なにかおかしい。エラーが起きている気がする。
もしかしてわたしはもう死んでいて、この世にいないんじゃないかというミスマッチ感が。
世界規模のエラーに巻き込まれているのではないか。
わたしって存在しているんだろうか。
わけがわからなくなってきた。エラーが起きている。
わたしが生きている証拠ってどこにあるんだろう。地球規模でエラーが起きている。
世界システムがエラーを起こしている。世界のミスを見つけてしまった。
わたしはミスではなく、ミスターである。
コメント欄で告訴をしろとかあおられたが、ひとつまえの記事は正義の告発ではない。
底辺の労働環境はこうなんですよ、とおもしろおかしく紹介したエンターテイメント。
怒りはないのかって、世の中そんなもんじゃないんですかって話。
騒いだってどうにもならないし、かえって悪目立ちすると、
こいつはめんどうくさいと思われて使ってもらえなくなる。食い詰めてしまう。
「世の中そんなもの」「人間そんなもの」は山田太一ドラマの定番台詞で、
ファンの当方も気に入っており、よく脳内アナウンスをかける言葉である。
金がないってことはキンタマをにぎられているようなもので、
上からなにをされても文句は言ってはならないのである。
嫌いな言葉は正義で、わたしはかなりの不正を現実的に見逃すことができる。
青臭い正義を振りかざすことのない現実的なところがわたしの長所である。
会社が不正しているのを見ても、
そんなことを大事(おおごと)にしたところでどうなる?
社会不正にいちいち憤るよりも、世の中そんなものと思ったほうがストレスにならない。
安倍首相の森友・加計問題だって、人間なんてそんなもんじゃん。
自分の血縁や仲間にはおいしい思いをさせあげたいのが人情ではないか。
有名作家や有名脚本家のお子さんが、
いい会社にお入りになられるのは仕方がないでしょう。
わたしだって利権を持っていたら、自分と親しい人にまわしてあげたいと思うもの。

理想は理想としてあっていいけれど、
現実は理想論ではどうしようもなく現実的に処理するしかない。
いくら理想とは違うと騒ぎ立てても現実はいまあるようなものでしかないのだから。
いまのバイト先に入るときの自己紹介書に記入した長所は「現実的である」。
それはこういう意味なのである。
正義を振りかざさないし、社会慣習的な不正は見逃すし、
現実をそのまま受け入れますよと。
最後までわからなかったのはシフトを向こうの都合で削られ、
じゃあ、もう供給も意味不明だし明日から来ませんと言ったら、
それは契約に反しているからしてはいけないとコージーコーナーから言われたこと。
わたしは派遣でコージーコーナーとはなんら契約を交わしていなかったのだが。
しかし、まあ現実はそんなものなのだろう。
あそこで働いた4ヶ月くらいはいま思えば貴重な体験だし(朝6時半起床!)、
昔日をセンチメンタルに懐かしむという感覚でもう一度北戸田に行ってみたい。
大晦日とかに呼んでくれたらとても気持よく1年を振り返られるのだが、
コージーコーナーさんは下へ理不尽な命令をするのはお好きだが、
下のお願いはさすがにそうそう聞くわけにはいかないのが現実なのだろう。
北戸田はもう1回行ってみたいが、コージーの川口工場は二度と行きたくない。
掃除をしていたらおもしろいものが見つかった。
「本の山」をご覧のかたは、それなりの社会的地位にある人だと思う。
底辺がどのくらいすさまじいかお見せしたい。
北戸田のコージーコーナーへ派遣で行っていたころの話。
物量に対して人が多すぎるから、
わたしのような底辺派遣は強制的に休みを言い渡されるわけ。
こっちに選択の自由はない。
おまえは最低の派遣なんだから、うちが休めと言ったら休め。
その日の給料なんか知ったことか。おまえは派遣なんだから言うことを聞け。
このくらいなら底辺ならよくある話だろう。
笑えるのは会社が休めと言ったのではなく、
あたかも自分から休みたいという申告をしたというような証拠をつくらせるところ。
そこはグレーで休んでくれなのか休みたいなのか責任の所在がはっきりしない。
ずる賢いというか、うまいよねえ。
さらにコージーコーナーのすごいところは、その書類を会社が勝手につくってしまうところ。
会社から「休め」と命令されているのに個別勤務表変更書を提出させられる。
しかもその書類を社員が偽造して、わたしに成り代わってサインまでする。
ここまで底辺は人をバカにしたことを仕掛けてくるのである。
このときはさすがにちょっとなあと思って、
女性社員さんにこのサインは自分で書くところでしょう?
あなたが書いちゃダメじゃないですか、と指摘したら、うちはそういう社風だと。
むかしからそうしている。結果は変わらないじゃないですか?
サインするのもめんどうくさいでしょう? だから、代わりに書いてあげたの。
そうしたらHグループ長がすっ飛んできて(この人は好きだったなあ)、
本社に書類を提出する期日があって、どうしようもなかったと弁明される。
いやあ、底辺ってすごいなあ。いい勉強なりました。
みんなが愛する安くておいしいコージーコーナーのケーキは、
こうしてつくられているんですね♪ 
そろそろクリスマスソングが聞こえてくるころ。
クリスマスケーキはどうかコージーコーナーでお願いします。
本社のお偉いさんはこれをご覧になって当方に申し訳ないと反省したら、
土日でも12月30、31日でも、もう一回派遣経由で北戸田に呼んでください。
えんえんと白痴のように箱出しをしてピュアなこころを取り戻したい。

(↓証拠写真↓)
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テレビライターの山田太一さんとおなじでスーパーが大好きである。
見知らぬ土地に行く機会があったら、
まず地元のスーパーをのぞきたいという思いがある。
スーパーの商品はコンビニとは異なり、地域ごとにかなり異なると思う。
いま住んでいる場所は、スーパー激戦区である。
徒歩圏内にあるスーパーを並べ立てたら――
マルエツ、カズン、コモディイイダ、ライフ、オリンピック、オーケー、ベルクス♪
最強の布陣、最高の生活環境と言ってよかろう。
いまご近所さんで働きご近所さんの声を聞く機会に恵まれているが、
ここに引っ越してきたときすすめられたカズンは評判がよろしくないらしい。
あまり行かない新参のベルクスの評判がけっこういい。
コモディイイダはあん肝を売っているのが長所で(そのほか珍味も)、
カズンはとにかく庶民っぽい泥臭さがある。
マルエツが意外に評価が高く、わたしも近年見直しているところがある。
オリンピックはたまに中国産うなぎを半額で買えることがある。
オーケーは川口店のような圧倒的な濃さに乏しい(訪問回数は1回のみ)。
ライフはなんかお高くとまっている気がする(安いものは安いのだが)。
ベルクスは今日5回めくらいの訪問で、半額食品を試食のため少量購入。
サーモンハラミの刺身は目にしたのは初めてで買ってみたが、
「えんがわ」のパクリのようなオイル臭にがっかりした。
自家製ぬか漬けのようなものもあったので買ってみた。
安くておいしいものを口にしたい。
人生のいわば季節にしたがい、
欲望が大量に散っていった枯れ木の中年男の最後の望み。
わたしはたまたま住むことになった浮間舟渡がいまでは大好きだ。
浮間舟渡は東京と埼玉の境界で、
しかしまだ都民という変なこだわりのあるところがいい。
川を越えたら埼玉だが、ぎりぎりで東京都民。
それがわたしの好きな、そしてほとんどの人が知らない浮間舟渡。
浮間公園はいいよお。
やべえよって叫びたくなるくらい最近の幸福感はすさまじい。
バイトは10時からだから早起きしなくてよく、朝ゆっくりだらだらできる。
毎朝7時まえに起きるのは地獄かと思うね正直。
目覚めゆっくりぼんやりしながら、
年内は試してみようと思っている数珠セットの法華経読誦。
本場のリズムを知っているため、
朝ここだけはものすごいスピードでやるから3分クッキングの世界。
バイト先には自転車で行っていたが、座り仕事をさせていただく時間もけっこう多く、
これは太ると思って歩いていく。
法華経さまの功徳か、行方不明だった自転車のカギは見つかった。
大きな公園の紅葉をながめながら10分程度の徒歩通勤するのだが、
この幸福感が半端ない。
わたしは春の桜も夏の花火も嫌いで、秋の紅葉の深まりがいちばん好き。
2時間働いて安価で美味な仕出し弁当を手にしながら、
またのんびり散歩気分で帰宅。
昼休みには食器を洗ってネットをして、晩酌のもう一品、二品の準備をする。
仕事後はやる気にならないけれど、
仕事中の昼休みだと食器を洗うのもつまみの用意も高速でやれるこの不思議。
今日の晩酌のメインはなんだろうと仕出し弁当の中身をチェックするこの幸福感。

また10分かけ、にこにこ紅葉を楽しみながらバイト先へ。
いまのバイト先へはなんの不満もない。
いままでの派遣労働体験からすると、
自分だけこんないい思いをしていいのかと複雑になるくらい。
詳細は書かないが、日々いろいろ社会勉強している。
いま本当に欲望が枯れ葉のように散っている。
むかしのように女にもてたいとも、出世したい有名になりたいとも思わない
(これがかならずしもいいと思っているわけではないけれど)。
しかし、心の平安、平和、静寂は秋というほかない。
バイト先から帰宅したら、むかしから好きな山田太一ドラマを見たり感想を書いたり。
人生でもう(やれることで)やりたいことはすべてやったような気がする。
やりたいこと、好きなことを思うぞんぶんに若いころやったなあ。
それでもか、それだからか、いま秋の幸福をしみじみ味わっている。
今日(昨日?)の仕出し弁当は白飯ではなく混ぜご飯で驚いた。
これは久しぶりで本当に嬉しい。
いまいいなあ、秋はいいなあ。
冬も待ち遠しく、しかし春のことを考えると、いや考えないことにしよう。
いまだけでも、いまもいまの静謐な幸福感をたいせつにしたい。
いまさっき山田太一ドラマ「この冬の恋」を見終わった。
40歳を過ぎて小指の先ほど人生体験を積んだいまだから思うことがいろいろあった。
そんなものは要約すれば、やっぱりすげえぜ山田太一なのだが。
山田太一は好きだが倉本聰先生の脚本作品は苦手である。
倉本聰の庶民礼賛は、いやだなあと思ってしまう。
関係あるのかないのか、倉本聰は東大卒で山田太一は早稲田。
わたしは浪人しても東大に入りたくて東大受験対策ばかりしていたが落ちて、
なぜかまったく過去問もやっていない早稲田の一文に入れてもらえた。
ぶっちゃけると、早稲田くらいなら選択問題の偶然や運で入れるのだ。
長らく早稲田は嫌いで、早稲田なんか入っていると、
庶民さまから逆差別を受けると思っていた。しかし、いまごろ母校愛にめざめた。
おそらく履歴書に東大卒と書いたら、おまえバカにしているんだろう、
ふざけんな、とあらゆる努め先で採用してもらえなかったのではないか?
早稲田レベルなら、まあ運でも入ることができるから許せる、みたいなさ。
完全完璧パーフェクトな人は好かれないところがあるのではないか?
ミスを白状することで、先輩や上司からこいつも仲間なんだと思ってもらえる。
いやね、先週の金曜日も帰宅時のタイムカードを押し忘れて、
今日もうっかり忘れてしまった。やべえやべえ、おれおれおれ。
しかし、早稲田を出たのにこんなチョイミスの連続は、
想像外に親近感を持ってもらえるのではないか?
こいつダメだなあと思ってもらうことから始まる人現関係もある。
あえて弱みを見せるとキャラができ仲間として受けとめてもらえるというか。
本ばかり読んできたから生活能力はないし実務はまったくの不得意なのである。
今日も仕出し弁当はうまかった。
かき揚げと生姜焼きとオムレツ、その他おかずが3、4品入って350円なんて。
明日も弁当が楽しみだから生きる。
こいつ、どうしようもねえなと思われ(短期ながら)みなさんの仲間入りをしたいから、
タイムカードの押し忘れを「またか」と思われるのを覚悟で申告する。
いま生きているのってけっこう楽しいかもしれない。
派遣バイトと直接雇用バイトのどちらがいいかと経験的に言えば後者。
派遣経験は相当にあるけれど、
派遣会社にはそこそこ感謝するが、ぶち込まれ先には恩義のようなものをいだきにくい。
どうして企業が高額な労働者を派遣会社に注文するかと言ったら、
ハローワークに出してもだれも応募してこないからである。
かといって、タウンワークに募集を出すのは高いし、
出しても応募が来ないリスクを考えると確実だが高額な派遣会社に依存せざるをえない。
そのうえ直接雇用はなかなかクビにできないが(大和ハウス関連はその限りにあらず)、
派遣なら雇い止めの責任は派遣会社におっつけることができる。
派遣は直接雇用より時給が50~100円高いが、そのぶん直接雇用から恨まれる。
なかには派遣ばかりになった会社もあるが、
そういうところはもはやカオス(混沌)である。
なぜなら直接雇用の上司と派遣の先輩後輩関係が逆転してしまうからだ。
派遣なんか取るより時給をあげて直接雇用を求めるほうがいいのだが、
そうすると古株直接雇用の時給を超えてしまうので、どうにもできない。
労働者だってピンハネされる派遣会社経由よりも、
短期でも直接雇用になったほうが上司や同僚と信頼関係ができやすい。
ぶっちゃけ派遣会社の悪口はあまり書けないが(お金をもらっているから)、
コージーコーナーの内情やひどさはいまからでもいくらでも書ける。
まあ、シュークリームは安くておいしいのだけれど、スイーツ♪

いまのところに雇ってもらえて本当にありがたい。
今日先輩同僚さまからも言われてまったくそうだと思ったけれど、
凡人は働いていないとろくでもないことを考えるようにできている。
この点において引きこもりニートは天才的なのである。
働いていれば、よほど育ちが悪くないかぎり、
仕事のために健康に留意して時間を守る(会社に迷惑をかけたくないと考える)。
土日が空いてひさびさに仕出し弁当で晩酌したが、これは楽しみだなあ。
今日は串カツやら麻婆豆腐、明太マヨサラダの味が気に入った。
まあ、貧乏舌なのだろうが、
万民の気に入る日本食を出さなければならないという条件のなかで、
350円では見たことのない充実ぶりと言えよう。
夏に派遣で働いたパチンコ会社の社食もうまかったが、家に持ち帰れない。
あそこはいままでしたいちばんきつい肉体労働で、
しかも夏で体力的にはしんどかったけれど、なぜか楽しかったという思いがある。
わからないのである。
なんでいきなりあのパチンコ会社の派遣に応募する気になったのかも、
いま雇っていただいている会社に履歴書を持って行ったのかも、よくわからない。
気づいたら、そういう行動をしていた。
自分ならぬちからが働いていたと言ったら大げさすぎるのはわかっている。
とりあえず年内は大丈夫そうだ。
来年わたしがなにをするのかいまの自分にはわからない。
わからないことをわかっている。どうなるかわからないことをわかっている。
ある人からある巨大宗教団体女子部で、
かつてこういう指導がなされていたと聞いたことがある。
新幹線はグリーン車に乗らなければダメ。
なぜなら、グリーン車に乗らなければグリーン車に乗るような男と一生出逢えない。
聞いたときはいかにもあそこっぽいなとゲラゲラ笑ったけれど、
日々老年や貧困に近づきながら人生経験を増していくと、
そういう指導は本当のことではないかと思えてくる。
一流は一流でつるむし、三流は三流同士で群れるようなところがあるのではないか?
絶対結婚して子孫を残しちゃダメという貧困男女が、
一流製作の恋愛幻想(まあテレビだ)にだまされ
結婚して子どもを生産して貧困を連鎖していく(それともアニマル遺伝子本能か)。
どうして貧困を自分で食いとめようと思わないのか?
それはそもそも一流のものを知らないからだろう。
貧困はいいとも悪いともいえる。
貧困の人たちは貧困ゆえ善知識を得る機会がないから、当然の権利も主張しない。
富裕層が大金をもらってもするのをいやがるようなきつい仕事を、
さしたる不満もいわずに、それどころかそういう仕事にこだわりをもって、
先輩ならば後輩をいじめながら、どこまでもまじめにまじめにまじめにやってくれる。
そして、これは当方41年の人生経験の主観だが、貧困状態の人ほど明るく親切だ。
中途半端に金や肩書を持ったやつほど意地悪で逸脱思考をしがち。
グリーン車に乗れという指導はバカバカしいが、ある面での真実だろう。
たとえロレックスの腕時計をしていても、わたしのような貧困者にはそうとわからない。
金持の村上龍が好きなアルマーニのスーツも、わたしには識別できない。
今日、ネットオフへ古本を12箱売るため14~16時に待機していた。
佐川急便が集荷に来たのは15:57。
待っているあいだ暇だったので近所の佐川の社員やバイトの給料を調べてみた。
あんな重い書籍満載の段ボールを運んで、このくらいなのか驚いた。
額面はそこそこあってもいろいろ引かれた手取りを考えるとぞっとする。
わたしは一時期、ある佐川女子のファンだったが、佐川急便は大家族主義らしい。
佐川男子も佐川女子もみんなおなじ雰囲気を持っている。
佐川男子と佐川女子が結婚して、さらなる佐川っ子をつくるのだろう。
佐川女子でさえ高嶺の花という自覚は持っている。
だから、貧困思想の連鎖はしない。グリーン車には乗らない。終わり。おれで終わり。
インターネットってほんとうは恐ろしい世界なんだ~よ。
うちのブログの読者さまがどのくらいいらっしゃるのかさっぱりわからない。
アクセス解析がおかしくて、ここ数年検索ワードで来たものはほぼゼロよ。
そんなことありえないっしょ?
たしかにむかしよりははるかに検索ワードで上位にのぼることがなくなったとはいえさ。
読者さまの男女比とか年齢層とか知りたいがわからない。
まあ、だれもうちのアマゾン広告経由でものを買ってくれないということだけはわかる。
予測では読者は男性の高齢層が多いような気がする。
なんでもいまの若者って読書離れどころかパソコン離れが進んでいて、
長い文章は好奇心を持って読めないような脳構造になっていると聞く。
しかし、インターネットは革命的である。
むかしだったらわたしの言葉は世界に伝えようがなかったのである。
せいぜい新聞の読者の声みたいのに、偽善めいたことを書くしか手段がなかった。
いまはわたくしごとき低収入非正規孤独バカ中年でも、
ネットを用いればいちおうは言葉を世界へ投げかけられる。
言葉というのはその機能性のひとつとして伝染性を持つのである。
影響力のある強い言葉を目にしたり耳にしたりすれば、
それがおのれのリアルでの発声やネットでのメッセージ発信に現われてしまう。
まるでウイルスのようにだ。
あるところで読んだ言葉、聞いた言葉を気に入ってしまい、
自分も使いたくなるという傾向性が人間にはある。
われわれの世代はネット勃興期からネット世界を形成してきたといってもよかろう。
まだあるのか知らないが、いわゆる2ちゃんねる匿名世代。
言葉の世界の、世界の言葉の変容をせしめたのがインターネットという化け物だ。
働く楽しみのひとつはなまのなまなましいいきいきとしたセリフの採取だろう。
今日なんかもこのセリフで3日笑えるというなまの言葉を採取したが、
聞き取ったことを書いたらどこかでばれそうで、そうしたら用心されるので書けない。
過疎ブログがなにを言ってんだか、というのはわかっている。
わたしなんか好きな本ばかり読んできたから、なまの世間を知らないところがある。
そこになまの現実役者のいきいきとしたセリフが耳に入ると活性化されることこの上ない。
むかし戯曲(芝居台本)が大好きだったからか、
現実世界での会話も演劇のセリフのように聞こえてならない。
たまに笑いが込み上げてこらえているが、ばれているのかしら。
活字もいいが、なまの言葉はいきいきとして、
言語収集家としてはたとえ無報酬でも貯蔵できることに喜びを覚える。
なまのなまなましいいきいきとした言葉を耳にできるのは働く楽しみであり、
活字マニアにとっては趣味の言葉コレクション活動にもなるだろう。
言葉が好きだ。言葉を集めたい。世界(世間)とは言葉である。