春日武彦先生、「援助者必携 はじめての精神科 第3版」(医学書院)、
昨日19日ポストで発見しました。本当にありがとうございます。
毎日郵便受けを見ていないので、いつ届いたかはわかりません。
第2版よりも版型が小さくなったのではありませんか?
第2版は新宿の紀伊国屋書店、
医療書コーナーで部分部分失礼ではありますが、
立ち読みしたことがございます。
第3版は以前に比べて読みやすくなったような気が致します。
早速、明日拝読しておのれのくだらぬ人生と照らし合わせたいです。
筆圧強めの「人生の迷い」にいまもいまとらわれておりますので、
先生のご本が現実的な指針として左右することと思います。
「淡々と生きる」と「好きに生きる」の迷いでございます。

これで運気が変わるかもしれません。
先々月「8:2で大腸がん」と宣告されてしまい、それが検査1ヶ月まえのこと。
どんな気持で検査まで過ごせっていうんですかね?
3歳年下の外科医の考えはよくわかりません。
最悪の事態を考えるのが常ですから、もう大腸がんだとあきらめていました。
こんなもんかよ人生はと思っていたら、そうではなく、
かといって再生したかのように人生の新鮮な美しさやすばらしさに
目覚めるようなこともありませんでした。
かと思えば約束していた短期派遣仕事をドタキャンされて、
やっぱり人は信用できないという虚脱感からいまだ抜けきれておりません。
来週月曜日に郵便局でハガキを買って、その場で礼状を送ります。
土屋はやっぱり字が汚いなあ、これじゃ履歴書も落ちるよ、
と憐れんでくだされば嬉しく、
そんなハガキはそのままゴミ箱にポイでお願いします。
ハガキで礼状を書くのは失礼かもしれませんが、
世間知らずなのでどうかお許しください。

春日武彦先生、ご著作、本当にありがとうございます。
いま生活が荒んでいましたが、この幸運を弾みにして、
立て直す方向に向かいたいと思う所存であります。
生きていたらいいこともあるんだなあ。
自分が思っている自分と、人が見た自分って違う。
わたしは自分のことを近年まるで怒らない丸くなったおっさんだと思っていた。
年末年始、ア○ゾンさまで働かせていただいたときに、
若い女の子から1分、2分休憩時間に入るのが早いと注意されて、
いますぐ(数分かけて)職場に戻れって指示されて、ごめんなさい。怒った。
その怒り方がすごいって、
一部で噂になっていたと聞いたような聞いていないような。
だれも近づけない感じになっていたって。
たしかに怒っていた。たかだか1分、2分で騒ぐなバカって。
でも、その若い女の子のマイルドヤンキー的なかわいさを発見してしまい、
アクションドキュメンタリー的にブログに「かわいいよかわいいよ」
って書いたら、まさか読んでいるはずはないが、
きっと赤い顔をしてにらんできて、やべえ、
この子に惚れちゃうかもと思うくらいいい顔をしていた。

わたしって怒ると怖いのかなあ?
ほら、池田先生みたいなもので、
1回怒られてそれから褒められると
マインド・コントロールしちゃうでしょう(できちゃうでしょう)?
それには初発の怒りがどれだけ強いかが勝負。
いまでも自意識では、怒らないよ。
逆にわたしを怒鳴らせるのはあっちの才能くらいに思うほど温厚。
しかし、怒ることもないとはいえない。
ネット通販で時間通りに来なくても、たいへんなんだなあ、で、
にこやかに相対しているつもり。怒ると怖いのかなあ。

いままで怒った二大経験はシナセン、八王子。
八王子は本当にわたしに殺されると小便ちびりそうになって、
刑事告訴するとか意味不明なことを姉に大量メールしたビビリ。
ないないって。それないから。
うちから八王子まで2時間だし、そこから山中までバスで1時間。
意外と人って簡単に死なないのよ。
八王子さん健康そうだから、そもそも殺せない。
金属バットであたまを打ち割ろうとしてもかわされてしまう。
刃物で急所を突くなんて、ヤクザの中堅レベルでも難業。
被害妄想だろう。
みんなはもっと多いのかもしれない。男性社会はそういうものとも言えよう。
年上男性から怒鳴られることが多いような気がするのである。
あんがい数量的には少ないのかもしれないし、
被害妄想から、そればかり記憶しているのかもしれない。
怒鳴られたとき、どういうスタンスを取ったらいいのだろう。
理想は、顔を下に向けて無言でいることなのかもしれない。
わたしはついつい場を収めようと、まあまあ、落ち着いて、とやってしまう。
そもそも相手に大声で怒鳴る猛々しい神経、
雄々しいい精神がよくわからない下卑た女々しいところがある。
去年、八王子で村内家具に居酒屋で机をばんばん叩かれながら
「土屋さんは世間を知らない」
と怒鳴られたときのわたしの態度は間違っていたのかもしれない。
「まあまあ」「落ち着いてください」「ほかのお客さんもいますから」
と生意気にもなだめようとした。
あれが失敗だったのか。
シュンとうなだれていたほうがかわいげがあったのかもしれない。
おそらく、そうだろう。相手はそれを期待していた可能性が高い。
こうしてわたしは八王子大菩薩からいただいた最後のチャンスを逃した。
いまわからなくなっているのは、なにがしたいの?
商業映画でも文学でも、賞がほしいの? 売り上げ? 自己表現?
自己表現をしたいのならツイッターでつぶやいていろよ。
収益、すなわち金儲けをしたいのなら、もっといい方法はたくさんある。
賞がほしいのなら選考委員に金や女、称賛をばらまけばいいだけの話。
で、結局、賞をもらってそれがなんなの? まで到達したら本当の成功者鬱。
基本、映画も文学も金にならない。
他人の評価たる「賞」も突きつめると空しい。
最後は自己表現に行き着くのではないかと。自分を深く知る、強く出す。
最後にシナリオ・コンクール応募をしたのは7、8年まえじゃないかかなあ。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をシナリオ化せよ。
それを蜷川幸雄が監督で映画にするっていうんだよ。主催は角川だったか。
賞金は300万。300万あったら少なくとも1年は遊べるぞ。
文学は主戦場。よし、ここでデビューしてやるか、と決めた。
そろそろ世に出なければいけない。
宮沢賢治の本を複数読んで評論まで目を通して書き上げたものを応募。
結果は落選以前の話で、一次通過の発表もなかった。
おそらく話(企画)自体が流れてしまったのだろう。
大勢の人間が夢を目指して寝る間を惜しんで、
シナリオを書いて応募したわけでしょう? それが企画終了ってなに?
なんなの、このいいかげんな世界?
かと思えば、ご存じのように蜷川幸雄の娘は、
父親の人的財産を生かしてキラキラピカピカしている。くそったれが!
あれ以来、公募には出していない。
高給取りの出版社やテレビ局はライターの夢や情熱を舐めるにもほどがある。
まあ、そんなものだけど。
少しでも上の会社に行ったほうが勝ち。
そんなものだと知るためのコンクールかもね。
いまの時代風潮として怖い人がいなくなった。
わたしもむかしは原一男や宮本輝が怖かったが、いまはぜんぜんまったく。
池田大作さんほど怖そうな人を知らないが、
あの方がお隠れになった時期くらいからではないか。
いま文学や宗教、演劇の世界で怖い人っている?
暴力団が反社になったのは、埼玉が「さいたま」になり骨抜きにされたようなもの。
田中角栄くらいは迫力があったが、そのあとの政治家では、
いや政治には無知だから。
それでも野中広務には暗い怖さがあったが、いまの橋下徹はバラエティー。
中上健次が怖かったのは実際に暴力をふるうお部落のお育ちだったからで。
難解本の読書量自慢をしていたが、ただページをめくったってだけなのは、
もうそろそろだれかがばらしてもいい時期だろうが、だれもやらない。
三島由紀夫は怖いよ。なに考えてんだよ、あの死に方。
そうだから、いまの作家で怖いのはだれか。
幻冬舎社長の見城徹さんは完全独裁者気質で怖そう。すぐ大声を出しそう。
とはいえ、いまの編集者全般、コンプライアンス主義で、
いやらしいめんどうくさいやつは多そうだが、怖い人はいないと思う。
「おまえを業界で食えなくさせてやる」くらいは言いそうだが、
それは人によっては鬼より怖いが、正しくは陰湿な嫌がらせだろう。
瀬戸内寂聴は怖いがもうすぐ死ぬ。
村上龍が怖いなんて思っているのは虚像で、
若くしてデビューしたあの人は老人になっても世間知らずの若者ぶりっ子。
ああ、小谷野敦は怖いよね。
あいつ、命令形の2、3文だけをメールで送ってきたことがある。
原一男さんの思い出はいっぱいあるのだが、
あの人は100歳まで死なない健康食品オタクの大学教授なので、
早めに書いておこう。おもしろい人だったなあ。
当時、演習クラスで合宿するなんていう風潮はなかったが、
原さんがお嬢さまだらけの女子大生に
まさに頼み込む感じで温泉旅行が実現。
僕は集団行動は苦手だから行かないって言っていたら「来いよ」と原スマイル。
行ったら行ったで駅のホームでふてくされている僕に原さんはひと言「いじけだな」。
この人は僕のことをわかっているんじゃないか、と、うるっとしたもの。
創価学会の池田先生と弟子もこんな感じなんじゃなかったのかな。
言っちゃ悪いけれど、原さんは学がないんだ。教養がない。
もっと言えば、最低限の本も読んでいない。
だから、文章が左翼定型的な感傷めいたものになる。
授業内容は実体験の話をするしかないわけで、えらくおもしろかったなあ。
お嬢さま女子大生しかいない数十人のクラスで、
自分が若いころ助監督としてやったポルノおまんこ撮影の話を1時間とかする。
当時の女子大生はどんな顔をして聞いていたのだろう。
出席率は異常なほどよかった。
大学の助成金も獲得しながら手弁当で映画を撮影しようという演習クラス。
その撮影現場で、当時尊敬していた原さんがなにかを一生懸命に見ている。
なにを見ているんだろうとその先を見たら、
道にM字で腰かけた教え子の女子大生の白いパンツ。
「原先生」と声をかけていいのか迷った。

*原さんがお亡くなりになったときに追悼文として書きたかったが、
あっちのほうが長生きしそうなので早出し。
たぶん、「本の山」の記事でいちばんおもしろいのは「シナリオセンター退学処分」
あれはアクションドキュメンタリーの究極完成形のエンターテイメント。
社会革命作品でもあって、あれでお客が減ってシナセンは大騒ぎしたし、
顧客のシナセンを見る目もひんやりとした白々しいものになって、いまもそのまま。
最前、当時の記事を読み返したが(自主規制で削除したものも多い)、あれはねえ。
事前に巧妙にも不穏な暴力的で反社会的な圧(あつ)を繰り返し高めているわけだよ。
シナセンが必死で大人としてどうにか
温厚におさめようとしているのに、原一男の弟子は火に油をそそぐ。
燃え盛れキャンプファイヤー。

「もっと過激に、もっと自由を!」 

いま読み返したらぞっとするほど、あれは「ゆきゆきて、神軍」。
自分で火をつけて、消されそうとしたら油をかけて、
しかもその火を新聞紙につけて放火してまわっている。
でも、結果的に業界に一石を投じたわけでニヤニヤしていた人も大勢いたはず。
あのときのシナセン所長、後藤千鶴子さんってもう90歳くらいでは?
いまからフジテレビのヤングシナリオ大賞でも応募したらいかがでしょうか?
シナリオ処女を老いたしわくちゃの指でぶち抜け!

(関連エントリ)
シナリオ・センター退学処分(2009年10月15日)
たまに話に客観性がないと批判されるが、
それはアクションドキュメンタリー原一男の弟子だから。
話を盛るというのか、見聞きした話をエンターテイメントとしておもしろくしたい。
読んでくださるお客さんにおもしろがっていただきたい。
「正しい/間違い」のベクトルではなく「おもしろい/つまらない」で生きている。
わたしは自分勝手に、自分は他人の話を聞くのがうまいと天狗になっているが、
それはどういうことかというと、相手のおもしろい話を聞きだす能力のこと。
どうやればいいかって、それは原さんから教わったことだが、
相手がおもしろい話のかけらを見せたときに、
そこにうんうんうんと反応する、強く相槌を打てばいい。
そうすれば相手はそっちの方向のお話をふくらませてくれる。
結果としておもしろい話が聞ける。
それは事実を多少ふくらませたものであろうと彼(女)の真実である。
真実は(事実よりも)おもしろい。真実とは、人を喜ばせること。
おもしろいのがなによりではないか。

一昨年だったかなあ。
原一男さんを寒々とこごらせたが(泣きそうだったよ原さん……)、
わたしはやはりそういうことをできる時点で原一男の一番弟子を自称したくなる。
アクションドキュメンタリー。
ア○ゾンだったらア○ゾン倉庫内で、それをやってしまう。
アクションすることでドキュメンタリーが変わっていく。
客観的な事実を撮る(書く)のではなく、あえて主観的な参与を加える。
わたしはアクションドキュメンタリーの正統な、
人に嫌われる冷徹な、しかし異常に熱っぽい弟子のひとりだ。
作家になりたかった若輩の大学生のわたしが恐れたのは、
まず人生およひ世間、他人の現実を知らなかったところである。
それなら働きながら他人の人生を知っちゃえるということで、
ドキュメンタリーのテレビ制作会社に応募しまくった。
当時尊敬していた原一男教授の影響もたぶんにある。
あのへんの会社はすべて応募した。
最終面接まで行ったところもいくつもある。
志望生は東大、早稲田、慶応ごろごろいた。
そういう時代だったのかもしれぬ。
わたしのなかではドキュメンタリー制作会社、テレビのそれで、
当時の最高峰はドキュメンタリージャパンだった。
そこの重役のおばさんから言われたなあ。
「原一男さんみたいなドキュメンタリーを撮りたいのなら自主でおやりなさい。
うちは商業制作です」
あれから20年後に意味が痛いほどわかる。世間を知ったのだろう。
いまは制作会社のADは体力的にできない。
ドキュメンタリーは他人の人生を覗き見したいということ。
いまあの会社から取材依頼が来たらニヤリとする。