人はたとえばカルト宗教なんかを
「正しい」から信じているわけではないような気がする。
信じ「たい」から信じているのではないか。
しかし、本人は対象が「正しい」から信じていると思っている。
だから、いくら周囲がそれは「正しい」わけではないことを伝えても、
本人は信じ「たい」わけだから、それは無意味で逆効果にもなりうる。
美女に騙される男が多いのは彼女を信じ「たい」からでしょう?
美男に騙される女がいるのは男を信じ「たい」からとは思いませんか?
いくら相手がダメなことを教えても意味がないのだと思う。
冷笑的に批判しているわけではなく、信じられるものがある人は幸いだ。
騙されても騙されてもある男から離れられない女は、
大勢が知らぬ本当の幸い(愛?)を知っているのかもしれない。
なぜならどこまでも自分の欲求(信じたい!)に忠実だからである。
みな自分の欲求を信じているのかもしれない。
自分をどこまでも信じられる人はやはり幸いである。
自分とは突き詰めれば欲求、欲望のことである。
たとえばある組織の人たちが口をそろえたように
「これからは多様性の時代です」と言う。
だれもかれも「多様性は個性です」とか大らかに笑顔で金太郎飴みたいに。
そこにだれかが「私は多様性を認めない」と言ったとする。
彼は大勢からおなじように批判されるだろう。均一的に非難される。

わたしは白人が嫌いだから人種の均一的な多様性なんか認めない。
え? え? え? あれ?
こんまんき(キンマンコ)さんの創価批判ブログは本当に読み物としておもしろかった。
作者はもはや創価批判がライフワークになっているのではないか?
創価学会がつぶれちゃったら逆にこんまんき(キンマンコ)さんが困ってしまうという。
わたしは宮本輝経由で創価学会や池田大作さんに興味を持ったくちだが、
あの人たち、おもしろいよねえ。
ブログで読んでおもしろかったのは、池田さんの底意地の悪さ。
幹部が必死で原稿を考えた講演をやっているとき、
まさに佳境に入ろうとするそのタイミングで池田先生がのっそり現われ、
「こんなつまんないもん、やめやめ」と言って、なにをしたか。
いきなり下手くそな童謡を歌いだし幹部にタコ踊りをさせたというのではないか。
それを観客として見ていたら、これほど笑えるものはなかったと思われる。
高学歴のエリート幹部が難しい仏法指導をしているときに、
池田さんが「やめやめ」と登場して、いままで威張っていた幹部にタコ踊りをさせる。
池田さんというのは恐ろしい人だったというのがよくわかるエピソードである。
側近にはこんな怖い師匠はいなかっただろうし、いっぽうで末端会員は、
こんなに信頼できる師匠には永遠に付き従いたいと思ったことだろう。
池田大作さんは「そこまでやるか」という裏のエピソードがいくつもあり、
わたしは名誉会長のそういうあまりに人間くさい俗臭ぷんぷんたるところが好きだ。
またさ、池田先生の影響で側近も学会員も人間味が非常に濃い。
造反した元部下の池田暴露本がどれもなんとおもしろいことか。
基本的に池田も造反部下も、人の悪口がうまいのである。
これは日蓮大聖人の特徴でもある。日蓮の才能のひとつは悪口の達者なところだ。

こんまんき(キンマンコ)さんの名作ブログ「創価学会はカルトです」から紹介したい。
創価学会にはかつて「広宣部」という秘密組織があったそうである。
敵対する日蓮正宗への攻撃チームである。
やられるまえにやれ。やられなくてもやれ。先にやれ。やったら少なくともやられない。
で、創価学会の秘密謀略組織「広宣部」の考えたのが「勇気のエンジン大作戦」。
いまから30年近くまえでもこのネーミングは恥ずかしい。
で、もっと恥ずかしいことに「勇気のエンジン大作戦」の資料が流出して、
暴露本(野田峯雄「わが池田大作バッシング」)に掲載されてしまったという。
その内容は3日3晩笑いが止まらなくなる危険性さえある。以下、閲覧注意。
ブログ「創価学会はカルトです」に敬意を表しながら孫引きさせていただきます。
大阪創価学会の善男善女は以下のようなチーム編成を取った。

①FOCUSチーム=僧侶やその妻たちをつけまわすネタ取材班。
②特攻野郎Sチーム=男子部の特殊潜行活動班、別名「鉄砲玉」。
③ワイフ・キャッチャー・チーム=婦人部の追っかけイヤガラセ班。
④四条金吾チーム=壮年部の特別抗議行動班、別名「893(やくざ)部隊」。
⑤十羅刹女チーム=婦人部の電話抗議行動班、別名「極道の妻たち」。
⑥パトリオットミサイルチーム=寺からくる郵便物の回収作業班。
⑦ナポレオン・グループ=不可能を可能にする唱題会。別名「わら人形グループ」
(わら人形を五寸釘で打ち付ける呪い)。

http://konmanki.blogspot.com/2017/04/blog-post.html



この秘密チームの指揮官は「ビクトリー責任者」という役職名だったという。
永遠の師匠と永遠の弟子たちを敵に回したら、これほど怖いことはない。
「創価学会はカルトです」のこんまんき(キンマンコ)さんは、
創価学会に名前とかばれていないのだろうか?
創価学会には絶対にネット対策部があり、
今日も今日で「WEB2019 勇気のエンジン大作戦」を練っているかもしれないのである。
なにをされるかわからないぞ。
ちなみに、わたしはかつて信濃町の本部に行き、
心優しき同志たちと一緒に勤行や唱題をした「創価学会の味方」です。
昨日紹介した優良ブログは「創価学会はカルトです」
ありがたく全記事拝読させていただいた。
この人、いったいどんなひどい人道無視の折伏(勧誘)や
嫌がらせを学会員にされたのかと思うとぞっとする。それを聞いてみたいくらい。
福運があるのか、わたしは学会員から強引な折伏を受けたことがない。
そもそも学会員は(恥ずかしいからか?)カミングアウトしない人が多いので、
だれがそうなのかわからないのだが、それっぽい人から親切にされたことは多い。
これが「創価学会はカルトです」の作者、
敬愛するおなじ創価ウォッチャーのこんまんき(キンマンコ)さんと
当方の境涯の差なのかどうかはわからない。
正法か邪法か争うというのは、おなじレベルというか、
悪い言葉だが「おなじ穴のむじな」という見方もできるのではないか?
しょせん善悪、正邪、損得、美醜という二相(相対)で争っているわけで、
そこを超えたところにある不二(絶対)に至っていない。
べつに不二に至るのがそう偉いというわけでもないのだろうが。
折伏する人はあんがい相手を見て突撃している可能性もある。
わたしくらいの使えないゴミレベルになると折伏さえ来ないし、
入りたいとお願いしても断られたり、遠くまで来いとか無理難題をいわれる。
えっへん、どうだ♪

「創価学会はカルトです」のこんまんき(キンマンコ)さんは、
創価がカルトだインチキだと正義の告発をしている。
たしかに創価はカルトでインチキだと思うが、
しかしインチキではない宗教なんてあるのだろうか?
キリスト教も浄土真宗も、真言宗、禅宗、みなみなインチキではないか?
宗教とはそもそもインチキなもので、
人は本当のことではなくインチキに救われると考えたらどうだろう?
本当の現実は厳しすぎるから、人びとはインチキになかばそうと知りながらすがる。
「それは転重軽受よ」「願兼於業よ」「大丈夫、みんな人間革命してるわ」
「この信心は本物よ」「絶対幸福になる宗教なの」「だから、今日も元気で」
たとえインチキだとしても、こう励ましてもらえたら嬉しい人もなかにはいるのである。
創価学会はインチキ性(毒性)が極めて強いが、そのぶん効き目もあると思う。
もっともインチキくさいのがもっとも本当の宗教だという逆説が存在する。
浄土真宗もあからさまにインチキで、しかし生意気にも格式ぶっている。
だが、おい、真宗の坊主に人を救えるかって話だ。
仏教大学を出て、お寺で掃除して偉くなった澄ました坊主になにができるか!
生き身で這いずり回る人の苦しみや嘆き、絶望が葬式坊主にわかるもんかよ。
お金に困ったこともない家柄のいい仏教大学の教授兼僧侶に、
「それは空(くう)でねえ」と説明されても腹の足しにもならない。
庶民が1週間お金を払って座禅なんか組んだって悟れると思うかい?
真言宗の坊主に祈祷をしてもらうって、いくらかかるか知っているのかどうか?

そんなときに人間の底意地の悪さをどこまでも味わい、
それにめげずに逆に仕返しして生き抜いてきたような池田大作さんが現われ、
「それいけー! 引っ込むなー! 勝つまでやれー!」
と大声で言ってくれたらどれだけ多くの人の励ましになるか。
実際にそうなったから創価学会は短い期間で急成長したのである。
御書なんか読んだってメシは食えねえ。
朝は唱題3回で、山盛りのメシを平らげ、それいけー! 負けるなー! 行くぞー!
そういう創価学会のようなカルトでインチキな宗教が大勢の人を救うのである。
現実として、伝統仏教はカルト性がないぶん、まったく在家を救っていないわけだ。
葬式や法事のときだけスクーターでやって来て高い金を取りよる。
ふざけた話で「お足代」まで請求するわけだ。
日蓮正宗の坊主連中と喧嘩してコテンパにやっつけた池田創価学会は偉いとさえ思う。
カルトの特徴は唯一正義という自負と、それを基にした行動性にあろう。
考えるなー。悩むなー。先生は正しい! 折伏だー。選挙だー。勝て勝て勝て。
先生は言った。二兎ではなく、三兎、四兎、五兎を捕まえるのが日蓮大聖人の仏法だ。
御書にそんなことは書いていなくても、そういうふうに庶民の王者の先生から
発破をかけられたいのがある種の庶民というものなのである。
まとめると以下のようになる。

1.たしかに創価学会はカルトでインチキである。
2.しかしどの宗教もインチキである。
3.伝統仏教はカルト性(毒性・迷惑性)がないぶん人を救済できない。
4.強引な折伏や退会者への嫌がらせは怖い。
いま「お経がわかる本」(藤井正雄/双葉社)に
掲載されている円頓章(えんどんしょう)というお経が気になっている。
天台宗のお経だが、日蓮宗、創価学会の人も詳しいところではないかと思う。
「お経がわかる本」はいいかげんで円頓章のなかにひとつ誤植があった。
これはネットで調べたところのどこも違っていたから双葉社のミスだろう。
そこはいいのだが、わからないのは円頓章の最後のところ。
学会員さんが好きそうな一念三千の箇所がネットでもふたつに分かれている。

1.当知身土。一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。
2.当知身上。一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。


違いは「当知身土」か「当知身上」か。
「天台寺門宗」 「福聚講」は「当知身上」としている。

多数決で決めるかと
「一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。」で検索する。
すると、いちばん最初に出て来たのがやっぱり創価学会で「当知身土」を取っている。
3ページくらい検索しても、ぜんぶ「当知身土」だから、こちらでいいのか?
なら、どうして「天台寺門宗」「福聚講」は「当知身上」なのだろう。
「天台寺門宗」の説明がいちばんわかりやすかった。
双葉社の本には書き下し文がついていないから助かった。

経典コレクターでお経アンソロジーのようなものをたくさん所有しているが(既読)、
円頓章は「お経がわかる本」(藤井正雄/双葉社)にしか掲載されていない。
「日蓮宗のお経」(双葉社)にも「お経 日蓮宗」(講談社)にも載っていなかった。
かなりマイナーなお経なのかもしれない。
いえね、最近ふと円頓章はけっこういいんじゃないかと。
わたしは法華経の諸法実相、十如是を説いた方便品のあそこが好きなのでさ。
内容がかぶっているじゃないですか。
ともあれ、いまはネットでかなり勉強ができるのでいい時代になった。
いまはまともな閲覧に堪えるおもしろいブログが減ったが、
ひさびさに「これは降参!」というところを発見した。それは――。

「創価学会はカルトです」
http://konmanki.blogspot.com/


中の人は男なのはわかるが、いったいどのくらいの年齢なのだろう?
創価学会研究家、創価マニアのわたしが負けたと思うくらい作者はよく勉強しておられる。
おなじ創価暴露本を読んでいることも多く、この人わかっているなあ、と拍手したくなる。
そこから先がどうして分かれてしまうのだろう。
わたしは創価学会のカルトでキッチュ、インチキそのままのところ、
池田センセイと弟子筋の黒光りするユーモアに胸のときめきを抑えられないが、
偉大なる彼はそこに嫌悪感を覚えるようだ。
すばらしいブログなので敬意を込めて引用させていただくが、
池田センセイの以下のような当意即妙なスピーチは最高である。
ぜひなまで耳にしたかったと生まれて来た時代の不幸を呪う。


「とくに、とくに、えー、女子部。バンザイ!(笑い) バンザイさせていただきます(拍手と笑い)。SGI(創価学会インターナショナル)、そしてとくに女子部。大好きな女子部(笑い)。バンザイ! バンザイ! バンザイ!」
 九一年十月二十七日。池田大作は全国青年部会に出席し、何度もバンザイを叫んだ。おびただしい拍手と笑いとバンザイの唱和に包まれた。
 彼はこう続けた。
「情けない。日本人ちゅうのは。ま、お金儲けはうまいけども。哲学がないんです。思想が、浅い。みえっぱりで、何の自分自身ももたない。これで、カナダ人のほうがよっぽどいい。だからもう、海外の、日本人くるとやんなっちゃうもんね。すぐに悪口いって、スッパヤネ(意味不明)、批判して、これは日本人だ。日本人がいるところ、事故起きんの。いないところは、ガッーチリとね、深まっていく。そいで、いまから約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代。こういうふうに話はいかなくちゃなんない。……そいで、いまから六百年前、六百円じゃないよ。ライスカレー。帰り食べよ。……諸君もいいことば使ってね。あのー、ビデオ撮ってんのは、うまいけどさ、しゃべんのが下手じゃダメだよ。ね。だから、目先のことは、こらー、出てけっ。何だ、そんなちっちゃいこと。人間がつく、リラッタ(意味不明)ことだよって、魂てことは消せないよ。信心は消せませんよ。大聖人は消せませんよ。どうですか(ハイッ) ……宇宙は大きいですよ。そんなちっぽけな考え方はもう目もくれないでいきなさいよ(ハイッ)」
 これは、当日のスピーチを正確に再現した記録からの抜粋である。
池田大作は終始、大きな拍手と笑いに包まれていた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)

http://konmanki.blogspot.com/2018/02/blog-post_18.html



こんな滅茶苦茶なスピーチをなまで聞いたら、
絶対池田センセイを好きになってしまうだろう。
これは文章で読むとくだらないが、その場で聞いたら、
一遍の踊り念仏レベルの昂揚感があるのではないか?
もし引用が失礼ならばおっしゃってくだされば、この記事を丸ごと削除します。
「創価学会はカルトです」――中の人はだれなんだろう?
相当な実力者とお見受けした。
この勢いだと全記事読んでしまうかもしれない。
作者の真似をして、わたしの創価本ナンバー1を発表すると――。

「池田大作「権力者」の構造」(溝口敦/講談社+α文庫)

創価学会はたしかにカルト的だが、そこに嫌悪感を抱くものと、
うっとりときめいてしまうわたしのような愚人に分かれるのだろう。
かのブログと比較すると勉強不足が恥ずかしいが、
「本の山」の創価記事を恥ずかしながら最後に並べてみたい。
逆の立場ではありますが、お互い研鑽に励みましょうと届くかわからぬエールを送ります。

「カテゴリー創価学会」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-category-49.html
信濃町の博文堂書店で田原総一朗の「創価学会」が平積みになっており、
えらく売れているようで、ちらりと見てみたら、
気持が悪くなるほど学会を礼賛していて、ついに田原も落としたか、
よくやった、大勝利だな創価学会とシンパとしては嬉しく思ったら、
あれには裏があり、田原の娘のテレ朝Pの田原敦子さんが学会員らしい。
敦子さんがテレビ局に入れたのもお父さまのゴニョゴニョだろうし、
裏では利権の細かな網が覆いめぐらされているのではないかと、
そういう華々しい世界とは縁がないためゲスの勘繰りをしてみたくなる。
学会員が差別されるのは、
学会員が他宗や外部を差別しているから仕方がないとも言える。
そういえば学会員のおっさんが浄土真宗の地域は自殺率が高いとか、
まことしやかな顔をしておっしゃっていたものである。
いま学会に入ってもどうせ末端でこき使われるだけだろうし、
田原総一朗、佐藤優、柳美里みたいなシンパ位置がいちばんおいしいのだろう。
むかし人気作家の小谷野敦さんが、歴史を勉強するのは積み重ねが効くから、
若者を威圧するためのおっさんの勉強としてよろしいというようなことを書いていた。
おなじことは仏教にも言えるのではないか。
最近、唐木順三「無常」、柳宗悦「南無阿弥陀仏」と続けて読んだ。
どちらもよかったが、とくに柳宗悦の本は世評通りに名著であった。
しかし、あれは前提として最低限、
法然、親鸞、一遍、浄土三部経くらいを読んでいないとわからない。
仏教を勉強するとなにがいいのかと言うと、
自分を超える大きなものを信じられるようになるところか。
わかりやすく言えば、安心を得られる。

創価学会の聖地と言えば信濃町だが、かの地の博文堂書店はおもしろい。
先日行ったら、だれかの悪戯か平積みされた角川ソフィア文庫の「法華経」の横に、
おなじ文庫の「浄土三部経」がポツンと置かれていた。
近年、めっきり本屋に行かなくなったので、こんなものが出ているとは知らなかった。
図書カードが余っていたので、
いつも創価情報を教えていただいている博文堂書店で「浄土三部経」を購入。
いろいろな訳で読んでいるが、久しぶりに文庫で再読するのも悪くないだろう。

信濃町の博文堂書店に行くと、だれが創価学会かわかる仕組みになっている。
なぜなら創価学会コーナーがあるからだ。
脳学者を自称している中野信子が生粋の学会員だなんてこともすぐわかる。
学会員の本は学会員が買ってくれるから売れる。
宮本輝なんかも初期はだいぶ助けられたのではないか。
わたしは創価学会に偏見がなく、
いまでも婦人部さんからもらった小さな勤行要典片手に朝に法華経を読む。
そのあとは学会数珠を手にして南無妙法蓮華経を1分くらい唱える。
昼を過ぎると念仏モードに変わるのだが、それは仕方がないだろう。
わたしは南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も同時に唱えられる。
それが当方の行き着いた信心だが、こういう姿勢もあっていいだろう。
どのように矛盾を抱えているかがその人の個性だと河合隼雄は言っている。
タイトルからして心配はないだろうが、
柳宗悦は名著「南無阿弥陀仏」で日蓮をバカにしていたから
学会員は読まないほうがいいと思う。

今日から1週間また酒を断ってお経の世界に耽溺しようかと思う。
山頭火をいま読み直したらどうかという興味はある。
先日「本の山」の過去記事「アジア漫遊記」をお読みくださった方がいたようだ。
あれはおもしろいでしょう。
自分でも読み返してみたらぜんぜん覚えておらず、書き残しておいてよかったと思う。
白人と荒っぽい喧嘩をしていて、むかしは若かったなあ、と自分にあきれた。
それからベトナムはひどい国だったことを思い出した。
おっさんになると過去を美化してしまうので困る。
長安(西安)のあらゆる仏教聖地に行っていたのには自分でも驚いた。
浄土教発祥の地にも(法華経を漢訳した)鳩摩羅什の寺にも行っていた。
あのころはまさか自分がこうまで仏教に深入りするとは思っていなかった。
ここ20年近く、日本では選挙拡声器カー以外に怒鳴ったことがない。
おのれの身分をかんがみたら自然なことなのだが、
他人様に指導なんかとんでもなく、説教なんかめっぽうな話で、
こうしたほうがいいんじゃないかという助言でさえ若い人にもまるでできない。
怒鳴る人は派遣世界によくいるが、どうしてそんな難行をできるのだろう?
他人様に指導するなんてあなたは何様でございますか?
説教って、あなたはお釈迦様かイエス・キリストですか?
原一男教授が偉かったのはそういうことをまったくしないところだったが、
去年15年ぶりくらいに再会して、
あなたは全身をすみやかにしたほうがいいと有料映画館でご指導を受けた。
うふっ、原さん、偉くなったじゃないの♪ 
いよっ、プロフェッサー原一男♪ 世界のカズオ・ハラ♪ キョージュ、キョージュ♪
人になにか相談されても、好きなようにしたらいいんじゃない、としか言いようがない。
それが正解だ。それが真実だ。あなたの好きなようにすればいい。
こんなことを言っているわたしも人に相談してあれこれ迷っておりまする。
なにがなんだかわかりませぬぞ。
芥川賞作家の柳美里氏は、
在日利権、女性権益、中卒利得、美少女枠をすべてお使い果たしになられた太陽だ。
いまでは創価利権を利用しているというのだから、尊敬すべきチャンピョンだ。
わたしが公式に使えるのは吃音利権、自死遺族権益くらいしかない。
だが、群れることができない。集団に属せない。
吃音だって人それぞれだと思うし、それはできたら障害者手帳はほしいが、
そのために活動するのは面倒くさい。
自死遺族団体は集団で同和のようなことをしている。
自殺と言うな。自死と言え。
しかし、自殺は自殺だろう。
わたしは母が自死したのではなく、わたしの目のまえで自殺したと思っている。
だが、自死遺族権益からしたら、これほど耳目を引く壮絶不幸権益はなく、
いわゆる朝日新聞受けするわけで、
わたしは自死遺族団体からご連絡をいただければ、
すぐに「自殺」反対、「自死」推薦派閥と低頭笑顔で緊張握手するだろう。
どうして差別利権団体からまったく連絡が来ないのだろう。
自死遺族団体などわたしの不幸から見たら甘ちゃんだ。
なにが自死だ。自殺と言え。バッカヤロ! 
と言いながら手を差し伸べている。握手したい。お願いします。逆らいません。