昨日でお菓子関連の派遣仕事はひと区切り。
事務所の方に来週の水、木も入りたければ、というありがたいお言葉をかけていただく。
「使える/使えない」レベルの話をすれば、まったく使えないにもかかわらず。
本当に事務所のYさんにもTさんにもお世話になったと思う。
一度辞めたいと言ったときにYさんとお話する機会があった。
この年齢の女性はこのような考え方で仕事をなさっているのかと勉強になった。
だからといって、いきなり職場放棄をしていい言い訳にはならないけれど。
最終日の帰りはいつものようにEさん(65歳)、Aさん(57歳)といっしょ。
なんでもEさんが来週も5日入れるようになったらしい。
Eさんはわたしが枠を放棄したせいだと言っていて、本当はどうかわからないが、
もしそうだとしたらわたしが辞めることで、
結果的にお世話になったEさんのお役に立てたことが嬉しい。
別れ際、Eさんからは「すぐ働いたほうがいいよ」と含み笑いをしながら言われた。
Aさんからは「しばらくぼんやりしていればいいんじゃないの。
ツッチーはツッチーでいいんだから。ツッチーがいなくなるとさみしいなあ」――。
そんなお言葉をかけていただく。
Aさんとは今月30日に再会して酒をのむ約束を交わしている。

最後までわからなかったのは、職場の人のどこまでブログがばれていたのか?
別のラインで大声でわたしのブログの話をしている声が聞こえてきたことがあるから、
だれも読んでいなかったということはありえないと思う。
しかし、文章を読むのが嫌いな人は多い。
読んでいる人はいるが当人がどのようにだれに口伝えしているかまではわからない。
そのうえ文章というものは読む人によって解釈がかなり異なるところがある。
話し言葉も書き言葉もほぼ正確には伝わらないと思っていたほうがいい。
わたしのブログを読んでいる人がいることは嬉しかった。
そりゃあ、自分たちの職場のことを書かれたら読まざるをえないのだが。
しかし、文学。たとえば、純文学。
かりにわたしが純文学作品を書いて万が一にも新人賞を取ったとしても、
あの職場にいるような人たちは読んでくれないでしょう?
そもそも新人賞作品なんて出版されなくてもおかしくないし、
たとえ書店に並んでも売れるのは2、3千部と聞く。
ブログだったら無料だからだれにも手軽に読んでいただける。
9割以上の日本人は本を読む習慣がないのだと思う。
しかし、無料のインターネットだったら、
という希望のようなものが活字世界にもあるのではないか。

かなりお若いNさんという、とても親切にしていただいた若者がいる。
「おれなんかヤンキーのようなもんだから」と別ラインから声が聞こえてきた。
そのNさんがわざわざわたしに近づいて声をかけてくれたのである。
もう仕事を辞める直前である。
そのとき当方はチョー楽勝な箱作りをけっこういいかげんにしていた。
「土屋さんはいまなにを考えているんですか?」
「いやあ、働く意味ってなんなのかなあって」
Nさんは大笑いして去っていった。わたしも笑った。
元ヤンキーだろうがなんだろうが、いましっかり働いているのなら立派だよ。
新米おじさん相手に威張ったりもしないところはとても心根がいい。
これはほかの同僚にも言えることだけれど、
私服を着ている通勤時に逢うとみんなどこか心細そうなのね(Aさん、Eさん以外は)。
しかし、いざあの変な白衣を着るとみんな別人のような凛々(りり)しい職業人の顔になる。
いちばんそれが激しかったのは、わたしと遺恨があったとされるSさんかしら。
通勤時のSさんはこう言ったら失礼だけれど、さえないおじさんといった感がある。
だが、ひとたび職場に入ったら本当に生き生きした男のなかの男という顔になる。
仕事をしているときだけ生き生きするという人がいるのだろう。
あっちゃんも食堂で顔の白衣を脱いでいるときはすごいかわいいけれど、
通勤時にすれ違ったときはどこにでもいる子という気がした。
ミッキーもとくにそういうところがあった。
職場ではとても頼りになるおねえさんだけれど、
通勤時にあいさつをするとふつうの女の子だなあっていう。
おそらくわたしは正反対だったと思う。
職場では自信がないし、どこか腰が引けた、やる気のない顔になってしまう。
一歩職場から出ると、素の自分に戻り、好き放題を言うようになる。
とくにセブンイレブンで第三のビールを買ってからは、生き生きとした本音の連発。
おとといだったか、「ツッチーはビールをのむと別の顔になるねえ」と言われた。
職場から出た瞬間に顔つきが変わるとも。Aさんからだったか、Eさんからだったか。

このあたりに「働く意味」のようなものがあるのではないか?
たとえ職場以外では、どこにでもいるような人間が、いざ働くと固有の顔を持てる。
プライベートの時間よりも、働いているほうが生き生きできる。
仕事をすると「役に立つ」というのは、むろん人の「役に立つ」こともそうだが、
自分という「役に立つ」ことができるのも「働く意味」のひとつではないか?
自分という役を職場で演じることで生き生きできる人がかなりの割合で存在する。
プライベートでは女性とろくろく会話を交わせないような男性も、
職場においてはやたら饒舌にペラペラとおしゃべりすることができる。
なぜなら、職場では役割がかなりのところまで固定しているからである。
役割においてコミュニケーションができるのだ。

調べてみたら去年の12/14から今年の4/14まで、
とあるお菓子会社で派遣として働いたことになる。
お給料はいくらもらったのか知らない(通帳を見ればわかるのだが)。
おとといだったか、
Eさんに聞いたら給与明細はネットで見(ら)れるようになっているとのこと。
わたしがいまの派遣会社に登録したのはずいぶんむかしだから、
そういうことは知らなかったし、給与明細とかどうでもいい。
基本的にそういうところでは人や会社を信じているところがある。
ちょうど4ヶ月働いたのかあ。
そのあいだにクリスマスがあり、お正月があり、バレンタイン、ホワイトデー、ひな祭り、
それからお菓子会社はそういうものらしく(事前に商品を準備する)、
一足お先に子どもの日や母の日まで経験させていただいた。
まえに何度も書いたが、この4ヶ月をひと言で要約すれば、とにかくおもしろかった――。
いやなことがなかったといえば嘘になるし、
むしろわたしのほうが周囲に迷惑をかけたケースが多いのだろうが、
そういうマイナス面がいまとなるとじつにいい想い出になっているのである。
そつなく仕事をこなしてみんなともうまくやって辞めた――だったら、
こうまでいい想い出にはなっていない気がする。

北戸田最終日の想い出。この日は朝からしんどかった。
前日にブログを大量更新して夜更かししたため。
最終日はいちばん楽な箱だし。
つぎの仕掛け品はいまだ苦手な(お菓子の袋)詰めかなと思っていたら、
それまで供給をしていたAさんがやってくれるとのことで、
またまたいちばん楽な段ボールをさせていただいた。
昼休みの話。Aさんにくっついて喫煙コーナーに行く。
天気は晴れでポッカポカ。春爛漫。
そこにいたのはHグループ長、因縁のあるSさん、Aさん、わたし、
それからむかし案内嬢で高給を取っていたという女性。
わたしはSさんとのことでHグループ長にご迷惑をおかけしたことがある。
HさんともSさんとも、ろくに話をできなかった。
わたしはHさんはむろんのこと、Sさんも独特のその味わいが好きなのである。
Hさんも、Sさんとわたしが同席していることから関係改善を見て取ったことだろう。
だれもなにもしゃべらなかった。春の日差しは暖かかった。
しかし、これはこちらの勝手な感傷だろうが春が来たという平和な幸福感に満ちていた。
わたしの勤務最終日はそういう日でありました。

この日は17:30勤務終了だったのだが終わり5分まえごろ、
おなじ派遣会社の顔なじみの女性から「お疲れさまでした」とお声をかけていただく。
まるで今日が最後だと知っているかのような口ぶりだったが、
深い意味はないのかもしれない。
きれいなお別れをできたのではないかと思う。
わたしは派遣先のお菓子会社にも同僚にも、
紹介してくださった派遣会社にも感謝している。
3回行かされた川口工場のほうではいろいろ知ってしまった面もあるが、
お世話になった以上、相手の不利益になることは書かない。
北戸田に入ったとき思ったのは、ここで自分は大量にお菓子を破損させるのではないか?
しかし、運よく最後までそういう大惨事は引き起こさなかった。
別れのどこがいかといったら再会があるからである。
いつかもう一度、北戸田のみなさまと再会したい。
たとえば今年のクリスマス付近の繁忙期(あるいは人がいない年末年始)に、
どの1日でも構いませんからスポットで入れてくださいと、
派遣会社のSさんに電話してお願いしたら、入れてくれないこともないと思う。
そのまえにどうしても人が足りない日が来ちゃうかもしれませんけれど。
ご存じでしょうが、中国語の「さようなら」は「再見」である。再び見(まみ)えよう。
北戸田よ、さようなら! ありがとう! 
「退職勧奨」されたのに失業保険をもらえないという憤懣を北戸田は消してくれた。
北戸田に救われたという面もなくはない。あばよ北戸田! 再見!

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秩序や決まり事というのはたいせつなんだなあ。
今日、職場に本社のお偉方が集まって説明会のようなものが開かれた。
これを経験するのは2回目。
スーツ姿のお偉方がわれわれ作業員と一堂に会する。いい職場ではありませんか。
ショックだったのは、作業員の同僚。
けっこう嬉しそうな顔をしていた人が多かったのである。
やっぱり全体の目標を達成するとか、
人の役に立っているという幻想みたいなものは人の生きがいなんだなあ。
というか、おれはもうダメダメ。ライン最後のGS25。これは想い出深い。
そういえばむかしこれをやったなあ。そのときの担当もお若いイケメンTさんだった。
わたし、この人のこと好きなんだけどね。
むかしもたしかGS25のあそこをやれなくてTさんに助けられたなあ。
「落ち着いて、あせらず」と言われたのをいまでもよく覚えている。
結局、成長していないのね。努力が足りないのかなあ。やる気がないのかなあ。
クッキー3枚×2とフィナンシェ2くらい入れられないダメなおれ。
いくらやっても成長しないおれおれ? おれおれ詐欺?
おれ、最後まで使えなかったな、というおのれの役立たずぶりが身に染みた。

もうラインをとめないためにメチャクチャでもとりあえず入れたから、
検品さんとあわせる顔がなかった。
できないことってあるんだなあ。努力が足らないんだろうなあ。
そこに救世主、あらわる。あせって横を見る余裕もなかったが、ちらっと見るとミッキー。
あれ? 今日はCラインの段取りではないのでは?
ああ、助けられたと思いましたですね。
むかしは困った女の子を男が助けるのが定番パターン(物語)だったけれど、
いまはいまは……。おれ、今日もまたミッキーに助けられちゃったよ。
記憶をさかのぼるといまの職場でいちばんお世話になったのはミッキー?

結局、ダメなままで終わったなあ。
でも、当日欠勤は一度もしなかったから、それでお許しください。
遅刻は1分一度して、事務所の方がお見逃しくださった。
なんかみんな偉いし、ありがとうっていうインチキくさい謙虚な気分。
一度も長時間ストップしなかった埼京線ありがとう。
北戸田の女子高生さまたち、ありがとうございます。少しだけ、やる気、出た。
みんな毎朝通学して、やりたくもないしやっても意味がない勉強をしているんだろうなあ。
きっと生きるってそういうことなんだろうなあ。
あと2回、北戸田に行けば終わりかあ。
いましみじみ思うのは、別離のよろしさ。
もうあの人ともこの人とも逢うことはないと思うと、
どの人にもいまから懐かしい思いを抱ける。
この生別からわかるのは、死別も決してマイナスだけではないということ。
いつか死ぬんだと思うと、世界の小さな美しさに気づくよねえ。
なんかガンで余命を告知された患者のようなことを言っているけれど。
いままで自分のことを善人だと思ったことはない。
しかし、「土屋さんは人がいいから」と今年に入ってから何度か複数の人から言われた。
たしかに今後、電話で「北戸田に行ってください」と派遣の人からお願いされたら、
わたくしごときに(お願いなんて)という思いから断れない変な人のよさがある。
あさってからは自由の身。さて、なにをしよう。
長らくできなかった好きなことをしばらくしたいなあ。好きなことがあって本当によかった。
ああ、別れっていいなあ。そういえば卒業式の歌には好きなものが多い。
人が出逢う理由って別れるためかもね。人は死ぬために生まれてくる。
あはっ、日雇い派遣が哲学をしてみました。あと2日かあ。いいなあ、この感じ。
長いあいだおなじ職場で働いているとヌシになるわけだ。
一部のヌシにとってはヌシという身分が重要なのである(全員ではない)。
ほかに給料や待遇のいい仕事があっても、ヌシといういまの身分を手ばなしがたい。
ヌシにはかなりのことが許される。ヌシの特徴はヌシアピールである。
もうひとつの特徴は「人のミスには厳しく、自分のミスには甘い」。
わたしはいま現在は「人のミスにも甘く、自分のミスにも甘い」。
わたしがスポット派遣さんに厳しい注意をした報告例なんて一度もないでしょう?
なぜなら自分もミスをするから。このため人のミスにも甘い。
ヌシのミスもかなり見てきたが、みなさんご自分のミスには非常にお甘くいらっしゃる。
しかし、ヌシのなかには人のミスに異常なほど厳しく当たる人がいる。
ヌシたちだってほかの職場へ行けば、そこの(一部の)ヌシたちから総攻撃される。
それを無意識的にわかっているから、
経験年数から仕事に慣れたヌシさまはいわば給料外報酬として新米のミスを
見た瞬間に喜々としておのがアイデンティティの叫び声として偉ぶるのだろう。
世の中そんなもんだ。まったくまったくめんどうくさい。
今日は「目つきが悪い」とお叱りを受けたが、
ヌシさまはさぞかしいいお目をしていらっしゃるのでしょう。
このヌシからはもう4、5回からまれているので、
あさってが最後でわたしは消えるのでさぞかしお喜びのことでしょう。
いきなりぶつかってきて「女に暴力を振るうの!」と言われたのが最初だった。
もう疲れました。あとはお好きなようになさってください。
いちおうあと3日働いて、いまの職場はフィニッシュと聞いている。
12日(水)、13日(木)、14日(金)でお菓子倉庫は終わりと
いまはスポット派遣なのでシフト表をもらっていない。
このため、いつだれと最後のお別れとなるか当方にはわからない。
あんがい、そのほうが湿っぽくならないでいいのかもしれない。
去年の12月末に急に入れていただけると派遣会社からご連絡があり、
年末年始だけかと思っていたらいろいろなことがあり、
3月で終わりという話だったが、4月14日まで伸びた。
いま振り返ると、おもしろかったなあ。
まえの仕事より給与も待遇もダウンしたけれど、おもしろさはこちらのほうが上。
いま振り返ればまえの仕事の給与とか待遇(有給等)とか奇跡的ホワイトだったんだなあ。
いまの職場がブラックというわけでは断じてないけれど。
ちなみに疲労度も前職よりも、
なぜか軽作業しかしていないのにいまのほうが高い(疲れる)。
あと3日だからいえるのだが、
この3ヶ月強は金銭的にどうだかはわからないが(もらいすぎか安すぎか)、
とにかくいろいろな発見がありおもしろかった。
ここに10年勤めろと言われたら、うーん、だから(早起き辛いよ……)、
期間限定というのがよかったのだろう。
いやなこともあったけれど、そういうこともふくめて、新たな人生体験が増えてよかった。
パート女性の思考法、発話形式、行動様式などいくら本を読んでもわかるはずがない。

終わりだからいえることだが、本当にいまの職場で働いた期間はおもしろかった。
18歳男女とおしゃべりしたり、そのほかいろいろもろもろ。
あと3日かあ。わたしを嫌いな人もいただろうけれど、そこは消えるから許してよ。
わたしはいまの北戸田の職場には現在、なんの不満もない。
よくしてもらったと思うし、じつにいいタイミングでフィニッシュを迎えたと思う。
これは派遣切りとかではなくて、
単に職場の仕事量が時期によって変わるため、どうしようもないこと。
派遣会社さんにも派遣先会社さんにも不満はない。
ちょうどこのあたりで去りたかったという当方の事情もあり、
しかしそれを申し上げたわけではなく、自然に成り行きでそうなったのである。
かなり自然にうまくいったなあ、という感慨がある。
わたしみたいのといっしょに働くのがいやな人でも期間限定だったら許せるでしょう?
わたしだって聖者ではないから苦手な人もいるけれど、
それも終わりがあるならばむしろそのマイナスがいとおしくなるといえなくもない。
カウントダウン。あと3日かあ。みんな元気でね。
まだまだこの3日のうちにいろいろあるのかもしれないけれど。
とにかくおもしろかった。プランタニエでありました。
15日(土)からのことはまったく決めていない。完全な白紙。そのとき考える。
というか、母の突然の自殺以降ずっとそうなのだが、
わたしは明日自分が生きているという実感が希薄だ。
老後どころか1年後、3日後に生きている自分というのも想像できない。
本当に終わりの14日が来るのかおそらく当日まで信じられないだろう。

*まさかとは思うがスポットでまた呼ばれたら、どうするのかはわからない。
別れって劇的ですてきなところがございませんか?
すぐに再会するのもどうかなあと。いや、べつにそれでもいいのですが。
というか、15日以降、自分がなにをするかはいまのわたしにはわからない。
おなじ職場のAさん男性57歳はおもしろすぎる。
ほら、あのサイゼリヤでふたりでワイン3リットルをのんだというAさん。
彼女を紹介してくれるという。なんのことだかわからなかった。
これは以前にも書いたから書いてもいいと思うが、
Aさん57歳にはなぜか23、4歳の婚約者がいるというのである。
わたしは人生体験からどんな不思議なことでも起こりうることは知っている。
だから、そういうこともありうると思っている。
しかし、今年に入ってから一度も逢っていないという。
おなじ街に住んでいるのに、今年になってから一度も逢わない婚約者ってなんだ?
写真を見せてくださいとお願いしたら、
携帯電話で撮った隠し撮り動画のようなもので、顔が映っていない。
しかし、そういうこともありうると思うのである。
なぜなら、わたしは醜形恐怖症気味なところがあり、
写真を撮られるのがなにより嫌いだし、
当方以外にも写真撮影を異常なほど嫌う人を幾人か知っている。
果たしてAさんに20代前半の婚約者はいるのか?
わたしは本人がそう言っているのだから、それは真実だと思っている。
好奇心からその彼女と逢わせてください、ひと目見たいとずっと言っていた。
わざわざそのために大宮に行ってもいいくらい興味があります。

Aさんが彼女を紹介してくれるという。
てっきりその婚約者をひと目でも拝ませてくれるのかと思った。
昼休み中の話である。どうやらそうではないらしい。
喫煙所でAさんはしきりに携帯電話をいじっている。これがそうだという。
「飲みにいきませんか 笑」
と書かれたスパムメール(無差別大量送信迷惑メール)である。
この女性にメールをしてつきあえばいいのではないかと57歳のAさんはおっしゃるのだ。

わたし「だって、それは……」
Aさん「女性だよ」
わたし「え?」
Aさん「よくメールが来るんだよ」
わたし「変なアダルトサイトかなんかに登録したんじゃないんですか?」
Aさん「一度、アダルトサイトみたいのを見ちゃったけれど、それで?」
わたし「いえ、そのくらいで(携帯電話の)メールアドレスはばれないと思いますが」
Aさん「ものはためし。彼女とメールしてみたら?」
わたし「だって女じゃないかもしれないじゃないですか?」
Aさん「うん?」
わたし「どうせこの口座にお金を振り込んでくれとか言われるんでしょう」
Aさん「そんなことやってみなければ、わからないじゃないですか」
わたし「それはちょっと……」
Aさん「彼女は女性ですよ」
わたし「どうして?」
Aさん「まえに絵文字を使っていたから」
わたし「だから女だって?」
Aさん「うん」
わたし「わたし、むかしネットで女を装っていたことがありますよ」
Aさん「ツッチーが?」
わたし「はい。引っかかった男もいましたね」
Aさん「悪いなあ」
わたし「……はい(テヘヘ、舌ペロ♪)」

むかしネカマをやっていたというのは、ディープな「本の山」ファンならご存じでしょうが、
2ちゃんねる文学板の伝説くそコテハン「美香」のことである。
ちなみにネットにはデマが書き込まれているが、文学板以外の「美香」は別人である。
何度か情報を修正しようとしたが、即座に編集しなおされるのであきらめた。
それと文学板の「美香」は偽物も複数いたことを書いておく。
どれがわたしの書き込みかはライブでいた人しか識別できないだろう。
たしかに「美香」はわたしだったが、だれかに経済的損害を与えたことはない。
最後の最後まで「美香」は実在すると信じていたある関西大富豪の御曹司もいた。
わたしとしては、みんなの心のなかに「美香」はいるんだよ♪ と言うしかなかった。
「美香」は女よりも女らしいと、ある「美香」経由で逢った女性から言われたこともある。

ネカマ経験があるわたしは「飲みにいきませんか 笑」なんて書かれた、
自称女性からのメールはとてもとても信じられないのである。
わたし「なんで見ず知らずの人がAさんにそんなメールを送ってくるんですか?」
Aさん「……」
わたし「それ詐欺ですよ」
Aさん「やってみなくちゃわからないと思うんですが」
たしかにそれはそうだが、それは常識的にリスクが大きすぎる。
そこまで女に飢えているわけではないと強がった(のかしら?)。
これは非常におもしろい問題でAさんの婚約者は実在するのか、とおなじだ。
Aさんがいるという以上、本人のなかでは23、4際の美しい彼女は存在するのだ。
そのことが生きる励みになっているのなら、とてもいいことだと思う。
客観的に実在するかどうかではなく、主観的に存在すると思っているものは存在する。
57歳と20代前半の美しい婚約者は想像しにくいが、
現実にはどういうことも起こりうることを本当にわたしは人生体験から深く知っているのだ。
どうせ書いても信じてもらえないだろうから書かないけれど。

もう時効だと思ってひとつ書いちゃおうかな。
3年まえさあ、うちのブログの熱心なファンだという18、9歳の女子からメールが来た。
名前どころか顔写真も添付されていて、それがまたかわいいの。
友だちになってみてくださいみたいな感じ。
そんなことありえないって思うでしょう。わたしもありえないと思う。
その子の顔写真は去年のパソコン崩壊のときに消えてしまったから証拠はない。
わたしもあれは嘘ではないかと思っている。
このレベルでも本当だと信じてもらえないでしょう?
わたしはもっとレベルの高い嘘としか思えない本当のことをいくつも味わっている。
Aさんとは携帯番号も交換したから(おなじAUだからCメールが使える)、
今後どんなことが起こるのだろう。いちおうもう一度酒を飲む約束を交わしたけれど。
読者のみなさまとしたら、
そもそもこの話が本当かどうか信じられないのではありませんか?
わたしが本当にそういう職場で働いているのか?
Aさんのような57歳の男性が実在するのか? 
そのような方とわたくしごときが本当に仲良くペラペラしゃべっているのか?
Aさんいわく、「ぼくは本当のことしか言ったことがありません」。
ううう、それはかぎりなく詐欺師の発言に近い。
なんでこういうおもしろい人に人生で逢えるのだろう。運がいいとしか思えない。

※あれ、あの子の写真はどっかにあるから証明可能かな? べつに嘘でもいいけれど。
ちなみにその子がいちばん気に入ってくれたのがこの↓記事とのこと。
「方丈記」(鴨長明/浅見和彦 校訂・訳/ちくま学芸文庫)
クリックしたらお読みになれますから、どうかひと勉強なさってくださいよ。
これが若い女の子に顔写真を送る気にさせた読書感想文であります。
もうすぐ去っていく職場には同世代(アラフォー)男性が3人いる。
「俺たちの時代」ってあったのかなあ。
ぼくのおれのわたしのいちばん好きなテレビドラマは野島伸司の「高校教師」。
高校生のときにリアルタイムであれを見たからだろう。
山田太一ファンが野島伸司のドラマをほめてはいけないのかもしれないけれど。
同世代っていいいよねえ。
「高校教師」の想い出を語り合って、酔って、女の子のまえで泣いたこともある。
高校生のときはわからなかったが、
中年になったいまわかるのは、女子高生と堕ちていきたいというのは男の本能か。
べつに女子高生でなくても、異性とこの世間からグッバイおさらばしたい。
そういえばかつてはテレビドラマに夢やあこがれを持っていた時代もありました。

欲望がないのが悩み。欲望するものは、おのが欲望のわたしわたしわたし。
欲望がほしいというのは最高にぜいたくで不遜な欲望なのかもしれない。
わたしはわたしと縁あって関係をもった人たちに影響を受けたいし影響を与えたい。
あなたはどんな感性で人生を生きているのか知りたいなあ。
わたしはエゴのかたまりできちがいエゴイストだから、周囲はぞっとするわけでしょう?
なにをしたって許されるとどこかで思っているし、なにをされても根幹の部分では許せる。
自己を解放しろ! とか言っちゃうとむかしの変な人みたいだなあ。
寝た子を起こすのがいいのか悪いのかわからないけれど。
このまえスポット派遣さん(いまのわたしもそう)がラインで、
たかがクッキー1枚を落としてたいそう反省していたところに、
お若い社員さんが、いやいいんです、
といったようなことを言って床に落ちたクッキーを蹴っ飛ばしていたけれど、
それでいいし、むしろ見込みがあるし、なにかの希望を見たような気さえした。
クッキーがなんだ? マドレーヌがなんだ? それが人生かよ!?
しかし、それが、それこそが人生だという見方もできよう。
しかし、それでおもしろいか? もっとおもしろいことはわんさかあるんじゃないか?
いや、ないなあ。いまどこに熱っぽい世界があるんだろう。
いまは海外をバックパック旅行をしても、
日本人のみならず世界中の旅人がスマホみたいなものを案内図としている。
どこが安いか、どこがうまいか、どこが安全か、どこか観光スポットか。

11年まえ、30歳になるのがいやで、
ああ、もう終わりでいいやと思って3ヶ月インドを旅したことがある。
ガイドブックにない未知の街を歩くことがどれほどおもしろかったか。
しかし、いまはそういう旅ができないだろう。
ネットにすべて情報が出ている。不確実性が薄まっている。
もうすぐフリーの身になるけれど、極論をいえば、
いつ死んでもいいと思っているし、30どころか40まで生きられたのだから、
どこにでも行くことができる。けれど、いまさらインドを再訪してもなあ。
支持政党の言うように希望は安定ならば、
時給百円単位で少しでも高収入の安定性の高いところで黙々と働けばいいのか。
ミャンマー(ビルマ)にでも行って仏教レベルを高めて(下げて)こようかとも思うが、
どうしても行きたいわけではないし、そこまでの情熱はないし、
ネットによるとヤンゴンのホテルは非常に高額らしい。
経験から言うと、行ってみないとわからないことはわかっている。
もう7、8年まえになるのか。
タイ、カンボジアを経てベトナムから中国に入るとき、情報がなにもなかった。
いや、情報はあるにはあるのだが、
それによると中国では外国人は外国人専用の高額ホテルしか宿泊できない。
しかし、いざ中国に入ってみたら、
現実は外国人の泊まれる安い宿泊所がいくらでもあるのである。
一度昆明(クンミン)で別件で公安(ポリス)のがさ入れに遭遇したことがあるけれど、
恐るおそるパスポートを差し出したら無問題(メイウェンティ)だった。
昆明(クンミン)は懐かしい場所でいつだったか、
飛行機乗り換えで立ち寄ったときは胸躍った。
そのせいであやうく目的の飛行機に乗り遅れるところであった。

リスク許容度が高い。危ないところに飛び込んでいきたいところがある。
いままでも不思議となんとかなってきたのだから、これからもなんとかなるような気がする。
経験としてブラック企業に勤めてもみたいが、そもそも採用されないからなあ。
死という最大のリスクを受容できたら、けっこうどんな冒険もできるのだろうが、
いまはそんな雄々しい探索ができる未開拓地がないのかもしれない。
いや、いまもいまたとえばラインの横にいる人がいまのわたしにとって、
もっとも未知なる新世界なのかもしれない。つぎはどこへ行くのだろう。
40といえば、もうおっさんだよね。
わたしは一度死んでよみがえってきたようなところがあるから(自殺未遂とかじゃなくて)、
いまの若い子がなにを考えているのかとても興味がある。
少子化、老人天国(大国)のいまの日本で現在を生きる若い男の子には、
「どうせ大した未来はない」わけでしょう? いまの若い女の子もそうでしょうけれど。
一部のエリート以外、どこへ勤めたって手取りで20万もらえたら万々歳(これは当方も)。
大半はそこまでは届かず、正社員になるとこれでもかときつい環境が待っている。

「どうせ大した未来はない」

ということをいちばん実感しているのはいまの若者ではないか?
必死になって仕事にこだわりを持とうが、それほど評価されるわけでもない。
結婚するといっても、コミュ力のないものには、
その前段階の恋愛とやらがめんどうくさすぎるでしょう?
毎日働いてゲームをするくらいが人生なんだろうか?
あそこのラーメン屋はうまかったと満足することだけが生きる味わいなんだろうか?
寝た子を起こすなって話をしているのかもしれない。
日々の退屈、鬱屈、倦怠、鬱積をたとえばゲームで敵を殺すことで発散させる。
それがいまの若い男の子の生き方なのかもしれない。
余暇のゲームでレベルアップすれば、少しは「終わりなき日常」から変化を見いだせる。
未婚の女性とかもさ、
毎日おなじようにお菓子の箱を検品していてうんざりげんなりしないのかなあ?
かといって、どうしようもないのはわかる。
べつにやりたい仕事があるわけでもなく、特別な能力なんてあるはずないし、
資格の勉強をするのはめんどうくさいし、なにより疲れてそんな気にならないし、
資格を取っても実務経験がないと雇ってもらえないし、
いくら男女平等といっても女では出世できないから。
まじめに生きてもさほどいいこことはないのはわかっているが、
しかし周囲からの「白い目」が気になっていいかげんなことはできない。
そうして自分もだれかに「白い目」をする周囲のひとりにいつしかなっている。
いちばんわからない人たちは自分の経済と会社のそれを同一視している人。
会社のわずかな電気代でも必死になって節約しようとしている人ってなんなの?
たとえ会社の利益が電気代節約のおかげで数百円上がろうが、
あなたのお給料は変わりません。
どれだけ会社のためを考えて人から恨まれるようなことをしても、
あなたのお給料はおなじです。
おなじ職場で働く労働者(同僚)よりも会社を優先する人ってなんなのだろう?
どこでおかしな洗脳を受けて、どうしていまもってそれがとけないのかしら?
いったい労働者は会社の利益をあげることでだれが儲かるの?
大企業になると社長=経営者ではないでしょう?
派遣のぶんざいで「担当」という役職を任されているせいか、
やたら派遣先会社のことを考えている人がいるけれど、派遣は派遣でしょう?
有給も社会保障もなにもない派遣が会社のことを真剣に考えるって、
どれだけあれなの? 会社よりも自分ではありませんか?
会社よりも自分の周囲の人のほうがたいせつではありませんか?
正社員だからといって、非正規に無理難題を押しつけてくる人を見ると、
わかっていないなあと思う。会社の利益はあなたの利益ですか?