「図解雑学 こんなに面白い民俗学」(八木透・政岡伸洋:編著/ナツメ社)

→どうでもいい雑学ばかりと不満だったが、
考えてみれば図解雑学シリーズなのだから、これでよいのだろう。
「うちの父が死んだのは」「うちの雑煮は」「うちの嫁姑は」といったように、
執筆陣の自分語りがたまに挿入されるのでウザッと思った。
とはいえ民俗学は要するに田舎もんの珍妙な行動形式をルポするだけだから、
デタラメだらけの社会提言をやらかす社会学や精神医学に比べたらはるかに無害である。
役に立たないのが文系学問たる証なのだから、
ことさら役に立とうとする社会学や経済学のほうがおかしいのだろう。
よほどジジババの定年後の趣味として使える民俗学のほうが有益である。

呪いは因果関係が証明できないので犯罪ではないというくだりがおもしろかった。
呪いの効果はわからぬが、
コンクールや新人賞の審査員なぞやっているものは健康診断をサボるなよと忠告しておく。
現代は食生活が豊かになったので、
ハレ(非日常)の感覚が持ちにくいという指摘はたしかにそうだと思った。
むかしは自家製のマヨネーズやカレーライスごときで子どもは歓喜昇天したのである。
そう考えたらいまの子どもを非日常的領域まで喜ばそうと思ったら、
そうとうに難しいのではないか。
イスラーム諸国の断食などは胃に直接訴えるから、とても効果的な宗教行為なのだろう。

「ケルトの神話」(井村君江/ちくま文庫)

→ケルト神話に書かれていることを箇条書きにする。
・人は死ぬ。
・人間の周囲には目に見えぬ力が働いている。
・死は終わりではない。人間は生まれ変わる。
・貧しさも悲しさも苦しみもない世界がきっとどこかにある。
・男女問わず恋の病にかかることがある。恋は病なのかもしれない。
・ひとりの女を求めてふたりの男が争うことがある。
・人間は唐突に幸福から不幸のどん底に転落する。
・子を殺す親もいる。
・友人同士が殺しあわねばならぬこともある。
・美人は得とは限らない。
・人間はときに自殺をする。
・偶然になにが起こるかわからない。
・親指を舐めると知恵がひらめくことがあるかもしれない。
・人間が死ぬのは運命である。

新しい発見はひとつもないと思う。
我われは神話に描かれていることをすでに知っている。
だが、ほんとうに知ってはいない。
頭で知っているだけで、自分で発見していないからである。
人生は発見の連続である。喜びも悲しみも発見を通して味わうしかない。
発見を繰り返しながら、人生の苦みと甘みを味わうのが、生きるということだ。
大昔から人間はそうして生きてきた。これからもそのように生きていくのだろう。
神話から教えられることである。

(注)神話は語りかたがすべてだが、著者の口調は饒舌とは言いがたい。
もしケルト神話に興味をお持ちのかたがいらしたら、他の入門書を当たられるといい。
(だったら下に広告を貼るなよな、おれよ!)

「日本の昔話」(柳田国男/新潮文庫)

→思ったことをいくつか書きとめておく。
まず日本の昔話には、どうしてエロがないのだろう。
老若男女を問わず、みなさん、その実お好きでしょう。
目を皿のようにして探したものの、該当するのは「瓜子姫」しかなかった。
留守番をしている美しい瓜子姫。
あまのじゃくにだまされ戸を開けてしまい、全裸に剥(む)かれ木に縛りつけられる。
いいじゃない、いいじゃない、こういうの。どうしてほかにないのかふしぎ。

それから動物にやさしくしようと思った。
なんでも小動物の命を助けてやったりすると、あとで娘のすがたでやってくるという。
お嫁さんになってくれるためである。
もてようと髪型やファッションにこだわっているヤングは人生の法則をわかってないんだ。
昔からのルールをヤングは知ろうとしないからいけない。
ポイントは小動物なんだよ小動物。
これからは困っている小動物がいないか注意しようと思う。

偶然のすばらしさを昔話から学んだように思う。
日本昔話の物語構造でよくあるのが、正直者が偶然から得をするというもの。
あとから強欲者が真似をするが偶然は二度は起こらない。
かえって欲深者は損害をこうむってしまうことになる。
偶然というのは一度きりしか起こらないのである。
ねらって偶然を起こそうと思っても決して成功しない。
これはなにか人生の深い智慧を暗示しているような気がする。
「山の人生」(柳田国男/岩波文庫)

→柳田国男は、いったいなにがすごいんだか。
都や村の人生以外に「山の人生」があると。
むかしは狂って山へ入ったものが少なからずいたという。
山人とよばれるけったいなものたちの記録も残っている。
精神病は狐つきということで医者いらずの祈祷程度で治ってしまった例もある。
子どもの神隠しもあったとさ。
いやあ、人生いろいろ。都の人生。村の人生。山の人生。
山があるから生きていられた人もいたのかもしれないね。

ところで、いま閉鎖病棟の狂人を野に放ったらどうなるのだろう。
町へ行って大量殺人をするのか、それとも山にこもるのか。
山にこもってくれるなら医療費が軽減できていいなんて言うものは
人非人(にんぴにん)だぞう♪
「遠野物語」(柳田国男/角川文庫)

→付・遠野物語拾遺。いまさらながら古典を読んでみた。
なんというかインターネットと正反対の世界だね。
非情報化社会のこゆ~い噂話=「遠野物語」かと思われる。
いつの時代の人間もゴシップが好きなようだ。
娯楽に餓えている田舎もんどもは、かといってテレビもインターネットもないので、
事実を何倍にもふくらませ、人間ならではのどす黒い不健康な知識欲を満足させていた。
その証(あかし)がこの「遠野物語」なのだろう。
他人の幸福はねたましいし、長者が没落したら手をたたいて大笑いしたいのが本音。
けれども、閉鎖的な村落社会でそれをやるわけにはいかない。
だから、「遠野物語」のようなふしぎな話が生み出されたのではないか。
幸福になったものは善行をしたから、不幸になったものは悪行の報い。
とりあえず、こういうことにしておいて、他人が悪いことをしてたんまり稼ぐのを防ぐ(笑)。
「遠野物語」は断じて健康な作品ではない。
よってたつところは、疑いもなく人間のマイナスの部分
――下世話、嫉妬、嘲笑、恐怖、無知――である。

物語は偶然を必然に変えるために必要なものである。
ある家で障害児が生まれたら、それは偶然ではなく、河童の子でなければならない。
ある家が火事で焼かれたのなら、その家は寺に不義理をしていたに相違ない。
人間はよほど偶然を怖がる生き物のようである。
かつての遠野地方の住民は、偶然をこのような物語で無害化した。
では、現代の日本人は、偶然をどのように処理しているか。
偶然を人間のちから(努力)で支配できると錯覚しているのがいまの日本人だ。
努力すればかならず幸福になれる。不幸なのは努力していないからだ。
努力して健康を保てば長生きができる。
あたかも人間のちからは万能のような捉(とら)えかたがされている。

たしかにこの現代日本の風潮と引き比べると「遠野物語」が魅力的になるのだろう。
それはわたしも認めるところである。
だが、この「遠野物語」自体に文学的な価値があるかのような見解には与(くみ)しない。
学問的な価値はあるのだろうが、文学作品として見た場合、大した魅力はない。
よほど時間がありあまっているものでなければ、読む必要はないと思う。
まさに学生のための古典なのだろう。古典作品にはこのようなものが多い。
若いやつはなにをするかわからなくて危なっかしいから、
古典でも読ませておこうと思いついたかつての支配階級は偉大である。

(追記)おっと、この「遠野物語」がまるっとぜんぶフィクションだという説もあるらしいね。
正直、フィクションならもちっとヒネリを入れてほしいところ。話がつまらん。
田舎もんの知能程度を模倣したというのならわからなくもないけれども。
05/02/27 16:53:22

「AERA MOOK 日本神話がわかる。」(朝日新聞社)

→アエラムック、大好きです。
池袋のリブロが平積みにしていてくれたおかげでこの本の存在を知る。
アエラムックは以前「シェイクスピアがわかる。」でもお世話になったんだ。
ナツメ社の図解雑学シリーズとアエラムックは

独学者の味方です。

アエラムックは各方面の識者に、あらゆる方面から日本神話を語らせる。
うん、グーです。日本神話学習のシメにふさわしい。
おかげで、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケル、
みーんな身近な友達みたいに感じられるようになった。
なかでもアマテラスは愛子さまのご先祖さま。
皇族に友達ができたような気がする、わーい!

05/02/27 15:30:22

「日本神話入門―『古事記』をよむ」( 阪下圭八/岩波ジュニア新書)

→こんな本があったとは!
みなさま新しい分野を勉強するときどうしていますか。
大書店の専門コーナーに行っても文庫や新書は別扱いというところがほとんど。
(たまにそうではないというところがあり、そういう書店は重宝する)。
独学派は、こういうときだけ指導者がほしくなる(あとはいらない)。
やっぱり万人向けの文庫や、初心者向けの新書から入りたい(それに安い!)。
岩波ジュニア新書は高校生向け。
なら阿刀田さんの「楽しむ古事記」ではなく、これから日本神話に入るべきだったのか。
日本神話に関心をお持ちになったら、これから入るといいかもしれません。
あなどれません。岩波ジュニア新書。

05/02/09 14:18:57

「日本神話」(上田正昭/岩波新書)

→学問てえやつは、重箱の隅をつつきつづけるものなのか。
まいった。岩波新書だからと信頼していたら(考えてみたら信頼する根拠なんてないか)。
上のほうで書いたよね。
「一般的に」日本神話とは古事記の上巻に書かれた神々の物語だと。
だけど学者さんはこんなことを納得したら飯が食えなくなるわけで、
日本書紀やら、その異聞、また出雲風土記やらを持ち出してくる。

A(古事記)にはこう書いてあるが、
B(日本書紀)にああ書いてあるのはどうしてかというと、
それはCを見なければわからないのだが、
しかしここで注目したいのがDにこのような記載がある点で、
なんとか教授の新説の根拠となったEともこれは矛盾しないから……、
とこう延々とやっているのが本書。

感想は1行目に書いたことに尽きる。
この著者に読者を楽しませようなどという気持ちは微塵もない。
あとがきによると、本当は新書など書きたくなかったとのこと。
なら書かないでくださいよ……。
京都大学名誉教授か。生前は先生、先生とちやほやされたのかねえ。
上田正昭。その講義は不眠症の学生にさぞありがたがられたことでしょう。

05/02/09 13:49:31

「日本神話の英雄たち」(林道義/文春新書)

→かっこよくいうと、日本神話をユング心理学で読み解こうとする知の冒険書。
ふつうにいうと、日本神話をユング心理学で遊び尽くしましょうという本。
だから、あらかじめ日本神話のあらすじくらいは知っておかないとつらいかも。
ふむ。お客さんとしての評価は高い。わかりやすくて非常に満足。
(余談だけど、日本のユング紹介者の文章ってどうしてこんなにわかりやすいのだろう。
原典はあそこまで難解なのに)

で、この新書。読んでいる間は、すらすら頭に入ってくる。
もうわかってわかってしょうがない、てな感じで。
だけど、読了して1時間もたつと、え? と思えてくる。
なんか狐か狸に化かされたような。
おなじユング学者の河合隼雄の本を読んだ後にも似た感触。
なんなんでしょうかねえ、この感じ。ユングの胡散臭さ?
おっと、こっちの林道義は河合隼雄と一緒にはされたくないようで、
著書の中で何度も河合隼雄批判をしていました。……内ゲバはやめなさい(笑)。

05/02/09 13:20:42

「わかりやすい日本の神話」(出雲井晶/中公文庫)

→1月の新刊。
前述の阿刀田さんの本を読んでわかったのは、
じぶんが本当に何も日本神話について知らないこと。
そのため「楽しい古事記」は2回読みました。
まったくのゼロから日本神話というものを頭になじませるのはかなりたいへんでした。

で、日本神話2冊目がこれ。
本書は、うーん、微妙というほかない。
いい本なんです。
幼児に話しかけるようなわかりやすい文体、大きな活字、
絵まで入っている(これにかなり助けられたことを告白)。
……ただ一点をのぞけば。
著者のおばあさん、絶対的な天皇崇拝者なんです。
真性右翼とでもいうのでしょうか。
かなりの電波がでてるんですけど、笑ったなんていったら失礼かな。

天皇陛下は神様です。

なぜなら陛下の祖先は天照大神だからです。
ええ、そうですか。そうですか。そうですか。