「1年で600冊の本を読む法」(井家上隆幸/ごま書房)絶版
「なにかあるかな? と期待して買って、
読んでみるとなんにもなかったという本はけっこう多い。
書いたご当人は「どうだ、どうだ」と得意気だが、
なにがどうなんだ、といいたくなるような本もある。
もちろん、こんな本は買うまえにかぎわけて
騙されないようにしなければならないのだが、なかなかそうはいかない。
間違って買ってしまうこともしばしばある」(P99)
( ゜д゜)ポカーン
「打たれ強くなるための読書術」(東郷雄二/ちくま新書)
→京都大学教授の読書指南。
といっても、最近の流行だろう。やけにくだけた文体である。
東京大学のゲンダイシソウ系を揶揄したり、
なんとか読者を笑わせようと無理をしているところに好感を持つ(踊る京大教授!)。
主張を要約すれば、受動的読書をやめて能動的読書をしましょう。
本の内容をうのみにしないで、たえず問いかけながら読もうね、
するとボクみたいに大学教授になれるかといったらそう甘くはないが
(深読みまたは被害妄想)、
きみのなかで知の組み換えが起こって、世界の見えかたが違っちゃうかもしれないぞ。
参考になったのは著者の造語で一次本と二次本。
本にはこの二種類があるという。
歴史研究における一次資料と二次資料をまねて命名したとのこと。
一次本とは、著者自身が実地調査・現物調査をして書いた書物のこと。
二次本は、本から作った本のこと。
二次本は情報源を他の書物から得ているため、元の本の誤謬が継承されてしまう。
だから、なるべく一次本を読もうと著者は主張する。
本書はおもにノンフィクション系の読書術だがフィクションにも当てはまるかもしれない。
一次本と二次本の区別が、である。
実体験にある程度基づいて書かれたフィクション(一次本)のある一方で、
本ばかり読んで本から作ったようなフィクション(二次本)もあるように思う。
私見では、フィクションの場合、一次本と二次本の優劣はつけがたいのではないか。
「私の「本」整理術」(安原顯:編集/メタローグ)
→富士川英郎という評論家の書物とのつきあいかたが参考になった。
いわく、毎日、本棚に並んでいる書物をながめなさい。
たとえ読まなくてもタイトルを見るだけでよろしい。
日々、そうしているうちにあなたと本のあいだに関係が生じる。
すると、まさか読むまいと思っていたような本まで読むようになるというのである。
実践してみた。効果よりなにより蔵書と向き合うのがたいへん心地よい。
まだ読んでなくて、そのくせいつか読みたい本がある、この悦びはどうだ!
本は整理するものではなく愛するものだと、かの評論家は言いたかったのかもしれない。
「バカのための読書術」(小谷野敦/ちくま新書)
→知ってる、知ってる?
うちのブログ、あっちゃん(小谷野先生)からコメントをいただいたことがあるんだ。
いきなり学歴の話をされて、ほんものだと身震いしたものである。
ちなみに柳美里のブログは読んでいないが、あっちゃん先生のは毎日拝読している。
容赦のない他者攻撃など影響を(たぶん悪影響)受けた部分も少なくない。
本書は小谷野敦先生の読書論。むろん、初読のわけがない。
数年前、書店で立ち読みして多大な影響を受けた。
買うつもりだったのだが、読み始めたらおもしろくて、うっかりその場で読了してしまった。
あまりにもおもしろい本というのは、損をすることがある。
再度読みたいと思っていたが、一度読み終えたものを買うのは気乗りしない。
ブックオフ105円ゲットを待っていたのだけれども、
小谷野先生のご著作は「もてない男」以外ほとんどブックオフには出回らない。
今回、やっとのことで入手、再読したしだいである。
あらためて良書であることを確認。
この読書論のすばらしさは「わからない」にこだわっているところである。
わからないものには毅然としてわからないという小谷野先生の姿勢に感銘を受けた。
「おもしろい」ものを希求する態度も好ましい。
わからなくてつまらない本をもてはやす学界への強烈な異議申し立てである。
2ちゃんねるでよく言われていることだが、氏は評論家評論の達人である。
小説評論は理が勝ちすぎていまいち。
かたい本格評論も氏のユーモアセンスが生かせない。
評論家を評論するとき、小谷野敦の筆はもっとも冴え渡るように思う。
なんにせよ、いまいちばん動向が気になる論客である。
「読書家の新技術」(呉智英/朝日文庫)絶版
→小谷野敦が影響を受けた本だというから読んでみたのだけれども、
ひと言でいえば、つかえねえゴミ本。
読書論の根本にある疑問というものがある。「なんのために本を読むか」だ。
むかしの読書論では、教養をつけるため、幸福になるため、よりよき成人になるため。
こんな回答がなされたものである。
では、呉智英の読書論はこの問いにどう答えるか。
「知的武装して知の戦士、知のゲリラになるため」だそうである(87ページ)。
ゲリラとかバッカじゃねえの。知的武装ってなんですか。
大戦隊ゴーグルファイブからぜんぜん成長していないじゃないの(笑)。
変身して、知的ゲリラへ! 平和を守るために悪と闘おう!
後楽園遊園地で呉智英と握手でもすんのかい? まったく幼稚極まりない。
こういう乗りが好きな男の子が呉先生に続け、とかアホなことを考えるのだろう。
いまひまさえあれば2ちゃんねるの政治系の板で罵倒しあっている連中というのが、
呉智英の読者層になるのかと思われる。
おれは知のゲリラだ。悪をくじく知の戦士。ううう、おれってかっちょええ♪
こんな自己陶酔をしているのかと思うと気持が悪くて身震いする。
新聞書評を参考にして探書を増やすとか、宝探しのつもりなんでしょうかね。
知の戦士は洞窟で宝箱を発見した。「開ける/開けない」。
ピヨーン♪ 知の戦士はまぼろしの書物を手に入れた。戦士の賢さが5上がった。
とかなんとか(笑)。がんばってゲームでもクリアするつもりなのだろうか。
書評なんか読まなくていいと思うけどな。
わたしは、書物は人間とおなじで縁だと思っている。
縁があれば読む。縁がなかったら読まない。
このくらい気楽に構えているのが健全だと思う。
それから呉智英がすすめているのは読書カードか。
わたしは似たようなことをブログで4年もやっているけど、なーんも向上していませんが?
読書カードなんてよほどの物好きしかやらなくていいと思うがね。
巻末に例によってブックガイドが掲載されている。
ひとに本をすすめる人間というのは、なんだかな。
おなじ人間なんてひとりもいないんだから、
自分に役立った本が他人にも効能があると考えるのは間違いではないかな。
こういうブックガイドを作るのが読書の目的だったのではないかと疑いたくなる。
おれ、こーんなに、本を読んでるぜ、見て見て、すげえだろ、みたいな。
おまえはビールの空き缶でも集めてろって。
要するに呉智英は自分の子分を作りたいわけでしょう。
このブックガイドにある書物を読んだら、今日からきみもミニミニ呉先生だぁ!
ブックガイドは必要ないと思うけどな。
本は他人から読まされるものではないでしょう。
大切な自分の時間とおカネを使うのだから、読みたい本を読めばいいんじゃない?
読みたい本がないのなら、別に本なんて読まなくても。
ほかに楽しいことを見つけたらいいと思うのだが。
間違ってるかな、知のゲリラ諸君よ?
「本棚が見たい!2」(川本武/ダイヤモンド社)絶版
→本がなによりも大好きなのであーる♪
若い女の子よりも好きかって?
それはいくら本といえども妙齢の女性にはかないませんよ。
だって、本は、悪口を言いたくないけれども、いわば死体でしょう。
比べて若い女性には目がある。耳がある。口がある。
若い女性ならではの意見を聞くと、いつだってじぶんがなにも知らないことを恥じます。
書籍など、執筆から印刷まで相当の時間がかかる。
いまを生きる女性のビビッドな感性にかなうものはありません。
常々、若い女性ほど重んじているものはありません。
ストーカーとか痴漢は死刑が妥当だと思います。
日本の宝を汚すものには厳罰がふさわしい。
おっと、なんの話をしていたのだったか。色即是空。色恋みな空なり。
思い出した。本です書籍。本も、なかなか役立つものであります。
ここだけの話ですが、若い女性とちがってヒステリックな自己主張のないのがよろしい。
女性をまえにしたら、ありがたいご意見を拝聴しないわけにはいきません。
しかし、もし、本の見どころが、著者の性別(女性様)と若さだけならば――。
本ならば対面とは異なり、聞かないで(読まないで)済むのが気楽です。
読んだ(聞いた)ふりをしていればいいのですから。
こう考えてみると本もやはりなかなかのものですね。
本が大好き。この世から本がなくなったら死んじゃう。本を汚す人間はサイテー。
さて、そろそろ本書の感想を書こうかと思ったけれども、うーん。
これは感想を書く類の本ではない。
せっかくですから、だれも知りたくないかもしれませんが、
わたしの部屋の本棚を紹介させていただきます。
ごめんなさい。恥ずかしがりやなので写真はございません。
まず部屋に入るとドアの横に本棚があります。
この本棚。いちばんうえがインドコーナー。
インドに関係する書籍がぎっしりつまっています。
下段は、驚くなかれ、ぜーんぶお酒に関する本です。
かなりのコレクションがあります。
さあ部屋に入って、正面にある本棚にはなにが収納されているのか。
さしさわりのない本です。
中国関係の書物。井上靖、山口瞳、両作家の文庫本がごっそり。
部屋を見まわすと、あと目に入る本棚は机の横。
ここには未読の本がたっぷり詰まっています。
ブックオフで買った105円本など。
やはり未読の本は目につきやすい場所へ置くべきだと思いまして。
それから、ううう、恥ずかしい。ここだけの秘密ですよ。
ナツメ社の図解雑学シリーズが整列しています。
え、なんですか? そんなふしぎそうな顔をされても。
本棚はこれだけですが、なにか?
やめてください。そこはクローゼットです。勝手に開けないでください。
プライバシーの侵害でちゅ〜。
ふふふ、こんなもんですかね。
インド関連、中国関連、それから井上靖に山口瞳。図解雑学シリーズがてんこ盛り。
それほど悪くない人間とは思いませんか。あんがい洒落のわかる人間かもしれませんよ。
それなりに本を読んでいるから、ものを知っている。
これからの若い女性は(異性の)見ばえや収入も大事ですが、
男の中身にも関心をもってほしいと思います。
いえいえ、いまの若い女性は野郎(男性)の一歩も二歩も先を行っていますから、
わたしなどが指摘することではないのはよくわかっています。ごめんなさい。
「人生読本 読書術」(河出書房新社)絶版
→昭和54年発行。上下2段組で活字ぎっしり。
文士や有名学者の読書術のアンソロジー。まず、人生読本っていうのが笑える。
なんで人生と読書が結びついてしまうわけ1979年?
しかし、笑えるな。
読書が重要だと思わせたい側が、こうも偉かった時代があったとは。
いまでは子どもでもわかる理屈だが、みんなが本を読むと、さあ得をするのはだーれ?
答えは作家さん、一般書を濫作する学者さん。
だーかーら、この書籍のように「本を読まないとバカになる」なんて、
みんなこぞって主張するわけです。
わたしは作家でもなんでもないゴミ人間だからほんとうのことを書いてしまう。
みなさま、これがリアルってやつですよ。
本屋さんで売られている言説はすべてまがい物。だっておカネを取るでしょう。
あっちは商売人なわけです。で、これを書いているバカ(わたし)はお客さん。
本なんて買うのは阿呆のすること。ましてや読むなんて、とんでもない。
読書のような悪徳を継続しているとこうなってしまうという悪い見本が、
いまみなさまのまえにいるではありませんか(にっこり)。
これだけではわからないのでしたら、
お手数ですが「もてない男」小谷野敦先生でもご覧になってください。
最高の読書術は本を読まないことである。
だいいち本を読んでどんないいことがあるというのですか。
他人の気持がわかる(エスパーかよ)? それ誤解です。
本など読まなくても他人の感情を察することのできる人間がいくらでもいます。
ものを知らないといざというときに困る?
あなたは総理大臣にでもなりたいのですか。ちがうでしょう。
個人として幸福になりたい。そのとき知るという行為が、どれだけ幸福の邪魔になるか。
環境問題など知らないほうが、かえってのほほんと生きられる(わたしを見よ!)。
じぶんより不幸なひとの存在を知るとなんだか申し訳ないような気がする。
じぶんよりはるかに優秀な人間を知ると絶望感に襲われる。
ならば、本など読まないにかぎるのです。
わたしもこれまでわずかな本を読んできましたが、
読書してよかったなどと思ったことは一度もありません。
家にある本など、汚らわしいと1冊残らず廃棄しなければなりません。
図書館など、なぜ火をつけるものが現われないのかさっぱりわかりません。
本を書く人間というのは、どれだけ物腰が低くてもエリートなのですよ。
書物がこの国にあるかぎり、かれらは我が物顔でのさばりつづける。
我われが本など読まないようになれば、かれらは物乞いをするほかないのです。
なんとも爽快ではありませんか。書を捨てよ、さらに火をくべよ、であります。
「本棚が見たい!」(川本武/ダイヤモンド社)絶版
→ひとに本棚を見られたくない。
もののわかるひとが見たら、ひと目でわたしがばれてしまうからである。
「本の山」のようなブログをやっているくせに意外だと思われるかもしれない。
それは違う。本棚ではタイトルのみ一望のもとに眺められる。
並ぶ本の色合いだけでも、ばれるものがあるのである。
ある本とべつの本の位置関係だけでも、ある種の精神構造が明白になる。
それと、みなさまは、ここに感想を書いているものだけしか
わたしが読んでいないとお思いですか?
これ以上、書いてしまうとやぶ蛇なのであわてて口をつぐむ。
ひとに本棚を見られたくないのに、そのくせ、ひとの本棚は見たいのである。
白状するが、覗き見根性は人一倍旺盛である。
ミラーマン、植草教授にもひけを取らないと思っている(おびえている)。
ひとの隠しているものを見たいという、ほとんど犯罪的な欲望があるが、
これはわたしだけなのだろうか。植草教授が逮捕されたとき、
ワイドショーの男性識者は一様にかの経済学者を理解できないというような顔をしたが、
わたしにはかれらのほうが得体の知れない生物に思えてしまった。
だれだってひとの隠しているものは見たいでしょう?
「本棚が見たい!」なのである。
著名人の本棚がカラー写真で公開されている。それからインタビューである。
まあ、恥ずかしい写真は1枚もなかった。むろん、それでもおもしろいのではあるが。
たぶん、ここを撮ってくれという依頼が本人からかなりあったのではないか。
この本には山田太一の本棚も掲載されている。
目を皿のようにして見たものである。
こんなものをという驚きと(覗き見る)喜びに身もだえした。
けれども、肝心の書庫は地下にあるという。
そこは撮影のみならず閲覧も拒否されたとか。当たり前の話である。
うちの本棚はクローゼットに隠してある。
どういったらいいのか。クローゼット用の小部屋がついているのである。
そこに本棚を4つ入れてある。重要な本はすべてこちらに収納している。
どうでもいいような本ばかりおもての本棚に並べている。
いざとなったらクローゼットの扉を閉めてしまえば完全犯罪だ。
本棚は、わたしにとって、ここだけは隠しておきたいという場所である。
だから他人の本棚を見たいというのは、まったく矛盾していないと思っているが、いかが?
「書物との出会い 読書テクノロジー」(紀田順一郎/玉川選書)絶版
→紀田順一郎は書籍論、読書論の第一人者。初版は30年前。
いまではこういう読書論は貴重だと思う。なんというのかな。
書物へ決して足を乗せないという精神がある。
切支丹時代の踏み絵のようなものである。
本がある。踏めといわれる。踏まなければ拷問だとおどされる。
それでも、最後の最後まで書物を踏まないという根性がある世代。
あるいは、ひょっとしたらだが、書物を足蹴にしたくないという理由だけで、
拷問を受けることもよしとする。
殉教とまではさすがにいかないけれども、死をも辞せじというくらいの気概がある。
書物はなによりも尊いと信じている。ステーキを食べるくらいなら本を買う。
書物のなかになにかが、だれかがひそんでいるという確信に支えられた狂熱である。
書に淫すどころか、書に狂っている。
本書に見られる紀田順一郎の精神である。とても親しいものに感じられる。
それにしても現代は本好きにとって決して恵まれているとはいえぬ。
いや、恵まれてはいるのである。だが、その恵みを享楽すると書物は輝きを失う。
本の愉しみにはいくつかある。
出会う昂揚。読む陶酔。語る連帯。探求する情熱。入手する達成感。
まず書物と出会う感動がいまはない。
書物というのがこれほど軽んじられている時代はないのではないか。
書物が人生への突破口になるという共通認識が全体的に薄れている。
書物インフレの影響である。
また書籍を読む悦楽をどれほど味わえようか。
だれもが常に携帯電話でどこかとつながっているのが現代である。
現実から書物の世界への逃亡など、もはやかなわぬ夢なのだ。
本について語り合う興奮というのもいまはない。
現代は共通の古典というものがない。みなみな読んでいる本がことなる。
なにか読書の連帯を感じたいとなったら、あの汚らわしいベストセラーを読むほかない。
探求する情熱もいまは薄れているのではないか。
たいがいの本がネットで検索すればでてくる。日本各地から取り寄せが可能。
畢竟(ひっきょう)、書物を入手したときの達成感も弱まる。
本書を読むと、30年前から時代はそういう風潮であったようである。
愛書家、紀田順一郎は怖ろしいことを言っている。あながち軽口とは思えぬ。
大正時代の末期に関東大震災で何千万冊という本がマル焼けになったという。
それをふまえての発言である。
「読者は恵まれているというべきだろうが、
あまり恵まれすぎて有難味を感じなくなっている。
豊富の中の貧困といおうか、考えてみれば不幸な時代で、
これで噂の東京大震災でもやってきて、
また何千万冊かの本がマル焼けにでもなれば、
また本の有難味がわかってくるのではないかとも思う」(P94)
幸か不幸か(幸ですよね?)この提言から30年、いまだ東京大震災はない。
だが、愛書家、いな狂書家というのは、ものすごい発想をするものである。
見習いたい。ううう……。見習っていいのか?
「にちぶんMOOK 荷風7号 神田神保町、御茶ノ水の究極」(日本文芸社)
→今回、気づいたことが。わたし写真って苦手です。
ムックだから文章とともにきれいなカラー写真がたくさん掲載されています。
それらをどう見たらいいのかわからないのです。
ついつい文章だけを読んでしまう。あ、もったいないとその後に写真を見る。
なんかそのタイミングがうまくいかないというのか。
どうせなら字だけのほうが……なんてことも思ってしまう。
何気ない写真の一枚にも、撮影者の自意識がべっとりついていると思うと恐ろしくなる。
なんだかんだいいましたが、このムックはすばらしいと思います。
お酒をのみながら数日にわたって味わいました。神保町は大好き。
好きなものを見ながらさらなる好物を。ぐふふ、たまりません。