インドや東南アジアを歩いているとよく見かける老カップルが白人肥満と剛毛女性。
「グレート」「ワンダフル」「ビューティフル」「ナイス」くらいしか言わない。
リタイアした富裕層なのだろう。
伯母が大富豪と結婚して豪華クルーズ船で世界旅行ざんまいだと聞くが、それは遅い。
若くないとわからないことがいっぱいある。
それは「グレート」でも「ワンダフル」でも「ビューティフル」でも「ナイス」でもない。
世界の舌ざわり、色かたち、生めきである。
騒々しさであり鬱陶しさであり厄介さと言ってもいいだろう。人間臭。
敦煌料理店の随さんと出会うにはいくつの偶然があったか。
それが旅をする醍醐味である。
会うべくして会い、そして別れ、もう会わないがゆえに懐かしい。「I miss you.」――。
インドのカジュラホやブッダガヤーにいると若い男が話しかけてくることがある。
物売りかガイドかと思うとそうではない。へたくそな日本語で話しかけてくる。

「日本人のオンナ、最高デスね。僕、ガールフレンド何人もいマス。
ニッポンのオンナ、インド人、大好きネ。
インド人、チンコ、長い。オンナ、ひいひい言いマス。
別れたくない言いマス。ラブレターこんなにありマス」

で、日本人女性の写真と葉書をいっぱい見せられるわけである。
手紙は「旅行中、お世話になりました」としか書いていない儀礼的なもの。
本当かなあ?
しかし、とびきり上物のオンナの写真を見せられ、
「この子、チンコ、好きで、スリータイムスやりました」とか言われると、
もやもやむかむかするわけである。
こちらがイラッとした顔を確認してインド人は嬉しそうな顔をして去っていく。

89日間もあればインドを旅行している日本人女性旅行者と知り合えるかなあ、
という下心も29歳の男にはなかったわけでもないが、結局、そういうことはなかった。
寄ってくるのは、こんなインド人ばかり。見透かされていたのか。
いちおうガンジス河の河口から源流までさかのぼってみよっかな♪
みたいなかわいい気持が29歳の僕にはあって、
地図ないんだけれど、行ったらどうにかなるかなあ、僕かわいいし乙女心♪
カルカッタからガンガーサーガルに行くのからしてパネエっしょ。
いまならスマホでなんとかなるのかもしれないが、15年前。
ガンガーサーガル? そんなとこ、知らねえよ。そんな反応ばっか。
詳細は当時の日記に書いてあるのだろうが
怖くて読めない(無謀すぎる。よく生きていたなあ)。
で、結局、ガンガーサーガルらしきところに行ったのだが、
だれもここがガンガーサーガルだと明言しない。
なんとなく、そういう感じのとこじゃないかなあ? こっちだってヒンディー語できないし。
そこで同年代の日本人カメラマンに会って、
たしかにここがガンガーサーガルだという確証を得た。
いま彼は生きているのだろうか?
無鉄砲なやつっぽかったが、あっちはこっちを無鉄砲すぎると言っていた。
ガンガーサーガルって要は海だよね。ガンジス河の河口なんだから。
きたない海辺で、だれも人もいなく怖かったなあ。
あんなところでひとりカメラを撮っていた日本人ってなに?
いやまあ、お世話になったわけだが。
インドの聖地、バラナシにはワールドを見誤ったヨガの女がたくさんいた。
日本人なのに白Tでノーブラで歩いたら、おっぱい丸見えだぞ。
当時は若かったから、むらむらしていたのだが、ヨガの女との縁はついぞできなかった。
あいつらなにを考えていたんだろう? 精神世界? あるわけねえだろ、バッカヤロ!
ウイスキーをのむこちらを軽蔑した目で見てきやがって。
もっともこっちも、そっちの胸のほうしか見ていないからどっちもどっちなのだが。
また、安宿でうさんくさい早朝のヨガ教室とかあってなあ。
あんなもん、二日酔いで行けないがや。
ああいうヨガの女が決まってひかれるのがガンジャでも決めていそうな、
細身のひげ面のおにいちゃんで、
けっ、ヨガ四十八手かよ、と淫猥な悪口を内心で言い放っていた。
いまでもヨガ系の女はわからない。
ビートルズが行ったことで有名なリシケシは白人女ばかりで日本のヨガ女は少なかった。
当時はである。いまは多いらしく、
あそこで1週間観光修行をすると先生になれるらしいが、
開業してもだれもお客は来ない。
ヨガの聖地、リシケシとか大嫌いだなあ。メシもまずいし、酒もねえ。
まあ、こちとらデリーで準備済みだぜ。
リシケシのベジのターリー(刑務所的粗食飯)ほどまずいものはない。
あんなもん、どうしてわざわざインドまで行って食いたいやつがいるのか。
基本、インドのバラナシでゴードウリヤー交差点以降、
ガンジス河よりは絶対禁酒地域なんだよ。
29歳のわたしがひいきにしていたのは、むかしから有名なモナリザ食堂。
かの食堂は、
いんちき日本語メニューといんちき日本料理で数多くの和客の心をざわつかせてきた、
ガンジス川ぞいにある、グルメ評論家の土屋さんが三ツ星をつけるレストランである。
最初は潜入。軽いものを注文。顔を覚えてもらう。
ここはゆるそうと判断。ゆるゆるがばがば。ここなら許される。
二度目の訪問でウイスキー「8PM」のボトルをドカン。
ここのメニューでウイスキーの水割りを飲んでもいいか?
日本人旅行者に育てられた、日本語ペラペラの少年が、わたしの顔を見て、
「ノープロブレム。でも、ポリスが来たら隠してね。ふつう来ないけれど」
これは10年以上の日本人旅行者が形成してくれた信頼だろう。
この日本人はそこまで無茶をしないだろう。
こっちだって違法だって知っているわけだから(ちなみにガンジャ、ハシシはOK)、
勇気が行った。男気を感じて、お好み焼きとかギョーザとか、
目いっぱい注文したが、どれも微妙な味ではあるものの、
ガンジス河のほとりでウイスキーの水割り(むろん氷入り)をのんでいるという
酩酊はすばらしかった。
毎晩そこで酒を飲んだが、大勢いる日本人客はひとりも声をかけてこなかった。
オーナーはあきれて声をかけてこなかった。
みなさま、インドのバラナシへ行くのならメグカフェもいいが、モナリザ食堂をよろしく!
大学生のころ遠藤周作の「深い河」の影響でインドに行ったときは、
聖なるものへの畏れが存在した。
アハハ、バラナシ(ベナレス)は、
聖邪、生死、善悪を包括する混沌とした大いなるものがあるとかさ。
記憶といったらタージマハルで有名なアーグラで同年齢の香港美少女と出会ったってくらい。

2度目の訪問は釈迦が出家した29歳で、このままじゃいかん、自分を鍛えなおそうって。
89日間のインドで自分革命だあ(笑)。
でも、あっちに行ったら暑いんだよ。
なにもかもどうでもよくなって、暑いから冷たいビール、次はウイスキーの水割りねって。
インドで酒はなかなか外国人旅行者には買いにくい場所でこっそり売られている。
人それぞれ才能はあるのだろうが、自分の才能にびっくりしたのは酒。
どこの新しい町に行っても、どれだけ嘘をつかれても、
本能的に酒はここにあると犬みたいに気づいてしまい、
ぜんぶ現地人とおなじ激安価格で買っていた。

あのころは毎日のように日記をつけていたから、
どこの町のどこに酒屋があるのかぜんぶメモしている。
しかし、15年もまえの情報だから当てにならないかもしれないし、
とはいえ、そこを変えていないのがインドともいえる。
八大仏跡地も行ったし、ガンガーサーガルからガンジス河の源流まで行った。
怖いと思ったことはなかった。ついぞ畏れは感じなかった。

八王子の村内家具は奥さんと観光パックツアーで、
チベットの山奥に行ったと言っていたなあ。
大冒険のような話しぶりだった。高山病で死ぬ直前までいったって。
どこまで本当だろう。
村内家具が机をばんばん叩いたとき、恐怖も畏怖もなく、
めんどうくさいやつだなあ。
カリスマと会ってぶるぶるするくらい緊張してみたいが、いまはそんな人はいるのだろうか。
おれたちの世代が最後だったのだろう。鶴藤長天のおれたちの世代。
世代交代だ、本気を見せて見ろというインチキ世代。
わたしは本当に違法ドラッグを一度も経験したことはないが、
スマホで気軽に買うより、
どきどきしながら海外に成田から飛び立ち、日本人宿の情報ノートを参考にして、
入手して摂取したところの日本違法薬物のほうが幸福感はあっただろう。
後悔だよなあ。やっていたらよかったよ。
いまはネットに書かれて、その方面の名所かもしれないが、
中国の大理なんかそれはもう麻薬天国だったんでしょ?
敦煌の砂漠売春だって、経営終了後にわたしが公開したが、ほぼだれも知らなかった。
バラナシの麻薬なんてクズで、
本物はインドのマナリで現地人がときに無料でまわしてくれるって。
なぜならそれは現地人の缶コーヒーみたいなもんだから。
いまはみんなネット、スマホに悪意とともにばらされちゃう。
あのガイドは「○○ドルでやれたぜ。ドルで交渉するといい」そんな情報ばっかり。
自分で発見するということがない。
人に聞いてそれを模倣ばかりしている。
いまとなれば、みんな夢となりました――。
わからないよわからない。
1ヶ月で南北を縦断したくらいで決めつけるのはおかしい。
1年以上、ベトナム人と働いたからって、おかしな決めつけはよくない。
ばってん、なんかベトナム語はきたない感じがする。
言葉を意味だけでほおり出している。尊格が感じられない。
しかし、ベトナム人って年上や学歴を異常に重んじるっていう話もあるしね。
ベトナムでちょっと高級なところに行くと、すぐ英語になっちゃう。
ベトナム語って荒っぽい気がする。
「だから、結局なんなの?」っていうスタイル。それは手っ取り早く、いい面もあろう。
ベトナムのサパでガイドをしてもらった(本当はいらなかった)人妻の女の子とか、
どうしてここまでって疑うほど日本語の悪い卑猥な語を覚えていた。
それは国民性ではないのかと思っちゃうくらい。
「日本人、ベトナムの貧乏な暮らし見るの好きでしょ? 
だから、あたしの家、見ていい。ただ。フリー」
で、山の中にあるテントのような家を見たのだが、想像通りでつまらない。
「(写真を見せられ)これ、あたしの旦那。イケメン。みんなそーゆー。
いっぱいセックスした。子ども、たくさん」
カンボジア語(クメール語?)はまだ言葉としてまとまっていない気がする。
現地人でも言葉の行き違いで揉めていた。
カンボジアはいちばんわけがわかんない国。アンコールワット、それだけ。
中国人同士の会話は喧嘩しているようだが、あれは音調の関係で実際は違う。
いまでもまだあるのかな発音記号?
関西弁オンリーの英米文学科卒の宮本輝はたしか英語の発音記号で卒論を書いたはず。
あれは意味ないよねえ。言葉ってそういうものじゃない。
ベトナムから中国に入ったとき、まずしたのは耳を慣らす。
むかし大学でやっていたわけだから、ちょっとはわかるだろうと期待する。
だんいーしあ(等一下)という言葉が耳から入ってくる。
これってたしか「ちょっと待てよ」という意味だよな。
で、次にそういう機会があったときに、耳で聞いたままに「だんいーしあ」という。
通じている。相手がびっくりした顔をしている。
言葉はまず耳で聞いて、意味を類推して、おなじ発音で使ってみる。
この永遠の繰り返しで習得するものだと思う。基本は真似るね。相手の言葉を真似る。
わけがわからない紀要、学術論文とか多いけれど、
あれは真似るの悪い意味での積み重ね。
ああいうふうに書くものだって思っているバカが大勢いる。
言語学習は、真似るがいちばんの要諦。
トーンがいいなあ、と思ったら、真似て使ってみるっていうトーン。
インドの人なんて、あそこ広すぎるから、北の人と南の人は言葉が通じない。
テキトーにそこらへんにいた人を通訳にしてコミュニケーションしている。
あそこは南と北では書き言葉も違うからカオス。
だから、しょうがなく、みんな英語でも話そうかって。
意外と知られていないが、中国も北と南では言葉が通じない。
本当はちょっとはわかるのだろうが、お国自慢からわからないふりをする。
わたしは大学語で北京語をやったのだが、
香港美少女に得意げにそれで話しかけたら、
こっちは広東語だから意味がまったくひとつとしてわからない。
ロンドン留学したあたしのように英語で話せって言われて、え? そういうものなの?
でも、ほぼ広東語の台湾に行ったとき、わずかながら北京語でも通じたから、
あのロンドン留学の英語ペラペラな香港美少女はカマシを入れていたんだなあ。
言葉はいろいろ。
韓国語をまったく話せない韓国のほまれ、芥川賞作家の柳美里もいるくらいである。