8年前に自殺した母は13年にわたって精神科医の四宮雅博先生に診てもらっていた。
四宮先生は現在「しのみやクリニック」の院長である。

母が最初に発狂したのは昭和61年。久留米ヶ丘病院に1ヶ月入院した。
母は、自分の精神病を否定。
精神病院からの退院は弟のちからを借りてのもので、なかば脱獄に近かった。
治癒から程遠い母の精神は猛り狂う。ほうぼうに迷惑をかけたという。
これは母の精神病のパターンなのだが、荒れたあとは沈静する。つまり、鬱が来る。
翌年、やむをえず母は順天堂病院の精神神経科外来に通院するようになる。
ここで当時講師をしていた四宮雅博先生に出会ったのである。
(この4ヶ月後、母は睡眠薬自殺をはかり順天堂病院に入院することになる)
以後、ずっと母は四宮先生に診てもらうことになる。
土田病院で四宮先生に診察してもらっていた時期もあったようである。
平成6年に先生が秋葉原に「しのみやクリニック」を開業すると、ここに通院するようになる。

わたしは四宮先生と二度会ったことがある。
初めて会ったのは平成12年の4月。母が自殺をする2ヶ月前のことである。
母のお伴として秋葉原の「しのみやクリニック」へ行った。
というのも、このころの母はひどかったからである。
いちばん困っていたのは息子のわたしへの攻撃である。
わたしが精神病の疑いがあると、母はあちらこちらに言いふらしてまわっていた。
おかしいのは母のほうなのである。
おそらく被害妄想からだろうが、マンションの管理室に塩をまいたりしていた。
嫉妬妄想も烈しく、息子の前で父と叔母が近親相姦にあると本気で訴えていた。
とはいえ、もっとも腹が立ったのは、やはりわたしをキチガイにしているところだ。
病院から戻ってきた母は底意地の悪い笑みを浮かべながらこう言ったものである。
「四宮先生に話したらね、先生もそれは息子さんがおかしい。
一度うちに連れてきなさい、とのことよ」
勝ち誇ったような母の憎らしげな笑みを忘れることができない。

母の妄想を真に受ける四宮先生というのは、どのような人物なのだろう。
見たこともないわたしを、ほんとうに四宮先生は精神病と思っているのだろうか。
わたしはこの精神科医と対決することに決めた。
母の病気もひどかった。1ヶ月寝込んだと思ったら、ぱっと元気になる。
1ヶ月のあいだまわりのものを否定しつづける。と思ったら、また鬱になる。
死にたい、死にたい、どうすればいいと息子にすがりつく。
また1ヶ月経過すると母は活発になり、鬱のあいだのことを覚えていない。
ちょっと前は泣きついた息子を今度は敵とののしる。

診療室に母と入ったわたしは、目の前の精神科医から見くだされているような気がした。
あるいは最初から四宮先生に反感を持っていたから、そのように見えたのかもしれない。
「きみは心理学の本を読んでいるようだがね、
本を書くようなお医者さんというのは、ちゃんと患者さんを診ていないからね」
四宮先生と母のやりとりは、わたしにはおかしなものに見えた。
「そうですか、上がりましたか。じゃ、薬を替えてみましょう。少し下げないと」
「上がる/下がる」というのは、躁と鬱のことのようである。
四宮先生は、母が躁鬱病だといった。
わたしは四宮先生に、妄想から生じたと思える母の異常行動を伝えたが、
この精神科医は聞き入れてくれなかった。
「精神医学には了解という概念があってね――」
要するに母の異常行動は了解可能だというのである。病的妄想ではないと。
分裂病ではない、ということでもある。
母と四宮先生の信頼関係に、わたしが敗北するかたちになった。

この2ヶ月後、母はわたしの目の前で飛び降り自殺をした。
医師と患者として13年間にわたって関係のあったはずだが、
四宮先生からは電話一本なかった。
検分に訪れた警察官に「しのみやクリニック」の診察券を提出したから、
院長先生が母の自殺を知らないはずがない。
あれだけ自信たっぷりだった精神科医・四宮雅博はなにを思うのだろう。
夏のある昼下がり、わたしは炎暑の秋葉原にいた。
足は「しのみやクリニック」に向いていた。
なにをしてしまうかわからないが、なにをしても構わないと思っていた。
「しのみやクリニック」はお盆の長期休暇だった。
わたしはなにもせずに済んだことに安堵した。

やはりもう一度、四宮先生と会わないといけない。正々堂々と会おう。
電話してアポイントメントを取る。昼休みの30分を指定される。
「30分で済むような話ですか。人がひとり死んでいるんですよ」
怒鳴るようなことはなかったと思うが、ドライな反応に不快感がつのった。
わたしは当日までに母の大量の日記をワープロで整理した。
二度目に会う四宮雅博医師は、前回とは打って変わっていた。
えらそうなところが少しもなく、驚くほど腰が低かった。
精神科医は自殺のことを事故という。事故当日に警察から連絡があったとのこと。
四宮先生は以前、受け持ちの患者が自殺したとき通夜におもむいた。
そこで遺族とトラブルになった。
そのときから患者が自殺しても連絡を取るのはやめていると先生はいった。
これ以上ないほどの誠実な対応を四宮先生はしてくれたと思う。
結局のところ、死を選んだのは本人なのである。
だれかに責任を押しつけるわけにはいかない。
面談は50分にもわたるものになった。
診療室を出ると待合室は診察を待つ患者であふれていた。

季節は秋になっていた。
わたしは14年前に母が入院した久留米ヶ丘病院を訪れた。
電話して問い合わせたら14年前のカルテがあるというのである。
院長の落裕美先生は温厚な紳士であった。
14年も前にたったの1ヶ月入院したに過ぎぬ患者の息子を、
こうも親切に遇してくれるのがとても嬉しかった。
精神的につらい時期だっただけに人間の厚情が身にしみた。
偶然ながら14年前に母を診察したのが、この落裕美先生であった。
カルテの記述をもとに当時の母の病状を教えてもらう。
父の経営する居酒屋の従業員が暴力団に通じているという妄想から警察を呼ぶ。
隣室より盗聴されているという妄想から隣の郵便受けにお香と4万円を入れる。
落先生がつけた病名は非定型精神病。
躁鬱病にも分裂病にも分類されない、定型に非(あら)ずの精神病である。
素人考えから、どうして妄想があるのに分裂病ではないのかたずねる。
居酒屋での仕事ぶりが社交的。
38歳という年齢(分裂病は若年で発症するのが通常である)。
以上、ふたつの理由から非定型精神病と診断したという。

四宮雅博先生と会い、落裕美先生とも会った。
もうこれ以上、進みようがなかった。

あれから8年が経とうとしている。いまさらぶり返すのはどうかしているのかもしれない。
けれども、いまどうして自分がこの体(てい)たらくかと考えると母の事件に行き着く。
母の問題がなにひとつ解決していないのである。
先日、カール・ヤスパースの「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読む。
ストリンドベリと母の異常行動がまったくおなじタイプのものであることを知る。
嫉妬妄想、追跡妄想、被害妄想である。
いまさらこんなことをいうのはどうかしているとは思うのだが、書かざるをえない。
四宮先生は誤診をしたのではなかろうか。
四宮先生が母にくだした診断は躁鬱病である。
母の嫉妬妄想、被害妄想を了解可能なものとしている。
この治療方針のもと13年間、投薬がつづけられた。
なにを問題にしているかというと、
四宮先生が分裂病的妄想をとめる薬を出していないことである。
もし先生が母の分裂病的妄想に気がついてくれていたら、
家族の13年はだいぶ楽なものになったと思うのである。
少なくとも落裕美先生は嫉妬妄想や被害妄想の存在に気がついている。
だから非定型精神病なのである。
むろん、四宮雅博先生を批判するのが筋違いなのは理解している。
なぜかというと四宮先生を選んだのは、まさしく母その人だからである。
四宮先生が精神科医として未熟だからこそ母は主治医に選んだ。
この先生は自分の妄想を真実だと信じてくれると母は思ったに違いない。
優秀な精神科医に妄想の存在を見破られたら母はその医師と反目せざるをえないわけだから。

むしろ、四宮先生に感謝しなければならないのかもしれない。
先生のおかげで母は最初の自殺未遂から13年間も生きつづけることができた、
と考えればの話である。
四宮先生だけは自分のことをわかってくれる。
この信頼関係が少なからず母の生きがいになっていたはずである。
夫も実母も悪魔のような人間である(実のところ、そうではない)。
まわりにおかしな人間が多いため自分はこのような病気になってしまった。
母の病識である。四宮先生は患者の身になり、生きてゆくのを支えた。
こう考えたら、ほとんど美談である。
けれども、母の猛り狂うさまは現代ではめずらしいほど華々しかった。
どうしてあれを薬でとめられなかったのだろうと精神科医の手腕を疑いたくもなる。
根本に誤診があったのではないか、とも(その誤診が母を救ったかもしれないのだが)。
「しのみやクリニック」の評判をネットで調べてみたら、
「四宮先生は親身になって話を聞いてくれる」と書かれていた。
たしかにそうなのだろう。母の場合も、親身になってくれたのだろう。
だが、患者が精神病の場合、
医師が患者をサポートすることが家族の迷惑になることがある。
精神科医は患者とその家族、どちらを優先すべきなのか。

すべては終わってしまったことである。忘れるしかないのであろう。
しかし、忘れられないのである。ちっとも終わっていないのである。
「しのみやクリニック」の営業妨害をするつもりはない。
メンタルヘルスのクリニックで自殺者が出るのは決してめずらしいことではない。
もし通院している患者さんがこの記事をご覧になっても大げさに考えることはないだろう。
「しのみやクリニック」のホームページを拝見すると、
記憶違いかもしれないが、8年前と比べて規模が大きくなったようである。
母の通院していたころ、
「四宮先生はなんとかというスポーツカーを乗りまわしちゃって、それはすごいんだから」
と聞いたことがある。むかしから羽振りがよかったのであろう。
先生は執筆活動も旺盛になさっているようである。
事業拡大に研究の邁進、四宮先生のこの8年間は順調極まりない。
うらやましいかぎりである。
四宮雅博先生の臨床精神医学研究のなにかの足しになればと思い、
精神医学にはまったく無知のわたしだが、思うところをまとめてみた。
いや、偽善はやめよう。白状する。
わたしはどうしようもなくこの文章を書かざるをえなかったのである。
四宮先生はわたしのことなどまるで覚えていないのであろう。
だが、わたしは先生を忘れることができない――。

「しのみやクリニック」
http://www.shinomiya-clinic.jp/index.asp
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」(カール・ヤスパース/村上仁訳/みすず書房)絶版

→著者は精神科医にして哲学者。
ヤスパースは本書において、ストリンドベリとゴッホを精神分裂病(統合失調症)と診断し、
ふたりの創造者のうちにひそむ病気の本質に迫ろうとする。
わたしはゴッホには詳しくないので、
ストリンドベリについて書かれた記述を注意して読んだ。
ストリンドベリは生涯にわたって自伝的(告白)小説を多数書いている。
順に「女中の子」「或る魂の発展」「痴人の告白」「地獄」「伝説」「不和」「孤独」――。
ヤスパースはこれらの自伝小説から、
通常なら得られぬ価値のある病誌(病状の記録)を採取できると指摘する。
ストリンドベリの主観的な記録のみならず、著者は作家の友人・知人の証言まで参照する。
実に丁寧な仕事ぶりに感心した。
またヤスパースの筆致は平明で、医学的知識の乏しい一般人にもわかりやすい。
卓越した書物であるといえよう。

キチガイという言葉がある。精神病という疾病が存在する。
では、そもそも気が狂うとはどういうことだろうか。
なにゆえ精神病患者と天才が混同されるような事態が起こりうるのか。
人と違ったことをする。これがスタート地点である。
ある人がみんなのしないような行動を取る。
この行為を見て大多数のものが「あの人は狂っている」と言う。精神病の始まりである。
換言すると、多数の人間が理解できない行動を起こすものが狂人とされる。
そうだとするならば、狂うというのは相対的な判断に過ぎなくなる。
絶対的な狂気が存在しえぬということだ。
ある異常な行動が時代や国をかえれば正常なものとみなされることもありうるのだから。

とはいえ、それでもなお狂人はいなくならない。
人と違ったことをする。だれにも理解されぬことを言う。
いいではないか、天才的ではないか、と狂気を是とするものは、
おそらく真の狂人を知らないのだろう。
たしかにふつうの人がしないような行動や発言は、天才を証明するもののひとつである。
だが、これを忘れてはならない。奇行は迷惑なのである。
通常なら人が言わないようなことを言いふらしてまわる男は迷惑極まりない。
危険でもある。
だから、かれは周囲から狂人と恐れられ、ときには監禁されても仕方がない存在となる。
医師による治療が必要と判断されるのはこのためである。
もっともストリンドベリの存命時は、薬物療法が発明されておらず、
医師はもっぱら狂人の診断をする審判者としての役割に甘んじていたのだろうが。
当時、狂人の治療は、転地、安静、監禁くらいしかなかったようである。

いよいよストリンドベリの狂気に踏み込もう。
なぜ天才ストリンドベリが精神病患者とみなされなくてはならないのか。
この男の取った異常な行動が、
分裂病患者の極めて類型的なパターンに当てはまるからである。
ヤスパースはストリンドベリの分裂病過程の開始を1882年に見る。
33歳のストリンドベリが体験した(と自伝小説に記す)神経発作からの判断である。
作家が「赤い部屋」で世に出た、わずか3年のちのことである。
ストリンドベリの人生における、最初の分裂病増悪期は1887年(38歳)。
妻シリへの嫉妬妄想が爆発する。
これは翌年に書かれた「痴人の告白」からの診断である。
わたしもこの小説を読んだとき、作者の分裂病的嫉妬妄想を疑ったものである。
精神科医ヤスパースは、小説の内容を事実無根の典型的な妄想だと断定する。

「(ストリンドベリにとって)妻のすることはすべて嫌疑の種となり、
そのすべての行動は意味をもつ。
彼が病気から恢復(かいふく)しても、妻が冷淡なように感じられ、
彼女が親切にすれば、それは欺瞞的な阿諛(あゆ)と判断される」(P33)


ストリンドベリは妻の不貞を疑い、手紙の無断開封から探偵のまねごとまで行なう。
ストリンドベリ、天才の証左である。妻が淫乱な浮気女だとストリンドベリは思う。
だが、このことを知るのはストリンドベリただひとりである。
周囲のものは、だれも女優の妻のことをそんなふうには思っていない。
ふたつにひとつである。ストリンドベリは述懐する。

「確かな証拠を握るか、死ぬか、どちらかだ!
犯罪が行なわれたか、私の気が狂ってるか、どちらかだ!
真実を知らねばならぬ。(……) 必要なのは詳しく知ることだ!
そのために私は徹底的に科学的に調べよう。
最近の心理学のあらゆる手段、暗示、読心術、精神的拷問なども用いよう。
侵入、窃盗、手紙の開封、署名の偽造などの昔からの方法も用いよう。
私はすべてを試みるつもりだ」(P36)


ほとんど泣きながら夫に「真実を白状せよ」と迫られた、
ストリンドベリ夫人の心中を思うとやりきれない。
ふたつにひとつ。ストリンドベリは狂っているのか、狂っていないのか。
ストリンドベリは生涯で多くの医者の診断を仰いでいる。
ある医師は精神病だといい、また別の医術者はまったくの正常だと判断した。
ヤスパースの診断はクロである。わたしもヤスパースに同意する。
いちばん重要なのはストリンドベリ自身がどう判定をくだすかである。
ストリンドベリは「自分は狂っていない」という結論に達した。
この病識(病気の自覚)のなさこそ、精神分裂病患者の特徴だとヤスパースは指摘する。
我輩は断じて間違ってはおらぬ! 誤まれしは汝らなり!
ストリンドベリは「狂気か正常か」のふたつにひとつに悶え苦しみながら、
常に最終的には後者の「正常」を信じるにいたる。
結局、ストリンドベリは女優の妻を離縁する。

嫉妬妄想が生じたのとおなじころ追跡妄想、被害妄想も発症する。
ストリンドベリは自分がなにものかに狙われている、マークされていると感じる。
殺されかねないとのおびえまで生じる。
この不安状態の段階で踏みとどまったら、かろうじて正常でいられるのである。
だが、ストリンドベリは行動に移す。
追っ手からの逃亡を企てる。暗殺者への反撃を計画する。やられるまえにやれである。
追跡妄想、被害妄想はやむことなく続いたが、
ヤスパースの診断によると、もっとも増悪したのは1896年とのことである。
これは自伝小説「地獄」からの推測である。

追跡妄想、被害妄想の具体例を見てみよう。1892年のことである。
ベルリンにストリンドベリを支持するものがいた。
ローラ・マルホルムとその夫オラ・ハンソンである。
ふたりは窮乏するストリンドベリのために金をこしらえてやった。
友人としてドイツにストリンドベリを紹介したのである。
ところが、ストリンドベリは恩人ともいうべきローラ・マルホルムを危険視する。
この女は恐るべき犯罪者だと確信するようになる。
マルホルムは全女性と同盟してストリンドベリを精神病院に監禁しようとしている!
ストリンドベリは夫婦のもとを逃げ出す。
そのうえで恩人マルホルム夫人の悪意あるデマを社交界に流すのである。
ストリンドベリ本人は正当防衛のつもりなのだから、分裂病患者は恐ろしい。
こうして知人はふた手に別れざるを得ない。
ストリンドベリの狂言を信じるものと、とてもついていけないものと――。

「彼(ストリンドベリ)の追跡妄想の発作は次第に頻繁になった。
彼は極端に精神病院を恐れていた。彼は根拠のない疑念を訴え、
『敵』がそれを問題にしないで冷静にしていると、失望し、激しい憎悪を抱いた。
そのため一度睨まれた人は一生迷惑した」(P53)


マルホルム事件のとき、ストリンドベリの味方となった友人がいる。
パウルである(かれはストリンドベリの思い出を書いている)。
ストリンドベリがつぎの標的に選んだのが、友人パウルなのである。
1893年、ストリンドベリは2度目の結婚をしていた。
ところが、結婚生活は破綻寸前。
ストリンドベリは妻から征服される危険を感じ家庭から逃亡する。
友人パウルのもとに身を寄せる。
ストリンドベリにはパウルもまた「敵」に見えてしまうのである。
のちに自伝的小説「不和」でかつての友人を作家は裁く。

「イルマリーネン(パウルのこと)は以前と違い、冷たく当惑した様子だった。
(ストリンドベリは)この男が何か企んでいるように感じた。
……かれ(ストリンドベリ)はこの詰らぬ、
教養のないイルマリーネンを引き立て、彼の仲間に入れてやった
……ところが今では、彼の傍に居ても何も利益がないと判ったので、
この助手は彼から逃げ出そうとするのだ」(P61)


ひどい中傷である。パウルにとっては、ストリンドベリのほうこそおかしかった。
パウルはこのときのストリンドベリをこう述懐する。

「彼(ストリンドベリ)はいつも機嫌が悪く、他人にも不愉快な感じを与えた。
彼は自分の不機嫌や人生厭悪を他人に伝染させるのに妙を得ていた。
自分に面白くないことは、他人も面白がってはいけないのだった」(P62)


ストリンドベリとパウル、果たして正しいのはどちらだろうか。
ヤスパースはもちろん、後者を正常とみなす。
ストリンドベリは自分に好意を寄せるものをことごとく「敵」と判断するのである。

「ストリンドベルク(ストリンドベリ)はこのように直ちに計略、照会、
手紙などによって、防禦手段を講ずる。彼は自分の力に自信を持っている。
『私は他人にやっつけられはしない、反対に敵をやっつけてやる』。
最後に彼は何の理由もなく、パウルとも絶交する。
そして彼に書く(一八四九年七月三十一日)、
『君はこれから決して無事では居られまいよ』」(P65)


こんな脅迫の手紙をもらったらしばらく震えがとまらないと思う。
だが、ストリンドベリとは、このような男なのである。
友人や恩人を「敵」と憎悪し、さらに「復讐」されるのを恐れる。
がために「やられるまえにやれ」。相手を容赦なく攻撃する。
ストリンドベリにとって真実はひとつなのである。
おのれは間違っていない。不正をなしているのは周囲のものである。
晩年のストリンドベリは夜ごと悪人の死を願いながら祈祷したという。

なんという精神病の恐ろしさではないだろうか。
何ヶ国語にも通暁している知識人ストリンドベリがついに知りえなかったこと。
それがおのが狂気である。
みずからが狂っていることを最後まで秀才ストリンドベリは自覚できなかった。
だが、ストリンドベリの天才は分裂病の世界を見事な作品に仕立て上げた!
「死の舞踏」や「黒旗」が、重度分裂病患者の作品とは信じられない。
いや、重い精神病患者にしか書きえぬ名作だと思う。
このあたりはヤスパースとわたしの意見が相違する。
ヤスパースは本書で、ストリンドベリ後期作品を駄作と論ずるパウルの文章を引く。
そもそもヤスパースはストリンドベリ作品にまったく興味を持っていないという(P223)。
精神医学的に関心を抱いたに過ぎぬらしい。
また、だからこそ、本書のような冷静沈着な分析が可能だったのであろう。
わたしはどうしようもなくストリンドベリの愛読者である。
ふつう分裂病を罹患したものは、なだらかに人格荒廃にいたるという。
ストリンドベリの人格は晩年の作品を見るかぎり、まったく荒廃していない。
かえって分裂病体験を養分にしているとさえ思う。
ストリンドベリの人生は、精神病との闘いであった。
おそらくヤスパースはこの闘争の軍配を精神病に上げるのだろう。
けれども、わたしはわかったものではないと思っている。
もしかしたらストリンドベリは難敵の精神病に……勝ったとは言わない。
それでも一矢報いてはいないだろうか。

「ハンソンも一九〇七年頃ストリンドベルクを訪問したことがある。
同じように彼は郵便箱の蓋を開けて外を見た。
十五年会わない間に容貌が変っていた。
我々は赤い鼻と、小さい涙ぐんだ眼を持ち、無限の不安の表情を表わした顔を見た」(P97)


ストリンドベリは旧友ハンソンに、先ごろ精神医学者の罠から逃れた自慢をしたという。
気狂いかどうか診察しに来たのを、機転を利かしやり過ごした。
興奮しないで親友のように遇してやった。
生涯幾度も自殺の衝動にかられたストリンドベリの死因は胃ガンである。享年63歳。

最後に私事を記しておきたい。
わたしは自分がどうしてこうまでストリンドベリにひかれるのかわからなかった。
著書はほとんど絶版入手不可で、なおかつ古書価格も高騰している。
なにゆえストーカーのごとくこの男を追い詰めなければならなかったのか。
名著「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んでようやく理由がわかる。
ストリンドベリの精神構造が死んだ母とそっくりなのである。
わたしの眼前で飛び降り自殺をした母は、膨大な量の日記を遺していた。
読むとどのページも周囲のものへの悪罵がつづられている。
自死を遂げる直前の記録がつらかった。
息子であるわたしの悪口が細かい字で大量に書かれているのである。
日記だけではない。死ぬまえの母はほんとうにひどいものだった。
「おまえは私の敵だ」「おまえにはサタンが乗り移っている」「私はおまえに殺される」――。
母からかけられた言葉である。挙句、目の前で飛び降りられるのである。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかまるでわからなかった。
だいぶ苦しんだ。
あれから8年が過ぎ、今日ひと段落が着いたように思う。
すべて精神病がいけなかったのである。典型的な追跡妄想、被害妄想ではないか。
むろん、むかしからそんなことはわかっていた。だが、納得できなかったのだ。
この記事で引用した部分(黒強調文字)は、
みなみな母の行動と驚くべき相似を見せている。
そうだったのかと思う。母もこんなふうに考えていたのか。
ヤスパースはストリンドベリを精神分裂病と断定する。ならば母も――。
それにしても精神病とは、なんと恐ろしいものだろうか。
悪魔のように不可解で理不尽である。
いきなりなんの理由もなく、自分の味方を攻撃するのである。味方を敵とみなし憎悪する。
ひとり残らず味方を敵と見まがえ排撃した母は、最後に息子のまえで息絶えた。
精神病から生みだされる地獄絵図である。
この地獄を活写(=生き生きと描写)したのが狂人ストリンドベリである。
そして、ストリンドベリの狂的世界がわたしにはとても懐かしい。
狂ったっていいじゃないかと思う。いいじゃないかと思いたい。
時事ネタはほんと書きたくない。なぜかというとだれでも書けることだから。
わざわざ無名のわたしが書かなければならないことではない。
時事ネタなんていうのはね、みんなおなじような感想しか持たないんだ。
問題になるのは、発言内容ではない。だれの意見かである。
くだらない寸評でもビートたけしが言えばもっともになる。
たとえ卓見だろうが、そこいらのブロガーが言ったのなら、だれも聞く耳を持ちやしない。
「本の山」がなるたけ時事ネタを敬遠しているのはこのためである。

けどね、申し訳なくも思うわけである。
こんな無名人の書く過疎ブログの更新を気にかけてくださる人がいる。
ねえ、うれしいじゃないの。そういうお方を手ぶらで返してもいいのかい。
くだらぬことでもなにか更新があれば(たとえその記事が読まれなくても)、
訪れた意味が多少はあったということでしょう。
みなさまもそうだと思うけど、時事ネタだったらいくらだって書ける。
書いてみようじゃないの。どうせつまらない意見だよ。
いいじゃないか。なにをもったいんぶっているんだ。おまえはつまらない人間だろう。
もしおまえに価値があるとすれば、自分のどうしようもなさを熟知していることではないか。
なんて思って書くわけである。

たかが時事ネタを書くだけでこうも前口上を必要とする。
なんて自意識過剰なのだろう。いやになるね。
わたし? とっくにいやになってるよ。いやでいやでしようがない。
中学生がバスジャックを起こしたという。どうしてと思わないかな。
だいのおとなが何人も乗っていたんでしょう。相手の凶器は刃物一丁。
恥ずかしくはないのか。まだおさない中学生の言いなりになって、それでもおとなか。
そんな怪我をしたくないかな。自分の身がたいせつかな。長生きしたいかな。
わたしがその場に居合わせたら、間違いなく小僧をやっつける。
繰り返すが、たかが刃物一丁なのである。
刺されたって、よほど場所が悪くなければ死にやしない。
同年代の男に小声で話しかける。「まずおれが行く。あとに続いてくれ」
カバンかなにか刃物をふせげるものを盾(たて)にして突っ込んでゆく。
相手がひるんだら残りのおとなが取り押さえたらいい。
まだ陰毛もはえそろわぬような餓鬼である。こらしめてやるのがおとなの務めだ。

どうしてこれができなかったか。
日本人は公共空間で見知らぬ他人と会話できないからである。
アジアのなかでこれは日本人だけではないか。
タイでも中国でもインドでも、初めて会った人がふつうに会話をする。
アジア個人旅行に行った日本人が第一に驚くのはこのことではないか。
日本人は海外ですら見知らぬ同国人に話しかけるのをためらう人種なのだ。
日本人は、恥ずかしがり屋さんが多い。
いつだったか日も暮れた帰途である。某JR線がストップするのに出くわしたことがある。
情報は駅員がマイクで流すだけである。
ブラットホームは人でごったがえしている。なのに、乗客同士はなにも会話をしない。
アジアの旅から帰ってきたばかりだったのでひどく驚いた。
わたしはアジアの流儀で話しかけたものである。
いまとまっている電車は各駅停車なのか。急行列車なのか。
とどのつまり、我われは現在どのような状況にあるのか。
もちろん日本人は親切な人が多いから、聞かれたらだれもが丁寧に答えてくれる。
けれども、ここが重要なのだが、最初に見知らぬ他人に話しかけるものがいない。
みんながみんな情報不足で戸惑う。
このバスジャック事件でも、おなじことである。
だれかがひと言発していたら、こんな悪戯は警察を呼ぶまでもなかった。
「この餓鬼はなんだ? 我われおとながガツンとやらなあかん」
だれかがだれかにこう話しかけていたら事件はその場で解決していたのである。

あなたが日本人なら同国人から母国語で話しかけられたら答えるでしょう。
なら、どうしてあなたから話しかけない。
ここに日本人の美徳と欠点が同時に存在するように思うのである。
実はいま忘れられた文豪・ストリンドベリの最高傑作ともいうべき「死の舞踏」が上演されている。
「ステージ円」で17日から今月いっぱいである。

「死の舞踏」公演情報
http://www.en21.co.jp/shinobutou.html


日本一のストリンドベリ・マニアを自負する我輩だが観劇におもむく予定はない。
6500円という金額が障害である。
どれだけいい芝居を見せられても6500円は高すぎる。
ふざけたことを書いておくと「演劇集団円」がいけない。
いま日本のネット上でストリンドベリをまじめに論じているのは「本の山」だけである。
ネットで検索すればすぐわかること。どうして我輩を招待してくれないのだろう。
方面が違えばおそらく招待券を出しまくっているのではないか。
演劇なんてほとんど道楽の世界でしょう。採算をはなから度外視した自己満足。
関係者にはタダ券をばらまいているはずである。
その1枚がどうして我輩のもとに届かないのか。
日本でいちばんストリンドベリを愛しているこの男のもとに――。

なんちゃって(笑)。乞食みたいなことを書いてしまったよ。
本気にしないでくださいね。
ところで、いま日本の演劇というのは、だれが支えているのだろう。
だれがおカネを支払っているか、である。
むちゃくちゃ乱暴なことを書く。
高いチケットを購入して芝居を観にいくものは、想像力貧困の知的弱者ではなかろうか。
演劇世界はたしかにおもしろい。けれども、戯曲として作品を読むことができない。
こういった人たちがいまの日本演劇を支えているのではないか。
戯曲を読めない面々がおカネを出し合い、プロに戯曲の内容を教えてもらう。
演出家がむやみに居丈高なのは、戯曲を読めぬ観客を見くだしているからである。
本来なら戯曲を再現すればいいだけのロボット=俳優がこれまた大きな顔をする。
毎度のことだが芸術家きどりの俳優を見ると何様かとふきだしてしまう。
おそらく役者の尊大も、たかだが戯曲を読解できるという能力によるはずである。

演劇会場のお高くとまった雰囲気が嫌いである。
客が女ばかりであることにも恐怖する。男といえば、たいていは女の同伴である。
どうやら女は男よりも芝居を楽しむ能力に恵まれているようだ。
口をポカーンとあけて舞台上の俳優の一挙手一投足に陶酔できるのはひとつの才能だ。
男に生まれついたことを残念に思うことさえある。
客席には男ひとりで来ているものが極めて少ない。
いや、いることにはいるのだが、自称研究者のおかしな連中である。
インテリぶってブログにだれも読まない劇評を書く手合いである。
観劇好きの男とも女とも馬が合うようには思えない。
劇場へ行くたびに自分の居場所がないと疎外感をいだいたものである。
こうしていつしか芝居小屋とは縁がなくなっていった。
ストリンドベリ劇が上演されると聞いてもわざわざ行く気にならない。

(追記)ストリンドベリ自身も、あまり好んで劇場へ行くことはなかったという。
人間が嫌いなのである。自作が上演されるときでさえ、なかなか会場へ行かない。
俳優へ個別に手紙を書くのみである。
あんがい我輩の態度もストリンドベリ・マニアらしいのかもしれぬ。
思うこといろいろ。しかし、当方肩書きなし。みなさまが読む価値はないと思う。

と断わっておいたらいいでしょう。大分県の教員テスト、ひどいよね。
いえ、大分県はどこかって、日本地図をだされてもわからないわたしだけど(一応大卒)。
親の権力で子どもが教職につくのは是か非か。
公務員は安定している。俸給もいい。世間を知っている親が必死になるのも無理はない。
けれども、よくないことだと思う。
おそらく、どの都道府県でも、こういったコネはあるのだろうが、それでも。
まじめに努力している若者が報われないのはいけないと思う。

むむ? なら、おい、ちょっと待てよ。
どうしてこの教員採用試験だけ問題にするのだろう。
人間は生まれたときに、どうしようもない差がついているでしょう。
なにゆえあれは問題にしないのだろう。
美醜、知能、才覚、ほとんどは遺伝である。
高卒の飲兵衛の息子が東大に入ったなど聞いたことがない(だから話題になる)。
作家・井上光晴の娘が直木賞をゲットするのは果たして努力のおかげだろうか。
大分県の不祥事は裁かれなければならない。
だが、裁きえぬ厚遇も断じて忘れてはならぬ。

チワワを蹴り殺した男が逮捕された。愛犬家の感想をだいぶテレビで見た。
土手を散歩するの好きである。犬をつながないで散歩させている飼い主が圧倒的だ。
わたしが犬を嫌いなのを、あちら畜生のほうでも感じるのだろうか。
犬からうるさくからまれることがある。攻撃的に吠えられるのである。
向こうは縛りがない。人間と犬の一対一である。
飼い主はとめようとするが、この対立構造は変わりがない。
蹴り殺してやろうかと思うことも少なくない。
だが、もし殺したら「器物損壊罪」に問われるのだろうか。
それとも、飼い主がロープを握っていなかったら正当防衛になるのか。
今日の報道を見た感じではわたしが罪に問われそうである。
かわいい犬は守られなければならない。かわいいものはなにをしてもいい。
犬が若い女性のように見えてきた。
数日前、自分は常識人であると書いたら、
さっそく友人から「常識人のヨンダ様」などと、からかうメールが舞い込む。
いま読み返すと笑えるのは、常識人ぶっておいて、おなじ記事でさらっと、
大学の先生からのメールを無断で転載しているところ(だって、むかついたんだもん)。
まあ、ここが「本の山」のおもしろさとどうかお許しください。
考えてみたら、わたしが常識人のはずないよな。
「あす死んだって構わない」なんて毎日思っている常識人がどこにいるという話で。
常識人ではない。常識をからきし持ち合わしていない。
師匠の原一男先生から教えられたことをひと言で要約すれば、常識をぶっつぶせ、だから。
伝授された非常識、というか反常識だな、
――常識に反対してゆく態度でこれまで生きつづけてきたわけである。
のうのうと生きていればそれでいいのか? 長生きすれば万々歳かい?
こんなもんだと思って生きていりゃあ、それでいいのかい? 
もっとなにか出来ると思いやしないか? 大きなことをぶちかましてやりたくないか?
原一男から継承した悪しき(原先生、ごめんなさい)遺伝子である。
非常識、反常識をつねに目指している。
だからこそ、なんでもないところでは常識人でありたいと強く願っているのであろう。

こう考えてゆくと、あの大学の先生は立派だったのかもしれない。
お茶をのみながらありきたりな話をするより、よほどあのほうがよかったと思う。
話が進むうちに、先生のだんだん狂ってゆくのがわかったものである。
むろん、先生は断じて精神病ではない。
あの場所でだけ一時的に狂ったのである。
仮面を取り払い本性を剥きだしにした。本音を連発した。
うちにためこんでいる鬱屈した感情をすべてぶつけてきてくれたのである。
そう簡単にできるものではない。先生も勇気がいったはずである。
わたしのほうも、どこかでおもしろがっていた。このままどこへ行くんだろう。
先生がおかしくなってゆくのを助長しているような態度があったのだと思う。
感情を全解放して大声でわめいている先生を前にして心地よかったのもまた事実である。
この感触は久しぶりだと懐かしくさえあった。
わたしの母は精神病だったが、狂った母と対峙しているころを思い出した。
対面して原一男先生のお話をうかがっているとき、
たまにこの映画監督が発する狂気を思い出した。
狂的なものと向き合う緊張感を久しぶりに味わった。
自分が完全否定されているのに、そこまで怒りがわかなかったのはこのためなのであろう。

だから、あのフランス語の先生を常識がないと責めるのは筋違いなのだ。
なぜなら先生の何倍もこちらは常識がないからである。
わざわざ先生はわたしのレベルまで降りてきてくれたのである。
本来なら感謝すべきところなのかもしれない。
やはり先生と逢ってよかったと思う。人間と人間は逢うべきである。
できたらあの先生にもそう思ってほしいが、それはいくらなんでも贅沢というものだろうか。
「ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火、」(小林紀晴/幻冬舎文庫)絶版

→小林紀晴の才能について思う。口惜しいが、
「再会」をテーマにしたこのアジア旅行記から才能というほかないものを感じる。
著者の才能は、驚くべき性格の良さに起因しているように思う。
性格の悪いものがいい文章を書くと思っていた。
だが、飛びぬけて性格のよいのもまた、ひとつの武器になりうるのだ。
小林紀晴の文章の特徴はピュアなところである。
純粋というと古めかしくて似合わない。小林紀晴はピュアなのである。
ふつうの人間ならとても恥ずかしくて書けないようなセンチメンタルな文章を綴る。
それがまったく鼻につかないのは随所から感じられる著者の純情ゆえである。
ひねくれたところがまるで感じられないのである。
だれもがアジアで感じるものの、しかし恥ずかしくてとても口には出せないことを、
飾り立てすることなく著者はストレートに表現する。
稀有な作家だと思う。今後、どこまで根性曲がりにならないでいられるか。
友人が極めて多い著者のこと。心配する必要もないのであろう。
およそ旅行記としては最高レベルの、ほんとうに満足できる読書であった。
「北国の春」(井上靖/講談社文庫)絶版

→ひとり杯を傾けながら井上靖の軽めの小説を読むのもまた、
数少ない人生の愉しみのひとつかもしれない。「北国の春」は短編小説集。
どんなに短い小説でもなにかが起こるのは著者が物語作家であるためだろう。
非難しているのではない。それどころか、むしろ物語歓迎である。
なにも起こらない小説を読んで悦に入るような文学青年ではない。
物語とはなんだろうか。これまで幾度も考えてきたことである。
いま酔い心地で思いついたのだが、
偶然が偶然ではないように見えるのが物語ではないか。
偶然なのだが、そこにはなにかしらの手が加わっているように見える現象。
だが、もしこれを物語と定義するなら、すべてが物語になってしまう。
あなたもわたしも人間はまったくの偶然の産物だが、
だれひとりとして偶然存在しているようには見えぬのだから。
畢竟(ひっきょう)、人間を巧妙に描けば物語になるということだろうか。
「夢か現か」(高井有一/筑摩書房)

→独酌しながら老作家の随筆集をひもとくのは人生の悦びである。
2006年初版。老作家の眼に現代はどううつるのか。
ちなみに高井有一は山田太一より2歳年上で、ほぼ同年代である。
比較すると山田太一の若さには恐れ入る。

恩師の原一男先生が、
自分は青年が初めて書いたようなみずみずしい文章が好きだと仰せになったのを思い出す。
わたしはどうしてか荒削りな文章より枯淡を好む傾向があるようだ。
新しいものはすぐに古くなるが、古いものはそれ以上古くならない。
だが、こういった保守的な態度はよくないと反省している。
師匠を見習って常に最新のものにアンテナをはりめぐらせたいと思う。
さて、著者の高井有一はわたしにとって特別な作家のひとりである。
著作は、かなり読んでいるほうである。
高井有一は母の自殺をテーマにした「北の河」で芥川賞を受賞した。
言うなれば、先行作家なのである。
少年時代に不幸を経験した作家が老年となり、
現在どのように母を想っているのかが興味深かった。

「その年の十一月に、生活の方途を見失つた母が、近づく冬の気配に怯え、
町に沿つて流れる河に身を投じて死んだ。文学少年だつた私は、
その体験をいつか小説に書きたい、書かなくてはならない、
と早くから思ひ定めてゐたが、書き上げるまでには途方もない時間がかかつた。
何度も書きかけては止め、
また気を取り直して書き出しては挫折する事を繰り返した。
大学へ入つて直ぐ、疎開時代にあつた事のすべてを連作形式で書かうと思ひ立ち、
一部を雑誌に発表したものの、それも中絶した。
やうやく「北の河」と題して五十数枚の小篇に纏められた、一九六五年であつた。
書けなかつた理由は、
私が体験の意味を正確に把めてゐなかつたといふ一事に尽きるだらう。
現実にまともに向き合ふ勇気をなかなか持てなかつたせゐだ、
とも言へるかも知れない」(P33)


「北の河」は不幸から20年もの時を必要としたのかと思うと先が思いやられる。
あと12年生きなければならないと考えると暗澹(あんたん)たる気分である。

「母方の叔父に引き取られて東京へ帰つて間もなく、
お母さんはどうして死んだのか、と他人に訊かれたとき、
冬になつたからです、と答へた覚えがある。
咄嗟に口に出たこの答は、人が死ぬ理由なんて判るものか、
と頑なに思つていた私の気に入つて、その後何度も繰り返した。
若し母が戦後も雪の積もる土地で生きる勇気を持つてゐたら、と私は思ふ時がある。
むろんその結果、私たちが仕合せになれたとは限らない」(P131)


同感である。もし母があのとき死ななかったとして、
あの母子関係が将来の仕合せに結びついたと断言することはできない。
わたしが長生きすれば仕合せになれるのかもわからない。
死ぬときは人間、死ぬのだろうと思っている。
「舞台芸術の現在」(渡辺守章/放送大学教育振興会)絶版

→歌舞伎を観にいく前日に予習として読んだ本。
演劇全般に興味がある。劇的行為なるものの本質を見極めたいと思っている。
だが、和洋の演劇を同一視野のもとに論じる書物は少ない。
本書には期待していたけれど、渡辺守章が日本語障害者だったことを忘れていた。
放送大学教材なんだから著者はわかりやすい説明を目指さなければならない。
ところが、これは渡辺守章がナイフで脅されてもやろうとしないことである。
なんのことはない、実のところは、できないに過ぎぬ。
渡辺守章は日本語に障害があって、わかりやすい文章を書けないよう生まれついている。
どんな簡単な事実でも、この男に書かせると意味不明かつ一見難解なものに仕上がる。
才能といえば才能だが、知能障害ともいいうる。
著者は人間において才能(長所)と障害(短所)が紙一重であることを示すいいサンプルである。

演劇はショーかドラマかに大別される。
身体を重んじるショーと物語を必要とするドラマのふたつである。
前者を拡大解釈すると、サーカスのようなものまで演劇の仲間に加えることが可能だ。
たとえば、こんな単純なことを、著者はひどく難解に論述するわけである。
それから渡辺守章のあらすじ紹介の下手ぶりはほとんど神々しい。
書物の性質上、戯曲のあらすじを紹介しなければならない場面がいくつかあるのだが、
まったく説明できていない。日本語の訓練をいっさい積んでこなかったことがよくわかる。
読者になにかを伝えようという意志が渡辺守章にはないのである。
なら、なんのためにこの男は文章を書くのか。ひとりよがるためである。
マスターベーションである。
この年代は少年期に自慰は悪徳だと教えられたはずだが、忘れてしまったのだろうか。
自慰ばかりしてると頭が悪くなるぞ。
いまから渡辺老人のオナニーをみなさまへご覧に入れる。
決して気持のいいものではないから、勇気のないかたはここから先を読まないでください。

渡辺守章は「リア王」上演の説明をしている。

「ところで狂気は、身体のレベルで表象されなければ、演劇的な事件とはならない」(P138)

なにを言いたいのかさっぱりわからないでしょう。
実は極めて簡単なことである。
「精神の狂気は、役者が肉体で演じないと観客には伝わらない」
ふたつの文章を比べてください。
渡辺守章のこけおどしがよくわかると思う。

もっと醜悪な自慰文章をお見せしなければならない。
渡辺老人はオナニーを身体のレベルで表象する。

「いずれにせよ、身体を戦略的な場として開かれた断絶の体験は、
どのような演劇作業であれ、
今やそれを己れのプログラムに組み込まなければならないような、
そうした不可避の要請なのである」(P72)


射精を終えた渡辺守章の満足気な顔が目に浮かぶようである(キモ〜い)。
本人は決まったと思っていそうで、たいへん笑える箇所でもある。
わかりやすく言い換えてみよう。
「あらゆる演劇で身体の重要性、つまりショー的要素が見直されなければならない」
戯曲には表われない役者の肉体を重視しようね、ということだ。
「戦略的な場」や「開かれた断絶」といった言葉をかっこいいと思った、
オナニー大好き少年……いや老人の駄文である。
渡辺守章の文章は断じて難解ではない。未熟なだけである。
本書もこうして丁寧に意味を取っていくと、それほどたいしたことを論じているわけではない。

笑えるのは文楽(人形浄瑠璃)についての文章である(P161)。
ロマン・バルトが文楽について論じたものがあるという。
渡辺守章は無批判にロマン・バルトに土下座する。
渡辺老人にとっては、欧米人様が日本について論じたものはすべて正しいのである。
生年を調べたらちょうどギブミーチョコレートで進駐軍からほどこしを受けた世代だ。
渡辺守章はチョコレートをかじりながらオナニー三昧だった少年期が忘れられないのだろう。
自慰少年を身体のレベルで表象する渡辺守章の古びた男根は、
戦略的な場として開かれた断絶に侵入する――。