おもしろいものが好きで、おもしろいものを読みたい、書きたいと思うが、
おもしろいっていったいどういうことだろう?
有名評論家が推薦している作品でもおもしろくないことはございますでしょう?
たとえば樋口一葉の「わかれ道」。
たまたまの偶然からアンソロジーで読んだが、これがおもしろい。
しかし、42歳のいま、のんべんだらりんと読書するからおもしろいのかもしれない。
少なくとも高校生や大学生のころはこの小説のおもしろさがわからなかった。
というか正確には言葉が古すぎて読解できなかった。
42歳のいまでも週5で肉体労働していたら樋口一葉のおもしろさはわからない、
というよりも読む気がしなかったことだろう。
体力の問題のみならず知力の問題もあり、
なにしろ言葉が古いから下手をすると30代前半でもわからなかった可能性はある。
いわゆる意味不明な古典(古文)を注釈とともにいっぱい読んだいまだから、
樋口一葉の「わかれ道」のおもしろさがわかるのではないか。
ただ単に血筋(遺伝子)が悪いからという可能性もあり、
大学教授の家に生まれたら高校生くらいで樋口一葉が読めるのかもしれない。
岡本綺堂の劇作「修禅寺物語」は近松門左衛門よりもおもしろいと思ったが、
これは近松よりも 「修禅寺物語」の言葉のほうが新しいからかもしれない。
おもしろいとはなにか? 教養がないといろいろ苦労する。
現在購読中の雑誌は「週刊スピリッツ」と「月刊スピリッツ」。どちらも漫画雑誌だ、
ぜんぜん読むのが追いついていなくて(漫画でも積ん読?)、
さきごろようやく月刊のほうがリアルタイムになった。
月刊は若手の登竜門的なところがあり、
赤字も赤字、大赤字で利益は出ていないだろう。
たまたま創刊号から読んでいるので新人漫画家を支えるために買って読んでいる。
ベテラン(?)の「阿・吽」や「孔雀王ライジング」もいいが、
最近すばらしいと思ったのは町田翠氏の「ようことよしなに」だ。
漫画雑誌は最初のページからは読まないでしょう?
いちばん好きなところから読む。
「ようことよしなに」はいつしかナンバー1になった。
田舎(富山)の女子高生ふたりの、
ありきたりといえばありふれたちょっとむかしの設定の物語だ。
性描写どころか男女の恋愛さえないのがよかった。
なにげないシーンをじつにおもしろく、わかるわかるという感じで描くのである。

いきなり最終話が来てしまった。
あの流れならもっと続けられたはずだが、まさか人気がなかったとは思えない。
ネットで検索したら「百合(ゆり)」という関連ワードが出てきた。
わからなかったので百合を検索するとレズものということらしい。
そう言われたらそうも読めるが、
もしかしたら(スウェーデンの文豪)ストリンドベリゆずりの女性嫌悪の傾向をもつ当方は、
百合ものが好きなのだろうか(ストリンドベリのバツ3は女好きゆえか女嫌いのためか)。
たしかに韓国名作映画「サニー 永遠の仲間たち」も百合といえば百合である。
ちかぢか「サニー」の日本バージョンがつくられるらしい。
よくわからないが腐女子(死語?)はホモが好きなんでしょう?
腐男子という言葉はあるのか調べたら、
あるにはあるがボーイズラブを好む腐女子的存在らしい。
石が飛んでくるかもしれないが、
英国同性愛作家のモームは好きだが、ホモやボーイズラブは薄気味悪い。
百合かどうかは知らないが「ようことよしなに」はよかった。
あんなものが好きなのと言われるのを承知で書いた。

私怨や私恨、怨恨はございますが政治的主張のようなものはほとんどない。
天皇制もいいと思うし安倍政権にも反対しないし、
同時に拡声器で騒がないかぎりにおいて(!)左翼さんの主張もいいと思う。
選挙は長らく行かなかったが(たかが一票でなにが変わるかよバーカ!)、
最近は現世利益を求めて公明党に入れているが、公明党の政策は知らない。
北赤羽のほうの公明党のポスターに監視カメラ全国設置を訴えているものを見たが、
それはちょっといやだなあ、と思いながら強制わいせつ被害の実話を耳にすると、
あんがいそれもいいんじゃないかなとも思う。
ご指摘を受けるまえに言っておくが、ええはい、政治がよくわかりません。
三権分立なんてウソだろうと知ったかぶりたいが三権分立の意味もよくわからない。
宗教的にもノンポリ(ポリシーがない)である。
おいしいエサをぶらさげられ誘われたらどこの宗教でも入るでしょう。
どの宗教も正しいと思います。
今年の目標として、どうやろ、ひとつ創価学会にでも入っちょるか、
と友人に宣言したが、八方手を尽くしたが入会できなかった。
とはいえ、創価学会が嫌いなわけではなく、浄土真宗よりは清潔かなあ、と思う。
そうは言っても親鸞(唯円)が嫌いなわけではなく日蓮よりも体質に合っている。
レズもホモもお好きなようにと思うが、群れて拡声器で騒いでいるのを見ると鬱陶しい。
社会不正を見てもさして義憤は感じず、うらやましいなあと思うのみである。
もし自分もその立場でばれなければやっていたと思う。
死刑制度はどうでもよく、あってもなくてもよい。
国が殺してくれるなんて安楽死みたいでええなあ、と思わなくもない。

果たしてこういうノンポリは損なのか得なのか。
たとえばアスベスト被害を国は認めろ、
なんちゅう左翼アピールをしたほうがマスコミ受けはいいわけでしょう?
そのうえ仲間と群れることができる。左翼のほうがおいしい気がする。
でも、べつに天皇制があっても悪くないんじゃないかなあ、と思ってしまう。
わたしはどのグループにも賛成できるが、群れて拡声器で騒ぐのは反対だ。
いまでも毎日ではないが創価学会の婦人部さんから
いただいた勤行経典を片手に朝、法華経を読誦。
同様いただいた青色の数珠を手にして題目を唱えることがある。
法華経の主意のひとつである諸法実相は、要は「世界はようわからん」ちゅうことやから、
毎朝あれを唱えるのは精神健康的に悪くないはずである。
ノンポリとは「正義が嫌い」ということかもしれない。正義なんてない、おそらく。
公立中学校2年のときSさんというお嬢さまがいた。
かなり家柄のいい気品あるお嬢さまだったようだ。
そういう子は悪ぶりたがるもので、チン毛のような不良グループとも交際があった。
14歳のときである。中学2年生である。
体育館で集会があったとき、退場するわたしにチン毛ちびのWが声をかけてきた。
振り返ると、チン毛は同級生の高貴なお嬢さまSの背中をお遊戯のように押し倒した。
正しい体育座りをしていたSさんは大げさに身体を崩し大股開きになり、
真っ白なパンツをわたしに向けて公開した。
ちょび髭もはえそろわないチン毛のWが「見たな~」とからかってきた。
家柄のよい美少女のSさんは一瞬はにかみの表情を見せると、
きっとこちらを厳しい目でにらんできた。
どこかで遊びの気配があった。Yと少女が共謀した可能性もあるのではないか。
少女の目が遊んでいた。
わたしも恥ずかしくて「ごちそうさま」のようなかたちで後ろ手を振った。
瞬間こころがときめいていたのは否定できない。
お嬢さまの少女Sに、
そんないたずらをできるチン毛ちびのWがうらやましくなかったはずがあろうか。
知性がないとはにかみもエロスも(誤解にせよ)深く味わえない。
なんでもない小事件をおおげさに解釈していたという可能性も否定する気はない。
10~30歳くらいまでは女のほうが平均として男よりも優秀だと思う。
医学部とか成績で取ったら女医ばっかになっちゃうから男女で得点調整していると聞く。
早慶レベルでも男女で得点調整は何十年もしているはずである。
早稲田の第一文学部に入って驚いたのは女の子の勉強ができること!
比較して、わたしをふくめて男子のあたまがよくないこと。
東大はほとんど得点調整をしていない気がする。
だって、女が東大に入ったらお嫁のもらい手がなくなっちゃうじゃないですか。
東大卒の嫁とかふつうの男ならプレッシャーが強すぎる(わたしは平気)。
たぶん一流会社もあらかじめ男女比を決めたうえで採用しているのではないか。
20代前半なんか女子の真っ盛りなんだから、
本当の人事評価をしたら会社が女ばかりになる。
女性は出産や子育てがあるから、それは困る。
それになぜかふしぎと男は30~40歳くらいに急に伸びるやつがいるのである。
保育士やナース、カウンセラーといった女性ならではの仕事は例外だが、
女は30を超えるといままでよく出ていた女性らしさがヒステリックな怖さとなり、
反面、子育てという面を考えたら女性のヒステリーはしつけに効果があるだろう。
既婚者に聞くと、夫も妻にしだいにしつけられていくらしい、おヒスこわっ。
早稲田の女子学生とかわたしなんか勝負にならないほど賢かったなあ。
中国語演習とか男はメチャクチャで、女は完全予習をしてきている。
ミスタードーナツでアルバイトをしながら、
なお中国語も完璧だったMさんという性格もいい賢女がいたなあ。
早稲田の男は舐めてもいいが、早稲女は舐めたら痛い目を見る。
人気取りでフェミニストぶっているわけではなく、事実の提示だ。
わたしがフェミニストなんてとんでもない話で、好きな作家はストリンドベリで、
彼の愛誦の句は「女をこれ以上つけあがらせてはならない」だからな。

(関連記事)「女性についてのことわざ」←ちょー笑った。
https://matome.naver.jp/odai/2133765583725645601
ちょっと運勢が好転するかなあ、そうしたら父も喜んでくれるかなあと電話。
「おまえ酒を飲んでいるだろう」とか父は歓迎の言葉をくれず不機嫌極まりない。
家族の運勢というものはかならずあるとわたしは信じている。
ゴマキが大成功しちゃったのと実弟の犯罪は共時的現象でしょう。
ほかにもいろいろ例は挙げられるが家族のひとりが成功するともうひとりがダメになる。
人生は努力ではなく運だ。
父は努力信者で365日24時間働き、息子と逢うとおのれの大勝利アピールばかり。
男なんてそんなもんだが母が精神病になったときも「おれには仕事がある」でスルー。
母がわたしの目のまえで恨みがましい遺書をのこして自殺したときも、
「おれには仕事がある」でスルー。通夜にも葬式にも来なかった。
しかし、それが男なのかもしれない。
いま父の運勢は弱まっている。おととしあたまをやって半身麻痺。
杖をつかないと歩けないのに、
あえて杖を持ちながら使わないで「おれは元気だ」のアピールをしている。
あのあたりは自転車が暴走しているから、
杖をついたほうが後方から障害者だとわかりリスクは下がる。
しかし、父は杖を45度くらいに持ち上げながら亀のように歩いている。
いくら杖をついたらと助言しても「おれは間違っていない」「ケンジは間違っている」。
NHKと読売新聞が大好きな父は、
新聞広告で見かけたインチキ健康食品を飲み始めたらしく、
「この薬が効いているからもうすぐ治るだろう」と意味不明なことを言っている。
精神病の母は朝日新聞が大好きで、
なにか衝突があると「私は朝日新聞を読んでいるから正しい」の一点ばりだった。
朝日新聞は母親なるもの息子の目のまえで飛び降り自殺しろって書いてあるんですか?
さっき父からしたらちょっとした幸福であろうこと(わが慶事)を、
家族のきずなにしたがい報告したら喜ぶどころか冷たい反応が返ってきた。
父と息子の関係はこういうものなのだろう。
わたしも父の亀歩行を横でにやにやしながら笑っていたから人のことは言えない。
バカをどうするかという最大に近い難問がある。バカは治らない。
先日、どうして東大に落ちたんですか? と聞かれ、
バカだからとは答えられず、数学ができなくて、とごまかした。
その自分の欺瞞がいやで東大日本史や東大現代文の話をいたしました。
知っている人は知っているだろうけれど、
東大の日本史や現代文に「正しい答え」はほとんどない。
なぜなら東大が「正解」を(センター試験のように)発表していないからである。
東大現代文はとくに宗教がかっていて、
入試後に各予備校が発表する「答え」がまったく異なる。
わたしは河合塾で大川邦夫先生の出す答えをいちばん正しいと信じたが、
それは信仰の領域で、本当の「正解」は出題者しか知りえない。
東大日本史もそうだ。あれは東大歴史学者の史観を答えろと言っているに近い。
ただし、おっしゃる通り数学(理系学問)の答えはほぼ一致する。

去年、超名門の追手門学院大卒の芥川賞創価作家の「田園発~」という小説を読んだ。
この作家は小説にリアルな「なま」をぶっこむところがあるので好きだ。
この小説の主要登場人物の中学生男子に、深い愛情を寄せる高校教師がいた。
たしか数学教師だったと記憶している。
高校教師はなにをするかというと、自分の縁のある男子にこの問題をやれと指導する。
高校教師は所属する名門校の入試問題を作成する責任者である。
こういうことをするのは人情で、
断じて不正ではないと小説家の宮本輝は「田園発~」で書いている。
ああ、これが創価学会の周辺なのだなとわたしは納得した。
いま医大入試の不正で騒がれているが、あんなものは脇が甘いのひと言で終わる。
問題にはかならず出題者がいるのだから問題(解答)をあらかじめ教えてあげたらいい。
司法試験だって公務員試験だって、あらゆる試験で出題者がいる。
出題者は答えを知っている。
どういうことかというと、そこで裏組織のたとえば創価学会なんだなあ。
これ以上は言えないが、あたまのいい人はわたしの言いたいことをご理解くださるだろう。
わたしはそれを不正と思っておらず人情との認識があることをここに正式表明する。
世の中はそういうものではないのかしら?
むかし自分もちょっとその気があったから、
いまどき文芸批評なんぞを読む痛くて恥ずかしい若い男女はかわいいなあ。
若い男は年上の男がもてているのは男の内面がすぐれているからだと錯覚する。
若い女は自分が年上の男からもてているのは、
自分の内面がすぐれているからだと錯覚する。
男は女の内面なんか見ないし、女も男の内面なんかじつは見てはいないのだが、
そういう双方の錯誤が人生の味わいであり、生きがいというやつであろう。
若いころにちやほやされた女ほどかわいいものはなく、性格もよく、内面もよい。
自分のようにえんえんと女から相手にされなかった男は、
外面のみならず内面も下品下劣で犬畜生のような精神性しか持っていない。
しかし、おっさんになるといいのは、
そういう清潔とは程遠い品性下劣をおもしろがれるところか。
「もてないくせに」とか年下の女性からかわいがられたい。
その眼が好きなんだ。そのパイオツに甘えたい。「もてないくせに」って笑われたい。
「土屋さん、もてないでしょう?」とか言われて「うん」って答えて、
ぜんぜん傷ついていなくて、おいしいなあって思って、
いろいろあって女性を怒らせて玄関で土下座した経験は青春そのもの。
女とユーチューブでいっしょに酒をのみながら「いいね」って聞いた森田童子が死んだ。
早稲田のドン・ファンこと渡部直己教授の転落ぶりに文学を感じる元文学徒。
「小説を書けない小説創作指導者」渡部直己教授はついに文学をやったな。
どういうツテとコネで早稲田の教授になり、
そして真っ逆さまにダイブするという文学芸当をなしとげたのかは、まさに文学。
おそらく間違っているだろうが、当方の考えでは文学は人から教わるものではない。
1.実人生で不幸になること。
2.文学作品に深く感動すること。
ことさら難しくもなく、以上2点を重んじることで、文学への眼は開かれると信じている。
これは信仰の問題であって、学問的正誤の領域ではない。
大学院に通って教授から創作を指導されるよりも、
文学志望女子はぼくとつきあったほうがいいのではないか。
ぼくと深くつきあおうとしたら間違いなく不幸になる。
うちには個人的なマイナー感動作が多数売却せずに保存されており、
波長が合えば多くの文学的感動を無料で味わえる(本は返せよ)。
渡部直己教授は人生の晩年でみごとな文学をやったなあ。
おのれ自身もごひいきの女子学生も同時にいわゆる世間的不幸に追い込んだ。
自称被害女子学生の名前なんかとっくに特定されているだろうし、
ああいう世間知らずなことをしたら、
これからかならずや男社会でいばらの道が待っていることだろう。
名家のご子息のオレサマ教授、渡部直己先生も世間の冷たさを知っただろう。
今回のご醜聞はおふたりにとって文学的にはとてもプラスなことと言えよう。
むかしのプロポーズの定番は「貴女(あなた)を幸福にします」だったようだが、
いまぼくは貴女に約束しよう。
「ぼくは貴女をかならず不幸にしてみせます。ですから、おれのおんなになれ」

↓なにがテクスト読解だよ死ねバカアホカス↓
(早稲田評論?)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/education/lec_semi_130516.html
「おれの女になれ」――パワハラ、アカハラ、セクハラ、色魔の性豪、
渡部直己早稲田大学教授はいま高笑いしているのではないか?
というのも、だれも渡部直己なんて知らないでしょう?
彼はね、文学という狭いムラで地主にペコペコしてきた意地汚い番頭なんだ。
なぜわたしが知っていたかといえば、むかしムラに関心があったからである。
彼は有名になりたかったが、世間はまったく相手にしてくれなかった。
それなりの業界苦労経験はあるのだろう。
見よ、いま男は世に出た。有名人だ。
権力をかさにきて孫の年代の女性に
「おれの女になれ」と強要するしわくちゃのおフランスばか渡部直己教授!
ようやく彼が世に出たぞ! ばんざいばんざい渡部直己!
生きていて恥ずかしくないのかなあ。みんなばらされちゃって。
おフランス文学理論ではこの事態をどうご解釈なされるのでしょうか?
教授というポジションで若い女体をうまうまとものにしようとしたのがばれて、
ああ、恥ずかしい恥ずかしい切腹しないの?
「カフェ コットンクラブ」が教授の聖地なんですか?
わたしがいちばん嫌いなのはフランス文学、フランス演劇である。
わけわっかんね。教授、教授先生、教授さあ、いやね、ざまあみやがれ。
66歳のお誕生日とセクハラデビュー、心よりお祝い申し上げます。よくやった。感動した。