河合隼雄ではないがウェルメイド、よくできているなあと世界に惚れ惚れする。
わたしは映画監督の原一男教授にたいへんお世話になったが、
その6、7年後に先生のレイプ未遂を穏便に治めるという意味で恩返しをした。
もう原さんと逢うことはないと思っていた。
原さんも多くの教え子のひとりであるわたしのことなど覚えていないだろう。
そりゃあ、あれほど真剣に向き合い強い影響を受けた人だから
覚えていてほしかったけれど、そうは甘くないというくらいは世間を知っているつもり。
と思っていたら、本名も知らないブログ読者、
Sさんからいっしょに原一男の映画を観に行かないかと誘われる。
最初は断ったが、翌日こちらからお願いしたのは、
じつのところ星占いの影響だったのである。
わたしは当然、原先生が自分のことなんて覚えてないと思っている。
よくあるおっさん顔で特徴もなく貧相な外見である。
ところが、側近のおひとりが原先生にこのブログの存在を教えてくれていたのである。
もうドラマティックというかサイコーのお芝居ではありませんか?
最初の「ニッポン国VS泉南石綿村」では向こうも喧嘩腰に来て、
こんな人だったかなあと思う。

次の「ゆきゆきて、神軍」でも近くで顔を合わせたが、原先生が笑っているのである。
こちらも当然、かつての師匠だし笑顔で返した。
あれ? もしかしてわたしのことを思い出したの? とヒヤリとした。
(実際は前日かだかに側近がブログを教えていたらしいのだが)
「(さっきのはダメだったが)この映画(「神軍」)はいいの?」と例の原スマイルで。
緊張してなんと答えたかは覚えていない。座席は原一男先生の真後ろ。
「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三をいちばん大声でヤジったのはわたしだろう。
よくできているなあ、と神さまや仏さまめいたものに感謝したくなる。
星座(コンステレーション)のように布置がうまくできすぎている。
他力でも自然でも大日如来でも阿弥陀仏でもいいが、
絶対この世界の裏側にはなにかあると改めて確信する。
今年は橈骨神経麻痺に始まり、ミャンマー、空海、ハロワ、短編小説ご依頼と盛り沢山。
まだ8月なんだよなあ。時間の流れるのが遅すぎる。
うそくさいだろうけれど、みんなにありがとうって言いたいよ。
昨日さジェイコムの録画番組、全151が消えていて死ぬかと思った。
未視聴の山田太一ドラマや山田太一推薦映画がたくさんたまっている。
ジェイコムに電話したら機械を再起動させるだけでデータが完全復活した。
ありがとうがうそじゃないってわかるでしょう。みんな、ありがとう。
コメント欄で匿名の原一男シンパにたたかれているのが悔しくて書く。
映画監督の(高卒)大学教授の原一男さんって、弱いものには強い人なんだよねえ。
たとえば、柄谷行人、宮台真司、四方田犬彦にはペコペコする。
なんでも試写会参加の四方田犬彦(……だれだか知りません)には近刊で
近作の「ニッポン国VS泉南石綿村」をボロクソにけなされたらしいけれど、
毎日のように拝読して勉強になっているとか謙虚ぶっている。
1800円払ったわたしが「つまらない」と言ったら、
「おまえの根性が悪い。早く帰ればよかっただろう」と権力的に指導する。
若い女の子には非常にやさしくレイプ騒動まで起こしているのに、
フェミニズム団体からはたたかれない。
それが悪いというのではなく、弟子たるわたしも「弱いものには強い」が、
学歴もなにもなく真の底辺から社会的上昇を果たした原教授は、
本当に驚くほど「弱いものには強い」――。
「ニッポン国VS泉南石綿村」でお客が自分より弱いと見たら「帰れ」。
「ニッポン国VS泉南石綿村」で登場した公務員が弱そうだと見定めたらたたく。
厚生大臣は(生来の性質からか計算したのか)たたかない。
原一男監督は「舐められたら終わり」という生活者の真実をよく知っている。
わたしが原先生や側近からブログコメント欄で攻撃されているのは、
舐められているからだろう。おまえは大学教授に勝てるのか?
レイプだなんだと言っても、おれたちの権力を舐めるなよ!
いくらでもそんな情報は揉み消せる立場に我われ権力者はいるんだぞ。
かっこいいぜ、原一男先生! 白状するが、あらためて……大好きだ♪

土屋顕史(080-5188-7357)
yondance1976@gmail.com
数日まえ、大恩ある原一男ドキュメンタリー映画監督のご作品を、
小柄ながらもすばらしい映画館で鑑賞するという幸運を得た。
気づいたのは、原先生の映画ってほぼ「いじめ」ではないか?
最新作「ニッポン国VS泉南石綿村」はほとんど「いじめ」の映画でしょう?
自称アスベスト被害者たちが下っ端役人を集団で囲んでいじめる光景にはぞっとした。
お役人さんは立場上、被害者原告団には逆らえないのである。
そのことをわかったうえで無力な公務員を、
権力者の大学教授、原一男とタッグを組んで攻撃するのは「いじめ」にしか見えない。
「いじめ」の善悪も、「いじめ」ほど楽しいことはないという真実もここでは問わない。

原一男は「いじめ」映画作家である。
男の出世作「ゆきゆきて、神軍」もひどい「いじめ」映画である。
いちおう建前の「正義」は部下不当処刑、人肉食を追求する奥崎謙三や原一男にある。
それを知っているから奥崎と原一男撮影グループは対象を
「正義」の名のもとに集団で囲み威圧するのである。あれは「いじめ」だろう。
「正義」という美名があれば、
「いじめ」をしてもいいというのが原一男作品の本質ではないか?
現実にうちのような過疎ブログにも原一男の手下から匿名での集団攻撃を受けている。
うち「本の山」は実名も電話番号も公開していますから、
できましたらそちらも実名でメールかあるいは電話でとお願いしても、
原一男の「正義」の「いじめ」軍団は匿名批判にこだわり勝利を喝采する。

原一男事務所には電話がつながらない(金欠のためとの情報もあり)。
原先生もわたしの「最新作がつまらない」という意見を、
「あなたが劣っているからだ」というほぼほぼ権力者の理論で片づけ、
その後は取り巻きの美少女といちゃいちゃしていた。これも「いじめ」と言えなくもあるまい。
わたしは原一男先生や「正義」の「いじめ」を否定したいわけではなく、
世の中そんなもんだよなあ。彼は勝った。勝利者はレイプでもなんでもしていい。
世の中はそんなもの。人生そんなもの。人間なんてそんなもの。
今日もまた原先生は取り巻きにちやほれされ、
いっぽうのわたしは孤独に餓えいている。人生なんて、そんなもんだ。
「いじめ」は「正義」。原一男教授は「正義」。悪いのはわたし。ぼく……泣かないもん。

批判を実名でブログコメント欄ではなく、メールや電話ですることができる、
いまの原一男先生のお弟子さんはいらっしゃらないのでしょうか?
レイプネタの詳細を聞きたい原一男信者の方もお待ち申し上げております。

土屋顕史(080-5188-7357)
yondance1976@gmail.com
ブログコメント欄で神軍平等兵と名乗る、
匿名の平成の兵隊さんがいうことが正しいならば――仮想の話だ。
師匠が本当に「本の山」を少々でもお読みくださっていたなら、
なおかつそのことを当方が把握していれば、
原一男先生とわたしの再会は美談で終わったと思う。

「よお、土屋、久しぶりだなあ」
「相変わらず先生はお元気そうで」
「どうだ? 食えてるか?」
「まあ、ぼちぼち、おかげさまでなんとか」
「そうか。よかった」
「先生のほうはどうですか?」
「こっちもぼちぼちって感じだな」
「今日は先生の新作を観にきましたよ」
「ありがとうな。小林(奥さま)もいるんだよ」
「なつかしい。逢いたいです」
「あとでな」
「はい、よろしくお願いします。
 先生はご記憶ではないかもしれませんが、
 ぼくは原先生との約束を生きがいにしてきました」
「うん?」
「それは――」
「うん」
「かならず自分の表現をものにする」
「そうか」
「今年、ようやくチャンスが舞い込み、百枚くらいの短編小説を書かせてくれると」
「そうか」
「これで約束を果たせなかった先生との約束を20年ぶりに果たせるかと」
「約束?」
「20年近くまえ。早稲田の先生のゼミがありました」
「うん」
「そのときの課題は「私の表現したいこと(私の生き方)」」
「ふうん(覚えていない)」
「それを出せなかったのが、ずっと心残りでした。それをついに書けるかと」
「そうか」
「わたしの表現したいこと(私の生き方)」
「ううん」
「今日、先生に再会できて本当によかったです。ありがとうございます」
「いや」
「先生との約束を20年近く腹に抱えて生きてきました」
「そう」
「ありがとうございました」
「そこまで(の礼は)……」
「べつに駄作を郵送したりはしませんからご安心ください」
   弟子、ひとりよがりにも涙ながらに場を去る――。

「私はこの弟子のことは長らく記憶になかった。(奥さまの)小林(夫人)、覚えているか?」
「そういえばむかし、どこかで逢いました」
「あいつはあたまがおかしいんじゃないか?」
「あたしはそうとも思えません」
「なにがしたいんだこいつ?」
「原さんの蒔いた種よ」
「――」
「それが育って花が開く直前なんじゃない」
「そうか」
「そうよ」
「ずっとおれは自分のことしか見てこなかった」
「そんなことはない。あの人は、そのことの証明じゃない?」
「そうか」
「そうよ」

まあ、現実は思うようにはいかないというわけで。
11日、1回目上映後、足の不自由な小林さんが、ゆっくり下に降りてきた。
こちらは自分を覚えているかさえわからないし、
変なプライドもあるしであいさつさえできない。
そのまま静かに小林さんはエレベータで上に上がっていったが、
胸の奥深いところから込み上げてくるものがあった。あの時代をともに生きた。
そして20年近く、お互い、没交渉のまま、
しかしながらそれぞれ懸命に表現しようと生きてきた。我われは再会した。
しつこく述べるが、わたしは原一男先生の自称一番弟子である。
「神軍平等兵」とHN(仮名)を名乗る人物から、
「本の山」の「原一男レイプ未遂記事」をご本人に読ませたというご報告をいただきました。
原先生、恥ずかしかったんじゃないかなあ。
わたしのことなんて、すぐにだれだか思い出すって思うし、
自分を最高師匠とあがめていた弟子にレイプ未遂がばれていたことを知ったのだから。
ばれていたどころか事件を揉み消してもらっていた。
「神軍平等兵」さんは鬼だなあ。

わたしは原一男先生に救われたと言ってもよいが、こちらも先生の命を救っている。
わたしだって当時法律関係の知り合いくらいございましたから、
彼女に訴訟をすすめていたら当時60歳を超えていた原先生は無職無収入になり、
再就職先もなかっただろうし、慰謝料とかで首をつるしかなかっただろう。
そこを自称一番弟子で、
原先生にもっともお世話になった気がするわたしが抑えたと言えなくもあるまい。
もう10年以上まえだがそのときのわたしの姿勢で、原先生の運命は変わっていた。
裁判映画を撮るまえに、てめえの下半身の裁判沙汰はどうだって話だ。
原一男信者は多いが、このあたりの裏事情は本人も語るはずなく、ここでしかわからない。

法律的にはレイプはいけないことになっている。
それを原一男教授は奥崎謙三を真似たのか遂行した。
女性が「やめてください」と泣き叫んだら、
自分の男根を引っ込めたというからまだ仏心はあろう。
話を被害者から聞いたかぎりでは妙に手馴れており常習犯のにおいがする。
ホテル代節約のため獲物の女を疾走プロダクション事務所に呼び出し、
出口をふさいだうえでことにおよぶのが男の常習手口のようだ。
原一男氏は映像のプロなんだから、
隠しビデオで毎回の性交を撮影していた可能性も高い。
それを話に出されたら女性も被害を訴えられまい。
その原一男プライベート・セックス映像を観てみたいが、本人に土下座する覚悟はある。
レイプの善悪はわからない。
むろん、基本的には悪なのはわかっているが、それはこの世の法で天上の法ではない。
しかし、処女女子高生のレイプ近似被害を又聞きで聞いたことがあり、
レイプは断じて許してはならない罪悪だとも思う。処女をレイプするとかあんまりだ。

「神軍平等兵」を自称する匿名の原一男信者からのコメントがきっかけで、
このようなことになり、まさか再会はないと思っていた師匠にもふたたびまみえた。
くそつまらない最新映画を観ることで赤貧映画作家に募金することができた。
Sさんのすばらしさもわかった。
奥崎ではないが、天罰覿面。すべては天罰。
ブログの記事削除はひんぱんに行なっており、ご希望のかたはその旨を記したメールを。
無記名でもよろしいですが、ご記名のあったほうがもちろん好感触です。
「原一男レイプ総集編」とか出したら、ひと財産稼げるのではないかしら。
美少女と公衆のまえでいちゃいちゃ群れる老映画作家は、
この世の「はかなさ」を感じさせる。
ああいうおっさんになりたいぜ。それは天龍源一郎と原一男なり。
8月11日渋谷アップリンクに絶叫上映「ゆきゆきて、神軍」を観にいく。
日本初のドキュメンタリー絶叫上映。
「ゆきゆきて、神軍」はレンタルビデオで5回以上観ているし、
シナリオも数回読み直している。
理由は、なぜみんながこんなに称賛しているかがわからないからである。
映画主人公の奥崎のどこがいいのかわからないし、原一男映画の魅力もわからない。
人間・原一男の魅力はわかりすぎるほどわかる。だが、奥崎はわからん。
あらゆる裏話も読んだり、見聞きしたりもしたし、「神様の愛い奴」も観た。
ひとつのヒントになっていたのは、原先生から教わったことで、
当時の客はあれ(「神軍」)を観ながらゲラゲラ笑っていたぞ、というお言葉。
どこまで絶叫できるかなと鑑賞前にSさんと某居酒屋でメートルを上げていた。
いけなかったかもしれないが缶チューハイも持ち込んだ。
当方以外にも缶チューハイ持参者はいたから、まあ許される範囲だろう。
しかし、座席のB2がやばいのである。どうやらA2に原一男先生が座るらしい。
これではぶっ飛んだことを叫べないではないか。
さっきコメント欄を読んだら、恐れ多くも、
原一男先生は旧弟子の存在をご認識していたようだ。
だとしたら、あの座席関係は偶然だったのか、神の配列だったのか、仕掛けか。

わたしは原先生が自分になんて気づいていないと思っていたから絶叫し放題。
昨日、原先生のツイッターを拝見したら、絶叫がうるさい奥崎のようなやつがいた、
と書かれていたが、それはおそらくB2にいたわたしのことだろう。
原一男先生はスーパーヒーローものとして「ゆきゆきて、神軍」を撮影した。
いうなれば奥崎謙三はスーパーヒーローなのである。
わたしは奥崎をヤジり倒そうとねらって、酒まで持ち込んでいる。

映画開始。ノリがいいじゃないか。
Sさんから注意されたように、「場の空気」を読まなければならない。
どうやら大丈夫そうなのである。
平成最後の夏には奥崎謙三はお笑い芸人のような存在になっていた。
みんな奥崎にほんろうされる生活者に同情し、奥崎を愛すべききちがいとみなしている。
内容はほとんどあたまに入っているから、ヤジのかけ放題である。
奥崎をバカにする。死人に鞭打つ。自称英雄狂人をみんなでからかう。
こんな楽しい映画イベントは経験したことがない。
考えてみたら、わたしも奥崎的だよな。
原一男先生の真後ろに座っていながら、
先に暴力を振るった奥崎が負けて悶絶するシーンで、
「原さん(キャメラを)とめろ」とか背中越しにヤジっていたわけだから。
平成最後の夏、ほぼ観客の全員が
昭和の怪物である奥崎を愛おしみながら鼻で笑っていた。
奥崎って笑えるよなあ。原さんはいやそうだったが、
「ゆきゆきて、神軍」は絶叫上映がいちばん観客が楽しめるのではないか。
なぜなら主役は主演の奥崎謙三でも映画監督の原一男でもなく、
無名の我われだからである。無名の我われが主役や脇役になれる。
多少きこしめした当方は絶叫のしすぎでご迷惑をおかけしたかもしれません。

ずっと言いたかったのは、奥崎が元上官に一本取られたところでのザマアミロ!
言おうと公開前の約束になっていた「イッポン」を言うのも忘れず(常識あります)、
すぐさまザマアミロと続けたが、どのくらいわが声は館内に響いたか。
あの変な神秘主義者(巫女?)のおばさんもアナーキストも存在自体が怪しすぎて、
かつキャラが立っており、しかし人間の生死という問題をはらんでいるので、
どこかヤジりにくく彼らの狂信的なパワーとの勝負になる。
奥崎謙三が最終目的地(山田)のところに行くまえのフェリーでのヒーローシーン。
「カメラ目線」と女性のヤジがかかったあとに、
「疫病神」とわたしは絶叫したが、
どこまで8月11日の観客のご支持を得られたかはわからない。
わかったのはどこまでも脇役(あるいは小道具、草花、壁)
としての役目を求められる演劇や映画はおもしろくない。絶叫上映ばんざいだ。
ただし原一男監督は絶叫きちがいのわたしのまえにいたせいか、
もうあんまりやりたくないなあ、という感じであった。
下手をすると演出領域にもヤジを投げかけられ、
監督の自尊心が破壊されるデンジャラスな上映だ。
そこにまたまた自称一番弟子のわたしが行ったという、このたまたまの偶然性は、
Sさんのちからによるのか、神さまの手腕なのか、仏さまの手のひらか、
いろいろなものを考えさせられる。

アフタートークで原先生は言っていた。
奥崎謙三は撮影でいったニューギニアで、老齢ながらセックスに目覚めたという。
晩年の支持者に原さんが聞いた話だと、
奥崎はぼろぼろの身体でタクシーに乗り、ソープに行っていたという。
理由はセックスを求めてではなく、
だれかに自分の子どもを生んでほしかったからだという。
そのあたりがニューバージョンの「ゆきゆきて、神軍」書籍に書いてあるという。
Sさんはアスベスト映画後に買っていた。わたしは教養文庫版があるからパス。
稼ぎがよくなり彼女もでき、いまが人生の花道であるSさんは「神軍Tシャツ」を買うという。
「あんなもんどこに着ていくんですか。恥ずかしいっすよ」
「サインを入れてもらって部屋に飾っておくだけでもいいんです」
だったらとSさんにお願いした。サインを入れてもらうときに、原さんに聞いてくれませんか。
「いま原さんの生きているお子さんは何人いますか?」
Sさんは「神軍Tシャツ」3500円が高いと買うのをやめてしまった。
どれだけお金がないんですか、原一男先生! 
原価数百円の「奥崎Tシャツ」を3500円って……。
それに晩年の奥崎謙三は原一男を殺そうと思っていたという話も聞くし、
そんな奥崎謙三をプリントアウトしたTシャツを3500円で売ろうなんて、
あなたはどこまで……。あなたはどこまでキ、キ、鬼畜なのか……。
やはりわたしは原一男の自称一番弟子であり、それを誇らしくも恥ずかしくも思う。



*うわさの「神軍Tシャツ」はアマゾンでは取り扱いしていなかった。
原一男さんのファンである睡蓮みどりさんという美人作家が、
ネット記事で原さんの疾走プロダクションを「失踪プロダクション」と書いていて、
なまなましいリアル性を感じた。もう電話は復旧したのでしょうか?
この記事はすぐ消します。
「失踪プロダクション」って、あなた天才美人作家だよ。
ツイッターがあればからめるのか。
映画関係者からコメントをいただきましたが、
原一男名義のおコメントはご本人がお書きになったのでしょうか?
教えてください。よろしくお願いします。ありがとうございます。
レイプ疑惑に関しても記事の削除をふくめて対話しましょう。
わたしは同姓同名の有名アイドルがいる女子から、
原さんにいきなり押し倒されうんぬんの話をうかがいました。
関係者が匿名(神軍平等兵)ってずるいような気もしますが、
わたしは高貴な表現者ではなく、生活者以下の乞食野郎なので、
そこにはこだわりません。この記事はすぐに消します。
恩師を真似てツイッターをすべきかどうか。
でもフォロワーなんて2、3人ついたらいいほうだし、
自分の意見を他人が興味を持っているとは思えない。
8月11日、原一男監督「ニッポン国VS泉南石綿村」を鑑賞する。1800円。
アスベスト被害訴訟をあつかった3時間半にわたるドキュメンタリー映画だ。
終了後、質疑応答があったので恩師の原先生に質問する。
当り前だが、大勢の教え子を持つ大学教授はわたしのことを覚えていなかった。

わたし「土屋と申します。3つ質問があります。簡潔で結構ですのでお答えください」
原先生「私の話は長いからねえ。ひとつひとつ頼むよ」
わたし「この映画は退屈で上映期間中、早く終われとそればかり考えていました」
原先生「――」
わたし「これはわたしの人生観、映画観、芸術観がおかしいのでしょうか?」
原先生「そうだね。それはあなたがおかしい」
わたし「わたしが間違っていると?」
原先生「そう、あなたが間違えている」
わたし「――」
原先生「あなたは事前に思い込みやなにか既成概念があってこの映画を観たのでは?」
わたし「――」
原先生「全身をすみやかにして、そのままこの映画を観たら楽しめないはずがない」
わたし「わたしが間違えている」
原先生「そう。あなたが間違えている」
わたし「――」
原先生「どうして帰らなかったの?」
わたし「――」
原先生「つまらなかったら帰ればいいじゃない?」
わたし「――(1800円がもったいない)」
原先生「帰ったほうがよかったと思うね」

原先生「ふたつめの質問は?」
わたし「この映画は原教授と小林教授がおつくりになった」
原先生「はい」
わたし「大阪芸大の教授といえば権力サイドの人間でしょう」
原先生「――」
わたし「そういう権力サイドの人が反権力のサイドにまわって映画を撮るのは、
 おかしいというか、(勇気を出して)ええかっこしいが過ぎるのではないでしょうか」
原先生「あなたはね、知らないでしょうが、教授の仕事というのはね、
 カリキュラムにそって教えるとかで、権力とかぜんぜんそういうものではない。
 だから、権力とかそういう考えはぜんぜんなかったね。
 それは撮影しているときにそういうことを感じることはあったけれども、
 あなたの意見は的外れだ」
わたし「――」
原先生「みっつめの質問は?」
わたし「下品な話で恐縮ですが、
 (国に勝訴した)原告団の分配金はひとりいくらだったのでしょうか」
原先生「これは私ではなく(トークショー相手の原告団代表のひとりに話を振る)」
代表「900万円ですね。(あとは長いので割愛させていただきます)」

あとで同行したSさんから何度も、あの場でああいう質問をしちゃいけませんよ、
と指摘され、そういうものなのなのかとみずからを恥じた。
Sさんいわく、個人的に一対一の関係で言えばよかったじゃないですか?
「場の空気」があの瞬間に壊れましたよ。
そうそういったん質問が終了したあと、原先生からつけたしのように聞かれた。
「なら、あなたはどんな映画が好きなの?」
「……山田……太一作品です。……テレビドラマですが」
そのとき、こいつはバカじゃないか、
と見下した国際的受賞歴華やかな原教授の一瞬の表情の変化を見逃さなかった。
これは当方の錯覚や被害妄想だったのかもしれない。

ひとつ恩師から17年ぶりに学んだことは、自己愛をいかに高めるかの重要性だ。
自作を1800円支払って観てくれた客に「つまらない」と言われても、
「それはあなたが間違えている」と返す強烈なまでの自信、自己信頼、自己愛。
自作をわからないほうがおかしい。
こういうプライドは大学教授を数十年やっていないと持てない気もするが、どうだか。
わたしも今年、金銭的必要から短編小説をひとつ書くが、
売れるとも思っていないし(それでいいとおっしゃっていただいている)、
「つまらない」と言われたら「ごめんなさい」と謝ってしまいそうだ。
しかし、師匠の原先生いわく、そういう姿勢ではよろしくない。表現者として勉強になった。
最終講義がこの日に終了したのかもしれない。ようやく卒業式を迎えた。

「ニッポン国VS泉南石綿村」の感想は「つまらん」のひと言に尽きるが、
生産性のない言葉を残しておこう。
なぜかネットには絶賛記事しかないので、わずかながら意味もあろう。
まず3時間半は長すぎる。
あれは金銭を徴収する作品ではなく、金品を与えて観ていただく類のプロパガンダ映画。
前半はアスベスト被害者の悲惨なインタビューと死がワンパターンに繰り返される。
国家公害に苦しまされている自分たちってなんてかわいそうなんだろう。
そういう被害感情演技がわざとらしく見ていられない。
それを撮影して国家権力と闘っている自分って格好よくないかという、
撮影者の原一男監督のケチな英雄根性が透けて見え恥ずかしい。恥ずかしくないのか?
ときに被害者の庶民くさい思い出話(飲む打つ買うをやったとか)が挿入されるが、
これまた映画監督の計算が丸わかりで、こんなシーンに計算通りに笑えるかと白ける。
被害老婆のお風呂シーンとか、これで「真実」を撮影しているつもりなら認識が甘い。
障害者(脳性マヒ)の青年を路上で全裸にさせた青年時代から、
原一男の表現者根性は成長していない。
そんなものは反権力でも表現でもないと個人的には思う。
前半は被害者のインタビューばかりで、それぞれの人生があるのはわかるが、
ワンパターンで興ざめした。
横(A2)で泣いていた若い女性がいたが、あたまがおかしいんじゃないかと思った。
もしくはいまの原一男さんの愛人のひとりなのかもしれない。

休憩をはさんだあとの後半は――。
前半で長々と被害者意識を観客に植えつけておいたうえでの原告団の活躍である。
国家権力に戦いを挑んでいる国家権力の恩恵をこうむる原教授は格好いいなあ。
反権力、反体制の闘う表現者・原一男(しかし大学教授先生)。
わたしが確認できたのは1回だけだが、被害者も原さんのことを先生と言っていたから。
原一男は裁判を有利に運ぶための大学教授という権威を持った助力者だったのである。
アスベスト被害者たちが傲慢に被害者ぶり、
群れて集団で無力な少数の下っ端公務員を取り囲み詰問するシーンは。
いじめを助長する意思でもあったのか?
ふたりのまじめそうな若い役人に
連日集団で罵声を浴びせるシーンは見ていられなかった。
アスベスト被害の責任はいまの公務員にはないだろう。
それをわかっているはずなのに(わからないほどバカなのか?)、
無力で少数の決して自分たちに逆らえない公務員をいびる原告団は、
あたかも正義の仮面をかぶった悪鬼の群れのようであった。
正義のためならなにをしてもいいという阿修羅集団の面相を喜々として原は撮る。

原告の代表のひとりが弁護士と衝突するシーンは、
映画にするため(「絵」をつくるため)に
わざと原が双方をあおって(仕掛けの結果)撮影したのではないか。
弁護士とは法律の枠内において正義を実現させることを考える。
しかし、それではラチがあかない場合もある。
ならば、法律を超えて(たとえば奥崎謙三のいうような)
「天の法」に従ってもいいのではないか。
単純思考しかできない原一男はこの映画でも、
(結果的に彼を成功者(映画賞、教授、有名人)にした「ゆきゆきて、神軍」の)
奥崎謙三役を引き受けてくれる人を必要としたらしく、
原告団の代表のひとりをキャメラであおり、弁護士や警察に逆らい、
どこかの官邸(首相官邸?)に単独侵入させようとするが、自作の焼き直し感は否めない。
しかし、こういうシーンを評価するものも多いらしく、バカじゃないかと思う。
A1の席にいた美少女は原の新しい愛人か、
トークショーではやたら監督といちゃいちゃしていたが、
この少女が奥崎もどきの原告を英雄視しているようで、
若者は変なハシカにかかるときがあるのだと苦々しく思った。

たまたまそういう仕事に携わりアスベスト被害に遭うのは運が悪いとも言える。
ほかにも偶然のたまたまで運悪く難病にかかるものも大勢いる。
そういう人たちは国家からの賠償を受けられないが、
アスベスト被害者は正義面をして被害者意識を全面に出して国に抗議できる。
後半もまた退屈で仕方がなかったが、金の話がまったく出て来ないからだと気づく。
治療中の人はどこから医療費が出ているのだろう。
働けず食べていけない人はどの金で生活していたのか。
最後の最後で金の話が出てくるが、そこまでは一切出て来なかったから、
これは表現者を自称する原一男自主映画監督の生活能力の欠如の問題だろう。
結局勝訴して、原告たちはひとり約900万を手に入れるのだが、
金額に不満を持ったものもいたという。
ときの厚生大臣が公式謝罪したり、遺族を訪問する。
そのときの生活者(庶民)の無邪気な喜びを、
原はわざとらしく批判的なコメントを入れながらインタビューするが、
下層民出身の原一男は、
数十年にわたる大学教授生活でこころから生活者意識が消失したのだと思われる。

この映画を観て感動するとはどういうことだろう。
被害者の悲惨な様子を観て泣けば感動したことになるのか?
勝訴して大臣の謝罪を受け、無邪気に喜ぶ無学で素朴な庶民の姿を、
嘲笑あるいは共感すれば、この映画に感動したことになるのか?
映画評論家は挙国一致体制でこの映画をほめているし称賛の嵐は増すばかりだが、
50人しか入らない観客席にいたのは多くカウントしても30人で、
いびきをかいているものもいた。
トークショーでバカな庶民が大学教授の映画監督に「おもしろくない」と言ったら、
巨匠は「それはあなたが間違っている」と怒った。
わたしはべつに怒られているとは感じなかったが、
同行したSさんによると、
「原さんあのとき怒っていましたよ。もうああいうことはしないほうがいいと思います」

わたしがなにを言おうとだれも耳を貸さず(アクセス数なんてゼロに近い無名ブログ)、
かわいそうなアスベスト被害者を大学教授が撮影した「ニッポン国VS泉南石綿村」は、
反体制的で反権力的なマスコミ受けする名作映画で、
いままでも多くの映画賞を受賞しているが、
これからももっともっと世界中から映画賞を奪取し、作者である原一男の名前を高め、
新作を要望するファンもいや増しに膨れ上がることであろう。

原一男「この映画のよさをわからない人は間違っている」

(関連サイト)
「挑発するアクション・ドキュメンタリー 原一男」
↑現在絶賛上映中↑
人間のいちばん醜悪な行為は、群れて馴れあい互いを褒めあい、いっときの孤独感から解放されることだと思う。70歳を超える映画監督がなんの学識もなさそうなグルーピーと公衆の面前で親密な関係をアピールしているのは見苦しかった。群れて馴れあう。しかし、これが政治の原初風景かも知れぬ。あいどんという匿名の山田太一古株ファンの老人も、周囲におばさんを集め、群れて馴れあうのが好きだった。わたしは醜い男性だったので、あいどん師匠や側近から嫌われ追放処分。創価学会も基本は群れて馴れあうだ。公明党も群れて馴れあう創価学会のちからなくしてはなにもできない。よく知らんが、田舎の人間関係は群れて馴れあうものだろう。つまり、政治とは群れて馴れあうこと。原一男監督のことを孤高な人と見誤っていた当方は、師が過剰なまでにお仲間と群れて馴れあっているのを目撃してショックだった。しかし、生きるとはそういうことなのだろう。男は群れ(村)をつくり複数の女を確保し、村の暗黙の掟に従わないものには「帰れ」「去れ」。20年前の尊師はそうではなかったが、いまの巨匠教授は群れて馴れあい、異分子は「帰れ」「去れ」。ここは俺の村だ。村の掟を知れ。村の定めは日本国憲法よりも上だ。ここではレイプもセクハラもなく上納女と、それ以外の村八分女にわかれる。俺の村だ。俺が法律だ。なぜなら俺は海外映画賞を無数に取り(池田大作的!)大学教授で、なにより取り巻きが大勢おり、群れて馴れあう中心は俺だからだ。俺は偉い。俺を批判するものは許さない。俺の映画をつまならない? なら途中で帰ればいいだろう。そんなこともわからないのか。俺は国際映画賞作家だ。俺は偉い。俺は毎日のようにお仲間と群れて馴れあう。俺はいい気分だ。俺の村は平和だ。奥崎謙三も死んだから俺は殺される心配もない全身映画監督だ。ゆきゆきて、群れて馴れあう。俺は俺だ。俺に逆らうな。なぜなら俺は俺だからだ。奥崎は天罰で死んだが、俺は元気満々、自信満々。天の法律に守られているからセクハラもレイプもない。群れて馴れあうことのよさを老年になって知った。ツイッター。毎日楽しい。ツイッター。不幸なやつは天罰で、取り巻きと群れて馴れあう俺は毎日が極楽だ。俺は百二十歳まで生きて俺の映画を撮り、くだらん新人はつぶす。ゆきゆきて、原一男。
昨日、原一男先生の「ニッポン国VS泉南石綿村」と絶叫上映「ゆきゆきて、神軍」を
大嫌いな渋谷にある小さなしかし良質な映画館で鑑賞しました。
これはもうすべてSくんの手柄だな。
わたしが原一男監督と再会することはもうないと思っていたが、
それを変えたのが「本の山」読者のSくんである。いきなり携帯に電話が来た。
S くんとはじめて会ったのは去年らしい。
8月に踊り念仏の一遍上人ゆかりのあるお寺に行こうかどうか迷っていたが、
結局行ったのだが、その移動中にSくんからはじめて電話があった。
基本姿勢は原一男先生とおなじで、来るもの拒まずである。
わたしより10歳以上年下のSくんと逢ったが、よく意味がわからなかった。
金がないとピイピイしていたので、
強制連行したサイゼリヤではわたしが少し多く払った記憶がある。
Sくんは用心深く、名字だけで名前を教えてくれず、
若い人はそういうものなのかなあ、と思った。

いつだったかいきなりSくんから電話がきたことがある。
23時まえだ。
チベット旅行に行かないかというのである。金は自分が出す。
もしくは原一男先生と再会しないか。
なんでも30万円で原先生と映画館を借り切って映画を観るという、
疾走プロダクションのダメ企画があったらしく、それにふたりで行かないかと。
困惑したわたしは詳細がわかったら教えてくださいと返答したと思う。
原先生に逢うのだったら電話したら、数分くらい逢ってくれるでしょうと彼に伝えた。
30万円も払うことはない。

さて、ここからはSくんではなくSさんになる、なぜなら感謝しているからだ。
もう原教授や奥さまの小林教授に再会することはないと思っていた、
でも、28歳のSさんから不思議な電話があり、一度は主義を守ろうとお断りした。
しかし、翌日どうしてかわからぬが考えが変わった。
フルネームを知らぬSさんに電話をして、いっしょに行ってくれませんかと。
こうしてわたしと因縁深い呪縛的関係にある原一男夫婦との再会と相成ったのである。
最初は「ニッポン国VS泉南石綿村」で、
そのあと3、4時間後に「ゆきゆきて、神軍」絶叫上映である。
飲もうぜ、店はSさんが選んでくれと師匠気取りであったが、
居酒屋は苦手な24時間営業の某チェーン店だった。
おごってくれるという。果たして28歳の若者に総額7千円もおごってもらっていいのか。
去年逢ったときは金欠でピイピイしていた記憶しかないのだが、
ある意味で専門職であるSさんは職場をかえ、収入も増え、
同僚の2歳年下の彼女もできてハッピー感がうかがえたので、
いいのかなあ、いいのかなあ、と最後まで思いながらご馳走になった。
奥崎謙三くさいインチキ霊言者めいた言葉を発しますよ。
「わたくしと逢った人ってそのあとかならずといっていいほど運がよくなります」
実際そうなのだが、それを証明しろと言われても困る。

みなさんがわずかでもご興味をお持ちでいらっしゃるのは、
「ニッポン国VS泉南石綿村」鑑賞後の恩師と自称一番弟子の質疑応答でしょう。
しかし、それはしばらく隠しておきたい。
わたしにとっては本当に深い意味のある問答で、悪罵でもなんでも可能だが、
これはしばらく寝かしておきたい。
まあ、それをリアルで目撃、聴聞できたSさんおよび、観客30人の報酬と言いますか。
「ゆきゆきて、神軍」絶叫上映のことも今日は書かない。
ツイッターとか人を精神的に貧しくさせるだけだと思う。
思ったことを(まったく寝かさないで)すぐその場で言って仲間と共有しあうなんて、
孤独を必要とする創作行為とは正反対に位置するだろう。
原さんもツイッターなんか辞めたほうがいいと思うが、
もう他人の意見は聞かない巨匠にそれを言っても仕方がない。

Sさんは昨日、
ものすごくおもしろいドキュメンタリーを距離1メートルで目撃した可能性がある。
わたしが恩師の原一男先生と17年ぶりくらいに再会したんだから。
正直、Sさんと去年、一遍の寺で逢ったときは、なんだこいつと思った。
名字だけしか言えないとか、それはないよなあ。
しかし、昨日不思議な因縁がわかり、出逢いの複雑性の無知を恥じた。
Sさんだって原先生の映画を、
自称一番弟子のわたしを通じて鑑賞することができたわけだからこれも不思議な縁。
昨日のことは書かないことに意味があるのかもしれない。
まあ、明日書いちゃうかもしれないけれどさ。
いろんなことをいまでも考えている「特別な一日」でございました。
原教授の奥さまの小林教授にご挨拶できなかったのが当方の未熟です。
おそらく勘違いでしょうが、小林教授とは一瞬の心のつながりがありました。
生きているもんだなあ。Sさん、小林教授、原教授、昨日は本当にありがとうございました。
あれからほぼ泣きつづけているといってもよい。


※Sさんの強いご希望により掲載↓「言いたい事も言えないこんな世の中は」