「世阿弥芸術論集」(田中裕:校注/新潮社)
→収録作品は「風姿花伝」「至花道」「花鏡」「九位」「世子六十以後申楽談儀」。
日本の古典を読むのなら、岩波文庫なんかに頼らないほうがよろしい。
新潮日本古典集成がいちばんである。
近松門左衛門につづき世阿弥もこのシリーズで読んだが、実にわかりやすい。
たしかに定価は高いけれど、古本なら安値で転がっている定番商品だ。
まさか頭の悪いわたしが世阿弥を読めるとは思っていなかった。
近松を読んだときにも思ったことである。
新潮社さまさまだ。さすがYonda?を生みだした会社だけのことはある。
古典はふたつにわかれると思う。
ひとつは古典と呼ぶにふさわしい内容のすぐれたもの。
もうひとつは、内容は大したことがない。古いから価値があるというだけの古典。
見極めは、現代語訳にあるのではないかと思っている。
現代語訳(外国古典なら邦訳)したときにおもしろいかどうかである。
わたしは「徒然草」を中島義道のエッセイとおなじレベルだと思っている。
「歎異抄」は深い内容を秘めた、聖書に匹敵する宗教書である。
さて、世阿弥の芸術論はどうか。
古いことだけがとりえの愚書ではないかというのが読後の感想である。
とある三流の脚本家がシナリオ指南書で「風姿花伝」を絶賛していた。
古典の権威に頼らなければならないほど自分に自信が持てない可哀想な男である。
世阿弥の芸術論は現代から見たら、なんの目新しさもない。
ただ、なんでもそうだが、古いものほど書かれた当初はとびきりに新しい。
いまは地球は丸いなんて常識だが、むかしは新説だったのとおなじことである。
21世紀に「地球は丸かった!」とうっとりするのは阿呆である。
ところが、文系学問だとこれがまかり通ってしまうのだから。
世阿弥の芸術論に感心しているものは痴呆症にでもかかっているのではないか。
「地球は丸い、地球は丸い」とうわ言をつぶやいている患者と変わりない。
「おまえ地球が丸いのを知らなかっただろう」と得意になるのはキチガイである。
世阿弥に感心しているような手合いは、ものを見る目がないのだ。
肩書でしか人間を判断できないような最低の俗物である。
こういった人種は、発言の内容ではなく発言者にしか興味がないのだろう。
哀れというほかない。脆弱(ぜいじゃく)な脳細胞にいたく同情させていただく。
世阿弥の芸術論なんざ、いまでいうならあれである。あれあれ。
会社の隠し芸大会である。忘年会や社員旅行でのあれである。
たとえば営業部。ここは代々、隠し芸で評判が高かった。
いまは重役になっている、かつての営業部長が、部外秘の隠し芸マニュアルを書いた。
いうなればこのマニュアルが、世阿弥の芸術論のようなものである。
この会社の社員でなかったら、だれもこんなものに興味を持たないでしょう。
能楽(申楽)なんちゅうのは、だれが見てもわかるもんじゃないのとクリソツ(おなじ)。
この会社が超一流企業(室町幕府)だったから、重んじられているだけの話である。
隠し芸マニュアル(世阿弥芸術論)の中身に踏み込もう。
ほんとうにろくなことが書かれていないのである。
隠し芸は平社員(庶民)よりも重役(貴人)に気に入られなければならない。
当たり前のことじゃないかな。そして、なんとあさましい処世訓であろう。
昼の宴会ではまだ日もあるのだから隠し芸は暗いのがよろしい。
夜の宴会はもう外も暗いからとことん弾(はじ)けてしまって構わない。
有名な「風姿花伝」などこの程度のものである。
隠し芸は花である。めずらしいからいいのだ。あっそう、というしかない。
「風姿花伝」でもっとも有名な「秘すれば花」も裸芸の常識である。
酔って裸になるときは、隠すものを隠していなければならない。
フルチンで飛び跳ねられても、見ているものはドン引きしてしまう。
ちょっと隠すようにするのがコツである。まるで営業マンの接待マニュアルではないか。
「花鏡」も非常にくだらない。隠し芸は心が大事である。
心がけが芸に出る。当たり前だろうと世阿弥を怒鳴りつけてやりたい。
そうそう「花鏡」でいちばん有名なのが「初心忘れるべからず」の教えだった。
どんな分野でもいえることでしょう。初心を忘れないほうがなんだっていい。
大した教訓でもなんでもない。
ところが、世阿弥の言葉という理由で、文言以上にありがたがる馬鹿が現われる。
こういうえせインテリは、死んだほうがいいと思うけどね。
「世子六十以後申楽談儀」――。
具にもつかぬ語録である。たとえば、隠し芸マニュアルのひとつ。
酔っぱらってネクタイを頭に結びつけるときは結び目をどこにしたらいいか。
こんなことはどうでもいいことでしょう。
けれども、世阿弥がいっていたとなると、いや有名企業の方針だと、
やたらありがたがって関心をいだく愚か者がいる。
ことさら会社名を自慢するカスのごときおっさんとなんら変わりがない。
世阿弥の序破急だって、どこに新発見があるというのか。
物事には始まり、真ん中、終わりがある。順番を守ろうね。これだけのことである。
もったいぶって神棚に飾るのは間違えていないか。
世阿弥芸術論集を読んであきれたのは作者の外見重視の姿勢である。
ドラマ――言葉の劇にまったく言及していないのである。
将軍さまの目や耳に新鮮に感じてもらえれば万事OKとする下僕根性は最低だ。
世阿弥が芸術家というのは誤解ではないか。
せいぜい手品師、奇術師のたぐいである。つまり、存在がインチキなのだ。
世阿弥ごときにだまされている日本人が多いのはまったくもって心外というほかない。
「辨天娘女男白浪」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→「辨天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」は別名「白浪五人男」。
この別名はいまネットで検索して知ったしだい。
「白浪五人男」なら歌舞伎とは無縁のわたしでさえ名前くらいは知っている。
有名な作品をそうとは知らずに読んでいたことになる。
劇作家・河竹黙阿弥をどう演劇史のなかで位置づけたらいいのか悩んでいる。
同時代の他国の劇作家を調べてみたらミュッセ、ゴーゴリ、イプセン――。
「ぬすっともの」という括(くく)りかたをすれば、
1世紀ほどまえだがシラーの「群盗」がある
だが、黙阿弥とこれら劇作家を同列に比較するのは障害があるように思えてならない。
歌舞伎に普遍性がないためである。
というのも西欧の芝居を翻訳して日本人の役者が上演することは可能である。
いっぽうで海外で西洋人が歌舞伎をやるとなると、
かの紅毛人が着物を着てチョンマゲを結うわけだが、これはお笑いにしかならない。
黙阿弥は劇作家というよりも、いまでいう放送作家くらいの捉えかたがいいのかもしれない。
放送作家は、いかにタレントが映(は)えるかを考え、番組を企画する。
黙阿弥のやったこともおなじではないだろうか。
日本では劇作家および脚本があまり重視されないようである。
このたび黙阿弥の記事を書くにあたってだいぶネットの観劇記を参考にしたが、
どれひとつとして黙阿弥の劇作について言及しているものはなかった。
どの歌舞伎俳優のこんなしぐさが良かった、悪かった。
あの歌舞伎俳優はべつの某と比べると力量が落ちる、うんぬん。
これは歌舞伎のみならず現代の映像作品についてもおなじである(TV・映画)。
たとえば山田太一ドラマが放送される。
翌日あたりにブログを検索すると、そのほとんどが役者について語ったものなのだから。
日本人は有名俳優が泣いて笑って怒っていたら、それで満足するのかと疑ってしまう。
だが、河竹黙阿弥は評論家でも啓蒙家でもなかった。
観客を批判するのは黙阿弥の役割ではない。
かれは創作者であった。目的は、観客を楽しませることのみである。
かくして「白浪五人男」のような人気芝居が完成することになる。
本作品を執筆時に黙阿弥のあたまにあったのは、
それほど難しいことではなかったのではないか。
人間とはなにか。人間を動かす大きなものとはなにか。つまり、劇とはいかなるものか。
「白浪五人男」を書いている黙阿弥は、まったくこのような問いとは縁がなかった。
この歌舞伎役者の脳内に浮かんでいたのは商売仲間の俳優だったことだろう。
かれを結婚前の武家の娘に女装させたら、さぞかし美しいのではないか。
名家の娘、それもとびきりの美少女が付き添いのものと呉服屋におもむく。
この美少女が店内で万引をするなんざ、なんて意外ではないか。
娘はわざとばれるように大っぴらに布をふところへ隠すものだからすぐに発覚する。
呉服屋の店員に、指摘されると少女は震えるばかりである。
店員にはこんなことを言わせよう。
「年中商売をいたしをりますれば、ちらりと見たら間違ひはござりませぬ」
「たつて知らぬと言ひなさりや、裸にして詮議をする」(P232)
なんともいやらしいではないか。良家の子女が万引の疑いで身体検査である。
店側と付き添いのあいだでもみあいとなる。
娘の取ったという布が取り出されたが、これはどういうことだろう。
他店で買った、なんの問題もない布であった。濡れ衣だ。さあ、呉服屋はどうする。
付き添いが指摘するのは、さきほどのいざこざで娘のひたいに傷がついた。
嫁入りまえの娘の顔に傷がついたとなったら大問題だ。
おい呉服屋、いったいどうしてくれるんだい?
百両の慰謝料を呉服屋が支払うことで話がまとまったそのときである。
「ちょっと待って下され」と奥座敷から身分の高そうな侍、駄右衛門が現われる。
駄右衛門はふたりに疑いをかける。ことにそこの娘! おぬしはもしや――。
駄右「ことに縁組定まりし女といふも、まさしく男」
弁天(=娘)「や、(トちよつと男の容子を見せ、)なんで私を男とは、(トやさしき女の思入)
駄右「女というても憎からぬ姿なれども、某(それがし)が男と知つたは二の腕にちらりと見たる櫻(さくら)の彫物、なんと男であらうがな」
弁天「さあ、それは」
駄右「但し女と云ひ張れば、この場で乳房を改めようか」
弁天「さあ」
駄右「男と名乗るか」
弁天「さあ」
駄右「さあ」
両人「さあさあさあ」(P240)
おとなしい娘は仮のすがた、その正体は弁天小僧であった。
弁天小僧は女物の着物すがたであぐらをかき、煙管片手に啖呵(たんか)を切る。
美少女が美少年にはや相成り、とはいえ変わらぬ娘の格好でヤクザな口上を述べる。
倒錯的な美しさのあるこの場面は、歌舞伎随一との評判もある。
歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、この場面を書きたかったのである。
筋立ても、人物造形も、この場面の美しさに比べたら、なんてことはないおまけである。
あらゆるすべての条件が、この場面のために必要とされたに過ぎない。
弁天小僧のせりふは有名なので、お約束として引いておこう。
「知らざあ言つて聞かせやせう。浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人(ぬすびと)の種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で年季勤めの稚児ヶ淵、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭(まきせん)を当てに小皿の一文字(いちもんこ)、百が二百と賽銭のくすね銭せえだんだんに悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の枕捜しも度重なり、お手長講と札付きにたうとう島を追出され、それから若衆の美人局(つつもたせ)、ここやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父(じい)さんの似ぬ声色で小ゆすりかたり、名せえ由縁(ゆかり)の弁天小僧菊之助といふ小若衆。
ト片肌脱ぎ、櫻の彫物を見せ、きっと見得」(P242)
ここから先はかなりややこしいのだが、いまの歌舞伎上演ではたいがいカットされるらしい。
かんたんに紹介しておく。
弁天小僧の女装・騙りを見破った駄右衛門は、呉服屋主人とその息子から感謝される。
奥座敷にまねかれ酒やらなにやら歓待される駄右衛門であった。
呉服屋父子からなにかお土産を差し上げましょうといわれると、
駄右衛門の答えは意外や意外。
カネがほしいというのである。駄右衛門は豹変する。
かれこそ大盗賊団の首領であったのである。
さきほどの弁天小僧もやってくる。すべては呉服屋をだます芝居だったのである。
ところがところが、ジェットコースターのように話は展開する。
この盗賊の大親分、駄右衛門には17年前に捨てた赤子がいた。
ひょんなことからこの呉服屋の倅(せがれ)が駄右衛門の実子であることが判明する。
では、呉服屋のほんとうの息子はいまどこにいるのか。
ご都合主義と批判されそうだが(このため上演ではカットされるのだろう)、
なんと弁天小僧が呉服屋の実の息子であった。
もう駄右衛門は盗みを働く気などなくしている。
呉服屋も呉服屋で、どうぞ全財産お持ちなさいと金品を差し出す始末。
ともあれ、17年ぶりの再会になみだを流す二組の父子である。
だが、こうしてはいられない。呉服屋番頭が屋敷を抜け出し通報したのである。
追っ手がせまってくる。
駄右衛門、弁天小僧ら「白浪五人男」は呉服屋から逃亡する(白浪とは泥棒の意味)。
(ここから先はふたたび上演されることの多い見せ場である)
五人は土手にかかる。追っ手から包囲されたようである。
「白浪五人男」は正々堂々、逃げも隠れもしないで、
順番に朗々とおのが来歴を述べる。
この場面も黙阿弥が描きたかった美しさに満ちている。
黙阿弥が問題とするのは人間観や人生論ではない。思想ではないのである。
黙阿弥はただ美を描きたかった。
たとえ表層的とあなどられようが黙阿弥はみずからの美意識を信じるしかなかった。
また、観客もこの美を受け容れてくれるに違いないと黙阿弥は信じていた。
「稲瀬川勢揃いの場」は黙阿弥歌舞伎の極点であるといえよう。
筋に戻ると「白浪五人男」は命からがら当面の逃走に成功する。
ほとんどの上演では「稲瀬川勢揃いの場」で閉幕するという。
すなわち、これから先は上演されることがめずらしい。
結末だけ述べると、美青年の弁天小僧は捕り手に囲まれ、
実父に恩返しすることもなく、あたら若い命を割腹自殺で散らす。
ほかの「白浪五人男」もつぎつぎにみじめな死にかたをする。
親分の駄右衛門が捕まる場面をもって芝居「辨天娘女男白浪」は終わりとなる。
黙阿弥歌舞伎は、人間の生きかたも高邁な思想も提示することはない。
だが、観客は満足して帰ってゆく。
なぜなら黙阿弥の描く美を俳優を通して胸に焼きつけたからである。
「新皿屋舗月雨暈」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」は無難な佳作といったところか。
河竹黙阿弥と近松門左衛門を比較するのが正しいのか無学なわたしは知らないが、
どうにも黙阿弥からは近松で得られた満足感を享受できない。
非科学的な表現だが、たましいに重く響いてくるものが黙阿弥芝居にはないのである。
近松人形浄瑠璃はそうではなかった。
近松の芝居を読み終えてから近所のスーパーへ酒のつまみを買いに行くときなど、
ずっと不断にあたまのなかで南無阿弥陀仏が鳴り響いているので恐ろしくなった。
近松劇によって生きることができた。
だが、黙阿弥作品に許されるのはせいぜい遊ぶくらい。
あそこがよかったとくすくす笑うくらいである。
黙阿弥は女子供の手慰み。近松は男子一生の仕事。
こんなふうなことを書いたらだれかを傷つけることになるのだろうか。
しかし、これがわたしの正直な実感である。
「新皿屋舗月雨暈」の話をしよう。
魚屋を営む宗五郎がこの芝居の主役である。宗五郎には妹がいた。
妹は旗本のお殿さまに気に入られ妾(めかけ)として奉公していった。
このときの謝礼で宗五郎の魚屋は経営難を乗り切ったという過去がある。
ところが、この妹が死んだという。
なんでもお殿さまに不義の疑いをかけられ、まったく無実の罪で切り捨てられたらしい。
宗五郎は「ふたつにひとつ」の葛藤に苦しむ。
お殿様には恩がある。しかし、妹の無残な死は言いようもなく口惜しい。
酒乱の宗五郎は長いこと禁酒をしていた。
だが、身内の不幸をきっかけに酒をのみはじめるとこれがいけない。
すっかり泥酔して大虎になった宗五郎は身分もわきまえず妹の奉公先へ抗議におもむく。
結局、宗五郎は酔っていたという理由で
旗本家での非礼および乱暴狼藉を許されるのだが、
この宗五郎の酔っぱらうさまがこの芝居の売りらしい。
もちろん脚本では知りようがない。役者の力量の問題である。
わたしはいままで役者の凄みのようなものを知覚したことがないのだが、
名高い歌舞伎作者の黙阿弥は、さぞかし役者のちからを信じていたと思われる。
おそらく劇作家の俳優への信頼がこの芝居によくよく現われているのだと思う。
理解できないおのれが残念である。
この芝居の結末を記すと、およそ完全なハッピーエンドである。
お殿さまは魚屋ふぜいに謝罪して、今後の生活費も保証する。
カネと自尊心が報われた魚屋は喜色満面である――。
「船辨慶」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→じつは歌舞伎を見たことが一度もないのである。
何年かまえ勉強のためと思い、チケットショップで招待券を安く買って、
あれは銀座だったか、重い腰を上げ繰り出したものである。
ところが、定員オーバーで入場できず、
チケットは紙切れになってしまったという、思い出すにも口惜しいことがあった。
仕方がないからライブはあきらめてテレビで見ようとしたのだが、
これがダメなのである。つまらなくて10分と見ていられないのだ。
なにを喋っているのかわからないし、なにもかにも意味不明で退屈極まりない。
苦手の不条理演劇よりも歌舞伎はよほど不条理だと思った記憶がある。
銀座で行列していたとき、周囲の人間に相容れないものを感じたことも忘れられない。
歌舞伎を見にいくのは、おばさん、おねえさんが圧倒的に多いようである。
たまにおばさんに連れられたおじさんがいるくらいで、
成年男子はほとんどいなかったのを憶えている。
場違いなところにいると思わざるを得なかった。
どうなのだろうか。歌舞伎がわからないと言うと馬鹿にされるのだろうか。
教養が足らない。美的センスが欠如している。
とはいえ、だれでも努力したら歌舞伎の楽しさがわかるものなのか。
さらに言えば、努力してまでおもしろさをわからなければならぬほど歌舞伎は偉いのか。
申し訳ないが、歌舞伎会場にたむろしていたあの女性軍団が、
ひとり残さず自分よりも知的で高尚なのか疑問に思ってしまう。
歌舞伎役者にキャーキャー熱狂するミーちゃんハーチャンだとまでは断定しないが。
わたしは黙阿弥を読んで劇文学のひとつとして楽しむことができる。
だからなんだと言われたら、おれは馬鹿じゃないんだと返答する。
余談だが、劇作家・評論家の木下順二は、学生時代、
現物を一度も見ていないうちから歌舞伎脚本のみ読み込んでいたという。
よし、ここにお願いをしよう。歌舞伎ファンのみなさん。
どうかわたしを歌舞伎へ誘ってくれませんか(男女年齢未婚既婚不問)。
いまさらあの女だらけのなかにひとりで入ってゆく勇気はないがだれかと一緒なら。
座席はいちばん安いところ。一幕見席可能。料金は各自負担。
ぜひぜひ凡愚の野人に日本文化のすばらしさを教えてください。
お礼というわけではありませんが、もし希望者がいたらプロレスへの案内を務めます。
血まみれになりながら蛍光灯で殴りあう大日本プロレスなどなど。
うふふ、告知してしまったよ。
思うに、江戸時代の歌舞伎はプロレスみたいなものだったのではないか。
それがいつしか上品な芸術になってしまったというだけで。
黙阿弥の描く単純なストーリーは、まるでプロレスの八百長芝居のようである。
「船辨慶」の話を少しだけ。これはもう劇ではないだろう。
パフォーマンスというか、歌謡ショーというか。
兄の頼朝公に睨まれ逃避行に旅立つ義経一行は、静御前と別れることになる。
最後にと舞を踊ってみせる静御前であった(ヒューヒュー)。
船を出航したら海が荒れて平家の亡霊が登場する(こわいよ〜ママ)。
しかし、弁慶が念仏をとなえると霧散するのであった(弁慶ったら、いかすぅ)。
「高時」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→さあ、まずこの芝居の「さあさあ」シーンから。
三郎は浪人の身ながら、老母と息子を連れて鎌倉へ出て来ている。
ここで三郎は、将軍・足利高時公の愛犬を打ち殺してしまう。
かの犬が老母を傷つけたためである。
護衛の侍・次郎は、仲間を総動員して三郎を捕らえんとするも、
三郎は強く太刀打ちできない。
次郎は卑怯にも三郎の老母と息子を人質にする。
次郎「さあ、手向ひなさば此の母と、倅(せがれ)をここで殺さうか」
三郎「さあ、それは」
次郎「尋常に縄にかかるか」
三郎「さあ、それは」
次郎「刺し殺さうか」
三郎「さあ」
次郎「さあ」
皆々「さあさあさあ」(P123)
神妙に縄にかかる三郎であった。
場面は打って変わって将軍・高時公の屋敷。
三郎を許すかどうかが問題となる。
この「高時」のみならず黙阿弥脚本には人の出し入れにある特徴がある。
それは盗み聞きだ。一座のものがある問題を話し合っている。
そこに、これまでの話は裏ですべて聞きましたと新参者が登場する。
自分の意見を言うためである。この新参者によって議論の流れの変わるのが特徴。
いちいち指摘していたら切りがないほど黙阿弥の芝居にはこのパターンが多い。
決してうまい作劇法ではないが話を転がすにはちょうどいいのだろう。
黙阿弥歌舞伎において人物は主張をともない登場する。
かような新参者のせいで高時の意見は二転三転するが、最後は無益な殺生はしない。
君主たるもの配下のものの手本となるべく行動する。
以上の諌言を聞き入れた高時は愛犬を殺した三郎を放免することにする。
一件落着で高時は愛妓と酒を酌み交わす。催馬楽でも踊ろうかとしたときのことである。
どこからともなく天狗が現われ不吉な舞踊を披露して去ってゆく。
近代的な解釈をすれば高時のこころの暗部が天狗として顕現したとも取れる。
不気味な展開が気に入ったが、もし舞台で上演するなら、
よほど天狗に趣向を凝らさないと観客は白けてしまうかもしれない。
「雪暮夜入谷畦道」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」は、
前記の「天衣紛上野初花」のなかに含まれており、
この部分だけ上演するときにタイトルのように称されるという。
直次郎は詐欺のとがが露見して、いまは指名手配されている身。
一刻も早く江戸から逃げ出さなければならぬが、
夫婦の契りを交わした遊女の三千歳と最後に逢いたいと思っている。
策略をめぐらし、なんとか三千歳の家に忍び込むことに成功する。
三千歳は逃げるなら自分も連れて行ってほしいと懇願する。
以下に引用するのがこの芝居における「ふたつにひとつ」の場面である。
喜兵衛はこの屋敷の留守番をまかされているもの。
直次「これが常の旅ならば連れて行くまいものでもねえが、
跡より追手の掛る身の上、女を連れれば目に立つて足の附くのは知れたこと、
どうも連れては行かれねえ」
三千「そんなら殺して下さんすか」
直次「何でそなたが殺されよう」
三千「そんなら、連れて逃げて下さんすか」
直次「さあ」
三千・喜兵「さあ」
三人「さあさあさあ」(P102)
このとき三千歳を身請けしたという侍の市之丞が突然現われたため、
直次郎は屏風の裏にすがたを隠す。
この「隠れる」も「変装」とおなじで演劇の古典的手法。
国は違えどシェリダンの「悪口学校」に屏風の裏に隠れるそっくりのシーンがある。
のちに市之丞と直次郎はチャンチャンバラバラやりあい観客を楽しませるが、
ここでヒーローであるはずの直次郎があっさり敗北するのは、
近松門左衛門も好んで描いた「弱い男」の伝統ゆえか。
まさかこの芝居だけで「日本の女は悪くて弱い男が好き」などと決めつけるつもりはないが、
あながち大きな誤りでもないような気がしてしまうのはどうしてだろう。
もはや黙阿弥を大きく跳び越えるが、どうして女は悪い男が好きなのだろう。
かつあげされる男の子がもてたという話を聞いたことがない。
もてるのはいつだってかつあげをする不良のほうである。
弱い男を女が好むのはわかる。「あたしが守ってあげる」なんて思うのだろう。
はっきりいうが、わたしは直次郎のような悪くて弱い男は嫌いである。
しかし、婦女子どもは直次郎タイプに惹かれてやまないのだ。
このような瑣末(さまつ)にこだわるのは、ぞんがい歌舞伎の本道かもしれない。
つまり、歌舞伎など演劇ではないと馬鹿にしているに近い。
この芝居は冒頭の蕎麦屋のシーンが有名らしい。
たしかにここを読んでわたしも蕎麦を食いたくなった。酒をのみたくなった。
(ちなみにアル中のわたしが断言するが黙阿弥はそうとうな飲兵衛だったはず)
歌舞伎の観客は、直次郎の蕎麦の食いかたに注目するようである。
「ううん、あれはいなせで、江戸っ子らしい」とかなんとか。
蕎麦をすするシーンなど、芝居全体から見ればたいしたものではないのは明瞭。
ところが、この蕎麦の食いかたのわかるのが見巧者だのなんだのとほめそやされる。
歌舞伎俳優もたかが蕎麦をかっこむくらいに芸を見いだすようになる。
本末転倒と言わざるを得ないが、
もしかしたら明治のころから歌舞伎とはそのようなもので、
わたしがものを知らないだけかもしれない。
ともあれ、歌舞伎のこういった瑣末主義が好きになれない。
芝居の結末を書いておこう。チョイ悪ヘタレ男の直次郎は追っ手に捕らえられる。
愛する三千歳の目前でみじめにも連行される直次郎。がはは、ざまあみやがれ!
「天衣紛上野初花」(河竹黙阿弥/新潮文庫)絶版
→河竹黙阿弥は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎作者。
「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」は黙阿弥晩年の代表作。
坪内逍遥は黙阿弥を以下のように評しているという。
(新潮文庫「黙阿彌名作選」巻末における河竹繁俊の解説による)
「近松門左衛門は徳川文藝の興隆期に於ける最初の最大の集大成者なりしが、
黙阿彌は其(その)頽廃的に於ける最後の集大成者なり……
近松の浄瑠璃を讃美して、我劇詩の旭光となすべくは、黙阿彌の諸脚本は、
少くとも其華やかなる夕陽たるの光栄を荷ふ価値あるべし……
彼は眞に江戸演劇の大問屋なり……」(P291)
日本演劇における黙阿弥の公的な位置づけである。
このたび黙阿弥作品をいくつか読んだ私見では、
黙阿弥と近松を並べ評するのはどだい無理がある。
というのも、近松劇の有する(宗教的というほかない)深みを、
黙阿弥脚本はからきし持ち合わせていないからである。
近松ほど黙阿弥は芝居のなかの人間を嬲(なぶ)らない。
危険な挑戦はしないということだ。
近松のごとく劇中で人間の生きかたを深く洞察しようとは黙阿弥は思わぬ。
黙阿弥の目は舞台上よりも、むしろ観客席に向かう。
いかに観客を沸かせるかが黙阿弥にとって人間性の追及よりも大切だったのであろう。
イプセンやストリンドベリの翻訳で知られる演劇学者の毛利三彌が、
黙阿弥と、同時代西欧で活躍したウェルメイドプレイ作家の類似性を指摘している。
(「東西演劇の比較」放送大学教育振興会)
黙阿弥をウェルメイドプレイの範疇に入れてしまうのは卓見だと思う。
それほどに黙阿弥は観客の喝采のみを求めている。
黙阿弥脚本には込み入った筋はない。
観客はなにを見に来ているのか。歌舞伎役者である。
ならば、歌舞伎役者がもっとも光ることのできる筋立てに仕上げるのが芝居作者の務め。
現代なおも絶大なる人気を誇る歌舞伎作者・河竹黙阿弥の作劇術である。
「天衣紛上野初花」に話を移す。筋はいたってシンプルである。
世代によっては知らないものもいるだろうが「スーパーマリオ」とおなじ。
悪者に連れ去られたピーチ姫を連れ戻せマリオ! てな感じ。
悪ふざけが過ぎたかももしれない。まじめになろう。
質屋の娘が大名屋敷に奉公に行ったが、
お殿様に気に入られて年季があけても返してもらえない。
実家のものが思案しているところに現われるのは河内山宗俊。
「おれが娘を連れ出してやるから、かわりにカネを融通してくれ」
河内山宗俊は高僧に変装して大名屋敷に乗り込みまんまと娘の奪還に成功する。
(変装は手垢のついた古典的演劇手法)
ところが、めぐり合わせが悪く、宗俊の正体がばれてしまう。
旧知の北村大膳に見つかってしまったのである。
最終的には宗俊の頬にあるほくろが決め手となる。
ここがこの歌舞伎芝居の見せ所であろう。敵にとりまかれて宗俊は――。
「いかにも使僧と偽ったのは、お数寄屋坊主の頭たる河内山宗俊だ」
自己紹介である。さあ、語るからみなのもの聞きやがれ!
「悪に強きは善にもと、世の譬(たとへ)にも言ふ通り、親の嘆きが不憫さに、娘の命を助けようと、腹に企みの魂胆を練塀小路にかくれのねえ、お数寄屋坊主の宗俊が頭の丸いを幸ひに、衣(ころも)でしがを忍ぶが岡、神の御末の一品親王、宮の使ひと偽つて、神風よりか御威光の風を吹かして大胆にも、出雲守の上屋敷へしかけ仕事の曰窓(いはくまど)。家中一統白壁と思ひのほかに帰りがけ、邪魔なところへ北村大膳、腐れ薬をつけたら知らず、抜きさしならねえ高頬(たかほ)のほくろ、星をさされて見出されちやあ、そつちで帰れと言はうとも、こつちでこのまま帰らねえ、此の玄関の表向き、おれに衒(かた)りの名をつけて若年寄へ差出すか、但しは衒(かた)りの名をかくし、御使僧で無難で帰すか、二つに一つの返事を聞かにやあ、ただ此儘(このまま)にやあ帰られねえ」(P64)
かねてからわたしが主張しているようにドラマの原理は「ふたつにひとつ」である。
これは古今東西いかなる劇にも共通する原理だ(不条理劇、前衛劇はのぞく)。
この「ふたつにひとつ」を歌舞伎作者も巧みに用いている。
繰り返すが、ギリシア悲劇から、シェイクスピア、ラシーヌ、シラー、オニール、
日本では近松門左衛門、現代の山田太一にいたるまで、
ドラマとはみなみな「ふたつにひとつ」だ。
歌舞伎(黙阿弥?)の場合、
「ふたつにひとつ」の葛藤の場面で「さあ」「さあ」「さあ」「さあ」と盛り上げるのが流儀らしい。
黙阿弥も「ふたつにひとつ」の劇的昂揚を熟知していたのだろう。
この状況を説明すると、宗俊を司法の場に突き出し事を荒立てるか、
このまま丸く収めるかの「ふたつにひとつ」である。
敵方は後者を選択する。悪漢・河内山宗俊の高笑いで芝居は閉幕する。
「馬鹿め。むむ、ははははは」(P68)
「女殺油地獄」(近松門左衛門/鳥越文蔵:校注/小学館「日本古典文学全集」)
→「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」は近松最晩年の異色作。
上演当時はまったく観客に支持されなかったが、明治に入ってから注目されるようになる。
現代にいたるまで改作、映画化が多数ある。
読んで思うのは明らかな失敗作である。
近松が観客を度外視して「女殺油地獄」を書いたのはほぼ間違いあるまい。
時を経てから注目されたのは、
オリジナリティのない表現者にとって本作品が都合がよかっただけであろう。
失敗作ゆえつけこむ隙がたくさんあるというだけだ。
したがって改作はどれも近松の名を借りての、下卑た個性表出行為に終わるはずである。
69歳の近松門左衛門は「女殺油地獄」でなにを試みたのか。
南無阿弥陀仏を劇作で突きつめてみたかったのだと思う。
近松の生家は南無妙法蓮華経(日蓮宗)だったというが、
この劇作家の描く世界は南無阿弥陀仏(浄土真宗)以外のなにものでもない。
南無阿弥陀仏を極限まで追求したのは「歎異抄」における親鸞だが、
近松の「女殺油地獄」はかの聖典に比するほどの迫真性がある。
(むろん「歎異抄」が一般に知られるのは明治以降だから近松は読んでいない)
近松門左衛門は念仏者のひとりとして劇作のなかで阿弥陀仏の光明を追い求めた。
結果、善良な女が油まみれ血まみれになりながら殺される地獄に思い至ったのであろう。
「女殺油地獄」は宗教文学としての深みは驚くべきものがあるものの、
それは必ずしも観客の喝采と結びつくとはかぎらない。
むしろ、この作品の場合は正反対の結果に終わったわけだが、
作者近松は「女殺油地獄」を書いたことに言いようのない満足を覚えていたのではないか。
本作品の主役は河内屋与兵衛。油屋河内屋の長男である。
与兵衛はおよそ最低最悪の人間として描かれる。
河内屋主人の父が元番頭であることにつけこみ店のカネを使い放題。
というのも、義父はかつて河内屋の番頭で、
主人の死後、後釜として収まったという経緯がある。
このなさぬ親子の引け目を逆手に取り放蕩三昧の与兵衛であった。
両親がいくら苦心して稼ごうが、みなみな与兵衛が遊女につぎこんでしまうのである。
挙句、家庭内暴力である。カネをくれぬ義父を足蹴にする。
病身の妹と母が泣いて取りすがるが、与兵衛は振り払い悪罵のかぎりを尽くす。
こらえかねた両親から勘当を言い渡され家を出て行く与兵衛である。
とはいえ、与兵衛の両親はどちらも息子を憎からず思っているのである。
なんとかまともな人間になってもらいたいと念じている。
どうしてこうも親心が通じないのかと両親は泣くばかりである。
ある日、与兵衛が近所のこれまた油屋をしているお吉の家へ寄ったときのことである。
耳をすますと、家のなかには与兵衛の両親が来ている。
盗み聞きをして与兵衛は驚く。
父も母もお互い配偶者に内緒で与兵衛への小遣いをお吉へ託していたからである。
両親ともに心底から息子を心配していることを与兵衛は知る。
さあ、この男は改心するのか。
両親が去ったあとお吉の家に入る。早速、お吉がカネをさしだすと感謝するそぶりもない。
与兵衛はこのくらいのカネではどうにもならぬほどの借金を抱えていたのである。
さらにカネを貸してくれと与兵衛はお吉に依頼する。
油屋をしているのだから運転資金があるだろうというのだ。
お吉は主人の承諾を得ぬうちに貸すことはままならぬと断わる。
カネを今日中に工面しないと捕まってしまうのだと与兵衛は泣き落としにかかる。
最低の甘えである。以前、与兵衛はお吉の世話になったことがあるのである。
あのときは泣きながら懇願したら助けてくれた。
今回も泣いてみたらどうだろうか試みる与兵衛は人間のクズというほかない。
ダメです、カネは貸せませぬとお吉に断わられると、与兵衛は「なら油を貸してくれ」。
油だったらとお吉が背を向けたそのときである。与兵衛は刀を抜く。
気がついたお吉が逃げようとするのを捕まえ首をぐさり。
激痛にもだえ苦しみながらお吉は哀願する。
「命だけは助けて。あたしには幼い3人の子どもが。おカネだったらいくらでも。だから命は」
これに対して与兵衛は――。以下は「女殺油地獄」の絶頂である。
「諦めて死んでくだされ。口で申せば人が聞く。心でお念仏。南無阿弥陀。南無阿弥陀仏と、引寄せて、右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹(ふとばら)へ。刺いてはゑぐり、抜いては切り。お吉を迎ひの冥途の夜風。はためくか門の幟(のぼり)の音。煽(あふち)に、売場の火も消えて。庭も心も暗闇に。うち撒(ま)く油、流るる血。踏みのめらかし、踏滑り。身うちは血潮の赤面赤鬼。邪慳の角を振立てて。お吉が身を裂く剣(つるぎ)の山。目前油の地獄の苦しみ。軒(のき)の菖蒲(あやめ)のさしもげに。千々(ちぢ)の病はよくれども。過去の業病逃れえぬ。菖蒲刀(しょうぶかたな)に置く露の、たまも乱れて息絶えたり」(P557)
よくよく注意したいのは、
与兵衛が南無阿弥陀仏と念じながら命乞いをする人妻を殺めていること。
南無阿弥陀仏は人を殺せるということだ。
このような残虐極まりない行為が、あろうことか南無阿弥陀仏から生まれている。
なんの罪もない、それどころか気立てのいい子持ちの女が、南無阿弥陀仏ゆえに
非常な苦しみを味わいながら子どもへの未練を残しつつ死んでゆかねばならぬ。
両親の優しさもお吉の好意も報いられることがなく、むしろ地獄へ直結するのは、
南無阿弥陀仏という称名を響かせることで相殺(そうさい)される。
断じて南無妙法蓮華経にはできぬことである。
題目にはこの地獄は描けぬ。
だが念仏ならば、ここまで人間を世界を宇宙を肯定できるのである。
近松はこの芝居のまさにこの場面を書きながら、
心中が弥陀の光明に満たされることを感じていたのではないか。
南無阿弥陀仏で心中(自殺)ができる。いな、殺人までも可能であった!
理不尽な苦しみ、道理に合わぬ不幸こそ、南無阿弥陀仏を証明する。
仏教者・近松門左衛門の信心は、
「女殺油地獄」を書くに至って、ついに揺るぎない不動のものとなったはずである。
あらすじを書いておくと与兵衛の罪科は、のちに明らかになる。
そのときの与兵衛の言葉はこうである。
「南無三宝、顕(あらは)れし」(しまった、見つかったか)(P568)
与兵衛はなんとか言い逃れようとするが、これも阿弥陀仏のはからいか。
ひっ捕らえられ、みじめなすがたで連行されてゆく。
与兵衛に改心や反省のないのは言うまでもない。
果たしてこの悪人は阿弥陀仏に救われるのか。
親鸞なら救われると大きく首肯したはずである。
なぜなら殺害の直前に南無阿弥陀仏と言っているではないか。
だれでもどんな人間でも与兵衛のような性格、環境に生まれついたら殺人を犯すのである。
だからこそ南無阿弥陀仏なのだと大声で念仏したのが親鸞である。
この親鸞の他力信仰は「歎異抄」が広くゆきわたるまで一般信者は知るよしもなかった。
だが、近松門左衛門の天才は、高僧の智慧を借りるまでもなく、
ただ一心に劇作を繰り返すことで、この南無阿弥陀仏の歓喜に達したのであろう。
近松人形浄瑠璃から、なんと心地のよい念仏が聞こえてくることか。
「冥途の飛脚」(近松門左衛門/鳥越文蔵:校注/小学館「日本古典文学全集」)
→そろそろ近松人形浄瑠璃を総括してみたい。
時代物「出世景清」で遊女・阿古屋の口にしたせりふが鍵になると思う。
「人は一代、名は末代」である。「ふたつにひとつ」の葛藤だ。
一代かぎりの人生を重んじるか、それとも末代(死後)まで残る名を尊ぶか。
敷衍(ふえん)すれば、個人か家名かともなろう。
個人として生きるか、家名を背負って生きるかの二者択一。
これこそ近松劇に登場する人間が向き合わされている葛藤といえよう。
近松の芝居は、歴史をもとにした時代物と町人生活を描いた世話物に二分される。
時代物において登場人物は概して一回きりの人生より家名を重んじる。
いっぽう世話物では、名よりも人としての感情が優先される。
これも無理ないことで時代物に登場するのは武士。
侍は町民と比較すると、家名を重んじる傾向がある。
町民にも家名を守ろうとする気概がないことはないが武士ほど夢中になることはない。
まとめてみると近松劇のドラマ力学は「人は一代、名は末代」である。
人間はこの二者択一に苦しまなければならない。
言い換えれば、近松門左衛門は「人は一代、名は末代」でかれの人形たちを嬲(なぶ)る。
人形のなかの武士は「末代の名を」、町民は「一代の人」を苦悶のすえ選び取る。
「冥途の飛脚」で「一代の人」として生き抜くのは亀屋忠兵衛。
忠兵衛は、飛脚問屋の亀屋に養子として入っている。
所詮は養子の身。たいしたカネもないのに遊女の梅川に入れあげている。
店のカネを流用することでその場を取りつくろっているのが現状だ。
カネがかかるのは、ある田舎客と梅川を奪いあう羽目におちいったため。
(まさに「男女男」で、忠兵衛は嬲られているわけである)
亀屋から送金がとどこおっていることに疑問を感じた八右衛門が取り立てに来ると、
涙ながらに遊女に執心している事情を話す忠兵衛であった。
このへんが近松芝居の特徴なのだが、大のおとながよく泣くことにあきれてしまう。
いまでいえばフーゾクにはまって会社のカネを横領。
取引先から催促が来ると「フーゾクのせいで」と泣きながら詫びるようなものである。
現代なら「ボケぬかせ」と笑われるのが必定だが、そこは江戸時代の人情芝居だからか。
八右衛門は友人の事情を察し忠兵衛とともに涙を流すのである。
そのうえでカネを返すのは後でいいと了承する。
忠兵衛は感じ入ってさらに号泣し八右衛門へ土下座する。
亀屋の義母からの詮索も八右衛門の協力でごまかすことに成功する。
忠兵衛は八右衛門に、鬢水(びんすい)入れを小判包みに見せかけ渡すのであった。
ひと息ついた忠兵衛のもとに江戸からの荷物がやってくる。
300両の到着である。この大金を今夜中に堂島の屋敷へ届けなければならない。
忠兵衛は300両をふところに入れ亀屋を出る。
堂島は亀屋の北。南になにがあるかといえば愛妓・梅川のいる遊郭である。
ここは「冥途の飛脚」のクライマックス。原文で見てみよう。忠兵衛は――。
「銀懐中に、羽織の紐。結ぶ霜夜の門の口、出馴れし足の癖になり。心は北へ行く行くと思ひながらも身は南。西横堀をうかうかと、気に染みつきし女郎(よね)がごと。米屋町まで歩み来て、ヤアこれは堂島のお屋敷へ行くはず。狐が化かすか、南無三宝と引返せしが。ムム我知らず、ここまで来たは。梅川が用あつて氏神のお誘ひ。ちよつと寄つて、顔見てからと。立返つては、いや大事。この銀持つては使ひたからう。おいてくれうか。行ってのけうか、行きもせいと。一度は思案、二度は無思案、三度飛脚。戻れば合せてろくだう(六道)の、冥途の飛脚と」(P41)
「心は北へ身は南」の葛藤シーンである。
心では早く大金を堂島へ届けなければならぬとわかっているのだが、
身はどうしてか色街のある南へ行ってしまう。
一度は引き返すが結局、誘惑に負けてしまう忠兵衛である。
心では飛脚問屋亀屋の名前を守らなくてはいけないとわかっているのだ。
しかし、人間としての欲望が理性を振り切ってしまう。
「人は一代、名は末代」。忠兵衛の出した結論である。
末尾の文章は実に味わい深い。
「一度は思案、二度は無思案、三度飛脚。戻れば合せてろくだう(六道)の、冥途の飛脚と」
(拙訳:一度は思案して引き返したが、二度目は無鉄砲に突き進み、
とはいうものも飛脚問屋のことが気にかかり躊躇するのは三度目の葛藤、
一たす二たす三は六で、六といえば仏教の六道、
忠兵衛は地獄へ向かう飛脚となったのである)
六道とは仏教用語で、人間の死後に生まれ変わる6つの世界のありようである。
内訳は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道。
どこへ行くかは、生前になした行ないの善悪(業)によって決まる。
この六道はのちに転じて、死後ではなく現在の生存状態を表わすものともなる。
忠兵衛はこれから先、段々と修羅、畜生、餓鬼と地獄へ向けて堕ちてゆくわけである。
けだものめいた愛執の世界はさながら畜生道である。
そして、地獄の業火に焼かれる男女こそ近松の描きたかったものであろう。
芝居のなかで人間は地獄に堕ちなければならぬ。
近松は、地獄の美しさを知っていたのである。
忠兵衛は越後屋で、八右衛門と遊女の会話を盗み聞きして誤解する。
(屋根裏では梅川もこの会話を盗み聞きしている)
持っていた300両を自分のものだといつわり八右衛門へカネを叩きつけた忠兵衛は、
その場で梅川の身請けを宣言するのである。
ふたりきりになると泣きながら真相を白状する忠兵衛であった。公金横領は大罪である。
行けるところまで生き延びようと逃避行を決意したふたりは忠兵衛の生まれ故郷へ向かう。
ところが、すでに手配は行き届き、ふたりはやっとのことで身を隠す。
そこに登場するのは忠兵衛の父、孫右衛門。
ふたりの見ているまえでみじめにも転倒して鼻緒を切ってしまう。
だが、忠兵衛が出て行くわけにはいかず、梅川が介抱におもむく。
こんなことにならなければ嫁と舅(しゅうと)の関係にもなった両人である。
孫右衛門は話しているうちに、この親切な女が息子と逃げている遊女だと気づく。
けれども、罪を犯した息子と会うわけには行かないとぐっとこらえつつも、
梅川に逃走費用を与える。
この場面は近松人形浄瑠璃のなかでも随一であるとの声も多い。
父子のかなわぬ対面は、とりわけ観客の涙を誘ったことだろう。
父の願いはかなわずふたりは捕らえられ罪人として引っ立てられてゆく――。
(追記)以上で「冥途の飛脚」は終幕する。
近松を読むのはもうすぐ終了する予定なので、少し話を広げてみたいと思う。
これから述べることは近松からの飛躍である。
整理すると、近松門左衛門の描いた世界は、よくも悪くも六道なのである。
近松は六道までしか書けなかったが、余人ゆるさぬほど美しく六道を描き切った。
現代人が近松に魅せられるゆえんである。
とはいえ、近松劇に登場する人物はやはり単純な造形といわざるを得ない。
善人は善人に過ぎず、悪人は悪人にとどまっている。かれらは極めて容易に
六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)へ分類可能だ。
近松の生きた時代の限界だったわけである。
十界(じっかい)という仏教用語がある。
天台宗の教義で、この十界は10の生存状態のことである。
もとにあったのは六道の考えかた。
六道に4つ成仏状態を付け加えて十界としている。すなわち、十界とは――。
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界。
さらに天台宗では十界互具(じっかいごぐ)を説く。
十界にまた十界が具(そな)わっているという世界観、人間観のこと。
日本有数の物語作家である宮本輝が、
この十界互具を用いて実にわかりやすく近代小説を説明しているので紹介したい。
中上健次との対談から(「道行く人たちと」)。
「人間というのは、そんな簡単なものじゃない。
だから、生命状態のカテゴリーとして十界論があるけど、
十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏)というのは、
それぞれに独立している程度しかぼくはまだ書けてなかったんですね。
しかし今度は十界互具というところに入ってくるわね。
それは、地獄界と仏界とが別々にあるんじゃなくて、
仏界所具の地獄界、地獄界所具の仏界ということが、
ものすごく大きな問題点でしょう。
人間が同時にそういうものを持っているということがね。
簡単なたとえを使えば、いま中上さんは癌にかかっているとする。
すると中上さんは地獄界に生きてる。
けれども、その中上さんは、同じ病気で余命いくばくもない少年を見て、
自分のことより、その少年を何とか助けてやれないかと考えたりもする。
これは地獄界所具の菩薩界ですよ。
つまりひとつのカテゴリーの中だけではとらえきれないひとりの人間のカオスだよ。
ドストエフスキーはキリスト教に対してどういう考え方をもっていたのか、
まったくぼくには想像もつかないけれども、
おそらく本能的に、人間のそういうものを知っていた人だな、という気がするのね。
非常に混沌としているよ、あの人のは。
だからあの人の登場人物の性格分析はできないね」(文庫版P122)
近松人形浄瑠璃(六道)→近代小説(十界互具)
「出世景清」(近松門左衛門/藤村作:校訂/岩波文庫)品切れ
→これで近松芝居を読むのは6つめだが、この劇作家の作法にようやく思い至る。
近松門左衛門の人形浄瑠璃は嬲(なぶ)りである。
手元の岩波国語辞典で「嬲(なぶ)る」を引いてみる。
1.手でもてあそぶ。
2.他人を苦しめ悩まして面白がる。また、責めさいなむ。いじめる。
3.からかい、ばかにする。
なんのことはない、近松人形浄瑠璃の本質がすべて書かれているではないか。
近松は劇作構想中、あたまのなかで人形をもてあそんでいる。
挙句、芝居では登場する人間を苦しめ悩ませ、観客と共に面白がる。
どれほど近松芝居の人形たちが浮き世(憂き世)に責めさいなまれることか。
登場する町人相互のからかい、ばかにしあいのなんと軽妙なことか。
近松劇の特徴は嬲りにある。嬲るは「男女男」と書く。男ふたりが女を挟んでいる。
「曾根崎心中」「冥土の飛脚」は、まさに嬲り芝居である。
ひとりの遊女を男ふたりが取り合うことで芝居が進行する。
「男女男」ではなく「女男女」と書く「嫐」という字がある。
これは「うはなり」とも、また「嬲」とおなじく「嫐(なぶ)る」とも読まれる。
近松が嫐りを実行したのが「心中重井筒」「心中天の網島」。
ふたりの女(本妻と遊女)がひとりの男を奪い合っている。
近松のなぶる様(さま)を見ていると、男女のからみあいに感嘆する。
いかに女が男を、男が女を動かしていくか、である。
近松にとって男女の性差はお互いを動かす操り糸であったことは明瞭である。
近松は人形を舞台に登場させるがこの人形は動かない。
だから、作者は異なる性を仕掛けていく。色仕掛けだ。
近松劇の男にとって女は罠(わな)に等しい。
近松初期の当たり芝居とされる「出世景清」は「女男女」の嫐りものである。
男は怪力をもつ大男・平景清。源平の合戦で敗れた平氏の落ち武者。
いまは大宮司のもとに身をひそめ源氏へ復讐する機会をうかがっている。
いつしか景清は、大宮司の娘である小野姫と結ばれている。
大仏建立を好機と見た景清は日雇い人に変装して復讐をねらう。
ところが、正体がばれてしまい、景清はからくも現場から逃走する。
つぎに景清の隠れ場所としたのが、遊女・阿古屋(あこや)のもとである。
ふたりはかつて愛し合い、いまは幼い息子がふたりいる。
阿古屋は小野姫への浮気を責めるが、
景清はなんのかんのとこの遊女をなだめるのであった。
近松芝居では人形はなぶられなければならない。
悩み苦しむことが求められている。悩み無用生活は芝居にならぬ。
ある日のことである。景清は留守にしていた。
ずるがしこそうな兄の十蔵が阿古屋のもとにやってきて、こういうのである。
訴人の景清をつきだしてしまおう。たんまりゼニが入るぜ。
阿古屋は泣きながら兄をとめようとする。
頼ってきたものをつきだすなんて、それも景清様は兄上にとっては妹婿。
「 人は一代、名は末代。 思ひわけてもご覧ぜよ」(P81)
人間は一代かぎりのものですが、名、すなわち名誉名声評判は末代まで響きます。
どうか分別をお持ちくだされ、兄御様。ところが、兄は――。
「十蔵からからと打わらひ。やれ名を惜しみて得を取らぬはむかしふうの侍とて 当世は流行らぬ古いと」(P81)
そのうえ十蔵は妹の痛いところをつく。
聞けば、景清は小野姫という娘を愛しているそうではないか。
なぶられる阿古屋である。そこに飛脚の登場である。
渡されたのは、小野姫から景清に宛てた手紙。阿古屋は開封して盗み見る。
内容は――ご消息聞こえぬゆえ心配申す。阿古屋という遊女とお親しみとか。
よもやわたくし小野姫と交わした将来の約束をお忘れになったわけではあるまいな。
「阿古屋は読みも果て給はず はつとせきたる気色にて。うらめしや腹立や口おしや妬ましや。恋に隔てはなきものを遊女とは何事ぞ。子の有中こそ まことのつまよかくとはしらではかなくも。大切がりいとしがり心を尽くせし口惜しさは人にうらみはなきものを。男畜生いたづらもの アアうらめしや無念やと。文ずんずんに引きさきて かこちうらみてなき給ふ」(P83)
ふざけんじゃないわよ!
宮司の娘だかなんだか知らないけど、あたしが遊女だからってその高飛車はなに?
こっちにはねえ、あんたと違って子どもまでいるの。ほんとお高くとまっちゃって。
(だけど男はやはり商売女なんかより、良家の令嬢を好むものかしら)
ふん、男なんてみんなけだものじゃない。チクショー。こんな手紙はビリビリに破いてやる。
「人は一代、名は末代」
名誉名声など知ったことかと、このとき遊女阿古屋は人間の感情に走るわけだ。
「人は一代、名は末代」は「ふたつにひとつ」である。
言い換えるなら「一代の人か、末代の名か」となる。阿古屋は前者を選択したわけである。
すなわち、景清の所在を役所に通報したのである。
ところはかわって清水寺。仏心の篤い景清は寺に参籠の折節。
四方軍勢に囲まれるも、そこは怪力無双の景清。
寺の荒法師にも助けられ、まんまと危機を脱するのであった。
さて、おだやかではないのは幕府の追っ手。どうにもこうにも埒(らち)があかぬ。
頼朝公の側近、梶原源太は大宮司を捕まえ牢屋へ収監する。
こうすれば人情に厚い景清が現われるのではないかという計算である。
ところが、遠路はるばるやってきたのは娘の小野姫。
父のいる牢屋を探し求めているうちに悪漢・梶原源太に見つかってしまう。
この場面は「出世景清」における白眉である。細かく見ていきたい。
梶原源太は親思いの小野姫に詰問する。
「をのれの親の大ぐじに。景清が行方をいへといへどもしらぬといふ。をのれは夫婦のことなればよもしらぬことは有まじき。すでに清水坂の阿古屋は子の有中さへ振捨てて一度注進申せしぞや。有のままに白状せよと小がいな取りて怒りける」
おまえの親父は口を割らない。おぬしは夫婦なのだから知らぬはずはあるまい。
とうに遊女の阿古屋は子のある仲にもかかわらず告発している。
おい、小娘、白状しやがれ、と梶原源太は小野姫のかぼそい腕をむんずとつかむ。
健気にも小野姫は――。
「なふ恨めしや命を捨てて。是迄出るほどの心にて たとへゆくゑをしつたればとて申さふか。此うへは水責め火責めにあふとても つまのゆくゑもぞんせぬなり。ただ父上をたすけてたべと こゑも惜しまず泣き給ふ」
ひどいじゃありませんか。女だてら命がけでここまで来たのです。
よしんば、行方を知っていても決して申しませぬ。なんと薄情なお侍様。いいですこと。
水責め火責めの拷問を受けようが、知らないものは知りませんから。
どうか父をお助けくださいと声をあげて泣く小野姫。
さあ、梶原源太はどうするか。大宮司の娘である。宮司とは、神社における最高の神職。
その娘なら、小さいころからかわいがられて育ったに違いない。
だから侍の自分をまえにしても、気の強いことをいうのだろう。
この小娘が、水責め火責めだと? ゴーゴー梶原、ゴーゴー源太♪
「ヲヲいふ迄もないことさ。をのれ落ちずはただ置くべきかと。高手小手に縛り付 六篠川原に引出し。種々に拷問したりしは なふ情けなうこそ見えにけれ。梶原親子が奉行にて。方一町に垣をゆひ 突く棒 刺す股 かねの棒。兵具ひつしと並べしは さながら修羅獄卒が。八逆五逆の罪人を 呵責にかくるごとく也。いたはしや小野姫 あらき風にもあてぬ身を。裸になして縄をかけ。十二の梯子に。胴中を縛りつけ 哀れもしらぬ雑人共。湯桶に水をつぎかけつぎかけ落ちよ落ちよと責めけるは ただ瀧津瀬のごとくにて 目もあてられぬ景色なり。むざんやな小野姫 息もはや絶え絶えに。心もみだれ目くるめき既に最後と見えけれ共。いやいや武士の妻と成 心弱くてはかなはじと。さあらぬていにもてなし いかに方々。夫の景清つねに清水寺の観世音を信仰し我にも信じ奉れと深く教え給ふゆへ。今とても尊号をたへずとなへ奉れば。此水は観音の甘露法雨と覚たり。今此水にて死する命は惜しからじ。夫のゆくゑはしらぬぞや 千日千夜もせめ給へ。南無や大悲観世音と苦しきていを押しかくし。いさぎよくはのたまへども。さすが強き拷問に声もにごりて身もふるひ。弱々と成給ふは さてもかなしきしだい也」(P91)
ここはあえて訳さない。原文のほうがよほど味わい深いと思うからである。
凄まじいというほかないエログロバイオレンスでしょう(笑)。
近松のサービス精神はとまらない。このあとも拷問はつづくのである。
梶原源太は素っ裸の小野姫をつぎは古木責めという拷問にかける。
首に縄をかけ木の裏から引っぱりあげ、死なないうちにまたおろすという繰り返し。
これも効果なしで火責めまでやる近松のサド根性には恐れ入った。
(ストリップショーでもポルノ映画でもなく、あくまでも人形芝居。
したがって観客は物語を聞きながら想像するのみ。
だけど、実のところこれがいちばんいやらしいんだな、うしし)
話をもとに戻すと、「人は一代、名は末代」。
小野姫は人としての苦しみにたえ、武士の妻という名を取ったわけである。
ここに「景清見参!」と、かの荒武者が仁王のごとく登場するのは芝居の見せ場だ。
小野姫の代わりに捕われの身になった景清は、
ほとんど身動きができないほど小さなまるで檻のような牢屋に入れられる。
手かせ足かせも厳重になされている。
牢屋は見せしめとして徒刑場に放置された。
このような環境でも信心に篤い景清は観音経を唱えつづけるのであった。
釈放された小野姫は酒や食事を持ち寄り景清の世話をする。
明日また来ると言い残し小野姫が去ったのちのことである。
遊女の阿古屋が幼い息子をふたり連れて景清のまえに現われる。
怒り狂う景清である。指一本でも自由になればぶちのめしてやったのに!
泣きながら許しを乞い阿古屋は事情を説明する。
小野姫からの手紙を見てしまったの。嫉妬は女のさがゆえどうかお許しくだされ。
許さぬと景清の憤怒は鬼かとまごうほどである。
だが、ふたりの幼子(おさなご)にまとわりつかれ思わず涙する景清。
「せめて子どもたちにはあたたかい言葉をかけてあげてくれませんか」と阿古屋。
いやだ、断わる、おまえの邪悪な腹から出たのだから子どもも敵じゃわい。
未来永劫おまえらを妻とも子とも思うことはない、と景清は言い放つ。
帰れ帰れと憎悪の目でにらんでくる夫に、妻の阿古屋は――。
「なふ最早ながらへて何方へ帰らふぞ、やれ子供よ。母が誤りたればこそ かく詫言いたせ共。つれなき父御のことばをきいたか。親や夫に敵と思はれ おぬしらとても生甲斐なし。此うへは父親もつたと思ふな 母斗が子成ぞや。みづからもながらへて非道の浮名ながさんことと未来をかけて情けなや。いざもろ共に四手(死手)の山にて いひわけせよ。いかに景清殿。わらはが心底是迄也と。弥石(長男)を引きよせ守り刀をずはと抜き。南無阿弥陀仏と刺し通せば 弥若(次男)驚き声を立」
阿古屋はなにを思ったか子どもを刺し殺したのである。
「人は一代、名は末代」における「非道の浮名」の流布を恐れたのか。
次男の泣き叫びながら命乞いをするすがたは哀れというほかない。
お父ちゃん、助けてくれと景清に嘆願するが、阿古屋は皮肉をいう。
「向こうに行ったら今度はお父さんに殺されますよ」
絶望した幼子はどうしたらいいかわからない。
「お兄さんは静かに死んでいったでしょう。
お母さんは死ななければお父さんに言い訳が立たないの。
さあ、死にましょう」
もう死ぬしかないと思い定めた幼子は兄の死骸によりかかり母の刃を待つのであった。
「阿古屋は目もくれ手もなへて まろび。伏してなげきしが。エエ今はかなふまじ 必ず前世の約束と思ひ母ばし怨むるな。追つつけゆくぞ南無阿弥陀と心もとを刺し通し。さあ今はうらみを晴らし給へ 迎へ給へ御仏と。かたなを喉にをしあて 兄弟が死骸の上にかつはと伏し。ともに空しくなり給ふ。さても是非なき風情なり。景清は身をもだへ泣けど叫べどかひぞなき。神や仏はなき世かの さりとてはゆるしてくれよ。やれ兄弟よ我が妻よと鬼に欺く景清も。声をあげてぞ泣きゐたり。ものの。哀れのかぎりなり」(P100)
専門的な話になるが、この子殺しのシーンはギリシア悲劇と比較されることがある。
エウリピデスの「メディア」である。だが、比べてみると悲劇のレベルが段違いである。
「出世景清」のほうが桁違いに悲劇的であるといえよう。
メディアは、夫への復讐のために子どもを殺し逃亡する。
殺害も観客から隠された場所で行なわれている。
いっぽう「出世景清」では夫の目前でいたましい殺害がなされている。
(これが可能なのは俳優を用いない人形芝居だからであろう)
そのうえ景清のまさに目の前で阿古屋は自害する。
このとき牢屋のなかで手も足も出せぬ景清の気持を思うと荘厳なものさえ感じられる。
眼前で子が殺され妻が死んでゆくのである。
それも自分の許さないと言ったのが直接的な原因なのだから。
直後に今度は自分のほうから妻や子に許しを乞う景清ほど
悲劇的な人物はなかなかいないだろう。
死でもって愛とも憎とも言いがたい巨大な感情を景清に伝える阿古屋は見事である。
景清の悲憤はすぐに放出される。阿古屋の兄が通りかかったのである。
十蔵は景清が牢屋にいると知ると、この武士を挑発する。
哀しみと怒りで全身が張り裂けんばかりの景清である。
堅固な牢屋もあっけなく砕け散った。
景清はかつて自分を売った十蔵を生きながらまっぷたつに裂く(う〜ん、バイオレンス!)。
どこへ逃げようかといったんは迷った景清だが、
どのみち小野姫が捕らえられてしまうと悟り、おとなしく牢屋のなかへ戻るのであった。
芝居の終わりでようやくにして源氏の総大将、源頼朝公のお出ましである。
景清の斬首処刑の報告を受けた頼朝だが、家臣のなかに景清を見たというものがいる。
一行が景清の首を見にいくと、あるべき場所に観世音の頭部が光り輝いていた。
ありがたい観世音菩薩の示現に感銘を受けた頼朝公は訴人景清を放免する。
頼朝公から請われ、居並ぶ家臣のまえで源平合戦の物語する景清であった。
宴も終わり、頼朝公がひきあげようとしたそのときである。
景清は抜刀し憎き平家のかたき源頼朝へ襲いかかろうとする。
異変に気づいた家臣は、みなみな刀を抜き身構える。
景清は刀を捨て、土下座して泣きむせぶのであった。
頼朝公からは恩賞もいただき感謝しなければならない身なのに、
凡夫ゆえか、かつての仇敵と思うと、知らぬ間に抜刀している。
すべてこの目がいけない。すがたさえ見えなければこんなことにはならぬ。
そう宣言すると、景清はおのが両目をくりだし、その場で頼朝公へ献上するのであった。
「頼朝もはなはだ御感有 前代未聞の侍かな。平家の恩を忘れぬごとく 又頼朝が恩をも忘れず。末世に忠をつくすべき仁義の勇士武士の手本は景清と。数の御褒美あさからず 鎌倉さして入給へば。なお景清は観音に。三萬三千三百巻の普門品を読誦して。日向の国を本領し 悦び悦び退出す。なをなを源氏のご繁昌。国静謐の始めなるはと皆。萬歳をぞ唱へける」(P111)