ひと口にわからないといっても、いろいろなわからないがある。

1.相手の書き方が下手だからわからない。
2.自分の知識が足りないからわからない。
3.自分が体験していないことだからわからない。
4.年齢的な問題でわからない。
5.男女差、あるいは性同一障害とか、そういうのでわからない。
6.国(故郷もふくむ)が異なるからわからない。
7.わかりたくないからわからない。
8.それが嫌いだからわかりたくもない。わかろうとしない。
9.その日は気分が悪いのでわからない。
10.わからないことで威張りたいからわからない。

自分がいちばん正しいと思っている人は、1か10だと思う。
むかしのわたしはそんなふうだったが、
いまは知り合いの作品に関してはやさしさからわかったふりをする。
せめてわかったいいところをほめる。
実際、わたしバカみたいでさ、
昨日もユニクロに注文方法がわからなくて電話しちゃった。
ネットの仕様が変わっていたんだよ。
おねえさんがやさしく教えてくれた。
そういえば最近、コールセンターの女性としか話していない。
どの人も親切で、マニュアルのレベルが上がったのか、
日本人女性の質が上昇したのか、それはわからない。
クレカを持っていない人は、どれほどの不便をこうむっているのだろう。
いっとき大企業系列でアルバイトしたとき、クレカをつくっておいて本当によかった。
大学生のころは外見を気にして、ぜんぜん似合わぬブランド服を買ったこともある。
いまはユニクロ・オンリー。
いま無地のTシャツとトランクスが格安でセールされていて本当に助かる。
近所の散歩なんて無地のTシャツとジーンズで十分だろう。
しかし、この価格でこの製品を売るためにどれだけの人が泣いているのだろう?
下請けは何回も何回も、これではダメだと責任者に製品を作り直しを命じられるだろう。
いくらダメだししても料金は変わらないのだから、
下請けをいっぱい使ったほうがお得だとか、発注元はそういう思考法に走る。
ときには打ち切りをにおわせて下請けを震えさせる。
資金繰りがまわらなくなったら、従業員への給料も遅配となる。
給料が振り込まれなかったら、借金するしかない。
転職しようとしても時間がかかるし、次の給料が入って来るまで時間がある。

父によると、むかしの居酒屋チェーンは給料の遅配、未払いなど当たり前だったという。
うちは一度も給料の遅配をしていないという、毎回おなじような手柄話をしていた。
複雑な関係にある父だが、その点は偉いと思う。
わたしは運がいいのかドタキャンは何度もあるが、
給料の遅配、未払いは経験したことがない。
大した額ではないが、おまけとして交通費を多めに入れてもらったことまである。
新しいユニクロにTシャツの着心地って本当にいいんだよな。
あんなのがどうして1枚390円で買えるのかわからない。
山田太一さんも言っていたけれど、
小説やドラマは見た人がいろいろなことを思えばよいのであって、
学術論文ではないのだから、
あまり主張を押しつけないほうがいいのではないか。
あるドラマを見て、いろんな人が多様な感想を持つのがいいのではないか。
山田太一も井上靖も小説で人物描写をほとんどやらない。
美人って書けば読者のあたまのなかに美人がイメージされるだろうし、
それがいちばんの美人ではないかとも言えるわけで。
風景描写にもそれなりに味があるのだろうが「大河が流れていた」で、
それぞれのあたまに故郷や外国旅行で見た大河が思い浮かぶ。
それでいいのではないかと。

いまのテレビドラマはとにかく「わかりやすくしろ」と言われる。
小説もそうだけれど、
あんまりわかりやすいとものすごいスピードで読めてしまい心に残るものがない。
むかしの小説に読みにくいものがあるけれど、
そういうのは疲れるが、読後いろいろ考える。
どちらの小説があってもいい。
意味をあまり一義的に限定してしまうと、ふくらみのない小説になってしまう。
ああも、こうも解釈できる小説のおもしろさもあると思う。
読者は小説を一様には読まない。
レイプ被害者の小説を読んで、3年ひきこもった女性に対して、
減るもんじゃないし理解できないという男性読者もいれば、
3年で社会復帰できるなんておかしいと思う実際のレイプ被害体験者もいるだろう。
お経なんていろいろ解釈できるから、いいようなところもあるのではないか。
正しい政治。正しい行動。正しい文章。いったい正しいとはなにか?
わたしが処女作で書いたのは、
不幸の連続で精神的苦痛のあまり片目片足になった王様が
ある日「本当のこと」に気づくのだが、正義とは多数決で、
彼は精神病あつかいされる。たしかに精神病的妄想と常識では考えるだろう。
本当が嘘になるのである。
しかし、さすがに「本当のこと」を知っている当事者は気まずい。
かといって、「本当のこと」をばらしたら自分の立場が危うい。
この葛藤がなんとなく自然に解決されるところに仏教味を出したつもり。
正義も実行されないし、悪も成敗されない。
なんとなく海外にはない「水に流す」という日本流の作法である。
最後はみんなで盆踊り、除夜の鐘、今年も丸く収まりました。
真理や真実を追求するのはやめましょうや。
あるいはすべて未知かもしれないし、仏さまのご意図かもしれないし、それはわからない。

という稚拙な物語を20年まえと8年まえに1回読んだ夫婦がいる。
内容のことで喧嘩をする。真理、真実とはなにか?
妻はいつも自分は絶対に正しいと主張する新興宗教会員である。
その原本が出てきて夫が20年ぶりに読んでみたら、正しいのは自分であった。
しかし、そんな「本当のこと」を主張して離婚するのが正義か?
夫は「やさしさ(あるいは愛)」から、
相手の正しさを認め(嘘をつき)夫婦関係は良好になる。
いったい真理や真実、正義ってなんだろうね。
というある種の人たちをヒステリックに怒らせる駄作。
小説が書けなくて何度も旧友の年上女性に泣きついたのだが、
テーマは「本当と嘘」とそれは一定していた。
それにスポンサー様の「仏教しばり」。
真理があると思っている人や、真理を追究している人、
真理体現者を自認する人にはひたすら不快な小説かもしれない。

父の語る正義。母の語る正義。善悪とはなにか? 自殺は善か悪か?
精神病とはなにか? 偽物が本物になるということ。本当が嘘になること。
そういう長年のテーマを処女作に託したつもりだが、
そもそも売れないし、上げても読まれないし、
読まれても評価されることの少ない(あるいは皆無の)駄作なのかもしれない。
こういうふうに自作解説をできるのは、どうしようもなく山田太一さんの影響だろう。
前日に翌日の物語がわからないという博打的作法。
もちろん箱(コンスト/構想)らしきものはあったがすべて崩れた。
妻を新興宗教の会員にすることを思いついたのは、提出前々日であった。
キャンセルされるのがいやというよりも、
子どものころからドタキャンは当たり前だったから(父親!)、
むしろキャンセル耐性があるというのか「またか」と鼻で笑うだけである。
わたしは自分の低価値をよく知っているからドタキャンされても怒らない(?)。
むかし医師とプライベートで逢ったとき、奈良の鉄道員に嘘を教えられ、
遅刻したら怒っちゃって、今日はもう逢わないという感じであった。
逢ってみたらこちらの悪意のなさが通じたのかお話を楽しむことができたのだが。
キャンセルしたときの怒り方で相手のプライドがある程度推し量られる。
商売人は相手がキャンセルや遅刻をしたら、それを勝ち点と計算するようだ。
山田太一ドラマ「想い出づくり」にそういう商売人が実にうまく描かれている。
わたしはドタキャンされたり遅刻されることの多い人生でおのれの価値を学んだ。
スポンサー様にいただいた原稿料は昨年中早々と使い果たし、
しかしせめて一作だけでも自分の小説を書きたいと狂い身で捨て生き、
身体はボロボロで老人よりも早く歩けないし、
立っているだけでも支えを必要とし、ときおり嘔吐の症状が出るがこらえ、
階段では横転する危険があるので常に手すりにつかまる無収入敗北孤独老人43歳。
板橋区役所の国民年金課に年金免除の申請におもむく。
「もう長くないんで年金を払っても」という小生のどもり声に、
「またまたあ(冗談を)」と返してくる妙齢の女性、美しきこと限りなし。
「来年も会えますかねえ」と芝居がかったことを言うと、
「元気出してくださいよ」との励ましに流涕(りゅうてい)こがれて泣き出す始末。
「どうしたんですか?」と心配されて、さらに流涕こがれて泣き入る孤独中年。
あわれなり、あわれなり、畜生界からも落ち地獄世界のおのれよ、あわれなり。
近所の父に何年ぶりか電話するが、用があって対面はかなわぬとのこと。
もう会うことはないかもしれぬ。先立つ不孝をお許しくださいとふらふらしながら思う。
父の造った大嫌いな誤記墓石のある霊園へ歩く元気もなくバスで向かう。
「お母上、僕はようやく、生まれて初めて自分の仕事といえるものをしましたよ」と報告。
しかし、それは当方の非力ゆえ、
スポンサー様のご不興を買っており本にならないかもしれぬ。
あわれなり、あわれなり、この世の無常、いとあわれなり。
初夏、帰途エアコンの効いた「バーミヤン」の
ハッピーアワーの200円ビールで喉をうるおす。
ありがたや、ありがたや、酒あるこの世に生まれて43年、ありがたや。
酔眼にいままで出会い別れた人の顔が幽霊のように見える。
「あうたり わかれたり さみだるる」という山頭火の句が思い出され、
またもや流涕こがれて泣き伏すのであった。
編集者さまとお仕事をした経験はないが、いまはひどいらしいね。
直木賞作家の角田光代さんのエッセイで読んだが、
いきなり編集者から電話が来るらしい。
で、言われるのは「タイトルをこう変えてくれ。結末をこう変えてくれ」。
相談ではなく指示、命令。
タイトルと結末を人に言われて変えたら、それはその人の作品じゃないじゃん。
むろん、これは直木賞を取るまえの話で、いまはさすがにそういうことはないだろう。
こういうパワハラに耐えてわれら恥ずかしき文芸専修の星、
角田光代さんはいまの地位を手に入れられたのである。
先日、アンソロジーでご作品を拝読したが(「100万分の1回目のねこ」)、
収録作品のなかで角田さんのものがいちばんおもしろかった。

これに対抗するには、権力者の後ろ盾があるといい。
芥川賞作家の柳美里さんは演出家の東由多加(故人)というバックがいたわけである。
もっと詳しく書けば、柳美里さんは東由多加と男と女の関係だった。
こういう後援者がいると、編集者の支配願望から逃れられる。
それに柳美里さんは関係者(権力者)とよく「寝た」って聞く。本人も書いている。
そうすると改変命令も来ないし、出版社からも積極的に売り出してもらえる。
柳美里さんが世間を知っているなと思うのは、
彼女はよく編集者に高額プレゼントをしていたのである。大人の関係である。
なにより柳美里さんは、意見は分かれるだろうが、外見が美しかった。

だから、もったいないのは去年の早稲田セクハラ騒動。
悪口を言うだけの文芸評論家で早稲田の教授だった渡部直己。
色ボケしたのかかのセクハラ教授はある学生にご執心なされた。
きっときれいな人だったのだろう。
被害女性は渡部直己の性的勧誘を拒絶、告発したが、
うまくくわえこんで、転がしていたら被害女性も人気作家になれたのかもしれない。
カウンセラーは顧客の長所を探し信じつづける難しい仕事だが、
編集者にもそういう態度の持ち主が少なくないと信じたい。
思えば父はけっこう人の長所を見る人で、母は短所ばかり指摘する人であった。
母のそれは精神病の症状かもしれず、性格的欠陥とまでは言えないのかもしれない。
人生で何回か経験したのは――。
1.好きなように書いていいよ。
2.完成後に作品を全否定。いちから自分の言う通りに書け。
こんなことする人いないってふつうの人は思うでしょうけれど、
なぜかそういう人を引きつける。
今回はどっちかなあ。
コメント欄で教えてもらったけれど、
なんとかの法則って言うのがあって(スタージョンの法則?)、
どのジャンルでも名作は1割なんでしょう。
わたしもこのたび名作短編アンソロジーを山読みしたが、
名作と言われているものでもおもしろかったのは1割。
自分がつまらないと思うものが名作となっている不思議が文学、映画、その他芸術。
今回、3回チャンスを上げるよといちおう口約束ではおっしゃっていただいています。
法則にしたがうならば、10回チャンスがあれば当たる可能性も高まるが3回。

拙作の1回目をスポンサー様はあまりお気に召されていないようで、
いつものように全否定と
「自分の言ったように最初から書き直してください」が発動するかもしれない。
1回目は失敗作でもいいとお許しくださるかもしれない(そういう話だったのですが)。
今回はスポンサー様に高級な和食をだいぶご馳走になっている。
人間って自分が金をかけた対象を信じたがるもの。
だから、女はデートでわざと遅刻するしプレゼントを求める。
なぜなら人間は創価するものだからである。
自分がいいと思ったものを人を好む。
人生で一回くらいうまくいきませんかね。いつものように全否定され終了か。
製本化の時期をうかがったらお答えはなく拙作へのご批判だったから、
過去の悪い記憶がよみがえる。南無阿弥陀仏。南無妙法蓮華経。
あはっ、いひっ、処女作の冒頭は妻と離婚するのかと悩んでいる「私」なんだけれど、
僕はもちろん結婚経験なんかないし両親の夫婦喧嘩や知り合いの話しか知らない。
でも、けっこう書けちゃうという。妻とのあつれきとか。
わずかな体験と知識から、自分のいもしない妻をつくったのはおもしろかった。
あれはプロフィールを隠したら妻帯者が書いたものだと読者さまは思うのではないか。
嘘をつくっておもしろいよなあ。
最初の読者さまから主語がわからないというご指摘を受けた。
それはわたしの書いたのが古臭い「多カメラ小説」だからだと思う。
いまの小説は「ワンカメラ小説」が多い。
主人公という一点のカメラから世界が描写される。
けれど、戦前とか戦後直後にはけっこう「多カメラ小説」があるのね。
Aはこう思った。そう書いて次に、しかしB子はこう思っていた。
坂口安吾がよくやっている。
くだらぬ小説を書きながら、どんどん坂口安吾文体になっている自分に気づいた。
坂口安吾はアルコール依存症で睡眠薬中毒の無頼派作家。
最初は山田太一の文体だったのだが、いきなり登場人物が動きはじめ、
こいつらの生命っていいな、とそれまで書いた山田太一文体40枚を断腸の思いで削除。
あれは死ぬかと思ったが、結果的にはそれで自分としてはうまくいったと思う。
登場人物が作者に話しかけてくるのよ。おまえの構想なんかぶっ壊してやると、
出版されるかもわからない、されてもだれにも読まれないだろう、
ある売れない仏教小説の作者の感じたこと。