労力を必要とせず、ひとつのブログ記事が完成するわけである。
せこいとわたしなどは思うが、みなさまはどのように思われますか?

このところ、こういったブログを見かけることが多い。

「原一男の目線と子供たちと対話と」
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8f7e.html
(ここの管理人が「本の山」から引用した内容をお願いして削除していただいた。
コメント欄にわたしの書き込みが残る。コメントは削除してくれないようである)

「売れない芸人」コラアゲンはいごうまん
http://d.hatena.ne.jp/karatedou/20080217

(注)あえてリンクをはっていない。
ご覧になる場合はお手数ですがコピー&ペーストをお願いします。