8年前に自殺した母は13年にわたって精神科医の四宮雅博先生に診てもらっていた。
四宮先生は現在「しのみやクリニック」の院長である。
母が最初に発狂したのは昭和61年。久留米ヶ丘病院に1ヶ月入院した。
母は、自分の精神病を否定。
精神病院からの退院は弟のちからを借りてのもので、なかば脱獄に近かった。
治癒から程遠い母の精神は猛り狂う。ほうぼうに迷惑をかけたという。
これは母の精神病のパターンなのだが、荒れたあとは沈静する。つまり、鬱が来る。
翌年、やむをえず母は順天堂病院の精神神経科外来に通院するようになる。
ここで当時講師をしていた四宮雅博先生に出会ったのである。
(この4ヶ月後、母は睡眠薬自殺をはかり順天堂病院に入院することになる)
以後、ずっと母は四宮先生に診てもらうことになる。
土田病院で四宮先生に診察してもらっていた時期もあったようである。
平成6年に先生が秋葉原に「しのみやクリニック」を開業すると、ここに通院するようになる。
わたしは四宮先生と二度会ったことがある。
初めて会ったのは平成12年の4月。母が自殺をする2ヶ月前のことである。
母のお伴として秋葉原の「しのみやクリニック」へ行った。
というのも、このころの母はひどかったからである。
いちばん困っていたのは息子のわたしへの攻撃である。
わたしが精神病の疑いがあると、母はあちらこちらに言いふらしてまわっていた。
おかしいのは母のほうなのである。
おそらく被害妄想からだろうが、マンションの管理室に塩をまいたりしていた。
嫉妬妄想も烈しく、息子の前で父と叔母が近親相姦にあると本気で訴えていた。
とはいえ、もっとも腹が立ったのは、やはりわたしをキチガイにしているところだ。
病院から戻ってきた母は底意地の悪い笑みを浮かべながらこう言ったものである。
「四宮先生に話したらね、先生もそれは息子さんがおかしい。
一度うちに連れてきなさい、とのことよ」
勝ち誇ったような母の憎らしげな笑みを忘れることができない。
母の妄想を真に受ける四宮先生というのは、どのような人物なのだろう。
見たこともないわたしを、ほんとうに四宮先生は精神病と思っているのだろうか。
わたしはこの精神科医と対決することに決めた。
母の病気もひどかった。1ヶ月寝込んだと思ったら、ぱっと元気になる。
1ヶ月のあいだまわりのものを否定しつづける。と思ったら、また鬱になる。
死にたい、死にたい、どうすればいいと息子にすがりつく。
また1ヶ月経過すると母は活発になり、鬱のあいだのことを覚えていない。
ちょっと前は泣きついた息子を今度は敵とののしる。
診療室に母と入ったわたしは、目の前の精神科医から見くだされているような気がした。
あるいは最初から四宮先生に反感を持っていたから、そのように見えたのかもしれない。
「きみは心理学の本を読んでいるようだがね、
本を書くようなお医者さんというのは、ちゃんと患者さんを診ていないからね」
四宮先生と母のやりとりは、わたしにはおかしなものに見えた。
「そうですか、上がりましたか。じゃ、薬を替えてみましょう。少し下げないと」
「上がる/下がる」というのは、躁と鬱のことのようである。
四宮先生は、母が躁鬱病だといった。
わたしは四宮先生に、妄想から生じたと思える母の異常行動を伝えたが、
この精神科医は聞き入れてくれなかった。
「精神医学には了解という概念があってね――」
要するに母の異常行動は了解可能だというのである。病的妄想ではないと。
分裂病ではない、ということでもある。
母と四宮先生の信頼関係に、わたしが敗北するかたちになった。
この2ヶ月後、母はわたしの目の前で飛び降り自殺をした。
医師と患者として13年間にわたって関係のあったはずだが、
四宮先生からは電話一本なかった。
検分に訪れた警察官に「しのみやクリニック」の診察券を提出したから、
院長先生が母の自殺を知らないはずがない。
あれだけ自信たっぷりだった精神科医・四宮雅博はなにを思うのだろう。
夏のある昼下がり、わたしは炎暑の秋葉原にいた。
足は「しのみやクリニック」に向いていた。
なにをしてしまうかわからないが、なにをしても構わないと思っていた。
「しのみやクリニック」はお盆の長期休暇だった。
わたしはなにもせずに済んだことに安堵した。
やはりもう一度、四宮先生と会わないといけない。正々堂々と会おう。
電話してアポイントメントを取る。昼休みの30分を指定される。
「30分で済むような話ですか。人がひとり死んでいるんですよ」
怒鳴るようなことはなかったと思うが、ドライな反応に不快感がつのった。
わたしは当日までに母の大量の日記をワープロで整理した。
二度目に会う四宮雅博医師は、前回とは打って変わっていた。
えらそうなところが少しもなく、驚くほど腰が低かった。
精神科医は自殺のことを事故という。事故当日に警察から連絡があったとのこと。
四宮先生は以前、受け持ちの患者が自殺したとき通夜におもむいた。
そこで遺族とトラブルになった。
そのときから患者が自殺しても連絡を取るのはやめていると先生はいった。
これ以上ないほどの誠実な対応を四宮先生はしてくれたと思う。
結局のところ、死を選んだのは本人なのである。
だれかに責任を押しつけるわけにはいかない。
面談は50分にもわたるものになった。
診療室を出ると待合室は診察を待つ患者であふれていた。
季節は秋になっていた。
わたしは14年前に母が入院した久留米ヶ丘病院を訪れた。
電話して問い合わせたら14年前のカルテがあるというのである。
院長の落裕美先生は温厚な紳士であった。
14年も前にたったの1ヶ月入院したに過ぎぬ患者の息子を、
こうも親切に遇してくれるのがとても嬉しかった。
精神的につらい時期だっただけに人間の厚情が身にしみた。
偶然ながら14年前に母を診察したのが、この落裕美先生であった。
カルテの記述をもとに当時の母の病状を教えてもらう。
父の経営する居酒屋の従業員が暴力団に通じているという妄想から警察を呼ぶ。
隣室より盗聴されているという妄想から隣の郵便受けにお香と4万円を入れる。
落先生がつけた病名は非定型精神病。
躁鬱病にも分裂病にも分類されない、定型に非(あら)ずの精神病である。
素人考えから、どうして妄想があるのに分裂病ではないのかたずねる。
居酒屋での仕事ぶりが社交的。
38歳という年齢(分裂病は若年で発症するのが通常である)。
以上、ふたつの理由から非定型精神病と診断したという。
四宮雅博先生と会い、落裕美先生とも会った。
もうこれ以上、進みようがなかった。
あれから8年が経とうとしている。いまさらぶり返すのはどうかしているのかもしれない。
けれども、いまどうして自分がこの体(てい)たらくかと考えると母の事件に行き着く。
母の問題がなにひとつ解決していないのである。
先日、カール・ヤスパースの
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読む。
ストリンドベリと母の異常行動がまったくおなじタイプのものであることを知る。
嫉妬妄想、追跡妄想、被害妄想である。
いまさらこんなことをいうのはどうかしているとは思うのだが、書かざるをえない。
四宮先生は誤診をしたのではなかろうか。
四宮先生が母にくだした診断は躁鬱病である。
母の嫉妬妄想、被害妄想を了解可能なものとしている。
この治療方針のもと13年間、投薬がつづけられた。
なにを問題にしているかというと、
四宮先生が分裂病的妄想をとめる薬を出していないことである。
もし先生が母の分裂病的妄想に気がついてくれていたら、
家族の13年はだいぶ楽なものになったと思うのである。
少なくとも落裕美先生は嫉妬妄想や被害妄想の存在に気がついている。
だから非定型精神病なのである。
むろん、四宮雅博先生を批判するのが筋違いなのは理解している。
なぜかというと四宮先生を選んだのは、まさしく母その人だからである。
四宮先生が精神科医として未熟だからこそ母は主治医に選んだ。
この先生は自分の妄想を真実だと信じてくれると母は思ったに違いない。
優秀な精神科医に妄想の存在を見破られたら母はその医師と反目せざるをえないわけだから。
むしろ、四宮先生に感謝しなければならないのかもしれない。
先生のおかげで母は最初の自殺未遂から13年間も生きつづけることができた、
と考えればの話である。
四宮先生だけは自分のことをわかってくれる。
この信頼関係が少なからず母の生きがいになっていたはずである。
夫も実母も悪魔のような人間である(実のところ、そうではない)。
まわりにおかしな人間が多いため自分はこのような病気になってしまった。
母の病識である。四宮先生は患者の身になり、生きてゆくのを支えた。
こう考えたら、ほとんど美談である。
けれども、母の猛り狂うさまは現代ではめずらしいほど華々しかった。
どうしてあれを薬でとめられなかったのだろうと精神科医の手腕を疑いたくもなる。
根本に誤診があったのではないか、とも(その誤診が母を救ったかもしれないのだが)。
「しのみやクリニック」の評判をネットで調べてみたら、
「四宮先生は親身になって話を聞いてくれる」と書かれていた。
たしかにそうなのだろう。母の場合も、親身になってくれたのだろう。
だが、患者が精神病の場合、
医師が患者をサポートすることが家族の迷惑になることがある。
精神科医は患者とその家族、どちらを優先すべきなのか。
すべては終わってしまったことである。忘れるしかないのであろう。
しかし、忘れられないのである。ちっとも終わっていないのである。
「しのみやクリニック」の営業妨害をするつもりはない。
メンタルヘルスのクリニックで自殺者が出るのは決してめずらしいことではない。
もし通院している患者さんがこの記事をご覧になっても大げさに考えることはないだろう。
「しのみやクリニック」のホームページを拝見すると、
記憶違いかもしれないが、8年前と比べて規模が大きくなったようである。
母の通院していたころ、
「四宮先生はなんとかというスポーツカーを乗りまわしちゃって、それはすごいんだから」
と聞いたことがある。むかしから羽振りがよかったのであろう。
先生は執筆活動も旺盛になさっているようである。
事業拡大に研究の邁進、四宮先生のこの8年間は順調極まりない。
うらやましいかぎりである。
四宮雅博先生の臨床精神医学研究のなにかの足しになればと思い、
精神医学にはまったく無知のわたしだが、思うところをまとめてみた。
いや、偽善はやめよう。白状する。
わたしはどうしようもなくこの文章を書かざるをえなかったのである。
四宮先生はわたしのことなどまるで覚えていないのであろう。
だが、わたしは先生を忘れることができない――。
「しのみやクリニック」
http://www.shinomiya-clinic.jp/index.asp
実はいま忘れられた文豪・ストリンドベリの最高傑作ともいうべき「死の舞踏」が上演されている。
「ステージ円」で17日から今月いっぱいである。
「死の舞踏」公演情報
http://www.en21.co.jp/shinobutou.html日本一のストリンドベリ・マニアを自負する我輩だが観劇におもむく予定はない。
6500円という金額が障害である。
どれだけいい芝居を見せられても6500円は高すぎる。
ふざけたことを書いておくと「演劇集団円」がいけない。
いま日本のネット上でストリンドベリをまじめに論じているのは「本の山」だけである。
ネットで検索すればすぐわかること。どうして我輩を招待してくれないのだろう。
方面が違えばおそらく招待券を出しまくっているのではないか。
演劇なんてほとんど道楽の世界でしょう。採算をはなから度外視した自己満足。
関係者にはタダ券をばらまいているはずである。
その1枚がどうして我輩のもとに届かないのか。
日本でいちばんストリンドベリを愛しているこの男のもとに――。
なんちゃって(笑)。乞食みたいなことを書いてしまったよ。
本気にしないでくださいね。
ところで、いま日本の演劇というのは、だれが支えているのだろう。
だれがおカネを支払っているか、である。
むちゃくちゃ乱暴なことを書く。
高いチケットを購入して芝居を観にいくものは、想像力貧困の知的弱者ではなかろうか。
演劇世界はたしかにおもしろい。けれども、戯曲として作品を読むことができない。
こういった人たちがいまの日本演劇を支えているのではないか。
戯曲を読めない面々がおカネを出し合い、プロに戯曲の内容を教えてもらう。
演出家がむやみに居丈高なのは、戯曲を読めぬ観客を見くだしているからである。
本来なら戯曲を再現すればいいだけのロボット=俳優がこれまた大きな顔をする。
毎度のことだが芸術家きどりの俳優を見ると何様かとふきだしてしまう。
おそらく役者の尊大も、たかだが戯曲を読解できるという能力によるはずである。
演劇会場のお高くとまった雰囲気が嫌いである。
客が女ばかりであることにも恐怖する。男といえば、たいていは女の同伴である。
どうやら女は男よりも芝居を楽しむ能力に恵まれているようだ。
口をポカーンとあけて舞台上の俳優の一挙手一投足に陶酔できるのはひとつの才能だ。
男に生まれついたことを残念に思うことさえある。
客席には男ひとりで来ているものが極めて少ない。
いや、いることにはいるのだが、自称研究者のおかしな連中である。
インテリぶってブログにだれも読まない劇評を書く手合いである。
観劇好きの男とも女とも馬が合うようには思えない。
劇場へ行くたびに自分の居場所がないと疎外感をいだいたものである。
こうしていつしか芝居小屋とは縁がなくなっていった。
ストリンドベリ劇が上演されると聞いてもわざわざ行く気にならない。
(追記)ストリンドベリ自身も、あまり好んで劇場へ行くことはなかったという。
人間が嫌いなのである。自作が上演されるときでさえ、なかなか会場へ行かない。
俳優へ個別に手紙を書くのみである。
あんがい我輩の態度もストリンドベリ・マニアらしいのかもしれぬ。