「人恋しい雨の夜に」(浅田次郎【選】日本ペンクラブ【編】/光文社文庫)

→年々小説を読まなくなってきているような気がする。
ハズレを読みたくないから、
こういう直木賞作家によるアンソロジー(名作選)に期待してしまう。
アンソロジーといえば文春文庫の「アンソロジー人間の情景」をバラで買い集めて、
とうとう全8巻コンプリートすることができたので来年が楽しみ。
もう当方の知的キャパシティーの限界まで本を読んでいるという自覚もあって、
これ以上読書することはないんじゃないかという気もするけれど、
まだまだ読みたい本は山のようにあるというこの矛盾が人間ってもんさなあ。
しかし、働きたいという気持も強く、つくづくいちばん大事なのは時間であると。
働く楽しみというのは、いろいろな人とわずかでも触れ合うことである。
適度に働いているほうが小説をより深くおもしろく読むことができるような気がしている。
火曜日にまた派遣登録に行くけれど、近場のあそこに紹介してくれないかなあ。
朝起きて本を読んで昼から夜まで働く。
小説はひとりで読む孤独な行為なんだよね。
いい小説というのは気持が優しくなるものとも、生き生きしてくるものともいえる。
読んだあとに人に微笑を浮かばせるようなものがいい小説なのだと思う。
そして、偽善くさいことをいうと、人間の微笑はどんないい小説よりも
人を救うところがあるし、人をいい気持にさせるように思う。
今年はあんまりいい小説は読めなかったけれど、いい微笑にはいっぱい出逢ったなあ。
かつて明治時代だったか、ハーンという西洋人が日本に来て驚いたという。
なににかというと日本人の微笑の好ましさ。

「外人は、日本人の顔が概して嬉しそうににこにこしている特徴に、
気づかないはずがない。
そして、この第一印象はたいていの場合、たいへん気持のよいものである。
日本人の微笑は、最初は人の心をうっとりさせる」(P173)


いまはむかしに比べたら、しかめっ面をしている人が多いのかもしれないけれど、
それでも日本人の微笑はまだまだ魅力があるって同国人ながら思うもの。
ゆったりとした微笑っていいもんだよねえ。
どうしようもない世界をどうしようもなくあなたもわたしも生きているんだよねえ、
というそこからくる共感の微笑とでもいったらいいのか。
タイは微笑みの国といわれてファンも多いだろうが、
東南アジアの人の笑顔もまたすばらしい。
どうして人の微笑って人をうっとりさせるほど気持よくするんだろう。
男女ともにベトナム人の微笑もまたすばらしい。
ベトナム人の男の子や女の子って、
どうしてあんなにいい笑顔ができるのかって不思議になるくらいだもの。
いま生きていることの喜びが自然に顔に出たような微笑は本当にいい。
人が人にできる最高の親切は微笑じゃないか、なんていってしまいたいくらい。

ハーンの書いている、
仏像の菩薩(ぼさつ)というのは人間の微笑から生まれたというのはよくわかる。
仏教には人間の心を分類する考え方があって、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、菩薩、仏とかラベリングされている。
そこでは仏のほうが菩薩よりも上位に位置しているけれど、
悟り澄ました仏の顔なんかより、よっぽど菩薩の微笑のほうがいいと思うなあ。
菩薩になりたかったら修行したりお経を読んだりするよりも、
いま生きていることの楽しさを微笑で表現してみることなのだろう。
「俺は偉いぞ」なんて最上位の仏を目指すより、
あえて一段落ちて、あえて人にゆずって、
勝つよりも負けて、菩薩でいいと明(あき)らめるところから微笑が生じる。
最上位の仏を目指すのが使命だとか思っているとなかなか微笑は出てこない。
これでいいんだ。いまのこのわたしでいい。それが菩薩の微笑だろう。
最上位、最高位の仏になって下を見下す大勝利の笑顔って、
見ようによっては菩薩の微笑よりも色彩に劣るような気がしてならない。
仏にならなくてもいいんだ。菩薩でいいんだ。微笑を浮かべたら菩薩になれる。
世界を革命しようとしたり、
人間境涯を仏にすべく革命しようと粉骨砕身する前進姿勢は怖い顔になると思う。
仏になるのは明(あき)らめて菩薩たるをよしとする微笑にはうっとりさせられる。
ハーンが言っている。

「仏教美術の起源がどんなに日本の国土に無関係であっても、
日本人の微笑は菩薩の微笑とおなじ概念――すなわち、
克己と自己抑制とから生まれる幸福を表わしている」(P184)


そこまでがむしゃらに上を目指さなくても、いまのままで十分幸福ではないか。
未来の勝利を目指すよりも、
いまある幸福に気づくほうが深い喜びにつながるのではないか。
いまあるこの「ありふれた奇跡」のような幸福に思いをおよぼすことができたら、
きっと自然に微笑が生まれてくることだろう。
その菩薩の微笑は仏の正しい教説(指導)よりも人を幸せにすることだろう。
そういえば今年は菩薩鑑賞の紅葉ハイキングには行かなかったが、
いっぱい人間の菩薩のような微笑とめぐりあったから悔いはない。
ベトナム人の女の子Gさんの微笑ほど気持のいい笑みをわたしは知らない。
もう一生逢うことはないだろうけれど、心底から幸福になってほしいと思う。
他人に対してそのように思えることが微笑の発端なのかもしれない。

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「名短編、ここにあり」(北村薫・宮部みゆき:編/ちくま文庫)

→ポプラ社の百年文庫シリーズをたまたま数冊読む機会に恵まれ、
いい小説というのは短くてもあれほど人を揺り動かすちからがあるのかと感心する。
いい小説を読んで会社に行くでしょう。世界が違って見えるのである。
いい小説の感想を書いて会社に行くと、パート仲間に変化が見られるのである。
名短編のすごさを、言葉のちから物語のちからを改めて思い知ったしだいである。
とはいえ、震えるような小説とはめったに出逢うことができない。
普遍的なだれでも感動する名作というのはないのだと思う。
ある小説を他人にすすめる行為はこの上ない親愛の情の発露には違いないが、
ふたりが感激を共有することはまずないであろう。
小説はいつどのようなタイミングで読むかによって感想はいかようにも変わりうる。
40近くなってわかる小説があれば、高校生にしか共感できない小説もあろう。
性別、年代、読書歴、職歴、家族構成によって小説の感想はいくらでも変わる。
名作とされる小説がまったくつまらないことのあるのはこのためである。
このアンソロジーの「名短編」のなかにも、どこが? と思うものもいくつかあった。
やはり松本清張や井上靖は桁違いにおもしろいのである。
そうは言っても、読み物としておもしろいというだけで、それ以上はない。
むろん、小説ごときにそれ以上を求めるのは期待が過剰すぎるのではあるけれど。

松本清張の「誤訳」はいろいろ考えさせられた。
翻訳と創作についての関係である。
マイナーな言語の文学作品はメジャーな言語(英語等)に翻訳されないと読まれない。
とりあえず英語にさえしてくれたら、あとは英語から重訳することが可能になる。
このとき翻訳者が原作を無視して創作してしまったら、どうだろう。
マイナー言語の希少性という権威だけ借りて、内容は訳者が創作してしまう。
この翻訳が評価されてしまった場合、いったいだれの功績になるのだろうか。
ユングと河合隼雄の関係も、これに近いところがある。
河合隼雄はユングの権威だけ借りて、自分のやりたいことをやったわけである。
ユングとは関係ないことを、ユングという後ろ盾を利用して行なった。
原典よりも翻訳や解説のほうが深くておもしろかったら、
たとえ正しくなくてもそれでいいのではないか。

井上靖の「考える人」もたいへんな傑作であった。
むかし一度だけ見たカイコウ上人という奇妙な木乃伊(みいら)をめぐる物語である。
かつて即身仏になるような貧農や罪人くずれがいたそうである。
おそらくカイコウ上人もまたそのひとりかと思われる。
しかし、どうにも不思議だったのは悟ったポーズではなく
「考える人」の格好をしていたからだ。
登場人物は協力してカイコウ上人の物語をつくっていくが、そこがおもしろい。
おそらく現実のカイコウ上人の人生よりも、
彼らのつくった物語のほうがおもしろくなってしまうのである。
事実と虚構(フィクション)の関係を考えるときに示唆に富む小説である。

吉村昭の「少女架刑」はエロくてよろしい。
16歳で死んだ貧乏なうちの美少女が家族の意向で献体に出される。
この小説の設定では少女の肉体は死んでいるが、
意識は生きており一部始終を観察しているのである。
医局員は生娘の全裸体にメスを入れていく。
「生殖器は俺が受け持つか」と髭の来い男は提案したが、
それは背の高い相棒のみならず死んだ少女の意識にも聞こえているのである。
自分の肉体がおもちゃのように切り刻まれようとしているが、
少女の意識はなにもできない。
ただし、すべて見えているし聞こえている。

「髭の濃い男は、私の足部の方に廻っていた。
腿に指がふれると、私の両足は、大きくひろげられた。
私の体中に、羞恥が充満した。
私の腿の付け根に、男の視線が集中しているを強く意識した。
自分の姿態が、ひどくはしたないものに思え、息苦しくなった。
ふと、私の下腹部の腿の付け根に落ち込んでいるなだらかな隆起に、
なにかが触れる気配がした。
そこには、まだ十分に萌え育たない短い海藻のような聚落があった。
ふれたものが、男の指であることに気づいた時、
私は、自分の体が一瞬びくりと動いたような気がした。
私の耳に、指とその聚落の触れ合う微かな音がきこえてきた。
それは、体全体に伝って行く繊細な、しかも刺戟に満ちた音であった。
「おい」
背の高い男が、声をかけた。
髭の濃い男は、含羞んだように笑うと漸く指を離した」(P134)


こんな文章を読んで顔を真っ赤にさせ胸がどきどきする文学少女なんて、
もう絶滅危惧種なのであろう。
というか、そもそも文学少女など男のあたまのなかにしか古今いないのだろう。
小説を読むことで、つまらない現実へ妄想を付加しなければ、
生きているのは味気ないばかりなのだろう。
現実はどこまでもどうしようもなくつまらない。
小説でも読んでいろいろ妄想しなければ本当のことに押しつぶされてしまう。
異性など妄想しているうちが華だという部分もあるのかもしれない。
つまらないなあ。小説のようなおもしろいことはないかなあ。

「あの頃、あの詩を」(鹿島茂編/文春新書)

→団塊の世代に向けた本で、
当時の中学国語教科書に載っていた詩を集めたアンソロジー。
ああ、学校教育というのは国家的洗脳なんだなあ、としみじみ気づいてしまった。
繰り返すが、教育というのは洗脳である。
労働を賛美する詩がやたら多いのである。
働いたあとに喰うメシはうまいとか(P86)、
労働後の帰途は充足感にあふれているだの(P128)
人生の目的は働くことだとか(P191)。
恋愛や性をあつかった詩がないのは致し方ないが、
競争をあおる人より上へ行こうという詩とか(P197)、
雑草でも生きがいはあるだの(P232)、
日本の高度経済成長は学校教育(国家的洗脳)によっていたことがよくわかる。
学校教育(国家的洗脳)ってたしかに重要なんだなあ。
教育とは自分で考える力を摘み取り、ある思想を「正しい」として植えつけること。
新聞礼賛の詩まであるのだから気持が悪いことこのうえない(P73)。
新聞の活字はジャムのようなパンのようないい匂いがするとか。
嘘つけって話だが、学校で先生からこう教わると、
団塊世代中学生は新聞は香り高い正義の媒体だと思ってしまうのだろう。
教育とは国家的プロジェクトの巨大洗脳である。
いかに多様な考えを抹殺し、みんな一緒にするかが日本的教育だ。
団塊世代はやたら人数が多いから優秀な人もいれば無能もいたであろう。
どうやって彼らを均一化したか。この詩を教えておけばいい。
高村光太郎の「少年に与ふ」から一部抜粋。

「えらい人や名高い人にならうとは決してするな。
持つて生まれたものを深くさぐつて強く引き出す人になるんだ。
天からうけたものを天にむくいる人になるんだ。
それが自然と此の世の役に立つ」(P41)


バカや貧乏人やブスは持って生まれたものなのだからあきらめろよ。
しかし、世の中の役に立つ人間になるんだぞ。
世の中の役に立つ人間とは、きちんと働いてたくさん税金を納めてくれる人である。
いかに世の中の役に立つ、よく働く奴隷ワーカーを作るのかが教育の目的であった。
あの時代のこういった教育のおかげでいまの日本の繁栄があるのだろう。
氷河期世代からすると団塊ほどうざい連中はないけれど、
あいつらは金を持っているし多数派だし上を占めているから恐ろしい。
国家的洗脳である少年少女への学校教育ほど強いものはないのだろう。

「少女病」(文:田山花袋/写真:藤牧徹也/青山出版社)

→いまのグラビアに出てくる美少女を見てもちっとも心ときめかない。
テレビは最近ぜんぜん見なくなったけれども、
出てくる少女の質が下がったのが一因かもしれない。
いまのいわゆる美少女って完成されすぎているんだよなあ。
不完全なところ、もろいところ、危ういところが少女の魅力のように思うのだが。
常識なんかまったく無視して大人なんかバカにしくさっている少女の輝きってなーい?
「おはよおございまあす」とかギョーカイ人に笑顔でペコペコする少女なんて老婆だろ。
物怖じしないで危険なことをやって、あとで羞恥に震える少女とかいないかしら。
「蒲団」で知られる田山花袋の小説「少女病」は、
おれさまのようなきもいおっさんが主人公。
道ばたや電車のなかで見かける少女たちをあれこれ品定めするだけの小説。
いまのギャルからは「きんもっ」とプギャーされそうな小説である。

「午後三時過ぎ、退出時刻が近くなると、家のことを思う。
妻のことを思う。つまらんな、年を老(と)ってしまったとつくづく慨嘆する。
若い青年時代をくだらなく過ごして、今になって後悔したとてなんの役にたつ、
ほんとうにつまらんなァと繰り返す。
若い時に、なぜはげしい恋をしなかった? 
なぜ充分に肉のかおりをも嗅(か)がなかった?
今時分思ったとて、なんの反響がある?
もう三十七だ。こう思うと、気がいらいらして、髪の毛をむしりたくなる」(P107)


おっさんさあ、人生あきらめが肝心だよ。妻も定職もあるんだからまだいいじゃん。
こちとら三十八でもうすぐ三十九になるのに妻どころか定職さえない。
田山花袋の「少女病」は、まあ贅沢病みたいなもんになるのだろう。
人間、欲をかいちゃ切りがねえって話だ。こいつは欲が深いんだ。
美少女を見てはいちいちこんな妄想をしているのだから。

「美しい眼、美しい手、美しい髪、
どうして俗悪なこの世の中に、こんなきれいな娘がいるかとすぐ思った。
誰の細君になるのだろう、誰の腕に巻かれるのであろうと思うと、
たまらなく口惜しく情けなくなってその結婚の日はいつだか知らぬが、
その日は呪うべき日だと思った」(P115)


それはもうあきらめるしかないんだから。身のほどを知れよ、田山花袋。
本書には藤牧徹也氏の撮影した少女の写真がたくさん挿入されていたが、
このいかにも現代的な娘っ子にはまったくの興ざめであった。
結局、いちばんの美少女っていい小説を読んたとき、
そこに出てくる少女をじぶんのあたまで思い浮かべたものがそれなんだ。
いたずらっぽい目をした少女はいいよなあ。
大人の女性でもときたまいたずらっ子っぽい目をするけれど、あれもまたいい。
すっかりおっさんになったずら。生まれ変わったら美少女になりたいにゃ。

「鶴」(長谷川四朗/「穴」百年文庫/ポプラ社)

→くそつまらない短編小説だった。
戦場体験を書けば物珍しいからと文学的に評価された時代があったのかなあ。
戦場で敵兵を殺したり、現地女性を強姦するってどんな感じなんだろう。
あんがい一兵卒の人生にとってはスリルに満ちた最高の体験だったりして。
まさかそうであったとしても、そんな本当のことはだれも怖くて書けないのだろうけれど。
本書には殺人も強姦も出てこないから娯楽性が乏しく退屈だった。
親しみを感じていた仲間が脱走して、書き手は最後に被弾してあれは死ぬのかな。
だから、なに? とか言っちゃいけないんだよね、きっと。

「一休」(水上勉/中公文庫)

→谷崎潤一郎賞を受賞した水上勉の評伝文学「一休」を読む。
重厚な書物、もっとはっきり言えばじつに読みにくい本であった。
しかし、これをほめなければ人ではないという迫力を持った、
ある意味で賞ねらいの意図が甚だしい文字通りの意欲作である。
おもしろいかつまらないかを問われたら、
著者や周辺の権威から判断しておもしろいと答えざるをえない。
内輪の話で「読んだほうがいい?」と聞かれたら、読む必要はないと小声で答えると思う。
権威を装いたいのか先行研究者からの引用が多く長ったらしく退屈なのである。

さて、話は飛躍するが、いったい歴史の真実とはなんだろうか?
いまだタイムマシンが発明されていない以上、歴史上の事実はすべて仮説にすぎない。
本当はどうだったかはその場にいたものしかわからないのである。
そのうえ、ある事件を同時期に目撃したものの証言でも同一になることは少ないだろう。
ならば、歴史の真実とはなにか?
人は自分の体験したことを真実と思いたがる傾向がある。
そうは言っても、体験は一瞬で過ぎ去るものゆえ固定したものとは言えまい。
そうだとしたら、もしや真実とは「そうであってほしいこと」ではないだろうか。
自他を問わず「人を喜ばせること」が真実なのではないだろうか。
男女の恋愛なんて本当はないが、恋愛はなくてはならないことなのである。
もしかしたら空海は歴史上存在しなかったかもしれないが、いてくれないと困る。
日蓮は……おっと、日蓮大聖人の話は危険だからやめよう。
親鸞は、もしかしたら親鸞は、人を何人も殺した極悪人だったかもしれないわけだ。
しかし、親鸞は虐げられた庶民を救った慈悲深い偉人でなければならない。
ならば、それが真実だ。いつだって虐げられた庶民は正しく権力者は悪である。
これは大衆が「そうであってほしい」と強く願うから真実なのである。

本書は水上勉が実人生で知った真実を一休の生涯に仮託して物語った文学作品である。
本当か嘘かというありきたりな二分法にとらわれるのなら嘘に分類されると思う。
しかし、なにが真実だ? なにが本当だ?
そう考えるとき真実など存在しないとすれば、水上勉の「一休」もまた真実である。
水上勉は少年時代、禅寺に捨てられた過去を持っている。
そこで先輩の少年僧の手淫を夜ごと手伝わされたという。
書かれてはいないが、あるいは屈辱的な口淫さえしたのかもしれない。
なかには鶏姦されたものも目撃したという。肛門が真っ赤になっていた少年がいたという。
もしかしたら水上少年は被害のみならず加害をしたことがあるのかもしれない。
本当のことを作家は書かないから真相は藪の中である。
しかし、それに近い経験をした水上勉にとっては一休もまたおなじでなければならない。
さらに、である。著者は禅の師弟関係にホモセクシャルを見ている。
これは人によって意見がわかれるところだが、水上勉にとっての真実なのだろう。

繰り返すが、真実とは自分の体験したことであり、
そうであってほしいと心中強く願うことであり、自他を喜ばすことである。
もうひとつ真実がある。権威もまた真実として見なされることが多い。
水上勉は本書で幾度も庶民びいきを装うが、庶民ほど権威に弱いものはないのである。
無知蒙昧な庶民は権威者の発言を真実だと思う。
はっきり言って、
一休の人気の理由など結局は天皇の子だからということしかないのではないか?
権威嫌いの一休自身が権威を利用してうまく立ち回っているところがあるのである。
水上勉は意識的にか無意識的にか一休内部の権威主義に敏感だった。
もう故人だから言えるが、おそらく水上勉も権威主義的な人間だったのだろう。
人によって強弱はあろうが権威に逆らえる人間のほうが少ないからそれでいいのだが。

アンチ権威を装った水上勉は本書「一休」でおもしろいことをやっているのである。
この評伝が強く依拠しているのは磯上清太夫が書いたという「一休和尚行実記」だ。
水上によると大正2年に出された本であるという。
この本にはさらに原本があって、それは元禄2年の刊行物であるらしい。
ネットで調べて知ったが、これらはすべてフィクションなのである。真っ赤な嘘だ。
磯上清太夫なんて人物は存在しないし、「一休和尚行実記」なぞという資料もない。
しかし、評伝文学「一休」はその存在しない資料をもとにして書かれているのである。
正直、作品「一休」はそれほどのものとは思わないが、この仕掛けには感心する。
そういう手があったか、やられた、騙された、一杯喰わされたとニンマリした。
谷崎潤一郎賞を受賞した「一休」発刊後、
一休関連本を出すものはみな水上勉の先行書を参考にするだろう。
そのうちのいくつかを読んだが、みな水上「一休」の嘘には言及していなかった。
さすがに谷崎潤一郎賞作品という権威には逆らえまい。
歴史上のどこかで嘘をうまく混入させえたら嘘が本当になってしまうのである。

どちらかと言えば退屈で冗長な水上勉「一休」のなかで、
もっともおもしろかったのは嘘の部分である。
一休は最晩年に盲目の森女という美女を妻(愛人?)としたことで知られている。
いちおう多数派の定説では、
ある程度財産のあった家出身の巫女(みこ)ではないかとされている。
ところが、水上勉は森女を旅芸人の演歌歌手に仕立てあげてしまうのである。
13、4歳で親から捨てられた盲目の美少女は旅をしながら演歌をうたった。
まるで藤圭子の世界ではないか。とてもいい。
ときには悪い男衆数人に騙され衣服をむかれオモチャにされたこともあっただろう。
食うや食わずの痩身ゆえ少女は男たちのけものめいた淫欲に身を任せるしかなかった。
乞食の美少女は求められたら自慰、口淫、鶏姦、乱交、縄縛、なんでもやった。
ときには好色な年増女の淫欲の餌食になったこともあるだろう。
それは哀しみだけではなかった。性には哀しみだけではなく悦びもあった。
慰み者の少女はおのれの味わった哀歓を演歌に託してうたいあげたのである。
村から捨てられた被差別民以下の存在価値しかなかった美少女は、
数知れぬほど多くの男を知り、生きていることの悲喜を歌に込めて人を泣かせ、
いつしか旅回りではあるが食っていけるくらいの人気歌手になった。
そこを天皇の血筋を持つという一休宗純に見初められたのである。
あるとき寝物語に森女は一休和尚にむかしこんなことがあったと語ったという。
これは真実である。
なぜならば磯上清太夫の「一休和尚行実記」にそう書いてあるからだ。
以下は疑似古文のため読みにくいでしょう。お読みにならなくて結構です。
どうか読み飛ばしてください。
が、ここは水上勉がいちばん書きたかったことだろうから書き写さざるをえない。
あるとき森女が一休和尚に語っていうには――。
[カッコ]内の記述は引用者の意味補充です。

「まだはたち[二十歳]をすぎてまもなきころ、大江の山をこえいくのの里すぎて、
おまちの村のだいじん[金持]にまねかれ、ざしきにて艶歌、説経節などうたひて、
一夜のやどりを許され床にふしたるに、
夜半に音のしてふすましづかにあけ入りくる人のけはひなれば、息ひそめてありしに、
人のよりそひて伽(とぎ)せよ[セックスしよう]とささやかるるをきけば、
くだんのだいじんなり。はじめてのことにもあらねば、
森[女]もからだもえ[発情して]、
胸こがるるをいつはれず[偽れず]なさるままにてありしが、
ふと耳元にささやかるるこゑ[声]の、
この世の人ともおもはれぬ、おそろしきひびきのこもりて、
われに財宝あり、おまちだいじんと人によばれてあれど、
口さけ耳鼻ひらき眼はきりさけて顔のみにくければ、
口さがなき村むすめにきらはれ、いまだに女しらずにてありければ、
こよひ[今宵]ははれて思ひをとげたるなり。
めくら女(め)よ、なれ[おまえ]はわれには彌陀仏なりとかきくどきたまふ。
森[女]は十とせ[十歳]をすぎてまもなくいねをいでて、
明かぬ眼やみのうきまくら、津母(つも)の入江やなりはひの、
はしだてもなき宿々で、えみえぬ[見ることのできない]男の肌にふれ、
夜な夜ななみだにかきくれてありしも、
げにいまだいじんのいはるる[言われる]ことの不思議なれ。
われはめくらゆゑ、
口さけ眼のきりさけ耳鼻ひらきたる人なりとも知るすべなし」(P423)


読書家には難なく読める文章だが、
このブログはもしかしたら中学生や高校生が読んでいるかもしれないので、
あえて無粋な意味の補充をしてしまいました。
要するに、盲目のものほど真実が見えるということを言っているのである。
われわれは人を見かけの美醜、見かけの貧富、見かけの善悪で判断してしまう。
たとえば皇族の血を引いていると聞くと、その人を偉いと思ってしまう。
しかし、目が見えない森女は、
われわれの見えぬ真如(あるがままの真実の姿、永久不変の真理)を見ることができる。
親から捨てられた美しき盲目の少女である森女は、
相手の貴賤にとらわれず、けものめいた男たちに未成熟な裸体を与えたことだろう。
盲目の少女はおのれの美しささえ知らないのである。
たぶんに男の勝手な論理ではあるが、こういう女人こそ阿弥陀仏なのである。
水上勉は評伝「一休」でおのれの理想を森女に託したわけだ。
真実は史書や資料に求めるのではなく、人間の熱い思いにこそ真実は宿る。
こう考えたとき文学作品「一休」には、
学者ごときには断じて到達できぬ真実が描かれていると言えよう。
本当のことよりも嘘のなかに真実がある。嘘こそ真実だ。嘘バンザイ。みんな嘘だ。
どうやらこれは一休宗純の考えでもあるようだから、
その意味でも水上勉の谷崎潤一郎賞受賞作品「一休」は正しいとわたしは思う。

「笹舟日記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→1年かけて連載されたという短編小説ふうの自伝的エッセイ集。
年譜を見ると、三浦哲郎6歳のときがいちばんの暗黒時代だろう。
まず3月、三浦哲郎の誕生日に次姉の貞子が青函連絡船から投身自殺している。
これが三浦哲郎の決定的な、いわゆるトラウマになったようである。
自分の誕生日を祝えなくなってしまった。
同年夏、長兄の文蔵が突如失踪する。同年秋、白子症だった長姉の縫が服毒自殺。
三浦哲郎の残っているきょうだいは次兄の益男、それから三姉のきみ子である。
作者は小学校のころ、「おまえの姉ちゃんイルカに食われたんだろ」
と同級生からからかわれてショックを受けている。
丸三呉服店の娘の入水自殺は当時の地方新聞にでかでかと掲載されたそうだ。
12年後、三浦哲郎は次兄・益男の経済的援助もあり早稲田の政経に通っている。
益男は当時34、5歳でまだ独身、材木会社に勤務し「専務さん」と呼ばれていた。
この益男が原因不明の失踪をしてしまうのだが、その直前に哲郎は次兄に逢っている。
益男の恋人らしき女性と三人でブルースの女王とやらのリサイタルに行ったのだという。
このときの思い出を描いた「もういちど逢いたい人」はとてもいい。

頼りにしていた次兄が出奔してしまい哲郎は休学届を出し帰郷する。
一度中学校に勤務するもののすぐに辞め、脳軟化症で闘病している父のもとへ行った。
もうどん詰まりで先行きがまったく見えない。
このとき立ち上がったのが、いままで引っ込み思案で、
いつも母の陰でうつむいていたような白子症の三姉きみ子である。
きみ子は自殺した長姉から琴を習い、その後は高名な師匠の弟子にもなり腕を上げていた。
障害があるためこれまで影の薄かったきみ子がだしぬけに言ったという。
「私たち、もう死んだ気になって、
自分の出来ることをやってみるより仕様がないんじゃない」
実際きみ子は行動に出る。不自由な目に薄墨色の眼鏡をかけ、
ひとりで知り合いのあいだを奔走して3つも稽古場を開設することに成功したのである。
以降は「書き初め・弾き初め」から抜粋する。本当にいい。

「「あんたも暗い顔ばかりしていないで。」
と、あるとき姉は私にいいました。
「なにかやりたいことがあったら、本気でそれをやる気になったら、どう?
東京へいきたいなら、いったっていいよ。足りない分は、私が助けてあげる。
でも、なまじっかは、私は厭(いや)だからね。それに、お金だって、
あんたが一人前になったら三倍くらいにして返して貰うんだから。」
姉は、悪戯っぽく笑っていましたが、私はそのとき、
姉にいやというほど背中をどやされたような気がしたことを憶えています。
誰よりも弱者だと思っていた姉に、私は背中をどやされたのです。
私は恥ずかしくて、顔も上げられないような気持でした。せいぜい、
「御希望なら、三倍を五倍にしたっていいんだぜ」
そんなことをいうのが精一杯でした」(P290)


次兄の失踪に衝撃を受けた三浦哲郎は当時、
「自分たちのきょうだいには、滅びの血が流れているのではないかと思い、
ならば末弟の私はその血の分析に生涯を費やしてもいい、
などと考え」(P112)ていたため、姉きみ子の経済的援助を得てふたたび上京する。
滅びの血の末弟、三浦哲郎は文学立身をめざし早稲田大学文学部仏文科に再入学する。

「拳銃と十五の短編」(三浦哲郎/講談社文庫)

→三浦哲郎の私小説というのは、いったいどこまでが本当なのだろう。
お姉さん二人が自殺、お兄さん二人が失踪、ここまでは事実だと思う。
本書に出てくる話だが、作者が二十歳のころに
医者に失恋した白子症(アルビノ)の姉が自殺未遂したというのは本当なのだろうか。
都内に住んでいるその医者が死んだということで故郷の姉から作者に電話が入る。
そこから姉の自殺未遂が回想されるというのが短編小説「水仙」だ。
かりに本当だとして、いくら家族とはいえ、こんな秘密に属することを書いていいのか。
というのも、その白子症の姉は当時まだ存命しており故郷で琴の師匠をしているという。
どんな田舎にも書籍は流通しているわけで、
こんなことを書いたら田舎の人はうわさ好きだから
その姉を色眼鏡をかけて見るようになるのは当然で、ならばモデルは迷惑するのではないか。
とするならば、白子症の姉の自殺未遂はやはり本当に起きたことなのだろう。
もしフィクションだとしたら、それは人間としてやってはいけない行動になってしまう。

死んだ父の遺品から拳銃が見つかったというのは本当なのだろうか。
あまりにもうまい小道具すぎるのである。父は死んでいるからウソでも迷惑はかからない。
ならば、父の遺品に拳銃があったというのは、あるいはフィクションではなかろうか。
話ができすぎている気がするのである。
なぜ病死した父は拳銃を持っていたのだろうと三浦哲郎は父のことを思う。

「私は、父親の病気が再発したという知らせを受けて帰ってきて、
毎日すこしずつ死んでゆく父親を見守りながら、
村の郷土の子に生まれ、町の呉服屋の婿になり、白い子供を二人持ち、
娘たちには勝手に死なれ、息子たちには家出をされた男親というものは、
一体なにを支えにして生きるものかと、そんなことばかり考えていたものだが、
金庫の底から出てきた形見の拳銃を目にした途端に、
父親のすべてがわかったような気がしたのであった。
この拳銃こそが父親の支えだったのではあるまいか。
その気になれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――
そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか。
私はそう思ったのだ」(P19)


もしこの拳銃の話が事実だとしたら、
三浦家の八人は哲郎以外、全員自殺願望を持っていたことになる。
実際に自殺してしまたものが二人、失踪というかたちで自滅したものが二人。
母が自殺を思ったことのあることは「愁月記」に書かれている。
父までもいざとなったら自殺しようと拳銃を隠し持っていたのである。
なぜ三浦哲郎は滅びの血を継承していながら自殺をしなかったのか。
芥川賞受賞作「忍ぶ川」に出てくる美しい志乃と25歳のときに学生結婚したからである。
三浦哲郎の自殺した姉二人、失踪した兄二人は未婚であった。
さらに作家は28歳のとき健康な娘をさずかっている。
これでもう死ねなくなったのである。30歳で芥川賞受賞。よけい死ねない。
とはいえ、いちばん大きかったのは25歳のときに美しい女から愛されたことだろう。
三浦青年は大層ハンサムだったというから(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」)、
ならば呪われた生まれの血がこの場合は身を助けたということになろう。
本書でも作者と思しき人物が自殺を批判している。

「自殺ってやつは、あとに残る者へ自分の中身をそっくり預けて、
抜け殻になることじゃないか。死んだ奴はそれで楽になるが、
あとに残された者は死んだ奴の分まで荷物を背負わされてしまう。
死ぬ自分より、死なれる相棒や身内の方がどれほど難儀なものか、死ぬ奴は知らない。
尤(もっと)も、そんなことを知っていたら、おいそれとは死ねないさ。
だけど、死ねないのが当り前なんだ。
死ねなかったら、みんなと一緒にじっと生きてたらいいじゃないか」(P75)


かわいい嫁をもらい娘にも恵まれ、文壇でも出世した男の言葉だと思うと鼻につくが、
おなじ自死遺族のひとりとしてはまったくの正論だと思う。
しかし、自滅したきょうだい四人がいなければ、「忍ぶ川」は書けなかったであろう。
もし人生の道を踏み外したきょうだい四人がいなけければ、
この「拳銃と十五の短編」も書けず、野間文芸賞を受賞することもなかったのである。
さて、この短編小説集によると、死んだきょうだいは四人ではないらしい。
もう一人、三浦哲郎には姉がいたが、生まれてすぐに死んだという。
三浦哲郎はこの秘密を従姉から教わり、従姉は哲郎がこの事実を知らなかったことに驚く。
作家は一度も母から聞かされたことがなかったという。
生まれてひと月たらずで死んだ赤ん坊は姉ふたりとおなじく白子症であった。
このため、三浦哲郎は母がその白子症の赤ん坊を
間引いた(殺した)のではないかという疑いを持つ。
恐ろしくて母親には、この仏壇に位牌もない清子という姉について聞けないと作者はいう。
しかし、書いてしまっているではないか。書いたらみなの知るところになるのだぞ。
この生まれてすぐに死んだ白子症の清子という赤ん坊は本当に存在したのだろうか。
それとも小説家のフィクションなのだろうか。
本当のことでもフィクションでもこのことを書いたら母親は傷つくだろう。
あんがいフィクションだったほうが傷つかないのか。
小説家というのはみなウソつきである。
文筆を生業として地元のほまれのようになった息子の書いた小説なら、
母親はなにもかも許したであろう。
本当のことはたぶん三浦哲郎と母親しか知らなかったはずである。
そして、もうどちらも死んでいるから本当のことは永遠にわからない。
それにしても、これだけ呪われた血を持つ三浦哲郎は、
よく結婚しなおかつ妻をはらませることができたと感心する。
そうしなければ生きていけなかったのかもしれないが、
それがよかったのかどうかの答えはまだ出ていない。いや、もう出ているのか。

「勿論、私には自分の血を怖れる気持がある。
私のところには女の子ばかり三人いるが、
この子たちが将来染粉を要る子[白子症]を生むことになりはしないだろうか
と考えたりすると、忽(たちま)ち夜が白夜のようになってしまう」(P157)


「愁月記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→読みながらわんわん涙がとまらなかったが、
三浦哲郎の書くものは自死遺族文学なのである。
穢(けが)れた血の文学である。
瀬戸内寂聴さんによると、若いころの三浦哲郎はぞくぞくするほどの美青年だったという。
おのれの穢れた血を文学作品として克明に記録した三浦さんももう逝ってしまった。
果たして穢れは文学で昇華できたのだろうか。
三浦哲郎にはお嬢さんが三人いる。
三浦さんに何人お孫さんがいて、そのうち遺伝病や自滅、失踪したものはいるのか。
知りたいけれども、軽々しい興味からは知ってはいけないことなのだろう。
本書は穢れた家族のことを描いた私小説である。亡母のことが中心になっている。
白子症(アルビノ)の娘を二人産んだ母親の91年の人生というのはなんだったのか。
母は娘を三人、息子も三人産んだけれども、そのうち二人が自殺、二人が失踪してしまった。
三浦哲郎はむかし母の声を聞いたことがあるという。
いや、あれは母の声だったかは、正確には思い出せない。

「そういえば、たった一遍だけ、気弱になって、よからぬことを考えたったけな。
寝ていて、ぼんやり箪笥(たんす)の引手を見上げて、
あのいちばん上のやつに腰紐(こしひも)を掛けたら……
そしたら早く楽になれるなあって、そう考えた。
魔が差したって、ああいうときのこったえなあ」(P17)


この母は三浦哲郎を産むかどうかだいぶ迷ったという事実を後年作者は知る。
自然に流産できないか、何度か母は試したこともあったという。
白子症の子を二人も産んでいるのだから仕方がない。
産婆に励まされて6人目の子を産むことにしたという。
このような事情を後年産婆から聞いた話を三浦哲郎はそのまま小説にしている。
産婆から「お子さんは?」と聞かれる。
作者は「女の子ですが、目も肌も黒い子です」と答える。
産婆は安心して言う。
「時には、蛮勇みたいなものが必要ですね、自分の道を切りひらくには」
この小説集からわかったことは、自殺は50年も後を引くということである。
三浦家が破滅の道を進むようになったきっかけは次姉が19のときに、
よりによって三浦哲郎の6歳の誕生日に青函連絡船から投身自殺したことである。
あれから50年経っても三浦哲郎のかなしみは消えていない。
中年作家はいまや三人の娘を持つ父親でもある。過去に縛られた一人旅をしている。

「バスの発車時刻にはまだ間があったので、去年のように裏の岩浜に降りてみた。
去年、子熊の縫いぐるみをみたときもそうだったが、
この腐れかけた花束も海峡からの漂着物に違いないと、すぐにそう思った。
私は、家に三人いる娘たちが姉の享年とおなじ十九になるたびに、
その子を連れてこの海峡にくる。
青森から、姉が乗ったのとおなじ夜航の連絡船に二人で乗って、
姉の短かった生涯や、姉をこの船の回廊にまで追い詰めた事情の数々を、
隠さずに話して聞かせる。その折に、
海峡のまんなかあたりで同行の娘が暗い海面に落してやる菊の花束が思い出された」(P130)


白子症の長姉は睡眠薬自殺している。
おなじく白子症の姉は一度未遂をしたが生きながらえ、いま60も半ばである。
目が不自由なため、ずっと母親と暮らしてきたが、いまその母も死んだ。
三浦哲郎は姉のことを思う。

「姉が色素のない体に生まれついたのは、誰のせいでもない。
けれども、姉にすれば、産んだおふくろのせいだと思うほかなく、
おふくろもまた、自分が産み損なったのだと思わずにはいられなくて、
一方は絶えず相手を和毛(にこげ)の棘(とげ)で責めつづけ、
一方はそれを甘んじて受けながらひたすら相手を案じることで、
二人は根強く結ばれていたのではなかろうか」(P84)


どうしてこうなのだろうか。
三浦哲郎は大学時代、新聞社の入社試験を受けたという。
学科試験の後に身上調書を書きなさいと言われた。嘘やごまかしを書いてはいけない。
家族の名前、続柄、年齢、職業、死因を書かねければならない。
三浦哲郎の筆はとまった。六人きょうだいのうちすでに四人が欠けていたからである。
兄ふたりは行方不明。長姉は睡眠薬自殺。次姉は投身自殺。
しかし、三浦哲郎は死因に自殺と書けなかったという。
自殺者にとって自殺は方法であって、本当の死因は別にあるはずである。
行方不明だってそれぞれの、のっぴきならない事情があるだろう。
自殺、行方不明と簡単に記してしまっていいのか。
書いたところで結果はわかっている。八人家族のうち半分が人生の落伍者である。
一家から自殺者を二人、失踪者を二人出しているとは、ただごとではない。
しかも、四人ともまだ若年のうちに道を踏み外している。
人事担当者は思うはずだ。こういう薄気味悪い男とは関わり合いたくないと。
三浦哲郎は身上調書を白紙のまま裏返し、会場を後にしたという。

「その晩、住んでいるアパートに近い三軒茶屋の屋台店で、
モツの煮込みを肴(さかな)に梅酢で色をつけただけの安い焼酎を飲みながら、
今日の調書に書けなかった兄や姉たちの短かった生涯と死因を
いつか自分の手でかならず書こう、勿論(もちろん)彼ら一人一人のためにも、
彼らを恥じて残りの生涯を伏目がちに生きた両親のためにも、
置き去りにされた末弟のひそかな追憶の証(あかし)として、
かならず書こうと、ひとりで誓いを立てたものだが、
肝腎の自分自身がいっこうに熟さなくて、
それを実現させるのに二十五年もかかってしまった」(P196)


常識人はこういう暗い男に逢ったら、どんな言葉をかけるのだろうか。
「早く忘れろよ」「前向きになれ」「ポジティブがいちばんだ」「いい宗教があるよ」
男は前向きにならず過去にこだわりつづけ、家の恥を作品として世に問い、
無宗教のまま2010年に79歳でこの世を旅立った。
あの世でだれとどんな話をしているのだろう。

「酒みずく・語る事なし」(山本周五郎/新潮文庫)

→10年以上まえに買ってずっと積ん読していたのだが、このたび読んでとてもおもしろかった。
文豪のエッセイ、青年期の日記、対談を新たに編集しなおしたものだという。
表題にもなった「酒みずく」というエッセイに
61歳のときの山本翁の酒食生活が記録されている。これがすごいのである。紹介したい。
――朝7時まえに起床。シャワー。仕事場でウイスキーのストレートを1杯。
ストレートは最初の1杯のみで次は水割りかソーダ割りに切り替え、
酒をすすりながら原稿用紙と向き合う。バックミュージックは古典的通俗的な曲。
昼食は取らないで水割りをのみつづける。来客があれば酒量増加。
午後4時、夫人が仕事場にやってきて晩飯の支度にかかる。
夕飯時一度ビールに切り替え、しかしまたすぐ水割りに戻る。
食事は晩のみで米は食わず、パン、コーン類、オートミール、ポテト等を食す。
夕食後、1時間ほど仮眠。起きたらまたウイスキーの水割り。
午後10~11時、夫人が自宅へ戻る。睡眠薬を濃い水割りと一緒に服用。
眼があいていられなくなるまで酒をすすり限界が来たら寝床にもぐり込む。

山本周五郎はこの原稿を書いた2年後に没しているが当たり前と言わざるをえない。
しかし、いつからこんな酒びたりの生活をしていたのだろうか。
もしかしたら人間の身体というのはかなり個人差があるのかもしれない。
頑丈な人は頑丈で、たとえ上記のようなめちゃくちゃな酒食生活をしていても
山本周五郎は65歳まで生きているのだから。

本書に山本周五郎の青年時代、修行時代の日記が掲載されている。
山本青年25~26歳時の記録でタイトルは「青べか日記」。
これは作者没後の公開だから、おそらく金の誘惑に遺族がやすやすと負けたのだろう。
それとも、うまいこと担当編集者が遺族を言いくるめたのか。
これは間違いなく山本周五郎本人は公開されたくなかったであろう記録である。
それだけにおもしろいのだが、文豪ともなると悲惨なものとも言えよう。
若き山本周五郎青年はかなりヤバいやつだったことが「青べか日記」から推察される。
あたかも新興宗教教祖の青年時代のような自己愛、選民意識と迫害妄想が見られる。
言い方を換えたら、精神病だったストリンドベリの影響が強く見られる。
よく知られていることだが、ストリンドベリは山本青年が愛読したスウェーデンの作家。
以下引用文中の三十六(さとむ)とは山本周五郎の本名である(清水三十六)。

「しっかりしろ三十六、貴様は挫(くじ)けるのか、
世間の奴等に万歳を叫ばし度(た)いのか、大きな嘘吐きとして嘲笑されたいのか、
元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、忘れるな、いいか、起(た)て、
起てそして確(しっか)りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、
貴様にはその力があるぞ。あるんだぞ、忘れるな、自分を尚(たっと)べ大事にしろ。
そして、さあ、笑え、腹の中から声を出して笑え」(P211)


この日記は昭和3年11月6日、夜11時に書かれたものだそうである。
おそらく低学歴(小学校卒)のためだろうが、劣等感の裏返しである選民意識、
および自分は世間から虐げられているという被害妄想めいたものが見られる。
この前月の日記もまたおもしろい。
職を失って無収入であるのに10月6、23、24日と売春宿で娼婦を買っているのである。
「確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ」――。
日記にあえて宣言して、自分から困苦や窮乏へ向かってひた走っているのである。
まったく計画性もなく(翌月のことも考えず)、
ひと月に三度も買春する山本周五郎25歳はたしかに大物の器と言えよう。
さらに、である。むかしといまでは性的規範が異なるからよくわからないが、
この日記執筆時に山本青年は末子という女性と婚約しているのである(結局婚姻せず)。
10月3日の日記は買春報告のあとに、
「末子よ安らかな眠りと甘い静かな夢が貴女の夜を護るように」などと、
青年の感傷めいたことを書いてあるので気持悪いと言うのか、笑えると言うのか。
山本周五郎青年は相当なタマであったことがうかがえる。

山本青年はなんとか成り上がろうとわずかなツテをたどって、
既成作家の徳田秋声55歳の家に作品を持参して読んでくださいとお願いする。
日記に内心は徳田秋声をバカにしたようなことが書かれているのがおもしろい。
「いまは(徳田秋声)先生と云わねばならぬ」――。
野心あふれる生意気な青年というものは、ときに迷惑なものである。
おそらく、徳田秋声は山本青年の原稿なぞ本気で読まなかったのではないか。
山本周五郎が原稿を返してほしいと3ヶ月後に訪問すると、
徳田秋声は原稿をなくしたという。
それどころか「あんな物を持ち廻ったところで、売れやしないぜ」とバカにされる。
絶望のさなかにある山本周五郎青年は日記に憤懣と悲嘆を書きつける。
ここも被害妄想的でとてもよろしい。
こういう感覚の持ち主が、のちに文豪と呼ばれる作家になるのかと勉強になった。
引用文中の[カッコ]内の記述は当方の書き入れた補足です。

「彼[徳田秋声]如きに大事な原稿を預けたのが予[私]の過失であった。
予は有(あ)らゆるものに信を喪(うしな)った。予は全くの一人だ。
家婦は予に爪を切る鋏(はさみ)を貸すことを断わった。
剃刀(かみそり)を貸すことを断わった。
世の中は如何(いか)に冷酷な無味乾燥な埃(ほこり)まみれな場所だろう。
今予はストリンドベリイの「青巻」を読んでいる。
ストリンドベリイは毎度予にとっては最も大きく且つ尊く良き師であり友である。
予は涙をもって彼の名を口にする」(P223)


どういう因縁か、この青年が当時若者を黙殺した徳田秋声とおなじ年頃になったとき、
山本周五郎の大ブームが起こることになるのである(土岐雄三「わが山本周五郎」)。
青年が世間から大々的に評価されるのは「青べか日記」を書いた約30年後である。
印刷所に廻すまえから編集部員が奪い合って山本周五郎の作品を読んだという。
しかし、山本青年が心酔したストリンドベリが世にかえりみられることはなかった。
最後に、徳田秋声などはるかに超える国民的作家になってからの
山本周五郎の言葉も引いておく。

「わかりきったことだが、小説は作者が「書かずにはいられない主題」があって書きます。
(中略) 作者のつかんだ主題が、歴史の中にみつけられたにせよ、
現実の中からつかんだにせよ、「書かずにはいられない」という情熱を感じたとすれば、
それは現代の読者に呼びかけ訴えたいという欲求に通じているはずです」(P15)


「読書、なかんずく小説を読むよろこびは、もう一つの人生を経験することができる、
という点にある。こちらに積極的な「読み取ろう」とする気持がありさえすれば、
たいていの小説はそれを与えてくれるものだ。
というより、ある場合には現実の生活では得られない情緒や感動を、
現実よりもなまなましく、――ときには肉体的にまで、――経験することができる」(P81)