「<神>の証明 なぜ宗教は成り立つか」(落合仁司/講談社現代新書)

→同志社大学の経済学部教授の書いたキリスト教寄りの宗教論。
経済学にもキリスト教にも(著者が仏教に詳しくないよう)
縁がないのでわからない部分が多かった。

わたしの言葉でわかりやすく説明すると、基本的に宗教は3パターンなんですよ。
1.「人間←神仏」(救済)
2.「人間→神仏」(修業)
3.「人間=神仏」(覚醒)
・神仏のほうから人間を救ってくれたり、見守ってくれる(=1)。
・人間が努力して神仏に近づいていく(=2)。
・人間がそのまま神仏であることに気づく(=3)。

仏教とは縁がない著者はこう定義している気がする(違うかもしれない)。
1.「人間←神仏」=(西方)キリスト教
2.「人間→神仏」=仏教
3.「人間=神仏」=ギリシア正教(東方キリスト教)

しかし、仏教だっていろいろあって、
そんな簡単にひとくくりにできるかという批判はあってもいいはずである。
1.「人間←神仏」=浄土宗、浄土真宗
2.「人間→神仏」=禅宗、日蓮宗
3.「人間=神仏」=密教、真言宗
わたしが経済学やキリスト教に無知なように、
著者は仏教をあまり勉強していないのだろう。

以下は、著者が宗教を1と2であると学者言葉で説明しているところだ。

「一つは、この世界の他者の方からこの世界に関わって来る。
たとえば神が人間と成ってこの世界に現れたり、
神が自らの言葉を人間に預けたりする類型、
この世界の他者がこの世界に内在して来る類型である。
二つは、この世界に生きる人間の方からこの世界の他者に関わろうとする。
たとえば人間が仏と成ってこの世界の他者と合一したり、
人間が自らも光と化して神の光と一致したりする類型、
この世界に生きる自己がこの世界を超越する類型である」(P24)


書き写してみると著者は2と3を一緒くたにしている気配もある。
これに対して経済学者の著者は文学的とも詩的とも言える疑問を提出する。

「神が人に成り、人が神に成らずして何の宗教か。
宗教はこの明らかな論理的な矛盾をどのように背負い込むのか」(P26)


無宗教だが仏教ファンで日本人のわたしはこれがわからない。
どこに論理的な矛盾があるのだろうか?
人が神になんてなれるはずがないだろう? 矛盾していません。
こういう態度を著者は世俗的であると指摘(批判?)する。
信仰の世俗化とは――。

「……人間が神や仏と関わる可能性を完全に否定することである。
神は存在するかも知れない、しかし神は活動せずこの世界に関わらない。
神は在る、しかし生きていないのである」(P148)


経済学者の著者はロマンティストのようで以下のような理想郷があるようだ。

「神は光であり、人間もまた光と成ることによって神と一つに成る」(P67)

この光というのが無限数であり、人間が「1」であり(「他者」がn+1?)、
なにやら数式が書かれているが、数学が苦手だったわたしにはわからない。
おそらく「1」が無限数であることをいろいろと証明しているのだろう。

ネットでちらほら感想を見ると、経済学者が神学に首を突っ込むな。
文系が理系にものを言うな。数式が間違っているぞ。
などと批判を受けている。仏教ファンのわたしも著者の仏教理解には首をかしげる。
だがしかし、著者の境界を飛び越えようというパイオニア精神は評価したい。
ひとつ庶民的指摘を最後にしておけば、
日本人の多くは仏教に興味がないし、
さらにその百分の一ほどにもキリスト教に関心はないし、
ましてやギリシア正教(東方キリスト教)などどうでもいいと思っていることである。

(関連記事)
「日本人・いのちの風光 梅原猛vs.ひろさちや対談集」(主婦の友社)

「日蓮の本」(学研) *再々読

→日蓮関係の本をあまり読んでいないのだが、
この学研の「日蓮の本」は業界を少々知ったいま読み直しても改めてすごい。
おそらく宮本輝、創価学会ラインで、はじめて日蓮という存在を意識したとき、
最初に読んだのはこの本だったのではないか。
いまだからこそわかる面もあるのだろうが、
小著なのに実にわかりやすく、偏っておらず、批判的でもなく、しかも包括的で、
なによりおもしろい出来に仕上がっている。
大著よりも意外とこういう本をつくるのが難しいと自称読書家の僕は思う。
本当に内容をわかっていないとわかりやすく短くまとめられないわけだから。
この本は日蓮の多様な側面を偏向的にならずに党派性も見せず簡潔にまとめている。
巻末の法華経要約なんて本当に優秀で、あれを書いたライターはだれなのか?
あれほどわかりやすい法華経の要約はよほど対象を理解していないとできないはずだ。
でもまあ俯瞰的に見て、日蓮系はあたまのネジがゆるんだやつが多く、そこがおもしろい。
むかし15年近くまえインドのヴァイシャリーで、
日本寺妙法寺の和尚さんの車でバス停まで送ってもらったことがある。
そのとき車内で聞きたくて聞けなかったのは、
南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の違いってなんですか? 
そんなこともわからなかった。若かった。大胆だったが同時に繊細で臆病だった。
29歳だった僕は42歳になり、ようやくそれを独学で理解しました。
おのれに課した宿題を間違っているかもしれないが一応解した。
本書は日蓮入門書として非常に優れています。

「仏像でわかる仏教入門」(ひろさちや/講談社+α新書)

→いまでさえ、ひろさちや先生の入門書を読むくらい仏教がわからない。
仏教学者の説はイミフだし僧侶の説教はひたすら退屈だし、いまもって救われない。
いままでなんのために仏教を勉強してきたんだろうなあ。
10年以上仏教を学んでも、ひろさちやの入門書っていう、そのね。
本書でも法身仏、応身仏、報身仏の違いがわかりやすく書かれていたが、
どうせすぐ忘れるような気がするし、
そんなことを覚えても一文にもならないし救われない。
観音菩薩みたいな存在が現われて、パーッと救われちゃうようなこともありそうだが、
いまの自分を考えるとありえないとも思う。
インドやアジア各地で無数の仏像や仏画は見たが、どれひとつとして感動したことがない。
ラオスのビエンチャンの、あれはなんだったか、いちばん有名な寺の仏画に、
エロそうな裸の女をイヒヒと笑いながら男たちがむさぼっているものがあり、
それはいまでも覚えているが、あれはなんだったのだろう。
高僧が来て説教をしはじめ、みんな神妙に聞いていたので、
僕も最後尾で真似をして聞いた。説教は終わるのが早くそこがよかった。
最後に高僧は聴衆のなかに分け入り金を集め始めた。
むろんのこと、このタイミングに感謝して僕も少額だがお布施をした。

終わったあとがすごいのである。ラオスは仏教徒の若者のパワーがある。
寺の敷地内でものすごい大音量でラオス歌謡曲を鳴らし、
トラックの荷台に若い女が立って踊り狂っている。
若い男たちもみんな大盛り上がり。そのときそれを見て僕はなぜか感動して涙した。
結局、仏像や仏画よりも人間が好きなのだと改めて思った。
あのラオスでの感動は忘れられない。

ひろさちや先生のご意見を誤解すると、仏像のいいところは物言わぬところか。
がために、人はそれぞれの機根にしたがって、仏から教えを受けることができる。
万民に共通の絶対的説教なんてないわけだ。
若いか老いぼれか、男か女かでも変わるだろうし、貴賤賢愚でも教えは変わろう。
仏像は物言わぬ。このゆえ、人はそれぞれ自身の仏と向き合うことができる。
いやさ、あはっ、僕はそんな経験はありませんよ。
仏像よりもなまの人間のほうがどこでもおもしろかった。
しかし、宗教指導者よりは物言わぬ仏像のほうがいいというのはわからなくもない。

「わが家の仏教 浄土宗」(藤井正雄・清水秀浩/四季社)

→本書に収録されている「三尊礼」というのが、なんかよくてさあ。
禁酒した晩の寝る直前には、なぜかこのお経を唱えていた。
出典が書いていないんだよ。だれが創ったのかわからない。
まあ、そんなことは感想を書くときにネットでちゃちゃっと調べればいいよねという。
でも、なんかよくてさ、つい唱えちゃうんだよねえ。
で、いま調べたら、あれは善導の言葉だったのか。
梅原猛がロマンティストの詩人と評していた中国の坊さん。
「三尊礼」は善導の「往生礼讃(偈)」の一節で「六時礼讃」と呼ばれることもある。
節(メロディー)をつけて歌うもので、日本最高の仏教音楽という説もある。
法然の弟子の安楽と住蓮はこれがうまく、
独自メロディーで皇室の女性だかをかどかわして出家させちゃったという。
結果、おかみが怒って法然は流罪で、
安楽・住蓮は首切り処刑になってしまたといういわくつきのお経がこれか。
もしかしたらわたしはわずかながらにせよ宗教的才能があるのかしら。
善導という作者名を知らないでも、
「三尊礼」=「往生礼讃(偈)」=「六時礼讃」は美しいと思ったのだから。
歌詞は決まっていてもメロディーは決まっていない。
もしかしたら日本最初の天才作曲家は死刑囚、安楽だったのかもしれない。
作曲をしたのは安楽だと梅原猛は書いている。
メロディーをつくれる人は本当にすごいと思う。
お経なんて、ラップ調というか、ほら大黒摩季の、
ほらあの「熱くなれの」歌の途中の、
ほらあんな感じで、あんなリズムでやってもおもしろいのにね。
お経は言葉だけでメロディーがないのだから、伝統なんかにこだわらなくてもさ。

「全文現代語訳 浄土三部経」(大角修=訳・解説/角川ソフィア文庫)

→浄土三部経とは、「(大)無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」のこと。
ブログを調べてみたら浄土三部経はいろいろな訳で4回読んでいるので5回目か。
大角修さんの角川ソフィア版の特徴はとにかくマイルドなところ。
「無量寿経」なんかけっこうむごい汚らしい表現があるのだが、きれいに解釈している。
訳注は読みづらいだろうと読者の便宜をはかり、すべて訳文自体に込めている。
しかし、これが現代語訳なのかと聞かれたら複雑で、
大角修さんの創作に近くなっているところもあり、
そうは言っても独自な解釈とはそういうことだろうと言われたらそれも否定できなく、
いい仕事であることは間違いない。
浄土三部経なんか読まなくてもいいと思うけれども、
発心したのなら角川ソフィア版が、
いちばん新しいしマイルドだしわかりやすいからおすすめ。

本書の「観無量寿経」で両親を殺した阿闍世(あじゃせ)の救いや、
悪役の提婆達多(だいばだった)の救いの話が出てくるが、
それは「観無量寿経」には書かれていないのではないか?
たしかに「観無量寿経」の終わり方はまったく救いがなく、
このような説話を付け加えたほうが物語としてはカタルシスがあるが、いいのか?
「観無量寿経」はその救いのなさがある種の魅力という見方もできると思うが、しかし。
このお経で自分の息子がいままさに父親を殺そうとしているとき、
その息子の母親の韋提希(いだいけ)夫人が嘆くところがある。

「わたくしはなぜ、阿闍世のような悪しき子を生むことになったのでございましょうか。
わたくしは前世に、どのような罪をおかし、
この報いを受けているのでございましょうか」(P66)


この問いに世尊(釈尊/釈迦)は答えず、西方浄土を観想する方法を教えるのみだ。
しかし、これは見方によっては答えとも言えて、
仏教を知るために韋提希夫人はこのような苦しみを受けているという解釈もあろう。
ブログに仏教本の記事を書き出すとアクセス数が顕著に下がるのだが、
それは仕方がない。現代日本を生きるお忙しいみなさまが、
非科学的な仏教なんかにご興味を持たないのはわかります。
「なぜ?」から仏教のみならず宗教は始まる。
いったいなぜどういう理由で自分ばかり苦しまなければならないのだろう?
この基本の疑問がないと仏教の本を読む気にならないだろう。
おのれの無力を知ってはじめて人は人間世界を超えたものに思いを馳せる。
教会で結婚式を挙げたばかりのラブラブの新婚さんはもっとも仏教には縁遠い。
酒井法子は薬物事件で逮捕され留置所にいたとき、
天台宗の瀬戸内寂聴さんの本を差し入れてもらい読んだという。
酒井法子本人だって、自分がどうして覚醒剤なんかやったのかわからないのである。
どうしてサーファーと結婚したのかも、どうしてあんなに孤独を感じたのかも、
いったいなにゆえ自分はヤクザの娘で、しかしとびきり美しい女として生まれたのか。

本書で法華経などに見られる全員集合の熱狂は祭礼だという指摘がされており、
まこと卓見だと思った。ライブの盛り上がりが大乗仏典の世界なのである。
みんなが盛り上がってイエイ、イエイ、ワイワイやっているのが
大乗仏典だと考えたら、読むぶんには退屈な、
えんえんと仏の名前が続くあれも昂揚の象徴なのだということがわかる。
実際にお経の世界(細かく言えば「阿弥陀経」の世界)を現実に垣間見せたのが、
踊り念仏の一遍で、盆踊りの根っこはそこという説もあるし、
ディスコもある種のクラブも、そしてAKBのようなユニットダンスもそうだろう。
その瞬間だけは辛いことを忘れられる。ならば、なぜ極楽浄土を見ないのか?
それが「観無量寿経」であり「阿弥陀経」である。
「観無量寿経」は催眠術療法やイメージ療法の基礎でもある。
美しい世界をイメージしたら、いまの辛いことを忘れられる。
努力してもどうしようもないことや、もう起こってしまった取り返しのつかないことはある。
無力。無力の自覚が浄土三部経。無力、ひとり、生まれ、死ぬ。
無力でたったひとりでさみしく死んでいくのが人間であると世尊が説いたのが「無量寿経」。

いままで「無量寿経」で説かれている48願というのが本当によくわからなかった。
それは法蔵菩薩が48の願を立てて阿弥陀仏になったから、
要するにみんな仏名を聞けば仏になれるよっていうあれのこと。
あれはお坊さんでもよくわからない人がいるんじゃないですか?
わたしもどんな解説書を読んでも「はあ?」としか思えなかったが、
この齢になって意味するところがようやくわかった。
法蔵菩薩は人間代表なんだよ。
で、生まれ変わりを無数に繰り返し修業して仏になるというのは、
あれはたとえれば選挙に出馬した立候補者のようなもの。
自分が仏になったら(成仏!)、これこれをやりますと公約したのが法蔵菩薩。
いま阿弥陀仏はいるだろう。人間の法蔵は仏になった。
しかるがゆえに法蔵菩薩の選挙公約は果たされるというのが48願の意味である。
全編マイルドな本書だが第35願の翻訳が危ない。

「たとえわたくしが仏になる時が来ても、十万無量、不可思議数の諸仏世界において、
女人が我が仏名を聞いて歓喜信楽し、菩提心を起こして、
女性である身を厭(いと)うて寿命が尽きたのちに再び女性に生まれるならば、
わたくしは仏になりません」(P201)


本願寺出版の翻訳を見てみたら、ここはわざと意味不明な文章にしてごまかしていた。
これって女性は仏名を聞いたら、
女である身を恥と思えという意味に直球で解釈されてしまう。
女性に生まれてくるのは不幸だ、災いだとはっきり書いてしまっている。
女性に質問したいのは、生まれ変わったらまた女性になりたいですかってこと。
ある人に聞いたら、絶対次は男ね、と言っていた。
わたしは生まれ変わったら美女になって、たんまりしこたま悪いことをしてやりたい。
まあ、13、4歳で売春宿に売り飛ばされる貧乏娘は絶対いやだけれど。
こんなことを言ったら差別になるのかもしれないが、
仏教は極めて閉じた暴力団のような男性社会のようなところが、よくも悪くもある。

本書のコラムで学んだことは多い。
「方丈記」で有名な鴨長明は、阿弥陀仏の絵像をかけながら、
毎日法華経を読誦して極楽往生を祈っていたという。
平安時代では法華経を唱えながら往生を願うのはみんなやっていたことらしい。
「往生要集」で知られる源信は、二十五三味会というものを開催していた。
これは基本的には念仏の会なのだが、午前中は法華経を唱え、
死者が出たら密教の真言を唱えていたという。
念仏と法華信仰と密教が渾然一体となっていたという。
2、3度読んでいたが、気づかなかったのは近松門左衛門の「曽根崎心中」。
あれは南無阿弥陀仏と唱えながらふたりは自殺している。
あの世でいっしょになろうと刃物でおのれの身を削った。
しかし、末文は「貴賤群衆の回向の種。未来成仏疑ひなき、恋の。手本となりにける」
と終わっている。自殺しても成仏できること。
そして、女のほうが成仏したあと男になってしまったら、
それは男女の恋ではないだろうと著者がおもしろい指摘をしていた。

「法然 十五歳の闇(上)(下)」(梅原猛/角川ソフィア文庫)

→法然の絵伝は複数あるようだが、これは梅原猛が書いた現代の法然の伝記である。
さすが勉強家の梅原猛だけのことはあり、知らなかったことがいっぱいあった。
以下列記すると――。
法然の師匠は叡空だが、叡空の師匠は融通念仏で知られる良忍だったのか。
で、良忍は「往生要集」を書いた源信の孫弟子。
話は変わるが、栗田勇氏は踊り念仏の一遍は法然を嫌い、
良忍を慕っていたのではないかという説を出している。

法然は民衆を救ったようなイメージで語られるが、
後白河法皇や九条兼実ら権力者の支持を獲得する政治的な面もあった。
宗門の事情で、法然の祖先は皇族だろういう説もあるが、それは嘘だろう。
法然研究の学説の正しさは、しょせん論者のアカデミックな立場の上下で決まる。
梅原猛は宗教的香気の強弱で絵伝のどれか正しいか決めるそうだが、
それもまた果たして学問と言えるのだろうか?
梅原猛は、法然は父のみならず母も殺されているのではないか、
という新説(珍説)を出している。

天台宗の法華一乗思想は「草木国土悉皆成仏」まで行き着いたが、
法然の説いた専修念仏による万民救済も意図するところはおなじで、
法然は結局のところ天台宗の僧侶であった。
夢で善導と会うという神秘体験が法然に反発が予想される布教を決意させた。
法然の弟子の安楽は、善導の詩文集「往生礼讃」に
独自の哀しくも美しい節をつけて歌い人気を取った。これは「六時礼讃」と呼ばれる。
しかし、この「六時礼讃」興業が問題となり、法然流罪の原因となる。
安楽自身も相方の住蓮とともに処刑された。
善導は放浪の仏教詩人で、書き残したものは極楽を観想する詩文ばかりで、
唯一の理論書である「観無量寿経疏」は中国ではあまり流伝せず、日本にのみ残った。
耽美家で芸術家肌の善導とは異なる理論家の法然は、
この「観無量寿経疏」を重んじたという。

75歳で法然は流罪に遭うのだが、
このとき師を思いやる手紙を書いたのは信徒の津戸三郎という元武士で、
それに対する法然の返信がすばらしい。
先に梅原猛の通解を出し、続いて原文を本書から引用する。

「こういう明日をも知れぬ年老いた身に
とんでもない醜いことが起こる所が即ちこの穢土(えど)であり、
この穢土に希望をかけず早く往生しようと思う。
それ故この穢土で起こったことは誰も彼も恨みと思わず、
わが身の宿報と私は思っているので、あなたもそう思ってください」


「但(ただ)し今生のことは是(これ)に付ても、
我も人も思知(おもいし)るべきことに候(そうろう)。
いとひてもいとはんと思召(おぼしめす)べく候。
けふともあすとも知り候はぬ身に、かゝる目を見候、心うき事にて候へども、
さればこそ穢土のならひにては候へ。
只(ただ)とくとく往生をせばやとこそ思ひ候へ。
誰も是を遺恨の事になぞゆめにも不可思召(おぼしめすべからず)候。
然(しか)るべき身の宿報と申」(下巻P131)


この手紙をもらった鎌倉の津戸三郎は、
法然の死んだ80歳のときに師に合わせるように切腹して往生を遂げたという。
「只とくとく往生をせばやとこそ思ひ候へ」――。
「然るべき身の宿報」――。
南無阿弥陀仏の哀しくも美しい、どこかしら歌謡曲を感じさせる世界である。

「消息文」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→ご存じでしょうが、消息文とは手紙のこと。
手紙ってけっこう本性が現われるって聞くし、
借金を頼む手紙とラブレターほどおもしろものはないという説もなくはない。
このため法然の手紙集はかなり楽しみにしていたのだが、権威にこだわるのか岩波書店。
どうしてかわからないがカタカナと漢字のみの手紙が多く、読みにくいったらありゃしない。
何回も読んだら意味は取れなくもないが、そんな暇人ばかりではないのでないか。
法然の手紙は、日蓮や蓮如のそれと比べると情味はあまりなくあくまでも理知的である。
しかしさ、いまの話、歴史の話、
どうして浄土宗系と日蓮宗系はこんなに仲が悪いのだろう。
仏教に興味がない人は知らないのだが、
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経は犬猿の仲でしょう。どちらも根っこは天台宗。
しかるがゆえに、「観音経」と踊り念仏の一遍が大好きだという瀬戸内寂聴の天台宗が
いちばん包容力があるのかもしれない。
関係ない話をすると、寂聴さんが田舎の寺の住職をやっていたとき、
無料で戒名をつけていたというのはクソババアの彼女が嫌いな人も驚くだろう美談。
それは原稿料収入が多額にあったからで、他の天台宗僧侶は戒名で稼いでいる。
知っている人は知っている話だが、坊主にも軍隊のような僧位があって、
位が高い坊さんに格式の高い戒名をつけてもらうほど値が張る。
我われ庶民には信じられない、とんでもない額になる。しかも無税というね。

さて、日蓮宗系の法華経と犬猿の仲の浄土三部経はどちらがいわゆる上なのか。
答えは、おそらくたぶん法華経。
それはなぜかといえば、歴史ある天台宗の根本経典は法華経だし、
実在したかいまでは疑問視されている聖徳太子も法華経を重んじていたし、
平安初期に書かれたという日本最古の説話集「日本霊異記」にも
下層民の物語として法華経(法花経)ばかり出てくるからである。
かなりまえに読んだのでそこまで絶対の記憶ではないが、
「日本霊異記」には浄土三部経なんて一度も登場しなかった。
どこまで客観的にわたしがなれるかは不安だが、
まあ客観的にいえば浄土三部経よりは法華経のほうが物語になっているためおもしろい。
法華経はヤクザみたいな教えで、
自分に逆らうと仏罰が当たるぞというようなことが平気で書かれている。
実在したインドの釈迦なんて、
おれさま法華経に比べたら大したことがないね、というのが法華経とも言える。
わたしも含めて偉い(偉そう?)な人には、なびくというのが人間というもの。
平安末期に密教と並んで法華経が王さまだったと思うゆえんである。
そこに天台宗に後足で砂をかける形で飛び出した法然が現われ、
法華経よりも浄土三部経のほうがいわゆる上とやったわけである。
根拠は善導という中国のマイナーな田舎坊主。相当な波乱を巻き起こしたと思う。

消息文に、念仏といっしょに法華経も唱えちゃダメですかという問いがある。
これに法然がどう答えたか。引用してもいいのだが、カタカナ書き下し文で、
4、5回読まないと(バカな当方だからか)わからないので趣旨を書く。
天台宗出身の法然だからか、
あの智者の法然でさえ異常なほど法華経にびくついているのである。
これは違う宗のことなのでよくわからない。間違ったことは恐れ多くて言えない。
そう厳重に断っておいて、善導に逃げるのである。
自分はわからないがと責任逃れをして、善導はこう言っていたとやる。
善導は念仏以外では往生できないと書いている。
善導は念仏の人はみな往生できるが、他の行ないでは百人に1、2人、
千人に4、5人しか極楽浄土に生まれないと言っている。
確率では最大2%、最低0.4%は法華経を唱えても往生できるとのことである。
奉公先の母校である天台宗に媚びを売っているとも言えなくもない。
そのくらい法華経は強く、浄土三部経は弱かったのである。

読者層がわからないので失礼なことを書くと北条政子。
ごめんねさい、わかりますよね北条政子。
鎌倉幕府の北条政子。源頼朝夫人の北条政子。
北条政子から来た手紙の法然による返事が(本物か偽物かわからぬが)ある(P188)。
繰り返し読んだら、法然がけっこう政治をできるやつだったことがわかる。
当時出家していたのかどうかはわからないが、
いまは残っていないだろう北条政子の出した手紙の内容も推測がつかないわけではない。
最初に法然はやたら功徳うんぬんについて説明していたが、
それは北条政子が念仏には功徳があるのかどうかを中心に質問してきたのだろう。
それが女性のいいところとも言えるのだが、女性は損になることをやらない。
このゆえに問題は功徳に終結される。
男性はバカだから功徳とか考えずに、
損得度外視でたとえば一国の王子だった釈迦のように家出する。
損得や功徳なんか考えていたら本来は仏教はできないのだが、
そこは法然も法然で、
念仏の功徳はあるということを釈迦の弟子発言を権威として引用後、
念仏の功徳(損は致しません)を強力アピールしている。
もうひとつ、この手紙からわかるのは北条政子の尊大さ。
法然が念仏は無智のものばかりではなく、
有智のものも往生させますと書いていることから、
北条政子がかなり高飛車な智者女、インテリ女めいた手紙を送ってきたことがわかる。
これに対して、法然は貴女のような学識あるお偉い方でも往生できます、
と丁寧に政治を考え返答した手紙がこれだとも言うことができるのではないか。
法然が師事する善導は女人を見なかったというが、
こういう女性のいやらしさを知っていたのだろう(「七箇条制誡」校注による)。

日蓮系の創価学会といえば宿命転換だが、
実は法華経にはあまり宿命や宿業について書かれていない。
もっとも人間の宿命、宿業を禍々しく差別的に描いているのは、
浄土三部経の大無量寿経である。
貧乏なのも片輪なのも難病になったのも、
すべては前世の悪業のせいだとあからさまに断言しているのが、
法然が念仏信心、念仏布教の典拠にした大無量寿経。
法華経にも不具者になったのは、
過去世でこのお経を誹謗したからだと書いてあることはあるが、
大無量寿経ほど露骨に差別心丸出しでは書いていない。
法然からしたら、法華経は自力の聖道門で大無量寿経は他力の浄土門だが、
そこには法然の無力の自覚があったのだと思う。無力。だから、他力をたのむ。
法然の父親は少年期に殺害されたのだが(これが出家の機縁となった)、
父が死ぬ直前にこれは宿業だから仕返しするなと言ったという伝記が残っている。
法然には、どうしようもない今生への諦念があったのではないか。
現世のこの世は宿業、宿命、宿善、宿悪でどうしようもないが、無力ではあるけれど、
せめて念仏くらいならできるのではないかというのは絶望であり希望である。
この世で恵まれるのは宿善で、辛い思いをするのもいまの自分が悪いせいではなく、
過去世の悪業だが、そういうのはすべて南無阿弥陀仏で消せる。
嘘かもしれないが、希望であるならば、それが人間の真実である。
宿命の善し悪しにかかわらず念仏で往生できると説いたのが法然である。

「宿善によりて[宿命のおかげで]往生すべし人の申(もうし)候らん、
ひが事[間違い]にては候はず。
かりそめのこの世の果報[幸福]だにも、さきの世の罪、功徳によりて、
よくもあしくもむ[生]まるゝ事にて候へば、まして往生程の大事、
かならず宿善によるべしと聖教[大無量寿経]にも候やらん。
たゞし念仏往生は宿善のなきにもより[助け]候はぬやらん」(P220)


法然の弟子であったとして有名なのは熊谷直実だが、またここで読者層がわからない。
熊谷直実は「平家物語」の「敦盛最期」で出て来たあの人である。
源平(源氏と平氏)の「一ノ谷の合戦」で、
源義経は卑怯とも無謀とも天才とも思える奇襲を仕掛けた。
そのとき、義経の部下として活躍したのが熊谷直実である。
海上に向けて逃げる平氏の若い武士を熊谷直実は追った。
「武士なら逃げるな。おれと戦え」
若者は応じて交戦したが、熊谷直実にはかなわず、押し倒され、あとは首を切るだけ。
熊谷直実が若武者の顔を見たら、
自分の17歳の息子とおなじくらいの年齢だったのでためらう。
自分は田舎侍だと名乗る。
若武者は名乗らず、自分の首を見せたら、だれもがわかるだろうと言う。
どうして息子のような青年を殺さなければならないのか熊谷直実は迷う。
いっそのこと逃がしてしまってもいいのではないか。逃がそうと思う。
しかし、後ろからが源氏の大群が迫ってきている。どうせ逃がしても殺されてしまう。
ならばと断腸の思いで息子のような青年を切ったという。
若武者は平敦盛という平氏の貴公子だった。
熊谷直実は無念の思いから法然の仏門に入った。
これはフィクションの「平家物語」に書いてあることで、事実ではないかもしれず、
いわば伝説の類なのだが「平家物語」には南無妙法蓮華経ではなく、
南無阿弥陀仏が底にあるのは読んだから、そして好きだからわかる。

どうしようもなかったことがある。
それはもうどうしようもない。
しかし、南無阿弥陀仏ならば――。
以下は法然が熊谷直実に書いた返信の手紙より。
当時の武士だから仕方がないのだが、
いまでいえば殺人鬼の熊谷直実は何べんも繰り返し念仏を唱えたという。

「まめやかに一心に三万・五万、念仏をつとめさせたまはゞ、
せうせうの戎行[ルール]やぶれさせおはしまし候とも、
往生はそれにはより候まじきことに候」(P166)


法然は念仏は多くすればすればするほどいいという思想で、
親鸞のような一念往生義(1回の念仏で救われる)は認めていなかったようだが、
そういう立場は熊谷直実のような出家した武士の信徒がいたからかもしれない。
最後にいちばん好きな法然の手紙を紹介した。

「無量寿経釈」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→宗教で嫌いなのは信者へ他宗批判の攻撃心と堕地獄の恐怖心を植樹するところ。
法然もこの「無量寿経釈」でそれをやっているんだなあ。
「正しい」を求める心ってなんなのだろう。
言葉は二分法を離れられないから(善悪、損得、正誤、美醜、高低)、
「正しい」を追求すると必然的に「誤まり」を生み出し、それが他を邪悪のように思わせる。
わたしの解釈では、踊り念仏の一遍は南無阿弥陀仏と一体化することで、
二分法(相対)を超えた「歓喜踊躍(かんきゆやく)」(大無量寿経)の
絶対的なラリラリ・ワールドに入った人だから、
法然もそれに近いところがあるのかと思ったら、法然も他宗批判と堕地獄を説いており、
踊り念仏の土台までしか造れなかったように思われる。

先日、ある人に地獄ってあるんですか? と聞かれたが、
地獄は浄土の対立概念で、言葉は二分法だから、
浄土と言っちゃうと地獄も創らざるをえなくなるという話で、それだけで。
浄土を証明するためには地獄を強調するしかない。
念仏を正行だと信じれば信じるほど余行が邪や魔に見えてくるという言語構造。
法然は言語達人だったが、
その世界から抜け出られず年々言葉の蟻地獄に沈んでいったのかもしれない。
しかし、結局最後の遺言めいた「一枚起請文」では、
南無阿弥陀仏だけでいいと言っているから言葉の秘密に気づいていたのかもしれない。
本書で法然が言っている念仏が「正しい」理由は――。
禅は禅をやった人しか往生できないし、
法華経の人も華厳宗も三輪宗も法相宗もそうだし、
真言も唯識も勉強や修業をした人しか救わないが、
念仏はそれらの人をも含めてあまねく万民を往生させるから「正しい」――。
ここまではいいのだが、このために他宗は邪宗とやっちゃうところが法然の限界かなあ。
「正しい」念仏を誹謗するものは地獄に堕ちると宣言するところも独善的でいやだ。
どうして宗教的指導者は「正しい」ことを熱望し天国(浄土)と地獄を創るのだろう?

「仏一音をもつて説法を演(の)ぶ。
衆生類に随つておのおの解(げ)することを得云々。
仏意は多含なり」(P76)


ここでストップできないで優劣、正誤、善悪を決めたがるのが人間であり言葉である。
念仏は――。

「誰人かこれを聴いて踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)せざる。
しかるにある人これを聴いて誹謗をなす。
まさに知るべし、この人は五劫の中に大地獄に堕つべし」(P78)


踊躍歓喜していればいいのに人は地獄を創作してしまう。
天台の一念三千思想めいたことを言うと、地獄のなかに浄土があるのかもしれない。
浄土はあたかも地獄のようなのかもしれない。

「三部経大意」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→「選択本願念仏集」よりもまだ若い時期に記した「三部経大意」のほうがいい。
というか、わたしの仏教観と似ている。
読みにくさを証明するためにあとで引用をするが、カタカナで書き下しているのである。
三部経とは大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経で、
本書は法然が根本経典の意味を独自に解釈したものである。
いわく、華厳経の教え、般若経の教え、法華経の教え、涅槃経の教えといろいろあるが、
だれが仏説を信じないということがあろうか。

「コレモ仏説ナリ、カレモ仏説ナリ、
イヅレオ(を)カ信ジ、イヅレオ(を)カ信ゼザラム」(P33)


真言宗の阿字不本生(あじぶほんぶしょう)はなにを言っているかといったら、
八万四千の法門はみな「阿」という字から生まれている。
一切すべての仏法は「阿」を離れることがない。
阿弥陀の教えも真言密教とおなじで「阿」から始まっているではないか。
すべて阿弥陀のなかに眠っており、
それをどう解釈するかの違いに過ぎないのではないか。

「カクノゴトク諸宗オノオノワガ存ズルトコロノ法ニツキテ、
阿弥陀ノ三字ヲ解釈セリ」(P34)


「群盲、象を評す」のような話で八万四千の法門は、
たった一頭の像を多くの盲人がいろいろなさまざまな角度から触り、
それぞれの感想を言ったようなもので(それは当然のように異なる)、
その象を言うなれば「阿弥陀」という三字で表現してもいいのではないか。
阿弥陀仏の別願(大無量寿経で誓った第十八願)の意味は、
「みんな仏になれる」という、いまで言うなれば選挙公約みたいなものである。
不思議な奇跡のような話である。

「仏ノ別願の不思議ハ、タゞ心ノハカルトコロニアラズ、
タゞ仏ト仏ノミヨクシタマヘリ」(P32)


これは法華経に説かれている「唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ/ただ仏と仏とのみ)で、
意味は諸法実相といって、我われには仏の世界のことはよくわからない。
そのわからない(唯仏与仏の)仏と仏のみが知っている世界を、
我われは中道だの空だの三諦円融だの唯識だの諸法実相だのと言っているが、
それは阿弥陀という三字をさまざまに「群盲、象を評す」的に解釈したものではないか。
反対から言えば諸法実相と言ってもいいが、とりあえず自分は阿弥陀と言いたい。
諸法実相は学会員が毎朝毎晩読む法華経方便品第二に説かれている内容だし、
この時期の法然の信心に近いものをわたしは有している。
法然は「三部経大意」を「とにかく疑うことなく信じましょう」で終わらせている。
どうしてこの後、法然は日蓮ほど排他的ではないが、
念仏しか認めないような人になってしまったのか、そこがわからない。
本書にも萌芽はあって釈迦は死んだのちに阿弥陀仏になり、
その阿弥陀仏こそ善導なのだという、いかにも宗教といった内容が記されている。

「往生要集釈」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→「選択本願念仏集」へいたるまでの道のりを見ていきたい。
法然は本書(講演の記録とも言われる)で、なにを言いたかったのか。
中国古僧の道綽や善導を重んじよ、である。
道綽の「安楽集」を読め。それから善導の「観経疏」を読め。
しかし、当時の天台宗で道綽や善導はあまり流行っていなかった。
本場の中国でだってどうだかという話もあるくらいである。
ならば、秀才の法然はどうするかといったら、
天台浄土教の大成者である源信の名著とされる「往生要集」を持ち出してくる。
「往生要集」ならばみんな読んでいるし、評価も高い。すなわち権威がある。
博識ぶって(いや本当に博覧強記なのだが)いろいろな経典や論書を引用しながら
「往生要集」の解釈を自分の寄せたいほうへ持って行く。
研究者によると源信は智顗(ちぎ)のほうを善導よりも重んじていたらしいのだが、
法然は多数の仏典からの引用を証拠として出し、
源信は「往生要集」で道綽、善導を重要視していたと結論づける。
「往生要集」の本当の意味はこうだとオリジナルの独自解釈を証明してみせた。
こうして源信の「往生要集」の権威を利用して道綽、善導の株を上げたわけである。
聞いたこともない経典や名前がたくさん出て来たので、
法然の勉強好きには降参する。おそらく当時の同僚僧侶もそうであっただろう。