「山頭火と歩く名水」(『サライ』編集部/小学館) *再読

→経済的に考えると、山頭火はほんとうにふしぎな存在である。
かの俳人の生涯獲得賃金は限りなくゼロに近い。
ほとんどカネを稼いでいないのである。
もっぱら金銭をつかうことのみに費やしたのが山頭火の一生だ。
ところが、どうだろう。
山頭火の死後、この俳人はどれだけ収益を生みだしたことか。
ブームが起きるたびに多額の金銭が山頭火をめぐって動いたはずである。
(とはいうものの、おそらく遺族に金銭は支払われてはいまい)

本書も山頭火ありきの便乗本である。
生きているあいだはまったくの甲斐性なしだった俳人が、没後いくら稼いでいるのか。
山頭火研究の第一人者として知られる村上護など、存分に甘い汁を吸ったひとりである。
村上護はインドでヒッピーをしていたろくでなしの青年に過ぎなかった。
それがうまく山頭火ブームに乗っかって、いまでは作家を自称していると聞く。
村上護の文章力、文学的センスなどたかが知れたものである。
ただ山頭火を発見したというだけで、一生食わせてもらっているわけである。
米を買うカネさえなかった晩年の山頭火が村上護の存在を知ったら怒るのではないか。
いや、山頭火のこと。
現世におけるつまらぬ地位など、笑い飛ばすのかもしれない。
「河村立司の山頭火」(JDC)

→俳句画集。山頭火の句と共に、相応したほのぼのとした絵が描かれている。
絵画にはうといわたしだから、この画集を批評することはできない。
酒をのみながらページをめくった。
なるべくゆっくり絵を鑑賞しようと努めたが、どうにも苦手である。
絵の見かたを知らないのである。
活字情報をさっと見ると、先にすすみたがるわが手にあきれたものである。

わたしが山頭火に教えられたことのなかで最大のものは「味ふ」だと思う。
「へうへうとして水を味ふ」
へうへうは漂々である。水の味など意識しないのがふつうである。
ところが、山頭火はちがう。無味無臭の水のうまさを「味ふ」のである。
実際、山頭火の句を読むと、酒がうまくなる。
未熟者ゆえ水の味はいまだわからない。
だが、酒の味を意識するようになる。
いままで「日本酒」という思い込みでのんでいたものが、
まったく異なる美味なるものとして喉を通り抜けてゆく。
山頭火の句の功徳である。

絵や写真も、勝負は「味ふ」ことにある。
どこまで対象の本質に迫れるか。これが「味ふ」という行為なのだろう。
そう思いながら、山頭火にインスパイアされて描かれた絵をながめる。
時おり口にする酒の味はわかるようになったものの絵の味は見分けがたい。
まだまだである。
「味ふ」とは高級品を見抜く舌の機能を意味しはしない。
そのものの本質を見極め満足することである。
いつかは水の味をわかるようになりたいと思う。
「名水紀行 山頭火と旅するおいしい水物語」(佐々木健/春陽堂)絶版

→山頭火の聖人だか俗物だかわからぬところがいいんだよな。
たとえば放浪のゴールとして永平寺におもむく。
永平寺は道元の創建した、いわば禅のメッカである。
ここで山頭火はもっともらしい俳句を作る。

「水音のたえずして御仏(みほとけ)とあり」

なんか悟っちゃったような句でしょう。
ところがところが、日記を見てみるとおもしろい。
わずか3日で山頭火はこの修業道場を逃げ出しているのだから。
なんのことはない、酒がのめないのに我慢できなかったのである。

似たような経験がある。
インド片田舎のとある仏跡地に行ったときのことである。
へんぴなところだからホテルなんてない。
スリランカ建立のお寺に泊まらせてもらう。
もちろん飲酒など言語道断である。
あはは、リュックからウイスキーを取り出し、こっそりのんじゃった。

こんな甘えた弱いわたしだから、山頭火が好きなのだろうな。
自制心のある人は、山頭火ではなく尾崎放哉を好むようである。
弱くたっていいじゃないか。
山頭火の自由律俳句や生きかたから、居直りのようなものを感じる。
好き嫌いがわかれるところである。
「ほいとうの妻〜山頭火たれ山頭火〜」(杉浦久幸/「テアトロ」2005年10月号)

→戯曲。救いようのない駄作。
俳人・山頭火は自分勝手にも妻サキノを捨てている。
このサキノと山頭火が実は愛し合っていたというフィクションが芝居の動因。

山頭火の亡くなった日、サキノは幽霊になったかつての夫と会話する。
ふたりの会話で山頭火の生涯が明らかになるというわけだ(安易だよな〜)。
戯曲は極めて独創性に乏しい。山頭火の日記からの転載が目立つ。
事実をえんえんと並べたてたら芝居になるとでも作者は思ったのか。
まったく演劇というものを理解しない愚者が書いたのは明らかである。
山頭火の生涯における地獄もからきし理解していない。

夫婦愛がテーマ。愛ってすばらしい。おらおら感動しなよ、という低劣な作品である。
作者のような才能皆無の人間でも食っていけるほど日本の演劇界は甘いのだろうか。
「山頭火の虚像と実像」(上田都史/講談社)絶版

→山頭火の研究書なんてどれも読書感想文に毛が生えたようなものばかり。
これもひでえもんだ。
山頭火が不幸の始まりとして強く意識していたのが母の自殺である。
事件が起こったのは山頭火10歳のときである。
後年の放浪は母の供養の意味合いもあったという。
山頭火の母が自殺した理由というのは明らかになっていない。
(そもそもどんな自殺も理由は決して判明しないものであるけれど)
上田都史は、この事件の原因を姑のツルに負わせる。
姑のツルが山頭火の母をいびったから自殺したと断定しているのである。
ところが、根拠がなにも書かれていない。
だのに上田都史はまるで見たことがあるかのように断言する。
姑のツルがいけないと。
おそらく上田都史自身の家庭で、嫁と姑の仲が悪かったのだろう。
上田都史は苦労をした。
だから、山頭火の母が自殺したのは姑のせいである。
自分が体験したことだから間違いない。
キチガイめいた理論だが、あんがいこれが本当のところではないかと思う。
驚くかもしれないが、山頭火研究のレベルなどこの程度なのである。
研究といいながら、みな自分語りをしたいのだ。
だが、上田都史のことなんてだれも興味を持ってくれない。
このため上田は山頭火に仮託して自分を語るわけである。
といっても、語られる自分の程度がえらく低い。
以上、このような愚書が作られるにいたった経緯(いきさつ)である。
「保存版 山頭火」(石寒太編/毎日新聞社)絶版

→山頭火は他人という気がしない。あまりに境遇が似ているからである。
母の自殺、アル中、不眠症、女嫌い、自殺願望、感傷癖、放浪癖、非生産的生活――。
山頭火はサラリーマンから人気があるという。
管理社会に押しつぶされそうなサラリーマンが山頭火の自由な生きかたにあこがれる。
ああなりたいけれど、なることができないがゆえの憧憬。
一方で、どうしようもなく山頭火的荒廃に追い込まれた(甘えなんだろうな)こちらは、
かの自由律俳人に複雑な思いをいだかざるをえない。
あこがれという面からしたら、わたしはよほどかたぎのサラリーマンに憧憬を持つ。
山田太一ドラマが好きなのも、おそらくこのためであろう。
決してなりえないものへのあこがれである。
赤提灯で上司の悪口をいう生活をむしろうらやましく思う。
なりたいけど無理だろうな。
これはかたぎの人間が山頭火にいだく思いとおなじではないか。

「どうしようもないわたしが歩いてゐる」(山頭火)
山頭火が、乞食も同然に身をやつしたのは「どうしようもない」のか。
それとも山頭火も努力をすれば、健全な家庭人としての一生をまっとうできたのか。
そして、果たしてそれは山頭火にとってよいことなのか。
妻子を捨て、ろくに働きもしないで酒三昧。
まじめな生活者の句友から借金ばかり。
いや、借金ではないのである。返す目処などはなからないのだから。
句友もそれを知ったうえで貸しているのである。
山頭火の俳句を愛するがゆえだ。
借金以外の山頭火の収入は行乞である。
僧の身なりをして家々の門に立つ。
供養してくれというのである。かわりにお経を読んだり、いんちきめいたことをする。
カネや米をわたさないとどかないというのだから、ほとんどゆすり・たかりに近い。
いまでは山頭火も教科書に載っているようだが、
そもそもは学童の手本から程遠い存在なのである。
もとより、当方は山頭火を批判する立場に居はしない。
だが、山頭火を称揚してしまったらおしまいだとも思う。
内なる山頭火のあつかいに手をこまねいているのが現状である。

久しぶりに山頭火の句集「草木塔」を一気に目を通して印象に残った句をひとつ挙げる。
好きな句というのは年々変わってゆくものである。
読み手の境遇、成長の度合に影響されるのであろう。
いまいちばん胸打たれる山頭火の句はこれである。
「うれしいこともかなしいことも草しげる」
まるで山田太一ドラマの世界をひと言で表現しているかのようである。
山頭火はさんざん他人に迷惑をかけたかもしれないが、いまはもう死んで久しい。
草しげるのみである。
存命時に山頭火の迷惑をこうむった人間も、後年は山頭火を懐かしんだという。
かなしいことも時間がたてばうれしいことになる。
いくらうれしかったことも、その人が死んでしまえば、なんともかなしいことである。
世事人事全般ふたつしかないのである。うれしいこと。かなしいこと。
「うれしいこともかなしいことも草しげる」
「生誕100年 漂白の俳人 種田山頭火展」(1982年 毎日新聞社)絶版

→山頭火には、好んで苦しむような性癖がある。

「風の中おのれを責めつつ歩く」

この句にも、そんな山頭火がよくあらわれているように思う。
なぜこの俳人はあえて苦悩するのか。別の句を見てみる。

「何を求める風の中ゆく」

求めるものがあるからである。
山頭火は求める。苦患(くげん)のさなかをさまよい歩く。
ふたつの道がある。舗装道路と、道ならぬ山道――。
山頭火は決まって獣道(けものみち)を選択する。
みなが通る道から見えるものでは飽きたらないのである。
ひとの見たことのないものを見たい。山頭火が奥山へ分け入るゆえんである。
人生とておなじこと。ありきたりな幸福よりも不幸のほうがよろしい。
あえてひとが不幸とよぶ道を選ぶ。そこでなにが見えるのか。山頭火は知りたいのである。

本書は展覧会の図録。
山頭火は書でも秀逸な作品を残したらしい。遺墨である。
残念ながら、当方、書の鑑識眼はゼロ。
ふうむとわけのわからぬ感嘆をもらしながらページをめくっていると――。
ある書にひきつけられた。

「母ようどんそなへてわたくしもいただきます」(P116)

書のことはさっぱりわからぬ。だが、しんそこ打たれるものがあった。
強い筆致で書かれた「母よ」に山頭火の言い知れぬ慟哭を感じた。
種田山頭火の母親は、かれが11歳のとき、井戸へ入水自殺している。
少年・山頭火は見てしまったわけである。
井戸から引きずりだされた母親の青白い顔を。
このことが終生、山頭火の頭から離れなかったのではないか。
晩年、放浪の途次でさえも、この俳人は常に母の位牌を携帯していたという。
この「母よ」の句は、母の四十七回忌に山頭火が作ったもの。
句集に載っている、正確なものとしては――。

「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」

展覧会にだされたのは、細部が少しばかりかわっている。
図録の説明にこうある。あの書を揮毫(きごう)したときの山頭火の様子。

「この作品は、村瀬汀火骨に請われて書いたものである。
この句を書くのはつらかったに違いない。
汀火骨夫人の記憶によると、この句はよそでは書かんのだといっていたが、
書いたあとしばらくじっとして、はらはらと涙をこぼしたという。
揮毫は五十九歳」(P169)


なんとも言葉がでない。
山頭火は59歳になっても母の不幸から逃れることができなかったという、この事実。
私事を書く。6年前、わたしの母は飛び降り自殺をした。それもわたしの目の前で。
落ちてくるところをすべて見せつけられた。
落下後の血だらけの母の顔を忘れることができない。
いまでも毎日のように母の夢を見る。昨晩も見た。
山頭火を思う。おのが行く末を見るかのごとくである。
おそらくわたしも一生、母の不幸から自由になることはないのだろう。
負けいくさかと自嘲する。あと何年、生きなければならないのか。
求む、われに力を!
負けるとわかっている戦いに、それでも威風堂々おもむく勇気と誇りを!
……愚かな自己愛と笑われそうであるが。
「山頭火を語る」(荻原井泉水・伊藤完吾編/潮文社)

→冒頭の「山頭火の言葉」から引用。

「生死の底からホンタウの『あきらめ』が湧いてくる。
その『あきらめ』の中から、広い温いそして強い力が生まれてくる」(P8)


人間は生死のあいだでまったく自由がない。
まず生を選べぬ。人間はだれしも生まれてきたくて誕生するわけではない。
生は選択の結果ではない。
人間は生まれてくる時代から、両親、性別、貧富、知能、性格まで選ぶことができぬ。
死も同様である。なんびとも自殺以外は、死を選べない。
人間はじぶんがいつどのように死ぬか決められないということである。
以上が生死の実相だとしたらどうだ?
あきらめるしかない。だが、この諦観は、厭世と同義ではないと山頭火はいう。
選択できぬ生死だからこそ、そこに強いものを見る。個を超えるものをである。

もうひとつ引用をお許し願う。

「どうすることも出来ないと知ってゐて、どうかしやうとせずにはいられない心が、
人間の弱味でもあり、又強味でもある」(P21)


「どうすることも出来ないと知ってゐて」とは、宿命を知ることである。
最前、生死の選択不可能性を述べた。
だとすれば、生死に挟まれたこの毎日のどれだけが人間に選択できるというのだろう。
みなさまもどこかで思ったことはないか。疑惑にかられたことはないか。
もしや人生、諸事みな、運ではないのか。
運のいい人間と、運のわるい人間がいる。真実は、ただそれだけなのではないか。
かの疑惑者は、すぐに否定するだろう。人間だからである。
「どうかしやうとせずにはいられない心」がもたげる。
どこかで人間の自由を信じたいのである。
これが人間だ。宿命と自由。このふたつが人間を強くもすれば、弱くもする。
がんばればなんでもできる。すべては運である。
どちらも真実であり、同時に、双方虚偽でもある。

宿命を知りつつ、自由にふるまう。

人間の生きかたである。山頭火のめざした境地であろう。

この著書の後半は、それぞれの山頭火像。
ある山頭火評が目を引いたので、これも引用しておく。

「其中庵に山頭火を訪ねたときは何か強圧的なものを感じた。
山頭火にはたしかにさういふ風なものがある。
人間的にあるのだ。それが山頭火の強みだ」(P144)


山頭火の実像をこれはかなりのところ正確に伝えているのではないか。
強圧的とは、こういうことである。
山頭火の自己主張。じぶんは俳句のためにすべてを棄てた。
妻子を、つまり生活を、山頭火は放擲(ほうてき)している。
俳句のためだけに生きようとした結果でもある。
どうだ? この生きかたはどうだ?
山頭火がなにも語らずとも、かれの僧形はそう訴えているものがあったに違いない。
山頭火を支えたのは、みな生活者たる句友である。
かれらは生活をしながら表現をしている。
しかし山頭火は、生活を完全に無視。句作という表現へ没入している。
生活者にとって、山頭火の存在はたしかに強圧的に見えたことだろう。
じぶんにあそこまでのことができるかという問いを山頭火から受けとる。
あこがれといってもよい。
だが同時に、反感を感じることもあったと思う。
生活をないがしろにして、なにが表現だという怒りである。
かくして山頭火の挙動が決定される。
句友のもとへ滞在するのは数日。歓待される。
煙たがられる頃合を見計らって、ふたたび旅立つ――。
昭和初期、表現者と生活者の友情がこのように成立したのである。これは美しい。
「山頭火と子供たち」(仲村美代子/春陽堂書店)絶版

→売りは、子どもの目から見た山頭火。
著者は少女期に、俳人・山頭火の近所へ住んでいた。
その思い出を小説風につづってある。

山頭火研究の新機軸というノリでもって出版されたようだが、その点は不満。
というのも、これはもう明らかにフィクション。ばればれ。
どこの研究者がフィクションを材料に使うものか。
著者の山頭火への思い入れをフィクションとして描いている。
じゃあ、まるっきりのフィクションとしてみると、その質はどうか。
ときおり素人くさい視点のぶれがあるが、まあ、合格点。
エピソードの盛り込みかたなど、なかなかどうして。たいしたものがある。
メクラ、朝鮮、教員の女子生徒との浮気――。

フィクションの土台には、かならずノンフィクションがある。
そこを探るのもフィクションのたのしみかたである。
時代背景というのが新鮮だった。山頭火の其中庵時代。昭和7〜13年。
いまから70年ほどまえ。
働きもせず酒ばかりのんでいる山頭火の、この時代における位置がおもしろい。
周囲の農民からは「のうくれ者」と揶揄されている。
一方で、当時の大学出というのはそうとうなもの。いち目置かれている部分もある。
村の名士といわれる人びとが山頭火をあがめているのも奇異。
これはどえらい先生ではないかと思いながらも、
そこらで酔いつぶれて寝ている山頭火がどうしてそこまで偉大なのかわからない。
同時代人の山頭火への遇しかたがよくわかった。
否定したいけれども完全に否定することもできぬ。
かといって、全肯定できるかといわれたら、とても無理。
これは現代でもおなじである。果たして山頭火の生きかたは是か非か――。
2005/08/09(火) 14:09:16

「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読

→もう10回は読んでいると思う。もちろんお風呂で。
俳句や短歌を読むのはお風呂の中がいちばん。
熱いお湯の中だと理性が少し飛ぶのがいいのかもしれない。
俳句・短歌の、物語性および論理性の薄弱が気にならなくなる。
意識(理性)より深いところでの鑑賞を可能にする。


「写真句行 はぐれ雲 山頭火」(写真・真島満秀/小学館文庫)*再読

→きれいな風景写真+山頭火の俳句+日記の抜粋。
これもお風呂で何度も読んだからもうぼろぼろ。
だけど、保存用にもう1冊買ってあるからいいのです。
引用しまーす。

「降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、
その事はよく知っていて、しかも、空を見上げて晴れてくれるやうにと
祈り望むのが人間の心だ、心といふより性だ、ここに人間味といったやうなものがある」

「人間は鬼でもなければ仏でもない、同時に鬼でもあれば仏でもある」