わたしは精神科や心療内科に一度も行ったことはないが、母は精神病だった。
精神病だった母はわたしのことを精神病と診断し、
秋葉原の四宮医師もわたしを精神病と診断していると声高らかに笑った。
わたしは母の死後、四宮医師と面会したが善良な職業人であった。
母の死後、日記を見るとわたしの悪口ばかり書かれているのである。
母は勝ったと思う。いまのわたしは社会的評価といっさい縁なく、
孤独で虚無的な最低の四十男になっている。
母は勝った。わたしは負けた。それだけの話。母の呪縛は怖いという話。
――みんな死んだら終わり。
むかしは街中で美男美女のカップルとか見るとムカついたけれど、
いまはほのぼのええなあ、ええなあと。
高校生の美男美女カップルとか見ると最高に幸せな気分になるねえ。
美しいものはよろしいでがす。
未来や青春や希望の香りがするものはよろしいでんがな。
この子たちはどれほど幸福なんだろうと妄想するとこちらも楽しくなってくる。
なぜなら、来世への希望が生まれるからである。
まあ、いまはハズレ籤(くじ)を引いちゃったけれど、いわば籤はハズレが当たり前。
人生こんなもんだし、そんなもんだし、まあ、そういうことよ。
どうせ死んでも生まれ変わってくるんだから(当方の妄想=信念)、
来世でああいう思いができたらなあ。できなくてもそのまた来世で。
若い美男美女のカップルは本当にいい。ほれぼれする。
母が自分のいろいろな問題をそのまま放り投げて投身自殺をした。
父はその問題から逃亡したから、
必然として当方が地獄絵図のようなアルバムを継承した。
おれは百歳まで生きて仕事をすると言っていた父も去年脳内出血。
当方は母からも母の主治医だった秋葉原のS先生からも精神病診断を受け自滅寸前。
父が死ぬのと私が死ぬのとどちらが先か。
父に先に死なれてしまうと後処理がめんどうくさいなあと。
しかし、もうすぐどちらも死ぬだろう。そうしてはじめてこの重い問題は消える。
父からは「土屋の血を絶やすな」と言われているが、不幸を連鎖させてどうする?
もし私が運よく偽善女をだまして家庭をつくったら
(それが当方の容貌、収入ゆえに困難なことは救済)、また不幸が継承されるわけだ。
いろいろ調べたが、もとから父の実家も母の実家もいろいろ難題をかかえており、
その結晶として父と母が結婚して私が生まれた。
母はもうとっくのむかしに私の目のまえで、なにかへの復讐のように死んだ。
父も私も、おそらくもうすぐ死ぬだろう。これですべて消滅する。それでいい。それがいい。
まったくまったくめんどうくさいうんざりげんなりな鬱陶(うっとう)しい人生でした。
陰鬱で孤独で絶望的な日曜日を無為にだらだら時が過ぎるのをぼんやり眺めている。
ケチのつきはじめは母の発狂で10年以上、精神不安定、精神異常の母の相手で困った。
そのあげくが目のまえで自殺されて、死後発見された日記には悪口がぎっしり。
だれも自分の気持をわかってくれないだろうとすべての知り合い親戚と縁を切った。
友人はひとりもいなかったから、まあ、わたしも精神病なのだろう。
母は重いものをすべてわたしに押しつけてひとりで極楽浄土に往ってしまった。
父は母からは逃げ続けで、母のことはすべてわたしに任せると行って仕事に逃げた。
ヘビーなお荷物をかかえながら、なんとか踏みこたえて一線は超えなかった。
宮本輝の小説のような「救い」があると信じていた時期もあったが現実は違った。
少年時代からわたしは父と母のダブルスパイをやらされていたようなものだ。
早くから別居していた両親だが、ふたりの交渉人の役をなぜか押しつけられた。
繰り返すが、そのあげく母から復讐のように目のまえで飛び降り自殺をされ、
血まみれ死体を見させられ、死体処理をいやいやながらせざるをえなかった。
父の携帯に電話したら、いまから仕事に行くからで、男は通夜にも葬式にも来なかった。
母はむかし一時期ナースをしていたようで、そのときの友人がいたと聞いた。
わけもわからずお葬式に呼んだら、そのいまは偉くなったナースは香典をくれた。
香典返しはいらないと言われたし、ほとんど人の集まらない葬式だったから、
そういうお返しをしなかったら、かの母の友人は怒ったようだ。
母に目のまえで自殺されてどうしたらいいかわからないわたしがナースに電話して、
せめて母の若いころの話を聞きたいとお願いしたらけんもほろろに拒否された。
あとで別から聞いた話だが、ナースは母のことを友人ともなんとも思っていなくて、
ただの迷惑なきちがいと避けていたらしく、わたしもきちがいあつかいだったとのこと。
母は精神科に通っていたが、自分はうつ病だと言っていた。
死後知ったが、実際は妄想のある躁うつ病(非定形精神病)であった。
母はよく言っていた。ケンジ(わたし)のほうが精神病よ。
S先生(母の主治医)もケンジは精神病と言っているわよ。
一度、診てあげるから連れてきなさいよって。
父にいくら問題の重さを訴えても、「おれには仕事がある」「それはケンジに任せた」――。
父とわたしの関係がいいはずもない。
いままで父からは年に2、3度電話が来る程度だった。
数年間、一度も逢わない時期もあった。
去年父が脳出血で倒れ半身麻痺になる。
いまは父からひんぱんに電話が来る。逢いたいという。
なぜと聞いたら、おまえを心配している。
お人よしにも逢ったら逢ったで言われるのは、
「おまえは息子なんだからもっと父親の心配をしろ」。
新聞とテレビが大好きな父は、おまえは世間を知らないという。
両親の墓のことでもゴチャゴチャがあって、
これはネタとしておもしろすぎるので、ここに書くのはもったいない。
先日、また父から電話が来て墓をどうしろこうしろと、
まるで部下にするように指示してくるので、わたしは電話で大声で怒鳴った。
父はシュンとした。父相手に大声で怒鳴ったのはたぶんはじめてだろう。
それからラッキーなことに電話が来ない。

母が自殺したころ、香港の美少女とメール文通(英語)していた。
香港美少女とはインドのアーグラでめぐりあった。
香港へ彼女に逢いに行き、家族と対面したこともあった。
母がわたしの目のまえで飛び降り自殺をしたとき、
そのいきさつをまたまた和英辞典、英和辞典にかかりきりで書いた。
その返答は、ものごとをプラスかマイナスかどう見るかは、
その人の視点による――であった。
なにもわかってくれないとわたしは彼女との縁を切った。
というよりも、メールの返信をどうしても書けなかった。
その5、6年後に今度、大阪に取材に行くが逢えないかとメールがあった。
彼女はジャーナリストになっていた。わたしはなにものでもなかった。
またもやメールには返信しなかった。
母の死後、17年が経ち、いまは彼女の言い分もわかる。
なにが言いたいのか。
このブログ記事は当方のマイナスではなくプラスを書いている。
当時は友人と言えば香港の女の子ひとりしかいなかったが、
いまはこのマイナス記事がプラスでもあることを
(おそらく)わかってくれる友達がふたりいる。ひとりからふたり。
17年でそれだけかよと笑われそうだが、見方によっては倍増したのである。
「人生の道しるべ」(宮本輝・吉本ばなな/集英社)

→対話集だが、これはとくに宮本輝に言えるのだが、
作家というのはうまい(売れる)小説を書ける人というだけなのに、
どうして人さまの人生指南をしたくなってしまうのだろう。
やはり宗教が関係しているのかなと遠藤周作もそうだったなあと思う。
15年くらいむかしのわたしにとって宮本輝は絶対的な師匠ともいうべき存在で、
とにかく逢いたかったけれど師匠が池田大作を畏怖するのとおなじで、
わたしも宮本輝がとても怖い師匠に思えて逢うなどとんでもないと思っていた。
それがいまでは宮本輝にことさら逢いたくもないし、
怖い人どころか師匠とさえ思っていない。
これは紫綬褒章作家の宮本輝の成熟、老成の深みに、
わたしがついていけなくなったからだろう。
氏はわたしなんぞが理解するには及ばぬほどの文学的高みへお登りになられた。
宮本輝が堕落したのではなく、わたしの劣化が著しいのだろう。
氏は苦労自慢(不幸自慢)を好んでするが、
いまから見たら若干30歳で華々しく世に出て、
32歳の若さで軽井沢に別荘を購入している。
それから40年近く文壇の第一線で成功者として大勝利人生を歩まれておられる。
もう充分に人生のもとは取ったであろうが、その自信が宮本輝に説教をさせる。
おまえら、なんか文句があったらおれのように大勝利してから言えよ!

「いまは「あしたの千円よりもきょうの百円」でしょうから、
あしたのことまで考えてられるか、まして三十年後のことなんて、と。
「十年一剣を磨く」という言葉がありますが、
たとえば剣道なら十年竹刀を振り続ける。
最初の一日目なんてへろへろになるけれども、これを十年やることで、
ものすごい大きな結果へ至るようになる」(P48)


もう40年も富裕層として大勝利人生を満喫していらっしゃる氏は、
いまの社会底辺に埋もれている人のことをなにも知らないのだろう。
そもそも逢うことがないだろうし、逢っても通り一遍の励ましをするだけで、
胸襟を開いて話すということがない。
わたしはまだギリギリそこまで行っていないが本当の貧困中年にとっては、
「あしたの千円よりもきょうの百円」なのである。
その百円がなかったらあした派遣先の職場に行けないという感じで暮している。
それも彼の努力が足らないからというのではなく、
同身分ゆえ厚かましくも人生来歴を聞いてみると、よほどわたしよりがんばっている。
宮本輝は小説のなかで恵まれていないものを努力が足らない、
それは修業しなかったからだと老いた富裕層に批判させるが、
てめえの目でものを見てから言えと申し上げたくなるが、聞く耳を持たないだろう、
「10年やれ」というのは宮本輝だけではなく、多くの成功者が好むフレーズのようだが、
ブログ「本の山」はもう今年で12年になるが、まったく世間からは評価されず、
それどころかアクセス数は下がるいっぽうで、
むかしはよく来ていたメールもぱたりと来なくなった。
それが当方の人品の卑しさ、心根の悪さの「現証(結果)」なのだろうが、
こうまでだれからも相手にされず黙殺されると
無力感、不全感、孤独感に押しつぶされそうになる。ひとりでさみしい。
宮本輝はよく30年後を見据えて生きろと説教しているが、
どのみちこちらは不健康な生活をしているのでそんな長生きはできそうもなく、
30年後の1千万よりもいまの100万円がほしい。インフレだってないとはいえない。
いくら職人が30年腕を磨こうが技術革新で全部パア。
かなしくも熟練職人が失業者になってしまうのが進歩のやたら早くなった現代社会である。

売れなくなった老作家は(それでも過去の印税収入があるんだからいいだろう?)、
かならずといっていいほどいまの売れている作家を批判する。
本人は師匠先生きどりで若僧を叱っているつもりなのだろうが実際はパワハラだ。

「ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。
最近の作家たちでせっかくいい才能があるのに伸び悩んでいる人の脆弱さは、
ここに原因があるのと違うかな。
作家は生とはなにか、死とはなにかの問いに入らざるを得ない。
死という不可視なものを描くからこそ、
自分の生死に関する哲学や思想の立ち位置がものをいうと思う」(P111)


宮本輝の死生観は自分で考え尽くしたものではなく、
創価学会で教わった借りものだが、それでもないよりはいいのだろう。
だったら、わたしも創価学会に入りたいと思ってブログでアピールしても、
いまの創価学会さまはお偉くなったようで当方ごとき下層民は相手にしてくれない。
宮本輝の死生観は池田大作に教わったものらしいが、
宮本輝はそれにうまくだまされることで、
本当に自分のあたまで死を考えることから逃げている。
しかし、それが賢い生き方とも言えて、
なぜなら紫綬褒章作家の氏はいま大勝利という現証が出ているからである。
大勝利作家である宮本輝(池田大作)の死生観を拝聴しよう。
宮本輝は池田大作のことを創価学会機関紙(誌)以外では「ある人」「その人」という。
やはり自分が学会員であることを隠したい気持が働いているのだろう。

「その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬(たと)えていました。
命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、
海にぽとんと落ちると。落ちた瞬間はまだインクは青い。
でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。
しかしインクは消滅したのではないよね。そのインクは、
海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。
海そのものになることが、死なのだと。(……)
海、あるいは大宇宙そのものに溶け込んでいくことで、
なんらかの縁が重なり合い、また別の存在として再び生まれてくると。(……)
これは輪廻転生ともまた違う捉(とら)えかたですよね。
そのまま戻ってくるんじゃなくて、また別のものになるわけです。
ともあれ、死を宇宙とまじっていくと考えると、なんか楽しいよね」(P116)


どのみち死後の世界はだれにもわからないのだから、
無になると考えるのも悪くないが、
氏のように楽しい死後の世界を思い描くのもよかろう。
わたしはまた別の物語を持っているが、これは優劣を競うたぐいのものではない。
いまもいま来世待ちというか、
いまもいま「死後の世界」を生きているようなところがある。
このため職場で東北弁のイワマとかいういかにも冴えないおっさんから
ラックを故意にぶつけられ意味不明なことを大声で怒鳴られようが、
それをどこか離人症的に「死後の世界」からながめることができて、
そこまでムカつくということはないし、だからだろう、明るくいられる。
ああ、こいつ、ある精神科医の書いた小説に出て来たアズマくんそっくりだ、
なんて思いながら。少しは大人になったのかもしれない。
明るい大人に少しだけ近づいたのかもしれない。
宮本輝いわく、大人とは――。

「自分の実人生と、自分が読んださまざまな小説が、
あるとき歯車のようにガチャッとはまるときが必ず来ます。
それが大人になるということかもしれませんよね」(P143)


宮本輝も吉本ばななも大人である。
たぶんおそらくいやかならずや宮本輝は吉本ばななの小説を理解できない。
同様に吉本ばななも宮本輝の描く通俗世界観に抵抗があるだろう。
しかし、ご両人とも大人だから、お互いの作品をこれでもかとべた褒めする。
大人、かっこいい♪
しかし、まだ吉本ばななは大人になり切れていないようで、
すぐ(学会員ゆえ)大声で怒鳴りそうな宮本輝を
あやうく着火させかねないひと言を口にしている。

「それでいえば、輝先生の小説を読んで、結婚に夢を抱き、
堅実であたたかい暮らしが永続することを、
ひとつの理想と感じる読者は多いかもしれません。
そこは意識されていますか?」(P143)


しょせん宮本輝の小説なんて通俗幸福家庭をなぞっているだけではないかと。
新しいものがなんにもないじゃないかと。
吉本ばななだけではなく、宮本輝も大人げない発言をしている。
気が小さい繊細な自信家である宮本輝は、
ネットで自作の感想のチェックを怠らないらしい。

「『水のかたち』は、ぼくにしてはちょっと荒唐無稽な夢物語に仕上げています。
だから、アマゾンのカスタマーレビューで「ただの夢物語」なんて、
みそくそに書いたやつがいたよ。(……)
正体がわかったら首絞めたるねん(笑)」(P24)


わたしもネットに似たような感想を書いているが著者には申し訳ないことをした、
首を絞めたかったら首を絞めに来い。お電話いただければ住所を教える。
土屋顕史(080-5188-7357)
どうせ専属秘書やテルニストと呼ばれる狂信者(愛読者)が来るのだろうが、
当方もはや現世にさほど執着はなくいつ絞殺死体になっても構わない。
武闘派学会員とうまく連携すれば首つり自殺に見せかけることなど朝飯まえだろう。
かつて宮本輝はわたしの師匠であった。
どうしたらあんなにすばらしい短編小説を書けるのか不思議でしようがなかった。
それを知りたくて調べていたら創価学会まで行き着いてしまったわけである。
そう、わたしは創価学会から仏教という広い海に分け入ったのである。
宮本輝はもう一度若いころのような作為のない短編を書きたいといっている。

「三十枚の短編の依頼を受けて、一日五枚、適当に書いとったら六日間でできる、
というような計算って、ちょっと違うと思うんです。そこには作為がついてまわる。
作為を自分で意識しないで、気がついたら完成しているって、
なかなかすごいものですよ。いずれにせよ、その「作為」にまつわる問題は、
重要なポイントになる気がします」(P64)


いまの宮本輝の長編小説って作為が見えまくりだもんね。
ああ、創価学会のあの教学で書いているんだと底の浅い設計図が透けて見える。
もう宮本輝がかつてのような珠玉の短編を書けなくなったのは、
あながち作者ばかりが悪いというわけではないのだろう。

「『泥の河』にしても『螢川』(新潮社)にしても、
全部自分の中に残っている風景の郷愁として書いてきたんです。
風景に触発されるところが多かった。
ところが、ある時期から風景に触発されなくなったんです。
それは日本のどこへ行っても同じ町ばかりになってしまったから。
いちど行きたいと思っていた地方の町へ足を踏み入れても、
ぼくのいま住んでいる伊丹とたいして変わらん。
大きな街道沿いに量販店があり、コンビニ、パチンコ店、モールがあって。
がっかりするんやね。そうすると、だんだん旅に行かなくなった。(……)
ぼくはなんと言うのかな。風景の中の一瞬を切り取った「部分の風景」が、
自分の心のものとかちっと合ったときに、物語が生まれると考えていたんですよ。
でもよほどの山里に行かなかきゃ固有の景色などない。
そんなとこ、人間も住んでないしね。
人間がいないと小説は生まれないから困る」(P133)


それもたしかにあるのだろうが、いま泥臭い世界の物語は受けないよねえ。
泥臭い世界に咲いている花じゃないと映(は)えないというところがある。
とすると、小説の舞台を現代ではなく、少し戻さなくてはならなくなる。
暗い時代のほうが一輪の花、一番星の輝きは目立つような気がする。
いまはなんでもオープンになってしまった、真っ白でフラットな公明世界だから。
このため宮本輝がネットで自作の感想を読んで殺意を燃え立たせるという。
わたしもむかしは暗かったけれど、いまはかなり明るくなっちゃった。
相変わらず強くはなく弱いままで、幸福がなにかなんてさっぱりわからないけれど。
最後は大勝利者である宮本輝師匠の人生指南でしめよう。

「ぼく、楽観主義というのは、その人の天性のものではなく、
自己訓練の結果だとつねづね考えているんですよ。
自分の力では、いまはどうにもできないと覚悟して、ばたばたせず、
もうちょっとどっちへ行くかわからん小舟に乗っていられるかどうか。
こういうことは実人生においても、たくさんありますから。
そのとき幸福を求めている限りにおいて、人間は強くいられる」(P51)


わたしが「明るいニヒリスト」になったのには、
やはりいくばくかかつて師匠であった宮本輝氏の影響があるのかなあ。

「水のかたち(上)(下)」(宮本輝/集英社文庫)

→50を過ぎた志乃子とかいう、
もう子育ても終わりかけた閉経寸前の専業主婦のババアが、
ただでもらってきた骨董が3千万で売れ「わっはっは」と下品で無教養な大笑いをして、
さらにさしたる努力も信心もしていないのに次々に金が入ってきて、
最後には長年の夢だった骨董高級喫茶店を居抜きで任されるという夢物語である。
このババアは長年聖教新聞でも読んでいるのか、子どもには一丁前の説教をするのだ。
むかしの横綱は兄弟子からしごかれ、いじめられたが辛抱して努力して、
師匠の言葉を支えにして出世したんだから、おまえらも精進せえよみたいなさ。
実際に志乃子の息子は一人前の美容師を目指して師匠の先生について修業中である。
息子は師匠の美容師先生から毎日のように叱られ殴られ、
まずサービス早出を始めて、次にはサービス残業までするようになる。
ところが、母親の志乃子は厳しい修業をしないのである。
たまたま運よくいい食材(水、茶、コーヒー)の仕入れ先を紹介してもらい、
厚かましくも繁盛している喫茶店のマスターに仕事の仕方を無料で教えてもらう。
志乃子に次々と慶事が舞い込む理由を、
作者はこの中年女性の人柄のよさと運のよさに因縁づけている。
これはかなり「本当のこと」を描いているとも言えよう。

ほとんどあらゆる業界で先輩は新人に仕事を教えないで、
それどころかいじめて辞めさせようとうする。
というのも、新人はライバルなんだから、ほいほい仕事を教えてしまったら、
自分の優位性を保てなくなるし後輩や弟子から尊敬してもらえなくなる。
毎日大声で怒鳴るような師匠の先生は本当はインチキで、
たんに仕事を教えるのが下手な偏狭で意地悪な男なのかもしれない。
仕事を弟子に効率的に教えて自分より上手くなられてしまったら困るのは師匠。
弟子が仕事をおぼえないうちは師匠は自分を神秘化できるのである。
いったん師匠になれば弟子を殴っても蹴ってもいいし、
無給で何時間もただ働きさせることができる。
師匠とはいかに仕事を教えないで暴君として振る舞えるかが勝負なのだろう。
自分だって師匠になるまでは師匠からいじめ抜かれたのだから、
ひとたび師匠の座に着いたらどうして弟子をこれでもかといびらない手はあろうか?
創価学会の池田大作名誉会長は二代目会長の戸田城聖に奴隷あつかいされたから、
戸田が死んで自分が会長になったあとはおなじことを側近の部下にやり返した。
やられたことはやり返せ。人をいじめるほど楽しいことはない。
宮本輝も古株編集者や先輩作家から
「育てる」と称した陰湿な意地悪を数知れず経験したので、
自分が古株の芥川賞選考委員になったら新人の小説をクソミソにこきおろすのだ。
たぶん寿司をにぎる技術はけっこうかんたんに学校等で教えられるのだろうが、
どこどこで何年修業しましたとか苦労自慢をしないと箔(はく)がつかない。
飲食店経営は仕事の段取りと仕入れ先が勝負だろうが、
それは親切に教えようと思ったらこの小説のようにすいすい行くと思う。
しかし、庶民の苦労人は意地悪だから「鍛える」などといって相手をいじめようとする。

師匠や先生は弟子を奴隷あつかいでき、
かつ尊敬・崇拝してもらえるおいしいボジションなのである。
師匠や先生になったら弟子からいくらでも搾取することができる。
師匠や先生の役割は仕事を教えないで弟子をいじめることである。
師匠は絶対だとしたら目下のどんな仕事にもNGを出せる。
自分を超えそうな弟子がいたら早めに芽を摘み取るのも師匠の仕事のひとつだ。

小説のなかで、ブティックを経営する女社長は百パーセント創価学会員だろう。
女は気持の悪い学会的な指導を喜々として饒舌に語る。
彼女は南原というこれまた社長から鉄と鋼(はがね)の違いを教わったという。
いいか、気持悪いぞお。

「鉄の塊を真っ赤に熱して、それを大きな金槌(かなづち)で叩いて叩いて鍛えて、
鋼が出来あがっていくっていう喩(たと)えを引いて、
人間もまったく同じなんだって教えてくれました。
鉄を叩いて鍛えると、いろんな不純物が表に出て来るんですって。
それがあるあいだは、鉄は鋼にはならない。そんな鉄で刀を造っても、ナマクラだ。
鋼となった鉄でないと名刀にはならないって。
経済苦、病苦、人間関係における苦労。
それが出て来たとき、人も鋼になるチャンスが訪れたんだ。
それが出て来ないと永遠に鉄のままなんだ。
だから、人は死を意識するような病気も経験しなければならない。
商売に失敗して塗炭(とたん)の苦しみにのたうつときも必要だ。
何もかもがうまくいかず、悲嘆に沈む時期も大切だ。
だから、人間には、厳しく叱ってくれる師匠が必要なのだ。
師匠は厳しく叱ることで、弟子のなかの不純物を叩き出してくれる」(上巻P229)


何度読み返しても意味がわからない。人間は鉄ではないだろう?
「だから、人間には、厳しく叱ってくれる師匠が必要なのだ」は、
論理的に意味が通っていない。
「だから」で前後の文がうまく接続できていない。作者はもう一度、
師匠で世界一の名文家であられるいまもお元気な池田大作先生に、
震えが起きるほど厳しく叱られたほうがいいのではないか。
まさか自分はもう師匠格に成り上がったと慢心しているのだろうか。
無宗教の井上靖は名作「あすなろ物語」で人間を
永遠にヒノキにはなれないアスナロという樹木にたとえた。
学会員の宮本輝はアマゾンで絶賛されている名作「水のかたち」で人間を鉄にたとえ、
師匠から「焼き」を入れてもらうべしと指導・説教する。
師匠からの指導をパワハラだのなんだのというやつは根性が腐っている。
師匠から叱られたくらいでうつ病になるのは気合が足らねえんだよ。
これまた隠れ学会員かと思われる美容師見習いの青年は獅子吼する。

「パワハラなんて、オレの業界じゃあ伝統的な儀式みたいなもんだよ。
それが修業なんだ。
いじめられてへこたれて、いじけちゃうやつは、一人前になれないんだ」(下巻P12)


わたしは散髪はいつも千円カットだから一流の美容師がどういうものかはわからない。
しかし、高い散髪代を支払うお客がついている美容師は本物だろう。
この小説でもネタの使い回しというか、著者の俗物趣味である骨董の話がよく出て来る。
この感動的大作である啓蒙娯楽小説を何度も繰り返し読んで、
わたしは本物と偽物を見分ける眼を宮本輝先生から教わったような気がする。
身もふたもないことを言うと、本物とは高値がつくもののことである。
なんの修業も教養も必要なく、本物とは高額で売れるもののことである。
ある骨董品が本物か偽物かは、それがいくらで売れるかで判明する。
本物だから高値で売れるのではない。
高値で売れたことが当面それが本物であることを証明するのである。
結果(売値)が真贋(本物か偽物か)を証明するというのは、
創価学会の教える「現証」主義とおなじと言ってよかろう。
結果の出ない隠れた努力など意味はなく、現証(結果)がすべてである。
大勝利、大フィーバーしているものは金があるからその人物は本物ということになる。
商売の基本はいかに安くものを仕入れて、それをいかに高く売るかである。
ある人から健康食品業界の内幕めいたものを聞く機会があったがひどいものだ。
1円で仕入れてきたものになんやかんやと付加価値をつけて高額販売している。
新たな価値を創造するとはそういうことだ。
価値創造――創価するのは詐欺師めいた手腕を必要とする。

「水のかたち」で無学な主婦の志乃子は慢心して高笑いをしながら舌を出す。
「私には詐欺師の才能もあるかも」と(下巻127ページ)。
実際、志乃子はよく嘘をつくのである。
仕入れ先に転売額を正直に言うのはバカである。
バカ正直に本当のことなど口にするものではない。
志乃子はこざかしくも業者に裏金を何度かこっそり渡しているが、
商売とはそういうものなのである。キックバックは商売の基本と言ってよい。
志乃子という学会婦人部の教養のないババアは金を儲けたから本物なのである。
宮本輝も高収入で売れる作家だから本物である。
どうでもいいがこの文章の書き手は稼ぎが悪いから偽物である。
繰り返すが、宮本輝の定義では、本物とは高く売れるもののことだ。
ひっくり返せば、高く売られているものは本物ということになろう。
創価学会は日蓮正宗のコピーだが、
創価学会はコピー元より桁違いに金を持っているから本物なのである。
これが創価学会のいうところの「現証を見よ」だ。
愚かなものたちよ、現在の証拠――現証をしかと眼を見開いてご覧になられよ。

志乃子というどこにでいるような屑鉄めいたババアは、
ただでもらった骨董をまんまと3千万で売り飛ばすことに成功する。
ちゃっかり税金対策もしてもらい入金は千五百万ずつ2回に分割してだ。
金を手に入れたときの志乃子の描写が、
まったく品性のかけらもなく正直でとてもいい。
この小説でもっとも気に入ったところなので紹介したい。

「志乃子は銀行のATMで記帳をし、周りを窺いながら、八桁の数字を見た。
残高は一千五百十八万三千二百二十二円になっていた。
いままた財津ホームの横で自転車から降りたら、
早苗からのプレゼントらしいものの感想を述べて、
お礼を言わなくてはならないが、そんな心の余裕はない。
「虎よしパーラー」でフルーツみつ豆フロートを食べよう。
自分ひとりでお祝いをしながら、1518322という数字に浸るのだ」(上巻P287)


早苗というのは知り合いの若い娘で、
河原で拾ったとかいう一銭にもならない石ころをなんのつもりかプレゼントしてくれた。
なにかをもらったらお礼をするのが処世であり、庶民の習性である。
こういう庶民のゲスな習慣を宮本輝および学会員はことさら重んじて、
お礼を返してこないようなやつを世間を知らないとあざ笑うのが彼らの特徴だ。

「志乃子は自分の携帯電話で財津ホームに電話をかけ、フルーツみつ豆フロートを
ご馳走するから門前仲町の虎よしパーラーに来ないかと土屋早苗を誘った。
「虎よしパーラーって高いのよ」
そう早苗は言い、高いといってもたかが千二百円よと志乃子はつぶやき、
「わっはっは」
と声に出して笑った。
フルーツみつ豆フロートを運んで来たウェイトレスが、
志乃子と目を合わさないようにしてレジのほうへと戻って行った」(上巻P289)


「わっはっは」

なんの努力もせずにうまうまと千五百万を手に入れ「わっはっは」と高笑いする志乃子。
さすがにこれでは品がなさすぎると宮本輝も気づいたのだろう。
唐突に宮本輝はロダンの言葉を挿入して作品の下品なインチキくささをごまかしている、
なんでも早苗という女の子がくれた河原の石ころにカードがついていた。
そこに早苗がインターネットで調べた名言を書き込んでくれたのだという。
――石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を待たねばなりません。
ロダン(高村光太郎訳)――
ロダンの意味ありげな言葉を挿入すると偽物が本物っぽくなることを、
よき詐欺師(小説家)である宮本輝はしっかり計算しているのである。
ロダンだけではまだ知的アクセサリーが足りないと大衆作家は判断したのか、
直後に今度はホイットマンの詩を持ち出して来て、
おのれと志乃子の無教養ぶりを隠匿(いんとく)しようと画策する。
ここは妙にツボにはまって笑いがとまらなくなったところである。
宮本輝の下品さと教養への劣等感がおかしなミックスを見せており、
そこが言うなればフルーツみつ豆フロート的な独特な味わいとなっている。
創価学会もたとえるなら抹茶というよりはフルーツみつ豆フロートである。

「お金があるというのはいいものだと志乃子は思った。
精神的安定、それも大きなところでの安定が得られるのだ。
夫の表情にそれがあらわれているし、茜[娘]も、
年齢特有の軽くてあぶなっかしいところが消えた。
あの一千五百万のお陰だ。
そして来年の三月には、さらに一千五百万円が入るのだ。
そう思いながら、夫と娘の朝昼兼用の食事を作り始めると、
突然、脳味噌の襞(ひだ)の奥から湧き出るようにして、
「大地、それだけで充分である」という言葉が甦(よみがえ)った」(上巻P305)


棚からぼた餅のような感じで三千万円の大金を手に入れた無学な主婦が、
「わっはっは」と大笑いしたあとで、
もっともらしく「大地、それだけで充分である」などとのたまうのは、
なんかバランスが狂っていて、
その不均衡なところがいかにも創価学会というごちゃ混ぜの、
フルーツみつ豆フロートな感じがして笑えるのである。
たぶん読者はここで感動すると作者は本気で思っていそうなところも笑える。
宮本輝はひと財産を築いたあとで金ぴかの真理を描くのがうまくなったと思う。
金さえあれば「大地、それだけで充分である」のは金ぴかの真理と言ってよかろう。
金ぴかでもなんでも、真理は真理である。お金ほどたいせつなものはない。
あるものを本物か偽物か見分けるのはお金という物差しがいちばん有効である。

「水のかたち」は宮本輝のこれまでの小説と色彩がいささか異なる。
なんの努力もしていない女としても終わった屑鉄のような50過ぎのババアが、
次々とおいしい思い(フルーツみつ豆フロート!)をしていくのである。
理由は、運がいいから、である。
いっぽうで精一杯努力をしてきたのに報われていない同年齢の女性が登場する。
売れないジャズシンガーをしている木本沙知代である。
現証(結果)が出ていないのにジャズシンガーは、
一人前ぶって一丁前のようなことを言う。

「しかし、どんな歌も、喋ろうと企んだら途端にいんちき臭くなる。
だから私は喋らない。
いんちきがばれないために、学んだとおりに懸命に歌う。
先生に言われたとおりにする。
先生を超えて、自分の歌を確立しようなどとは考えない。
これから歌うのは、私の先生の教えどおりに歌う歌だ……」(上巻P231)


先生のコピーをするだけなら、先生がふたりできるだけで、
ちっとも創価(価値創造)していないではないか?
そもそも英語を母国語としていない日本人がいくら外人にジャズを習っても、
正確に模倣することさえできないのではないか?
宮本輝は池田大作になろうと思っても宮本輝だし、
どれだけ井上靖にあこがれようと宮本輝は宮本輝でしかないし、
結局「桜梅桃李(おうばいとうり)。桜は桜、梅は梅だよ」(下巻188ページ)――。
50を過ぎたおばさんに運がいいというだけで大金が舞い込み夢がかなう物語は、
アマゾンレビューによると無学な中年女性読者の好評を勝ち得ている。
売れないジャズシンガーだが、
運よくも金には困っていないモアイというあだ名のババアは、
またまた金ぴかの真理を語り出す。これはわたしも真理だと思う。

「私だって、若いときからいろんな商売をしてきたのよ。
商売の難しさは、いやってくらいわかってるわよ。でもね、これだけは言えるわ。
運のいい人は何があろうと結局はうまくいく。志乃ちゃんは運がいい。
だけど、自分の運の良さを過小評価したら、その途端に運は逃げていく」(下巻P159)


宮本輝は古株学会員らしく、
人の不幸をせせら笑う下品な正直さを隠し持っているところが庶民らしくていい。
やたら籤(くじ)の運がよく、
宝くじで百万を当てたことがあるという松子といういまは死んだ老女を、
志乃子の母がバカにするのだが、
それがあたかも脱会者の不幸を仏罰だとあざ笑う学会員のような語り口でとてもいい。

「世の中にはこんなに籤運(くじうん)の強い人がいるんだって、
私、感心するよりも、なんか恐ろしかったわ。
でもねェ、松子さんの人生は、籤運が悪かったわねェ。
亭主は大酒飲みのギャンブル狂。あげく女をつくって家には寄りつかない。
息子は名うての不良で借金まみれ。
娘は高校を中途で辞めて品のないチンピラとかけおち。
五年後にふたりの子供をつれて帰って来たときには、
まだ二十二なのに四十女に見えたわよ。
まともだったのは、いちばん下の息子だけ。
それなのにその息子の嫁と憎しみ合いつづけて……。
上ふたりの子供のことで悩んで悩んで、
やっと下の息子が酒屋と海雛[居酒屋]の商売に精を出すようになったと思ったら、
癌で死んじゃった。松子さんのあの籤運の強さは、
あの人の人生に何ひとつ役立たなかった……」(上巻P92)


むかしの創価学会の座談会(会合)って、こんな話ばっかりだったんでしょう?
わたしは創価学会も宮本輝も、こういうところが好きなのである。
無学な主婦がロダンだのホイットマンだの背伸びするところがかわいらしいじゃないか。
創価学会も宮本輝も詐欺師めいていてインチキくさくて金ぴかで、
しかし、ではなく、であるがゆえに本物なところが非常によろしい。

「売られたケンカは買おうじゃないか。買ったかぎりは勝とうじゃないか。
その言葉が、自分のなかから即興で出たものなのか、
どこかで聞いたか読んだかして心に残っていたものなのか、
志乃子にはわからなかった」(下巻P294)


志乃子、おまえ学会員だろ!?

「わっはっは」「わっはっは」「わっはっは」

今日行って明日で終わりだが、なにを言われても怪我だけはしないようにしたい。
それからおかしな問題に巻き込まれず、まあまあ、なあなあの精神を忘れない。
問題を顕在化して改善しようとしたって、もう今日を入れてあと2日なんだから。
概して職場の人はこんなわたしに対して寛大で親切であったと感謝している。
とりあえず怪我をしないで「生産」の予定をクリアすればそれでよし。
欠勤もしなかったし遅刻もゼロで、まあ、こんなものでしょう。
最後の最後で油断して怪我をしちゃうと最悪だから気を引き締めるためにこの記事を書く。
今日もヒヤリハット(危険報告)の紙がなかったので(ボールペンもないし)書かなかった。
ヒヤリハットといえばいまわたしがしている青パレットを折りたたむ作業はかなり危ない。
あとはフォークリフトとの衝突ね。派遣に派遣への指示権利はないでしょう?
青パレットを折りたたむのは本当に危ない。あれはうっかりするとビッコになる。
以前、それまでも早いのにもっとペースアップしろとし指示してきた若いおなじ派遣から、
今度はもっと丁寧にしろと叱られる。「会社のものをもっと大切にしろ」だってさ。
鋼鉄重厚な青パレットを折りたたむのは当方のような長身のほうが有利だが、
最後に投げないとこちらの腰を痛めるのである。
たしかに投げると大きな音を立ててしまうが、最後は自分の身体ではないか?
今日、社員がやっているのを見たが、完全無音ではなかった。
派遣なのに社畜精神というか、学級委員きどりというか、
そんなに優等生ぶって搾取されるから派遣でこき使われているんじゃないかという。
当方にも優秀チェッカーという機能が備わっている。
数日一緒に働けば、どの人が(自分よりこの仕事において)優秀かどうかくらいわかる。
わたしの優秀チェッカーがピカピカ光ったHさんは物流会社への就職が
「ほぼほぼ」決まったらしい。
わたしは派遣で優等生ぶりたがるのはいやだが、
おなじ働く仲間としてフォークリフトのIさんの意思を重んじたく、
もうあと2日だが彼の動きをよく見てコミュニケーションを取ろうと努めている。
ものがないのは「段取り」が悪いというのは間違いで、
「段取り」が目で一生懸命会話しているフォークさんもいっぱいいっぱいなのである。
青パレットはペースアップしてたたむのも丁寧にたたむのもヒヤリハット(危険)。
一生懸命に優等生ぶらなくても結果がよければいいとも言えよう。
派遣で優等生ぶって模範的労働者ぶって、その先になにがあるんだろう?
派遣のわたしは会社の都合なんかより、
おなじ同僚がどうしてほしいかを考えて行動したい。
まあ、それを教えてくれたのがホシノさんなのだが。あの人、できるなあ。
やはり家庭を持つとやる気が違うのだろう。
今日職場でべつの人から2回「好きな(女性の)タイプは?」と聞かれる。
「いないです。いません」
「芸能人でいえば?」
「テレビを見ないのでわかりません」
「AV女優では?」
「名前を知りません」

好みのタイプなんて男はみんなあるのかなあ。
わたしなんて、わたしに少しでも関心を持ってくださるのならだれでもOK。
しかし、その女性にストーカーを仕掛けるかといったら、そうでもなく。
振り向かれなくても女にストーカーとかしてみたいけれど。

髪はショートカットが好きか? ロングが好きか?
――どっちでもい。
 10代のころはショートカットの子を好きになったことも、
 ロングの子を好きになったこともある。
メガネは? ――どちらかといえば、かけていないほうが。
メンヘラは大丈夫? ――ダメ。だって、わたしが、えとあのその。
学歴は? ――不問。インテリ女はめんどうくさい。議論とかしたくない。
巨乳派? ――ノンノン。人並みのお手頃感やよし。むしろデカよりはちっぱい。
年齢は? ――JCから同年齢まで。年上でも若く見えれば。
 未婚既婚、彼氏の有無は不問。
職業は? ――相手が高収入なほうが、それはいいっしょ? 
 お金は大事。無職でも資産家のお嬢さんや金持と愛人契約している女性なら。

結局、好みのタイプなんて自分にはわからないような気がする。
当方なんかとつきあってくれるなら、だれでもいいというか。
けれど、わたしは言葉を読みたいし、
言葉を書きたいから拘束がきついのはめんどうくさい。
そのめんどうくさいを忘れさせて夢中にさせてくれる人と出逢いたいけれど、
それは運の問題。
こちらを本気にさせてくれるのなら貧困バツ3の女でも。
精神病的妄想だけれど、本気になったらまだまだやれそうだという錯覚がある。
断わっておくけれど、わたしと一定時間一緒に過ごすのはとても不愉快だよ。
それに耐えられる人は才能があるなあと思う。
昼飯の牛タンカレー(250円)はハズレだった。
なぜハズレがわかったかといえば、
同僚のAさんとMさんが当たりでけっこうなサイズの牛タンが入っていたからである。
1Fのわたしの休憩は11::30からで2Fの人は11:45からが多い。
最初は要注意で上澄みだけすくって、
下のほうに残った牛タンは遅れてきたものに与えられるのだろう。
わたしの牛タンカレーなんか小指の先ほどの肉が数切れだったのに、
AさんやMさんのそれにはかたまりが入っていて、くそおと思った。負けたと大敗北。

今日社員のUさんからお声をかけていただいたが、1Fで打ち上げをやるのでと。
こんなことはいままでしなかったが、打上げをしてみる。
今週金曜日で「生産」はとりあえず終わるが、最後にみんなで飲もうではないか?
まったく強制ではないが、参加したかったらどうぞ。
おもしろすぎるぜ。人生で会社関係の宴会に参加したことは一度もない。
そもそも宴会めいたものに参加するのは20年ぶりといってよい。
しかし、金曜はAさんとの先約があるので即答はしなかった。
帰りに2FのAさんにいう。1Fで打上げをやるらしく、
わたしはそういうものを経験したことがないので、できたら参加したい。
とはいえ、Aさんとの先約があるので困っている。
Aさんは寛大にも、どうぞどうぞ行っていらっしゃいとのこと。
うちらはいつでも逢えるから。
よおし、ヤッター、人生初の会社宴会を経験できる。

15日で仕事は終わりだが、しばらくはつつましく暮らそうかなあ。
読んだ本の感想がたまっている。
さすがにファンである著者からプレゼントされた本の感想を遅らすのはまずい。
歯医者もあるし、家の墓の問題も(よくわからないが)あるっぽい。
来月になれば、もしかしたらN本部長からお声がかり、
またあそこに5日通うのかもしれない。
いまの職場は本当にいろいろな派遣会社からさまざまな人が集まっている。
みんなで協力してひとつの「生産」を仕上げた。

みんなこれからバラバラになり、もう逢うことがないかもしれない。ないだろう。
しかし、われわれはおなじひとつの体験をした。
容貌や身分、収入は異なれど、みなで一定期間働き、みなでひとつの「仕事」を終えた。
こういうみんなで最後に乾杯することがあってもいいのではないか?
もう身分も年齢も収入も行く先も関係なくなった状態で、
一時期の「生産」を終えたそれぞれの男たちが酒を飲みいたわりあう。
そんなことはテレビのいんちきドキュメンタリーの世界の話だろうが、
現実にそううことがあってもいいのではないか?
わたしは1Fの男だけの打ち上げに参加したいと思う。
明日は社食でスタミナ丼でも食ってみようか。

ちなみに、ここからはいわゆる文学的な話だが、
バラバラのところから集まったそれぞれのひとびとが、
みんなでひとつのこと(たとえば移動)を成し遂げる美しさを描いた作家に、
(実家が創価学会の)「深夜特急」で有名な沢木耕太郎がいる。
みんなこれからバラバラになり、一期一会で、もう一生再会しないかもしれないが、
このクソ暑い2017年の夏にわれわれはみなで協力してひとつの「生産」を終えた。
それは宝物のような経験ともいえなくはないのではないか?
うーん、われながらセンチメンタルだなあ。感傷的だ。感傷だ。感傷のどこが悪いのか?

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「オン・ザ・ボーダー」(沢木耕太郎/文藝春秋)