わたしのストリンドベリが復活してしまうかもしれない。
白水社、書物復権のプロジェクトで5月20日「ストリンドベリ名作集」の復刊が決定した。
ここで商売上手のブロガーならアフィリエイトへリンクを張って、
絶対必読と叫び回ることだろう。
だが、「本の山」はもっと硬派なのである。
4725円は高すぎる。ストリンドベリはえらく読者を選ぶ作家だから、
この高値を払って冒険する価値があるかどうかわからないと助言するにとどめる。
でもまあ、世の中にはお金持がいるんでしょう?
考えたらお芝居なんて5000円以上がざらである。
そのことを考えたら新品「ストリンドベリ名作集」は高くないかもしれない。
以前、買いダブった「ストリンドベリ名作集」を
友人にプレゼントしたことがあって(いまでは)後悔している。
自分の好きなものを人も好きになるとは限らないのだから。
とくに女性蔑視主義者のストリンドベリは好き嫌いが大きくわかれる作家である。
購入に当たっては注意が必要である。
ちなみに、だれかがここで1冊買ってくれたらうちに150円入ります(笑)。
小声でやっぱりお薦めしておきます。
文学研究者、演劇従事者ならストリンドベリくらい読んでおかないと、なーんて♪



しかし、どうして原稿依頼が来ないのだろう。
疑うべくもなく、いま日本でいちばんストリンドベリに詳しいのはわたしである。
狂ったようにストリンドベリを愛している男がここにいるのになぜ無視するのか?
復刊にあたって「ストリンドベリの今日的意味」など、
拙稿を付け足してもよかったのではないか。
とはいえ、肩書はなんになるのだろう?
書評家? ライター? ブロガー? 
いいや、正々堂々、ストリンドベリ研究家でいいではないか!
ううう、もう高飛車になるのはやめよう。お願いします。
白水社さんでも、どこぞの雑誌社でも構いませんから、原稿を依頼してください。
商業誌に署名入り記事が掲載されたらもう一生額に入れて飾りますから。
原稿を編集者から大幅にリライトされても笑顔でぐっとこらえますから。
どうかどうか、わたくしめにどなたか原稿を依頼していただけませんか?

いかん、いかん。ストリンドベリ愛読者ならぬ弱腰を見せてしまった。
もう歳なのかもしれないな。
しかし、ストリンドベリの狂気は年を経るごとに増していったではないか。
そういえば村上春樹がどこかでストリンドベリに言及していたようである。
いいか、だれにもストリンドベリ利権は渡さないぞ。
ストリンドベリはわたしの作家である。
1849年 ストリンドベリ誕生。父は富豪商人(のち没落)。母は同家の女中。

1862年(13歳) 母の死。

1869年(20歳) シラー「群盗」を読み俳優をめざすも失敗。自殺未遂。劇作家志望に。
→以降、職を転々としながら、いくつかの戯曲を執筆。上演されることも。

1874年(25歳) 王立図書館員として就職。初めての安定した職業。以降8年勤務。

1875年(26歳) 人妻のシリとの禁じられた恋が芽生える。

1877年(28歳) 離婚したシリと念願の結婚。長女は誕生まもなく死亡。

1879年(30歳) 小説「赤い部屋」が評判となる。世に出る。翌年、次女誕生。
*女性解放をテーマにしたイプセンの「人形の家」出版される。

1882年(33歳) 童話劇「ペエアの旅」
≪分裂病発症:ヤスパース≫

1884年(35歳) 短編小説集「結婚生活」が瀆神罪の疑いで起訴される。
≪被害妄想が始まる≫

1886年(37歳) 自伝的告白小説「女中の子」。最初の自然主義的戯曲「なかま同士」

1887年(38歳) 妻との関係悪化。戯曲「父」。小説「島の農民」
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫≪嫉妬妄想が始まる≫

1888年(39歳) 妻の不貞を告発する小説「痴人の告白」をフランス語で発表。
→代表作「令嬢ジュリー」。自選最高傑作の「債鬼」。ニーチェと文通。

1889年(40歳) 北欧実験劇場を創設するが失敗。シリ夫人は女優および劇場監督。
→一幕劇「強者」「賤民」「熱風」。

1890年(41歳) 女性と愚民に滅ぼされる知的超人を描いた「大海のほとり」完成。

1891年(42歳) 妻のシリと離婚。14年にもわたる結婚生活に終止符を打つ。

1892年(43歳) 子の親権をシリに取られたのが悔しく劇作で鬱憤をはらす。
→一幕劇「貸と借」「母の愛」「火あそび」「きづな」「死の前に」「最初の警告」
→以降5年のあいだ沈黙する。

1893年(44歳) ジャーナリストのフリーダと結婚。翌年、娘が誕生。
→フリーダの前の愛人につけ狙われていると思い込み、逃げ回る。
→フリーダが夫に禁じられていた「痴人の告白」を読んでしまう。
≪追跡妄想が始まる≫

1895年(46歳) 2番目の妻フリーダと離別(正式離婚は97年という説もある)。

1896年(47歳) 世界を破壊せんとの熱狂から錬金術研究に没頭する。
→フリーダの持参金を食いつぶし、なお無収入。友人知人からのカンパで生活。
→神秘思想家スウェーデンボリの著作に触れ救われたと感じる。
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫

1897年(48歳) 分裂病体験を描いた自伝的小説「地獄」「伝説」完成。

1898年(49歳) 最初の表現主義的戯曲「ダマスカスへ第一部」「第二部」発表。

1899年(50歳) メロドラマ「罪また罪」。歴史劇を書き始める。

1900年(51歳) 最高傑作「死の舞踏」。童話劇「冠の花嫁」

1901年(52歳) 30歳年下の女優ハリエットと3度目の結婚。
→旺盛な創作活動。「ダマスカスへ第三部」「白鳥姫」「夢の劇」

1902年(53歳) 老いてなお性欲絶倫。ハリエットをはらます。娘、誕生。

1903年(54歳) 最後の自伝的小説「孤独」。史劇「ルッテル」

1904年(55歳) ハリエットと離婚。文壇暴露小説「黒旗」完成。

1906年(57歳) 「黒旗」の悪魔的世界から逃れんと信仰に到達する。
→自作「黒旗」を否定せんと、スウェーデンボリに捧げる随想集「青書」を書き始める。
*「近代劇の父」イプセン死亡。

1907年(58歳) 若い演出家のファルクと協力し「親和劇場」を創設(3年で閉鎖)。
→独自の演劇理論から室内劇を書く。「ペリカン」「稲妻」「焼け跡」「幽霊ソナタ」。

1908年(59歳) 40歳以上年下の女優に熱愛、求婚する。結局は断念。
→多数の演劇論を発表。まとめられたもののひとつが「戯曲論」

1910年(61歳) 世間への挑発癖は治らずストリンドベリ論争が起こる。

1912年(63歳) 自国最高の作家にノーベル賞が与えられぬことに青年社会党が反発。
→有志一同がストリンドベリ63歳の誕生日にこの作家を表彰し寄付金を贈呈する。
→4ヶ月後、ストリンドベリ、胃ガンで死去。
→死の直前の病床で、娘の胸に聖書を押しつけストリンドベリは静かに言ったという。
→「すべてはつぐなわれた」

(注)毛利三彌、山室静、両氏の作成した年譜を参考にしました。
「北欧演劇論」(毛利三彌/東海大学出版会)絶版

→副題は「ホルベア、イプセン、ストリンドベリ、そして現代」。
いちおう通読はしたが、関心のあるのはストリンドベリの箇所のみ。
毛利三彌はストリンドベリを日本に紹介してくれた恩人である。
(それも戦前のようなドイツ語訳からではなく、原典スウェーデン語から!)
大正時代にストリンドベリブームがあったものの戦後はまったく鳴かず飛ばずのこの作家を、
ほそぼそながら日本の読者に紹介してきた毛利三彌の功績は大きい。
だから、悪口めいたことは書きたくないのだが、本書はゆるいと言わざるをえない。
座談会形式のため、なにかのシンポジウムの採録かと思ったら、
すべて毛利三彌の自作自演なのである。
司会、E(英文学者)、F(仏文学者)、D(独文学者)から本人の毛利まで、
みなみな著者のかたちを変えたすがたである。
「~~さんはどう思いますか」「いえ、それはこうなんですよ(笑)」――。
終始、このような軽めの会話スタイルである。大学出版会の本とは思えない。
ひとり何役もこなしつつ、(笑)とか書いて恥ずかしくならないのだろうか(ごめんなさい)。
要するに、著者はまじめな形式の文章を書くのが億劫なのであろう。
対話形式にしたら楽ちんだとズルをしたわけである。

おとしめておいて今度は持ち上げるが、むしろこれでいいのだと思う。
口語体のため読みやすい。
内容は論述というよりも、ほとんど北欧劇作家のゴシップに近い。
ならば、堅苦しい評論めいたものにするより、こちらのほうがよほどすっきりしている。
最近思うのだが、日本人の外国文学研究というのは意味がないのではないか。
とくに西欧文学研究などそうである。
東の果ての島国の研究者が西欧文学を論じても、本場では相手にされないわけでしょう。
おなじ日本人相手に西欧の威光で偉ぶるくらいが関の山。
もとより、学者などいらないと主張しているわけではない。
学者先生は外国文学のおもしろさを紹介すればいい。翻訳すればいい。
知の享楽を独占せず一般社会に還元することこそ学者の役割ではないだろうか。
本国研究者も日本の一般読者も読まない、
――つまりだれも読まないような外国文学研究のどこに意義があるのだろう。
こう考えると毛利三彌は学者の鑑である。理想の学者といえよう。
我われふつうの日本人はスウェーデン語を読めない。
だが、我われになりかわって毛利三彌が読んでくれるのである。
そこで知りえた知識を書物で一般読者に知らしめる。
まこと有意義な知的業績ではないだろうか。
毛利三彌には渡辺守章のようなゆがんだ虚栄心がない。
いちばんおもしろいのは文学者にまつわるゴシップ、裏話のたぐいだとよくわかっている。
人間として正直である。

さて、いまから毛利先生より教わったことを再紹介しよう。

・ノルウェー語、デンマーク語、スウェーデン語はよく似ている。
方言の相違程度である。
ノルウェー語とデンマーク語が書くとほとんどおなじ。話すとぜんぜん違うけれども。
ノルウェー語とスウェーデン語は話すとおなじようなもの。だが、書くと異なる(P8)。

・イプセンやストリンドベリが当時の代表作家のようになっているが、
それは後世からながめた演劇史としての評価である。
両作家の存命時の演劇界の主流は相も変わらぬ娯楽劇。ウェル・メイド・プレイ(P96)。

・イプセンは観客をぜんぜん信用していなかった。
結局のところメロドラマを好む観客にほとんど嫌気がさしていた。
けれども、劇作家は観客のために書かねばならぬ。
イプセンはこの矛盾に苦しんだ(P123)。

・ストリンドベリの短編小説集「結婚生活」は神を冒瀆しているとして起訴された。
まえにも該当箇所を引用したことはあったが、あれは翻訳がひどかった。
毛利三彌の訳で再び――。

「千八百年以上も前に処刑された大衆煽動者ナザレのイエスの血と肉だと言って、
牧師どもが差し出す一壜(びん)六十五エーレの酒に
ポンド一クローネの玉蜀黍(とうもろこし)パンで行なう恥知らずなペテン行為……」(P167)


・ストリンドベリは一幕物の芝居なら2日で書けると手紙で豪語している。
演出家に送った手紙のなかでである。「イプセンはもうあてにならない」とも。

・毛利三彌は指摘する。
ストリンドベリの心をもっとも強く捕えていたのは最初の妻シリではないか。
考えてみれば、のちの結婚はどちらも数年で終わっているが、
シリとの結婚生活は15年近くもつづいている(P179)。

・ストリンドベリは地獄期(分裂病増悪期)、神秘家のスウェーデンボリに救いを見いだす。
作家の読んだのはドイツ語に訳された「天界と地獄」と想定される。
邦訳もあってタイトルは「天界とその驚異及び地獄」。
(この神秘家の著作で入手しやすいのは「霊界日記」角川文庫。読もうかしらん)
ストリンドベリの悟った内容を毛利三彌は簡潔にまとめている。

「ストリンドベリはこの本(「天界と地獄」)によって、
他人への恐れが自分の心に由来すること、
すべては自分のなした悪の報いであり、この地上ですでに地獄に堕ちていること、
しかもこの苦しみはそれまで悪の力だと思っていた<知られざる力>によって
天界へ導かれる道程であることなどを悟ったと言います」(P181)


・ストリンドベリ3度目の結婚、お相手は女優。このとき劇作家52歳、女優22歳――。
ストリンドベリは家庭的で夫を敬う妻をのぞんでいるように見えて、
実際に妻とするのは決まって自立心の強い知的な女性である(P187)。

・ストリンドベリ晩年の小説「黒旗」は、特定できるモデルが文壇に幾人かおり、
ほとんど個人攻撃になっていたという。このためたいへん世間を騒がせた。
ストリンドベリ自身も激しい反撃の矢面に立たされた(P188)。

・ストリンドベリは晩年、自身を熱烈に信仰する演出家ファルク(24歳!)と交際を持つ。
この結果としてできあがったのがストリンドベリ劇場=「親和劇場」である。
ストリンドベリはこの劇場で監督の役についた。
けれども、極度の人間嫌いで、人前で話すことができない。
舞台稽古に参加するのは2、3回だけ。あとは手紙で劇団員に指示を出した(P191)。

・演出家ファルクともわずか3年で喧嘩別れする。
原因はファルクが「親和劇場」でメーテルリンクの「闖入者」を上演しようとしたから。
これにストリンドベリは激怒。
「私の戯曲のみ上演して他のどの作家も許さないということ!」
ストリンドベリはメーテルリンクを尊敬していたが、
それでも自分の劇場で自作以外の上演されるのが我慢できなかった。

ストリンドベリ(笑)――。
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」(カール・ヤスパース/村上仁訳/みすず書房)絶版

→著者は精神科医にして哲学者。
ヤスパースは本書において、ストリンドベリとゴッホを精神分裂病(統合失調症)と診断し、
ふたりの創造者のうちにひそむ病気の本質に迫ろうとする。
わたしはゴッホには詳しくないので、
ストリンドベリについて書かれた記述を注意して読んだ。
ストリンドベリは生涯にわたって自伝的(告白)小説を多数書いている。
順に「女中の子」「或る魂の発展」「痴人の告白」「地獄」「伝説」「不和」「孤独」――。
ヤスパースはこれらの自伝小説から、
通常なら得られぬ価値のある病誌(病状の記録)を採取できると指摘する。
ストリンドベリの主観的な記録のみならず、著者は作家の友人・知人の証言まで参照する。
実に丁寧な仕事ぶりに感心した。
またヤスパースの筆致は平明で、医学的知識の乏しい一般人にもわかりやすい。
卓越した書物であるといえよう。

キチガイという言葉がある。精神病という疾病が存在する。
では、そもそも気が狂うとはどういうことだろうか。
なにゆえ精神病患者と天才が混同されるような事態が起こりうるのか。
人と違ったことをする。これがスタート地点である。
ある人がみんなのしないような行動を取る。
この行為を見て大多数のものが「あの人は狂っている」と言う。精神病の始まりである。
換言すると、多数の人間が理解できない行動を起こすものが狂人とされる。
そうだとするならば、狂うというのは相対的な判断に過ぎなくなる。
絶対的な狂気が存在しえぬということだ。
ある異常な行動が時代や国をかえれば正常なものとみなされることもありうるのだから。

とはいえ、それでもなお狂人はいなくならない。
人と違ったことをする。だれにも理解されぬことを言う。
いいではないか、天才的ではないか、と狂気を是とするものは、
おそらく真の狂人を知らないのだろう。
たしかにふつうの人がしないような行動や発言は、天才を証明するもののひとつである。
だが、これを忘れてはならない。奇行は迷惑なのである。
通常なら人が言わないようなことを言いふらしてまわる男は迷惑極まりない。
危険でもある。
だから、かれは周囲から狂人と恐れられ、ときには監禁されても仕方がない存在となる。
医師による治療が必要と判断されるのはこのためである。
もっともストリンドベリの存命時は、薬物療法が発明されておらず、
医師はもっぱら狂人の診断をする審判者としての役割に甘んじていたのだろうが。
当時、狂人の治療は、転地、安静、監禁くらいしかなかったようである。

いよいよストリンドベリの狂気に踏み込もう。
なぜ天才ストリンドベリが精神病患者とみなされなくてはならないのか。
この男の取った異常な行動が、
分裂病患者の極めて類型的なパターンに当てはまるからである。
ヤスパースはストリンドベリの分裂病過程の開始を1882年に見る。
33歳のストリンドベリが体験した(と自伝小説に記す)神経発作からの判断である。
作家が「赤い部屋」で世に出た、わずか3年のちのことである。
ストリンドベリの人生における、最初の分裂病増悪期は1887年(38歳)。
妻シリへの嫉妬妄想が爆発する。
これは翌年に書かれた「痴人の告白」からの診断である。
わたしもこの小説を読んだとき、作者の分裂病的嫉妬妄想を疑ったものである。
精神科医ヤスパースは、小説の内容を事実無根の典型的な妄想だと断定する。

「(ストリンドベリにとって)妻のすることはすべて嫌疑の種となり、
そのすべての行動は意味をもつ。
彼が病気から恢復(かいふく)しても、妻が冷淡なように感じられ、
彼女が親切にすれば、それは欺瞞的な阿諛(あゆ)と判断される」(P33)


ストリンドベリは妻の不貞を疑い、手紙の無断開封から探偵のまねごとまで行なう。
ストリンドベリ、天才の証左である。妻が淫乱な浮気女だとストリンドベリは思う。
だが、このことを知るのはストリンドベリただひとりである。
周囲のものは、だれも女優の妻のことをそんなふうには思っていない。
ふたつにひとつである。ストリンドベリは述懐する。

「確かな証拠を握るか、死ぬか、どちらかだ!
犯罪が行なわれたか、私の気が狂ってるか、どちらかだ!
真実を知らねばならぬ。(……) 必要なのは詳しく知ることだ!
そのために私は徹底的に科学的に調べよう。
最近の心理学のあらゆる手段、暗示、読心術、精神的拷問なども用いよう。
侵入、窃盗、手紙の開封、署名の偽造などの昔からの方法も用いよう。
私はすべてを試みるつもりだ」(P36)


ほとんど泣きながら夫に「真実を白状せよ」と迫られた、
ストリンドベリ夫人の心中を思うとやりきれない。
ふたつにひとつ。ストリンドベリは狂っているのか、狂っていないのか。
ストリンドベリは生涯で多くの医者の診断を仰いでいる。
ある医師は精神病だといい、また別の医術者はまったくの正常だと判断した。
ヤスパースの診断はクロである。わたしもヤスパースに同意する。
いちばん重要なのはストリンドベリ自身がどう判定をくだすかである。
ストリンドベリは「自分は狂っていない」という結論に達した。
この病識(病気の自覚)のなさこそ、精神分裂病患者の特徴だとヤスパースは指摘する。
我輩は断じて間違ってはおらぬ! 誤まれしは汝らなり!
ストリンドベリは「狂気か正常か」のふたつにひとつに悶え苦しみながら、
常に最終的には後者の「正常」を信じるにいたる。
結局、ストリンドベリは女優の妻を離縁する。

嫉妬妄想が生じたのとおなじころ追跡妄想、被害妄想も発症する。
ストリンドベリは自分がなにものかに狙われている、マークされていると感じる。
殺されかねないとのおびえまで生じる。
この不安状態の段階で踏みとどまったら、かろうじて正常でいられるのである。
だが、ストリンドベリは行動に移す。
追っ手からの逃亡を企てる。暗殺者への反撃を計画する。やられるまえにやれである。
追跡妄想、被害妄想はやむことなく続いたが、
ヤスパースの診断によると、もっとも増悪したのは1896年とのことである。
これは自伝小説「地獄」からの推測である。

追跡妄想、被害妄想の具体例を見てみよう。1892年のことである。
ベルリンにストリンドベリを支持するものがいた。
ローラ・マルホルムとその夫オラ・ハンソンである。
ふたりは窮乏するストリンドベリのために金をこしらえてやった。
友人としてドイツにストリンドベリを紹介したのである。
ところが、ストリンドベリは恩人ともいうべきローラ・マルホルムを危険視する。
この女は恐るべき犯罪者だと確信するようになる。
マルホルムは全女性と同盟してストリンドベリを精神病院に監禁しようとしている!
ストリンドベリは夫婦のもとを逃げ出す。
そのうえで恩人マルホルム夫人の悪意あるデマを社交界に流すのである。
ストリンドベリ本人は正当防衛のつもりなのだから、分裂病患者は恐ろしい。
こうして知人はふた手に別れざるを得ない。
ストリンドベリの狂言を信じるものと、とてもついていけないものと――。

「彼(ストリンドベリ)の追跡妄想の発作は次第に頻繁になった。
彼は極端に精神病院を恐れていた。彼は根拠のない疑念を訴え、
『敵』がそれを問題にしないで冷静にしていると、失望し、激しい憎悪を抱いた。
そのため一度睨まれた人は一生迷惑した」(P53)


マルホルム事件のとき、ストリンドベリの味方となった友人がいる。
パウルである(かれはストリンドベリの思い出を書いている)。
ストリンドベリがつぎの標的に選んだのが、友人パウルなのである。
1893年、ストリンドベリは2度目の結婚をしていた。
ところが、結婚生活は破綻寸前。
ストリンドベリは妻から征服される危険を感じ家庭から逃亡する。
友人パウルのもとに身を寄せる。
ストリンドベリにはパウルもまた「敵」に見えてしまうのである。
のちに自伝的小説「不和」でかつての友人を作家は裁く。

「イルマリーネン(パウルのこと)は以前と違い、冷たく当惑した様子だった。
(ストリンドベリは)この男が何か企んでいるように感じた。
……かれ(ストリンドベリ)はこの詰らぬ、
教養のないイルマリーネンを引き立て、彼の仲間に入れてやった
……ところが今では、彼の傍に居ても何も利益がないと判ったので、
この助手は彼から逃げ出そうとするのだ」(P61)


ひどい中傷である。パウルにとっては、ストリンドベリのほうこそおかしかった。
パウルはこのときのストリンドベリをこう述懐する。

「彼(ストリンドベリ)はいつも機嫌が悪く、他人にも不愉快な感じを与えた。
彼は自分の不機嫌や人生厭悪を他人に伝染させるのに妙を得ていた。
自分に面白くないことは、他人も面白がってはいけないのだった」(P62)


ストリンドベリとパウル、果たして正しいのはどちらだろうか。
ヤスパースはもちろん、後者を正常とみなす。
ストリンドベリは自分に好意を寄せるものをことごとく「敵」と判断するのである。

「ストリンドベルク(ストリンドベリ)はこのように直ちに計略、照会、
手紙などによって、防禦手段を講ずる。彼は自分の力に自信を持っている。
『私は他人にやっつけられはしない、反対に敵をやっつけてやる』。
最後に彼は何の理由もなく、パウルとも絶交する。
そして彼に書く(一八四九年七月三十一日)、
『君はこれから決して無事では居られまいよ』」(P65)


こんな脅迫の手紙をもらったらしばらく震えがとまらないと思う。
だが、ストリンドベリとは、このような男なのである。
友人や恩人を「敵」と憎悪し、さらに「復讐」されるのを恐れる。
がために「やられるまえにやれ」。相手を容赦なく攻撃する。
ストリンドベリにとって真実はひとつなのである。
おのれは間違っていない。不正をなしているのは周囲のものである。
晩年のストリンドベリは夜ごと悪人の死を願いながら祈祷したという。

なんという精神病の恐ろしさではないだろうか。
何ヶ国語にも通暁している知識人ストリンドベリがついに知りえなかったこと。
それがおのが狂気である。
みずからが狂っていることを最後まで秀才ストリンドベリは自覚できなかった。
だが、ストリンドベリの天才は分裂病の世界を見事な作品に仕立て上げた!
「死の舞踏」や「黒旗」が、重度分裂病患者の作品とは信じられない。
いや、重い精神病患者にしか書きえぬ名作だと思う。
このあたりはヤスパースとわたしの意見が相違する。
ヤスパースは本書で、ストリンドベリ後期作品を駄作と論ずるパウルの文章を引く。
そもそもヤスパースはストリンドベリ作品にまったく興味を持っていないという(P223)。
精神医学的に関心を抱いたに過ぎぬらしい。
また、だからこそ、本書のような冷静沈着な分析が可能だったのであろう。
わたしはどうしようもなくストリンドベリの愛読者である。
ふつう分裂病を罹患したものは、なだらかに人格荒廃にいたるという。
ストリンドベリの人格は晩年の作品を見るかぎり、まったく荒廃していない。
かえって分裂病体験を養分にしているとさえ思う。
ストリンドベリの人生は、精神病との闘いであった。
おそらくヤスパースはこの闘争の軍配を精神病に上げるのだろう。
けれども、わたしはわかったものではないと思っている。
もしかしたらストリンドベリは難敵の精神病に……勝ったとは言わない。
それでも一矢報いてはいないだろうか。

「ハンソンも一九〇七年頃ストリンドベルクを訪問したことがある。
同じように彼は郵便箱の蓋を開けて外を見た。
十五年会わない間に容貌が変っていた。
我々は赤い鼻と、小さい涙ぐんだ眼を持ち、無限の不安の表情を表わした顔を見た」(P97)


ストリンドベリは旧友ハンソンに、先ごろ精神医学者の罠から逃れた自慢をしたという。
気狂いかどうか診察しに来たのを、機転を利かしやり過ごした。
興奮しないで親友のように遇してやった。
生涯幾度も自殺の衝動にかられたストリンドベリの死因は胃ガンである。享年63歳。

最後に私事を記しておきたい。
わたしは自分がどうしてこうまでストリンドベリにひかれるのかわからなかった。
著書はほとんど絶版入手不可で、なおかつ古書価格も高騰している。
なにゆえストーカーのごとくこの男を追い詰めなければならなかったのか。
名著「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んでようやく理由がわかる。
ストリンドベリの精神構造が死んだ母とそっくりなのである。
わたしの眼前で飛び降り自殺をした母は、膨大な量の日記を遺していた。
読むとどのページも周囲のものへの悪罵がつづられている。
自死を遂げる直前の記録がつらかった。
息子であるわたしの悪口が細かい字で大量に書かれているのである。
日記だけではない。死ぬまえの母はほんとうにひどいものだった。
「おまえは私の敵だ」「おまえにはサタンが乗り移っている」「私はおまえに殺される」――。
母からかけられた言葉である。挙句、目の前で飛び降りられるのである。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかまるでわからなかった。
だいぶ苦しんだ。
あれから8年が過ぎ、今日ひと段落が着いたように思う。
すべて精神病がいけなかったのである。典型的な追跡妄想、被害妄想ではないか。
むろん、むかしからそんなことはわかっていた。だが、納得できなかったのだ。
この記事で引用した部分(黒強調文字)は、
みなみな母の行動と驚くべき相似を見せている。
そうだったのかと思う。母もこんなふうに考えていたのか。
ヤスパースはストリンドベリを精神分裂病と断定する。ならば母も――。
それにしても精神病とは、なんと恐ろしいものだろうか。
悪魔のように不可解で理不尽である。
いきなりなんの理由もなく、自分の味方を攻撃するのである。味方を敵とみなし憎悪する。
ひとり残らず味方を敵と見まがえ排撃した母は、最後に息子のまえで息絶えた。
精神病から生みだされる地獄絵図である。
この地獄を活写(=生き生きと描写)したのが狂人ストリンドベリである。
そして、ストリンドベリの狂的世界がわたしにはとても懐かしい。
狂ったっていいじゃないかと思う。いいじゃないかと思いたい。
「ストリンドベルィ」(アトス・ヴィルターネン/宇津井恵正訳/理想社)絶版

→ドイツ人によるストリンドベリの評伝。著者がどんな人物なのかは不明。
おそらく学者だろう。ほとばしる才気といったものは感じないが、
それがかえって本書においては幸いしている。
著者はストリンドベリの自伝や関係者の証言に誠実に依拠し、
可能なかぎり正確なスウェーデン文豪の全体像を描こうと努めている。
邦訳されたストリンドベリの研究書は極めて少ないため本書は貴重な資料である。
この記事では本書の流儀にならい事実の紹介を中心にしたい。
日本に10人いるかわからないストリンドベリ・マニアのための仕事である。
(ちなみに宇津井恵正の翻訳は手抜きというほかなく、
ストリンドベリへの愛情がまったく感じられない)

ストリンドベリは青年期を回想して、
かれの人生を決定づけたふたつの根本法則を認める。
ひとつは「疑い」である。かれはあらゆる思想を批判した。
そのうえで独自の思想を発展させた。あるいは複数の思想を組み合わせた。
もうひとつの根本原則は、「圧制に対する敏感さ」である。
圧制とは既存の権威のことだと思う(ちゃんと訳せよ宇津井恵正!)。
権威を否定するためにストリンドベリのとった手段はふたつ。
自分自身の水準を高める。権威の高級ならざることを証明する(P18)。

ストリンドベリの表現活動は劇作からスタートした。
演劇界への最初のアプローチは、20歳のときドラマ劇場の俳優に応募したこと。
シラー「群盗」を読み熱狂し、主人公カールの役を熱望したのである(P20)。
*ストリンドベリは生涯「群盗」のカールを演じていたともいいうる。

作家35歳のおりフランスで出版した短編小説集「結婚」が瀆神罪を犯すとして起訴される。
該当箇所は以下であるらしい。めったにないほどのひどい翻訳だが引用する。
(日本語障害者・宇津井はストリンドベリのドイツ語訳を日本語に訳している)

「そして春には彼は堅信礼を受けた。支配階級が労働階級に、
後者が前者のすることにかかわりあうことがないようにと、
キリストの屍と言葉にかけて宣誓させるこの戦慄すべき出来事は
長く彼の心にのこった。
千八百年前に処刑された人民の煽動者であるナザレのイエスの血だ肉だといって、
牧師の手で手渡される一かん六十五エーレの安ぶどう酒や、
一ポンド一クローネのレットストレームのとうもろこしの聖餅をつかって
まるめられる嘘八百はまったく彼の意識には上らなかった。
なぜならその頃は、世の人の常として深く考えないで、
むしろ≪雰囲気≫に身をあずけたからだ」(P89)


この文章を教会から告発されたことがきっかけで、ストリンドベリは被害妄想を発症する。
作家の被害妄想的態度は死ぬまで継続する。
そう考えると、この一節が全生涯の災厄のたねになったともいえるのかもしれない。

世界最大の女性嫌悪小説「痴人の告白」で、
ストリンドベリは最初の妻の不貞を告発・弾劾している。ふたりは離婚するにいたる。
後年、この夫婦の長女が語っている。

「あたしの母はその夫と喜びや悲しみをともにした時代を
何年も後になって回想しますごとに、だまってひとり泣いていました」(P98)


芸術にはつねに犠牲が供せられなければならないのだろうか。
「青書」に、晩年のストリンドベリがこの元妻と再会したくだりが書かれている(P219)。
芸術家は元夫人へのひどい仕打ちをまったく反省していなかった。

ストリンドベリが3度目の結婚をしたときのプロポーズの言葉が残っている。
3番目の妻ハリエット・ボッセはこう回想する。

「彼(ストリンドベリ)は、生活にはいかに苛酷かつ非情な目にあわせられているか、
いかに彼が光輝、つまり彼と人類や女性自体とを和解させてくれるような
女に憧れているかを語りました。それから彼は手を私の両肩にのせ、
私を深々とあたたかく見つめて質問しました。
≪あなたは私と赤ん坊を共有したくありませんか。ボッセ嬢。≫
私は膝をまげて会釈し、完全に催眠術にかかって答えました。
≪そう致したいのです。≫こうして私たちは婚約したのです」(P60)


いつか真似をしてみたいと思う。なあ、おれと赤ちゃんつくらんか?

いくつかの作品にまつわる話――。
大傑作「死の舞踏」は、姉妹のひとりの結婚生活をモデルにしたとのこと。
校長をしていた旦那は激怒してストリンドベリへ絶交を告げる。
といっても、後年、交際は復活したらしい(P158)。
この義兄弟が死んだのちにストリンドベリはつぐないとして作品を創作した。
晩年の大作「黒旗」もまた同様にストリンドベリの人間関係を破綻せしめる。
急進派からも保守派からも認められず、
一部の崇拝者をのぞいてまわりは敵だらけになったという(P148、P165)。
「黒旗」に描かれた悪魔思想と絶縁するために書かれたのが「青書」である。
「青書」は神秘主義思想家のスヴェーデンボリに捧げられている。
ストリンドベリにこの思想家をすすめたのは2番目の妻の母である。
烈しい精神病の渦中にいたストリンドベリはスヴェーデンボリに救済を見いだす。
かれは自伝小説「地獄」にこう記している。

「この瞬間から僕はスウェーデンボルィに鼓舞されて、
自分はヨブだ、実直で非のうちどころのない男だ、
誠実な男が不当に加えられた苦しみを耐え得るのを悪人ばらに見せつけるために
神によって痛めつけられているのだと思いこんだ」(P53)


壮大な被害妄想が創作のみなもとなのかもしれない。
余談だが、あれほどの地位と収入を獲得した稀有な果報者、
日本のカトリック作家・遠藤周作もまた、
最晩年の病床日記でみずからをヨブにたとえている。
ストリンドベリのこの記述を考えるうえで興味深い。

作家はどのように作品を創造するか。いちばん知りたいのはこれである。
ストリンドベリ研究はわたしの仕事ではない。
ストリンドベリはどのようにして名作の数々を執筆したのか。最大関心事である。
作家はみずからの生活を「地獄」に書きとめている。
作家は眠る。朝を待つのだ――。

「しらふですごした晩とたっぷり眠った夜があけて、
朝になりベットから起きると、生きること自体が楽しくなる。
なんだか死者たちのなかからよみがえる気がする。
全精神力が新たにかたちづくられ、
眠ってかちえた力は何層倍にもなったように思われる。
すると何だか、血気にまかせて世界の秩序を変革し、諸国民の運命を制し、
戦争を宣言し、王朝を廃することができるようなつもりになる」(P150)


激烈な躁病傾向と誇大妄想、恐れを知らぬ全能感を作家が有していたことがわかる。
ストリンドベリは早朝の散歩を日課としていた(P42)。
この散歩のあいだに脳内に沸き立つ思考を整理するのだという。
さあ、仕事の時間である。

「それから帰宅して書きもの机を前にすると、私は生気がでてくる。
私が戸外であつめた力は、不調和という切替え開閉器によるのであれ、
調和という整流器によるのであれ、今や私のいろいろな目的に役だつ。
私は生気をたぎらす。私が描くすべての人々の生活を私は多様に生きる。
陽気な物とともに陽気になり、悪人とともに悪くなり、善人とともに善良になる。
私自身という人物からぬけだし、子供の口調、婦人の口調、老人の口調でかたる。
私は王になり乞食になり、高官になり暴君になり、
また最も軽蔑されるものになり、しいたげられた暴君の敵になる。
私はあらゆる見解をもち、あらゆる宗教を奉ずる。
あらゆる時勢に生き、みずからは存在することをやめてしまう。
これはいうにいわれない幸福をあたえる状態だ」(P150)


創作のえもいわれぬ快楽をこうも赤裸々に告白する文章はめずらしい。
ストリンドベリは不幸の人である。
かの偉人の生涯は不幸の連続だった。安息するいとまもなかった。
ストリンドベリは周囲の人間を不幸にし、そのことで自身も不幸になった。
他者と自己をやむことなく苛(さいな)みつづけた。
だが、ストリンドベリは幸福であった。
ものを書いているあいだだけはストリンドベリは幸福の絶頂にいられた。
この(創作の)幸福のために(実生活の)不幸が必要とされたのではないか。
「貸と借」はストリンドベリの手による一幕劇の表題である。
人生の採算および貸借関係を作家はよく問題にした。
みずからをヨブにまで擬したストリンドベリの膨大な不幸は、
人生を合算するとあんがい幸福と帳尻が合っているのかもしれない。
芸術創作という過程においてのみ不幸は幸福に変質しうる。
我われがストリンドベリの壮絶な人生から学びうる真理のひとつである。
「青書」(ストリンドベーリ/宮原晃一郎訳/日月書院)絶版

→ストリンドベリ最晩年の随想集、箴言集。
日本の読者には山本周五郎が愛読した「青巻」としてもっぱら知られている。
書誌的な情報を記しておくと「青書」と「青巻」は同一書物の日本語訳。
「青書」の翻訳のほうがより新しい(とはいえ昭和18年だが)。
どちらも英語からの重訳で、なおかつ原書の全訳ではない。
だが「青書」のほうが「青巻」よりも収録している内容が多い。
大衆作家・山本周五郎青年期の愛読書ということで
探し求めているかたがネットで散見されたが、
山本周五郎への興味から読むのならあまり得るものはないように思う。

訳者の宮原晃一郎は本書を「一大奇書」と評しているが言い得て妙である。
発表当初から「狂人の戯言(たわごと)」ではないかと冷笑するものも少なくなかった。
ストリンドベリは極端な性格の持ち主であった。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」とはシラー「群盗」のなかのせりふだが、
青年ストリンドベリはこの劇作に感銘を受けて演劇界に入る決意を固めている。
ストリンドベリの生涯を概観すると、
この作家は青年期から一貫して二者択一の両極端な人生態度を好む。
ストリンドベリの愛したゲーテやシラーはたしかに劇を書いた。
だが、ドイツ文豪にとって劇はあくまでも書くものに過ぎなかった。
ところがストリンドベリにいたって、
劇は書くのみならず、そのただなかを生きるものになった。
「全か無か」は劇中人物が悩まされる究極的な問いのひとつだが、
ストリンドベリは実人生でこの二者択一を闘い抜いたといえよう。

凡人には測りがたき天才によると、
どうやら万物において両極端は最短距離で通じているようである。
生の歓喜の瞬間に人間は空虚から死を思う。
そして、死に直面した絶望の淵に人間は生の芽吹きを見て取る。
究極の愛とは、烈しい憎悪にほかならぬ。
狂人とは最高の賢人、すなわち天才のことである。
狂熱地獄に焼かれながら老ストリンドベリは
正常人には断じて見えぬまったき真実に直面する。
この真実が「青書」の内容である。
猜疑心の異常なほど強いストリンドベリは
世界全体をあらゆる学問的見地から疑ったのである。
行き着いた結論はなんだっかた。全無であった。なにもかも無であった。
このときストリンドベリは有頂天になったに相違ない。
なぜなら熱愛は憎悪だからである。天才は狂人だからである。苦悶こそ愉悦だからである。
世界において生は死で、死は生であるからである。
これらの事実はストリンドベリ自身が実人生の狂熱でまざまざと経験したことである。
ならば諸君! 
全無が証明されたとき、とうとう全有が明らかになったと考えられはしないか!
神はどこにもいなかった! ならば、全能の神があらゆるところに遍在している!
天にまします我らの父よ、あなたの膨張した男根は、甘露のごとき白濁天水を撒き散らす! 

きみは論理が通じぬと言うか?
あわれな凡愚よ! ストリンドベリは幸福の絶頂から哄笑する!
繰り返すが、両極端は通じているのである。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」と「群盗」の青年カアルは神に訴えた。
蒙昧なる人間の嘆きである。
老ストリンドベリは苦闘のすえ人間を超えたのである。
青年よ、完全な自由とは死にほかならぬではないか!
自由か死かではない。自由は死なのである。全か無かではない。全は無なのである。
人生は二者択一ではなかった! 
この美しい統合がきみには見えぬというのか? 人生の完全美が!?
愚かなきみはストリンドベリを狂人とあざわらうか?
なぜ超えぬ? 人間を超越せよ! 
統合は失調などしておらぬ! ああ、完全無比なる統合の美しさよ!

人生に偶然などないのである。すべては必然であった。
笑いがとまらぬ。ならば、すべて偶然ということになるのだから。
人間に自由などあるもんか。すべては決められている。死だ。死は自由だ。きみは自由だ。
だから自由人は森羅万象に感動するのである。

「偶然だ! 実に恐ろしい偶然だ! これには私もやられた!」(P350)

「青書」は読者をしてかように狂わしめる危険性がある。
読書ちゅう二度ほど目まいがして、重度の不眠症のわたしがその場で眠り込んでしまった。
そのときに見た悪夢は吐き気をもよおすほどひどいものであった。
「青書」には読解不能の部分が多数ある。
おそらくこの箇所が読者をおかしくさせるのだと思われる。

いまから我われ凡人でも理解できるところを、いくつか引用する。
一般的には、ストリンドベリは「青書」で無神論者から神秘主義者に転じたとされている。
常識人のつまらぬ評言だが、念のためみなさまにお伝えしておく。

「青書」は先生と弟子の問答形式で進行する。
まず人間世界はいかなるものか。先生は語った――。

「此世は生きて行くのに難しいものだ。そして人の運命は様々である。
或者の運命は朗かであり、他の者のそれは暗い。
だから人は如何に人生を処すべきか、何を信ずべきか、如何に行動すべきか、
如何なる見解をもち、どの党派へ仕へようかといふことを知るのは容易でない。
此の運命は避け難い盲目の宿命ではなくて、
人各々に割当てられた任務、為さざるを得ない罪科である。
神智学派は是を業とよんで、
我々が只漠然と記憶する過去と関係するものと見てゐる。
早くその運命を発見して、緊密にこれに寄り縋り、自己の運命を他と比較せず、
他の善き運命を猜まない者は、己れを発見したもので、
人世を安らかに送るであらう」(P66)


人間は運命とどう向きあうべきか。先生は言葉をついだ――。

「或者は名誉と黄金とを、他の者は只名誉だけを、
更に又他の者は単に黄金だけを獲るやうに生れついてゐる。
多数の者は屈辱、貧困、又は病弱に生れついてゐる。
所謂、貨幣の極印が打つてあるのだ。
人は各々その運命を和らぐるには、自己を屈し適応すること――
要するに諦めることによつて、これを為すことができる。
それによつて獲られる内心の悦びは一切の外部の繁栄にまさつてゐる。
この結果貧者、病者が、富者、強者に羨まれることにもなる。
神に仕へる者は、一切を最も善きことに用ひ、名誉と黄金とに憧れないもの、
何ものも犯し難い、或意味に於ての全能者である」(P67)


あきらめちまえば楽ちんさ、である。だが、あきらめきれぬときがある。

「一番辛いことは世の中に不義の存在を見ることである。
だが、それをひとつの試練と見ることによつて堪へ忍ぶことが出来る。
よしや悪人が栄えようとも、そのままに任せて置くがよい。
我々の関つたことではない。
又その繁栄は、仔細に見れば、それほど大したものではない。
よしや君が不幸に悩まさるるとも、良心がそれを当然と認めないなら、
安んじてそれを受け、試練に堪へることを誇りとし給へ。
必ずや善き日がめぐつて来るであらう。其の時、君は不運は善い事で、
少なくとも、君の忍耐力を試むべき好機会であつたことを発見するだらう。
誰をも羨むな。君は羨まれる者がどんな日を送つてゐて、
どんなものを裏面に隠してゐるか知らないのだ。
それを取換へるとなつたら、君はきつと欲しくないと思ふものだらう」(P68)


まるでおみくじに書いてあるようなことだが。
これこそ老ストリンドベリがあまたの闘争を経たあとで獲得した真理なのである。
真理は国や時代を問わず一定ということなのかもしれない。
現代日本の「負け組」も謹聴すべき託宣だと思う。整理してみると――。
人間には恵まれたものと、そうではないものがいる。
これは前世が関係している。この運命ともいうべきものを速やかに発見しよう。
断じて自分の運命と他人のそれを比較してはならない。
さて運命にいかに堪えたらいいのか。あきらめるしかないのである。
だが、あきらめるのを妨害するものがいる。
自分よりも善行をなしたとは思えぬ「勝ち組」の存在である。
これは自分に課せられた試練と考えよう。放っておこう。
「勝ち組」がほんとうに幸せかわかったものでもない。
毎日の試練を堪えていたら、いつか「善き日」がめぐってくるはずである。
そのとき忍耐力がついたことをむしろ感謝しようではないか。
しかし堪えるのはやはり難しい。どうすれば忍耐することが可能になるのか。

「人が智慧を得て、その智慧によつて、
此の生命はさきの世まで続いてゐるといふ信仰を築くならば、
現世に於て忍ぶことが一層容易になり、
些細なことを骨折つて、追ひ求めることはなくなります。
そこでゲーテの言ふ、神々しい軽い心が持てます。
人はそれによつて、打たれても、罵られても、もはや何でもなくなります。
すべてが柔かに、滑かに進みます。周囲は如何ほど暗く見えようとも
自分だけは明るくて、希望の手燭を携へてゐるのです」(P149)


来世を信じよう、と主張しているのである。
来世のことを考えたら現世で忍耐することがさしたる苦痛ではなくなる。
お気づきのかたがいるかもしれないが、「青書」における人生訓は、
先日わたしが「負け薬」として書いたものと驚くべき類似を見せている。
「青書」を読んだのは「負け薬」を記したあとで奇妙な一致がふしぎである。
(わたしの前世はストリンドベリなんて言ったらキチガイだから言わないよん♪)
ある種の普遍的な苦悩の解決方法なのだと思う。

最後に山本周五郎を感動させた名言を引用する。
「青べか物語」にも採録されたものだが、あちらは「青巻」で訳文がいささか異なる。
「青書」巻末の数行である。

「祈れ、されど働け。苦しめ、望め。一眼は地に向け、他の眼を星辰に向けよ。
座して動かぬやうにしてはならぬ。此の世は只遍路である。
家居ではなくて、駅逓(えきてい)である。真理を求めよ、真理が世に在るが故に。
されど只、自ら道たり、真理たり、生命たる唯一の者に於て」(P411)


どんな聖人が口にしたせりふかと思うむきもあるかもしれないけれど、
あれだけ周囲をかきまわし迷惑をかけつづけた狂人ストリンドベリが深刻な物言いで、
上記のような説教をするのである。
一面「青書」のグロテスクが象徴されているとも言えよう。

(追記)「青書」のなかで人生訓はむしろ少ないほうである。
収録されている内容は多岐に渡る。毎度のごとくの女性嫌悪(P189、P198)。
シェイクスピア、メーテルリンクへの言及(P108、P110)。
宗教学、哲学に対する独自の見解(P212、P379)。
脳科学への疑問(P306)。ゾラ礼賛(P237)。
オカルト信仰(P259)。シンクロニシティ体験(P280)。インド思想(P298)。劇作法(P365)。
印象に残ったところも少なくないが長くなったのですべて割愛する。
「ダマスクスへ 第三部」(ストリンドベリイ/茅野蕭々訳/第一書房)絶版

→幕が開き、知られぬ人の仰ぎ見るのは、山上高くにそびえる白き僧院である。
第三部を書くにいたり作者ストリンドベリはようやく救われたとの感慨を持つ。
この三部作を書いたことでストリンドベリは地獄期を脱することができたという。
キリスト教への信仰に回帰したのである。
絶命する直前、病床のストリンドベリは聖書を胸に抱いて述べたという。
すべてここに書いてあると。
「ダマスクスへ」はストリンドベリが信仰を取り戻すために経なければならぬ旅であった。
第三部は、山頂の僧院での出家を目指す知られぬ人の道行きが描かれる。
またもや夫人がつきまとうのも全編共通したところである。
夫人は第二部で出産した赤子が死んだことを知られぬ人に伝える。
これもストリンドベリの実体験である。
知られぬ人は前妻とのあいだにもうけた娘と再会して旅立ちの決意を固める。
終盤、僧院に達した知られぬ人は、かの地で聖なる秘儀に参加する。
第三部のあらすじを簡単に紹介した。

男女間のあらゆる関係を闘争と見たのがストリンドベリである。
では、なにゆえ男女は争そわねばならぬのか。
ある事件の裁判がきっかけで男女問題の根本原因が突きとめられる。

僧院のある山中で知られぬ人は「誘惑者」と出逢う。
これから裁判があると誘惑者は言う。
同行を求められ知られぬ人は裁判を傍聴する。
ある若い男が殺人の罪に問われている。新婚の妻を殺したというのである。
厳罰を言い立てる聴衆に犯人は弁明する。
自分は3年ものあいだ妻となる恋人のために尽くしてきた。
ところが、妻には自分のほかに3人の男と密通していたのである。
殺人者は、自分は愛を守るために女を殺したのだと言い訳する。
なるほどそれなら男は悪くないと裁き手たる聴衆は犯人を許す。
ここで登場するのが殺された娘の父親である。
父親は娘の弁護をする。
うちの娘がああもヤリマン(淫乱)になってしまったのは、ある男に誘惑されたのが原因だ。
聴衆はその男の名を父親に問う。罪のある男はこの場にいると父親は告げる。
知られぬ人の横に立つ誘惑者こそ娘を悪徳の道へ誘い込んだ張本人であった。
集会者は誘惑者を吊るし上げようとする。
だが、誘惑者にも言い分はあるのである。
自分は長いこと潔癖であった。決して堕落せぬよう注意して生活していた。
それがある女に誘惑されてついに肉欲のよこしまな世界に沈んだ。
悪いのはあのときの女である。すると参会者のなかから名指しされた女が現われる。
「罪また罪」で際限がない。

官吏「諸君、私は議論を中止しなくてはなりません。
それでないと我々は極楽のイヴまで遡ることになる……」
誘惑者「あのアダムの青春を誘惑した女ですね。
丁度其処まで我々は行かうと思つたのです。
イヴ、出ておいでイヴ。(外套を空中にふり廻す)」
(樹の幹が透明になり、髪に蔽われ、腰に帯をしたイヴが現はれる)
誘惑者「さあ、イヴ、お母さん。あなたは我々の父を誘惑しましたね。
被告人。あなたは何か弁護することがありますか」
イヴ「(簡単に威厳をもつて)蛇が私を誘惑したのです」
誘惑者「よく答へた。イヴの言訳は立つた。出ろ蛇、蛇」
イヴ「(消える)」
誘惑者「出て来い。蛇」
(蛇が樹の幹の中に現はれる)
誘惑者「諸君我々凡ての誘惑者が此処にゐます。さて、誰がお前を誘惑したんだ」
凡ての人々「(驚いて)静(しい)つ。神聖を涜す奴め」
誘惑者「蛇、答へをせい」
(電光と共に雷鳴。倒れた誘惑者と、巡礼と、知られぬ人と、夫人との他はみな逃げる)
誘惑者「(寝ながら、しかし元気を回復しながら、
古代彫刻の「砥師」又は「奴隷」に等しいやうな位置になる) Causa finalis
即ち最後の原因は――さう、それは解らないんだ。
……しかし若し蛇に罪があるなら、我々は比較的に罪が無いのだ。
――だがそれは人間には云つてはならないのだ。
……兎に角、被告は此の事件からは免れたやうに見える。
さうして法廷は煙のやうに消えてしまつた。さうださうだ。
審判(さば)いてはいけない、審判いてはいけない、裁判官」(P413)


言わずもがなだが、聖書の創世記までさかのぼっているわけである。
なにゆえ男女は争そわなければならないのか。
イヴがアダムを誘惑したからである。
ところが、イヴをそそのかしたのは蛇である。
さあ、この蛇を登場せしめたのは何者か。もしや全知全能のあのおかたが――。
ここで思考を停止するのである。ここから先は進んではならぬ。
文豪ストリンドベリが到達した愛欲地獄の源泉である。
男女間の闘争をも偉大なる神は嘉(よみ)してくださるとしたらば――。
苦悩する天才、絶望する狂人、ストリンドベリに与えられた救済である。

第三部で「ダマスクスへ」はいよいよ完結する。
ストリンドベリの苦悶する魂もいっときの安息を得たのである。
さあ、壮大なる問いへ向き合おう。男にとって女とはいかなる存在か。

知られぬ人「考へてみよう。女を憎むといふのか。――憎むのか。
……それは私はしたことが全くない。逆だ。
八歳の時から私はいつも一つの熱狂を、一番喜んで無邪気な熱狂を持つてゐた。
さうして火を吐く山のやうに三度恋をした……。
しかしお待ち、私がいつも感じたのは、女が私を憎むといふことを……
それから私をいつも苦しめたといふことだ」(P387)

誘惑者「(現はれる)何を夢想したんだい。話し給へ」
知られぬ人「私の最も好ましい希望であり、
私のぼんやり持つてゐる憧憬であり、又私の最後の祈祷でもある……
女性によつての人類との和解です……」
誘惑者「君に憎むことを教へた女性と……」
知られぬ人「それは丁度私を此の地球に結び附けてゐるからです。
奴隷が逃げられないやうに足に引張つて歩いてゐる円い球のやうに……」
誘惑者「ははあ、女性、いつも女性だ」
知られぬ人「さうです、女性です。始で終だ。――少なくとも我々男子にとつては」(P418)

知られぬ人「私はお前を見ることの出来るために
或る距離を保つてゐなくてはならないんだ。
今お前は焦点の内側にゐる。それでお前の姿が不明瞭なんだ」
夫人「近づく程遠いのですね」
知られぬ人「お前はそれを云ふんだね。
……しかし我々が離れると、お互に憧れあふ。
さうして再び逢ふと離れることを望むのだ」(P430)
「ダマスクスへ 第二部」(ストリンドベリイ/茅野蕭々訳/第一書房)絶版

→相も変わらぬ夢うつつのなか、知られぬ人は夫人と苦しめあう。
知られぬ人は実験室で錬金術の研究に没頭する。
金の製造に成功したと思い祝賀会に参加するものの、
実のところ詐欺に遭っていただけのことであった。
祝賀会の開催費用を払えない知られぬ人は牢屋に収監される。
出獄して夫人の実家へおもむくと夫人は赤子を出産している。
この子が本当に自分の子か疑心暗鬼にかられる知られぬ人である。
夫人も復讐のために子の父親についてあやふやなことを告げる。
狂気におちいった知られぬ人は酒場で呑んだくれる。
まったく出口(救い)らしきもののない、暗くよどんだ迷路のような芝居である。

いままでどうしてストリンドベリほどの近代的知識人が、
あろうことか錬金術のとりこになったのか理解できなかった。
本作品を読んで、ようやく理由がわかった。
ストリンドベリにとって錬金術とは、すべての価値の破壊を意味した。
かなりの分量だがとてもおもしろいので引用したい。

知られぬ人「私が何者だといふのかい。
私は未だ誰もしなかつたことをした人間だ。
黄金の小牛を倒し、商人の帳簿を覆す人間だ。
私は地上の運命を坩堝(るつぼ)の中に入れてゐる。
さうして一週間で金持の中の一番金持が貧乏になるんだ。
間違つた価値の標準となつてゐる黄金は支配力を中止して、
総べての者が等しく貧乏になるんだ。
さうして人間は塊になつてゐるところを擦られた蟻のやうにあるくんだ」
夫人「それが私たちに何の役に立つたでせう」
知られぬ人「あなたは私が自分たちや他人を金持にする為に
黄金を作ると思つてゐるのか。さうぢや無い。
全体の世界の秩序を力の無いものにし、破壊するためなんだ。
ねえ、私は破壊者だ、分解者だ、世界を焼く人間だ。
さうして若し総べての物が灰燼(かいじん)になつてしまつたら、
破片の間を歩いて、これは私がしたんだ、
最終だと云へる世界歴史に私が最後のペエジを書いたのだと考へて喜ぶだらう」(P284)


キチガイというほかないが、なんという破壊思想であろう!
万物の頂点に位置するのは金である。
紙幣貨幣は金本位に裏づけられた虚構に過ぎぬ。
ならば、もし錬金術に成功したら世界は崩壊する!

崩れ落ちよ、世界よ潰えてしまえ!

荒廃した精神のただなかでストリンドベリは世界の破滅を熱望していたのである。
これがかの天才(狂人)にとって錬金術の意味することなのだ。

安酒場で泥酔した知られぬ人はおのれが「夜の労働者」に囲まれていることを知る。

知られぬ人「……之はみんな死んだ人達なのか。
町の下水の泥溝から上つて来たやうに、
又は地方監獄や、養育院や、病院から出て来たやうに見える。
夜の労働者だ。
悩み、喘(あえ)ぎ、呪ひ、争ひながら彼等は互に苦しめ合ひ、卑しめ合ひ、妬む」(P323)


ストリンドベリ・ワールドである。以下、同様。

乞食「永遠なる御力よ。この男(=知られぬ人)の理性をお救ひ下さい。
此の男は総べての悪を真実と思ひ、総べての善を虚言だと思つてゐます」(P330)


知られぬ人「何故我々は逢はなければならなかつたのか」
夫人「お互を苦しめる為にね」(P342)
「ダマスクスへ 第一部」(ストリンドベリイ/茅野蕭々訳/第一書房)絶版

→「ダマスクスへ」はのべ3年の時を経て完成したストリンドベリ晩年の戯曲大作。
三部からなる長編戯曲はゲーテの「ファウスト」と比較されることもある。
表現主義戯曲、象徴主義戯曲のさきがけとなった作品でもある。
どういうことか平易に説明すると、リアリズムではないということに尽きる。
我われの生活シーンとは異なる芝居である。
すなわち、時間・空間・背景が非リアリズムである。
実際には起こりえぬ現象が舞台で繰り広げられる。
「ダマスクスへ」はストリンドベリの地獄期を描いたものとされる。
精神分裂病が悪化して強制入院までさせられた晩年の数年を、
作者は地獄期と命名している。
通常の精神病患者の場合、狂気の世界へ行ってしまうと戻ってこれない。
運よくこちらがわに帰ってきても、目撃した狂熱世界を記憶していないのが大概である。
だが、天才ストリンドベリはおのれの目に映ったまがまがしき狂的世界を、
劇作として昇華することに成功した。「ダマスクスへ」である。

精神分裂病が、現実への夢の侵食であることがよくわかる。
第一部が開幕すると、ストリンドベリを思わせる「知られぬ人」が広場にたたずんでいる。
かれは何もかもがわからない。
なぜ私が存在しているのか。なぜここに立っているのか。どこへ行けばいいか。
何をなすべきかもわからない。まるで夢の世界である。
知られぬ人のまえに夫人が現われる。
この夫人を追いかける。逆に追いかけられる。
出逢うが一緒にいると耐えられず別れる。ところが、別れるとお互い狂おしいほど恋しい。
「ダマスクスへ」の長大な物語を要約すれば、この繰り返しである。

夫人はストリンドベリがいままで出逢い別れてきた女性の混合体として描かれる。
夢は現実の影響を受けるが、決して現実そのものではないのと同様である。
夫人は医師と結婚している。知られぬ人は医師から夫人を奪うのである。
ストリンドベリの最初の結婚相手が男爵夫人だったことと共通している。
ストリンドベリにとっての男爵が、知られぬ人に対する医師の関係である。
知られぬ人は医師への罪悪感に苦しむ。
この医師は乞食、贖罪師と何度もすがたを変え登場する。
ストリンドベリにとって普遍的な敵の象徴といえよう。
突如、少年時代の忌まわしき記憶がよみがえる。
知られぬ人は窃盗の罪を友人になすりつけたことがあった。
おなじ苦しみである。他人のものを盗む。人間はおなじあやまちを幾度も繰り返す。
知られぬ人は夫人と逃避行におもむく。夫人の実家をめざすのである。
実家の父母はどちらも知られぬ人を嫌悪する。
みなが自分を嫌うのは自身が呪われた存在だからだと男は思う。
かれがひとり山道を歩いているとき事故に遭う。
気づいたら救護院のベッドのうえである。3ヶ月もここに入っていたと知らされる。
これはストリンドベリの精神病院体験と相応すると思われる。
知られぬ人は夫人を探す旅に出る。おりしも夫人も知られぬ人を探す旅の途次にいた。
第一部の終わりでふたりは再会するが何も解決することはない。

「ダマスクスへ」の救われない陰鬱さをいくつか紹介したい。
まるで悪夢のようである。そのうえ夢固有の神秘めいたところもある。
我われは夢のなかで人生のからくりをかいま見ることがまれにある。

知られぬ人「何かして貰ひ度いことがあるのかい」
夫人「ええ、一つ。あなた私を殺して下さい」(P152)

知られぬ人「――判決は下された。
しかしそれは私が生れない前に下されてゐたに相違ない。
何故かといふと、私は子供の時にもう罰をうけ始めたのだから……
私の生涯には喜んで顧ることの出来るやうな点は一つもない」(P158)

知られぬ人「今こそ手袋が投げられたのだ(=決闘の合図)。
さああなたは偉大な者同士の接戦を見るだらう。
(上着と胴着をあけ、驚異的な目を上に投げる) さあ、来い。
やるなら、お前の電(いかずち)でおれを打殺してみろ。
出来るなら、お前の嵐でおれを驚かしてみろ」(P162)

(夫人の)母「あなたは未だ疑つてゐるのですか」
知られぬ人「さうです。種々の事を。また沢山の事を。
しかし茫乎(ぼんやり)と解りかかつて来てゐることが一つあります……」
母「と仰しやると?」
知られぬ人「私がこれまで信じなかつた種々の物や……力があるといふことです」
母「あなたの数奇な運命を操つてゐるものは、
あなたでも他人でも無いことにお気がつきましたか」
知られぬ人「丁度そのことが認められるやうに思ふのです」(P207)


第一部の終わりで知られぬ人は医師に再会しなければならぬと思う。
おのれが妻を奪ったあの医師にである。

知られぬ人「私はある――病院に病んで臥てゐました。
熱があつたんです……しかしそれは非常に変な熱でした」
医師「何がそんなに特殊だつたのです」
知られぬ人「かういふ質問をしてもいいでせうかね。
人は覚めていながら、それで妄想に耽ることが出来ますかつて」
医師「あります、気が狂つた時には。ですがその場合に限りますな」(P238)
「最初の警告」(ストリンドベルク/楠山正雄訳/新潮社)絶版

→一幕劇。婦人にとってストリンドベリから愛されるのはたいへんなことなのである。
ストリンドベリは女性嫌悪で知られているが、同時に女性崇拝も持ちあわせている。
二種の女性観はこの男にとってコインの裏表なのだ。
ストリンドベリは女性の美を絶対化して崇拝する。
だが、むろんのこと女性とはいえ人間である。絶対美にはなりえぬ。
ストリンドベリは不満である。がために女性を苛烈に攻撃する。
ひどい嫉妬妄想の持ち主であったといわれている。
妻が絶対的に美しいとする。ならば、ほかの男が放っておくわけがない。
天才の脳内で美は嫉妬に変換される。
こうして妻を独占しなければ気が済まなくなる。
妻がちょっと下男と話しただけで色目を使ったと思い込む(責める)。
女友達のひとりでもいようものなら同性愛を疑う始末である。
ストリンドベリと結婚するには、他の人間関係をすべて断ち切らなくてはいけない。
妻にしてみれば、たしかに愛されているのである。激烈な愛だ。
だが、この作家の愛に応えられる生身の女性はいないだろう。
ストリンドベリの結婚が毎回、数年で破綻するのはこのためである。

「最初の警告」は作者自身の夫婦生活をモデルにした劇作である。
嫉妬深い夫は妻にこんなことを言う。

主人「お前がさつさと年を取つて、見つともなくなつて、あばたが出来て、
歯がなくなつてしまへばいいと思つたこともどの位あるか知れやしない。
それと言ふのも、ただお前と言ふ者をわたし一人でかかへ込んで、
このいつ迄も止むことのない不安な心持をなくしてしまひたいばかりなのだ」(P609)


ストリンドベリはこの男の妻にこんなことを言わせる。

細君「わたしつい、あなたを憎んだことなんぞありませんわ。
ただ軽蔑するだけよ。なぜでせうね。
多分すべて男の人の方から――さあ、なんと言ふのでせうね――
まあ惚れて来るのだわね、さうするとすぐに軽蔑してやりたくなるわ」(P611)


コケットな女である。わざと男の嫉妬をかりたてるようなことを言う女がいる。
ストリンドベリが好んだのはこのたぐいの女だったのだろう。
いや、概して男はこういう女にまいってしまうものである。
なぜなら嫉妬は苦しいのはもちろんだが、あの燃え立つ感触はまた快くもあるからである。
旦那を亡くした宿の女主人に、ストリンドベリを思わせる主人公は語りかける。

主人「失礼ですが奥さん、あなたは御主人を失つたよりも、
寧ろ嫉妬の相手を失つたのが惜しいのですね」
男爵夫人「さうかも知れません。わたしの嫉妬は、
わたしをあの幻につなぎとめた目に見えない絆でしたから……」(P623)


訳者の楠山正雄による解題も紹介する。
ストリンドベリに従えば、妻の美が失われゆくのもまた夫の喜びとなりうる。

「『最初の警告』は作者自らが最初の妻との間に経験したそのままを
脚色したのださうである。作者の妻が初めて前歯を失つて、
わづかに老の至つたのを感じたといふ事実によつて作つたので、
作の題ももと『最初の歯』と呼ばれたのを、
後に本にする時今のやうに改めたのだといふ」(P7)