「詐欺師たちの殺し文句 あなたの「欲」と「迷い」を見逃さない」(日名子暁/主婦の友新書)

→将来人をだます仕事に就きたいと思っていないこともない。
なぜなら、人をだます商売がいちばん金が儲かるような気がするからである。
言っておくが犯罪行為をしたいわけではない。合法的な詐欺なんていくらでもある。
ほとんどの(は言い過ぎかな)客商売は詐欺をしているわけでしょう。
というのも、本来はそれほど価値のないもの(原価の安いもの)を
いかに顧客に価値あるもののように見せかけ高く買ってもらうかが商売なのだから。
居酒屋なんて原価50円もしないような焼うどんを600円で売っていて、
それが飛ぶように売れ「うまい、うまい」と絶賛されることもあるわけで。
各種専門学校も合法的に実体のない「夢」を世間知らずの若者に高く売りつけている。
うちの学校に来れば「努力しだいで」日本語がペラペラになり大学院にも入れますよ。
日本の大学院を卒業したら「努力しだいで」いい企業に就職できますよ。
本当はそんな成功をできるのは千人にひとりなのだが、
そこは「努力しだいで」という言葉をうまく使って「あなたは努力が足りない」とごまかす。
うちに来たらみんなシナリオライターになれます、
なんて汚い商売をしているスクール社長の自己イメージは慈善家なのだから笑える。

うまく金を儲けたかったら人をだますにかぎるのである。
詐欺が悪いことのように思っているあなたは一生下積みで終わるのではないかしら。
というのも、結婚も言ってしまえば詐欺でしょう?
自分をいかに価値あるように見せかけ相手を捕獲するのが結婚の実相である。
最後までお互いが正体を見せなければ、夫婦円満でした、めでたしめでたし。
そう考えると、デート商法が詐欺かどうかもよくわからんわけ。
デート商法とは、美人がもてない男に近づきいろいろ買ってもらい、最後はバイバイする。
これは違法の詐欺かってなると、かならずしもそうとは言い切れないわけで、
どうしてかというと、そのもてない男にとってはへたをしたら彼女との交流が
人生で最高の思い出になっているかもしれないわけだから。
たとえやらせてもらえなかったとしても。
行ったことはないけれど(行きたくもない)キャバクラもそういう世界でしょ?
人ってものは夢を見たがるから、
そこのツボをぽんと押せばお金を吐き出してくれるんじゃないかなあ。
多くの読者をうまくだました小説家はベストセラー作家となり世間から評価される。
結局、相手の欲望をうまく把握することが金を儲ける秘訣になるのだと思う。
著者は詐欺師ではなくルポライター。

しかし、誰でもしばしば経験することだが、
その物事が「ウソ」か「ホント」か分からないのが、人の世である。
とりわけ、誰しもが持つ欲望を刺激されると、そのウソかホントかの判断が難しくなる。
欲望とは、分かりやすくいうと「金」「異性」「出世」「名誉」「安定」
などに対する欲望であり、濃淡の差はあっても、人は誰でもこういう欲望を持っている。
持っているから生きているのだ。そして、その欲望を満足させる話があれば、
とりあえず話だけでも聞いてみようかという気持ちになる」(P10)


よくさ、訳知り顔の苦労人みたいのがさ「世の中に甘い話はない」
とかいかにも世知長けたふうで言うじゃないっすか。
でもねえ実際、現実に甘い話があるというのもまた事実であることを忘れてはいけない。

「過去の例でいうと、たとえば上場間近の未公開株や土地の区画整理、
新幹線の予定地などなど。その情報をいち早く入手し、
すばやく手を打って巨利を得た者も数多く存在する」(P19)


遠いところへ行ったとき帰途の電車内で読むには手ごろでいい本だった。
あーあ、楽をして金を儲けたいなあ、
と車中の人はみんな考えているんだろうなあ、とぼくは思った。
人間、汗水流して働くのがいちばんとわたくしは考えていますがね。
え? え? え? ホントですよ! ウソつかない。
ぼく、正直者ね。ト、ト、トモダチになってください♪

「図解雑学 裁判員法」(船山泰範・平野節子/ナツメ社)

→裏話のたぐいがまるでなく、建前ともいうべきデータのみなのでつまらなかった。
図解雑学シリーズなんざ新書も読めないような白痴低能のための、
言うなれば大人の絵本なのだから、もっと読者様に奴隷のように尽くしてほしかった。
いまや書籍は上から知識を伝達するためのメディアではない。
なんとかしてご購入いただくための商品なのだ。
正しいことが書いてあっても、おもしろくなかったらダ~メ。

裁判員法に夢のようなものを抱いているものがいるかもしれないので、
退屈しのぎにそれを崩しておこう。
そもそも裁判員に選ばれるのは5547人に1人。
犯罪に巻き込まれる確率とおなじくらいではないか。
選ばれないのは宝くじに当たらないのとおなじ。
そして、あなたの判断で殺人事件の容疑者が無罪になるようなこともないと思ってよい。
いままでの裁判において被告が無罪になるケースは1万件のうち1件。
かならずや裁判員制度においても過去の流儀が踏襲されることだろう。
まあ、裁判なんて法治国家であることの形式的アリバイのようなものかと思われる。
万が一裁判員に当たっても、大したことはないのである。
なにが言いたいのかというと、残念ながら人生に劇的なことはありません。

「毒セールスの殺し文句」(日名子暁/ダイヤモンド社)

→副題は「最強の説得術、「騙し」の仕組みを一挙公開」……。
最近思うのは、人生とは結局のところカネではないだろうかということだ。
いままでいちばん認めたくなかった拝金主義に屈する寸前といってよい。
もし人生でもっとも大切なのがカネであるならば、どうしたらカネになるか?
「本の山」の知恵を結集して出した結論は、カネを得たいならうまく騙せ、である。
身もふたもないことを言うと、人生は騙すか騙されるか。
これは通っていた母校のシナリオ学校の影響も大きい。
もう名前を出してしまうと、シナリオ・センターから学んだのは騙しの技術である。
悪いことだと批判しているわけでは断じてない。
人が人を騙すことでカネを得るのが、おそらく資本主義というシステムなのだろうから。
たとえば就職面接。うまく面接官を騙したものが高給を得るわけだ。
たとえば企業経営者。夢を持とう等とうまく社員を騙せば人件費が安上がりになる。
たとえば営業職。他社と変わらぬ商品をいかに騙して顧客に売りつけるか。
たとえば居酒屋。原価50円程度の焼きうどんが700円でも歓迎される。
たとえば恋愛。いかに相手をうまく騙して自分の欲するものを手に入れるか。
たとえば小説家。現実とは異なるフィクションをうまく描けるのが人気作家だ。

シナリオ・センターをたとえにして騙しの技術を整理してみよう。
・まず無料で差し出す!
かの学校は無料講座や無料雑誌提供を好んでする。
人はなにかを無料でもらうと、どうしてかお返しをしたくなってしまうものなのだ。
・自分を変えたいと思いませんか?
人の悩みにつけこむのが騙し商売の秘訣である。
包茎で悩む男性をカモとする商売を詐欺と批判するなかれ!
シナリオ・センターのカモは人生の退屈や自己実現の問題に悩むアラサー、アラフォー♪
いまのままでいいんですか? 本当にいいんですか?
・いま申し込まないとせっかくの特典が!
これぞシナリオ・センターの常套手段である。
ときには余裕たっぷりの講座にも残席わずかと告知している。
みすみすチャンスを逃すんですか? 損をしてもいいんですか?
最強の騙しの技術である。
・資格をでっちあげる!
公的機関の認めていない資格を作るのがいちばんカネになる。
シナリオ・センターに入ったら、
なにか資格を得られると勘違いした人からコメントをいただいたことがある。
かの学校の最上級クラスの名称は「作家集団」。みなさんは「作家」なんですよ(笑)。
・権威を上手に利用する!
シナリオ・センター関係者が内館牧子氏や鈴木光司氏の写真をどれだけ悪用しているか。
鈴木光司先生と肩を並べている私は偉いんですよ、と経営者は周囲を騙すのである。
・人は一貫した行動をしたがる!
シナリオ・センターの8週間講座は激安だが、これが騙しの技術なのである。
かつて一度この学校を自分は選択したのだから継続しようと一貫性の法則に支配される。
結果ずるずると3年も4年もカネを支払い続けることになる。
・サクラほど有効な騙しの技術はない!
シナセンは「4人に1人はライターになれる」と騙しのブログを作っているとの噂を聞く。

いまはまだやっていないようだが、これをやれば最高に儲かるという方法を紹介しよう。
説明会の後、いま申し込めば割引だと説明する(これは実行済みでわたしも経験した)。
このときサクラをうまく使えばいいのではないか?
「私、入ります」「僕、やる」とサクラに宣言させる。
経営者や講師がその場で「そう、積極性のあるあなたはかならずライターになれる!」。
こう即答したら、勢いに従ってしまう(騙される)顧客が大勢出ると思う。
サクラは古典的だが、これからも十分に通用する騙し=カネ儲けの秘術だと思う。
もっとも効果的な騙しの技術は、たぶんサクラではないか。

さて怨敵(愛すべき母校でもある)シナリオ・センターとは離れて、
みなさまのお役に立つ話をしよう。
こんな情報を無料で提供してしまっていいのだろうか。
返報性の法則でかならずやこちらにも利益がまわってくると信じるがゆえである。
これからさらに儲かるのは健康商法だと思う。

健康商売はカネになる!

ぶっちゃけ、人間はそう簡単に病気にはならないし、死にもしない(確率的にはね)。
だから、健康商法(たとえば健康食品)はいいのである。
はっきり言えば、健康商品を使用しようが未使用だろうが健康は変わらないのである。
だが、使用者はおのれの健康を商品のおかげだと信じて死ぬまで継続してくれるだろう。
病気や死といった不安で脅せるため最初のセールスもそこまでは難しくないと思う。
「このままでは死ぬわよ」は新興宗教勧誘の定番文句だが、
健康商法はここまであくどくはないので売り手も心を病まずに済む。
少子高齢化社会。売れるのは健康。カネを儲けたかったら健康に目をつけるべし!

「飲酒運転で犯罪者になった 実録交通刑務所」(川本浩司/新風舎文庫)

→タイトルを見て、たいへんな本を見つけてしまったと思った。
飲酒運転というのは、他人事ではない。
わたしはペーパードライバーで今後車を運転するつもりはないが、飲酒運転は身近な問題。
飲酒すると、なにがいけないかというと、間違うことが多くなる。
飲酒運転をした人を責めるのは簡単だが、
どうして酒をのんだのに車を運転したのかと本人に問うのはあまり意味がないように思う。
というのも、酒をのむと正常な判断ができなくなるのだから。
酒をのむと理性が鈍るでしょう。だから、車に乗ってしまうのである。
飲酒運転で人を殺してしまった当事者はどのような思いをしているのだろう。
この関心から身をただして本書を読み始めた。

すぐに見当違いをしていたことに気づく。
本書の著者は飲酒運転で刑務所に入ったが、事故を起こしたわけではないのである。
免許取り消し処分中なのに、飲酒運転をやらかした。
そのうえ、スピード違反2回、酒気帯び運転2回、駐車違反5回。
この前歴があってこそのブタ箱送りということらしい。
著者は大企業の部長で妻とふたりの子がいる。
エリートが半年間、ブタ箱でクサイ飯を食った体験ルポと思うのが適切だろう。
考えてみたら、当たり前か。
もし飲酒運転で人を殺めてしまったら、とてもではないが本など書けない。
そもそも不謹慎だし、体験自体が言葉にならない壮絶な地獄だと思う。

著者は、刑務所で交通死亡事故の加害者と逢ったことを書いている。
その記述から、加害者の気持を推し測るしかない。
交通死亡事故というのは被害者はもちろんだが加害者も地獄だろう。
飲酒運転でなくても、人は事故を起こしてしまう。
なぜなら人間は間違う生き物だからである。
うっかりコップを割ってしまうのも間違いだが、
おなじ過誤でもブレーキとアクセルを間違えてしまったらとんでもないことになる。
どうして間違えたのかと司法に問われても人間には答えようがないのではないか。
なぜなら繰り返しになるが、人間は人間であるかぎり間違えてしまうからである。

著者は刑務所内のグループワークである受刑者からこんな話を聞いたという。

「五、六人の子どもを乗せ、ドライブ中、
スピードの出しすぎでコンクリートの電柱に正面衝突。
三人死亡、他は重傷。今まで喜んでいた子どもたちが、一瞬の事故で、
顔面から血を噴き出し、その場は地獄絵図のようだった。
いっぺんに二人の幼い子どもを失った両親は、私に向かって
『あなたのために、明るく幸福だった家庭が幽霊屋敷のようになってしまった。
これから何を目的に生きていけばいいのかわからない』と涙を流す。
そのことを考えると気が狂いそうになる」(P138)


これを聞いて大手重電機メーカー部長の著者は以下のように思う。

「運転者のほんの少しの油断がとり返しのつかない大惨事となって、
被害者と加害者を生む。車が悪いのではない。
すべてそれを運転する運転者に原因があるのだ」(P139)


本当にそうだろうか。運転者がそんなに悪いのだろうか。
わたしは「車が悪い」と思うのだが、こう思うのはおかしいのだろうか。
さらに大学ではラグビー部に所属していた有能な営業マンの著者は思う。

「彼らの重く恐ろしい体験を聞き、「もし自分だったら」と思うとともに
「自分でなくてよかった」と胸をなで下ろす」(P139)


どうして著者の川本浩司氏ではなく、ほかの人が苦しまなければならないのか。
事故で子どもをふたり死なせてしまった受刑者は模範ドライバーだったのかもしれない。
まあ、子どもの運転を任せられるくらいだから優良ドライバーだったのではないか。
いっぽう本書の著者といえば酒気帯び運転3回、スピード違反2回。
はっきり言わせてもらうがこのエリートは運転を舐めているようなところがないか。
ならば、どうして交通死亡事故を起こしたのは著者ではないのだろう。
本当に川本浩司氏の主張するよう「運転する運転者に原因がある」のか?

著者は交通刑務所で飲酒運転で人を殺してしまった加藤という男と親交をむすぶ。
彼のケースもいろいろな人生の矛盾を感じさせる。
加藤が酒気帯び運転で殺したのは、統合失調症の青年だったのである。
精神病院へ入退院を繰り返していた家族の厄介者。
加藤は意地汚い金額交渉ののちに遺族に5千万(当時の価格)支払う。
刑務所を出て遺族の家を訪問したら、豪邸になっていたという。
仏壇は小さく汚いままだった。このことに加藤は義憤を感じる。
人間というのは恐ろしいものだと思う。人生はわからない。
統合失調症の青年は家族に迷惑をかけたが、
最後に巨大な金運を引き寄せたのである。
そして、酒気帯び運転で人を死なせた殺人者が、遺族の偽善性に憤る。

著者のエリート会社員は出所後、退職にはならず子会社に出向することになった。
そこで営業の手腕を発揮して大活躍したそうである。
家族離散の憂き目からも逃れることができた。かえって家族のきずなが深まったという。
万々歳の結末である。だから、本書を書いたのだと思われる。
ところが、そうはならなかったケースもある。
著者が市原刑務所で知り合い友人になったという山内和彦の場合だ。
山内和彦、元大手建設会社の現場所長。業務上過失致死罪。1年4ヶ月収監。
事故の内容は、わき見運転で死亡者1名、重傷者1名。
詳細はこうである。著者は語る。

「ある日、山内氏は会社のトラックで作業現場に行く途中、
わき見運転により道路で白線を引いていた作業現場に突っ込んでしまったのだ。
作業者のうち一名を死亡させてしまった。
さらに不幸なことに同じ作業現場で働いていた別の作業員にも
重傷を負わせてしまったのだ。
トラックはコールタールを溶かしていた大きな容器にも衝突した。
高温に熱せられていた容器は衝撃で倒れ、そばにいた作業者は高温の
コールタールを全身に浴びてしまい、大ヤケドを負ってしまったのだ。
死亡した人は、若くまだ年齢二十三歳だった。
大ヤケドをした作業員もまた二十一歳と、これから前途ある青年だったようだ」(P288)


ここから先は地獄である。自賠責、任意保険だけでは足りない。
マイホームを売却。会社からは解雇に近い退職処分。退職金もゼロ。
迷惑をかけてはならないと妻子と別れ、小さな建設会社に再就職。
少ない給料のなかから大ヤケドの被害者の治療費と生活費を払うといくらも残らない。
著者は、2年も音信のないこの友人のことを気にかけ、
おなじくムショ仲間の小宮という男と久しぶりに山内和彦を訪ねる。
著者は、山内和彦が首吊り自殺をしていたことを知る。
元妻の家にある仏壇に著者は線香を上げる。
ここから先の著者、川本浩司氏の述懐にわたしは強い違和感を覚えた。

「奥さまがいろいろ話したいことがあったらしいが、
われわれは話し合う気力もなく、山内氏の奥さまの実家を後にした。
道路交通法で刑務所に収監され、
そこで知り合った仲間が独りひっそりとこの世を去ったのだ。
さぞ、つらく苦しい日々だったのだろう。
私や小宮氏とは比べものにならない苦悩をたった独りで背負った苦悩や葛藤は、
計り知れないほど深かったに違いない。
自分の運命も呪っただろうし、悔しかっただろう。
あの世では幸せになってほしい。
私は心の中で山内氏の冥福を祈っていた。
しかし、事がどうであろうとも、親からさずかった尊い命。
それを自ら絶った彼の決断だけは許せず、強い憤りを感じていた。
「川本さん、泣いているんですか」
どうしたことか、いつの間にか熱い涙が私の頬を伝っていた。
「うん。自然と涙が出てな……。君だって、泣いているではないか」
小宮氏の頬にも幾筋もの熱いものが流れていた。
「涙が止まらないんですよ。被害者が苦なら加害者も苦だなあ」
小宮氏と私は、それからしばらく無言でいた。
山内氏には悪いが、彼の死によって「這い上がる強さ」と「這い上がれない弱さ」
を人間は両方もっているのだと教えられたように思った。
帰り道、小宮氏とは、こんなことがないように力強く生き、
生活しようと誓って別れた」(P293)


自殺したムショ仲間に金を貸してあげることもなかった有能営業マンの川本浩司氏は、
まるで自分が「這い上がる強さ」を持っていたかのような書き方をしている。
どうして自殺した不幸な山内和彦氏は死亡事故を起こしてしまったのだろう。
どうして酒気帯び運転で3回も捕まっている川本浩司氏は事故を起こさずに済んだのか。
なにゆえ山内和彦氏は自殺したのちも、
「這い上がれない弱さ」の持ち主と裁かれなければならないのか。
なにゆえ川本浩司氏は、暖かい家庭に恵まれ安定した会社員人生に戻れたのか。
さらには自著をこうして出版できるのか。

「だましの手口」(西田公昭/PHP新書)

→名著! ふつうの読者はだまされないために読むのだろうけれども、
わたしは反対でどうやって人をだませばいいのかテクニックを知るために読む。
たいへん有意義であった。
まともな職歴はないし、けれど楽をして儲けたいから、もう詐欺しかないっしょ!
と考えたわけではなく、フィクションというのはだましではありませんか?
ドラマや小説はいかに相手をうまくだますかだと思うのね。
言うなれば、ドラマ作法として本書を読んだわけである。

人間は、というか芝居はだましあいでしょう?
「ハムレット」なんか、だましだまされ、だましを見破りさらにだましの繰り返し。
「だましの手口」を知るというのはドラマ作家にとって重要なことだと思う。

それは商法なのか詐欺(だまし)なのかというのは境い目が見えないとのこと。
たとえば、旅行会社。
信じられないくらい格安で客をツアーに募るでしょう(ローボール作戦)。
深夜の飛行機でホテルに着いた客を集める。
客はみな疲労しているのに部屋に行かさない。
ガイドがさんざん海外の危険性、土産物屋の悪徳性を説明し不安をあおる。
こうして高額のオプショナルツアーに参加させる。
提携する土産物屋で相場よりも高い商品を買わせる。

たとえば、某創作スクール。
検索すると所長さんと有名脚本家がふたり並んだ写真がヒットする(ハロー効果)。
きっとこの所長さんも偉い人なのだろうと見た人は思うわけである。
資料を取り寄せるとスクールの会報を無料で送ってくる(返報性)。
よくしてもらったらのだからお礼をしなくてはと高い入学金を支払ってしまう。
スクールは講座がもうすぐ定員に達すると急かしてくるかもしれない。
一度、入学してしまうと自分の取った行動は正しいと信じたい(確証バイアス)。
だから、このスクールはすばらしいところなのだと納得しようとする。
自分に都合のよい事実しか信じなくなる。
結果としてだらだらと3年も4年も、このスクールにお金を払い続けることになるのだ。

著者はまったく指摘していないが、小声で言うけれどだまされるメリットもあるのね。
健康食品や薬品はよく効くと思っていたほうがいいのはわかりませんか?
スクールの講師だってすごい人だとだまされていたほうが、やりがいがある。
作品も受賞歴もないようなゴロツキが講師だと知ってしまったらがっかりでしょう?
習作を書く気にもならなくなるのではありませんか?
話を広げてしまえば、だまされていない人なんてどこにもいないのでは?
生きているということは、かならずなにかにだまされているでしょう?
資本主義にだまされている人が(金持は幸福!)カルト教団の信者を笑えるのかどうか。
しかし、より多くの人間が信じている(だまされている)主義の一員であったほうが、
生きるうえで摩擦が生じないのは確固とした事実だから、
多数派を批判していい気になっているようではなにもわかっていないということになる。
だまされる不幸のみならず、だまされる幸福も知っていなければならないのでしょう。

「人はいったん自分がとった行動――この場合であれば、
ある商品を買ったという行動――を自己正当化したい心理があるのです」(P57)


だから、最初のデートは30分くらい待たせるといいらしいね(笑)。
30分も待ったのだから、自分は相手を好きなのだろうと思ってしまうらしい。
わたしは人生初のデートで1時間待たされた記憶がある。くうう、やられたか!

「それからデート商法では、あるときまでは好意的な態度をとっていた相手が、
わざと突然に冷たくして、別離や失恋の不安を抱かせますし、
破壊的カルトのメンバー維持でもやはり、
愛すべき教祖や上司などのカリスマ的リーダーが突然に冷たくなって、
見離すような態度をとったり、
鬼のように厳しい理不尽な仕打ちを露骨に示したりします」(P84)


創価学会の池田大作名誉会長も宮本輝先生にむかしこれをやっているよね(笑)。
詳細を知りたいかたは「創価王道 無言の叱責」でググってくださいませ。

「ネット上で出会う人は信用できないと思う人もいます。
確かにそういう側面もあります。しかし、自分から役に立つ情報を提供すると、
だましでも使われる返報性がネット社会ではプラスに機能して、
信頼できる関係が形成されるといわれています」(P287)


うちのブログの情報は、みなさまに役立っていますかね?
レポート締切前の大学生なんかにゃ相当程度感謝されてもいいと思っているけれど。

「アキバ通り魔事件をどう読むか!?」(共著/洋泉社)

→そろそろ世に出なければと思う。
しかし、まったく最近の事情を把握していない。
今現在活躍している多数の論者の多様な意見を一気に読める本書は有益であった。
いつのまにか我輩よりも年下の論客(笑)がわんさか登場していたのね。
それに宮台真司と大塚英志が大学教授になっていることもこの本で知った。
おいらは言うなれば浦島太郎だから。
9年前まではこの手の情報に敏感だったけれど、
ある事件をきっかけにどうでもよくなった。

すべての論客先生のご発言を読んで思ったのは、なにをそんなに熱くなっているのか。
自分がコメントすることで社会がよくなるとでも思っているのだろうか。
だとしたら、自身があわれなピエロだと早く気がついたほうがよろしい。
いちばん共感したのは1才年上の赤木智弘氏の以下の文章。

「また、私は彼の犯罪を利用して、こうして原稿を書き、
幾ばくかの原稿料を得ている。
私もまた彼の犯行によって幸運を得た一人であることを否定はしない」(P24)


この箇所がよかった。強烈な同世代意識を赤木智弘氏に感じる。
我われの世代の感覚を見事に言い表していると感心した。
ここまで書いてしまえるほど、熱いものがなくなってしまったのがうちらの世代よ。
こんなムックで偉そうなことを言っている人間も、
しょせん売名、権力獲得、ひいては収入増加が目的じゃない。
熱く語っちゃって、バッカみたい m9(^Д^)プギャー

わたしの依拠する親鸞思想から秋葉原事件を語るならば――。
無名人のコメントなんて、みんな興味ないよね、ごめんなさいであります m(__)m
加藤くんがあれだけの大量殺人をできたのは前世からの凄まじい宿業のため。
被害者はほんとうに可哀想だけれども、これまた前世からの因縁ゆえ。
だれがなにを言っていても秋葉原通り魔事件は起こったであろうし、
だれがどんな発言をしたところで死んだものは生き返らない。
どれほど偉い先生がいかほどにすばらしい論説を発表しても、
今後起こるであろう凶悪犯罪を抑止することは断じてできまい。

まあ、ぶっちゃけ、みんな、こういうの、退屈しのぎだって、わかってるんでしょ~♪
書き手も読み手もさ~。みんな楽しんだんだから加藤くんに感謝しておこうね。敬礼!

「図解雑学 刑法」(船山泰範/ナツメ社)

→友人にミステリー小説だけは読めないというひとがいるけれども、
たいがいの人間はミステリーが嫌いではないでしょう。
少なくとも国語の教科書に載っている文学作品などに比べたらよほど楽しい。
なぜミステリー、推理小説がひとを魅するかといえば、
非日常的な犯罪が描かれているからである。
わたしも読書のきっかけはミステリーだった。
意外に思われるかもしれないけれども
西村京太郎や内田康夫などを好んで読んでいた時期もあった。
では、ミステリーで描かれるところの犯罪とはいかなるものなのか。

犯罪とはなにかは刑法によって定められている。
なぜなら犯罪を裁くための法律が刑法だからである。
さて、刑法に従うならば、どのようなものが犯罪として認定されるのか。
まず犯罪は人間の行為でなければならない。
カミナリに打たれて死んだとしても、それは犯罪ではない。
自然現象は犯罪にはふくまれないということだ。
刑法で問題にされるのは、故意にしろ過失にしろ人間の行為のみである。
さあ、人間の行為によって損害が生じたとする。
これがすべて犯罪になるかといえば、残念ながらそうではない。
その行為が刑法の定める犯罪類型にあてはまらななければ犯罪ではないのだ。
ストーカーはむかしは犯罪ではなかった。
情熱的な片想いにしか過ぎなかった。
しかし、いまでは犯罪である。
なぜなら新しい刑法が加わったから、ということだ。
ところが、これでもまだ人間の行為を犯罪と決定することはできない。
さらに違法性の有無が判定される。
行為のなされた具体的事情が考慮されるわけである。
船が難破して大海にただようふたりの人間がいたとする。
運よく流木が波間に見える。
しかしこの流木にはひとりしかつかまることができない。
こういう場合、他人を押しのけても犯罪にはならない。
道徳上の罪には問われるだろうが、刑法では犯罪ではない。
これで犯罪が定めうるかといえば、まだ不充分である。
責任能力の有無が見極められなければならない。
行為者の判断能力や年齢が問題とされる。
精神障害者や児童が行為者だった場合、
善悪の判断ができなかったと見なされ行為の責任は問われない。
すなわち、犯罪にはならない。

以上の長い経緯を経て犯罪が認定されるわけである。
長々と書いたが、ひと言でまとめるなら「人間の行為」ということに尽きる。
1.犯罪は「人間の行為」である。
2.その「人間の行為」が刑法で犯罪となっているか。
3.具体的事情、社会的見地を考慮に入れてもやはり犯罪に該当するか。
4.行為をなした人間に責任能力はあるか。
ちなみに、(知らなくてもいいことだが)法律用語では、
2=「構成要件該当性」、3=「違法性」、4=「有責性」と呼ばれる。
「人間の行為」が234というふるいにかけられると思えばよろしい。

ようやく犯罪とはいかなるものか判明した。
犯罪とは、刑法で定められたよくないとされる人間の行為である。
ここで最初に戻ってなにゆえミステリーは万民に受けるのか。
人間の行為が続けざまに描かれているからである。
わかりづらいのなら、ミステリーの対極にある純文学を想像してください。
純文学などと呼ばれる小説は、なかなか人間が動かないでしょう。
ああでもない、こうでもないと考えるばかりでいっこうに行為をなさない。
だから、つまらないと大多数の読者は思ってしまうわけだ。
ミステリー、純文学――、飛躍をして戯曲を考えてみる。
戯曲というのは、人間の行為を描いたものでしょう。
舞台上の役者が沈思黙考していたらいつまで経っても芝居は始まらない。
その意味で、戯曲は純文学よりもミステリーと共通性がある。
考えてみれば、シェイクスピアの悲劇なんざ、すべてがミステリーである。
ただしオハムレットやオセローの行為は刑法で定められた犯罪ではない。
神前で問責されるべき罪だという違いはある。

「図解雑学 刑法」を読んで、こんなことを考えたのは、
やはりわたしの関心が社会にではなく文芸にあるからだと思う。
2005/12/01(木) 17:30:53

「裁判の秘密」(山口宏・副島隆彦/洋泉社)

→これおもしろい! 
新たな分野の本に手を出すとこういう当たりがあるのか。
著者は現役弁護士。日本の裁判の裏側(実情)を赤裸々に語る。
著者は本書で何度も繰り返す。法学の教科書なんてうそっぱち。
あんなものは現場を知らない学者の妄言。信じるだけバカを見ると。
これは法学の裏の教科書ともいえる。建て前と本音が法学にもあるようだ。

主張の大筋をかんたんにまとめると、

日本の裁判はいんちき。八百長。

と、こうなる。民事(訴訟)も刑事もまともに機能していないらしい。
まず民事。判決がでるまでがとにかく長い。3、4年はざら。
で、判決が出たところで役に立たないという。
金を貸す。返さない。数年かけて裁判をする。勝訴する。
それでも金を取り返せないのが日本の裁判制度なんだとか。
強制執行逃れがいとも容易にできるためらしい。

刑事訴訟もどっかおかしいと。有罪率の異常な高さ。
これは法廷上の証言並みに検事側の供述調書が重視されるためらしい。
だから、いったん起訴されたらほとんど無罪になることはない。
出来レースではないかと著者は主張する。冤罪もかなりあるのではとも。
国を相手取った行政訴訟はやるだけ無駄だと失笑する。
裁判所はぜったいに行政が不利になる判決はくださない。
「官と官は争わない」。
つまりは三権分立など日本では成立していない。
判決をくだすのは裁判官。
裁判官というのは法律オタクのおかしなやつが多いと内情をすっぱぬく。

山本夏彦を愛読する著者の物言いは痛快。引用する。

「通常、民事裁判の被告になる人びとというのは、言ってはなんだか、
社会生活を常識の範囲で行なえない人たちだから裁判になるのである。
あまり声高には言いたくないけれども、
やはり言わなくてはならないことなので言うが、
人権人権というけれども、そんなきれいごとが通用しない人たちが
多くの場合は裁判の相手方になるのである」(P67)

「裁判で、何かが解決したり、損害を回復したり、自分の権利というものを
実現できると信じている人びとが世の中の大半であろう。
しかし、他方に運命というものがある。できないことはできない。
だからその運命を甘受させるのが、
相談を受けた弁護士の本当の仕事なのかもしれない」(P203)


法学教科書とセットで読んでおいてよかったと思う。
どちらかだけでは片手落ちになっていたでしょうから。
文庫にもなっている。宝島文庫。残念ながら絶版。
それにともない単行本のほうで復刊。現在購入可能。
まあ、わたしのようにブックオフ105円コーナーで見つけたら、
読んでみるのも一興かもしれません。
今回、法律関係の本を3冊読んだ。すべてブックオフ105円本。
ふむ。ブックオフはわたしの大学かもしれません。百円大学。

2005/12/01(木) 16:32:55

「法学入門30講 <新版>」(石川明・編/酒井書店)

→なるほどと思ったところをメモ風に書きます。
法学を学んだ方には常識以前のことかと。読み飛ばすか、憫笑してください。

「法は道徳の最小限」。法は道徳と常識を基礎に持つ。
ちがいは強制力(効力)の有無。法は強制力を持つのが特徴。
人命の尊重や窃盗の禁止。太古からのルール。これを自然法という。
この自然法から生まれたのが実定法。
言わずもがなの自然法をはっきりと明記したものである。
この実定法は成文法と不文法にわかれる。
成文法はナポレオン法典を起源に持つ。ヨーロッパ大陸に広がった。
不文法は成文法とは異なる、明文化されない法のこと。
不文法には慣習法、判例法がふくまれる。イギリス、アメリカが使用。

近代法の発生は、自由と平等をうたったフランス革命にある。
それまでは「朕が国家」の絶対王政。国民は封建制の下での身分社会。
だが近代市民革命により、市民社会と国家(夜警国家)に分離した。
「身分から契約へ」(個人の尊重)。
背景には「見えざる手」(資本主義)への信頼があった。
しかし資本家と労働者の別が貧富の差を増大させる結果に。
「契約から身分へ」(貧困問題)。
国家は国民の自由をある程度規制して、法によって社会的弱者を守る必要が。
以上が近代法の成立から現代法に移行するまでの流れ。

「日本は本来、法なき国家」。
明治時代まで「自由」「権利」に相当する日本語がなかった。
不平等条約改正に向けて、国家主導の(上からの)近代法整備(輸入)。
太平洋戦争無条件降伏による、マッカーサー法案の丸呑み(日本国憲法)。
日本国民はむかしもいまもあまり法を頼りにしないで生活している。

税込み価格3570円。大学の教科書。ブックオフ105円ゲット。
351ページ。よく読めたとじぶんでも思う(笑)。民法、商法はさっぱりわからず。

2005/12/01(木) 15:47:11

「法学入門」(遠藤浩・久保田きぬ子/有斐閣新書)

→法律に興味を持った。法律ってなんなのだろう。
むかし、大学に入りたてのころ、法学部の知人に質問したことがある。

「なんで人が人を裁けるの?」

答えはなかった。意外そうな顔をされたのを覚えている。
その疑問はいまも変わらずにある。
ようやく機が熟したのか、今回法律を勉強するにいたった。

新書サイズでコンパクト。それがこの本のいちばんの魅力。
また欠点ともなる。説明できる分量が少ない。
結果、よくわからなかった。だけど、それでいいのである。
最初からの予定通り。まずはなじみの少ない法学用語にふれるだけでいい。
あとは薄いのを一気に読むことで、全体図をとらえることができたら。
こちらはまったくの門外漢なのだから。
勝負のまえの腹ごしらえのようなものである。