「龍魂継承 天龍源一郎対談集」(ベースボール・マガジン社)

→レスラーもタレントも作家もみんなそうだろうけれど、
売れないころに雲の上のスターや大物編集長にチョー天国体験をさせてもらい、
もう一回あれを体験したいとか、あの美味が忘れられないとか、
ああいう高級車に乗りたいとか、
そういうハングリー精神が人を成功へと向かわせるようなところがあると思う。
ジャイアント馬場は一流のものしか食べなかったというし、
マックなんか冗談じゃないとからきし相手にしなかったという。
しかし、越中がほかに店がないのでフィレオフィッシュを食べてもらったら、
うまいうまいといって、
それからしばらくフィレオフィッシュばかり食べていたというのは、
いまでは悪い噂しか耳にしない馬場さんのちょっといい話。
しかし、一流(=高額)のものしか食べなかったし着なかった馬場さんだから
強かったというのもまた事実なのである。
馬場さんなんか喧嘩をやらせたら絶対強くはないでしょう?
入りたての新人レスラーでも馬場なんかボコボコにできたと思う。
しかし、馬場さんは男としては強かった。一流品を買える金を持っていた。
だから、威厳のようなものがあり、
だれも馬場さんにガチ(真剣勝負)を仕掛けられなかったわけだ。
どんなトンパチだってリングで馬場さんと向き合ったら、
彼に合わせた動きをしたことだろう。
馬場さんの強さはどこか現実世界の強弱とも通じているような気がする。

ミスタープロレス天龍源一郎は13歳で入った相撲の世界を引退したあと、
馬場さんの下で10年以上働いているからいい意味でも悪い意味でも影響が強い。
プロレスラーはコンビニ弁当なんか食っちゃいけない。
一流のものに金を使え。いい車に乗って、いい女と遊べ。
新幹線はグリーン車に乗れ。飛行機はファーストかビジネス。
成金趣味を恥じない。一流の人間というのはそういうことに金を使う男である。
わたしが女に何度もおごってもらったことがあるなんて天龍さんに白状したら、
「男が情けないことをすんな」とグーパンチされ、
倒れたらサッカーボールキックをお何発も見舞いされることだろう。
天龍源一郎は脚本家の内館牧子との対談で、
いまのレスラーがどうして小粒なのかと問われ、
「身銭を切らないからですよ」と答えている。「身銭を切って遊びに行かないから」
天龍はいかにも田舎者めいたところがなくもなく、
金がないときでも銀座で身銭を切って遊んだという。
内館牧子は調子を合わせて若者批判をする。
「たぶん、現代っ子は〝やせガマン”をしないんですよ。
みんな身の丈っていうのが好きだから」
それに応じて超一流レスラーだった天龍源一郎は言い放つ。

「でも、それは、自分で自分の寸法を決めちゃってるという悲しいことですよ。
そうすると見てる人も、そんなもんかって目で見ちゃう。(……)
背伸びしながら、いつか夢をつかもうとしてきたヤツを、
見てる人は共感して応援してくれるんですよ」(P238)


耳が痛いアドバイスである。
コンビニ弁当でもぜいたくなんて思っていたら絶対に一流にはなれない。
持っている服がユニクロしかないなんて、おれ、どーにかしてるんじゃないか?
林真理子はたまに乗る電車でユニクロを着ているおっさんを見ると軽蔑すると
書いていたが、そういう見方もまた「正しい」のだろう。
しかし、銀座は嫌いだし、銀座でおねえちゃんの店で酒飲んだってつまらないじゃん。
おれ、知らない女とおしゃべりしながら酒を飲むなんて時給もらってもいやよ。
銀座の寿司屋に入っても緊張して味がわからないだろう。
たぶんこのまままじめに働いても回転寿司屋でビールを飲むのでさえ高嶺の花だろう。
しかし、言葉には投資している。本には金と時間をめくらめっぽう使っている。
一流と言われている文学作品はけっこう目を通しているほうだし、
戯曲(演劇台本)にいたってはコレクターレベルだろう。
本書で越中が猪木さんや長州さんは実際に練習しているから偉いとほめていた。
結局、勝負というのは最後は自信の強弱と運で決まるのではないか?
どうしたら自信を持てるかというレベルで、練習とともに一流信仰が発生するのだろう。
おれはあたしは一流ブランドを身につけ一流のものを食べているから負けないという。
一流(と言われる)ものを人がほしがるのは、
読者諸賢ご明察でしょうが、おそらく自分に自信が持てないからである。
ひっくりかえせば一流に囲まれていたら自信を持てる。
ぶっちゃけ、ドストエフスキーやトルストイの長い小説をいま読む意味はないでしょう?
15年くらいまえわたしも見栄からほとんど全作品読んだが、
そしていまでは内容をほとんど覚えていないが、
あんな長編小説を読んだということがひとつの自信になっていることはたしかである。
シナリオ・センターの無教養なチンピラ講師と言い争いになったとき、
どうしてわたしが引かなかったかというと彼よりも良質な演劇作品を読んでいたし、
男が読みもしないで権威づけに利用したアリストテレスを実際に読んでいたから。
講師は「ドラマは葛藤だ」とアリストテレスが言っていると一流ぶったが、
実際にアリストテレスの「詩学」を読んでいるこちらは「え?」と思ってしまう。

一流とはおそらく権威のようなものなのだろう。
劣等コンプレックスが強いものほど一流という権威を求めるような気がする。
その一流を求めるこころが人を一流にするになら、
むしろコンプレックスや俗物根性は歓迎すべき精神特性なのかもしれない。
しかし、コンプレックスは人一倍あるのは自覚しているが、
どんなに金があってもグリーン車は乗りたくないという変なこだわりがある。
まずユニクロを脱ぎ捨てることから始めなければならないのはわかるが、
ユニクロは安いし長持ちするしネットで買えるし、いいこと尽くめ。
どうしたらいいんだよ、天龍さん!
おれは少年時代から天龍のようなかっこいいおっさんにあこがれてきたんだぜ。

脚本家の内館牧子は新人のころ、
有名脚本家の代役(ゴーストライター)として連ドラデビューしたという。
そのとき師匠の橋田寿賀子から言われたのは「出し惜しみしちゃダメよ」。
出し惜しみをするとかならず客はすぐ逃げる。
天龍源一郎の名試合はほぼナマで観戦しているが、
天龍も出し惜しみをしないレスラーであった。天龍は言う。

「イヤ、ホントですよ。素晴らしいものを見たら、誰かがまた興味を示してくれる。
これは自分の向上に繋がるんですね。
みんなそこを感じてないから、『今日これを出すべきじゃないな』とか考えちゃう。
その日来た人が面白くなかったって感じたらそれで終わりなんですよ。
やっぱり面白かったら見てくれて、伝聞で広がるんですよね。
物書きもプロレスラーも、生身の人間に見てもらうという部分は共通で、
生身の人間はごまかせないですよね。
10人、20人はごまかせても、100人、200人は絶対ごまかせない」(P247)


天龍はほかの本でもそうだが、
口癖のように「誰かがどこかで見ててくれる」と言っている。
そう思っていたら、ヘコたれないだろうと。

「見てますよ。これは不思議なもので、人と違う行動をしてる人を世の中の人は、
面白いヤツだなと思って、ピックアップしてくれるんですよ。
そのことに希望を持って生きないと、ヘコたれたら10箱1セットですよ。
頑張れば、誰かが引き上げてくれる。(……)
でも引き上げてくれたとき、自分のポリシーがないとダメ。
たとえば平社員のとき、「こんな会社……」って文句ばかり言って、
上役になったら何もできない。それじゃ遅いですよ」(P245)


「誰かがどこかで見ててくれる」なんてウソだろうという境地になっていたが、
今年、精神科医の春日武彦先生がご著書を送ってくださり、
ああ、本当に「誰かがどこかで見ててくれる」と涙が出るほど嬉しかった。
ブログ「本の山」も出し惜しみしていない。
身銭を切って、誰も読まないような古臭いお経の本を買って、
全力で感想を書いている。山田太一の記事で手を抜いたことはない。
そういえば今年は山田太一ファンの奈良のお医者さんからご招待を受けた。
「誰かがどこかで見ててくれる」
どこかの誰かのために、もっとおもしろいものを書きたいが、
いったいおもしろいとはどういうことか、天龍さん、大将?

「今の人は意図的にやるじゃないですか。こうやったら面白いだろうって。
そういうことじゃなくて、お前らが必死にやっているのを見てもらうんだって。
笑おうが、悲しもうが、バカにしようが。
そこをベースにやってほしいって気持ちがありますよ。
たとえば、馬場さんが必死にやってたのを「ノロいなぁ」って、
お客さんが勝手に批評して面白がったり、
猪木さんがいろいろやるのを「またバカなことやってるよ」って思うのがいいんですよ。
自分たちで「こう見てくれよ」なんてやるのは、小ざかしいことですよね」(P250)


これを言ったら自分が老人になったみたいでいやなのだが、
小学生のころから見てきたから言わせてもらいたく、いまのプロレスっておもしろくない。
ぽんぽん飛んだり跳ねたりしているだけじゃないかよ。
ヒールだっていかにも悪役やってますって感じで、
人間誰しも有する本物の悪がちっとも見えてこない。
鈴木みのるなんて悪ぶっているがステロイドの副作用かヨボヨボだろう。
会社をクビになるのを覚悟で、
誰か若いやつが鈴木みのるをボコボコにしてやったらいいのに、
ひとりとしてそういう本当に悪いことをできるレスラーがいない。
いまのプロレスへの不満を天龍はこう言葉にする。

「俺もいろんな人の試合を見るけど、きれいなプロレスじゃなくて、
もっと人生を見せつけるような試合をやってくれよって思うときがあるよ。(……)
泥臭くていいから、人生を見せてくれよって。
サラッとした技もあっていいけど、
その中に自分のドロドロとした部分もある人生を見せてほしい」(P149)


本書に天龍とあの前田日明の対談が掲載されている。
一部では前田がガチ(真剣勝負)を人生で一度もやったことはないという噂もあるが、
在日コリアンの前田がおなじ在日の長州力の顔面を背後から蹴ったのはガチである。
いまガチっぽい演出はできても、
ナマの泥臭い人生を賭けたガチを仕掛けられる前田のようなレスラーがいるか?
下手をしたら業界追放、即失業者、人間失格のレッテルをはられるようなガチキックを。
前田はあの事件を、
長州が自分を信用しないで逃げたから怪我につながったと言い訳している。
いまの新日本プロレスって「助け合いプロレス」「思いやりプロレス」なんだよねえ。
相手が飛んだら全身で怪我しないように受けとめてあげる、みたいなさ。
助け合い、思いやり、絆(きずな)プロレス。
プロレスは最初から勝敗は会社の指示で決められているが、
リングに上がったらそこはふたりだけの世界で、
先輩も後輩も礼儀も格式も社会常識もないことを前田日明は知っていた。
前田と天龍の対談から引用する。

前田「……プロレスに入って、何年か経った頃によく先輩から言われたんですね。
 「なんで俺があんなヤツに負けなきゃいけないんだ」って。
天龍「ワハハ!」
前田「『そう思うんだったら、リング上でやっちゃえばいいじゃないですか!』って言うと、
 『そんなわけにいかないだろ』とか言うんだけど、
 なんか俺とか天龍さんは、そう思ったらやっちゃうんですよね」
天龍「(ニヤリ)」
前田「そういう気概をもった選手がいないんですよね。試合見てても。
 『あ、これはちょっとナマ入ったぞ。よしよし、これから試合が面白くなるな」と思っても、
 『あれ? 全然面白くならないな、なんで?』みたいな。ありません、そういうの?」
天龍「あるねぇ」
前田「昔だったら、一発カーンと入ったら、
 試合がガーッと激しくなるっていうのがあったんですけど、
 そういう火の点き方をする選手がいないんですよね」
天龍「そうだね」
[……中略……]
前田「でも、ホントはプロレスって、天龍さんとか、ハンセンとか、
 そういう連中がいるから面白かったんですよね。なんかうまく手が合って、
 エッチラオッチラやってみせて、面白かったでしょ? っていうだけじゃね。
天龍「そうそう」
前田「それじゃ、ただの演劇。どっかに気持ちを入れないと。なんかねぇ。
天龍「そういうことが起きるのかなと思って、見てるんだから、お客も。
 お互いの力量でそこをまたうまく見せて。
 昔はね、[会社が]売り出そうとしてるアンちゃんが出てきたら、
 先輩だとか外国人がパパッと極めて『動けるもんなら動いてみろよ』
 っていうのが、いっぱいいたのよ。
 そこからしのいでいくと、『コイツ、いろんなこと知ってるじゃない』と思って、
 お互いそこで尊敬し合いながら成立したんだよね。
 馬場さんがよく言った言葉で、『すべてを超えたのがプロレス』って、そういうことですよ」
前田「自分らが若手の頃、猪木さんからも山本さんからも言われたのが、
 『外国人にナメられないようにしろ」と。それは常に言われてましたよね。
 相手にナメられたら、プロレスはできないって。
 山本さんなんか、何があってもケガさせられたほうが悪いって言ってましたから」
天龍「練習をガンガンやってると、自分に自信がつくんですよ。
 試合の中で手応えを覚えると、また自信になってっていう」(P280)


まるで子供の喧嘩だが、男の世界はナメられたら終わりのようなところがある。
だから、米国から帰国した日に、一流スーツを着て、
運転手付きの高級車に乗り、銀座の寿司屋に美女を連れていき、
おつぎは銀座のママ相手に飛行機のなかで読んだ通俗書の通俗処世名言を
さも教養ありげに公開して、「社長さんって立派ね」と言われたがる人もいるのだろう。
一流の人とは身もふたもないことを言えばおそらく俗物のことだが、
わたしが少年時代からあこがれてきたミスター・プロレスは一流であり俗物であった。
しかし、中卒という自覚はしっかりありインテリぶったことは言わない本音の人であった。
前田がいうような「ナマ」の暴力を天龍が相手に入れるのを何度も目撃したものである。
「ナマ」を入れるには自信が必要だが、そのために天龍は一流を必要としたのだろう。
わたしが生まれてからはじめて尊敬するという畏怖に似た感情を抱いた相手は、
ミスター・プロレス天龍源一郎でありました。本書のタイトルは「龍魂継承」――。
龍魂は当方にしっかり継承されている。いまでも思うさ。あんなおっさんになりてえ。
むかしからの友人からは政治ネタでも書いたらブログアクセス数がアップして、
メジャーデビューに近づくんじゃないかとふざけて言われたけれど、
スーパー権力者の自民党の二階俊博幹事長。
創価学会の公明党候補応援、選挙演説中にヤジられてキレたらしい。
どっちもいいじゃん。ヤジるのもいいし、キレるのもいいし、どっちも熱い。
本気だ。いい。もっとやれ。もっと、もっと、モア、モア。
先日、公明党拡声器大正義演説に
わたしが「うるせえ」とヤジったときにはなんの反応もなかった。
特技はヤジと書いたら品性を疑われるだろうが、
こちらは小学生のころからひとりで後楽園ホールのプロレスに通っている。
むかしの後楽園ホールのヤジとか、すげえうまかったんだなあ。
おれはそれを正統的に継承しているヤジの貴公子と言ってもいいくらい(笑)。
さすがにベテランレスラーはヤジれなかったが、
WAR興業の大谷と折原の試合なんかおれのヤジで盛り上げたようなもんだから。
「顔をはれ」とあおるわけ。
一般常識上、胸へのチョップはできても、顔をひっぱたくなんて、
おなじ会社の人でもできないところを、他団体の大谷と折原に「顔をはれ」。
まあ「もっとやれ」ということだ。もっと熱くやれ。
それに大谷も折原もこたえてくれた。
わたしのヤジは30年まえの後楽園ホールじこみだからうまいぞお。
公明党のウグイス嬢なんか震えあがったことだろう。
後楽園ホールはおれの母校だが、金のない立見席客がならぶ階段がある。
その階段の落書きがきたねえの。ホモだのレズだのヤオだの。
あれは2ちゃんねるの原初形態だといまでは思う。
おれは成績の悪い少年時代に後楽園ホールで鍛えられたと思っている。
中学2年生までは劣等生だったから。
どれだけプロレスに救われたか。後楽園ホールが学校だったか。
天龍源一郎が先生でありました。テンリュー、テンリュー♪
「革命終焉」(天龍源一郎・嶋田まき代・嶋田紋奈/辰巳出版)

→プロレスラー天龍源一郎は奥さまのまき代さんの作品だったんだなあ。
天龍を知らなければわけがわからない本だろうけれど、
大ファンだった当方としては涙が出るほど笑える裏話満載の本である。
天龍は本当にバカっていうか、生活能力ゼロというか、
損得計算をできない漢(おとこ)だったようである。
そしてそしてタバコとパチンコがなにより好きだったという、
まき代夫人は京都のでっかい土建屋のお嬢さんだったとは。
まき代夫人のお母さまはラウンジ(豪華クラブ)を経営していて、
まき代さんは天龍と見合い結婚するまえそこで働いていて、
当時で月収百万円以上あったとか、
天龍のギャラを知ってあたしより少ないの? と思ったとか金の話はおもしれえ。
天龍は男を気取るというか、とにかく金使いが荒いのは知っていたが、
あれは自分のギャラでまかなっていたわけではなく、
巡業中に奥さまが実家で稼いだ金をそうと知らせず渡していたとか美談すぎる。
とにかくまき代夫人がおもしろすぎる。
この奥さまがいなかったら天龍源一郎は大成することがなかったのは明白だろう。
嶋田一家で天龍源一郎という夢を創っていたんだなあ。
まき代さんは生活能力のない天龍に金を工面しつづける。

「それもこれも「天龍源一郎を一等賞の男にしたい」という私の願いからです。
私の中では「前後左右を考えないで、お金を使える」
というのが一等賞の男なんですよ。
馬場さんだって、ちゃんと考えてお金は使っていました。
もちろん天龍だって考えて使わなければならないんですが、
そこに私の変なこだわりがあるんです。
昔は「あんた、相撲の世界に入ることになって13歳で福井から出てきたとき、
何を持っていた? カバン一個でしょう?
だったら、何もかも失ったとしても一緒じゃない。稼いだときに全部使っちゃえ」
と夫を焚きつけておりました。今となっては反省しております(笑)」(P119)


天龍源一郎は男のなかのチョーかっこいい男だったが、
あれはまき代さんのアニムス(理想男性像)だったのかあ。
男は女を「女にする」のと同様、男は女に「男にされる」面がたぶんにあるのだろう。
いまの結婚はあいつの年収はいくらでこっちはいくらでとかみみっちすぎるぜ。
いい女と出逢えば、男はいい男になるのか。男を立てる女なんだなあ、まき代さん。
金銭感覚がおかしいとおもしろい人生を送れることを本書で学ぶ。
天龍がSWS(メガネスーパーのプロレス団体)に入ったころ、
ちょうどバブルということもあり大金が舞い込んできたらしい。
天龍はかっこいいバカだからその金をどう使うか。
またまた妻のまき代さんの述懐。

「それにしても、SWSに移ってお金を持った天龍はもう……ダメでしたね。
本当に計画性のない人だなと思いました。
銀座のお店に飲みに行って、1万円札を鷲掴みにしてバラまいたり、
喜んでいるホステスの胸元にお札を入れたり、
面識のないホステスにタクシー代として何万円もあげたりしていたようです。
その頃、ウチの弟がよく同行していたので、
それを一部始終目撃して「おかしいよ」って怒っていましたね。
そんな話を聞いても。
「別にいいじゃん、自分の身体を痛めて稼いだお金なんだし」
と言っている私もいました(笑)。
あの時期、私も株に手を出して、○千万も損してしまったこともあります。
この資産を少しでも増やそうと、下心を出してしまったんですよ(笑)。
もともと株は好きで、天龍がSWSに行く前から金額は少ないながら、
ちょっとやってはいたんです。
その頃は紋奈[娘]も小学校に行き始めて時間がありましたし、
SWSからお金が入ってきちゃったので、つい「注ぎ込んじゃえ!」と(笑)」(P118)


天龍源一郎と嶋田まき代は最高にして最強の夫婦だよ。
だれもあんたらには勝てねえって。
天龍の計画性のなさ、金銭感覚のおかしさは、
大ファンだから変な影響を受けているかもしれない。
わたしは天龍が全日本プロレスで革命を起こしたころからのファンだが、
あのころ天龍のギャラは1試合5万いかないくらいだったのか。
にもかかわらず、試合後はおなじ天龍同盟メンバーやマスコミ記者たちと
酒を求めて夜の町を彷徨(ほうこう)して大いに盛り上がり、
当日のギャラ以上に散財していたとは恐れ入る。
そりゃあ、おごられたらマスコミ記者たちも天龍を記事でほめて、
さらに全日本プロレスに客が入るからものすごい好循環ができていたのだろう。
社長の馬場さんもときに10万単位で天龍にお小遣い(飲み代)をあげていたのも、
経営者のマスコミ対策という以上に、
あるいは天龍の当時のおもしろさを理解していたのかもしれない。
天龍はマスコミに金を渡せば悪口を書かれないということを
計算してやっていたわけではなく、おそらく仲間意識から遊んでいたのだろうが、
当時ライバルだった(酒を飲まない)ジャンボ鶴田はおもしろくなかったことだろう。
マスコミは後輩の(敵対している)天龍の魅力ばかりアピールするのだから。
馬場さんだけではなく、奥さまのまき代さんも、
夫の遠征中は実家のラウンジで稼いで、天龍源一郎を男にすることに貢献していた。
天龍自身はといえば、どうしてこんなにお金を使っているのになくならないか、
さほど不思議に思わず、まあいっか、と計画性もなくやっていたのだから、
バカというか天才芸人というか。

しつこいが、男は女が創るもの。男は女が立てるもの。
プライベートの嶋田源一郎ってどんなお父さんだったのだろう。
お嬢さんである紋奈さんは子どものころの想い出を語る。
あの天龍がお嬢さんの運動会や授業参観に行くこともあったらしい。

「……学校にヤ○ザみたいな柄シャツを着てきちゃうんですけどね(笑)。
どう見ても、あれは普通のシャツじゃない。カタギじゃないですよ。
父は芸能人のようにプライベートで帽子を深く被って変装するといった細工はしません。
もう、そのまま「ザ・天龍源一郎」という感じで立っている。
でも、あれを選んでいるのは本人ではなく母ですから。
「こんなシャツ、よく買うな~。捕まるで!」
というようなシャツをあえて選び抜いて買ってくるんです(笑)。
しかし、あのセンスは独特ですよね。
巷(ちまた)では「天龍ファッション」と言われたりしますが、
私は陰で「まき代チョイス」と呼んでおります。
私が大きくなってから母と一緒に父の服を買いに行くと、よく喧嘩になりますよ。
私が「その柄はうるさいよ」と注意しても、
母は「明るいほうがいいじゃん。派手なほうが気分も晴れるし」
と言って、まったく聞く耳を持ちません(笑)」(P96)


プロレスは泥臭いゲスな噂話が最高におもしろいよねえ。
女子プロレスラーのNを女にしたのは冬木だとか、前田もやったとか、
橋本も食った自慢をしていたとか。
冬木は死ぬまえに橋本とプロレス的にからんだが、
冬木の死後に未亡人が橋本と不倫関係でくっついちゃったとか「ザ・欲望」(笑)。
ああ、本書で知ったが理不尽大王の冬木はむかし吃音だったらしい。
噂話をつづけると、北朝鮮でNとブル中野、飯塚と豊田が一戦を交えたとか本当かどうか。
健介と北斗が北朝鮮でっていうのは本人たちも告白しているからガチでしょう?
猪木さんは周囲に奇縁をつくりまわるというか、神さまみたいな人だよなあ。
むろん単純ないい神さまではなく、どこか邪(よこしま)な神さま。
わたしは猪木や馬場よりも、ふたりに勝った天龍源一郎が好きなのではあるが。
天龍もLLPWの社長と、なんとかかんとかとか、耳にした記憶があるような、ないような。
嶋田家はおもしろすぎて、天龍はお嬢さんに自身の女関係まですべて話しているという。
中学時代は不登校も経験したレボリューションな嶋田紋奈さんいわく――。
紋奈さんは「天龍プロジェクト」の代表でもある。

「そんな父によく言われているのが
「俺のほうが確実に先に死ぬんだから言っておくけど、
俺が死んだときに絶対に好き勝手なことを言う奴がいると思う。
だけど、お前が俺の真実を全部、後世へと伝えていく人間になってくれ。
俺が誰と付き合っていたとか、どんなお姉ちゃんがいたとか、
ここに住んでいたとか、全部お前に話しておくから」と。
仕事への行き帰りの車の中などで、そんな話を全部教わっています。
父と息子ではなく、父と娘の関係ではかなり珍しいですよね?
普通の娘さんならば、父親の女性関係、浮気の話は
「お母さんというものがありながら!」と激しく怒るんでしょうが、私は全然平気です。
むしろ何でも話してくれるのが嬉しいぐらいですね。
確かに母は苦労してきたと思いますが、やはり父は人に見られる商売ですし、
実際には家に帰ってきて家族も大事にしてくれていたわけですから。
「男なんて、そんなものだろう」、
「レスラーなんて、みんな悪いことしているんだろう」ぐらいの感覚ですよ」(P209)


人気商売の男は浮気なんて当たり前という常識がいまは非常識になっている。
紋奈ちゃんは大好きだったカシンとやったのかなあ、うふっ。
紋奈代表もおもしろすぎるというか、WAR時代のグッズ販売が濡れ手に粟だったことを、
そこまでばらしていいのかというレベルで白状している。
おいおい、グーパンチうちわや天龍目覚まし時計を買った、こっちの気持にもなれ(笑)。
天龍の盟友・阿修羅原はだらしない天龍を百倍くらいダメにしたいい男だったようだ。
原の借金っていくらだったんだ? 原はどんなふうに金を使ったんだよ。
阿修羅原の引退試合を見て涙したこちらとしては、
その破天荒ぶりが気になって仕方がない。
ヤクザとか大学教授や医者、弁護士なんかよりよっぽどかっこいいよなあ。
銀行員なんかよりチンピラのほうがかっこいいという当方の価値観の乱れは天龍ゆえだ。

ほのぼのとした話も紹介しておこう。
京都の大手土建屋の、パチンコとタバコが好きな商業高校出身の、
しかしとびきり美しいお嬢さんとお見合い結婚した天龍は、
新婚時代の想い出を語る。亭主関白というか、ひどい男なんだが、天龍はいい。
ふむふむ、結婚する幸せはこういうところにあるのか。
天龍源一郎の言葉である。

「結婚は、食事の面でも大きく変化がありました。
一番最初にまき代が料理を作ってくれたときのことは憶えています。
何を作ってくれたかは忘れてしまったんですが、俺がポツリと発した言葉が
「どうしたら、こんなマズい料理が作れるの?」でした。
彼女は「えっ……」という表情をしたまま固まっていましたね。
それから彼女は必死に料理を勉強したみたいで、
いろいろなメニューを覚えては作れるようになってくれました。
最初に俺が味見して、厳しい言葉でカマしてやるんですよ(笑)。
今でもたまに作ってくれますが、
まき代のニンニクの味がする鶏のカラ揚げが大好きでした。
50~60個も作ったカラ揚げをテーブルに置いて、
ビールを飲みながらムシャムシャと食べて、それがなんだか幸せでしたね」(P44)


嫁さんにカラ揚げをがんがん作ってもらいながらビールを飲むというのは、
たしかにそう悪いもんではなさそうだなあ。
自分はふんぞりかえって女から料理を作ってもらうとなんか嬉しいよね。
天龍源一郎からは強い影響を受けているんだけど、
ロレックスの時計をはめたいとか、ベンツに乗りたいとか、
銀座のクラブで札束をバラ撒きたいとか、
そういう一流コンプレックスは引き継いでいない。
パチンコとタバコが好きなきっぷがいいおねえちゃんとは一生縁がなさそうだし。
しかし、計画性のなさと北向き(ひねくれ)加減、浪花節みたいなものは継承している。
この本で知ったが、天龍源一郎は営業をしたことがないという。
全日本を辞めたのも社長の武藤のやりやすさのことを考えたからで、
馬場元子は給料もそのままでという方針で武藤に引き継いだらしい。
全日本もWJもハッスルも、営業はしていないらしく、依頼がまずあったらしい。
大物プロレスラーって馬場、鶴田、藤波以外、みんな山っ気があるというか、
計算しないで金を使っちゃうタイプが多いような気がする。見栄っ張りというか。
だが、奥さんがしっかりとした経済感覚を持っていると、なんとか持ち直すというか。
天龍源一郎もまた金銭感覚が狂っていたが、
まき代夫人が少なくとも天龍よりもましだったからうまくいったのだろう。
しかし、損得や計画性を無視したほうがおもしろい人生を送れる可能性が高い
――天龍源一郎から学んだことである。
本書の最後で天龍は自分が見えていないひでえことを言っているが、
嶋田家の三人はおもしろい。

「俺もよく金銭感覚がぶっ飛んでいるなどと言われますが、
さらにその上を行くのが女房のまき代なんです。
紋奈には、くれぐれも真似しないで欲しいものですね(笑)。
結婚してもう33年が過ぎますが、今でも俺は
「天龍源一郎の嫁は、世界中でまき代にしか務まらない」と思っていますよ」(P242)


WARの経理をやっていたのはまき代さんで、あれは嶋田家の持ち出しだったとのこと。
天龍が新日本で高額のギャラを稼いできて、それをWAR運営にまわすという。
それを考えると、たしかに嶋田まき代さんの金銭感覚もぶっ飛んでいる。
いまはなきプロレス団体WARは大好きで、よく通ったものである。
天龍いわくWARは――。

「ただ、WARが大きな団体と違うのは、「お客さん第一」で、お客さんが喜べば、
もう何でもアリと腹をくくっていた部分です。それはSWSの頃に
「大規模だけど、楽しくないプロレス」
というものをファンに提供してしまった反省と後悔からですよ。
だから、WARでは「とりあえず楽しければそれでいいや」
という点を優先的に考えました」(P134)

「[WARは]こうなったら好きなことをやってやろうという開き直りみたいなものです」(P148)


マイナスにマイナスをかけるとでっかいプラスになるようなことが、
男女関係や人生ではままあるということを実例としておもしろおかしく学んだ。
おれが大好きだった天龍源一郎の陰のプロデューサーはまき代夫人だったのかあ。
パチンコとタバコが好きな商業高校出身の京都のお嬢さまに、
おれは一杯食わされたというか、いい思いをさせていただいたことをいまごろ知る。
生活能力のないだらしない嶋田源一郎を、
「風雲昇り龍」ミスター・プロレス天龍源一郎に仕立て上げた、まき代夫人、お見事でした。

「がんと仲良く暮らす」(ひろさちや・佐藤昂/春秋社)

→佐藤昂というエリートサラリーマンは、ひろさちやの義弟(妻の夫)らしく、
がんになったことをなにか特別なことのように考え、
どんなコネを使ったのか2冊闘病記を書き周囲に配り、
ぜんぜん反響のないのがさみしくなったのか、
有名なひろさちや先生に共著をお願いしたらしい。
佐藤昂はがんになったおかげで安っぽい自己実現のようなものを果たしたと満足げだ。
「がんでもいきいきしてるおれってすごくねえ?」
と周囲に負けたと思われたくないエリートが息巻いている感じが不愉快だった。

数ヶ月まえ原因不明の吐き気があり、胃カメラとCTの検査を受けることになった。
病院の受付で、これ、ひょっとしたらがんもわかっちゃいますか? 
と聞いたら笑顔でイエス。
かといってすぐ検査を受けられるわけではなく2週間後に胃カメラ、
3週間後にCTって感じだったかなあ。不安で狼狽(ろうばい)したものである。
がんかもしれないなんて恐怖で凍りつくじゃないですか?
末期がんだったらラッキーだけれど、初期のがんだったらめんどうくさい。
なまじ近藤誠医師のがん放置理論とか知っているから、がんだったらどうしようと。
知らないほうがいいことってあるよねえ。
自分ががんであることとか、近藤誠医師のあれも知らないほうが幸せ。
結局、逆流性食道炎だったわけだが、いまも吐き気があるけれど、
病名もわかっているし、たぶんもっとも強い薬をのんでいるし、
これ以上できることはないとわかっているから以前のような不安はない。

受賞歴ゼロだが長寿の仏教研究家のひろ氏が、
受賞歴多数でストレスに殺されたような元文化庁長官、河合隼雄の言葉を引用している。
孫引きさせていただく。

「癌(がん)の宣告を受け、手術不能と言われてから、
医者の予想に反して長く生き続ける人があることは、
最近よく知られるようになった。
このような点を研究したあるアメリカの心理学者は、興味深い結果を見出した。
つまり、癌の宣告を受けて、まったく気落ちした人は早死にする。
それと同時に、何とかこれに負けずに頑張り抜こうと努力する人も
早死にすることがわかったのである。
それでは、長命する人はどんな人であろうか。
このような人は癌に勝とうともせず、負けることもなく、それはそれで受けいれて、
ともかく残された人生を、あるがままに生きようとした人たちだった」(P95)


ひろさちや先生の本から河合隼雄の言葉を引用するのは
さすがに失礼余りあるので、ひろ氏の言葉も拾いたいが、
なにか媚びているような気がしていやなので、
ひろさちや氏の知り合いのドイツ人が言ったという言葉でも引っ張っておくか。

「いいか、友人というのは、
そいつのためなら自分の命まで投げ出すことのできる者を言うのだ。
だから、友人は一生に一人か二人しかできない。
場合によると、友人なしで終わることもある」(P6)


いつのまにか40歳を超えてしまったので訳知り顔で言わせてもらうが、
男と男、女と女というのはぞんがい友人になれないのではないか?
仲間や師弟にはなれるけれども、友人にはなれない。
なぜなら同世代の同性だとどうしても競争になってしまうところがあるからである。
どっちが稼いでいるかとか、どちらが美しいかとか、持っているブランド品の数とか。
わたしは幸か不幸かがんではなかったが、
いまがん闘病中の人に激励の言葉を送らせていただく。
がんばれ、がんばれ、がんに負けるな、あきらめるな、がんに勝て!
がんになると仲間が増えそう。仲間は励まし合うのが好きだよねえ。
ちなみに友人の少なそうなひろさちや先生は、
仲間依存症、師弟依存症のようなところがある創価学会を嫌っておられる。
友人もシンパも多かった河合隼雄は創価学会と極めて良好な関係であった。

今回はたまたま公明党だったが、
選挙の「国民の声を聞く」という拡声器の大演説ほどの矛盾はめったにないよね。
「うるさい」という国民の声は、
公明党だけではなく、どこの政党も聞かないわけだから。
なぜなら自分たちは正義だから。
いまは騒音過敏症はかなり軽減したが、
むかしは共産党関係とだいぶ言い争ったなあ。
あいつらの特徴は名乗らないし、責任の所在が明らかではない。
話し合おうとしても、連絡先がないというのが共産党系拡声器軍団。
何度拡声器で正義顔で大演説している共産党関係者と口喧嘩をしたか。
すべて、むかしもむかし、10年近くまえの話である。
「うるさいからやめてください」
「われわれは正義の話をしているんだから、聞いていけ」
この無限ループ。あとは囲まれて、ときには胸ぐらをつかまれる。
だれも名乗らない。連絡先も言わない。写真を撮ろうとしたら携帯を壊そうとしてくる。
わたしは共産党系匿名集団から「正義」の現実的意味をむかし文京区で教わった。
今回の衆議院選挙でだれが大儲けして、だれが没落するのだろう。
少しでもいいから、おこぼれがほしいと書けるほどわたしはあのころから強くなった。
正義なんて信じない。
なにがどうなるかなんてわからないんだなあ。
太田あきひろの選挙カーがうるさかったから、
ケチをつけようと思って氏のブログを読んだ。
ご存じでしょうが、政治にはまったく興味がなく太田あきひろという名前も知らなかった。
ブログを読むと、献身的にがんばっておられる方だなあと。
いまは70歳くらいが政治家にとっての活躍期なのかもしれない。
政治には生まれてから興味を持ったことがない。
冗談半分で功徳でもないかなあ、と創価学会の公明党にここ数年は入れている。
公明党の太田あきひろが問題視している少子高齢化は、
だれが見てもやばいし、にもかかわらずどうしようもない。
政治家は決して言えないだろうが、あれは保育士や最低時給、雇用の問題ではない。
少子高齢化をどうしたら解決できるのかは、
みんなうすうすわかっていると思うが、高齢者に死んでいただくしかないのである。
そうしたら高齢者が所持していた金銭や利権が、若年世代に渡り日本が活性化する。
いまは高齢者利権がなんの因果か強力になりすぎたのだ。
だれだって利権は手放したくない。
だから日本は高齢者の天下だし、
どうせ選挙に行っても少数派の中年、青年の票は死ぬし、
政党も票目当てに高齢者最優遇対策をあげるから、我われは選挙なんかどうでもいい。

高齢者が行なう高齢者のための高齢者が得をする指向性を持った選挙。
もうこの国ダメっしょ、とアラフォーくらいから下はみんな思っている。
だって、高齢者がいよいよ死ななくなって、さらにさらに長寿を目指しているんだから。
新しい芽は高齢者利権にとって不安要素が高いから、すぐさま摘み取られる。
何度書いてもいいが、少子高齢化対策は、高齢者に死んでもらうこと。
しかし、多数派有権者たる高齢者にだれもそんなことを言えない。
そんなことを言おうものなら投票者は老人だらけの選挙に勝てないし、
そもそも高齢者が威張っている政党から推薦されない。
政治も経済も言論も国家も高齢者が仕切っているこの国で、なにをしたって変わらない。
生き残る道は高齢者からちょっとでも目をかけてもらうしかないが、
その競争の道はこころを病みかねないほど厳しい。
政治の世界ではまだ若い太田あきひろさんにはがんばってほしい。
ふたたび公明党へ一票を入れよう。
まあその支持母体の創価学会こそ高齢者ばかりなのだが。
平均寿命を下げよう――これしか少子高齢化社会の答えはないのだろうが、
そんなことはだれも言えないし、
そういう矛盾をかかえたなかでなにかを少しずつ変えていくしかない。
わたしはそういう腹芸のようなことはできないが、
池田名誉会長の薫陶を受けた若手の公明党議員、太田あきひろ氏には期待している。
彼の百分のいちでもいいからいい思いをしたいが、
それほど人生も日本政治も甘くはないのだろう。
創価学会のブログ記事を書いているときに選挙カーが来たのである。
公明党の太田あきひろの宣伝をしている。
まわっているわけではなく、集合住宅のまんまえで金切声を上げている。
きんきん声の女性で、拡声器の音量はたぶんマックスだったのではないか。
当方は耳栓をしているが、いくらファンの公明党といってもうるさいにも程がある。
ベランダに出て息継ぎのあいまに「うるさいです」と2回こちらは地声で指摘する。
なにやら台本を手に持ち、それを棒読みしている女性はわたしを完全無視。
なんだ、このやろう。
拡声器の「太田あきひろは京大を出て」で息継ぎをしたところで、
おまえのほうがうるさいだろうと言われるのを覚悟で「うるせえ」と全身から怒鳴った。
しかし、無視。いったい創価学会員はどういう精神をしているのだろう。
創価学会は対話を重んじているんだろう?
なら、「うるさい」と言われた時点で、
「ボリュームを下げます」とか「もうすぐ終わりますのでごめんなさい」とか、
「お声が入ったので今日は短縮バージョンで」とか
「あたし、つい熱くなっちゃって」とか、「わたし」の言葉、その人の言葉があっていいだろう。
創価学会の戸田城聖さんや池田大作さんは、
当意即妙でそういうことをするのがすごくうまい人だったと思う。
だから、カリスマたりえたと。婦人部かなんか知らんが、あのババアはなんだ?
台本を棒読みするだけじゃないか。
だれも聞いていないのに、「ご静聴ありがとうございました」ってなんだ?
ご静聴なんかなく、おれが3回「うるさい」って言っただろう。
毎回、公明党に入れてやっているのに、なんだよこれは。

どうにかして太田あきひろの事務所を調べようとしたのだが、電話番号が出て来ない。
ネットで検索すると03-5902-5202が出て来るが現在は使わていません。
先日学会員のおばさんふたりが戸別訪問でくれた太田あきひろのチラシを見ると、
励ます会があるようで、
そこの電話番号03-3903-0321に電話してもこの電話は使われていません。
公明党本部に電話しても、いま混雑しているので出られませんとのアナウンス。
公明党板橋区議会03-3579-2704に電話してもだれも出ない。
やっぱり公明党とか創価学会は怪しいんだなあ、と現実を知り、楽しくなる。
もう1回、公明党本部に電話したら、
しばらくお待ちくださいのアナウンスのあとにようやく学会員に電話がつながる。
ようやく本当の太田あきひろ選挙事務所の電話番号を教わる。
そこに電話して出た老年男性に極めて丁寧に事情を説明する。
こちらの本名も住所も名乗ったうえで、あの選挙カーの学会員はだれか教えてください。
なぜならどうしてわたしの声を無視したか問い質したい。
公明党の対話ってなんだ? と質問したい。
公明党本部の電話は録音していると事前通告があったから、
わたしの書いたことにそれほどの嘘はないと思う。
再生して聞き直していただけたらわかる。
しかし、公明党=創価学会はあの学会員がだれだったか教えてくれないんだなあ。
17時半にあそこで拡声器で正義の大演説していた女性はだれか
――そのくらいすぐにわからない政党に国政を任せられるのか、
と言った皮肉は言わない。
しかし、あの正義のババアはふざけていたなあ。
でも、学会婦人部なんて台本を朗読して正義を気取るくらいしかできないのかなあ。

わたしはつぎも公明党に入れるけれど、なんか現実を知ってショック。
だってさあ、政治家の選挙事務所の電話番号が、
いくつも問い合わせを経ないとわからないなんて。
電話番号くらい責任の所在として弱小ブログ「本の山」でさえ公開しているのに
(土屋顕史080-5188-7357)、大御所の政治家先生がねえ。
ちなみにこのブログ記事は(というかほかの記事も)ご連絡があった時点で、
削除してもいいというか、削除にそれほどこだわりはない。
庶民的愚昧正義感はなく、融通は効くほうではないかと思う。
どうせ弱小泡沫ブログでだれにも読まれていないんだから、
言論の自由とかそういうマスコミ正義みたいなものをうたうつもりはない。
でも、わたしもまだまだ元気で、数少ないブログファンはご安心なされたのでは?
公明党の選挙カー街頭演説に対して「うるさい」と怒鳴りつけ、
無視されたことを根に持って公明党本部まで電話をかけるなんて、
むかしのパワーが戻ったみたいではないか?

まだまだやれる!

*何度も繰り返すが、どっかの方面からご連絡がございましたらこの記事は削除します。
わたしは創価学会および公明党のファンをこじらせて自称研究家にまでなりました。
削除できます。削除しないこともできます。
わたしは選挙カーのうるさいウグイスババアにはうるさいが、
ご権力をお持ちでいらっしゃる政治家先生にはペコペコする卑小な人間です。
「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」(近藤誠/アスコム)

→いま医学界が真剣に考えなければならないのは老人をいかに殺すかではないか。
これ以上、長寿老人を増やしてどうするんだよ。
平均寿命を下げることを国家目標としてもいいのではないか。
あんがい人間は定年くらいでぽっくり死ぬのがいちばんさいわいかもしれないわけだから。
寝たきり老人とか認知症で完全にボケた人とか、
それから10年、20年生かしてどうするの?
医療費こそいちばん深刻なのではないか?
このまえ大学病院で胃カメラ(内視鏡検査)をやったら8500円取られた。
いま国保で3割負担だから、国が2万円くらい負担しているわけでしょう?
慶應の胃カメラは痛くないからか老人で大賑わいしていたが、
なかには1割負担の人もいるんでしょう? 国家財政大丈夫って話。
偉いのは医者嫌いで病院へ行かないのに国保や社保を払っている人だよね。
病院に行っている分際で言うのは問題かもしれないが、
国保は収入に比して高すぎると思うし、
それが80、90の老人の高額検査代に使われていると思うとげんなりする。

本書を読むまえから知っていたが、むかしの高血圧の基準は160で、
それがだんだんと140、130と大した根拠もなく下がってきて、
自覚なき病人が大量発生し、関係薬品が大量販売され、
病院も医薬品会社も大儲けしているという。
それはそれで医薬品会社は国に税金を払っているからかならずしも悪いとは限らない。
裏では賄賂(裏金)が横行している事実も、なまの声を耳にしたが、
まあ、世の中そんなものだろう。
血圧を下げると欧米人の脳疾患率がわずかに下がるというが、
日本の場合、脳をやって倒れてぽっくり死ねたらいいが、
どうせ人命尊重の名のもとに救急車が来てしまい、
半身麻痺とか生きているのが苦痛な状態になることも少なくない。
わたしは意識不明で倒れたらそのまま死なせてほしいが、
国民の良識がそれを許さないだろう。
血圧の薬はいちおう服用しているが、だったら薬をのむなというご意見もあろう。
しかし、近藤誠医師によると、
血圧を薬で下げていると早死にするリスクが高まるというデータもあるらしい。
早死には望むところだから、
血圧の薬をのんでいるという矛盾したクルクルパー世界である。
コレステロールも薬で下げると早死にするリスクが高まるようだが、
毎回採血をする費用と鬱陶しさ、コレステロール改善薬は
ジェネリックでも高いという話を聞いているのでそっちは放置でいい。

最新機器で検査をするといくらでもがんは見つかるって怖すぎないか?
がんなんて最後まで知らないでいるほうがいいという考えのものもいよう。
しかし、がん保険に入っていたら、こまめに検査をしたくなる気持もわからなくはない。
著者は糖質制限食に否定的のようだが、これも人それぞれだろう。
糖尿病が本当に糖質制限でよくなるのなら、したいものはすればいい。
しかし、健康な若者がダイエットやらを目指して、
好きなパスタもパンも食べないというのは、せっかく生を享けた幸運を無駄遣いしている。
薬を5つ以上のむと危ないと近藤誠医師は書いているが、
うちの父は20近くのんでいるのではないか。プラス怪しげな健康食品である。
当方も5つは超えているが、新たな実験みたいで、
どうなるかわからないから楽しいという考え方もできなくはない。
著者の年代上、しようがないのはわかるが欧米礼賛には閉口する。
欧米人と日本人を、おなじ人間だからと安易にひとくくりにしていいのか。
近藤医師は欧米のデータをよく証拠として出すが、どこか権威主義的で愉快ではない。

実際は本当のことを書いたら医療は半分程度しかわかっていないのだろう。
近藤誠医師の言うことがぜんぶ正しいわけではなく、まあ半分くらい傾聴する価値がある。
従来の医学が完全に間違っているわけではなく半分以上はそうするしかないのだろう。
近藤誠医師は、医療者はなるべく患者に身体的接触を試みたほうがいいと書いている。
そのほうが患者は安心するからだというのが理由。
これは当たっている面もあって、
わたしも昨夏熱中症で倒れて激痛で救急車で病院に運ばれたとき、
死ぬほど痛かったのだがナースさんが激痛箇所を触ってくれるだけで、
わずかではあるが痛みがやわらいだのには驚いた。
はじめての胃カメラで不安だったとき、
ナースさんが「大丈夫」というようにポンと肩を叩いてくれてどれだけ慰められたか。
しかし、わたしは聴診器が嫌いである。
いやがってもする医師はいるが、気づいたら最近あの女医はしなくなった。
これは精神科医の春日武彦先生の私小説に書いてあった話だが、
むかしある病院で自殺予防のための握手推奨というものがあったらしい。
どうでもいい当方の話をすると、人と握手をするのは嫌いである。
で、春日先生が自殺未遂をした女性患者と握手したら、
それもきっかけのひとつとなり、
心を病んだ女性から転移感情(疑似恋愛感情)を持たれて迷惑したという。
医療において絶対的に正しいことはおそらくなく、
基本はあってもそれぞれケースバイケースで、
患者と医師がお互いの相性を探りながらふたりで医療行為を創作していくのが、
ネットで医術や投薬の裏事情がかなりばれた現代における、
医療サービスの新たな指針のようなものになるだろう。



*ちなみに創価学会は組織としては近藤医師のがん放置療法に反対している模様。
学会員だったら病気なんて医者にかからず信心で治せと言いたくなる。
そもそも信心が足らないから、そういう病気にかかるんだよ。
池田名誉会長は信心のおかげで、
いまでも20代の若さと元気をお持ちとある筋から聞いた。
学会員で病気になるやつは信心が足らねえんだ。
池田名誉会長は「現証」を出しているではないか? 「師弟不二」の信心を忘れるな!
楽天ファンになって暇だから宣伝メールを見てみるとけっこう業務用の食材がある。
楽天のみならず、業界にはレンジでチンとはいかないまでも、
揚げるだけとかいうかんたんな冷凍食品がコストも安いぶん広まっていると思う。
まあ、それをできないのが市場から即日直送の刺身なのだろうけれど。
むかし行ったある板橋本町の居酒屋で店主に聞いたら、
料理はほとんどみんな板前さんお手製ということで驚いた。
だから、お客さんが入っているのかなあ、とも。
しかし、豚の角煮を注文したら、
手作りらしいのだがセブンイレブンに味も価格も負けている。
これはわたしの舌が偽物なのかもしれない。
というのも、店は「現証(結果)」として黒字になっているわけだから。
そこはかなりの手作り主義らしく冷凍やインスタントはほとんど使用していないという。
板前さんはたいへんだなあと思う。
安易な考え方をしたら業務用一括インスタントのほうが、
むしろ大衆受けして安くておいしいものもきっとあるわけだから。
本物と偽物ってなんだろう? 
お客さんがおいしいと言ってくれたら、かならずしも本物というわけではないという現実。
しかし、手の込んだ原価率の高い本物ばかり店で出していたら赤字になってしまう。
ブログ「本の山」は商売でもなんでもないが、いちおう本物志向である。
いま売れているだけのインスタントな書物の感想文は出したくないと思っている。
結果、評価は最悪。
コメント欄は気味の悪い罵詈雑言が並び、広告収入は月百円かそこら。
公明党の今回のアピール文「政治は結果。」からしたら、
10年以上も現証(結果)がまったく出ていないうちのブログは偽物でインチキなのだろう。
自分が本物と思っているところの原材料(書籍)を自分で掘り当て(仕入れ)、
自分がおいしいと思うように料理(書評)しても、
お客さん(読者)は喜んでくれないし評判は最悪で売上は毎月赤字。
いくら「持ち出し」をしたのかもわからないほどマイナスは高額になっている。
およそビジネスというものをできない、商売感覚の欠損した無能な人間なのだろう。
当面、辞めるつもりはない。結果という意味の「現証」は最悪である。
派遣が搾取されているのはわかるし、正規雇用のほうがいろいろいいのもわかる。
なんで派遣なんかやってんのか自分でもわかんない。
ちょっとでも安定した仕事に就いて、
ぶっさいくで小生意気な女に、
土下座でもなんでもして嫁はんになってもらったほうがいいのもわからなくはない。
今日派遣先で今日だけの上司だったのは、所長という肩書を持った43歳のNさん。
いかにも好人物で押し出しもよくほがらかで、
まさに優秀な人の見本という感じの人だった。
指示も的確で模範的な社会人といってもよい。
仕事中におそらく奥さまからだろう。
「パパどうする?」というかわいらしい女性からの電話がかかってきていた。
なにか緊急な用事があったのだろう。
優秀なため日本全国を飛び回って仕事をしているらしい。購読しているのは日経新聞。

3人で仕事をしたのだが、もうひとりの派遣はNさん37歳。
この方とは2年ぶりの再会となる。
世間的な価値観からしたらあまり優秀とは言えないのかもしれない。
37歳、高卒でいまのところ6年派遣、実家暮らし、働くのは週4日。
しかし、明るいし、妙な屈折はないし、当方よりもよほど好印象だろう。
わたしのことはさておいて(卑怯なのはわかっている)、
43歳所長と37歳派遣を比較すると明らかに所長さんのほうが優秀なのである。
しかし、どっちが幸福か考えるとわけがわからなくなる。
日本全国を飛び回っている家族持ちの優秀なサラリーマンと、
週4日しか働かない実家寄生の独身派遣。
わたしなんか今日1週間ぶりに働いていて、ああ、いい汗をかいた。
いんちきビールがうまい。
茨木の県庁所在地は水戸だったのかあ、
と小学生でも知っているようなことを高卒の年下に教わり、
いい勉強になったとかふざけている41歳の人間のクズ。
だから、だろう。
43歳所長と37歳派遣のいったいどちらが
生活から幸福感を味わっているのかわからない。
37歳派遣は休日は地元の友人と遊んでいるという。
43歳所長は優秀だが、そのぶん責任ある仕事を任され、ストレスも多いような気がする。

根っからの能力の相違というものがある。
おそらくわたしは43歳の模範的社会人になるのはとうてい無理だが、
少しくらいなら近づくことができるような気がする。
たぶんそのポテンシャルは37歳派遣のNさんよりは高いだろう。
上から目線が失礼なのはわかっているが、年上だから年功序列と許してよ。
41歳でも必死でサービス仕事に励み、上に媚び、愛想を良くし、
人間改造に努めたら契約社員、運がよければ正社員になれるかもしれない。
それでも三流社員だろうが、
それでも四流、五流の訳あり女性は嫁に来てくれるかもしれない。
しかし、そんなくそったれな人生を目指して粉骨砕身すべきなのだろうか?
適当に生きて適当に死ぬのもあんがい幸福なのではないか?
このまえの派遣先、パチンコ会社で話した人は43歳で派遣。
家賃2万7千円のところに住んでいたが、
ひょうひょうと生活を楽しんでいるようだった(読書とテレビゲーム)。
彼はきつい仕事やめんどうごとから逃げるのがうまく、
ほほう、さすが社会ずれしているなあ、と感心したものである。

いったいどうしたらいいんだろう?
社会的可能性のようなものがまだ砂金レベルであるから迷ってしまう。
43歳の好人物の模範みたいな所長さんを目指すのもいいのだろうが、それが幸福か?
日経新聞なんて聖教新聞より読みたくないと思ってしまうほど根性が腐っている。
なんかーさ、仏典とか読んで浄土の存在を信じて早死にしたほうが、えとあのその……。
派遣なんかしていないで、
もっと経済的効率的に「正しい」ことをしろというご意見はもっともだ。
わからないのだ~よ。
いっぱい(さほどではないというご感想もあろう)本を読んでわかったのは、
なにもかも「わからない」こと。
なにが善でなにが悪だか、なにが損でなにが得だか、41歳になってもまるでわからない。
今日だってべつに2年ぶりにNさんと再会してことさら悪い日だったというわけではない。
毎日Nさんと逢いたいかと聞かれたら、それはそうではないけれど。
一期一会でもう逢うことはないと思われる所長さんの、
いかにも優秀(ぶったと書いたら失礼になろう)
といった感じの好印象も忘れることはないだろう。いい想い出ができた。

(追記)所長さんは俳優の佐藤浩市に似ていた。
同僚派遣のNさんはふざけてゴキブリに似ているといったらふざけて怒られた。