しつこいが40まで生きるなんて信じていなかったからいまは余生。
なにかあるとすれば、知りたい。
人間の本当の喜びや悲しみを知り、
それをどういう形であれ(フィクションでも)書きたい。
書きたい。書くために知りたい。人間の喜怒哀楽を。人間の美しさを醜さを。
わたしはなにかを書きたい。書くためにあなたのことを知りたい。
むろん、そのままむき出しには書かないが、本当の人生というものを知りたい。
カッカしたい。生き生きしたい。
いつ死んでもいいと思っているから、どんな危険地帯にも分け入れる。
「トークセミナー『性愛』大論点」(三枝威彰ほか/小学館文庫)

→各界の成功者が、お互いを立てあってベシャクったところの男女論。
去年ある老嬢から、
自分は男に生まれたかったという話を長々と拝聴させていただく機会があった。
女はダメ。女だといくらがんばってもダメ。女では出世できないじゃない。
苦労人の彼女はバツイチで娘さんを女手ひとりで立派に育て上げた。
離婚の理由は、相手のセックスが強すぎたから。
年下の男だったが夜ごと毎晩、こっちが壊れれしまうくらい身体を求められる。
それが、とにかくいやだった。別れた。
こう語る女性のお嬢さんは商業高校を卒業後、大企業の印刷会社に就職。
仕事一筋、ずっとおなじ会社で働いているらしい。男とは縁がなくいまだ独身。
30代後半大企業正社員。
お見合いをしてみないかというようなことを示唆されたが、
そんな真っ当な人と当方が合うはずはなかろうとこわごわ辞退させていただいた。
なにより、めんどくせっ、というこちらの怠惰な精神が問題だった。

結局、男ってなに? 女ってなに? という問題にいま好奇心を抱いている。
・男は力仕事をしなければならない。しないと男らしくないと非難が集中する。
・男はいい会社に入っていい妻をめとりはらませ、妻子を養うのが義務である。
・男は弱音を吐いてはならず、なにごとも辛抱、忍耐しなければならない。
・女は男をサポートするのが義務で、男の仕事を家事育児雑用で支えるべし。
・女の人生は男で決まる。いかに男に好かれるかが勝負の分かれ目。
・女は男の性的消耗品。おのれの性欲より男の性欲を重んじなければならない。

いまの職場では男性よりも圧倒的に女性のほうが強い。
なぜなら女性はかなりの割合で旦那もちのパート主婦。
お金が必要なのは男女ともにおなじだが、
主婦は旦那の定収入という太いパイプがある。
しかし、男の派遣やメイトはこれで生活していかなければならない。
実家住まいならいいだろうが、ひとり暮らしでこの収入だと貧窮は避けられない。
かような理由で、いまの職場ではババアもといおねえさまが強くなるわけだ。
女はカネの事情に敏感だから、格下と見たら男をなめてかかってくる。
「供給」をやっているとき、短期バイトの気の強そうなおばさんに、
バンバンと番重(お菓子を入れる箱)をたたかれたことがある。
ここのお菓子がもうすぐなくなるぞ、と言いたいのはわかるが、口で言えよ。
おれら「供給」はてめえら亭主持ち富裕ババアの奴隷ではないからな。
「バンバンはないでしょう? 口で言ってください」
と短期バイトのおばさんに伝えたが、意味は伝わらなかったと思われる。
あたしはちゃんとした正社員の亭主も子どもも複数いる正規日本人。
どうせこんなところで力仕事をやっている非正規のあんたなんかたかが知れている。
あんたはサルみたいなもんで、言葉をかける必要はないのよ。
おばさんからは「供給」の仕方もからかわれたなあ。
「供給」には男性陣みんながしている身体に負担がかかる雄々しい(男っぽい)
方法と、これだったらあるいは女子でもやれるかという楽な方法があるのだ。
「あんた腱鞘炎なの?(どうしてみんなとおなじように男らしくしない?)」
と聞かれて、「こうしたほうが楽なんです」と答えたら鼻で笑われたような気がする。

男は男らしくしろよ!

男らしいってどういうことだろう?
力仕事をいやがらずにやって、
嫌いな新人には大声で怒鳴って威張るのが男らしい男なのだろうか?
職場にやたら女から慕われ、
女々しいおれさまを怒鳴ってくる愛すべきパチンカスがいるけれど、
ああいうのが男らしいと女から評価されるのだろうか。
本当の男らしいってどういうことだろう?
男の男たるゆえんは体力や罵声、強靭性にあるのではなく、
むしろ思念にあるのではないか。いわゆる「男のロマン」と呼ばれるやつのことだ。

「……男を支えているのはそうしたロマンチシズムであると思うんです。
負ける、死ぬとわかっていても、
それでも行かざるをえないのが男というかな。
男からロマンをとったら、もう何も残らない。
ただのぬけがら、粗大ゴミそのものだと思うんですね」(P105)


女性ってよくも悪くも壮大なロマン(誇大妄想)と縁がないよねえ。
つねにそれは損か得か、おいしいかまずいかの視点しか持ちえないのが、
女性の愛すべきところであろう。
誤解を恐れずにいいはなつと女性は商品。女性は男性に買われる商品。

「女性には、潜在的に大切にされたい、
自分を安く売りたくないという警戒心がありますよね。
性的な関係をもったなら見返りを得るべきという刷り込みが、
マスコミや親から色々な形でなされているんだと思うんです。
それが結婚という保障であったり、
あるいは単純にプレゼントすることだったりするのですが、
とにかく求めますよね」(P63)


いや、そうではない女性もけっこういることを
わたしは人生体験から知っているのだが、しかし一般的にはそうともいえよう。
いったい女性の性欲ってどうなっているんだろう。
一般的に女は男によって性の歓びを教わることになっているが、
じつはそうではないでしょう?
どんな厳格な家に育った少女も14歳ころおのずから自然に性に芽生える。
公立中学校っておもしろい。
なぜなら、選抜された高校大学と違って賢愚、貧富がさまざまだから。
公立中学校なんて男は顔がすべてである。
クラスの最高権力者だったイケメンが
まじめな優等生の同級生女子にこんな悪ふざけをしていたのをおぼえている。
怖いものがないイケメンは偶然を装って学生カバンを女子の股間に押し当てるのである。
ゆっくりピストンさせる。そのまま無言で押し黙っていた優等生女子。
しばらくしてから「なにするの?」と精一杯粋がって抗議する。
イケメンは「毎晩やっているんだろう」と返した。
成績優秀の女子はまさに顔を赤くしてその場から逃げ出したものである。
当時うぶだったわたしはこのシーンの意味をわからなかった。
しかし、長いこと記憶していたから、決してそこまで純真な中学生ではなかったのだろう。
夜ごといけない、いけないと思いながら、自慰にふけっている女子中学生とかいいよねえ。
よくパンチラする子とかいたけれど、あれはわざとだったのだろう。
修学旅行のときの内輪話で聞いたら、男子はみんなその子に注目していた。
女の性欲は男ほど可視化されていないぶん、それだけおもしろいし関心がある。
性交中、女が気持よがったってそんなものの大半は相手を喜ばせる演戯ではないか。
男が女を落として寝てやって攻略したという満足感もどこかしら演技的欺瞞の香りがする。
本当の快楽は男や女という区分を超えたところにあるのではないかと有名AV監督はいう。
代々木忠の言葉である。セックスにおいて――。

「いや、だから、その〝壊れる”っていう自分は、まだ本当の自分じゃないんですよ。
自分だと思い込んでいるけれども、そう思ってる自分というのは、
じつは「人からよく見られたい」と世間に合わせて作ったものだったり、
見栄やプライドが捨てられなかったりする自分だったりするわけだから、
言ってみれば〝制度の世界で造られた自分”ですよね。
それは、言葉を変えれば〝自我(エゴ)”でしかない。
そうした、無意識のうちに作り上げてしまった、
エゴに隠れている本当の自分自身を解放してあげるのが、
[AV監督という]ぼくの仕事でもあるわけです」(P120)


女は女らしくすべきか? 男は男らしくすべきか?
男は男らしくしろという社会的圧力は異常なほど強い。

「男のほうが、肉体的な刺激や快楽で勝負しちゃってる傾向が強いと思いますね。
女性は心で感じるんだという、本当のところがわかっていない。
男らしさとかSEXの強さという世間一般の概念にとらわれ過ぎているんです。
そういう意味では、男のほうが自由じゃない。
男がカッコつけてたり、強がってるのは結局、自分の弱さを隠しているわけでしょう。
本当はそれを隠さずに出しちゃったほうが、女性は安心すると思うんだけど、
それをわかろうとしない男というのは本当に多いですね」(P131)


かぎりなくインチキくさい宗教学者の中沢新一も本書に登場している。
おれもさ、どっか世界の僻地に行ってね、
そこの宗教指導者と酒でも飲み交わしてマブダチになり箔(はく)をつけて、
日本に帰国してから新興宗教のトップになりたいなあ。
チベットで箔をつけて帰ってきた宗教学者の中沢新一いわく――。
チベット密教の修業はセックスと類似性がある(似ている)。

「チベット密教の方法にも、どこか似ていますね。
向こうでは、瞑想するときに女に変身するんですよ。
それで〝大楽(だいらく)”という状態を作り出すんです。
それは性器は使わないんですが、
イメージの世界で完全に女性の神様になってしまうことで
オーガズムを体験する。ぼくも嫌いじゃないから、その訓練というのを体験して、
いまでもときどきやっているんですが……」(P154)


いまの日本って恋愛(性愛)しかないような気がする。
テレビドラマもマンガも大衆娯楽小説も、主題のほとんどはそれ。
マッチポンプだわな(自分で火をつけて消すこと)。
テレビで恋愛(性愛)バンザイをさんざんやらかして、
その影響を受けた庶民が真似をして、
結果やっぱり数字(視聴率)を取れるのは恋愛(性愛)ものだと大企業も判断する。
大企業も広告代理店もテレビ局も視聴者も
みんな恋愛(性愛)という阿片(あへん/麻薬)のとりこ。
わが人生での最大の後悔は、
インドで何度となくすすめられた麻薬や覚せい剤をやらなかったこと。
落ちぶれたいまなら烈しい恋愛をふくめどんな阿片も吸引する準備ができている。
カモン、カモンの状態なのだが、男はゴーゴーというのが社会規範。
男は男らしくとか女は女らしくとかうんざりだけれど、現実がそうならば従うほかあるまい。



ここ↓のマドレーヌはおいしいから食べて。

北戸田劇場の閉幕は今月28日のはずだったが、
派遣会社から4/3~14まで入ってくれないかというお達しが。
しかも「供給」なしでいいというツッチー特別待遇。
時給を書いたからばれたと思うけれど、採算度外視で働いていた。
あの給料では食えません(前職では食えていました)。
でもまあ、商業演劇以外の芝居は持ち出しでするのが相場だから、まあいっかと。
長い人生で3ヶ月くらいプランタニエ劇を味わうのもいいかなあ。
わたしは精神科に行けばたぶん病名がつくと思うが(残念ながらあなたもよ)、
このブログが職場の人に読まれているのではないかという病的妄想を持っている。
いまの職場の人に伝えたいことをこのブログに書いていたという面がある。
わたしの病的妄想が「正しい」ならば反響がかならず返ってくる。
その反響を意識したうえで読む本を変え、感想文を書いていたものである。
これはおととし働いていた書籍倉庫でやっていたことだ。
わたしはこれを最新演劇だと勘違いしていて、生きている最高の楽しみではないかと思う。
いままでは28日が最終日だったから、この日に燃え尽きてもいいという覚悟であった。
わずかでも人に影響を与えたいし、逆に影響を与えられたい(人のことを知りたい)。
いまの仕事は通勤時間が長いためか合わないせいか前職よりもはるかに疲れる。
でも、休日には老体に鞭打っていま読むべき本をものすごい速さで読み感想を書いた。
読書感想文にはいまの職場体験を入れまくっている。
働いているのか遊んでいるのかわからないという感覚であった。
昨日、同僚から聞いたけれど、わたしの「箱だし」のやる気のなさぶりは評判らしく、
話題になっているほどだという。それでも北戸田から来てくれとお声がかかる。
ツッチーはパンダみたいなもので、
職場の一隅にいるだけでおもしろいという面もあるのかもしれない。
ひょっとしたら生産性や効率性を超えた数少ない特殊作業員になったという可能性もある。

自分の書いたものの反応がその場で見られるという最新演劇は怖いが楽しい。
いま春だからか近所で高時給の仕事がたくさん出ている(受かるかは知らん)。
もう少し採算度外視で人生を楽しんでみるのも、一回きりの人生なら悪くもなかろう。
「仕掛ける」というのは師匠の原一男先生の教えである。
味気ない現実になにかを仕掛けていけ。劇的たらしめよ。
そしてドラマというのは出逢いと別れ。
わたしがいまの職場を去ることでひと芝居が終わる。
予定外の延長にもうまく応えられるのが、いい劇作者なのだろう。
しかし、わたしは作者ではない。
いまの職場のキャスト(演者/役者)、だれひとりにもセリフやト書きを指定していない。
みんな自由に話してくださって動いてくださっていい。
それで全体としてひとつの劇が完成する。
いったいどんな劇ができるのだろう。若い男女がくっついたりすることはあるのか。
みんながいまの自分を変えたいと思っているのはなんとなくわかる。
若い子なんかとくにこのままでいいのだろうかという悩みがあろう。
いまのままでそのまんまで生き生きしよう。笑おう。楽しもう。
労働はかならずしも退屈なばかりではない。楽しい労働だってきっとあるさ。
もうしばらく早起きして朝の埼京線に乗ることが続くのだろう。
早起きは嫌いだが、もう少しならばがんばれる。
以上、壮大な病的妄想を書いてみました。
本当はいま職場の直接雇用グループの契約更新期間だが、
驚くほど更新者が少なくて、とにかく使えない土屋でもいいから仕方なく呼ぶか。
現実はそういうところにあるのかもしれない。
あそこで働くのもあと3日。
今日はわたしなんかにとてもよくしてくれたEさんとのお別れの日だ。
Eさんとはほぼおなじ時期にいまの職場に入った。
65歳のEさんは高倉健が好きだと言っていたが、
思い返してみればどこか寡黙なところがかの名優に似ていたような気がする。
男は背中で勝負するというようなところがあるじつに堂々とした人だった。
目がとても若いのである。そして、威張ったところがまったくない。
男の老人は過去の自慢話をしたがるものだが、
いくら話を振ってもそういう武勇伝は聞き出せなかった。
帰途連れだって帰ることがもっとも多かった。
Eさんは歩くのがとても遅いのである。わけを聞いたら――。
「ゆっくり生きようよ。急いでどうする」
おれ40歳になるのに結婚もしていなくて、
本来なら女子高生の子どもがいてもおかしくないのにと愚痴ってみたら――。
「人それぞれだよ」
Eさんはどっしりしているというのか、
かなりわたしの素のスーパーフリーの部分を出せるのである。
まあ、非常識なことを何度も言った。
怒ることは一度もなく人物だと思ったものである。
結局、プライバシーはあまり聞き出せなかった。
税制や社会のことにびっくりするほど詳しいところがあった。

これから人生どうしたらいいんでしょう、と問うたら――。
人に金を貸すときに必要な資格があるんだよ。
勉強してそれでも取って闇金にでも入ったらどう?
なにがおもしろくて生きているんですか? とかかなりガチのことも聞いたなあ。
お茶目な部分もある人だった。
ある日の帰途、パトカーがサイレンを光らせてとまっている。
なにか事件があったようだ。
缶(第三の)ビール片手のわたしが、
「見ていきますか? 人の不幸っておもしろいよなあ」
と不謹慎なことを言ったら、
「わたしがやりました。わたしが犯人です、と言ってきたら」
と笑いながらEさんは言う。「どう見ても不審者だから」
たしかにまだ明るいのに缶ビールをのみながら歩いているわたしは不審者だ。
一本取られたと思ったものである。
ロッカールームで「もうすぐお別れかあ。さみしい」と言ったら、
「さみしいなあ」と湿っぽく合わせてくれた。
いつかどこかで逢うんじゃないか、とも。
結局最後まで正体不明であった。
そこがよかったのかもしれない。わからないのがよかった。
旅とおなじで派遣稼業はこういう出逢いと別れがあるからよろしい。
もう一生逢わないであろう人との一定期間の交流と別離。
踊り念仏の一遍上人の歌が思い出される。

「をのづから相あふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」
わからないことばかりだが、もっともわからないことのひとつは在日差別。
なんで朝鮮人はニートやホームレスのように差別されなければいけないわけ?
わたしは本当に韓国方面と縁がなかった。
育ちも韓国朝鮮とは縁がなく、
キムチをはじめて食べたのは成人近くだったのではないか。
焼肉屋に入ったことは、大学生時代に父に連れられての1回きりである。
あと3日勤務でフィニッシュの派遣先企業は、どうやら韓国に本社があるらしい。
韓国の物価は知らないが、これも縁だと思い切り、
いままで一度も行ったことのない韓国という国を見てみたい。
どのみち29日以降はフリーだし。
パックツアーでもいいのだが、孤独だしひとりだから、だれもいないから、
パックだと追加料金が数万円かかってしまう。
だれか、おいらといっしょに観光パックツアーに行ってくれないかとも思うが、
そんな奇跡は常識的には起こらない。
わたしが文学に開眼(?)したのは、
大学時代に読んだ在日朝鮮人作家の柳美里の「水辺のゆりかご」がきっかけ。
いま韓国へ行きたい。韓国のリアルを知りたい。
ソウルではなく韓国の田舎にわずかでも滞在したいが、
あんがいまずソウルから入ったほうがいいのかもしれない。
もういいおっさんだし、ガイドがいたらなあ。
いまわたしは韓国に興味がある。おまえに興味がある。
昨日の記事であいさつもしないし、
仕事中に仕事のことで話しかけても無視されるMさんのことを書いたけれど、
恨んでいるとか嫌っているとか、そういうことはない。
あっちにもなんか事情はあるんだろうし、
あいさつをしない人なんていままでいっぱい見てきたし、そういう人もいるか程度。
仕事上の報連相ができないのは困るけれど、
向こうが土屋とは入りたくないと言っているのか、
ほとんどいっしょのラインには入らないし、
なにしろ言葉が通じない知的障害者と働いていた経験があるから、
まあ、そういう人もいるんだろうなあと。

いまの職場に派遣で入ったとき、契約確認書みたいのを書けと言われた。
長所とかいう欄があって、横にいたEさんに、
どうしよう、わたし長所なんかないですよといった記憶があるが、
結局書いた長所は「こだわりがない」――。
横のEさんの用紙を見たら、長所は無記入だった。
もうよわい40にもなると、変なこだわりとか薄れつつあるねえ。
いまは他人のミスを指摘したり、注意するのがとくに嫌い。
他人のミスを目を皿のようにして探し回っていた前職の上司からは、
そんなことでは土屋さんは一生人の上には立てないぞ、
とよく注意された(指導された)。
他人のミスを見つけたら、相手に気がつかせないでこっそり直しちゃいたいほう。
相手が気づくと双方気まずい思いをする。

いまの職場はちょっとやばいというか、いや、どこもあんなものなのだろう。
最初に配られたシフト表より2日よけいに休んでくれと言われた。
ホワイトデーを過ぎると仕事量が少なくなるから仕方がないのだ。
でも、ほら、強制的に休ませたとなると法律的にあれだから、
労働者が自分で休みたいので休んだという形式にするわけよ。
で、休日申請書みたいなものを2枚書かせられる。
ある休み明けの日に、
「はい、土屋さん、これ」と言って社員からある紙を渡される。
自分で休みを申告しましたよというまた別の紙で、笑ったのはサイン欄。
わたしの筆跡ではなく、社員がわたしに成りすましてサインしているのである。

私文書偽造? ってほど大げさなものではないけれど、
え? それはちょっと、
と思い女性社員さんにここは自分でサインをするところではと質問する。
相手が困った顔をしていたから、「まあ、いいです。なんでもないです」と丸く収めた。
そうしたらより職位の高いグループ長さんが飛んできて、理由を教えてくれる、
どうしてもこの用紙を昨日、本社に提出する必要があったけれど、
わたしは昨日休みだった。だから、仕方なくわれわれでサインをした。
実際、土屋さんはおなじような紙にサインしているからいいでしょうと?
かなり大きな声だった。わたしは苦笑しながら「だから、いいです。気にしていません」と。
まえにもサイン欄がすでに書かれていたことが数度あったから、
これはここの社風みたいなものなのかと、そういうものならそれはそれで。
いちいちめんどうや騒ぎを起こしたくないし、どこもそんなものでしょ?

先日、ある銀行から向こうの都合で電話をしてきた。
じゃあ、明日は休みだから16時に電話してくださいという話にまとまった。
そうしたら16時どころかその日深夜まで電話を待ったけれど来ないの。
天下の銀行さまがそれはないよなあ、
と思ったけれどなにか特別な事情でもあったのだろうと、
人生まあこんなものさと受け流した。
逆に相手の気まずさを想像したりして。
わたしだったらそういう電話約束を破ったらかなり気まずい思いをするから。
まえにある派遣会社に二度おなじようなことをされ、
その後担当者に逢ったとき、それほど悪いとは思っていなかったようなので、
そのときはさすがにそりゃないんじゃないの? 
と思ったけれど、そのときも、まあ人間なんてこんなもんさと。
銀行からは翌日に電話。不在着信が入っていた。
その30分後くらいに留守電が。昨日は電話をしなくてごめんなさいだって。

いいよ、許す、許す。最近、本当に他人のミスに寛容になった。
なにしろ自分がけっこうミスをするからね。
それにミスなんて、
南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏の宇宙観から見たら塵芥(ちりあくた)。
こう思っているからかたとえ自分のミスを指摘されても、
(怒鳴られないかぎりにおいて)そこまで落ち込まないようになっている。
ミスを指摘され大声で怒鳴られると委縮してミスを連発するのはメンタルの弱さか。
だれでもそうかもしれないけれど、男女問わず怒鳴られるのは嫌い。
職場でよく怒鳴る人がいるけれど、怒鳴る人は絶対に怒鳴られないのね。
怒鳴る人がなぜ怒鳴られないかというと、怒鳴るような人だから。
怒鳴る人もミスをすることがあって、そういときどうするのか見ていると、
まあいっかとごまかし笑いをして済ませている。いろんな人がいるもんさ。
最後に小声でつぶやくと、いまならシナリオ・センターとも和解できるような気がする。
まあ、手打ちの仲介をしてくれるような人がいないだろうけれど。
それに「シナリオ・センター退学処分」の記事を、
元気がないとき読み返してそのたびに笑ってくれるという友人もいるから。
人って驚くほど知らないうちに変わっているよね。
変わろう変わろうと思っても変わらないけれど、
気づくといつの間にか変わっているという不思議。

*出勤まえに急いで書いたから誤字脱字失礼。
Aさんが「供給」の翌日が休日だと1日ぶっ倒れて寝ていると言っていて、
いくらなんでもさすがにそれは大げさだろうと思っていたが、
いまひじもひざも腰も痛い。肩とかうで全体が痛む。
身体のふしぶしが痛いって感じ。
わたしが軟弱すぎるのだろうが、「供給」って身体に悪いんだろうなあ。
高倉健が好きな65歳のEさんは「供給」なんてへっちゃらと言っていたが、
おとといだったが本当に本当ですか? と問い詰めたらやはりきついと。
メイトのKさんも「供給」が嫌いというわけではないと言っていたが本当かしら。
なんか身体がSOSを出しているけれど、あと4日だから這ってでも行くつもり。
本来なら「供給」はオートメーション化(機械化)されていていいと思うんだけれど、
あそこを人力でやらせるのがむかしながらでいいとも言えよう(言えるか?)。
むかし働いていた書籍のラインでは、供給は人力ではなく機械だった。
まだ40歳なのに、これだけ身体が弱いって恥ずかしいことなのかもしれない。
わたしは痛みがあったら、
すぐに薬に頼る根性なしだから今日は痛み止めで乗り切ろう。
毎回「供給」をやっているM青年の自己主張が激しいのも、
「供給」を振られることが多いSさんが息抜きにパチンコをしたくなるのも、
わが身の痛みをもって考えるとわからなくないこともない。
いまの仕事はどうしてかやたら疲れるのである。
ライン作業で常に急かされているのが性格的に向いていないのか。
しかし、昨日なんかとてもラインは遅かったって聞くし(すると「供給」も楽になる)、
やはり当方の身体が軟弱だという結論に行き着かざるをえない。
あと4日、完走したい。
北戸田駅付近で3ヶ月間お世話になったAさんとあいさつを交わす。
「雨いやですねえ」
「今日はみんないらいらしていますでしょう」
「そういわれたら……」
「なんか今日は事件が起こりそうな気がします」
「わかる、わかります」
「Sさん。ほら、パチンコが好きな」
「ええ、Sさん」
「あの人、昨日休みだったでしょう?」
「はい」
「なにしていたんでしょう?」
「さあ……」
「どうせパチンコでしょう!」
「そんな決めつけるのは(よくない)」
「昨日も負けているはずだから、今日もピリピリして大声で怒鳴りますよ」
「……」
「Aさんもわたしも今日『供給』でしょう?」
「(ため息まじりに)はあ」
「いやですよね」
「うん。ツッチーとおなじでいや」
「いまわれわれふたりが職場に行かなかったら会社は回らなくなる」
「たしかに(そうとも)」
「このまま逃げちゃいましょうか?」
「!」
「そうしたらどうなるか」
「朝からお酒でものみますか?」
「おおっと、そう来ましたか!」

という会話を交わしながらふたりはとぼとぼ職場へ向かったとさ。
最近の変化。
もう数十回近く毎朝お逢いするたびにあいさつを申し上げても、
いっさい無言の(おなじ派遣会社の)M月大先生にあいさつをしなくなったこと。
M月先生は仕事中に話しかけても1回もお答えくださったことはない。無視される。
世の中にはどれほど偉い大先生の若者がいるのだろうと感心するが、
あいさつもできないやつが威張っているのが底辺の会社というものなのだろう。
もうあと数日だからと今日からあいさつするのをやめた。
AさんもM月先生にあいさつしても1回も返答をもらえたことがないらしい。
あの大声で怒鳴るパチンカスのSさんでさえ、
最近はあいさつを返してくれるようになったのに。

あと5日か4日か。派遣会社の事情もわかるのである。
どうやら埼玉県のこの派遣枠に入りたいという主婦層が大勢いるようだ。
そこにEさんやわたしが入ったから恨みを買うのかもしれない。
でも、今月はわたしもけっこう「供給」をやったでしょう?
女性には絶対できない、
しかし女性はしたこともないのにあんなものは楽勝だという「供給」。
女性陣はしたこともないのに「供給」は楽な仕事という。
わたしからしたら、あれは時給1000円ではとてもできない仕事。
ほかの日の楽勝仕事かあるため、数日に1回なら「やれやれ」やるかという。
今月いっぱいならさ。かわいい子もいるしさってほんと?
28日が終わりでその先、なんにもないがこれで終わりなのだろうか?
いろんな人といろんなことがあったなあ。
いったいどのくらいの人と仕事上でつきあったことだろう。
妄想ゆえ孤独を忘れたことだろう。
まさか40歳でこんなプランタニエを味わえるとは思わなかった。
みんな、ありがとう。ひと足お先にさようならと。さようなら。グッバイ。サンキュー。
また今年の年末に派遣で呼ばれて、
「供給」じゃなかったらいいです、Sから怒鳴られないならいいです、
とか言ったら、まあ呼ばれないだろう。
驚くほどみんなのフルネームを覚えている。
フトシさん、できたらツチヤくんではなく、ツッチーと呼んでくだされ。
今日も魔の力仕事「供給」。ラインにお菓子を供給する仕事。
いちばんめんどうくさいのは最後に数が足りなくなること。
ラインのおねえさまがたから厳しいご批判のまなざしや、
無言あるいは有言のきついご非難をいただくからである。
古株のSさんに聞いたら、あれは「全体供給」が悪いとのこと。
とても人柄のいい「全体供給」さんに聞いたら、
うちらはぎりぎりで数を合わせているがロスが出るから仕方がないと。
ロスとはラインの人が、少しでもお菓子の形や色が悪いと廃棄すること。
そんな高いお菓子じゃないんだから、そこまでこだわるのもどうかと思うが。
それ以外に、「検品」から自分のミス(奇形菓子未発見)を
指摘されるのがいやなこともあろう。
「検品」さんとしてはお客さまに完全な状態のお菓子を
ご購入いただくためにまじめにお仕事をなさっているのである。
こういう事情で少しでもふぞろいなお菓子はどんどん捨てられていく。
で、数が足りなくなって、「供給」が白い目で見られる。
「供給」は現在かなりのスピードで流れている最中に残量を計算しなきゃならないわけ。
あれはがんばればなんとかなるレベルではない気もするが、いちおうがんばるけれど。
結局、だれが「悪い」かといえばお客さまではないかという結論にいたる。
もっと限定すれば、クレームをいちいちつけてくるお客さま。
しかし、お客さまは神さま。となると、そうだ!

神さまが悪い!

今日は「供給」さんがひとりお休みなので、
いっしょに帰ることの多いEさんとAさんとわたしが「供給」のはず。
この3人がいっしょに「供給」をするのは今日が最初で最後では?
夢の3共演ってやつだ。
昨日調べたらAラインが切り替えが3つあっていちばんきついはず。
だれがAラインに振られるんだろう。いちばんベテランのAさんだろうなあ。
ラインのおねえさまがた、今日はぼくたちにやさしく接してくださいませ。
不安なので朝から法華経を読誦してしまったよ。

*今日はラインが3つではなく2つになるという説もある。よくわからないんだよ。
ギャンブル必勝法はない。
ただ確率的に言えるのは、はまればはまるほど損をすること。
店がいちばんいやがるギャンブルの仕方は、
1回しか来なくてその1回に大金を賭けるギャンブラー。
100万円を1万円ずつ100回賭けるよりも、
100万円を1回のたとえば丁半勝負に賭けるほうがいい。
詳細はうちのブログの「運・ツキ・偶然」を読み飛ばしてくだされ。
職場にひとりパチンカスがいて、よく大声で意味不明に怒鳴られたけれど、
数年先には彼をいちばん懐かしく思い出すのかもしれない。
パチンコ依存症はああなっちゃうというのがいまではよくわかるし、
彼がわたしを毛嫌いしたのも、
当方が彼に文学的好奇心をいだいたのもたまたまや偶然ではなく必然かもね。
ギャンブルのみならず勝負は一回きりのものに全財産を賭けたほうがスリルがあるし、
大負けするリスクもあるが大勝利するとしたらこれしかない。
問題はいつ大勝負をするかだ。
いつも小さな勝敗にピリピリしている中年男性を好む女性も少なくないらしいが。
ま、人それぞれさね。