「「死は大事な仕事」しっかり死ぬということ」(ひろさちや・中村仁一/李白社)

→人間は死ぬために生きているとも言いうる。
バイトから正社員になっても係長や部長になっても取締役や役員になっても、
社長になっても会長になっても、いくら社員からお下座をしてもらおうが、
「どうせ死んでしまう」し、そう考えたら「生きる意味はない」――。
自分がいなくなったら会社はまわらないとか信じている(信じたい)
スタッフは大勢いるでしょうけれど、実際はそんなことがない。
明日あなたがなにもかもすべて投げ捨てて孤独にインドへ旅立ったほうが、
そのほうがかえってうまくまわるという会社もあるちがいない。
まあ、一度正規ルートからドロップアウトしたら、
よほどの強運がないと日本社会へカムバックはできないけれど。

本書のタイトルは「死は大事な仕事」――。
よくわからないが、
いまわれわれが必死でしている仕事よりも大切なものがあるのかもしれない。
うまく死ぬのって意外と難しいような気がする。
周囲を困惑させて、散財して、身も心もボロボロになって死ぬのは、
いくら大企業の部長さまでもおいやでしょ?
しかし、どうしたらうまくジタバタせうに死ねるのか。
そのために本書では医療業界の裏側をある程度まで暴露してくれている。
ふつうは知っていても周囲の迷惑や事故の保身を考えて業界の裏話はできないんだ。
しかし、もう余命が少なかろう宗教ライターと町医者以下の老人ホーム医師は放言する。
たとえば、いま流行っている糖尿病に効くとされる糖質制限食はどうか?
あと数年で死ぬだろう町医者以下の老医療者は「本当のこと」をぶちまける。

「こんな紹介しましょう。
いつだったかNHKのクローズアップ現代で糖尿病の糖質制限食を取り上げていました。
昔は総カロリーがなんぼで、
脂肪とかタンパク質を一日何グラム摂取しなさいと指導していました。
それが今はほとんど糖質摂取するなとか、糖質制限で糖尿病はよくなると。
以前とは異なることを言う医者が出てきています。
番組に出演していたのは、糖尿病学会の理事でした。
つまり、体制派です。
たとえ糖質制限食が効果をあげていても、悪い例を提示するわけです。
彼[理事長/権威者]は、糖質制限食を続けて、歩けなくなった人、
目が見えなくなった人の例を挙げ、
だから勝手なことはするなと主張していました。(……)
異端の人間が立ち上がろうとしても、
そんなものは全部潰(つぶ)されていってしまうのが医療の世界。
もし異端の意見が真っ当であることが証明され、取り入れられでもしたら、
自分たち体制派の権威は丸潰れです。
長い時間をかけて自分たちが営々として築いてきたものが
一気になくなるわけですから、彼らも必死なのです」(P33)


しかしまあ、世の中そんなものだろうと言えなくもない。
我われはこのように情報搾取され、しかし医療者に感謝しながら死んでいく。
何度でも書きたいが、わたしは医療従事者ほど尊い仕事はないと思っている。
今夏、熱中症で倒れて救急車で運ばれたとき、
そこの病院のナースの仕事ではあるのだが、その厚情はいまで忘れられない。
医者やナース、薬剤師はやはりふつうの職種よりも偉いような気がしている。
とくにナースがそう。熱中症のときは激痛だったが、
あのナースさんにどれだけ助けられたか。励まされたか。慰められたか。
翌日、会社に行き、からだのふしぶしが痛い今日くらい休ませてくれると期待したが、
職人あがりらしい副工場長コカ氏からは「では現場に戻ってください」だけだった。
それもいまではある夏の暑い日の中年底辺労働者には、いい想い出。
輝かしい感動的な忘れられないメモリーのひとつ。
苦しみっていけないことなんだろうか。
宗教ライターのひろさちや氏は子どもを自殺で亡くした両親にこう言ったという。
就職直前の大学生の愛息を自殺で亡くした両親は、
わらにでもすがる気持で権威者に泣きつく。
「ひろ先生、どうしたらいいんですか?」

「私はこう返しました。
「どうしようもないだろう。解決策なんかあるわけがないじゃなか。
あなたがはね、息子さんは苦しんで死んだんだぞ。
一生懸命苦しんで死んだんじゃないか。
あなたがた二人も苦しめばいいんじゃないか。
なんで自分の苦しみを少なくしたい、苦しみを軽減したいと思うんだ。
苦しみを減らそうだなんて厚かましいぞ!
十分、しっかり苦しめ。それ以外ないぞ」
それしか言いようがないのでそう言ったら、
夫婦は十分間くらい黙っていました。
そして、わかりましたと帰っていきました」(P229)


生活のうえでの役立つ情報をちょっと書いて場をやわらげなければ。
薬屋の息子のひろ先生も、その弟の薬剤師さんも、
さらにさらに中村仁一医師も言っていたが、
薬局で売っている市販薬、大衆薬、一般薬は驚くくらい効かないらしい。
薬局で売っているものは、漢方でさえ成分が非常に弱められており効果がない。
今年はとくに大勢の医者、ナース、薬剤師、病院職員のお世話になりました。
いちばん感謝したいのはナースさんかなあ。
ああそうそう、帝京大学の顔面神経麻痺の権威先生とやらから
「治らないだろう」と言われた当方の顔面障害は現在かなり回復しているから。
左目でウインクもできるし、口笛も以前ほどうまくはないが吹けないこともない。
ちなみに顔面神経麻痺の権威からすすめられたリハビリはまったくやっていない。
あんがい、やっていたらおかしな後遺症が出ていたかもしれないわけでしょう。
老年にしていきなりメジャーデビューした中村仁一医師は言う。

「自分たちに都合のいいデータのみを示してくるのは
医療界の常識と言っても差し支えないと思います。
特に「三た理論」というのがはびこっています。
「飲ませた」、「治った」、「効いた」も三つの「た」です。
自然治癒かもしれないし、薬を飲ませなくともよくなったかもしれないけれど、
飲ませた、治った、効いた、
だからこの薬はいいのだという「三た理論」がまかりとおっているのです」(P121)


言っちゃいけない本当のことを言えば、
医者だって患者の病気がどうなるかなんてわからないし、
同時にどの薬が効くのかも言っちゃいけないのだろうが真実はわからないと思う。
でも、結果的によくなっているケースが多いからいいじゃん、みたいな。
当方の「お腹の風邪」がもたらす吐き気は改善のきざしがみられないので困る。
もう新興宗教にでもすがっちゃいたいくらい。
今現在勧誘メールは来ていない。恐れるなかれ。当方そこまでの悪人ではない。
勧誘メール1本よろしゅうお願いします。無料ならスピリチュアル系でもいいっすよ。

「熱湯経営 「大組織病」に勝つ」(樋口武男/文春新書)

→また大和ハウスの樋口武男会長のご著作を拝読する。
ブログ「本の山」のおもしろさを
本当に理解できる人というのはひとりくらいなのかもしれない。
というのも、わたしと実際に対面してある程度の本音会話をしていないと、
このブログの本当の魅力というか、おかしさのようなものはわからないからである。
今年に入ってから大和ハウス関連の書籍の感想を3冊も書いているでしょう。
あれはどういうわけかというと、わたしが系列企業(子会社?)でバイトをしていたからだ。
いち末端バイトが会社のトップで、まるで天皇陛下のように威張っている
最高権力者の本を読んでけっこうボロクソな感想を書くってかなりおもしろいわけでしょう?
もしかしたらわたしがバイト先をクビになった理由はこのブログかもしれないのである。
工場長によると、大和ハウスは毎日、
関連部署がインターネットでエゴサーチをしているって言うし。
ブログに大和ハウスの株うんぬんを書いた翌日に、
インサイダー取引のお勉強をさせていただいたのはあれは偶然なの?
「退職勧奨」の際、工場長に「ここに呼ばれた理由はわかるよね?」と聞かれたとき、
「ううう、ブログかしら」と正直思ってしまったことを白状する(隠し通したが)。
けれどさ、それは自意識過剰かもしれないわけで。
大企業のトップが弱小ブログのたわごとを気にするなんて、
そんな器が小さいというか、ケツの穴が小さいというか、ありえないっしょ?
でも、本書によると(P106-107、P132-133)、
大和ハウスの樋口武男会長は毎日2ちゃんの自社スレをチェックしているらしい。
樋口武男さんは昭和天皇のようなメンタリティをお持ちのようで、
うちのような子会社のちっぽけなリネン工場にまで
会長ご自身の巨大な御真影(ポスター)がはられている。
たしか「凡事徹底」とか書いてあったような気がする。
ほかには「一歩、前へ進め」とか、
……それは上官が部下を鉄拳制裁するときの言葉では?

これでたしか大和ハウスの樋口武男会長の本はぜんぶ読んだのではないか。
感想はおなじエピソードの繰り返しばかりで飽き飽きとした。
仕事人間や会社人間というのは、毎日おなじことばかりしているので(まあ仕事さね)
おなじ話しかできなくなってしまうのである。
本を読む時間どころか、家族と話す時間さえない。会社会社会社、仕事仕事仕事。
おなじ話でもおもしろければいいが、基本は自慢話というか武勇伝である。
おれはね、あんとき上司と怒鳴りあっておれの意見が通ってそれが成功した、とか。
あれはね、あいつの仕事になっているけれど、
本当はおれが裏で根回ししてやったんだ、とか。
いちばん会社人間が好きなのは、
出世したあいつはじつのところ、このおれが育てたとかいう武勇伝じゃね?
うちの父も仕事人間だったけれども、
いつでもおなじ話しかしなかったもん(できなかった←男はそんなもんだが)。
とはいえ、我輩さまもふくめて、
成人した男の話なんてみんな武勇伝みたいなものとも言えなくはあるまい。
それを女が内心はウゼエと思いながらハイハイと聞いてあげ、
キャバ嬢やホステスはお金をもらい、一般女性はプレゼントや正妻の座をゲットする。
くだらんよねえ、人生なんざ。社長になった、会長になった、それがなんだい!?

しかし、俗世間を生きるためには、そうとばかりは言っていられない。
仕事って本当にストレスのかたまりだと思わない?
なんでみんな和気あいあいとニコニコしながら働けないのかね。
タオルやウェアを折りたたむだけの仕事なんておしゃべりしながらでもOKでしょう?
かえって、そのほうがペースも上がるんじゃないかとさえ思う。
けれど、赤い爪をしたへんな古参チーフがいて、場をピリピリさせるわけだ。
仕事には責任がつきまとうが、この責任がよくわからない。
大会社トップの樋口会長が師事する石橋信夫オーナーはこう言うが――。

「仕事の上の停滞や失敗を問いただすと、誰それの指示によりましてなどと、
あたかも自分には責任がないかのような答えが返ってくる。
みずから道を求めて努力していた人なら、こんな返答はしないだろう」(P21)


社会人のいちばんのストレスってこれではありませんか?
どこの職場にも古株やら仕切りや、威張りたがる人がいるんだ。
そういう人が好き勝手にあれをしろ、これをしろと指示してくる。
それは違うと思っていても、
断わったら人間関係がめんどうくさくなるから言うことを聞く(シバタさん!)。
そこに上司が飛んでやってくる。「どうしてこんなことをしたんだ?」
「○○さんがやれって言ったんです」と答える。
「おまえは自分のあたまで考える能力もないのか」と叱られる。
いまの職場でイリーという50後半の仕切りやのおっさんが最悪だったな。
よくわからない指示をいちおう先輩の当方に怒鳴り声でしてくるのである。
数度、怒鳴り返してみたら静まったけれど(←こういうのが男の好きな武勇伝ね、笑い)。
基本的にミスの責任は遂行者ではなく指示者にあるような気がするけれど、どうだろう?
ちなみにこのあいだに古株の威張った知的障害者が3人も介入するとカオス極まれりね。
ひとりの知的障害者と仕事をするのでさえ難しいだろうし、
それが3人になり、3人とも古株ぶって威張っていたら、
毎回毎回新しい健常者は壊されるしかない(知的障害者は純真ではなく異常者)。

樋口武男会長が大和ハウスから
大和団地という格下会社に飛ばされたときの何度も読んだ武勇伝がまた強烈である。
樋口武男は会社に朝7時半までに出社するようにしたという。
そりゃあ、社長が早出をしたら部下も真似をしなかったら仕返しが怖いだろう。
これが樋口武男会長の有名な武勇伝のひとつ。
自分が(たぶん始業は9時なのに)7時半に出社したら、みんなも真似をするようになった。
結果として会社に活気が戻り、
あとから女子社員から社長の早出はすばらしかったとほめられたという。
早出は大和ハウスの文化なのかしらん。
わたしもバイトを始めたとき1時間早出をしたら社員に近づくぞ、と言われたことがある。
なんでもその社員も毎日早出をしてきて、しかし出勤記録はつけていないという。
なまけものの当方は指示された翌日に15分早出をしたのが精一杯だった。
最近、わたしと同年齢(40歳)の新人が入ったが、
きちんとサービス早出をしているらしい。
毎朝30~45分早く会社に来て「やる気」をアピールしていた。
(労基署に見つからぬようこっそり書くが職場には2時間以上サービス早出している仕事が好きなご老人もいる)
そのIさんの「やる気」アピールがうまいのである。
いつも手帳をポケットに入れていて、覚えた仕事をメモしている。
うちの職場は毎日のようにルールが変わるから、
そんなことをしても実質的な意味はないのだが、
「やる気」のアピールという面では非常に有効な手であったと思う。
わたしもつぎの職場で「やる気」をアピールするためにあれを真似しようと思っている。
しかし、うちの職場では毎日ルールが変わるから記録を取る意味はないのだけれど。
Iさん自身は大和グループから流れてきたらしく(物流?)、
処世がうまいばかりでなく、とても人柄のいい方でありました。
.
わたしが「退職勧奨」された理由のひとつは、
たぶんIさんの「やる気」アピールだったような気がする。
「退職勧奨」の際、工場長から「やる気」が見られないと何度も言われたしなあ。
こんな長文記事をここまで読んでいる人は少ないだろうから書くが、
仕事というものは「する」ものであると同時に「見せる」ものなのだろう。
いかに仕事を「する」かではなく、いかに仕事をしているように「見せる」かが重要。
まあ、ご先輩のみなさまは、こんなことくらいよくよくご存じでしょうが。
繰り返すが仕事は「する」ものだが、同時にアピールしなければならない。
うちの男性スタッフはみんなオーバーアクションで仕事をするが、
裏にはそういう社風のようなものがあったのではないかと思う。
なにもすることがないときでも、自分は仕事をしているという「ふり」をいかにうまくするか。

本書を読んで、会社とはコネ(血縁/創業者一族)と密告(事情徴収)が
いちばん幅を利かせているのではないかと思った(33ページ)。
書かれているのは樋口氏がいかに
創業者一族お気に入りの重役を切ったかという(またもや)武勇伝である。
そのとき事情徴収(密告をあおる)をしたことも書かれている。
もう少しばかりわたしもうまく密告で暗躍していたら失業していなかったのかもしれない。
会社組織は密告(讒言/中傷/陰口)の巧拙が生き残りをわけるのかもしれない。
お人よし過ぎたのか、わたしはあまりにも密告というサバイバル術を使わなかった。
同僚のミスを発見しても、ほとんど上にそのことを伝えなかった。
考えてみたら、いまの職場で生き残っている古株は密告が好きそうな人が多い。
あることないこと密告して気に食わない同僚を辞めさせ、
おのれのいまの立場を守るのが会社における処世術なのかもしれない。
赤い爪のチーフとか知的障害者の某とか人権老女Sとか、
生きる知恵としての密告をじつによく知っていたし巧みに利用していたような気がする
わたしは最後に工場長から嫌われ「退職勧奨」されたようだが、
もういくばくかうまく密告制度を使って工場長と良好な関係を構築していれば、
いまのような状態にはなっていなかったのかもしれない。
じつは副工場長は恩人の工場長のことをこんなふうに貶めていましたよ、とかさ。
いまからでも密告は遅くないのだが、わたしにそれをするメリットはないし、
いちおう工場長にも副工場長にもお世話になっているから、
いまさら両者の関係に亀裂を入れたくはない。もういいじゃんっていうか。
偽善者ぶるけれど、おれが悪人ってことで、消えればいいんでしょ、みたいな。
でも、もうちとばかし密告制度をうまく利用していればよかったという後悔はなくもない。

結局、優秀な人材というのは仕事アピールと密告(讒言)がうまい人なのかなあ。
あと人情などまったくなしに、会社のために人をぶった切れる企業人。
辞めろ! 代わりはいくらでもいる! 退職届を自分で書いたなら自己都合退社!
おまえの人生なんか知ったこっちゃねえ! 
おれは会社がすべて、仕事人間、どこが悪いか言ってみろ!
大和ハウス最大のピンチは2003年に赤字決算をしたときらしい。
このとき樋口武男社長(当時)は石橋信夫オーナーから、
赤字決算をしてもいいと密室で言われたと本書に記されている。
密室だから証拠はない。証明するものは樋口氏の証言だけである。
ふたりだけの密室での会話は証拠がないから、
肩書上位者や勝利者および生存者の証言が
正しいものとして世の中には流通するのである。
本当に石橋信夫オーナーは樋口武男氏に「赤字決算OK」と言ったのだろうか?
また本書では樋口武男氏は石橋信夫オーナーから、
社長ではなく今度は全体を俯瞰(ふかん)するオーナーになれと言われたと
本書には書いてある。しかし、これもまた密室の会話である。
証拠ははにもない。樋口武男会長の証言があるのみだ。
わたしも工場長から密室で「退職勧奨」され受け入れたが、
工場長はそんなことは言っていないと主張し(結果、当方は自己都合退職あつかい)、
どうしてか密室での会話なのに3人も証人がいることに会社ではなっている。
これが大和ハウスの文化というものなのだろうか。
大和ハウスの樋口武男会長はいったい幾人に「退職勧奨」しながら退職届を書かせ、
そのうえで会社のために自己都合退職あつかいで路頭に迷わせたことか。
会社でサバイバルするというのは、そういうことなのだろう。
樋口会長の弟さんはレアな難病で苦しみながら死んだという(ALS)。
会長のご子孫にもっとバチのようなものが出るかどうかはわからない。
ただ会長は畳(たたみ)の上では死ねないと思う(高級病院の病床でお亡くなりになるってこと)。

樋口会長のお言葉のなかでひどく共感したものがあるので偉人のご発言から抜粋したい。

「ネットに落書きしている暇があったら、社長に本音を言ってこい。
ただし、匿名ではない。堂々と実名でモノを言え。
社長は、提案者の秘密を厳守する」(P110)


おそらくこのブログ記事も大和ハウスの監督部署に拾われるであろう。
うちは本名、実名ブログで正々堂々と意見を申し上げている。
あれは「退職勧奨」にほかならなく、
自己都合退職あつかいするのは誤りだとわたしは思う。
しかし、世の中まあ、そんなもんさということを知らない年齢ではない。
大和ハウスは断じてブラック企業ではなく、
同僚もそこまで悪くはないふつうの人たちでした。
一部、法律違反がないわけではありませんが、
そんなことを言ったら中小はどうなるって話で。
いつか一発当てて大金を得たら大和ハウスの株でも買おうと思う。サンキュー。バーイ。

(関連記事)
「大和ハウス工業」(長谷川誠二・池上博史/出版文化社新書)
「先の先を読め 複眼経営者「石橋信夫」という生き方」(樋口武男/文春新書)
「熱い心が人間力を産む 複眼経営者「石橋信夫」に学ぶ」(樋口武男/文藝春秋)

コメント欄でそれだけパワハラされた副工場長のコカ氏に
ペコペコするのは変だと言われた。
しかしさ、コカ氏はわたしなんかと真剣に向き合ってくれたわけだよ。
ネットの匿名欄でごちゃごちゃ言っているやつとは、そりゃあ扱いは異なるな。
パワハラというけれど「パワハラ」ってなんだろう?
「パワハラ」という言葉で消されてしまう後輩愛のような
細かなニュアンスがたくさんあるのではないか。
たしかにコカ氏にはむかつくことが山ほどあったが、
ほほう、これが人間(他者)というものかという教科書には
掲載されていない勉強も多々させていただいた。
これだけは真実だと言えるのは、コカ氏はわたしなんかと真剣に向き合ってくれた。
お互いの考えの相違をなんとか寄り添わそうと、その努力をしてくれた。
こんなわたしなんかのために――。
職場でいちばん嫌いだったのはコカ氏で、いちばん好きだったのもコカ氏である。
もう書いてもいいと思うが、
勤務最終日に最後だからといっしょにさびれたフィリピンカラオケパブに行ったね。
ひとり2時間1万円とか、びっくりの金額。
わたしはコカ氏の唄った尾崎豊のアイラブユーがいまでも耳を離れない。
コカ氏はだれにも相手にされなかったわたしという人間に真剣に向き合ってくれた。
それは表現を現代風にしたら「パワハラ」になってしまうのだろうが、
「パワハラ」って言い換えれば人情味であり人間味であり、人のやさしさだろう。
今朝、コカ氏の個人携帯から電話があった。
フィリピンパブ代はたまたま財布に現金があったわたしが出したのだが、
それを返してくれるという。人に金を貸したのも返してもらったのも初体験だ。

いつだったか――。
5歳上の妻子持ちの上司から「これからは土屋さんとおれは友達だ」と言われた。
つごう二回もおっしゃってくださった。
これからふたりが友達になれるかは因縁によるが、
少なくともいまの会社に勤務中は無理だっただろう。
今朝、コカ氏の個人携帯から電話があり、近所で保険証を返した。
あっけないものだった。
「お世話になりました」「お疲れさまでした」――。
しかし、美談めくが、わたしは忘れない。
「パワハラ」かはともかくとして、
コカ氏が5歳年下の当方とときには仕事抜きで真剣に向き合ってくれたことを。
当方も当方で、わたしとはまったく異なるコカ氏からいろいろ吸収したことを。
もう一生コカ氏と逢うことはないのかもしれない。
あんがい友達めいた関係になるのかもしれない。
友人関係とは時間である。今日から友達とはならない。数年の時間を要する。
しかし、「パワハラ」めいたものにはだいぶむかついたが、
コカ氏は真剣にわたしなんぞに向き合ってくれた。
そのことは決して忘れてはいけないと思っている。
あなたから教わったことは忘れないし、
おそらく意図せず当方もコカ氏になんらかのことを伝えたに違いない。
人生でコカ氏に出逢えたことはよかった。本当によかった。ありがとう。再見。
「お笑い創価学会 信じる者は救われない」(テリー伊藤・佐高信/知恵の森文庫) *再読

→10年以上もまえに読んだ本を、探してもないのでブックオフオンラインにて注文、再読。
おれ、隠していないけれどF(エフ/学会の隠語)なんだよね。
エフとはつまり創価学会のフレンドみたいなもん。
最近の選挙ではすべて公明党に入れている(おれの一票で国が変わるかよ!)。
だれに頼まれたわけでもないけれど、公明党の政策もよく知らないけれど。
(そもそも40年の人生で学会員を自称する人とひとりも逢ったことがない)
いま失職、無収入、重度の顔面神経麻痺、吃音、孤独、絶望、とにかくひとりぼっち――。
これは創価学会さんに誘ってもらうしかない環境でしょう。
わたしは創価学会本部に電話をかけたことがあり、
けんもほろろの対応をされたが、末端の人情味あふれた学会員なら「今でしょ!」。
うちはライバル団体である顕正会の布教エリアとも隣接しているらしいから、
タイムセール、いまだけお買い得よって話。
わたしはべつに教義にこだわりはないので創価学会でも顕正会でも親鸞会でも大歓迎。
キリスト教会系でもOK。
地域で50人くらいでやっている地元密着型新興宗教なんかもおもしろそう。
新興宗教は会員が50人いたら教祖は食えると聞く(月会費5千円×50=25万)。

とはいえ、日本の新興宗教の最大手といえば、
泣く子も黙る、いまやヤクザよりも恐れられると評判の創価学会。
学会員さんは善男善女ばかりなのだが、善は悪を熱狂的に求める。
悪が存在しないと自分たちの善男善女ぶりが証明できないから困ってしまう。
このため創価学会からひとたび悪人認定されたら、
どんな人でも集団的いやがらせを受ける。
創価学会にとっては、それこそが正義の表明であり、
平和活動、善導善行になるわけである。
学会員は使命感から人のあまりやりたがらないPTA役員や
掃除当番を引き受けてくれるばかりではなく、必要以上に懸命に励んでくれる。
役職(名誉)に飢えた人という意地悪な見方もできなくはないが、
言い方を換えれば責任感のある立派な人たちでもある。
創価学会は歴史教科書に出せない戦後史のタブーで、それだけにおもしろい。
おそらく創価学会がなかったら、
日本はこれほどの高度経済成長をできなかったと思われる。

あそこは秘密組織だから、いまだによく存在の実態が知られていないようだ。
基本は、ある紙ぺら(ご本尊さま)に向かって
南無妙法蓮華経と唱えたら夢や希望がかなうという教え。
そのうえ会員数が多いので、世の中はけっこうコネということもあり(ゴニョゴニョ)、
実際目標達成数も少なくない。学会に入って短期的に夢がかなうことはめずらしくない。
ある条件の人を雇用したくても、希望に沿う人はなかなか来てくれないわけでしょう?
中年男くらいがちょうどいいバイトに、
若いおねえさんが応募してきても面接せにゃならんばい。
時給の安い高校生がいちばん適しているクリスマスケーキづくりに
中年男が応募しても、ねえ? 女子高生なら売り子にも使えるし、ねえ?
縁談なんかもあれは細かい条件や家風しきたりがなくもないから、
本当は宗教関係のご縁がいちばん適していると言えなくもない。
創価学会という巨大秘密組織は、庶民日常生活とぴったり適応していたと言えよう。
庶民は日々悩みごとの連続だが、それも学会の座談会で話せばすっきりする。
結局は「信心しましょう」なのだが、
悩みを座談会で言語化できたことだけで救われる庶民が多数いる。
だったらいいじゃないかというのがF(えふ)としてのわたしのスタンス。
おもしろそうな仕事とか妙なる白蓮華女性とか紹介してくれないかな、と妄想しながらさ。

いまはどうだか知らないが、本書刊行時は創価学会が大嫌いだったらしい、
テリー伊藤と佐高信の共著となっているのがこの本だ(ほかにも執筆者はいる)。
いまではテリーも佐高も学会にかなり落とされているんじゃないか。
驚異的な仏教独学知識を持つ梅原猛もむかしはアンチ学会だったが、
いまでは学会寄りの大学者とされている。
河合隼雄はデビュー当時から学会と手を組んで勢力を伸ばしてきたという印象が強い。

ヤクザからも恐れられる創価学会名誉会長、
池田大作氏の魅力を事業家でタレントのテリー伊藤氏はじつに見事に表現している。
天才は天才を知るのであろう。
以下は日本有数の知識人のおひとりであられるテリー伊藤氏のお言葉。

「僕思うんですけどね、
[池田名誉会長のように]メチャクチャなことを言っている人物のほうが、
宗教の代表になるにはいいんです。(……)
ちゃんと理論だてて、「きみ、これがこうで、こうだから」
というような人物はカリスマになれない。(……)
いまは宗教の親分の話。たとえばね、男と女の話でもそう。
男が口説くとき、「僕はこういう大学を出て、
いまこういう会社に勤めていて給料はこれだけもらっている。
広いマンションに住んでいるから、きみを幸せにできる。結婚しよう」
なんていうのは、理論なんですよ。そうじゃなくて、「俺と一緒になれよ」
と強引にいくほうが勝つような気がするんだな。(……)
だから、池田大作も非理論的な部分を持っているんじゃないかと思うね」(P20)


「俺と一緒になれよ」なんていま言ったらへたをするとセクハラ認定されかねない。
つたない経験から申し上げると、言葉は本当に相手に通じない。
職場に古株地雷っぽい白粉(おしろい)が好きな女性がいらして、
その人のご機嫌をうかがおうと言った言葉がまさに地雷を踏んだようでバーン。
当方はあわれ失業者の身になってしまったわけである。
「それセクハラですよ」と言われた記憶があるけれど、
あなたにはもう旦那さまもセクハラどころか
おさわりでさえなさらないでしょうという古参女性が
「あんたはセクハラ男」と決めつけ、こちらは自己都合退職、無職無収入。
毎朝、鏡を見ていたらセクハラとか言えないと思うけれど視覚障害者だったのか。
ご近所さんらしいけれど、
今度スーパーとかで邂逅したらもう上下関係はないから……わかる?
おまえの赤い爪こそ男にはきんもいセクハラだって(最後の数週間、
朝のあいさつさえもできないってどこぞのご高貴なお生まれでございましょうか?)。
――おおっと、こういう下世話な悪口を学会員さんはお好きでしょう?
メンタリティが似ていることを証明するために書いてみました。折伏歓迎。千客万来。
名前が「志保」で「志」が入っているということは、
あちらさんがヤクザよりも怖い学会員さんで、
こちらは彼女の正義とやらのためにクビになったのかもしれないけれどさ。
学会の池田さんの言葉なんて字面で見ると大したことはないでしょう。
けれども、それは違うと稀代の文化評論家であるテリー伊藤氏は指摘する。
ひとつの言葉を人はそれぞれさまざまに受け入れる。

「池田大作でも、福永法源でも、
「もっと信者を集めてこい。いけえー。もっとやるんだ。できないやつは許さん」
というようなことを言ったとしますね。
外部のわれわれが聞くと、たんにハッパをかけているとしか思えないんだけど、
信者にとっては、
「実はあんなに荒っぽく言っているけど、本当は深い意味があるんじゃないか」
と響く。そのくらいの違いがあると思うな」(P24)


創価学会でいちばん強いとされているのは婦人部である。
女子部なんかよりも婦人部ははるかに強い。
壮年部もかなわないほどに創価学会の婦人部は強い。最強組織と言ってもよかろう。
さて戦後、強くなったのは靴下と女性と言われている。
そう言われたらたしかにそうで、かつて女性は弱い立場にいた。
男が女性よりも強い立場でいられたのは、
男が肉体労働をすることが可能で、家に金を入れられたからである。
女性のなかにも自分が男だったら、と願っていた人は大勢いただろう。
しかし、女性、婦人には基盤となるものがなかった。
「女のくせに」と見下されるのがつねであった。
それを変えたのが創価学会の池田大作名誉会長であられる。
夫婦瑞祥とか家庭円満が世間的には是とされるが、家庭など実相は権力闘争の場。
かつては「ふろ、めし、ねる」で男がでかい顔をできたが、
それを変えたのが創価学会名誉会長の世界的偉人でいらっしゃる池田大作先生だ。
ある女性ライターが創価躍進の理由を以下のように書いているが、
これはじつに正しいと思う。

「家庭内権力闘争において、それまでつねに夫に敗れてきた女性ほど、
学会を〝後ろ盾”とした〝池田先生”という錦の御旗のもとでなら、
夫に勝てると信じたとき、
即座に夫より〝[池田]先生”のほうを選び取るのである」(P59)


ぼくはいま非常に弱っているから池田先生のおさがりでも、
池田先生に比べたら5番目でも10番目でもいいので、妙なる女性の助けがほしいなあ。
考えてみたら、アイドルが大好きな旦那がいる家庭だっていくらでもあるっしょ?
そういう家では奥さんはAKB48の7番目、8番目かもしれなく……。
わたしは法律上の正しい夫の座などもうとっくにあきらめていて、
優先順位10番目以降の男友達でもぜんぜんかまわない。
そのくらいひとりぼっちでなにもなくさみしい。
本書で元学会員の妻子ある社会的信用のある税理士先生が、
以下のような貴重なご証言をなさっている(元学会ファミリー)。

「また、娘から聞いた話ですが、
在学中には、創価大学生も、選挙前になると授業を休み、
宣伝カーに乗ってドライバーをしたり、うぐいす嬢になったりするそうです。
また、セーラー作戦といって、
二人でペアを組んで選挙の応援をしていた学生が少なくなかったようです」(P194)


セーラー作戦かもん♪

落ちるから。たぶん絶対に落ちるから。
フィリピンパブに連れていかれて、
外人のおばさんとハグをしてもおもしろくもなんともない(失礼)。
強制的にまたぐらをさわらされるとか別方向のセクハラというか、訴えないけれど。
いま重度の顔面神経麻痺で吃音、
先月で失業、無収入、孤独、ひとりぼっち、絶望感あり――。
ご興味をお持ちになられた方がございましたら、
ご宗教は問いませんのでよろしくお願いします。
結局、他人を助けるってことが自分を助けることなんだなあ(←悟ったふり)。

土屋顕史(つちやけんじ)
(メールアドレス)yondance1976@gmail.com
「我ら糖尿人、元気なのには理由がある」(宮本輝・江部康二/東洋経済新報社)

→創価学会の紫綬褒章作家・宮本輝と医師の江部康二理事長の健康対談本。
糖質制限食が糖尿病に効くというある医師の新説(珍説?)を
文学界の長老権威が保証している本。
さすがにまだ糖尿病は来ていないからよく知らないけれど
(父親は糖尿病だからいずれ来るかも)、
糖尿病もまた数値異常の病気ではないかしら(血糖値)。
ある数値が医者の規定したもの以上だと異常(糖尿病)だと診断されるという。
このへんはよくわからないで書いているので間違っていたらごめんなさい。
高血圧とか高脂血症はあれは完全に数値異常の医者造成病気だよね。
だって、医者が正常か異常かの数値を決めていて、さしたる根拠はないわけだから。
ただ高血圧の基準値を下げれば医薬品会社が儲かるという話だけで。

けっこうふつうに生きている人というのがいるものである。
それほどお金に困っているわけでもなく、かといって夢中になるものもないという人たち。
そういう人たちのなかで目標のようなものをほしがる人がいて、
それが健康になっているような気がする。
本書は最初は糖質制限食(ごはんやパンを食べない。甘いものもダメ。ジュースNG)は
糖尿病に効果があるという話である。
ビールや日本酒はダメだが、ウイスキーや焼酎はのんでもよく、
食事はごはんやパンこそダメだが魚肉チーズなんでもOKというすばらしい話だ。
わたしも糖尿病と診断されたら、99%糖質制限食を始めることだろう。

そこでストップしていたらよかったのだが、本書は暴走をスタートする。
糖質食品は統合失調症を悪化させるだの、アトピーによくないだの、
あたかも糖質食品は諸悪の根源のごとくである。
半面、糖質制限食はまるで創価学会のような絶対正義あつかい。
糖質制限食はダイエットになるし、万病に効くし、ガンも治すとか吹かしている。
それってまるでまるで創価学会的な思考じゃないですか。
正しいご本尊に向かってお題目を上げたら万病快癒、目的成就、正義正義みたいなさ。
人間ってつねに糖質制限食(創価学会)的なものを
求めてやまない存在なのかもしれない。
ここで人間を庶民って言い換えたら、
インテリぶるなよってすぐに批判コメントが飛んでくる。
庶民はつねに糖質制限食(創価学会)的なものを求めてやまない存在なのかもしれない。

もちろん、本書にも有益な情報も多々掲載されていた。
糖質制限食は長期データがないらしいね。
10年、20年、30年、糖質制限食をやったときのデータがいまだ存在しない。
わたしからしたら、そもそも10年も糖質制限食なんかできるもんかと思うけれど。
だって、メシはうまいしコンビニおにぎりもいけるし、
なにより寿司を食えない人生ってなんだ?
当方はパンとはあまり縁がなかったが、パンはパンでうまいだろう?
なんでも食べ放題で50で死ぬのと糖質制限食で90まで生きるのなら、
いうまでもなく当方は前者を決然として選ぶ。
というか、糖質制限食ってお金持しかできないような気がする
(ヌードル系NG、つまり冷凍パスタどころかカップ麺も一切禁止)。
それから、それから医療情報。
病院は薬を出せば出すほど儲かるというのは、
あれはむかしの話でいまはそうではないらしい。
薬価のコントロールを病院ができなくなって院外処方が増えたとのこと。
ということは、お医者がいっぱい薬を出してくれるのは、患者を思ってのことなんだなあ。
患者の期待に応えるためにお医者さまはお薬をたくさん出してくれている。
わたしも病院にかかって薬が出なかったら損をした気になるしね正直。
そういえばここ10年くらい薬局で目薬以外の大衆薬を買ったことがない。

本書で創価学会の重鎮で紫綬褒章作家の宮本輝氏が仏法的説教をしている。

「仏教の言葉に、「賢位(けんい)に居(こ)す」というのがあるんです。
修業を積んだと本人も言い、世の中もそう思っている僧侶がいるとします。
そんな僧侶がある程度の位にまで進むと[紫綬褒章でっか?]、
自分の頭のなかで考えている仏教観、思想の範囲に閉じこもろうとしてしまうんです。
自分が積んだ修行、その高い地位、つまり賢位から出ようとしなくなる。
そのことを「賢位に居す」と言うんです。(……)
それはもう、あらゆる世界にあります。
医者の世界だけではなく、世の中の専門職と言われている人は、
自分の信じてきたやり方でその地位を築いてきたわけですから、
どうしてもその権威を信じてしまうんです。こうした人たちの最大の問題点は、
自分の知識とか知恵などの範囲の外にあるものに対して、
どうしても心を閉ざしてしまう。心を開こうとしないんですね」(P32)


あたかも自分は「賢位に居す」とは無縁だ、
と言いたげな受賞歴豊富な文壇権威のお言葉である。
編集者やカメラマンといったお連れなしに、
作家がひとりでまったくのひとりでブッダの修業地であるインドを1ヶ月でも旅したら、
かの権威の文学作品はどのような変化を見せるのだろうか。
芥川賞選考委員として
「賢位に居す」状態にいるいまの宮本輝氏にはできない相談だろう。
せいぜい糖質制限食で120歳くらいまで長生きしてくださいませ。

やっぱ会社を辞めるのってすごいストレスなんだろうな。
風邪を引いてしまったようだ。吐き気がすごく戻したことさえあったくらいだ。
いまの保険証が使えるのは今月いっぱい。
あわてていちばん近所の病院に飛び込んだ。
これでもかという典型的な町医者のおじさんで、処方箋も手書きで(たぶん)ドイツ語だぜ。
しっかり患者心理をわかっていて5種類もの薬を出してくれる。
「絶対効きますよ」とか言っていたから名医なのだろう(この嘘を言えるかが判断基準)。
明日は新しい1ヶ月短期バイトの面接だし、治ってくれないと困るなあ。
いやね、怨念と呪詛を込めてクリスマスケーキでもつくろうかと思ってさ。
おれがクリスマスケーキをつくるとか(実物を知っているものには)シュールでは?
どうせ男はケーキなんてつくらせてもらえず力仕事にまわされるんだろうけれど。
保険証を国保に代えるには、
「職場の健康保険をやめた証明書(健康保険資格喪失証明書)」が必要とのこと。
それはまだうちに届いていないなあ。大会社なんだからしっかりしてほしい。
ということは、無保険の期間ができちゃうわけじゃん。それは怖いし危ないよ。
コカ氏に相談したほうがいいのかなあ。

先ほど副工場長のコカ氏から携帯にメールが入る。
ひとつまえの記事で、当方のいいかげんな記憶で書いた人権標語を訂正される。
×「磨けば光る障害者 日増し汚れる健常者」
○「障害者磨けば光る純粋さ 健常者磨けば欠ける素直な気持ち」
会社を辞めたあとの人間関係ってどうなるんだろう?
日本軍とかだと戦後も上下関係は引き継がれたって聞くよね。
とりあえずは明日のバイト面接だな。
みんなもそうでしょうけれど、わたしも履歴書を書くのが大嫌いなんだ。
最終学歴をコカ氏の情報高校にしちゃおうかなあ(覚えていないけれど)。
バイト面接で落とされたらむかつくんだろうなあ。
しかし、風邪で酒は大して飲めないし(ゆえに)酔えないし「うつ」コース決定だ。
いまでも失業保険はねらっているけれど(大した額ではない)、
みんながみんな絶対に大会社とは争うなっていうね。
はああ、いまから明日履歴書を書くことを考えて憂うつである。

「障害者磨けば光る純粋さ 健常者磨けば欠ける素直な気持ち」(作:コカ氏)
おれも「素直な気持ち」とやらが欠けた健常者と思われていたのかなあ。
わたしがいまの職場で学んだのは人権の王者である知的障害者がいかに意地悪かだ。
それはおまえのこころが汚れているからだっていわれたら反論のしようがないけれど。
まあ、おもしろいといえなくもない8ヶ月間でした。
会社で副工場長から人権標語を提出しろと言われたことがあったなあ。
それもすごい話で、わたしが書いたものを彼が診断・推敲して、
彼のおめがねにかなえばエントリーできるらしい。
きっと上司は東大文学部教授レベルの文章力と読書量を持っているのだと思った。
そのとき彼がつくった人権標語を聞かされたが、もう忘れている。
こちらで少し推敲してやったものをあやふやながら紹介すれば、
「磨けば光る障害者 日増し汚れる健常者」みたいなようなものだったと思う。
彼にとっては知的障害者ほど善良なこころの持ち主はなく、
健常者はみなみなおのれを追い落とすことを狙っている悪人に見えたのだろう。
知的障害者と半年以上働いたが、彼らに改善のきざしはなにひとつ見られなかった。
人権の世界では知的障害者は健常者よりもはるかに偉く、
(上層はそんなことを思っていないが)そう信じられる末端の軍曹が
お上(かみ)からかわいがられるのだろう。

「磨けば光る障害者 日増し汚れる健常者」
「「行き場」を探す日本人」(下川裕治/平凡社新書)

→ぼくらのタナシンが西村賢太との対話で、自分に職歴がないことを誇っていたが、
サラリーマン体験というものは、こころを壊さない程度ならしても悪くない気がする。
最前の職場はバイトにも社員たれと期待する、見ようによってはいい会社だった。
部下には常時「こうしろ!」と言っていた人がさ、
さらなる上司がそうではないと調子に乗った部下の顔をつぶすために言い放ったとき、
「それはごもっともでございます」と以降手のひらを変えるような上司とかおもしろいぜ。
職場のまえの先輩(1歳年下)は上司のそういう人間味をいちいち愚弄していたが、
わたしは「なるほど」と処世というものを実地で学ばせていただいている感激に震えた。
まあ、そのわたしも先輩とおなじようにあわれ追放されて無職孤独零落、
いまごろみなさまの悪口のいいサカナになっているのでしょうが、
それはまあそんなものよ。つぎはだれがターゲットになるのかな。
わたしもようやく日本のサラリーマンの味わう理不尽さを実体験した。
以下の文章は本当によくわかる。

「理不尽さが募ること――。
会社勤めを続けていれば、それはしばしば起こることだ。
先日も、ひとりのサラリーマンの愚痴を聞いていた。
「いちばん頭にくるのは、上司の『言っただろ』なんだよ。
上司の意図を汲んでいない見積もりなんかを出すと、
『言っただろッ』と怒る上司がいる。
しかし断じていうけど、自分は絶対に聞いていない。
しかしそれをいうと『いった、いわない』の争いになっちゃう。
結局、こっちが黙るしかない」
そんなことは日常茶飯事だという人は多いだろう。
僕はサラリーマンを辞めて三十年近くになる。
しかし、理不尽さへの記憶はしっかりと残っている」(P33)


今月でクビになった工場はトップの方針でミーティングをやらないんだ。
そのことによるマイナス面だけではなく、プラス面もたぶんにあったと思っている。
上司は一対一の口伝えで部下に指示を出す。
上司はそれをみんなに言ったものと思ってしまうが、現実はむろんそうではない。
3人もいらっしゃる知的障害者が伝言ゲームにさらなる妨害を加える。
もうひっちゃかめっちゃかで、
いまでもリネン工場として成り立っているのが不思議なくらいだ。
毎日のように「それは違う」と言われ、言っただろう、聞いていませんの繰り返し。
知的障害者が独自の判断(なんて無理っしょ?)で指令をだすときもあるから現場は修羅。
ぜんぜん楽しくない。いつもピリピリ、セカセカしていて、
みんながおのれのミスを指摘されることを過剰に恐れている。
獰猛に他人のミスを探し回っている企業人としては優秀な上司もいる
(彼の人間くささを社会見学気分で高評価する当方以外のバイトは、
ひとりもらさずみなみな男を嫌っていた。彼の顔を見るとメシがまずくなる等々。
当方がいまの職場に勤務している際にどれほど副工場長の悪評、悪口を聞いたか。
そういうのはすべて自分に密告してくれと頼まれたが、
先生に気に入られる優等生みたいなことはしたくない、
とあいまいにしておいたらこちらがいきなりクビさ)。

さてさて、話を窮屈な日本からアジアに移すと、
本書によるとたとえばタイの工場では女性のみならず男性までが、
会社を辞める理由に友人の退職をあげることが多いらしい。
あの子がいなくなっちゃうと、もうここで働く楽しみがないから辞めるという考え方。
これには多くの日本人が「なにしに会社に来ているんだ?」と怒るという。
かつての長期間アジア放浪でアジア汚染されたわたしはあるまじき暴論を言い放つ。
えええ、毎日の1/3以上を過ごす会社が楽しくなかったら生きている意味がないじゃん。
いまの職場だっておしゃべりをフリー化(自由化/推奨)して、
もっと和気あいあいとやれば(見かけは悪くても)結果的に生産性は上がるのではないか。
人間関係が悪いとどれほど効率性や生産性は落ちるか。
そして、重要なのは人間関係は生産性や効率性のように決して数値化できぬということ。

アジアにはまだ日本に比べたら一発逆転のようなドリームが残っていそう。
しかし、本書にはひとつとしてそういう成功事例は報告されていなかったからリアル。
結局、日本でパッとしないやつがアジアに行ったところでパッとしない。
しかし、アジアにはことさらパッとしなくてもいいという共通認識があるから生きるのが楽。
家族や仲間、友人とそれなりにわいわいやっていれば、人生それでいいじゃん、みたいな。
海外移住は大量の書籍、医療薬品(個人輸入可能か?)が問題となっている。
海外でだらしない居酒屋でもやって、ダメな日本客相手と傷をなめあいたい。
そ、そ、そんなことを考えられるくらい我輩様はワールドワイドな視点を持っているのでR♪

「薄明鬼語 西村賢太対談集」(扶桑社)

→なんかもう疲れちゃった。
さっき会社からメールがあって、おまえの思い通りにはさせないぞ、と。
わたしは密室で工場長から「退職勧奨」されて退職届を書いたのよ。
しかし、本社の人事部によるとそれは違う。おまえは間違っている、と。
おまえは自分で退職届を書いたんだから自己都合退職だろう。
「退職勧奨」がなかったことは会社に3人の証人がいるって(だから密室だったんだよ!)。
そのうえ、その3人の証人はいずれも会社の一定のポストにある人でしょう?
それは会社の味方をするわけで、うちには3人の証人がいるって言われてもさあ。
いまの職場に入ったころ5歳年上の副工場長におのれの人間不信を白状した。
そうしたら、「土屋さんはダメだ。もっと人間を信じなきゃ」と指導された。
その結果がこれでしょう。
わたしの自己都合退職の証人3人にちゃっかり副工場長も入っている。
きっとあの人はこうして世を渡ってきたし、これからもこうして出世していくのだろう。

芥川賞作家の西村賢太の書くのは身のまわりのことを題材にした私小説といわれるもの。
世の中にはふたつの目があって、それは「世間の目」と「わたしの目」である。
徹底的に「わたしの目」「わたしの言葉」にこだわるのが私小説である。
たとえ高級スーツを着用した10人がノーといっても、
しかし「わたしはイエスと思う」と言えるのがほんものの私小説作家。
それにしても世の中は厳しいなあ。
契約期間が来年3月まであるのにクビにして、
おまえが勝手に辞めたんだろうとやるのが大人の社会というものか。
そうしてかの男もあの男も偉くなり、高級スーツを着て、愛人を持ったのだろう。
「わたし」をいかに消すかがおそらく実社会を生きるコツである。
「わたし」の思いを捨ててスーツとネクタイに身をまかせる。
そのつらさやかなしさも十分に文学たりえるだろうが、それは私小説ではない。
今日わたしを路頭に迷わせた社会上層部の証人3人にはこころの痛みはないのだろうか。
まあ、世の中、こんなもんさとわたしのことなど明日には忘れ去っているのか。
石原元都知事に妙にかわいがられている私小説作家の西村賢太はいう。
ある若手美人作家との対談で――。

「あんまり編集者の言うことを聞かないことですな。
「ここをこうしたら」とか「もう一回書いたら」とか、言われませんか。(……)
僕はもう編集者に手を入れられることに対してすごい神経質ですよ。
それをされちゃうと、自分の文章じゃなくなっちゃいますからね」(P82)


わたしは文章にはこだわりやプライドといっためんどうくさいものがあるけれど、
ことお給料のためにやっている賃仕事についてはまったくもって上のいいなりであった。
「直せ」「ダメ」と言われたらいくらでも何度でもやり直したものである。
まえの先輩もそうだったがおれについてきたら正社員だと上司はみんなに口にしていた。
それでもこうして突然クビになって、しかし自己都合退職扱い(失業給付ゼロ)。
バイトを自他の勘気でクビにしておきながら、勝手に辞めたんでしょう、
となるのが世間常識。
せめて西村賢太くらいには「わたしの目」「わたしの言葉」をたいせつにしてもらいたい。
成功者の西村賢太中年による人生アドバイスはこうだ。
人間、どう生きるべきか。

「いや、人の意見は無視することです。
無論、僕のいかにも成功者気取りの、この勘違い意見もね(笑)」(P83)


世間の真実は多数決。世間の真実は肩書勝負。
しかし、「本当の真実」はわたしが決めるということ。西村賢太とわたしが共有する秘密だ。

「西村賢太対話集」(新潮社)

→これを読んでいたころちょうどうちのパソコンが壊れて修理に出していて、
すると賃労働より家へ戻って来てからすることがないのである。
パソコンがあれば安酒を飲みながら、
今日の職場であった些事笑事を底意地悪く思い返しつつ陰気に笑い、
ネットをロケットニュース24や2ちゃんねるの孤独な男性板に接続したものだ。
それがパソコンがオシャカになってしまったため、帰宅後にすることがなにもない。
仕事は年齢にふさわぬ肉体労働だから疲れもひどく難しい本を読むことはできない。
結句、山のように積まれている本のなかから、
芥川賞作家の西村賢太の対話集を引き抜きそこね、
あやうく「本の山」で遭難するところであった。
当時はバイトながら大会社の安定した職に就いていたため、
ついぞ経験したことのない安定という公明虚妄に身も心もやられ、
無頼派として知られる西村賢太の対話集を斜め上から、
ときおり憫笑を浮かべさえしながら他人事として読み散らかしたものであった。
が、その後いきなり「退職勧奨」を受けることと相成り、はや来月には無職の身である。
どうで自分にはこのような人生しか送れないのかと世を呪いながらも、
変質者的に次はなにをやらかしてやろうかなどと悪夢想している。

もしかしたらバブルが西村秋恵文学を育てたのかもしれない。
本書にバブル当時の日雇い賃金の月収計算が書かれているが、
あろうことかいまの我輩よりも高い収入を健太青年は得ながら、
文学陶酔および私小説漁色および優雅な買春遊戯をしていたのである。
西村賢太といえば中卒で文学理論もまるで知らず、
Fとかいう野垂れ死にした行き倒れ病死作家を師匠として仰いでいると聞く。
西村賢太は文学修行の経験はなく、ただただFにのめりこんだだけだという。
西村賢太は文芸誌でのさばっているやつらに言いたいことがあるという。
いいことを言うじゃないか、このやろう!

「そうじゃなくて[文学理論じゃなくて]、あなた方も、
どんな大学を出たにしても、やっぱりのめりこむほど好きな作家っているでしょう?
と、その模倣から入ってませんか? と、お聞きしたいんですがね。
しかしその連中に言わせると、自分たちはそういう好きな作家、敬愛する作家がいても、
それとは別個に自分独自の才能で小説を書いて、
文芸誌に載っているんだというえらそうなスタンスにいるもんですから。
僕はそれとは明らかに違って、
本当に骨董趣味から入ったような書き手だと自分で思ってますので」(P30)


ここ数日へんな咳がして、吐き気も著しく、あるいは結核やもしれぬ。
気が狂うほどの年月おれを認めてくれなかった世間に対する吐き気も重なり、
病床において安酒を薬とごまかしながら飲用し現在、
いままで当方を虐待してきた人間をひとりずつ妄想のなかで焼き殺しているところだ。
妄想のなかでなら現実をどうでも再構成することができる。
ノンフィクション作家のFが西村賢太に小説は事実かどうかを問うている。
「西村さんの小説に書かれている出来事は、ほぼ事実なんですか?」

「いや、僕の場合はそれを尋ねられた媒体や場所により、
「ほとんど事実です」と言ったり、「ほとんど嘘です」と言ったりで、バラバラにしています。
一概に言えないんですよ。「私小説」の中にも小説という言葉が入っている通り、
あくまでフィクションが前提ですから、ノンフィクション的な部分を強調しすぎて、
読者に単なるフィクションと捉(とら)えられてしまうと、
小説としては失敗作ということになります。
努めて、虚構と事実の狭間(はざま)を曖昧(あいまい)にするよう心がけています」(P168)


やってやろうじゃないかと思うた。
もはや芥川賞作家でタレントの西村賢太が落ちぶれることはなかろう。
ならば、わたしが冬空の下、無職無収入、公園のベンチで凍死するのもありであろう。
なにものにもなれなかった文士以下の敗残者の醜悪な亡骸を満天下にさらすのも悪くない。
絶命寸前、わたしは文学という魔の正体を知ることになろう。