6月25日、表参道へシナリオを勉強に行く。
あんがい講義も悪いものではないとこのごろ思うようになった。
書物で独学するのではなく、講義を聞きながらノートを取るのもいいもんだ。
「ちがう」と思ったら、その場でも授業後でも質問しようと思って聞いている。
すると、あたまに残るのね。書籍を読むより深いところにシナリオ技術が入り込む。
これはわたしだけやっているのだろうが、講義内容を復習がてらブログに書くのもいい。
書くことで理解が深まる。
そのうえ友人知人のシナリオ学習者にも影響を与えていると伝え聞く。
こういうところではケチではないから、「敵に塩を贈る」などと考えたりはしない。
むろん、講義内容の肝心な部分をカットしたりもしていない。
結局は才能の問題だと思っているからである。
いくらシナリオの知識を増やしても、書けない人間には書けない(わたしも含めて)。
やはりシナリオの書きかたは教えられるものではないという確信があるのである。
シナリオ・センター所長の後藤千津子先生のご講義を拝聴するのも今日で最後。
感慨深いものがあります。
先生にとってはこんな受講生の存在はご迷惑なだけだったでしょうが、
これもなにか不思議なご縁があったとしか思えません。
5ヶ月にもわたってお話をうかがい、
後藤千津子さんがシナリオに一生懸命なことがよくわかりました。
シナリオとはなにかを人一倍、考えていらっしゃる。
どうにかしてセンター受講生にいい作品を書いてもらいたいと熱望している。
おもしろいドラマにわれを忘れたことがある。
シナリオに夢中になったことがある。いまは教えることに夢中になっている。
疑いもなく後藤千津子さんの情熱は本物としか言いようがないものでした。
最後の講義は「回想・ナレーション」。
ナレーションは、大きくわけてふたつあります。
三人称で語る全体ナレーション。NHK朝の連ドラで決まってあるあれです。
それから主役の声。これは一人称です。オフの声とも言われています。
全体ナレーションは、ナレーターと呼ばれる発声のうまい人間が担当します。
これは役者が新人で演技力がないときに有効なんです。
新人はうまく「嬉しい・悲しい」といった感情を演技で表現できない。
ナレーターに「そのとき太郎の胸は悲しみではちきれんばかりだった」。
こう言わせたら役者の未熟な演技を補うことができます。
しかし、基本ナレーションは使わない、と思っていてください。
こうして教えているのは、みなさんがプロになったとき、現場で必要だからです。
とはいえ、ナレーションは最後の手段と思っていてほしいのです。
なるべくなら映像で表現するよう努力してほしい。
セリフでどうにかうまく伝えられないか。小道具を使ってもいい。
ナレーションというのは稚拙なんです。
ものすごい簡単になんでも表現することができてしまう。
だから、安易に使ってほしくないのです。
みなさんがいまなさっている習作の20枚シナリオでなら、
ナレーションなんかまったく必要ありません。
と言いましたが、ナレーションが有効な状況もあります。
ナレーションを使うとピタッと決まるときがある。
どういうときにナレーションは有効か。いまからお話します。
・複雑な社会状況を伝えたいとき。
とても映像(ト書き)では複雑な社会状況を伝えられないときがあります。
このようなときナレーションを使用するといいのです。
まず基本として、これを覚えておいてください。
ナレーションは絵柄とは別である。
セリフだったら登場する役者が言わないといけないでしょう。
しかし、ナレーションはそうではないんですね。
たとえば、フランス革命前夜を描きたいとする。こう書きます。
○パリ市街。
人々が右往左往する。
T.1789年7月13日パリ
N「1789年7月13日、パリはあたかも祭りの前夜のようであった」(以下、延々と)
ちなみにTはタイトル、Nはナレーションを意味します。
柱のあとにいきなりナレーションを書くのはやめてくださいね。
ナレーションのまえにト書きを書く。
つまり、ナレーションが流れるときの絵柄(映像)を決めておかなければならない。
ナレーションが有効なときはもうひとつあります。
・複雑な心理や感情を伝えたいとき。
脚色の場合、どうしても映像では表現できないケースがあります。
むかし、立原正秋さんの小説のドラマ化がよく行なわれていたんです。
ところが、問題がある。立原さんの小説には男性人物に特徴があります。
どこか無常感を漂わせている男性なんですね。
こういうのは映像になりません。
「その日、茂子は忠志がまったく変わってしまったのを感じた。
もしかしたら自分が変わってしまったのかもしれない。
茂子はその日も忠志と図書館で逢ったのだった。
忠志はいつもとなんら変わらなかった。
しかし、茂子はそのときの忠志を見て驚いた。
あれほど燃えていた恋心がきれいさっぱり消えてしまったのである」
こういう小説本文があったとします。これは映像になりません。
しかし、重要な場面ですよね。恋心が冷めてしまったのだから。
どのように原作に忠実に描いたらいいか。
これはもうナレーションで説明するしかありません。
○図書館
茂子、入ってくる。忠志を見る。
茂子の声「ちがう。今日の忠志さんはどこかおかしい。
あ、消えている。あたしのあれほど熱かった恋心が」
こういうふうにやるしかありません。
以上がナレーションの技術です。
さて、回想に入りましょう。
回想は、書くがわは簡単なんです。「○回想」これでいいのですから。
しかし、見ているがわは、回想は理解しにくいのです。
たとえば、女主人公の桜子(20)の日常を描く。
つぎのシーンで少女時代の桜子(11)の回想を描いたとする。
見ているほうは、この少女が桜子だとはふつうわかりません。
なぜならドラマの時間は直線的に流れているからです。
「昨日→今日→明日」、これがドラマの基本の流れなんです。
見ているほうは、前シーンと現在のシーンの関係をこの流れに沿うものと思っている。
だから、回想は視聴者が集中していないテレビでは使わないほうがいいのです。
向田邦子さん、倉本総さん、山田太一さんは、ほとんど回想を使いませんでした。
視聴者がわからなくなっちゃうからです。
(へええ、だから向田邦子は直木賞受賞の
「思い出トランプ」で回想ばかり使ったのかな)
とはいえ、テレビでもこういう回想ならあります。
連続ドラマでまえに使ったシーン(映像)をもう1回使うことはあります。
最終回では、これをたくさんやりなさい、と局側から指示されることも少なくないです。
回想は、映画のものなんですね。映画の70%が回想。
こんな言われかたもされているくらいです。回想の種類。
1.直線回想法。サンドイッチ回想とも言われています。
回想をふたつの現在で挟むから、サンドイッチ回想。
「現在(前)→回想→回想(後)」というやりかたです。
かといって、単純な思い出はつまらないのですよ。
若夫婦が新婚旅行の思い出を語らっている。
花子「いまどき熱海なんてとおもっていたけれども」
熱海の回想。
花子「熱海からタクシーでディズニーランドへ」
ディズニーランドの回想。
こういうのはつまらないからやめてください。
だったら、回想なんか使わないで同時進行で映せばいいのですから。
そのほうが観客も楽しめる。
もしかしたらこの新婚夫婦は喧嘩して別れるのじゃないか、なんて思いながら(笑)。
最悪なのは、「恐かったわよね」で回想に入るパターンです。
たとえ、どんな強盗に遭うにしろ、観客には結末がわかっている。
夫婦はぶじ家に戻ってきている。
強盗には殺されないとわかっている。これではちっともドキドキしません。
重要なのは変化です。ドラマは変化を描く、は新井一先生の口癖。
回想の前と後でなにかしらの変化が生じていることが重要なのです。
列車が山のトンネルをくぐる。この山が回想なんです。
トンネル前とトンネル後で変化がなければならない。
たとえばトンネル前は乗客を満載していたのに、トンネル後は空っぽに。
トンネルでなにがあったか気になるでしょう。
こういうふうに回想シーンを書いてください。
回想は映画のものだと言いました。
映画は回想をどう使うかが重要なんです。
かならず現代(にもっとも近いシーン)から映画は始まります。
老人がパイプをくゆらしている。孫のやってきた声なんかが聞こえる。
この老人の青年時代が映画の主内容なのですね。
で、最後は老人と孫が対面して遊んでいるシーンで終わる。
これが映画の回想です。かならず入口は現代(に近い)と覚えておいてください。
具体的な回想の書きかたを明示しますね。
○小林家・庭
幸恵は庭石をじっと見つめる。
幸恵の声「あれは10年前のことであった」
○回想・同・庭(夜)
幸恵(14)が庭石にぽつりと座っている。
幸恵の声「あの日、あたしは女になったのだった。ただ孤独で」
幸恵は立ち上がり星空を見る。
簡単でしょう。回想の代わりに過去という柱の立てかたをする脚本家もいます。
そんなにむかしではない、たとえば半年前の回想をしたいときはどうしたらいいか。
ナレーションで説明するのもいいのですが、
タイトルで半年前と出してしまう手もあります。
「〜〜の声」はいろいろと使えますからね。
ポイントは絵柄に関係なくナレーションが使えることです。
○ニュース映像
T.1976年
ベトナム統一選挙。
小林の声「ボクが生まれたとき、父は海外にいた」
○ニュース映像
田中角栄逮捕。
小林の声「父が最初にボクを見たとき、こう言ったと聞いている」
こんな感じで絵柄だけ変えて、ずっとおなじナレーションで語ることも可能。
重要なのは柱のはじめに絵柄を書いておくことです。
後藤先生、このシナリオ技術が受講生にちゃんと伝わったかえらく不安げ。
何回も「わかりましたか」を繰り返す。
ボク、いい子だからコクリとかわいくうなずいてしまったよ。
ほらね、先生、ちゃんとわかっているでしょう。伝わっていますよ。
今日はたいそう講義内容が濃い。いつものように自分の思い出話をしない。
シナセン大阪校のHPを見てみると、後藤先生、毎回おなじ回想をしているらしい。
講義における笑わせどころとかも、完全に把握しているのだろうな。
なんだか先生というより講談師、芸人という感じでとてもいいと思いますよ。
回想に戻ります。後藤先生の回想ではなく、シナリオ技術の回想。
「回想の中の回想」、これをどう処理したらいいか。
映画ではけっこう使われています。
現在は70歳。回想で40歳に。さらに回想で20歳。最後に70歳に戻る。
こういうのをシナリオでどう書いたらいいのか。
「回想の中の回想」なんて書くことはありません。柱は回想でいいのです。
ただし登場人物の年齢をきちんと明示することが重要です。
○回想・小林家・居間
幸恵(50)が息子(25)を叱っている
○回想・同・居間
幸恵(25)が父親(50)から叱られている。
要は、年齢を書き忘れないことです。
回想と似たものにイメージがあります。
両者の相違は、回想は実際に見たもの。イメージは、見ていないもの。
イメージ映像をどう使うかは、これからの映画にとって重要かもしれません。
書きかたは回想とおなじです。「○イメージ」と書けばいい。
このあと後藤千津子先生が海外でご覧になった(言葉のわからない)映画の話をする。
これが非常に興味深かった。なるほど、そういう使いかたがあるのかと思った。
わざわざシナリオ・センターまで足を運んでよかったと思いました。
たしかにイメージ映像の使用は、映画の進化のカギになるかもしれない。
所長さんのお話のなかで、もっとも勉強になりました。
イメージで内面描写をやってしまうのである。
後藤千津子先生の発見に敬意を表してオリジナルのお話は隠します。
わたしが考えたのは以下――。
花子が先輩に失恋してしょげている。花子が幼なじみの太郎に愚痴。
こういうシーンのつぎにイメージを使う。
イメージ。太郎が花子を布団に押し倒す。
シーン変わって、花子の愚痴が続く。
このあとで花子が先輩とホテルで結ばれてしまう。
太郎の後悔がよく伝わるでしょう。太郎は悔しくて自殺をする。
首を吊っている太郎。
このつぎにイメージを入れる。イメージ、教会で結婚の宣誓をする太郎と花子。
シーン変わって、太郎の首吊り死体。
イメージ映像によって太郎の辛かった思いがより強調できていると思いませんか。
いままでは直線回想法の説明をしました。
2.扇状回想法。
黒澤監督の「羅生門」が代表例です。いろんあ人が回想をする。
これはかなりややこしくなるから見ているほうが苦しい。
わざとわかりにくくするためにやると思っていてください。
やさしいストーリーラインでやらないとなにがなんだかわからなくなります。
現在を、いろいろな回想が扇のように取り囲んでいるから扇状回想法。
柱は「○花子の回想」「○太郎の回想」、こんな感じで書けばいいわけです。
いやあ、最終講義は中身が詰まっていました。
思わずお話に聞き入ってしまいましたもん。へえへえ、なるほどと。
わたしは山田太一氏のドラマでシナリオを独学した。
氏はテレビだから、ほとんど回想をやらない。
だから、勉強になったのかもしれません。
なんて強がるのはやめよう。5ヶ月間、後藤先生の講義はためになりましたよ。
20枚シナリオを書いているとき、ふっと先生のお話を思い出す。
これは独学では決して得られない功徳でしょう。対面伝授のちからです。
ここにお礼を申し上げます。
後藤千津子先生、長いあいだ、ありがとうございました。
講義終了後、後藤先生に質問に行く。
「先生の所長としての長いご経験からどう思われますか?
わたし、研修科でやっていけますかね」
やってごらんなさいよとのお答えをいただく。
まあ、どうなんでしょう。所長さんとしては、本音を言えない立場ですからね。
ひとりでこつこつなさったらどうですか、とは言えない。
しかし、そう言われたら長年の経験からのご判断でしょうから、
ほんとうに行くのをやめていたと思います。
研修科で毎週、発表できるのは4人程度。
けれども、課題を毎週提出するのは構わないとのこと。講師が読む。
だったら、最速の8ヶ月で全課題を終わらせてやろうかと思う。
後藤先生によると、それは難しいとのこと。
受講生の批判(感想)を聞くと、だれしもそうとうなダメージを受ける。
つぎは好評を得ようと思うと書けなくなるらしい。そんなもんかな。
たしかに大学生から「このシナリオは人間を描けていない」なんて言われたら、
ぶち切れてそいつを殴ってしまいそう……。
あ、わたしは研修科でキャラ設定を変える予定。
まあ、猫かぶるってやつだよ。
いっさい他人のシナリオの批判はしない。自分がされたくないから。
貧乏臭い正体不明の猫かぶりおっさんに変身しますね。
もちろん、このブログのことも教えない。
いや、しかし、楽しみだ。シナリオを書くのがこんなに楽しいとは思わなかった。
あと30本も習作を書けるのか。カネを払って締切があったら、まあ書くだろう。
いったいどんなものを書くのか。
自分がいちばんの愛読者だから(自己愛きめえ!)。
あいだにコンクールで賞金、取れたらいいな。
うまく小説も書けるようにならないかしら。
というわけで「シナリオ・センター日記」は継続しますのでよろしく。
ちなみに研修科の講師の名前が明らかにされることはなかった。
いいよ、どうせ聞いても知らない人でしょうから。
シナセン出身の温厚なおじさん、おばさんだよね。
創作は教わるものではない。自分で書くことによってしか学べないもの。
講師に期待はしておりません。
研修科は定員になると締め切るとのこと。
どうか所長さんのご恩情でデカダンさんとわたしを引き離さないでくださいませ。
だって、わたし吃音だからシナリオ朗読は無理。
やればできるだろうけれど、言いにくい言葉をとっさに変えてしまう。省略しちゃう。
これでは意味がないと思う。デカダンさん、よろしくお願いします。
相変わらずシナリオに心理描写を書きますが、声に出して読まないでいいですから。
この5ヶ月間、ほんとうに楽しかった。
シナリオを一作書くごとに発見があったからだ。まだ終わりではない――。
(追記)この日の講義途中に、あれはマイクがおかしくなったのかな。
教室後方にいたシナセン事務局の男性が調整のためわたしのまえに現われた。
これから書くことは被害妄想かもしれない。
2ちゃんねるでうちのブログを攻撃しているのはこの男性じゃないかな。
あきらかにシナセン内部の人が書き込んでいるのよ。
この人、よく覚えていてね。
4月16日の「セリフの技術(3)」のときにおかしかった。
わたしをニヤニヤ見るのが不愉快でね。どこか小馬鹿にした感じで。
この日、ネームプレートを見るとKというらしい。
シナセンの代表さんとおなじ苗字である。もしかしたら――。
息子さんかな。代表は新井一のお嬢さんだからKくんはお孫さん?
だったら、このブログに腹が立つのはよくわかります。
大切なお祖父さまとお母さまですものね。そのうえKくんは次期代表。
ここでKさん母子に深くお詫びします。
いえ、2ちゃんねるで批判してもいいんですよ。
わたしも「本の山」でシナセンを批判しているから、逆にされるのは仕方がない。
ただ、だれが書いているのか興味がありましてね。
受講生じゃないと思ったの。内部に詳しすぎる。
直感が正しいか、それとも被害妄想なのか。
うん、Kくんのような気がするな。どうかこれからはお手柔らかにお願いしますね(笑)。
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