いまは引きこもりを外に出す引き出し屋というものがあり、
それに春日武彦先生の片山成仁病院が関わっているそうだが、
引きこもりを外に出すなんてけっこう簡単とも言えて、
かわいい女の子に写真つきで「好きです」とメールを出させたらいい。
むかしの「レンタルおねえさん」の本当バージョン。
嘘でいいのよ。ビジネスでいいの。
引き出されちゃった男が働きはじめ(社会活動に参加して)、
そのとき嘘だとばらしても彼はもう引きこもりに戻れない体質になっている。
そういうものよ、人間なんて。男女なんて。
嘘でも嘘とばれなければ結果がよければ、それは本当のことなんだ。
法華経の火事の話があるじゃない?
火が燃え盛っている家で子どもたちがそうとは気づかず遊んでいる。
ブッダとおぼしき父親が嘘をついて子どもを家から出すわけ。
おまえたちのほしがっているプレゼントをあげるからって。
で、家を出てきたら、もっといいプレゼント(法華経かよ!)を渡すという。
ただし本当の引きこもりは、
女性に関心がなくなっているからこの手は通じない。
片山成仁病院の関係している引き出し屋ビジネス、
強制拉致連行で成功しているケースも多々あろう。
結果オーライというか、結果がよければいいというのが、法華経。
世間的に悪いとされることをしても成績がよければ、
それは結果的に善となる。創価学会、顕正会、日蓮正宗の思想である。
むかし山田太一さんが講演会で、
人間はたくさんの人間と一緒にいるだけで変わるのかもしれない、
と言っていたけれど、そういうこともないとは言えない。
去年なんかずっと創作小説でひとりぐつぐつ煮え立っていて、
大勢の人がいるア○ゾンの倉庫や、
ほぼプライバシーがない板中の大部屋に入って、
なにか憑き物が落ちたところもあるのかもしれない。
作家の春日武彦さんが、
精神科の医者なんてめんどうくさいことをやっているのは好奇心に尽きる、
と言っていたけれど、すごいわかる。
いまわたしを生に引き留めているのは好奇心と快楽くらいだもの。
むかし小谷野敦さんの「退屈論」を読んで、
自分は退屈という感情がわからないと書いたけれども、
いまではわかりすぎるくらいわかる。
下世話な好奇心と卑小で卑俗な快楽くらいしか
生きている意味を見出せない。
しかし、ひっくり返せば好奇心と快楽がいかに重要かってこと。

好奇心&快楽♪

わたし、他人のことや社会のことを実体験として知りたいもん。
入院生活は快楽の正反対の不快だからいやいやいや。
好奇心は満たされた部分もある。
なんかな、おもしろくないなあ。
孤独旅の経験者は知っているだろうけれど、
トラブルって本当はおもしろいんだよね。
少なくとも退屈とか考えていられなくなる。
八王子体験もなんだかんだいっておもしろかったもの。
へえ、人間ってこうなんだという、そのね、発見が。
なーんか、なまのものを見ちゃったよって感じ。
人間のいじましい虚栄心、とめられない征服欲、恥ずかしい誇大感。
八王子さんの人生にとっても、
後年ふりかえったらめったにない楽しいことだったと思うんだよね。
血潮が沸き立つような感情体験をしたわけだから。
その料金として、あれはそんなに高くないと思うのは世間知らずか。
メールどころか携帯電話番号を公開してもおもしろいことはない。
最近、たまに公衆電話からワンギリの電話がかかってくるくらい。
本で読んだけれど、製薬会社の営業が医者を落とす(懐柔する)とき、
まず「遊び」から教えるらしい。
医者は世間知らずだから金を渡しても「遊び」を知らないから使い道がなく、
このため金のありがたさがわからないので、まず「遊び」から教える。
これはむかしの話ね。
いまはいろいろ厳しくなって医者にそういう「うまみ」はほとんどないとのこと。
いま自分の子どもが医者および医療従事者になりたがったら、
本気で止めると本に書いていた医者もいた。
「遊び」というのは俗に言う女遊びだろうけれど、
嫌いなんだよね、そういうの。

派遣で働いているおっさんなんてそういうのばっかで、
さんざんギャンブルもすすめられたけれど、
金銭に執着があまりないから興味がない。
パチンコ、競馬、競艇、いろいろすすめられたけれど、
仕組みを知るのがそもそもめんどうくさい。
競艇はわかりやすいよって言われたけれど、
選手の名前を覚えたりするのがね。
結局、本でも読んでだれも読まない感想文をしこしこ書くしかないのかなあ。
もうそれも飽きたっていうか、いまさらなにを読めばいいの?
ア○ゾンでもそうだったけれど、
おなじ派遣との会話がめっぽうおもしろいんだよね。
他人の人生や価値観っておもしろい。
朝のバスで創価学会やア○ゾンの話をハイテンションでしていたら、
バス中の人に聞こえていたらしく焦った。
いま感想を書いている本はすべて去年、読んだ本。
八王子さんから依頼された小説を書くための仕込みのようなものが多い。
こんなわたしに期待してくれる菩薩のような人だと思って意気に感じて、
なんとかいいものを書こうとしたのだけれど、結果は最悪の事態。
お金はいちおうもらってるんだけれど、これからどうなるんだろう?
こっちからは連絡するな(したら刑事告訴するぞ!)って話だから、
放っておくしか道はないのだが。
無断で姉にあんなメールを送られて、
いまさら八王子に呼び出されても行けるかどうか疑問。
一生懸命がむしゃらにがんばったんだけどなあ。
あの人、なにがしたかったんだろう?
そうか、四国に自分の仏教を弘めたかったのか。うまくいくといいいですね。

今年の「読書はじめ」はまだ。
ここは文庫になった宮本輝「草花たちの静かな誓い」しかないだろうと、
お世話になったアマゾンに注文したらなんかプライム会員になっている。
会員になった覚えはないのに。
電話したら、外国人がオペレーターだった。
去年の6月に健康食品をお急ぎ便で注文したときに
30日間の無料会員になって、そこから自動的に有料会員になったってさ。
あれはまえにも引っかかりそうになったが、引っかかっていたのか。
ちょっと待ってよ、と思ったら、半年分3000円を返金してくれるって。
なんかアマゾンに怖くて注文できないよ。
むかしはアマゾン、本は送料無料だったでしょう?
いまは総額2000円以上じゃないと500円の送料がかかるって
外国人が言っていたけれど本当なの?
よくわかんないのはいやなので楽天ブックスから注文。
今日気づかなかったらアマゾンから、
今後も毎月500円引き落とされていたのか。

もう人生どうにでもなれモードが徹底してきて、
来月の大腸のチョーめんどうくさい検査は受けるよ。
検査で病状が悪化したら、運が悪かったということ。
ガンとか見つかったらめんどうくさいなあ。
それから近場で短期で働いて、それから先は知らない。
「宗教と精神科は現代の病を救えるのか?」 (島田裕巳・和田秀樹/ベスト新書)

→宗教ライターで創価ウォッチャーの島田裕巳と
教育ライターで精神著述家の和田秀樹の対談本。
一回、記事を書いたが、ぜんぶ消えてしまった。これって学会の陰謀?
――なわけがない。
いまは精神商売で大儲けできるでしょう。
和田秀樹の知人の精神商売屋さんは、
青山のメンタルクリニックで1日130人のお客さんをさばいて、
稼ぎに稼いでいるとのこと。5分診療、楽勝ビジネス。

「わずか5分くらいの診察で、
精神科の医者から「大丈夫ですよ」とか、
「それは考えすぎないほうがいいですよね」と言われ、
ありがたいと思って患者さんは帰っていくわけです」(P56)


現実は、そんなもの。
「大丈夫ですよ」
「それは考えすぎないほうがいいですよね」
実質的に上記のふたつがいちばん効く言葉なのである。
なのに、それができない医者が大勢いる。
青山の精神商売屋さんが大儲けできるのはこのためである。
「大丈夫ですよ」
「それは考えすぎないほうがいいですよね」
なんでこんな簡単なことが言えない医者が多いのか。

わたしは島田裕巳のことを
現代日本における創価学会研究の第一人者だと思っているが、
氏は学会の二代目会長の戸田城聖について
かなり「本当のこと」を言う。
どこにでも書かれていることだが戸田はひどいアル中だった。
創価研究のトップ、島田氏いわく――。

「戸田さんの演台には必ず酒が置いてあって、
だいたい飲みながら話しているんです。
しかし、そういう状態ですから、本当にあけすけというか、
隠すものもなにもないという感じで話をしている。
それが会員にはとても魅力的だったんでしょう」(P111)


現代日本の創価学会研究者として、
他の追随を許さないトップランナーの島田裕巳が17年発刊の本書で
危ない本音を口にしている。
いわく、創価学会ってだれが儲かっているの?
本部職員の給料はいいって言うけれど、
あいつら自前で宗教活動をしているんだぜ。
池田先生の大量の本を買ったり、その他、宗教活動費用がぜんぶ自前。
それを差し引いたらいくらになる?

先日、ア○ゾン倉庫で日蓮正宗の52歳のおっさんに
「腸に穴が開いたのは仏罰」とあざわらわれ、
彼が朝からお腹が痛いと言っているときににやにやしながら
「信心が足らないんじゃないですか?」と笑って聞いたら、
その後の夕方「回復した」と言われ、
ふざけて「大勝利っすね」とほめてあげたら、
日蓮正宗52歳からムカッとされた無宗教43歳の読書感想文でした。
ロケニューの佐藤さんの真似をすると「現場からの報告は以上です」――。

「お医者さま」(別冊宝島編/宝島社文庫)

→板中に入院したとき、
なぜか姉に持ってきてもらった鞄に入っていて、
そういう縁で病院で読んだ本。
ひとむかしまえの医者の裏話。
ちょっと裏話をしてみよう。
お世話になっているのでイニシャルで書くが、
2年まえだったか作家で精神科医のK先生のご診察を受けたいと思って、
先生が院長をしている病院に電話したことがある。
直接、手紙やメールでお願いしろという話だが、
それってなんだかコネの悪利用みたいで、
正々堂々K先生に診察してもらいたい。
ほかの精神科医ではいやだ。電話しました。
矢のような速さでK先生からメールをいただいたが(ありがとうございます)、
このわたしが愛人かなにかとナースに勘違いされて大迷惑したそうである。

このたびの入院経験でもわかったのは、
病院でいちばん権力があるのはナース。
本当に病院で悪いのはあいつら(笑)。
たぶんそうだろうと思っていたが、
ひとりに話したことがみんなに知れ渡っている。
女のうわさ話のネットワークほど迅速で怖いものはない。
創価学会なんて婦人部、女子部が主権を握っているとみて
「間違いない」(池田大作氏ご愛唱のお言葉の聖句)。
わたしは入院以前から、
女性ひとりに話したことはみんなに伝わっているという猜疑心があった。
逆に言えば、みんなになにかを伝えたかったら、
女性ひとりにそれとなく言えば事足りる。
入院体験を経て実体験としてわかったことだが、ナースってかわいいよ。
板中は(大勢すぐ辞めるので)若いナースばかり。
女が大嫌いなわたしさえ、ざわざわしたこころをいまだに引きずっている。
まあ、宝島の暴露本らしく、医者のひとりが言う(むろん男)。

「医者が看護婦にモテモテっていう時代は、
残念ながら終わったんじゃないでしょうか。
でも、考えてみてもくださいよ。
若い看護婦は相変わらずたくさんいるんです。
世の中、AVとか風俗で制服っていったら、三つでしょう。
セーラー服、スチュワーデス、看護婦。
そういうところで欲望を抑えているんだから、
僕ら若い医者って本当に我慢強い人種だと思います。
たとえばね、廊下で看護婦の後ろを歩いていると、
光のかげんによっては、レントゲンみたいにすけて見えるんです。
それから、若い看護婦が向こう向いてかがんだりすると、
びしっと体に張りついて、
パンツの模様までわかっちゃったりするんですよねぇ。
そういうのと一日中とか、一晩中とか一緒にいても、
我慢するんですよ、みんな。
「白衣のままでしたことはないのか? オレはあるぞ」
なんていう先輩もいますけれど、
とてもじゃないけどそんな自信はないです。
せいぜい、かがんでいる看護婦さんの後ろにまわって、
腰を動かす真似をしてみんなでくすくす笑うくらい。
AVそのものじゃないかって言われそうですけど、
実際そうなんです(笑)。
AVの世界と病院って、人間の本音が出てしまうところが
共通しているんじゃないですかね」(P147)


ナースを看護婦と呼ぶところ、時代性からわかるよう、
「せいぜい、かがんでいる看護婦さんの後ろにまわって、
腰を動かす真似をしてみんなでくすくす笑うくらい」の医者はセクハラアウト。
というか、93年以前はそんなことが許されたのか?
セクハラは女性がセクハラ自己申告したらそれが正義。
不細工な女性上司が男性部下にセクハラをされたといえば、
パワハラとセクハラとどっちが勝つのいえば、それはセクハラの令和日本。
女って敵にまわしたらこれほど怖い生き物はないよ。
すぐ群れるし、あることないこと上にチクり弱者気分でほくそ笑む。

作家で精神科医のK先生の本でよく覚えているのは「やべえよ」体験。
作家が若年、産婦人科医をしていたころの女性患者。
血がとまらない。教科書に書いてあった通りに処置しても血がとまらない。
どうしよう? この女、死んじゃうんじゃねえ?
それより死んだら、おれ訴えられたりするの? 
という生々しい描写が秀逸だった。
何冊かの本でおなじご経験を拝読させていただいたことがございます。
医者の本音だなあ。
患者ってなまものだから、いきなり急変する。
本書にも「大丈夫」と本人や家族にも伝えていた患者がいきなり
心臓発作で死んで無力感に襲われるケースが出てくる。
そのときの結論は、どうやら故人と家族の仲が悪かったようで、
「クレームが来なくてよかった」だったのは宝島的リアル。

医者って入院してきた患者の病状を悪くいう「ならい」があるらしい。
そうしたらもし患者が悪化しても面子を保てるし、
万が一患者が急死しても家族から責められることはない。
わたしがS状結腸穿孔で入院したとき、
いますぐ死ぬようなことを外科医から言われたし、
別室で姉にはもっとひどい病状と説明したそうだが、
本当はどうだったのだろう?
最初は最低1ヶ月以上の入院は必要と言われたのにわずか半月で退院。
その後、いわゆる肉体労働に従事したが、
救急車で運ばれることはなかった。
匿名の宝島医師は言う。

「まず、患者が入院してきたときに、
ムンテラ(患者家族への説明)はなるべく厳しく、
最悪の状態をも含めて述べておくことです。
ですから、どんな軽症でも、「大丈夫です」の太鼓判はないのです。
「大丈夫でしょう。
でも、確率は低いのですが、このような事態も考えられるのです」と、
本人はともかく、家族にだけはムンテラしておくことです。
もし急死したというような場合、
訴えるのは本人ではなく家族ですからね」(P210)


「つまり、自分では「大丈夫」と思っていても、
その予測とは逆に患者の家族に「危ないかもしれません」と、
最悪の結果の可能性を強調する予言をしておいた場合には、
予測を裏切る「最悪の結果」が出たとしても
<予言>は正しかったことになり、
家族との対応もそう困難なものにはならないと考えられるのである」(P210)


医者がいちばんいやなのは同業者に患者として来られることらしい。
わたしのような素人は高額のCT写真を見せてもらっても、
正直なにがなんだかさっぱりわからないが、
同業者はわかっちゃうわけでしょう。
作家で精神科医のK先生が同業者にかからないのは、
相手のへたくそな診察に気づいてしまいそうなのがいやだという。
だから、占い師にはまるというのも、うーん、人それぞれだなあ。
しかし、同業っぽい感じがカウンセラーのもとに行かせないのだろう。
たぶんそっちのほうが効くのだろうけれど。
いつだったかカウンセラーから
お話をうかがったら認知行動療法は効きそうなのだが、
わたしができるかと問われたら、
そんなめんどうくさいことはできないのひと言。
医者だって患者に正しい健康指導はいくらでもできるだろうが、
いざそれを自分ができるか考えてみたらあいまいな笑みを浮かべるだろう。

盲目的信仰。たとえば、わたしの父親世代。
いや世代ではなくタイプなのかもしれない。
姉もそうだが、お医者のおっしゃることをある種、盲目的に信じられるのは、
断じて蒙昧ではなく恵まれた才能のひとつだろう。
大腸の検査とか受けたくないが、
値段も5、6千円程度っていうし、
姉に相談したら絶対受けろって言われるだろうし、
言い争うのもめんどうくさいし、
キャンセルすると他人に迷惑をかけるからたぶん受けると思う。
常識ってそういうことか。

「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」(筒井冨美/光文社新書)

→この本を読んでいるときは、
まさか自分が大病で入院するなんて思わなかったなあ。
17年に出されたかなり新しい本なので、要点をまとめる。おもしろかった。

・派遣医師の日給は5~20万。派遣会社が存在して登録する。
・むかしは医局の力が強く研修医は奴隷で「学徒動員」と言われた。
・慶應医学部の学費は意外と安い。
・偏差値が低い大学の医学部になるほど学費は高騰する。
・現在、研修医に人気が高いのは眼科、皮膚科、精神科。
・理由は急患・当直・時間外労働・医療訴訟が比較的少ないため。
・むかしは人気だった外科の希望者の減少はとどまることを知らない。
・心臓外科医・脳外科医は絶滅危惧種。
・激務だがやりがいがあり「医者としての成長」が楽しいが激務。
・人気病院の給料は安く、田舎の不人気病院の給料はべらぼうに高い。
・帝王切開は高度なテクニックでゼニの取れる仕事。
・だが、急患当直あり24時間労働の産婦人科は本当にしんどい。
・医者は元気そうにしていないと患者からの信頼を失う。
・あたしの麻酔はうまいってよ、オホホ。

最近思うのは、医者ってどうして人気があるんだろう?
生まれ変わっても医者はいや。
高収入つったって、そこそこだし、使う暇がない。
そもそも学費を考えたら、投資として採算が合うのか?
開業医の場合、変にお金を使うと悪い評判が立つらしい。
いまは訴訟リスクどころかネットに悪口を書かれてしまう。
実体験だが、ナースも医者をあまりあこがれや尊敬の目で見ておらず、
ひんやりしたものを感じたものである。
入院中わたしの外科担当医を見ていたら、いつも病院にいるし、
働きざかりだから楽しい面もあるのでしょうが、いつ休んでいるの?
外科ってじつは薬剤部と看護部、事務に
ヤイヤイ言われる中間管理職なの?
メスを持たない外科医って、ふつうの人みたいじゃん。
ある内科医が(体育会系の)外科とうちらはべつの人種で、
一生理解し合えないだろうと本音らしきことを言っていた。
いまの医者はネットの影響で患者に舐められる。
怒鳴ったりしたらそれこそネットで叩かれ、その記録は未来永劫残る。
社会的ステータスは高いが、医者たんつらたんっぽそ。
みんな、ちゃんと医者の言うことを聞けよ!

「医療格差の時代」(米山公啓/ちくま新書)

→わたしは医者の著者の本を過去に何冊も読んでいて、
医療ミスの罪は問えないのではないかという立場に賛同していたが、
いざ自分が明らかに点滴の過誤で
左手の親指に強い痛みが発生しちゃうとそうも言っていられない。
病院に電話したら、こういう問題を相談する部署がないって言われて。
それからどうしても「証拠はあるのか?」になっちゃうよね。
本当にうちのナースのミスか、それは証明できるのか。
しかし、痛みが始まったのは入院中だし、
病院にいたときはほとんど本を読んでいるか寝ているかだったから、
本人の感覚としては原因は点滴以外考えられない。
一回、深夜、手のひらに点滴を刺され、痛みで絶叫した記憶がよみがえる。
ああいう田舎の病院だとすべては「先生(医者)に相談して」になっちゃうみたい。
わたしは経営責任者とリアルな責任の問題の話をしたかったのだが。

点滴も難しい問題をはらんでいて、
わたしはベテランのナースにやってほしいと頼んだが、してくれないわけ。
というのも、新人の修行にならないから。まあ、実験台だ。
今回、たぶんあのナースがやったと思っているけれど、1、2年目。
わたしの経験だと3年でもまだダメで、
個人差はあるが5年経つと点滴がうまくなる。
で、外来で医者に聞いたら、
「点滴はだれがやってもこういうことは起こりうる」と。
いちおう「証拠はあるのか?」ではなく「点滴が原因説」を認めてはくれているわけ。
さんざんわたし、ナースに点滴問題で騒いだから、
聞き取り調査の結果、みんなの記憶に残っていたのでしょう。
それでも「証拠はあるのか?」でも行けたけれど、
そうすると敵対関係しかなくなっちゃう。
病院にも医者にも正直に言ったけれど、「痛み」は自己申告。
痛いっていえば痛いの世界で、客観的証拠がない。
でもまあ、痛いんだけれど。

今度、大腸に内視鏡を入れる検査をしたいらしく、
点滴の件もあるから、医者は繰り返し強調していた。
この検査の結果として、お腹の痛みがさらに悪化することもある。
それはやってみないとわからない。
いまの医療としては、検査をしてみないと診断はつかない。
「ほっといたらよくなりませんか」と聞いたら、
「放置してよくなることは絶対にない」。
なぜ1ヶ月後に検査をするのか聞いたら、
「そのころには腸の穴が閉じているかもしれない。
ほら、人間って自然治癒力があるんだよ」
矛盾しているのだが、外科ってそういうところがある。
とにかく医者がほとんど懇願するように言っていたのは、
姉に説明させてくれ。一緒に来てくれ。
「いやだ」と答えたら、自分から姉に電話するって。
その理由が本書を読んでわかった。 

本書には林寛之「日常診療よろずお助けQ&A」から
「医療過誤を避ける方法」が引用されている。それによると――。
1.患者家族を味方につけろ
2.帰す際は「悪ければいつでもまたすぐに来てください」
3.患者のニーズをしっかりさせる
4.患者に質問させる
5.過剰なくらい説明せよ
6.患者満足度は最初の1分間は口をはさまない
7.正直に勝る武器はない

あの医者もこのマニュアルを忠実に守っていたのである。
その日の晩に姉に電話したっていうし(笑)。
「死んでもいい」というわたしの患者ニーズが困るのだろう。
大腸検査も「長生きしたいならやるほうが得」みたいな感じだし。
わたしは長生きしたくもなく、とりあえずの痛みが取れれば、
べつに診断(病名)がつかなくても、そんなに気にならない。
著者や精神科医の春日武彦さんの影響で、
この10年くらいで医者の権威がわたしのなかで失墜した。
医者というか医学をあまり信じていない。
医学を宗教の一派くらいにしか考えられなくなってしまった。
この本を書いた米山公啓氏の名著「医学は科学ではない」の影響も強い。

「医学が絶対的なものではなく、
曖昧な科学である拙著『医学は科学ではない』で指摘したところ、
その反響はさまざまだった。
臨床医からはその通りだという意見が多く、
いわゆる理系の方からは、当たり前ではないかという指摘もあった。
しかし、重要なことはいまだに多くの患者が
「医学は絶対的なもので、医者の答えは誰に聞いても同じものである」
と信じているところだ。
患者はあまりにも医学に対して
大きな期待を寄せすぎているとしか思えない」(P190)


指の痛みに対して出された最初の薬は「リリカ」。
効かなかったですと言ったら、やっぱりねって感じ。
処方したときに「効かないかもしれない」とか言うんだもん。
そんなことを言われたら効くものも効かない。
「先生、嘘でもいいから、これは効くって言って薬を出してください。
痛みなんて主観的なものなんだから、それでよくなることもあります」
「でも、嘘はいけないじゃない」
「嘘でも効けばいいんです。痛みが取れれば」
そうしたら医者はこちらの要望に応えて、巧みな演技をしてくれた。
「特別に薬剤部に聞いてみる」って。
結局、もったいぶって出そうとしたのがメチコバールで、
ごめん、それ知っている。
顔面神経麻痺のときにも橈骨神経麻痺のときにも出されて、
神経の外科医からも内科医からも
「しょせん気休めのビタミン剤」と言われた経験があるから効きっこない。
薬剤部に電話するような演技だけは感心したが、メチコバールの不運よ。
医者は患者をうまく騙す宗教家の才能が必要かもしれない。
いまの先生は脅しのようなムチは好きだけれど、
アメを処方するのがお嫌いなようである。

(関連記事)
「医学は科学ではない」(米山公啓/ちくま新書)

「アジアSEX・麻薬旅行マニュアル」(バックパッカーズ)

→90年代後半のアジアのSEXと麻薬の裏事情が口コミ形式で語られる。
このころはいまの大学生が生まれていなかった時代。
もうすっかりおっさんだからむかしを懐かしむと、むかしはよかったなあ。
世界的にいまのように規制がなく、ゆるく、夢やロマンのようなものがあった。
いまは世界中、どこに行ってもみんなスマホを持っていて(旅行者さえも)、
それでやりとりしているからたとえインチキでも夢も冒険もあったもんじゃない。
この本のような90年代後半のアングラな、いわばエロ本のノリが懐かしい。
こういうスタンスがすべて2ちゃんねるに吸収されて、
いまはどこへ行ったのだろう?

麻薬の「めくるめくような夢心地」ってどんな感じなんだろう?
本当にドラッグは経験したことがないので、
そしてもうこの年齢では恥ずかしくてできないので、
かえって逆に夢想が広がり活字に淫靡な空想を膨張させられる。
いまは廃刊したターザン山本の「週刊プロレス」の世界。
この本のようなガイドを片手にどきどきしながら麻薬を探す青春は、
それほど悪いものではなかったのかもしれない。
麻薬って、言うほど廃人にはならなく、そもそも入手しづらいから、
日本に帰国するとスパッとやめる人が多いって聞くよね。

瀬戸内寂聴も小説で書いているけれど(「花に問え」)、
麻薬でラリってみんなで踊り狂うって、それこそまさに一遍の踊り念仏。
「花に問え」の舞台になったインドのゴアに、
わたしも29歳のとき1週間以上遊びで滞在していたけれど、
カタブツの外見のせいか薬物のお声は1回もかからなかった。
どっかで期待していたのかもしれない。あのころは若かったし。
ゴアのレイヴってなんなの? 想像するしかない。
どうせいまはこんなに盛り上がっていないだろうと思いながら。

「強烈な音と会場の光に目が馴れてきたら、
ダンススペースを良く見てみましょう。
何百人から時には何千人という人間が踊り狂っています。
その光景は例えて言うと、
踊る宗教やサイコセラピーのワークショップに似ているようです。
ここでは、日本のディスコや盆踊りのように
決められた振り付けやお立ち台もありません。
他人に迷惑をかけないかぎり、すべてが自由です。
それぞれが好きかってな方向に、好きかってな動作で、
音と一体となって踊るのです。
最高に気持ちイイので、あなたも、
あなたなりの動きで音と一体となって踊ってみましょう。
よく見ると、日本人の踊る姿もチラホラ見かけるでしょう。
あなたの知っている顔も踊っているかもしれません。
全体的には白人が大多数ですが、
日本人や、稀にインド人も混じっています。
不思議と黒人はほとんど見かけることがありません。
最近では、日本人以外の黄色人種もだんだん増えているようです。
みんなそれぞれに楽しんでいます。
あなたも好きなだけ楽しんでください」(P141)


自由。解放。過激。アングラ映画監督の原一男じゃないんだから(笑)。
でも、あの世代って、そういうノリが好きでしょう?
なのに、いまは大学教授におさまって、お堅い文化論をかましている。
みんな自分を解き放てばいいのに、それができない。
そもそもそんな大きな自分もなく、小さな自分勝手で終わっちゃう。
全共闘のやつらとかどこに行ったの?
ウーマンリブとかフリーセックスとか、ぜんぜん自由じゃないよね。

八王子さんから、
「土屋さんはバリ島に行ったほうがいい」
とか言われて、え? お金を出してくれるの?
と思ったら、もちろんそういう話ではなく、自分でって話しで、それはそうだが。
どうせバリ島もいまはスマホに汚染されているような気がする。

「バリ・ヒンドゥー教には日本の常識では計り知れない部分も多く、
例えばトランス・ダンス等は
「狐つき」などと呼ばれ否定的に扱われがちですが、
バリ島では重要な神事の一つです。
バリ・ヒンドゥーでは特に「善」と「悪」のバランスが取れた状態を尊び、
この状態が崩れる事をいやがる傾向にあるようです。
各村や街には「バリアン」と呼ばれるメディスンマン(呪術師)がおり、
現地人は西洋医学の病院へ行っても
原因の良く分からない病気に罹った時は
バリアンのところへ行くのが普通の事とされています」(P49)


おれもバリアンに診てもらったら運命の損傷が回復して人生一発逆転――
とかそういうのを夢見られる年齢ではもうない。
本書にはカンボジアのスワイパー村に行けばひとむかしまえなら
ロリ美少女が買えたと懐旧談が掲載されているが、
その時代からもう20年以上経った。
こんな上出来な本をつくったやつら、まだ生きているか?
何十年後かには民俗学的資料になりうる奇書の類であろう。
もはや想像して楽しむことしかできないが、
あるいは空想するのこそ最大の快楽行為やもしれぬ。
実際は麻薬とかやってもつまらないんじゃないのかなあ。

まさか性犯罪はしないが、
女の子への関心が一時的にだが戻ってきたのである。
女が大っっっ嫌いなわたしにとっては奇跡的な事象。
板中でナースに囲まれたことが大きかったのか。
ア○ゾン非正規女組の影響か。
板中のナースのSYさんの「ないです」とかチョー笑ったな。
もろに関西弁の「ないです」で、
酒も飲んでいないのにわたしが真似したらSYさんも大笑い。
夜勤明けで、点滴が入らない。
強気なナースのSYさん、チョーかわいかった。
右手に打たせろって言うけれど、それではケツがふけない。
そこにジュンイチ先生が現われ、目先の利益、
「先生、点滴は打てますか?」
と聞いたら、
「むかしはこのくらいしかできることがなかったから、よくやらされたよ」
ジュンイチ先生、一発で左腕に点滴を決めてくれた。
「いよっ、天才外科医」
とか酒も飲んでいないのに朝からこのテンションのわたしって精神病?
点滴の影響か左手の親指がいまも非常に痛い。
ジュンイチに聞いたら「まあ運が悪かったとあきらめろ」というようなことを。
あそこでやられたと思った点滴はSYさんではない。
むろんジュンイチ先生でもない。
SYあの子、生意気で強気で喧嘩腰でしかし優しくかわいかったなあ。
エレンタールの水に溶かさない粉末を
はじめてそのまま持ってきたのが彼女。
関西弁の「ないです」――。
おもしろすぎて忘れられませんですね。