「病む女はなぜ村上春樹を読むか」(小谷野敦/ベスト新書)

→知る人ぞ知る日本最高の文芸評論家の鋭書を遅ればせながら拝読する。
大学時代に好きだった女の子が村上春樹を好きだったので、
好きな子が好きな本を読むという傾向はありがちだと思うけれど、
2000年までのノーベル賞候補作家・村上春樹氏の本はほとんど読んでいる。
大学卒業直後に家族のリアルな不幸があり、
それ以降はフィクションの春樹はどうでもよくなった。
おなじ大学だったので文学部キャンパスの描写にはウフフンと思った記憶がある。
とはいえ、いまとなったら村上春樹の小説はほとんど覚えていない。
文キャン女子のハルキスト率は高く、
ライフコース教授にもハルキストを公言しているО先生もいたくらいだ。
小谷野敦御大は珍説(最新の学説?)をご披露なさっている。

1.村上春樹の小説にはフェラチオ(口淫/チン棒おしゃぶり)をする女が頻出する。
2.じつのところ東大のおれ(小谷野)もフェラチオが好きだ。
3.セックスよりも好きなくらいだ。
4.しかし、東大のおれは、女サイドはフェラチオを嫌っていると長らく思っていた。
5.だが、出会い系で会った女にこころの底からフェラチオが好きだという変態女がいた。
6.その女は春樹小説登場女性レベル以上にこころが壊れ病んでおり恐怖だった。
7.東大のおれはこのバカ女は嫌いだが、早大の春樹はこういうバカ女が好きなのではないか。
8.おれが春樹の小説を嫌いな理由がわかった。
9.春樹はフェラ好き女が好きな俗物で、おれはもっと文化的に高尚なのだ。
10.春樹ファンの女はフェラチオが好きに違いない。
11.そういう変態女からおれは嫌われるので、自著読者の男女比率は男が非常に高い。
12.しょせん春樹を愛読している女なんて1日中でもペニスをしゃぶっていたいバカ女っしょ?
13.春樹はせいぜい変態女をカモにしてくださいね。春樹ファンの女は最低だなあ。
(以上は本書の68~70ページを独自に要約[意訳/妄想])したものです)

そんなにバカな女ってダメかなあ。
バカな女は言い方を変えれば、情が深い女にもなるような気がするけれど。
日本最高の評論家である小谷野敦氏の現在の奥さまは葵さんだったか?
いつ彼女との秘め事(房事/夜の営み/おセックス)が公開されるのかと思うと、
会社をクビになり生活はギリギリながらもおちおち死にきれないではないか。
西村賢太さえ凌駕(りょうが)する現在日本一の私小説作家の小谷野氏は言う。

「私小説作家は、周囲の人びとを犠牲にし、作家は友達をなくす。
私小説でなくても、作家は周囲の人をモデルにするから、
相手が気づけば関係が悪化するかもしれない。
もちろん、谷崎潤一郎の『細雪(さめゆき)』のように、
妻松子の姉妹を美しく描いて成功することもあるが、
作家の周囲は死屍累々(ししるいるい)である」(P32)


そういえば当方も氏の私小説のモデルになるという偉大な栄誉を頂戴したことがある..
現代日本最高の文芸評論家であり私小説作家の氏は、
どうして三浦哲朗には言及しないのだろう。
高井有一が死んだのは最近になってようやく耳にした。
訃報拡散人としても高い評価をお持ちの氏にはブログできちんと仕事をしてほしかった。
なんにせよ本書の著者はいまわたしが日本でいちばん期待している文学者である。
そう村上春樹なんかよりもはるかに、である。


「貧乏するにも程がある」(長山靖生/光文社新書)

→副題は「芸術とお金の“不幸"な関係」。要するに芸術は食えないということだ。
で、なにをして食っていたんだということを著者は主に文芸方面から攻め込んでいる。
世間のことにはまったく疎いけれども、
芸術家に(自称のみならず他称にも)まちがっても聞いてはいけないことは、
なにをして食っているんですか? だということはわたしでも知っていることだ。
その世間のタブーを破るのが本書なのだろう。
芸術というものは、いうなれば暇と金が作るものだと思う。
暇と金がなければ、なかなか芸術への眼が開かれない。
芸術へとりつかれると人は自分も創作を行なうようになる。
で、この時点において問題になるのが芸術の受け手が極めて少ないということである。
いくら個人が芸術作品なるものを完成させても、
世間の大衆は金や暇がまったくといっていいほどないので
(幸運にして金があるものはたいがい暇がない)、その価値がわからないままに終わる。
したがって、芸術家(文学者)は食えないので芸術を捨てるか餓死するかの選択に迫られる。
――と考えるのが常識人の浅さだと傑作たる本書を読んで気がついた。
金がなくなった芸術家(文学者)はどうしたらいいのか。
芸術を捨てて生活のことしか考えぬ賃労働者になるか、餓死(自殺)するしかないのか。
いな、もうひとつの第三の道があるのである。それは――、借金のようだ。
本書によると、借金はいろいろと文学志望のもののために都合がよろしいとのことである。
家に財産がなくても、働かなくても、ヒモになれなくても、
もしあなたがどうしても芸術(文学)というフィクションの世界に生きたいなら、
借金があるではないか。

「借金は「ドラマ」を創り出す。だから人生にドラマを求める人間は、
借金をするなり、借金をされるなりするのがいい。
するとその人の人生には、否応なくドラマが生まれる。
[内田]百閒も[夏目]漱石も、どこかでそれに気づいていた節がある。
借金魔が愛されるのは、そこにドラマがあるからで、
読者は他人のドラマが好きなのだ」(P120)


著者は著書多数にもかかわらず生活の安定のために歯科医をしている文芸評論家だ。
長山さん、もしあなたも人の迷惑をかえりみず借金をする恥知らずで厚顔な勇気があったらば、
ちんけな文芸評論家ではなく芸術家(文士)になれていたのではないか。
いや、著者が歯科医の本業を持っているのは、おそらく営業をしたくないからだろう。
どこぞの安っぽいライターのように出版社にすがる乞食にはなりたくなかった。
たぶん、いやまちがいなく著者は自分のことを「作家」だと思っているはずである。
長山靖生氏は自分のことをライターではなく「作家」だと思っている。
ならば、「作家」とはなにか?

「作家というのは、待つのが仕事だといった作家がいる。
取材をしたり、資料を集めたり
自分の実人生でさまざまな破綻や危機を経験したりというアクティヴな面もあるが、
それらを踏まえた上で、主題が熟成して小説になるのを待つのが、
いちばん大切な作家の仕事なのだという。
だから、作家は家などでごろごろしている時が、
取材中よりも真剣に努力している場面なのだという。
仕事を仕事として成立させる場面でも、同じことがいえるらしい。
作家というものは、本質的に自分から売り込みをするべきではないし、
ましてや自分から資金を出して、映画の自主製作よろしく、
自費出版したりしてはいけないらしい」(P99)


あと一歩なのである。著者は作家まで、文学まで芸術まで、あと一歩なのだと思う。
ぜひとも著者の書いた小説を読んでみたいと思う。
そのためには歯科医という安定した職業を捨てたほうがおもしろみが俄然出る。
いざとなれば借金をすればいいではないか。
才能ある著者にはいまからでも遅くないので、文筆一本に賭けていただきたい。
繰り返すが、いざとなれば借金があるし、
借金をしたらしたでそこで生まれるのがドラマだから、それを書いたらいいではないか。
もう歯科医とか文芸評論家とかいう、くだらぬ肩書は捨ててしまってもいいのではないか。

「突然のキス」(植島啓司/ちくま文庫)

→副題は「恋愛で読み解く日本文学」。
いちおう宗教人類学者という肩書をキープしている植島啓司さんの読書感想文集である。
作品感想と自分の桃色体験がとてもお洒落に語られている。
もてるのは知っていたが本書を読み、
正直ここまでもてる人がいるのかと驚くばかりで嫉妬もわかなかった。
女が植島さんを放っておかないようで女出入りがとにかく激しい人のようだ。
必然として植島さんはだれかひとりを熱烈に愛することはできない。
女から「あたしのことを愛しているの?」と聞かれたら「愛しているよ」と答える。
そこに嘘はないが、心の中では「でも、きみだけじゃない」といつも呟いているそうだ。
植島さんの恋愛はいつも女のほうからアプローチしてきていつのまにか終わっているらしい。
もてるからひとりの女に執着しないでスマートな別れを毎回実行できているという印象を受けた。
もてるゆえにもてるという「もてスパイラル」のようなものがあるのだろう。
もちろん、プラスだけではない。

「そんなことだから、命がけの恋にすべてを賭けた経験もないのだが、
こんな人生で果たしてよかったのかどうか。
もしかしたら一瞬すれちがった女の子のなかに心から愛せる人がいたのではないか」(P169)


ふうむ、もてるとこういうことを考えるようになるのか。
「もてる男」はめったにいないから、この本は植島さんの奔放な下半身事情が興味深い。
もてるってだけでずいぶんいい思いをできるんだなァと新世界を見たような気分だ。
「もてる男」植島啓司が行き着いた最上の恋愛は寝取られることだという。
たしかにこの本でも寝取られたり寝取った体験が饒舌に語られている。
そして、行き着いた結論は――。

「自分の最愛の女が他者によって変えられていくのをひそかに観察することほど
大きな喜びは他にあろうか。もっとも大切なものを他者に与えることほど
崇高で喜びにあふれた行為が他のどこにあるだろう」(P205)

「もっとも愛する女を他人の手に委ねること、
ほかの男の手によって蹂躙(じゅうりん)されることを
潜在的に望まない男はいないといってもよい」(P275)


「鬱勃起」好きの植島さん、うわあ変態やん。いやはや――。
人は自分の体験から得た知見を真実だと思うものだから、真理は人の数だけあるのだろう。
どうしたらそんなにもてるのか。「もてる男」植島啓司が教える恋愛テクニックはこうだ。

「女にはこちらから決断を迫ってはいけない。
向こうから決断するように仕向けなければ何も始まらない。
相手に主導権を渡しておいて、こちらはゆっくり時が来るのを待てばいい。
うまくいかないからといってあせっても仕方がないのではないか」(P155)


ストーカーの前科がある某「もてない男」氏とは正反対のじつに余裕あふれる態度ではないか。
もてるために自信が生まれ、その自信が余裕を持たせ、結果さらにもてるようになる。
ガツガツしちゃいかんよということだろうが、
「もてない男」が余裕をかましていたら孤独が深まるだけのような気もする。
いま植島さんが恐れていることは自分が死んだあとに過去の女たちが暴露をすることだという。
いまはブログでだれでも簡単に公開できるからおちおち死ねない。
「もてる男」もいろいろ悩みがあるんだなと嬉しくなった。
植島さんの体験にばかりこだわってしまったが、読書感想文としても非常におもしろく、
急いで読み終わるのが惜しくなり、わざとゆっくりページをめくったほどである。
ふんだんに時間をかけて作られた贅沢な本だと思う。

「<男の恋>の文学史」(小谷野敦/朝日選書)

→人はみな仏性(如来蔵)があるのかという論争が仏教史にはある。
本書で「もてない男」の著者が提示しているとわたしが感じたところの問題は、
人はみな男も女も恋愛性(恋愛蔵)があるのかどうかである。
一般論(常識)では女のほうが恋愛性が強いのではないかということになっている。
比較して男は性欲ばかりで恋愛性をほとんど持ち合わせていない。
女は男に尽くし、男は女に経済的な援助と肩書の威光を与えるというのが大方の男女関係だ。
これは男は女たる母親から世話されてきたからだというのが著者の説である。
しかし、と「もてない男」は主張する。
男だってみな女のように愛したいのではないか。
とはいえ、男は女を愛する技術を学んでこなかった。
歴史的に見れば、「もてない男」が日本近代以降はじめてトライしたところの「男の恋」は、
俗にストーカーと言われる犯罪行為だったわけではあるけれども。

それでも小谷野さんの説はたしかにそうで女が男を愛する方法は数あれど、
男は女に経済的援助(プレゼント)をするくらいしか愛を示すことができない。
ああ、芥川賞作家の西村賢太氏のようにクンニはできるがあれは性欲だろう。
まったく小谷野さんの言うとおりで、男は女から愛されるのを求めるばかりで、
金品を与える以外に愛を伝達する方法はない。
女は身体や家事、安心を男に与えられるけれど、男は意外になにもできないものである。
せいぜい女のわがままに振り回されてやるくらいだろう。
この点、恋愛性は女固有のもの、恋愛は女主導のものと言えよう。
「恋に恋する男」の著者は、これはいかん、「俺も女を泣かせてみたい」と思ったのかどうか。
果敢にストーカーを成し遂げ、別の意味で女を泣かせてしまった恋愛番長である。

どうでもいいわたしの話をすると、仏性のみならず恋愛性も乏しいような気がする。
女から愛されたいという自分勝手な煩悩は人並みにあるが、
ストーカーまでして女を泣かせてみたいというほど深みのあるものではない。
娑婆っ気たっぷりの恋愛性に恵まれた小谷野博士がどこかうらやましい。
なお本書のオリジナルは小谷野さんの博士論文とのこと。
こちらのあたまが悪いためだろうが、
むかしの恋愛博士の文章は知的デコレーション過剰で(俺って物知りだろ!)あんまり……。
いまのほうがよほどいい。小谷野さんはこれからもっとよくなるだろう。
小谷野さんのどこがすごいかと言ったら「男の恋」を論じるだけではなく、
行動に移してしまうところである(ストーカー!)。
脳内妄想だけで実際の犯罪行為はしない中島義道哲学博士よりも笑え、いや勝れている。
今後も言論と行動の両輪で我われを唖然とさせてほしい。
どうかケチな常識を揺さぶってください。期待しています。

「もてない男」の恋愛論は鋭い。
当時どうやら比較文学者(なにそれ?)だったらしい著者は主張する。
恋愛は統計を基にした心理学や社会学ではとらえられない個別性があるのではないか。
若き青き小谷野博士、熱い熱い、あっちっちだぜ~。

「だが、「恋愛」には、そういった物差しでは計りきれないなにか、
いいかえれば「個人性」とでもいうべきものがあるのではないか、と私は思うのだ。
たとえばひとりの男(女)がひとりの女(男)を好きになる、あるいは失恋する、
といった場合、周囲の人間から見れば、なぜあんな女(男)がいいのだろうとか、
いい女(男)はほかにいくらでもいるのに、という言い方ができる。
しかし恋をした男(女)にとっては、そのたったひとりの女(男)が、
この世で掛けがえのない「単独」な存在なのであり、
そのとき彼(彼女)自身も、自分の存在の単独者性を発見する」(P5)


だとしたら、恋愛は「自分探し」の一形態であると言うこともできるのかもしれない。
「自分」を探して人は異性の大海を航行する――。
もっともむかしの著作なので、いまは著者の考えも変わっているかもしれないけれど。

「わが山本周五郎」(土岐雄三/文春文庫)絶版

→「いやなやつがいい小説を書く」「作家の周りは死屍累々」は、
どちらとも筒井康隆氏のお言葉と判明する。
本書はいわゆる暴露本と言っていいだろう。
生前山本周五郎からかわいがってもらい家族ぐるみのつきあいまであった著者が、
文豪が生きていたら決して言えなかった本当のことを没後3年にして公開した。
著者の土岐雄三は三井信託銀行に勤めながら副業として売文にも手を染めたという人物。
山本周五郎のほうから著者に関心を持ってきたということである。
独善的な山本周五郎は没後に「サル山の大将」と批判されたらしいが、
ボスは複数の子分を必要とする。
その子分として山本周五郎に選ばれたひとりが4歳年下の土岐雄三であった。

山本周五郎が大嫌いで大好きという人が書いた本でとてもおもしろかった。
要するに、などと簡単にまとめてはいけないような名著だが、
それでも読者の便宜のためにわかりやすい表現を使うならば、
表現者と生活者のたたかいの経緯を長生きしたほうがなかば勝ち誇りながら書き残した。
表現者の山本周五郎は銀行員の土岐雄三に幾度か、
仕事なんか辞めて文筆専業にしろとアドバイスしたという。
無頼の文学者へのあこがれもあったが土岐はおのれの才能を見切り生活のほうを重視した。
この生活者的態度をだいぶ山本周五郎からやり込められたらしい。
そのときの著者の怨念が「死んだ人の悪口」というかたちで結晶したものである。
そんなに文学者は偉いのか? 
たしかに小説はすばらしいが、山本周五郎よ、おまえは何人のものを犠牲にしたのか?
そういう生き方は格好いいのだろうが、おまえの芸のこやしになったものはどうなる?
土岐雄三は生活者として、つまり銀行員として最高峰の重役にまで出世した。
この生活者トップという立場から、かつて親交のあった孤高の表現者を断罪するのである。

「山本周五郎は小説を書くために生れ、小説を書き尽くせぬままに生涯を終えた。
彼にとって、生活のすべてが小説のために在った。
それ以外に、なんの意味もなかった。
肉親も、友人も、酒も女も、愛欲でさえ、
小説のこやしにならないものはよせつけなかった」(P7)


いかにも作家らしい演技がかった臭みのある無頼を山本周五郎は好んだ。
知り合って間もないとき著者は山本周五郎が山岡荘八と殴り合いの喧嘩をするのを目撃する。
このとき抱いた違和感を生活者・土岐雄三は最後まで大切にして本書を描いたのだろう。
多少長い引用になるが、ここを落とすと、
この名著が文豪への嫉妬から書かれた単なる暴露本、悪口本に思われてしまうのでお許しを。

「作家とは、スゲエもんだ、と思った。
感銘する反面、バカらしい気がしなくもなかった。
私はもともと文学者でも、芸術家でもない。ごくありふれた一介のサラリーマンだ。
ものに感動することはあっても、
それを暴力に結びつけるほどの深刻さは持ち合わせないのだ。
尤(もっと)も文学者や、小説作者が、軽蔑するであろう
(それが軽蔑に値するかどうかは別として)常識の世界、サラリーマン社会にも、
人並みな感動も怒りも哀しみもある。
しかし、それはそれ、生活は生活だ。
感動や感激を殴り合いにまでエスカレートさせるには、
いま云われる平衡感覚というやつが邪魔をする。
怒りや哀しみを顔にも行動にも現わせないのが、サラリーマンの習性である。
われわれは、殴り合い以上の陰湿な葛藤を、内に外に、くり返している。
怒りを忘れたのではなく、哀しみを知らぬのでもない。
むしろ、それらは殴り合い程度では、おさまらぬほど深刻なのだと思うこともある」(P40)


表現者・山本周五郎はだれを自分の芸のこやしにしたのか。
まず元「講談雑誌」編集長の風間真一である。
戦後しばらく山本周五郎はほとんどこの「講談雑誌」しか書く場所がなかった。
風間真一は自分でも細々と小説を書く作家もかねた編集長である。
風間は小説家としては山本周五郎にはるかに及ばぬことを知っていたが、
いや、そのために、だれよりも周五郎の才能に惚れ込んでいたから、
編集者として作家に意見することもあった。
とはいえ、周五郎の才能をだれよりも知っている恐れから、酒の力を借りないと意見できない。
このため、渡した巨額の原稿料を周五郎にその場で燃やされたこともあったという。
「あれはつまらない」と言ったがために周五郎の逆鱗(げきりん)に触れたのである。
また風間真一は「サル山の大将」だった周五郎の子分のひとりという位置づけでもあった。
山本周五郎とて最初から文豪だったわけではない。
むかしは新潮どころか文春、朝日にさえ
書かせてもらえない低級の読み物作家に過ぎなかった。
ブームが起こったのは山本周五郎が50を過ぎてからである。
それまで周五郎の才能と真剣に向き合い、その向上に寄与したのが風間真一であった。
しかし、山本周五郎が出世したあとは、風間は生来の酒癖の悪さも相まって、
「サル山の大将」から追放処分を受けた。
朝日や文春、新潮の編集者に取って代わられたという意味だ。
「講談雑誌」からもクビになった風間真一は専業作家になると宣言したが、
女房に働かせて毎日酒を飲むだけの男に落ちぶれ早死にしたという。
著者の分析では、なまじ山本周五郎の才能を知っているぶん、
中途半端な自分の小説が書けなくなってしまったのが酒に溺れた原因らしい。
長年、作家と編集者としての関係があった山本周五郎は風間真一の葬式に来なかった。

土岐雄三自身も犠牲になったと思っていたようだ。
山本周五郎の才能に圧倒されて、自分の下らなさが見えてしまい、書けなくなるのだという。
せっかく書いても、山本周五郎が手紙でいろいろ意見してくる。
もちろん、たくさん褒められたけれども、それだけではなかったという。
巨大な才能をまえにすると自分がなくなってしまいそうになる恐怖を著者は何度も語る。
周五郎は著者に生き方の改変まで迫ってきたという。
群れるな。会社を辞めろ。家族とも一線を引け。つまり、孤独になれ。孤独を恐れるな。
そうでないといつまで経っても一流のものは書けないぞ。

「究極のところ、人間はじぶん一人でしかない、周五郎の説話は、これにつきる。
人間は一人で生れ、一人で死んでいく。
どんなに心ゆるした友人でさえ、「死」の門をくぐるまでの道連れと思え、
私は周五郎に何度云われたか知れない。
文学とか、小説書きとかいう世界に生きる人たちは、程度の差こそあれ、
孤高の精神を尊ぶし、事実、孤高でもある。
妥協も協調もない。妥協や協調は、卑俗な常識人のすることだ。
つづめていえば、そういうことになるのであろう」(P179)


土岐雄三が孤高とは相いれない甘えた世渡り上手になったのは生い立ちが関係している。
土岐は父親の留守中に母親が若い学生と密通してできた子どもなのである。
そのうえ土岐の兄姉は3人いたが、そのうちひとりが4、5歳のとき、
土岐から湿疹をうつされて死んでしまったという。
両親からしたら自分のほうが死んでほしかったのはあきらかであろう。
土岐は4歳のとき養子にやられたが、この養母もひどく多情で、
土岐のまえで若い情夫とむつみあうこともあったという。
こういう生い立ちがあるから自分はつい人に甘えてしまい孤独にはなりきれない。
土岐雄三は、孤独を執拗にすすめてくる周五郎にこのような説明をした。
山本周五郎は土岐雄三の生い立ちをモデルに小説を1本書き上げたという。
周五郎は小説の鬼で、どんなことも小説のネタにできないかという視点で見ていたという。

「美しいもの、醜いもの、愛情も、裏切りも、それが人間から生まれるものである限り、
彼[周五郎]は貪婪(どんらん)に吸収する。吸収して、貯蔵する。
「人間を描く」という周五郎の小説作法の基底は、
人事百般の事実を客観視することにあるらしい。
女には惚れさせるが、自分は情に溺れないのが、
小説作者の心構えというふうに見えた」(P82)


周五郎が風間真一を見捨て出世してからは、著者とも疎遠になったという。
これは著者が支店長、重役と出世していったのとも関係しているかもしれない。
一度周五郎の娘の結婚式に呼ばれたが、
これは銀行のお偉いさんを呼びつけて飾りにしようとする意図だったのではないか、
と土岐雄三はおそらく山本周五郎ゆずりであろう意地悪な見方をする。
晩年、急に懐かしくなりアポなしで訪問したが、
秘書に門前払いされたことを恨みがましくつづる。
そのうえで山本周五郎の作品は出世するまえのほうがよかったと晩年の名作をくさす。
知り合いが文筆で出世してしまうと、いくら銀行の重役とて嫉妬するのである。

山本周五郎は家族をも犠牲にしている、と土岐雄三は弾劾する。
後妻のきん夫人は健気にも前妻の子を4人も育て上げている。
一度きん夫人が妊娠したことがあったのだが、周五郎は流産を強いたという。
土岐雄三は善人気取りで周五郎の悪人ぶりを責めたてる。
また土岐は自分の子ども4人は全員うまく社会に出たことを書いたうえで、
意地悪くも周五郎が子育てに失敗していることを指摘し勝ち誇る。
周五郎の次男、清水篌二はふらふら遊び歩くどうしようもない青年だったが、
あるときを境に脚本家になったという。この裏側はなんのことはない。
周五郎が自分の原作のドラマは息子を脚本家にしないと許可しなかったのである。
土岐によると周五郎の長男、清水徹は、
父の没後もまともな職に就かずぶらぶらしているという。
エリート銀行員からしたら、いまのニートのような存在は小気味のよい愚弄対象なのだろう。

本書で土岐雄三が公開している、山本周五郎の実際的な創作作法がおもしろかった。
周五郎は書くまえに出版社から多額の原稿料を前借して、それをすべて使い果たした後、
著者の言葉を借りるならば「金銭的に背水の陣を敷いて」(P114)執筆するのだという。
追い込まれないといいものは書けないと山本周五郎は信じていたのであろう。
これは国、時代こそ違うが、ギャンブルで金を使い果たしてから
小説を書きはじめるドストエフスキーとおなじ流儀である。
周五郎は区切りとなる小説を書き上げると、「アタマを洗う」と称して、
高級料亭で連日にわたり子分や芸妓を集めた壮大な酒宴を催し散財したとのことである。
こういう事情で山本周五郎の死後、まったく資産が残っていなかった。
周五郎は生命保険にさえ入っていなかったことを銀行屋の著者は暴露している。
65歳で死んだ山本周五郎とは異なり、
家族に恵まれ82歳まで長生きした生活者の土岐雄三はいくらの遺産を残したのか。
しかし、いま土岐雄三の作品を読み返すものは少ないだろう。
土岐がバカにしていた周五郎の息子ふたりには長いこと印税が入っていたはずだ。

孤独な山本周五郎は、甘えた性分で世渡り上手の土岐雄三が
自分とはまったく異なるがゆえに惹かれたのだろう。
周五郎は土岐を「若い友人」と呼んでいたという。
土岐雄三も自分とは比べ物にならぬほどの才能を持った周五郎に愛され嬉しかった。
ふたりは一時期交際して、そして別離した。
周五郎の才能は死後に「若い友人」から悪口をこれでもかと書かれる類のものであった。
ふざけた調子の悪口ではなく、本書は人生を賭した命がけの悪口である。
だから、よかった。山本周五郎も土岐雄三もそれぞれにいい。それぞれよろしかった。

「私小説のすすめ」(小谷野敦/平凡社新書)

→私小説に対する批判はひと言で終わり、「おまえに興味がない!」に尽きる。
タレントの暴露本ならまだしも、一般人の日記みたいのをだれが読みたがるか。
ブログとかも、これを勘違いしている人が多いので本当に困る。
どうして(わたしも含め)みんなさ、
他人が自分に関心を持ってくれるとか期待しちゃうんだろう。
私小説は売れないって、そりゃあ、だれもあんたなんかに興味がないからだよ。
と言いつつも、わたしは柳美里氏の私エッセイや西村賢氏太の私小説は大好きだ。
なぜかと考えるに、あれらは嘘を書いているからである。
このことは後に再度触れるが、そのまえにまずプロフィールが重要だ。
柳さんの若いときは、ものすごい美人だと思う。
たぶん、こちらの趣味が悪いのかもしれないが(これも柳さんに失礼な物言いだ)、
あの手の暗い顔の美少女は好きなものにはたまらなくいいのである。
在日コリアンで家族に虐待されたという悲劇性もまた美少女ぶりを輝かす。
柳美里さんが林真理子女史の顔をしていたら、まず読まなかっただろう。
西村賢太兄貴も、父親が強姦で捕まっているという経歴がおもしろいのだ。
それにあの全身いんちきといった風貌もわたしの好むところである。
話は戻って、柳美里姉貴も西村賢太兄貴も嘘を書くからおもしろいのである。
かの作家たちの作品を読んで事実そのままだと思うものは、
ちょっと世間を知らないのではないか。
いや、あれらを事実起こった通りだとだまされていたほうが楽しめる、
というのも私小説のメカニズムとしてあるのではあるが。
私小説というのは本当にあったこととして嘘を書くもの。
物語小説というのは嘘だと断っておいて本当のことをこっそり書いてしまうもの。
わたしはそういう小説観を持っているけれど、
どうやら元大阪大学助教授の小谷野敦博士は異なるようである。

「あと、私小説であるからには事実に基づいているわけで、
その事柄が起こった日付などの時間的経過を、まずきちんと把握する必要がある、
人間の記憶というのはあてにならないもので、
実際には同じ日に起きた出来事を別の日のことだと思っていたり、
僅か三日の出来事を一週間くらいかかったものと思っていたりするものだ」(P151)


だから、私小説がおもしろくなるのである。
「人間の記憶というのはあてにならないもの」だから、
たとえたいしたことのない現実でも私小説ではおもしろく書けてしまうことがあるのだ。
事実をそのまま書くのならルポになってしまうわけだから。
本当の洪水のなかにちょろっと嘘を入れる、このあんばいが私小説のうまいへたを分ける。
私小説を読む楽しみは、どこが嘘かを探ることだと思う。
反対に物語小説を読みながら、どこが本当かを探るのもまた楽しい。

「だが、私小説には私小説なりの論理がある。
私小説を書く際には、他人のことを、事実を曲げて悪く書くのはいけない。
それはむろん小説に限らない、当然の論理である。
逆に、自分のことを、事実を曲げてよく書こうとするのも良くない」(P178)


たぶん著者は一生このことを理解できないのだろうが、事実などないのである。
ある事件が起こったとする。AとBがいたとする。

A(主観)←(事実)→B(主観)

あるのはAの主観とBの主観だけで客観的事実というものは存在しない。
もしかりに、このときにCという人間がいたとする。
このときCもまた主観を持つのだが、それがABと完全一致することはありえない。
まあ、Aの主観あるいはBの主観、どちらかに似ているということはあるだろう。
このとき「多数派は正義」の論理が働いて、
AあるいはBが事実を言っていると世間は判断するが、しかし、
もしDという人がいたら違うほうの肩を持つかもしれないわけで、
もし二対二になってしまったら、今度は肩書が勝負になるようなこともあるだろう。

私小説を書く喜びは現実をゆがめることにあるのではないかと思う。
俗に女流作家は被害妄想の強いほうがよろしい、と言われるのも、
たぶんこういう事情による。
西村賢太氏の私小説など、嬉々として自己を悪く飾っているではないか。
柳美里氏は家族をなんと悪人のように書いていることか(あれは家族だから許される)。
私小説を書くことで、現実を改変する喜びが得られるのである。
一般に辛いことも私小説に書いたら落とし前が着く、というのは、
言葉にしてしまうとすべてが嘘になってしまうからだと思う。
最後に断っておくが、この主張は正しいものではない。
なぜならば著者は元大阪大学助教授のベストセラー作家、
つまりわたしよりも肩書が上だからである。
ほとんどの場合、肩書の上のものの意見が正しいこととして通用する。
これを批判する気もなく、世間とはそういうものなのである。
このため、万が一拙文が著者のお目に触れても、
どうかお気を悪くなさらないでいただきたい。
なぜなら読み手の大半は小谷野博士のご意見のほうが正しいと思ってくれるでしょうから。
変にあわてると、肩書の安定感が揺らいでしまうのでご注意あれ。
格下は相手にしないのが大物の証なのである。

「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(新潮社編/新潮新書)

→高校生の山田太一少年を夢中にさせた小林秀雄を読む(以下、文中敬称略)。
本書は全集も手がけた子分編集者が選んだ小林秀雄の名言集である。
酒癖の悪い小林秀雄の言葉に触れるのはこれが初めてだが、さあどうしようか迷う。
本音を言うと、さっぱり文章の意味がわからないのである。
しかし、尊敬する山田太一も宮本輝も酒癖の悪い小林秀雄を認めている。
というかむしろ崇めているところさえある。
わたしは酒癖の悪い小林秀雄の文章をどうしても理解することができない。

こういうとき、いったいどうしたらいいのだろう。
理解できないのは自分が至らないからだと反省すべきなのだろうか。
「人生の鍛錬」が足らないからだと殊勝にもうなだれるべきなのか。
とはいえそうはいっても、
こちらは人並み程度の読書はしてきた四捨五入すれば40にもなるおっさんである。
わからない文章を書く酒癖の悪い小林秀雄を責めてはいけないのだろうか。
晩年の小林秀雄は骨董の鑑定で小遣いを稼いでいたようである。
骨董品になぞらえるなら福田恆存は本物だと思うけれど、
小林秀雄はどちらかといえば……しかし、山田太一も宮本輝も本物と言っているから、
やはり、その、小林秀雄が贋物(にせもの)に見えてしまうわたしは眼力がないのだろう。
みながよいと言っていれば、自分にはわからないものでも一応ひれ伏すのが処世の知恵。
酒癖の悪い小林秀雄をまるで新興宗教の教祖のようだと皮肉るのは大人げない。

以下、わずかでも理解できたところを自分の言葉でリライトする。
もしかしたら多少なりとも小林秀雄を理解できるわたしは(いやわたしも)偉いのでは?

・批評は愛情や感動でするもんだ。
・自分の意見を捨てて対象をありのままに鑑賞するのはとても難しい。
鑑賞していても対象をまったく見ず、自分の意見にのみ執着していることはよくある。
・他人の生活を生きてみたいという通俗的な理由から我われは小説を読む。
・広く浅い読書ではなく、深く狭い読書をしよう。
・歴史から学ぶことがあるとすれは、将来の予想は当たらないということ。
それから各時代のいまを精一杯生きた人が歴史を創ってきたということ。
・独創や個性は既存の思想ではなく、物事にぶつかったときの態度(行動)から形成される。
・なぜ書物を読むのかといえば、それを書いた人間を知るためである。
人間が書いた書物からいかに人間を取り戻すかが読書の技術といってよい。
・小説を読むのも思想書を読むのも、自己の体験を元手にした創作活動でなければならぬ。
・文学者はわからないことがあるから小説を書くのだ。
彫刻家も完成させて初めて自分の創作したかったものがわかり、
またそこから学ぶ、すなわち新たな疑問が生まれる。この繰り返しが芸術である。
・人間って死なないと全体像がつかめんよね。
・偶然に過ぎぬ不幸を必然のように観じ、いったんあきらめるのが命の力である。
・頭は西洋文学で鍛え、眼は日本美術で養うのがよい。
・人生はお芝居だから、俳優の努力、観客の努力というものがそのまま人生論になる。
・絵を見るのは練習と思って、どれだけ退屈でも絵のまえに立っていなさい。
・政治家に必要なのは私の意見・思想ではなく集団のそれである。
・文学作品は(批判や解説ではなく)ただひたすら忍耐力のある愛読者を求めている。
・音楽鑑賞は(言葉に翻訳するのではなく)、ただ音を正確に耳でつまかえるだけでよい。
・言葉は美の本質をゆがめる。我われは言葉のせいで美を見失っている。
・絵や音楽を理解するとは、ひたすらそれを愛することを意味する。
・人間は自然のうちに人間の心のようなものを見るから風景に感動するのだ。
・ゴッホの絵の衝撃は、向こうから見られていると感じたところだ。
・客観的、実証的な研究よりも、どうしてみな対象を愛そうとしないのだろう?
好き嫌いの心の働きには、測り知れないものがあるのではあるまいか。
・歌は意味を知るものではなく、味わうものだ。
作者が歌を作るに至った感情体験を自分も真似て味わってみるのがよい。
・おれは酒癖が悪いので有名だが、ほんとうは独酌がいちばん好きなんだぜ。
・批評とは悪口ではなく、他人をほめる特殊な技術のことをいうのだよ。
・人間の死は肉体が滅びるだけで、もしかしたら精神はそのまま残るのかもしれない。
・固有の思いを外来の漢字でしか表現できなかった矛盾から古事記は生まれた。

さて、どうでしょうか。小林秀雄をわたしの言葉に翻訳したら、はて。
一箇所くらい原文をそのまま引いておこう。

「成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。
其処(そこ)には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。
何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生む事は出来ない」(P203)


酒癖の悪い小林秀雄の千分の一でいいから人生で成功とやらを味わってみたいもんだ。
そのためには意味のわからない文章を書く努力もたいせつなのかもしれない。
意味不明の文章をまえにした瞬間、
これは参りましたとシッポを振る犬のような読者もなかにはいるようだから。
頭が悪いためか、どうしても読者を突き放すような難解な文章を書くことができない。
泥酔して酒場で同業者にからむくらいならわたしでも真似できそうなのだが。

少年は老いる。山田太一中年は少年時代を振り返ってこんなことを言っている。
小林秀雄は――。

「むずかしくて半分も理解できませんでしたけれど、
読むだけで高校生の虚栄心を満たしてくれた本でしたから(笑)、
いまでも大事にしています」(「本棚が見たい」P94)


(追記)そういえば小林秀雄は10年近くまえ「ドストエフスキイの生活」を読んだかな。
入手可能なドストエフスキー作品をすべて読了したのちのこと。
それがまったくわからなかったので以降ずっと敬遠してきたのでした。

「短編小説礼賛」(阿部昭/岩波新書)品切れ

→5年ほど毎日のように小説ばかり読んでいた時期があった。
30歳を過ぎたころ、急に小説など読むのがアホらしくなってしまった。
ところが、本書を読みまた小説を読んでみたくなったのだからふしぎである。
いままで知らなかった小説の読み方を教わったからかもしれない。
以下、本書から学んだことを自分に引きつけながら整理する。

小説の感動とは「これが人生というものか」という発見にあるのだろう。
人生に「なぜ」という問いは尽きない。
人の世の悪は絶えないし、なにも悪いことをしていない子供が死んでいく。
「なんでこんなに苦しまなければならないのだろう?」
「どうしてこんなひどい目に遭わなければならないのだろう?」
「わたしがなにをしたというのだろう?」
しかし、「これが人生というものか」と小説家は嘆息し、
「なぜ?」は問いであるのと同時に答えでもあるという堂々巡りに行き着くしかない。
小説には人生とおなじで正しい回答はない。
チェーホフいわく――。

「作家の仕事は問題を解決することではない、
この人生をただあるがままに描くことだ」(P175)


漱石いわく――。

「世の中に片づくなんてものはほとんどありゃしない」(P142)

両者に共通している創作作法は――。

「作者は主人公を裁きもせず、弁解もせず、あとは読者が自由に考えるに任せる。
救いがないといえば、こんな救いのない書き方もない。
やりきれないといえば、こんなやりきれない世界もない」(P135)


しかし、「これが人生というものか」と読者は小説のそこに胸打たれる。
小説を読む喜びは人生を深く味わうことにゆえんするのであろう。
しつこく繰り返すが、「これが人生というものか」と。
ならば、小説を書く喜び、書かざるをえない悲しみもおなじである。
これは本書の著者、小説家・阿部昭の創作作法でもあるのだろう。

「マンスフィールドを読みながらつくづく考えさせられるのは、
物を書く力というのは思い出す力だということである。
人は彼女ほどには思い出すことに賭けはしないし、賭けることもできない。
大抵のところで過去と折り合いをつけて生きているにすぎない。
そして、思い出す力はおのずから深く感じる力でもある」(P165)


作家は過去を深く感じることによって小説を書く。
過去から小説家はなにを感じ取るのか。
「これが人生というものか」という苦味である。
人はどのようにして小説を書くのか。
まずは好きな作家に夢中になることが肝心なのだろう。

「若いマンスフィールドの場合は、
つまりそのくらい彼女はチェーホフが好きだったのであろう。
自分にもこんなものが書けたら、と思ったのであろう。
それは誰にも避けられない出発点である。
だが、やがて彼女は(あるいは彼は)模倣すべきは個々の作品、
個々の文章ではない、巨匠と言われる人々の仕事が自分に与えた感動をこそ
「まねぶ」べきであると悟るに至る」(P128)


ほんとうはそんな大それたことを夢想しないほうがよほどいいのである。
というのも――。

「男でも女でも文学に魅入られた人間は、
余人には理解されないような大きな代償を払わされる。
当人がどう考えようと、
まずは人並みの安楽も幸福もいっさい断念するところから出発する他はない」(P152)


あげく彼(女)は大きな代償と引き換えになにを知るのか。

「自分が書くべき題材は、実は足もとに転がっていたのだということ」(P154)

取り返しのつかない不幸を経て彼(女)が知るものはなにか。
「これが人生というものか」というざらざらした人生の手ざわりである。
書くものも結局のところこれしかない。
自分の経験した「これが人生というものか」という痛みを作家は原稿用紙に書き連ねる。

「思想の花びら」(亀井勝一郎/大和人生文庫)絶版

→ある口の悪い評論家が亀井勝一郎のことをぼろくそに貶(けな)していた。
その評論家先生の感情的に嫌う作家は信じられるので、
積ん読していたこの本を読んでみたら、案の定たいへんな名著であった。
亀井勝一郎は団塊の世代あたりが愛読した古きよき文芸評論家。
「思想の花びら」は名言集でとても読みやすい。
生きることを考えさせられる言葉に満ちている。
間違いなく亀井勝一郎は「ほんもの」である。

「ほんもの、にせものという言葉がある。
人間の場合でも骨董の鑑定のときでもよく使われるが、
どこで真贋のほどを決定するのか。
ほんものは、いつも隠れた美しさをそなえていて、
誰かの愛情によって発見されるまで待っている。
この「待つ時間」の静かで自然であることが、ほんものの証拠である。
これに反して、にせものは、美しさをおもてにあらわそうとしてつねに焦っている。
だからどんなに巧みに「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。
人間はこれに弱いのだ」(P18)


亀井勝一郎を罵倒していた評論家先生をもしや「ほんもの」かと疑った一時期もあったが、
つい最近やはり彼は「にせもの」であることが判明してしまった。
しかし、亀井勝一郎は知らないだろうが、愛すべき「にせもの」というのもいる。
おそらく「ほんもの」と「にせもの」を分けるのは時間なのだろう。
長い時間が「ほんもの」の思想を形づくる。

「思いつめる、それは心の畑に思想の種子を撒(ま)く行為だ。
それを育てるときの根本の心がまえはひとつしかない。
促成栽培への誘惑にうち克つことである」(P40)


「事業でも学問でも芸能でも、その途上で、ときどき何もしない時間が大切だ。
何もしない時間のうちにも人間は成長するからだ。
食事のあとで、意味もなく横たわっていることが衛生的であるように。
ただ眠るための旅も必要である」(P148)


「時間はふしぎな作用をもたらす。
どんな残酷な戦争の跡も、年月がたつにつれて名所となり観光地となる。
哀しい別離の史実も、芝居となって娯楽化される」(P61)


亀井勝一郎がもっとも信じていたのは時間だったのではないか。
時間とは、無常の別名でもある。亀井勝一郎の説くのは無常の思想だ。
忙しい人のためにひと言でいうならこうなる。

「すべての現世的幸福は無常によって脅かされ、
無常のうちに苦悩を背負わなければならない」(P24)


男女のあいだの燃えるような愛情もいつしか熱が冷める。
一生の友だちというのはなかなかできないものだ。
仲のよい家族も永遠には続かず、いつか生別や死別のときが来る。
どれほど財産を蓄えても死に際してはまったくの無力である。
ならば、無常は絶望の思想なのか。ああ、そうだ、人は無常に絶望するしかない。
しかし、無常の思想は絶望以外のものもまた人間にもたらしてくれるのである。
亀井勝一郎は無常の豊かさをも説く思想家である。

「人生を旅とみなし、人間を旅びとと観ずることは、
愛情の上に大きな変革をもたらす。
人間を流転の相においてみることによって、人間の愛情を越えたもうひとつ深い
「あわれみ」の心を授けられるということである。
流転の相とは無常の相であり、無常の相は人間の限界を示すとともに、
それをのり越える心をうながす」(P142)


愛情もいつしか冷める。
だが、その相手も我もいずれ死ぬ身であることを考えると、
愛情を越えた「あわれみ」をもまた人は感受しえるのではないか。
旅の車窓から見た風景が心に残るのは、それが一瞬だからである。
もうここには来ることがないと思うから「あわれみ」を感じるのだ。
旅で出逢った人にいだく「あわれみ」も同種のものだろう。
だとしたら、人生でめぐりあう人たちにも、無常を深く思うならば、
愛情さえ越えた「あわれみ」を持つことができるのではないか。
無常ゆえいずれみんな消え去ると思うとき、どんな不愉快事にも「あわれみ」を感じないか。
日本人はこの無常の「あわれみ」に美を見出してきた。
無常は絶望の思想だが、しかし「あわれみ」の感情を育て、転じて美意識の根幹ともなる。

「いつ頃から人間は陰翳(いんえい)を愛しはじめるようになったのだろうか。
薄明の状態や影に心ひかれるとは、
おそらく何らかの挫折の経験から起こることにちがいない。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という徒然草の一節は、
精神史の或る深い屈折を物語る言葉であろう。
無常によって打撃を受けつづけてきた中世びとの、
有るか無きかの生に対するいとおしみの情がその根底にあるにちがいない」(P171)


亀井勝一郎はさらに無常について考察を重ねていく。
次に紹介する見方は衝撃的であった。見事な逆転の発想である。
無常だということは、無常を観ずる眼があってはじめて理解されるのだ。

「無常という言葉を我らはしばしば使うが、
その反面にある重大な事実は忘れられてしまっている。
それは常住真実なるもの(仏智)であって、
常住真実なるものがなければ無常もない。(中略)
無常は常住真実なるものにおいてのみ発生する苛烈非情の眼である」(P224)


このことをいいかえたのが次の抜粋である。
人間の実相を、生老病死の四苦と見たのが仏教である。
人間は生まれ老い、病にかかり死んでいく。
すなわち、人間存在は無常である。このとき人間の無常を見る眼があるのではないか。

「仏さま曰く、「仏像鑑賞と称して多くの人が来るが、
実は俺の方でその人たちをさんざん鑑賞しているのだということを忘れなさんな」
――観仏とは仏に見られることであって見ることではないということ」(P208)


長らく仏像の見方がわからなかったが、ようやく理解するにいたった。
仏像は見るものではなく、あちらから見られるものであったのか。
見られることによって、我われは自身の無常を強く意識する。
仏さまに見られることで、おのれがいつか死ぬ身であることを思い出す。
無常の思想とは、「どうせ死んでしまう」ということである。
「どうせ死んでしまう」のに、どうして我われは欲望するのか。
「どうせ死んでしまう」のに、なにゆえ我われは出世や財産、愛を熱心に求めるのか。
無常であるのに欲望するとはまったく矛盾している。
では、無常を見極め遁世するのが正しい生き方なのか。
それとも、無常を忘れて軽佻浮薄に欲望のまま一喜一憂するのが正しい生き方なのか。
亀井勝一郎は、どちらかを正しい生き方と断定しない。
ならば、どうせよというのか。矛盾を生きよという。
矛盾をそのままに生き抜くのが人間のあるべきすがたではないか。

「心の中につねに「対話」をもっていなければならぬ。
矛盾が生命を豊かにするのだ。
或るものの中間とは、安定性を意味するのではなく、
矛盾を大胆に生きるということを意味する。
中間を安定勢力と考えるのはまちがいであろう」(P211)


矛盾から眼をそらさないこと。無常を忘れないこと。
絶望と希望、どちらにも陥ることなく生き抜くこと。
たえず自己の内部にある相反する両面的傾向に対話をさせながら生きていくこと。
理想を失わない現実論者であること。理想を持ちながら、その正反対の現実を生きること。
これがいまやかえりみる人のいない亀井勝一郎の人生論である。

「生きる知恵を学ぶ」(栗田勇/岩波書店)品切れ

→名著「一遍上人」を読んで栗田勇氏のファンになった。
この人は本物だ、信じられると直観したものである。
さて「生きる知恵」といっても本書で示されるのはハウツー式のマニュアルではない。
氏は一遍、最澄、世阿弥、白隠、良寛、利休、芭蕉から「生きる知恵」を学ぼうとする。
ひと言でこの知恵を要約するならば、おそらくそれはこういうものであろう。
著者の言葉を借りると、「人間は何も知らないけれども、
人間を超越した途方もないものがあることを真に納得していること、信じること」――。
これは単なる知識ではない。
いくら真実を知ったところで、それは「生きる知恵」を学んだことにはならない。
なぜなら「真実とは体験されてはじめて真理になる」からである。
実際に生き抜くことでしか「生きる知恵」は得られないのだ。
かつて一遍、最澄、世阿弥、白隠、良寛、利休、芭蕉は生きた。生きに生きて死んだ。
彼らの知恵はなにに根ざしているかといったら体験である。
この点、最澄と空海の生き方は対照的であった。

「空海が、いわば最澄に密教的宗教体験を強く要求したのに対して、
最澄は数回の密教儀礼よりも密教経典の理解吸収に心を打ちこんでいました」(P97)


しかし、栗田勇氏は最澄の生き方もまた評価するのである。
なぜなら最澄が比叡山に経典を集めたことによって、
後代、法然、親鸞、道元といった宗教的天才が生まれたのだから。
だが、やはり「真実とは体験されてはじめて真理になる」のを忘れてはならない。
人は生きることでしか学ぶことはできない。
「自然に一体化する喜び」が一遍の信仰だったと著者は指摘する。
芭蕉の芸術観もまた似たようなものだという。
芭蕉にとって生きるとは、
「大自然」に従って「四時=四季=春夏秋冬」を友とすることであった。
この生き方を栗田勇氏は以下のようにわかりやすく説明する。

「心を大自然のなかに置いていれば、
見るものすべて花であり、思うことすべて月である」(P244)


世阿弥の思想もまた大自然の存在を認めることのなかにあった。

「時分というのは時の運で、ここまで細かく稽古した人間は、
時の運を恐れるべきである。
去年花の盛りがあれば、今年は花がないことを知るべきである」(P148)


大自然はときに災害として人間に襲いかかってくるが、
この災難にどう立ち向かえばいいと良寛はいっているのか。

「災難に遭うときは遭うがいい、死ぬときは死ぬがよい」(P216)

つまり、どういうことか。最初に戻る。「生きる知恵」とはなにか。

「人間は何も知らないけれども、
人間を超越した途方もないものがあることを真に納得していること、信じること」()


大自然を信じること、そうして生きること。
人はどこから生まれてくるかを知らず、死んだらどこに行くかも知らぬこと。
にもかかわらず、人は生きる。
赤子が誕生したら喜び、老人が死去したら悲しむ。
「人間を超越した途方もないもの」の存在を深々と認めるのが「生きる知恵」である。
ならば、この知恵にもっとも間近にいるのは赤子と老人ということになろう。

「日本には童(わらべ)信仰があって、童は神に近い。
童と翁(おきな)、九十九、百の老人は、
人間ばなれしていてほとんど自然の状態そのままで、
無意識なところにある種の霊性、そうしたあの世の気配を漂わせている。
つまり人間として理解できない、何か気配を持っている。
それが童と翁の神性といいます」(P128)


人は生まれ死ぬ。これは人だけではなく、動物も草花もおなじである。
万物が大自然=春夏秋冬のうちに生かされている。
だとしたら、極寒の雪の日にもいつか春が来るのを信じるしかないではないか。
満開の桜もすぐに散ってしまうのをあきらめるしかないではないか。
これこそ我われが古人から学ぶべき「生きる知恵」なのであろう。