昨日、作家の
白石昇氏と逢う。
ネットでは何年も交流があったけれど、実際に逢うのはこれが初めてである。
わたしは自信がないから、なかなか人に「逢おう」と言えない。
おなじ理由で「逢おう」と言われたら、だれとでも逢う。
白状すると、氏の印象はよくなかった。
やたらからんでくるおかしな人とでも言おうか。
説教がましい言葉を何度もかけられ非常に不愉快であった。
【具体例】
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1060.html(コメント欄)土曜日。新宿中央公園白糸の滝前。午後6時。
日時と場所を一方的に指定されたが、これが39歳の作家というものなのかもしれない。
わたしは9分遅刻する。
どこか時間通りに行きたくないという気持があったのだと思う。
携帯に電話して遅刻を詫びようとしたとき、
氏の電話番号を書いた紙を家に置いてきたことに気づく。
無意識が逢いたくないと主張しているのだと苦笑する。
作家の白石昇さんはベンチで携帯片手にだれかと話していた。
世知長けた感じのする話しぶりに住んでいる世界の相違を認識させられる。
悪く言えば、軽薄な業界人ぶった話しかたであった。
まあ、のもう。
電話が終わるのを待ちながら、わたしは紙袋からデンキブランを取り出した。
一升瓶である。少しのんではいるが、それでも1.5リットルはある。
アルコール度数は30。
これだけあればいくらなんでも酒が不足することはあるまい。
たぶん余るだろうから残りは作家に進呈するつもりだった。
白石さんは自分の隣に座るよう、うながした。
わたしは指示を拒みひとつ横のベンチに腰をおろす。おなじベンチには座らなかった。
「このへんコンビニないですかね」
わたしは問うた。
「あっちのほうにありますよ」
「いえね、お酒、氷あったほうがいいと思って」
「自転車で買ってきましょうか」
作家の白石昇さんは自転車でここまで来ている。
いま自転車にはギターがかけられいて、うさんくさい。
「じゃあ、氷お願いします」
白石さんは自転車にまたがると手をさしだす。
「氷代ください」
「氷くらいおごってくださいよ」
「いま本を作っていておカネがないんです」
作家の白石昇先生はかたくなに手をひっこめようとしない。
そのなれた手つきに意地汚いものを感じる。
おごられなれている手であった。他人にものをもらうことを恥じない厚かましい手であった。
「ボク、氷いらないですから」
作家の白石さんはペットボトルを示す。
水道水をペットボトルに詰め凍らせたのを日ごろから持ち歩いているという。
なんだか面倒になり、氷はあきらめることにした。
「貧乏っていやなもんですね」
白石昇が怒るかと思ったら、作家は聞こえなかったかのように流した。
作家はデンキブランを水で薄めるのであわてた。
これは割ってのむ酒ではない。とまれ、乾杯する。
酒好きな人間に悪人はいないと思っている。さあ、のめ白石!
がんがんすすめる。わたしもどぼどぼのむ。
しばらくして白石昇に同類を感じ取る。
この人は弱いんだ。自分にぜんぜん自信がない。
作家が一気に好きになったのはこのときである。白石昇、いいじゃん。
ネットではうざいけれども、リアルでは好ましい男である。
「毎日なにしてるんですか。朝起きたら本読んで、夜は酒なんですか」
やはりこの男は人をムカムカさせる。
「身辺調査ですか」と逆に問う。
空気の読める作家、白石昇はこのあと一切わたしのことを聞かなかった。
始終、自分のことだけを話しつづけた。
それでよろしい。話せシライシ、酒のめノボルである。
まだ逢って10分も経っていないときに作家の白石昇さんが話したことである。
「このまえ、そこのベンチで断髪式をやったんですよ。
ミクシィで募集したら9人も来ちゃって。
ボク3人くらいしか来ないと思ってたんですけど」
「はあ?」
なんだ、このあまりにもわかりやすいキャラクターは。
そのまま受け取っていいのだろうか。それともなにかのワナなのか。
真剣な顔で「はあ?」と意図をわからないふりをする。
「だからボク、断髪式やったんです。そこのベンチで髪を切ったんですよ。
ミクシィで見学する人を募集したら9人も来ちゃって。
3人くらいで飲み会しようって思ってたら9人も来るんでまいりましたよ」
・ボクは新宿の公園で髪を切るような変わった面白い個性的な男である。
・ボクは友人が多い。友人はファンでもある。ボクが一声かけたら9人も集まる。
作家・白石昇の伝えたいメッセージだと思われる。
要約すると「ボクはすごい人」である。
みなさんはウソかと思われるかもしれないが、作家はただただナチュラ〜ルなのである。
しばらくしておかしなことに気づく。
白石昇さんは年下のわたしに「です・ます調」の丁寧な話しかたをしてくださる。
ところが、どうしてかわたしはタメ口になってしまうのである。
いつもわたしは過剰なほど丁寧な話しかたをする。
飲食店で注文するときでさえ「ですます」だ。
こんなわたしがなぜか年上で作家の白石昇さんには乱暴な口の聞きかたをしてしまう。
氏の持って生まれた人徳であろう。
人の心をなごませる無形だが貴重なものを白石昇という男はそなえている。
「ま、ま、白石先生のんでのんで」
これがあとでとんでもない事件を引き起こすことになるのだが、
わたしは有名作家と酒盃を交わす喜びに浮かれていた。
最初は「白石さん」と呼んでいたが、しだいに「白石先生」に変わった。
活字でニュアンスを正確に伝えるのは難しいが「白石せんせ(笑)♪」。
こんな感じだろう。この傑物を「さん」で呼ぶのは失礼だと思うゆえである。
「先生(笑)」と呼ばざるをえない偉大なものを作家はうちに秘めている。
作家の白石昇先生は講談社主催のゼロアカ道場に参加していた。
若手人気評論家の東浩紀が後進を育成する企画である。
みごと勝ち抜いたものには講談社が著書の出版を約束する。
残念ながら作家の白石さんは途中で落選してしまったが裏話がおもしろかった。
聞きたかったことを作家にうかがう。
「あの東浩紀って、白石先生より年下じゃないんですか。
気まずくなかったですか」
わたしなら絶対に年下から教えなど乞わない。
白石さんのふところの深さに感動したのである。
「ボクね(評論家の東を)アズマンって呼んでるんですね。
アズマンって呼ぶと、ものすご〜く嫌そうな顔をしますけど」
(こりゃ落とされるわけだ)
「あのゼロアカを主催しているのは講談社の○○ちゃんでね」
(天下の一流出版社の社員も作家には「ちゃんづけ」で呼ばれてしまう)
「ところで白石先生、そもそも東浩紀の本なんて読んだことあるんですか」
「ゼロアカに入ってから読みましたよ。
アズマン、本読んだからねって、アズマンに言ったら喜んでました」
自分をビッグに思わせようとする作家のいじましさにわたしはひるんだ。
大物ぶろうとするとかえって小物ぶりが露呈してしまう作家の矛盾が切なかった。
わたしとおなじで作家を夢見る白石さんがとてもいとおしかった。
もうじき40になるこの変人を抱きしめたくなった。
見ると、白石さんの目の奥のほうがきらきら光っている。
泣いているわけでも、泣きたいわけでもない。
それなのに、白石昇の目は光を有している。
もしかしたらわたしの目もおなじように光っているのではないかとそのとき思った。
「白石先生、歌っちゃってよ。白石昇、魂の叫びを聞かせてくれよ」
ふたりともすでにぐでんぐでんである。あれだけあった酒が空になっている。
ほいきたと作家はミャンマー製だというギターを持ち出す。
夜の新宿中央公園で作家は歌った。
へたくそなところがよけいに胸を打った。
ハッタリもいいじゃないかと思った。見栄張って生きるのが悪いもんか、とも思った。
作家の白石昇さんは素敵だった。ネットで想像していたよりも何倍もよかった。
人間はよろしい、なんて大げさなことを考えたのを、
デンキブランの酩酊に帰すばかりじゃ人生あまりにも淋しかないか?
ふたりでデンキブランの一升瓶を空けてしまったのである。
白石さんが1杯こぼしたのを計算に入れても、
通常ならとてもふたりの人間がのめる酒量ではない。
この日、夜の新宿中央公園でいったいなにが起こったのだろう。
作家の白石昇は完全に酔っぱらっている。
怪しげなインド人のような日本語で自画自賛を垂れ流す物体に成り下がっている。
あひゃひゃ、白石が壊れたとわたしは愉快だった。
酒が足りぬ。のもうのもう。
作家の白石先生にエビスビールでもおごってやろう。
白石昇の自転車を拝借してコンビニを探しにおもむいた。
ところが、酔っていたのだろう。コンビニどころではない。道に迷ってしまう。
もらった名刺を取り出し携帯に電話したが電子音は自転車のカゴから流れる。
白石昇は携帯電話を身につけておらずカバンに入れているのである。
ようやく白石昇のもとにたどりついたとき作家は熟睡していた。
「白石先生、起きてください。帰りましょうよ。送りますから」
男はぴくりとも動かない。
「おい、自称作家の白石昇! 起きろ、いんちき芸人!」
ひどいことを叫びながら白石昇先生のあたまを両手で揺さぶるとようやく目を覚ます。
「ごめん動けない。ノボルちゃん、しばらくここで寝てる」
一人称が「ノボルちゃん」になってしまった作家の酔態はかわいらしかった。
よし眠れ、よい子のノボルちゃん!
ノボルちゃんは男の子だから大丈夫だろう。
深く考えることもなくわたしはその場をあとにした。
このときのことをどう書いても言い訳になってしまう。
白石さんが起きるまでそばについているべきだったのだろう。
なんとか住所を聞き出し家まで送る責任がわたしにはあったと思う。
どうしてそうしなかったのか。酔っていて覚えていないのである。
なにしろデンキブランの一升瓶が空になっている。
なぜそこまでのんだのか。のみたかったからである。のまなきゃいられないからである。
帰途、何度か白石先生の携帯に電話をしたが作家は一度も出なかった。
9月21日早朝。事件発生。作家の白石昇氏、盗難の被害に遭う。
自転車のカゴに入れておいたトートバッグをなにものかに持ち去られる。
被害品目は――。
・キャッシュカード三枚以上。
・パスポート。
・献血カード。
・携帯電話。
・自転車のライト。
・デジタルカメラ。
・図書館から借りた本。
以上はブログ
「白石昇日刊藝道馬鹿一代」より転載。
白石昇氏は警察に被害届を提出。犯人は逃走中。盗難物品はいまだ見つかっていない。
このところ死というものは救済だとつくづく思う。
生と死で人生はあんがいバランスが取れているのかもしれない。
生は絶対的に不平等である。
人間は生まれるにおよんで国籍、時代、性別、容姿、知力、貧富を選ぶことができない。
そのくせ、この初期設定が人生の全体に重くのしかかる。
どうしてこんな不平等なことがあるのかと疑問に思わないほうがおかしいくらいだ。
ところが、もう一方の死は平等極まりない。
人間はだれもが死ぬ。いつの時代のどんな地域の豪商も死だけは逃れえなかった。
もとより、金持は臓器移植や新薬のおかげで通常よりも長生きが可能である。
とはいえ、たかだが10年、20年の延命に過ぎぬ。いずれは死ぬことに変わりはない。
成功者にも失敗者にも平等に死は訪れる。
いわゆる「勝ち組」も「負け組」も差別されることなく、ひとしく死んでゆく。
このとき死の意味するところが属性によって変わることに注目したい。
人生で願いがかなわなかった落伍者には、死がまたとない安らぎとなる。
一方で権勢を極めたような長者は、死ぬことに耐えられないのではないか。
成功者になるほど死にあたってジタバタ見苦しく足掻(あが)くと思う。
2ちゃんねるしか趣味のないような40の独身男性にとって死は救いといってよい。
他方、同年齢でかわいい妻子から愛されている既婚男性は死を受け容れがたい。
なにを言いたいのか。
人生における幸福と不幸が死に面したとき逆転するのではないだろうか。
生まれたときから重荷を背負っている赤子がいる。
身体障害や難病を持って生まれた場合である。
むろん、赤子は生きようとするだろう。周囲も援助する。
けれども、そうそう長生きできるわけもなく、成人することなく死んでゆく。
遺族の悲しみは想像するに余りある。
とはいうものの、救いがないわけではない。
これであの子は苦しみから解放されたのだと思えばの話である。
他方、大会社の社長にまでのぼりつめた老人の死を考えてみよう。
かれはのしあがる過程でライバルを幾人も踏み台にしたはずである。
この老人の死を知って、どれほどの人間が喝采をあげることだろう。
祝杯をあげるものもいるかもしれない。
死は救済である。人間はだれもが死ぬ。
憎たらしいあいつも遅かれ早かれ死ぬのである。
どんなに愛しいあの人も死を逃れえぬ。
「勝ち組」も死ぬ。「負け組」も死ぬ。死に際してみな、なにもあの世には持っていけない。
とすれば、かつてわが国にあった出家や隠遁(いんとん)は、
賢者の道であったに相違ない。
栄華栄誉を手中におさめれば、そのぶんだけ死ぬさまたげとなるのだから。
出世はむしろ人間の自由を束縛するとも言えるわけである。
成功できなかったものの救いがここにないだろうか。
生だけに目を向けていたら見えないものを、死は見せてくれる。
疑いもなく、いまわたしは死に救われているのだ。
「いつでも死ねる草が咲いたり実つたり 」(山頭火)
(追記)野暮なことかもしれないが、わかりやすく図示してみたい。
「生」(−10〜0〜+10)
↓
「絶命時」(−10〜0〜+10)
↓
「死=0」
たとえば貧乏な家に生まれて不細工だったがキャバレー王に成り上がり死んだ男。
「生=−4」→「絶命時=+6」→「死=0」*差し引き「−6」
たとえば難病を持って生まれて闘病するものの甲斐なく死んだ青年。
「生=−7」→「絶命時=−10」→「死=0」*差し引き「+10」
たとえば裕福な家に生まれたものの財産を食いつぶし自殺した男。
「生=+7」→「絶命時=−4」→「死=0」*差し引き「+4」
たとえば政治家の子として生まれ親のあとを継ぎウマウマの人生を送った男。
「生=+10」→「絶命時=+8」→「死=0」*差し引き「−8」
この数式で重要なのは「死=0」で常に一定ということである。
死んだほうがましなほどの苦難つづきの人生も、死によって償われることがよくわかる。
出家や隠遁はプラス値の高いものが、死に備えて0に近づく行為になる。
聖書や歎異抄の説く救済もこの数式とおなじことを言っているのではないだろうか。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(マタイによる福音書)
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(歎異抄)
ここから先に書くことはオカルトと紙一重だが、かりに来世があるとしよう。
来世の「生」の初期設定は数式の「差し引き」の数値で決まると考えたらどうだろうか。
「差し引き」がプラスだったものは、このつぎ生まれてくるときかならず恵まれている。
「差し引き」がマイナスだったものは、来世で苦労しなければならない。
むろん、フィクションである。
だが、死んだらば無になるというのも、ひとつのフィクションに過ぎぬではないか。
ならば、問題はなにを信じるかにかかってくると思うのだが――。
8年前に自殺した母は13年にわたって精神科医の四宮雅博先生に診てもらっていた。
四宮先生は現在「しのみやクリニック」の院長である。
母が最初に発狂したのは昭和61年。久留米ヶ丘病院に1ヶ月入院した。
母は、自分の精神病を否定。
精神病院からの退院は弟のちからを借りてのもので、なかば脱獄に近かった。
治癒から程遠い母の精神は猛り狂う。ほうぼうに迷惑をかけたという。
これは母の精神病のパターンなのだが、荒れたあとは沈静する。つまり、鬱が来る。
翌年、やむをえず母は順天堂病院の精神神経科外来に通院するようになる。
ここで当時講師をしていた四宮雅博先生に出会ったのである。
(この4ヶ月後、母は睡眠薬自殺をはかり順天堂病院に入院することになる)
以後、ずっと母は四宮先生に診てもらうことになる。
土田病院で四宮先生に診察してもらっていた時期もあったようである。
平成6年に先生が秋葉原に「しのみやクリニック」を開業すると、ここに通院するようになる。
わたしは四宮先生と二度会ったことがある。
初めて会ったのは平成12年の4月。母が自殺をする2ヶ月前のことである。
母のお伴として秋葉原の「しのみやクリニック」へ行った。
というのも、このころの母はひどかったからである。
いちばん困っていたのは息子のわたしへの攻撃である。
わたしが精神病の疑いがあると、母はあちらこちらに言いふらしてまわっていた。
おかしいのは母のほうなのである。
おそらく被害妄想からだろうが、マンションの管理室に塩をまいたりしていた。
嫉妬妄想も烈しく、息子の前で父と叔母が近親相姦にあると本気で訴えていた。
とはいえ、もっとも腹が立ったのは、やはりわたしをキチガイにしているところだ。
病院から戻ってきた母は底意地の悪い笑みを浮かべながらこう言ったものである。
「四宮先生に話したらね、先生もそれは息子さんがおかしい。
一度うちに連れてきなさい、とのことよ」
勝ち誇ったような母の憎らしげな笑みを忘れることができない。
母の妄想を真に受ける四宮先生というのは、どのような人物なのだろう。
見たこともないわたしを、ほんとうに四宮先生は精神病と思っているのだろうか。
わたしはこの精神科医と対決することに決めた。
母の病気もひどかった。1ヶ月寝込んだと思ったら、ぱっと元気になる。
1ヶ月のあいだまわりのものを否定しつづける。と思ったら、また鬱になる。
死にたい、死にたい、どうすればいいと息子にすがりつく。
また1ヶ月経過すると母は活発になり、鬱のあいだのことを覚えていない。
ちょっと前は泣きついた息子を今度は敵とののしる。
診療室に母と入ったわたしは、目の前の精神科医から見くだされているような気がした。
あるいは最初から四宮先生に反感を持っていたから、そのように見えたのかもしれない。
「きみは心理学の本を読んでいるようだがね、
本を書くようなお医者さんというのは、ちゃんと患者さんを診ていないからね」
四宮先生と母のやりとりは、わたしにはおかしなものに見えた。
「そうですか、上がりましたか。じゃ、薬を替えてみましょう。少し下げないと」
「上がる/下がる」というのは、躁と鬱のことのようである。
四宮先生は、母が躁鬱病だといった。
わたしは四宮先生に、妄想から生じたと思える母の異常行動を伝えたが、
この精神科医は聞き入れてくれなかった。
「精神医学には了解という概念があってね――」
要するに母の異常行動は了解可能だというのである。病的妄想ではないと。
分裂病ではない、ということでもある。
母と四宮先生の信頼関係に、わたしが敗北するかたちになった。
この2ヶ月後、母はわたしの目の前で飛び降り自殺をした。
医師と患者として13年間にわたって関係のあったはずだが、
四宮先生からは電話一本なかった。
検分に訪れた警察官に「しのみやクリニック」の診察券を提出したから、
院長先生が母の自殺を知らないはずがない。
あれだけ自信たっぷりだった精神科医・四宮雅博はなにを思うのだろう。
夏のある昼下がり、わたしは炎暑の秋葉原にいた。
足は「しのみやクリニック」に向いていた。
なにをしてしまうかわからないが、なにをしても構わないと思っていた。
「しのみやクリニック」はお盆の長期休暇だった。
わたしはなにもせずに済んだことに安堵した。
やはりもう一度、四宮先生と会わないといけない。正々堂々と会おう。
電話してアポイントメントを取る。昼休みの30分を指定される。
「30分で済むような話ですか。人がひとり死んでいるんですよ」
怒鳴るようなことはなかったと思うが、ドライな反応に不快感がつのった。
わたしは当日までに母の大量の日記をワープロで整理した。
二度目に会う四宮雅博医師は、前回とは打って変わっていた。
えらそうなところが少しもなく、驚くほど腰が低かった。
精神科医は自殺のことを事故という。事故当日に警察から連絡があったとのこと。
四宮先生は以前、受け持ちの患者が自殺したとき通夜におもむいた。
そこで遺族とトラブルになった。
そのときから患者が自殺しても連絡を取るのはやめていると先生はいった。
これ以上ないほどの誠実な対応を四宮先生はしてくれたと思う。
結局のところ、死を選んだのは本人なのである。
だれかに責任を押しつけるわけにはいかない。
面談は50分にもわたるものになった。
診療室を出ると待合室は診察を待つ患者であふれていた。
季節は秋になっていた。
わたしは14年前に母が入院した久留米ヶ丘病院を訪れた。
電話して問い合わせたら14年前のカルテがあるというのである。
院長の落裕美先生は温厚な紳士であった。
14年も前にたったの1ヶ月入院したに過ぎぬ患者の息子を、
こうも親切に遇してくれるのがとても嬉しかった。
精神的につらい時期だっただけに人間の厚情が身にしみた。
偶然ながら14年前に母を診察したのが、この落裕美先生であった。
カルテの記述をもとに当時の母の病状を教えてもらう。
父の経営する居酒屋の従業員が暴力団に通じているという妄想から警察を呼ぶ。
隣室より盗聴されているという妄想から隣の郵便受けにお香と4万円を入れる。
落先生がつけた病名は非定型精神病。
躁鬱病にも分裂病にも分類されない、定型に非(あら)ずの精神病である。
素人考えから、どうして妄想があるのに分裂病ではないのかたずねる。
居酒屋での仕事ぶりが社交的。
38歳という年齢(分裂病は若年で発症するのが通常である)。
以上、ふたつの理由から非定型精神病と診断したという。
四宮雅博先生と会い、落裕美先生とも会った。
もうこれ以上、進みようがなかった。
あれから8年が経とうとしている。いまさらぶり返すのはどうかしているのかもしれない。
けれども、いまどうして自分がこの体(てい)たらくかと考えると母の事件に行き着く。
母の問題がなにひとつ解決していないのである。
先日、カール・ヤスパースの
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読む。
ストリンドベリと母の異常行動がまったくおなじタイプのものであることを知る。
嫉妬妄想、追跡妄想、被害妄想である。
いまさらこんなことをいうのはどうかしているとは思うのだが、書かざるをえない。
四宮先生は誤診をしたのではなかろうか。
四宮先生が母にくだした診断は躁鬱病である。
母の嫉妬妄想、被害妄想を了解可能なものとしている。
この治療方針のもと13年間、投薬がつづけられた。
なにを問題にしているかというと、
四宮先生が分裂病的妄想をとめる薬を出していないことである。
もし先生が母の分裂病的妄想に気がついてくれていたら、
家族の13年はだいぶ楽なものになったと思うのである。
少なくとも落裕美先生は嫉妬妄想や被害妄想の存在に気がついている。
だから非定型精神病なのである。
むろん、四宮雅博先生を批判するのが筋違いなのは理解している。
なぜかというと四宮先生を選んだのは、まさしく母その人だからである。
四宮先生が精神科医として未熟だからこそ母は主治医に選んだ。
この先生は自分の妄想を真実だと信じてくれると母は思ったに違いない。
優秀な精神科医に妄想の存在を見破られたら母はその医師と反目せざるをえないわけだから。
むしろ、四宮先生に感謝しなければならないのかもしれない。
先生のおかげで母は最初の自殺未遂から13年間も生きつづけることができた、
と考えればの話である。
四宮先生だけは自分のことをわかってくれる。
この信頼関係が少なからず母の生きがいになっていたはずである。
夫も実母も悪魔のような人間である(実のところ、そうではない)。
まわりにおかしな人間が多いため自分はこのような病気になってしまった。
母の病識である。四宮先生は患者の身になり、生きてゆくのを支えた。
こう考えたら、ほとんど美談である。
けれども、母の猛り狂うさまは現代ではめずらしいほど華々しかった。
どうしてあれを薬でとめられなかったのだろうと精神科医の手腕を疑いたくもなる。
根本に誤診があったのではないか、とも(その誤診が母を救ったかもしれないのだが)。
「しのみやクリニック」の評判をネットで調べてみたら、
「四宮先生は親身になって話を聞いてくれる」と書かれていた。
たしかにそうなのだろう。母の場合も、親身になってくれたのだろう。
だが、患者が精神病の場合、
医師が患者をサポートすることが家族の迷惑になることがある。
精神科医は患者とその家族、どちらを優先すべきなのか。
すべては終わってしまったことである。忘れるしかないのであろう。
しかし、忘れられないのである。ちっとも終わっていないのである。
「しのみやクリニック」の営業妨害をするつもりはない。
メンタルヘルスのクリニックで自殺者が出るのは決してめずらしいことではない。
もし通院している患者さんがこの記事をご覧になっても大げさに考えることはないだろう。
「しのみやクリニック」のホームページを拝見すると、
記憶違いかもしれないが、8年前と比べて規模が大きくなったようである。
母の通院していたころ、
「四宮先生はなんとかというスポーツカーを乗りまわしちゃって、それはすごいんだから」
と聞いたことがある。むかしから羽振りがよかったのであろう。
先生は執筆活動も旺盛になさっているようである。
事業拡大に研究の邁進、四宮先生のこの8年間は順調極まりない。
うらやましいかぎりである。
四宮雅博先生の臨床精神医学研究のなにかの足しになればと思い、
精神医学にはまったく無知のわたしだが、思うところをまとめてみた。
いや、偽善はやめよう。白状する。
わたしはどうしようもなくこの文章を書かざるをえなかったのである。
四宮先生はわたしのことなどまるで覚えていないのであろう。
だが、わたしは先生を忘れることができない――。
「しのみやクリニック」
http://www.shinomiya-clinic.jp/index.asp
数日前、自分は常識人であると書いたら、
さっそく友人から「常識人のヨンダ様」などと、からかうメールが舞い込む。
いま読み返すと笑えるのは、常識人ぶっておいて、おなじ記事でさらっと、
大学の先生からのメールを無断で転載しているところ(だって、むかついたんだもん)。
まあ、ここが「本の山」のおもしろさとどうかお許しください。
考えてみたら、わたしが常識人のはずないよな。
「あす死んだって構わない」なんて毎日思っている常識人がどこにいるという話で。
常識人ではない。常識をからきし持ち合わしていない。
師匠の原一男先生から教えられたことをひと言で要約すれば、常識をぶっつぶせ、だから。
伝授された非常識、というか反常識だな、
――常識に反対してゆく態度でこれまで生きつづけてきたわけである。
のうのうと生きていればそれでいいのか? 長生きすれば万々歳かい?
こんなもんだと思って生きていりゃあ、それでいいのかい?
もっとなにか出来ると思いやしないか? 大きなことをぶちかましてやりたくないか?
原一男から継承した悪しき(原先生、ごめんなさい)遺伝子である。
非常識、反常識をつねに目指している。
だからこそ、なんでもないところでは常識人でありたいと強く願っているのであろう。
こう考えてゆくと、あの大学の先生は立派だったのかもしれない。
お茶をのみながらありきたりな話をするより、よほどあのほうがよかったと思う。
話が進むうちに、先生のだんだん狂ってゆくのがわかったものである。
むろん、先生は断じて精神病ではない。
あの場所でだけ一時的に狂ったのである。
仮面を取り払い本性を剥きだしにした。本音を連発した。
うちにためこんでいる鬱屈した感情をすべてぶつけてきてくれたのである。
そう簡単にできるものではない。先生も勇気がいったはずである。
わたしのほうも、どこかでおもしろがっていた。このままどこへ行くんだろう。
先生がおかしくなってゆくのを助長しているような態度があったのだと思う。
感情を全解放して大声でわめいている先生を前にして心地よかったのもまた事実である。
この感触は久しぶりだと懐かしくさえあった。
わたしの母は精神病だったが、狂った母と対峙しているころを思い出した。
対面して原一男先生のお話をうかがっているとき、
たまにこの映画監督が発する狂気を思い出した。
狂的なものと向き合う緊張感を久しぶりに味わった。
自分が完全否定されているのに、そこまで怒りがわかなかったのはこのためなのであろう。
だから、あのフランス語の先生を常識がないと責めるのは筋違いなのだ。
なぜなら先生の何倍もこちらは常識がないからである。
わざわざ先生はわたしのレベルまで降りてきてくれたのである。
本来なら感謝すべきところなのかもしれない。
やはり先生と逢ってよかったと思う。人間と人間は逢うべきである。
できたらあの先生にもそう思ってほしいが、それはいくらなんでも贅沢というものだろうか。
昨日、先生から何度も言われた言葉が耳から離れない。
「おまえ舐めるなよ」
幾度、怒鳴られたことだろうか。いったいあの先生はなんなのだろう。
わけがわからない。気が狂いそうである。
だが、わたしは自分が狂わないのを知っている。
「本の山」をお読みになって勘違いをするかたが多いけれど、わたしは常識人である。
少なくとも、常識人でありたいと思っている。
挨拶はする。約束は守る。基本的にいつもニコニコとしている。人と仲良くしたい。
つまらないとは思うが、天才ではないのだから仕方がない。
たしかに指摘されたように大学の先生を舐めていたかもしれない。
この先生から初めてメールをいただいたときブログのアドレスが記載されていた。
「これを読んだら僕という人間がわかると思います」との付言。
自意識を持て余した非常勤講師の愚痴ブログであった。
長いこと学生をつづけたものの専任職に就けなかった憤懣が延々とつづられていた。
同情しながら、いろんな人生があるんだなと思ったものである。
先生は芝居を観にいくのが好きらしく、ブログにはたくさんの劇評も記されていた。
申し訳ないが、こちらはひとつも読めなかった。
努力しても読めない文章というものがある。
観念語を多用した自己陶酔的な文章のことだ。先生の劇評はまさしくそれであった。
とはいえ本人が楽しんで書いているのだから、いちゃもんをつけるものではない。
ブログを読んだ感想は、まあ悪くはない人なんだろう、であった。
人間を見る目はないかもしれないが、文章を見る目くらいはあると思っていた。
しかし、どうやらそうではないようである。
まさかこの先生が、あんな人物だとはまるで思わなかった。
人間は文章ではわからないものだと今回の事件でよくよく理解した。
(だから、わたしもみなさまが想像なさっているような人物ではないかもしれませんぞ)
フランス中世の文学を研究している40過ぎの早稲田大学修士の行動を見よ!
まず約束の時間を守らない。5分とはいえ遅刻はまずいでしょう。
初対面の人と逢うときに遅刻をしたらいけません。
万が一、遅れたらあやまるのは礼儀ではないか。すみませんのひと言もなかった。
初対面の人にいくら相手が年下だからといって横柄な口の聞き方をしてはいけない。
学生に対するような物言いを先生がするので驚いたものである。
わたしは年下相手でも初対面なら「です・ます」で話しかける。
喫茶店へ呼びつけたのも先生気分で、最初から説教するつもりだったのだろうか。
その後は昨日書いたとおりである。
一方的に大声で相手を罵倒する。それとも、あれは威圧していたのだろうか。
「おまえ舐めるなよ」
他人を「おまえ」と呼ぶのはよくない。それでは会話にならないではないか。
しまいには「幼稚園の娘を迎えに行くから帰るわ」――。
こんな人間が大学では先生なんて呼ばれているのである。
そのうえ奥さんとお子さんまでいる。
(妻は顔で選んだから美人だとブログで自慢していた)
邪推してみる。
幼稚園からの帰り道、娘の手を引きながら先生はこんなことを言っていたのではないか。
「パパはね、強いんだぞ。フランスの文学を研究しているんだ。
今日はね、おかしなことを言うバカがいたからパパ退治してやったんだ。
パパが本気になったら、だれもかないやしないからね」
美人の奥さんとの寝物語で先生はこんなことを話したのではないか。
「ネットで生意気なことを書いているやつがいたんだよ。
今日さ、ちょっと呼びだして締めてやったよ。
そいつ、おれに恐れをなして、なにも口が聞けなくてさ。
かわいそうだから途中で見逃してやった」
いまやりきれない思いをしている。先生の人間軽視の態度がたまらなくいやだ。
ネットで出逢った人間なら一度きりでもう逢わないで済むからなにをしてもいい。
人間の使い捨てである。
相手の話はいっさい聞かず怒鳴り散らしてストレス発散をする。
相手を罵倒することで自尊心を取り戻す。
どうせネットで逢った人間なんだから適当にあしらえばいいんだ。
1回逢えばそれでおしまいである。なにをしたって構わない。
やったことは一度もないがおそらく「出会い系サイト」の根本にある思想はこれであろう。
いま男を先生と呼んでいるが、むろんこれは便宜上である。
いくら不愉快だったとしても、実名をだすのはマナー違反だと思うからだ。
男は先生と呼ばれるのがいやらしい。
事件1ヶ月まえに送られてきたメールにこんなことが書かれている。
○○さんから僕に「先生」と呼称を使うのは勘弁してください。
お願いするものではなかもしれませんが、「さん」でお願いします。
職業として先生をやっているけれど、○○さんのほうが僕よりはるかに読書量が多いし(こっちは「先生」やっているくせに恥ずかしいです)、本の読み方も、生きざまも徹底しているように思えるので、そんな人に「先生」って呼ばれるのはちょっと困ります。
7/11(金)のチケットを取りました。三階B席2500円。昼の部の開演は十一時なので十時四十分頃に歌舞伎座の前で待ち合わせしましょう。また直前になったらメールします。
文面からは、腰の低い好人物としか思えない。
これを書いた人間が白昼の喫茶店で
狂ったように「おまえ舐めるなよ」を繰り返したのである。
あの憎悪のこもった目は忘れることができないだろう。
先生はわたしを「○○さん」とは呼んでくれなかった。「おまえ」である。
人間はわからないと思う。昨日先生とお逢いしたことを後悔したくない。
いい勉強になったと思いたい。
どのくらいの時間ひとりで喫茶店にいたのだろう。店を出ると雨が降っていた。
生まれて初めての歌舞伎鑑賞をしたのだが、感想どころではない。
久しぶりにまいったよ。書かずにはいられない。
歌舞伎へはある男性から誘われて行くことになったのである。
うちのブログをお読みくださっているかたである。
大学の先生で年齢は40を超えている。
先生のブログを拝見すると、きれいな奥さんがいると書かれている。
お子さんもふたりいらっしゃるらしい。
そんなかたぎの人間から歌舞伎に誘われたことをとても光栄に思った。
よろしくお願いしますと返信した。
この先生と今日歌舞伎座で「義経千本桜」を観た。
歌舞伎はやはり無学なわたしには理解できなかった。
帰りに寄った喫茶店で事件は起こった。
この先生が大声で怒鳴り散らすのである。あれは罵倒という形容がぴったしである。
ふざけてるのかと目を見るとマジである。
目になみだまで浮かべて激昂していらっしゃる。
突然、豹変したのだ。
「おれは文学研究に命をかけてるんだ。おまえはなにもわかっていない!」
直前まではお互い笑顔で話していたのである。
切れたという表現がいちばん適切かもしれない。切れる中年だったのか。
「おまえ、おまえ、おまえ」と大声で騒ぐのである。
「初対面の人間におまえはないでしょう」
わたしは先生に諫言(かんげん)したが聞き入れてもらえない。
先生がしきりに文学研究と口にするので恥ずかしくて仕方がなかった。
銀座の喫茶店で文学研究と連呼するのは羞恥プレイに近い。
意見の相違があったとすれば、どうやらこの「文学研究」である。
(もっともいまから考えたら、
先生はわたしを「やっつける」のが当初からの目的だったのかもしれない)
「本の山」をご覧いただいたらわかるよう、わたしは大学の文学研究を重んじていない。
文学者が死にもの狂いで生みだした作品をテキストなんぞと言い換えて、
安全な場所から観察するのがどうしてそんなに偉いのかわからない。
なにより文学研究は読んでもおもしろくない。生きるうえで役に立たない。
(文学作品はたしかに無用の長物だが文学研究よりはまだ役に立つ。
――人を励ます。――人を慰める)
文学研究に比べたら三流ライターの書いた笑話のほうがよほど価値があると思っている。
これが正しいのか誤りなのか答えはない。人それぞれである。
人によって正解は異なる。とはいえ「本の山」の読者は、
わたしとおなじ考えのかたが多いのではないかと思っている。
わたしはこういう人間である。これは年齢から考えても今後変わることはないだろう。
うちのブログをお読みになればわかることである。
この先生はわからなかったようなのである。
先生はフランス中世の文学を研究しておられる。
わたしでも知っている作品の有無を質問したら「ない」とのことである。
先生はいまのところ努力報われず大学の専任職には就いていない。
非常勤の語学教師としてあまたの学生を指導している。
「いまでもその研究をしているんですか」
おそらくこの問いを発したとき、わたしの顔がニヤニヤしてしまっていたのだろう。
先生は敏感に反応した。
昼日中、銀座の喫茶店で大声で怒鳴るという凶行に相成ったわけである。
グラスを何度か倒すほど興奮しておられた。
数年前の荒れていたころのわたしだったら、
すぐさま目の前のビールを相手の顔にかけていたことだろう。
殴りかかっていたことは確実である。
哀しいかな、いまは良くも悪くも丸くなっている。
怒ってるな、と先生の興奮がしずまるのを待つしかない。
幾度か笑いにまぎらそうとはしたのである。
「(相手のコーヒーを指して)それアルコール入ってるんですか(笑)」
先生はわたしをにらみつけたままであった。10歳も年の離れた後輩を(先生も早稲田卒)。
「おまえ、人間はものを知りたいって本能があるだろう?」
先生は荒々しく文学研究の意義についての講義を開始したが、
不勉強なわたしには先生の教えが理解できない。
テキストを連発するのには辟易した(テクストなのかもしれない)。
「テキストって言葉を使うの恥ずかしくないですか?」
わたしは自分の感覚を正直に申し上げる。先生は怒鳴り返してくる。
「おまえはな、本を人より多く読んだからってなにかわかったと思ってやしないか。
人生経験を積んだからって、だれよりも、ものをわかっていると考えているだろう。
よくものを考えているからって、おまえ、おまえはな、おい、舐めてるんだよ!」
大学の先生のご発言である。
ふつう反対だろう。これは大学人が一般人に言うことではない。
一般人が大学の先生に、本ばかり読んでなにがわかるか、と問うのが通常である。
(わたしより読書量が少ない大学の先生ってなんだ? なら大学なんて辞めてしまえ!)
もうひとつ。人生経験は年少者が年長者に反論することである。
長生きしたからって、偉そうなことを言うな。
ところが、このときは40過ぎの先生が若輩のわたしをこう攻撃するのである。
悲劇的なことを経験したからって(母のことだろう)舐めた口を聞くな。
舐めるなと再三、この早稲田大学の先輩から叱責されたのを覚えている。
うっかり舐めたことを言ってしまう。「人生や社会を舐めるのが文学じゃないですか」
これは本意ではない。いきおいで出てしまった言葉である。
この大学の先生からすると、わたしは人生や社会を舐めているらしい。
「おれは文学研究に命をかけているんだ!」
喫茶店中に響きわたる絶叫である。先生はわたしという存在を全否定する。
「おまえはな、小さな穴のなかにいるんだよ。新しくものを知ろうってところがない。
だから、文学研究が理解できないんだ。
もっと新しい世界があるってことに気づけよ。ものを知ろうとしなきゃ駄目だ」
怒鳴ることをやめない早稲田大学修士の先生はこの場をどうしずめるつもりなのだろうか。
わたしは唖然としていた。いちおう具申する。
「人間はわかりあえないんじゃないかな」
さすがにわたしも丁寧表現はやめていた。
「持って生まれたものが違うから仕方がないと思う。
おれなんて所詮、焼き鳥屋のせがれだからさ」
先生は反論する。「ならおれだって公務員の息子だ」
久しぶりにエキサイトした人間を目の前にして、少しわたしはどきどきしていた。
この先、いったいどうなるんだろう。
こちらは妻も子もない。たとえ殺されたっていっこうに構いやしないのである。
40過ぎの男なら、
初対面の相手を乱暴に罵倒することの意味をわかっていないはずがない。
どのようにこの場の始末をつけるつもりなのだろう。
こんないさかいがあったのを記憶している。
文学研究の価値について先生の熱弁の途中である。
先生が「装置」と言ったのである。意味不明の文章でたまに見かけるあれである。
大学は……なんたらかんたら……知の装置として――。
ふきだしそうになった。
「装置ってなんですか? そんな言葉を使って恥ずかしくないですか?」
またもや先生はにらみつけてくる。「ぜんぜん恥ずかしくない!」
このときはわたしもにらみかえす。「なら装置なんてどこにあるんだ!」
お答えはいただけなかった。もしかしたら大学の研究室にあるのかもしれないと思った。
なんの脈絡もなかった。突然、先生は携帯電話を一瞥するとこうのたまったのである。
「いまから幼稚園の娘を迎えに行かなきゃならないから帰るわ」
わたしはどう演技しようかとっさに決めた。
大げさなため息をつき「いやだ〜」と呻(うめ)いた。
人間なんていやだ。文学なんていやだ。なにもかもいやだ〜である。
先生は無視して去っていった。わたしは時間をかけて余ったビールをのみほした。
いったい今日はどういう日なのだろう。
フランス語の先生が「本の山」に興味を持ったのは小谷野敦がきっかけだったという。
先輩は、(わたしの恩師)原一男監督とも多少の縁があることから
メールを出すつもりになったという。
わたしはなにもしていないのである。
あちらが一方的にこちらを歌舞伎に誘い(料金はむろん別)、
そのうえで一方的にわたしを非難して去っていった。
いまわたしは孤独なやけ酒をのんでいる。罵倒されたのが口惜しくて仕様がない。
他方、あの先生はいまごろ美人の奥さまと、ふたりの娘さんに囲まれ笑っている。
このままで済むのだろうか。
妻子もちの先生はほんとうにこのままで済むと思っているのか。
わたしも果たしてこのままで済ませられるのだろうか。
こうまで侮辱されてこの先輩に復讐しないと誓えるだろうか。
いな、耐えねばならぬ。ストリンドベリは言う。「此の世は只遍路である」――。
いま安酒をあおりながらNHK歌謡コンサートを見ている。
「美空ひばりを歌い継ぐ」。
むかしは嫌いだった演歌になみだがとまらない。
父が演歌を好きだった。だから、演歌が嫌いだった。
わたしは死んだ母が好きだった。母の憎む父を嫌ったのはこのためである。
最後に父と会ったのは6年前だったか。
つぎに顔をつきあわせたら、この男を殺してしまうかもしれないと思った。
母は父を憎み、父が去ると、代わりに息子を憎んだ。
愛する母がわたしの目の前で飛び降りて息絶えたのは8年前の梅雨である。
演歌を聞き、泣きじゃくりながら思う。
くそお、成り上がりてえな。一発当ててえよ。
ほら見たか、一丁前になったぞと、親父に会いたいな。
笑っちゃうくらい演歌の世界だ――。
現代日本の閉塞感は異常だと思います。
いつ第二、第三の秋葉原事件が起こってもおかしくありません。
むろん、殺人はいけないことです。
しかし、人間は負けがこむと、いつしか復讐を誓うようになります。
この病をどうしたらいいか考えてみたいのです。
人生において、どうしようもなく人間はなにものかによってふるいわけられます。
勝つものと負けるものに、です。
これは近年日本で発見されたものではなく(「勝ち組」「負け組」!)、
世界各地で古代から現代まで変わることなく勝者と敗者は存在しました。
「負け組」のみなさんは自分を特別な人間だと思ってはいけません。
人生に負けた人間は過去にも他国にも信じられぬほど大量に存在するのです。
むしろ、勝利者のほうがめずらしいというのが正しいのかもしれません。
これから処方する負け薬は決してわたしが発明したものではありません。
古来より「負け組」のために与えられてきた慰めをリライトしたものです。
幼稚な思想だとバカにしないで、ぜひぜひまっさらな心でお読みください。
なぜというに、少なくともわたしには効いたからです。
この負け薬をのんだおかげで、わたしは自殺も殺人も思いとどまりました。
もちろん、あなたに効くかはわかりません。それがいちばん重要なことです。
けれども、試してみる価値はあるのではないでしょうか。
あなたは負けました。今後一切の勝利が期待できないとします。
そんなことは人間世界にはないと主張する人もいますが、完全な敗北はあります。
いくら本が好きでも失明してしまったらおしまいなのです。
知的障害を持って生まれたら、大学教授になることは不可能です。
脳卒中を発症して下半身不随になってしまったらセックスはできません。
回復不能のどうしようもない敗北は哀しいかな存在するのです。
負けたときに、その不幸をどう受けとめたらいいのでしょうか。
断じて努力ではありません。
あなたが不幸なのは努力しなかったからではありません。
努力できるのもまた才能なのですから。
そのうえいくら努力しても避けられない不幸はあります。
では、かの人の不幸はなにゆえでありましょうか。
あなたはわたしは、どうして不幸なのでしょう。
こう考えてみたらという提案です。
あなたが不幸なのは前世で悪いことをしたから。
前世であなたは悪をなしたのではありませんか。
だから、いま不幸が生じたと考えてみてはいかがでしょう。
前世のことは取り返しがつきません。
いまさらじたばたしても遅いのです。
なんで幸福な人がいるのか。
不幸なあなたはかならずやこの問いに悩まされたことと思います。
こう考えてみたらどうでしょう。
いま幸福な人間は前世で善をなしたから。
信じられないほど幸福な人間はたしかに存在します。
かれらは報われているのです。
現世のことではありません。前世でよほどの善行をなしたに違いありません。
こう思えば、あなたの不幸も成功者の幸福も一応の説明がつきます。
すべては前世が決めたことなのです。
さて、そうだとしたら、「負け組」はどう生きたらいいのか。
来世を信じることだと思います。
(あなたを不幸にする)前世があるのなら、かならず来世もあります。
あなたはいまがんばって生きているのでしょう。
自殺も殺人もしていません。なんと立派なことではないでしょうか。
(いえ、自殺も殺人もどうしようもなくなったらしても構わないのです。
その不幸ですら前世で決められていたことなのですから)
あなたは立派です。いま生きている。それだけでたいそうな努力だと思います。
かならずや来世で報われます。
来世で間違いなく幸福になれます。人生に勝ちます。
あなたは前世と来世について知りました。
このへんで落ち着いて周囲を見回してみませんか。
あなたは本当に不幸なのでしょうか。
現代日本に生まれてきたというだけでかなりの幸運かもしれません。
インドの低カーストに生まれたら、生涯成り上がりの夢さえいだけないのです。
アフリカの僻地に生まれたら、おとなになることでさえ難しくなります。
いえ、あなたが不幸なのは変わりありません。
あなたが自分を不幸と思うかぎり、あなたは絶対的に不幸です。
そして、その不幸はすべて前世のためなのです。
あきらめませんか。すべて前世が悪いのですから。
微笑みましょうよ。それでも来世があるのですから。
ここでこの負け薬の本質に向き合いましょう。
果たして前世や来世はあるのか。
もしあるのならば、この薬は効き目を見せます。
だが、もしないとしたらどうなるのでしょう。
この心配は杞憂です。我われはそこでとどまっていてはいけません。
なぜなら前世や来世の存在は、最先端の科学をもってしても証明できないからです。
だから、ないと即決するのはおかしい。
前世や来世がないこともまた現代科学では証明できないからです。
人間は前世や来世がないということを断言できないのです。
いまあなたはどこにいるか。信じるか信じないか、であります。
信じてみませんか、といまわたしはお誘いしています。
どうか御一考くださいませ。
*なお「勝ち組」のみなさまには本文無用。反論勘弁。
みなさまの勝利は努力のおかげ。おめでとうございます。あなたはえらい!
小説や漫画を読んでいて思いませんか。
テレビドラマや映画を見ていて思いませんか。
主人公がピンチにおちいると、なぜか偶然救助がやってくる。
自殺しようと思っていると、美女と出逢い相思相愛になる(頻出のため例示しない)。
大量殺人を企てていると、旧友に出逢う(ドストエフスキー「未成年」)。
言うまでもなく、現実はこうではありません。
年間3万人を超える自殺者は、死ぬ直前までなにかあると期待したことでしょう。
通り魔の加藤智大氏も実行する直前まで救いがあると思っていたはずです。
しかし、現実にはなにも起こらない。
小説漫画ドラマ映画はおかしいじゃないか、ということにならないか。
これらを詐欺だと訴えるものは、なにゆえいままでいなかったのか。
フィクションだからです。最初からウソだと断わっているゆえ、詐欺罪に相当しない。
真っ当なおとなは現実とフィクションを混同してはならない。
では、どうして多くの人間が初めから詐欺だとわかっている商品をあえて買い求めるのか。
わざわざ自分からだまされようとするのか。
現実が辛いからです。現実があまりにも味気ないからです。
びっくりするほど、なにもないからです。
だから、震えるような思いでフィクションにすがりつく。
現実をごまかす。もしかしたら明日なにかあるかもしれないと思う。
けれども、現実はやはりそう甘くなく、ちっともうまくなんかいきやしない。
苦しい。ため息が出る。小説を読みます。テレビを見ます。
翌日にはもう少しがんばってみようと思っている。
フィクションの効能であります。
わたしはフィクションを書いて生活するものになりたいと思っています。
ところが、書けない。どうやってフィクションを創造したらいいのかまるでわからない。
現実にはなにも「ない」のに、どうしてなにか「ある」ものが書けるのか。
わたしがぶつかっている壁です。整理してみます。
なにも「ない」から、フィクションを書け「ない」。
これがいままでの思考法です。だが、こう考えたら――。
なにも「ない」から、なにか「ある」ものを書く。
「ない」から「ある」を生みだすことがもしできたら――。
そのためにはどうしたらいいのか。また新たな壁に衝突したようです。
夢はかならずかなうの夢ではありません。あれは少年の夢です。
夜、布団のなかで見る夢のこと。あの夢をぞんぶんに見ようではありませんか。
現実はままならない。
たいがいの人間にとって思うとおりにならないのが現実です。
日々憂さもたまることでしょう。辛い。苦しい。
夜な夜な2ちゃんねるで成功者を中傷するのも仕方ないのかもしれません。
顔も知らぬ他人をネット上で批判して夜もすがら相手の反応を楽しむのも、
たしかに現代的なストレス発散方法なのかもしれません。
けれども、自戒をこめていうのですが、パソコンのまえから離れて、
さっと布団へ入ってしまうのが人間のいちばんの喜びなのではないでしょうか。
なぜなら夢のなかまでは、めったに現実も侵入してしてこないからです。
我われは夢のなかでなら、死んだものと再会することができます。
子どもになって屋台のたこ焼きを思うがままにほおばることもできます。
美女と熱愛をするどころか、あんなことこんなことまで可能なのが夢です。
たとえ現実では失敗つづきでも、夢のなかなら成功者になれるのです。
毎日、たっぷり夢を見ましょう。
夢のなかに成功のヒントがあるだの、自己実現のきっかけだの、
現実的な打算を捨てて、夢そのものを味わい尽くそうではありませんか。
そのうちなんとなくわかってくるかもしれません。
この辛く苦しい現実も、あるいは夢のようなものなのかもしれないと。
成功者はたしかに存在します。
我われが夢でしか味わえないような快楽を現実で享受している人間はいます。
しかし、それもまたひとつの夢と思えないこともないはずです。
成功者の人生とて、我われの夜ごと見る夢のひとつと大差ないではありませんか。
現実はどうしようもありません。ままならぬものです。
能力のないものは一生かかっても出世できないし、
もてない人間は残念ながらもてないままです。
いま貧乏な人間が今後大金を手にする可能性は限りなくゼロに近いでしょう。
そのいっぽうで裕福な家に生まれた人間は教育から就職まで恵まれ、
もてる男女は幼いころから老いるまでもてつづけるのもまた現実です。
繰り返しますが、現実はままならぬ。
だから、夢を見ようではありませんか。夢は少年の独占物ではない。
このところ夢のありがたみをしみじみ思います。