「知識ゼロからのマルクス経済学入門」(弘兼憲史・ 的場昭弘/幻冬舎)

→おれってなにも知らなかったんだなあ。
マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」は大学1年のときのある講義で読まされた。
なんの記憶にも残らなかった。
恥ずかしながらよわい40にしていまごろ知ったが、
マルクスとエンゲルスって別人だったのか。
マルクスは生涯壮大なヒモとニートをやらかしたやつで、
エンゲルスというのはニート・マルクスのパトロン(資金提供者)だったのか。
本書で知ったマルクスの人格破綻ぶり生活破綻ぶり、
ちょーエゴイストでわがままなところは最高におもしろい。
偉大な思想というのはニートからしかおそらく生まれないが、
ニートがどこまでニートをやる根性があるか、
うまくパトロンを見つけるかの運の有無が天才と凡人をわけるのだろう。
だって、まじめに労働なんてしていたら疲弊して休日は寝るだけ。
とても自分のあまたで考える時間なんて持ちようがないじゃないか。

「万国の労働者よ、団結せよ!」
とかほざいたらしいマルクスは一度も労働をしたことがなかった。
これ、すごいよくわかるなあ。
底辺労働をしたことがないニートだから「万国の労働者よ、団結せよ!」なんて言えちゃう。
マルクスのこの発言は「正しい」のだ~よ。
いまのわたしの派遣先企業だって、いま契約更新時期らしいが、
パートがみんなで団結して契約を拒否したら会社は回らなくなる。
みんなで団結して時給を50円上げろと要求したらたぶん上がるだろうが、
実体験を込めて書くが労働者は仲が悪くそもそも団結しないものなのである、
いまの職場でいろいろな人から同僚の悪口を聞いてどれだけ楽しかったか。
労働者は職場で労働力という商品を搾取されているだけではなく、
むしろ共同体において悪口や意地悪、親切を楽しんでいると思う。
ニートのマルクスはそのことを知らなかったからこそ、
世界に革命を起こすような真に偉大な妄想哲学を構築することができたのだろう。

マルクスは人間を資本家と労働者にわけたが、ニートのおまえはなんなんだよ!
マルクスの言う、労働者は資本家に搾取されているというのもどうだか。
逆も言えるのだ。資本家は労働者に搾取されているとも言えよう。
商売が失敗したら資本家は借金を背負うが、労働者は新しい履歴書を書けばいいだけ。
倒産寸前の中小自営では、
(マルクスの言う)資本家の取り前より労働者の給与のほうが多いところもあろう。
そして、ニートのマルクスの言う資本家と労働者の対立構造も実相はどうだか。
資本家と労働者は対立しているのではなく、
共依存しているといったほうがむしろ現実を的確にとらえているのではないか。
どうしてか人は他人の役に立ちたいようである。
労働者は資本家の役に立っているとおのれの自尊心を満足させ、
資本家も資本家でおれがいなかったら雇用者(労働者)は食い詰めてしまうと、
そこに自己の存在意義やアイデンティティを見て取っている。

いまは資本家の存在がよくわからない。
大企業の社長だって雇われ身分でしょう?
だれが本当の資本家で、
労働者はいったいだれに搾取されているのかまるでわからない。
雇用関係も派遣ばかりで、資本家と労働者のめんどうくさい人間関係を排除している。
むかしは共産党は拡声器がうるさいので嫌いだったが、
いっかいの低賃金派遣労働者となり果てたいまはかの政党にも好感を持つ。
エフだから、いまのところ入れるのは(政策さえ知らない)公明党だけれど。
将来、生活保護をお願いする立場になったら、共産党に土下座することも辞さない。
というか、いまも共産党にはあたまが下がる(公明党にもだけれど)。
わたしなんか自分のことで手いっぱいなのに、人の役に立とうと尽力する人は偉いよ。
そして、いちばん偉いのはニートながら放蕩三昧で、
偉そうに「万国の労働者よ、団結せよ!」とかのたまったマルクス先生である。
働くと消耗するから、なんかどうでもうよくなって、みんなの意見に従っちゃうんだよねえ。



労働疲労には「共産党宣言」もいいが甘いものも実効的。



内情をばらすとうちのアフィからコージーの商品を買ってくれたものはひとりもいない。
うえーん。
「知識ゼロからの経済学入門」(弘兼憲史・ 高木勝/幻冬舎)

→いまふたたび経済学に興味を持ったのは、
職場のメイト(契約社員)Yさんの影響かなあ。
何度か「カネがない」という自虐アピールを休憩室で耳にしたし、
かといって悪い人ではなく気の弱い善人のせいで損をしているというか。
わたしはYさんを(も!)大好きだが、
日本経済はどうしてこのような労働者を生み出してしまったのか。
そんな素朴な中学生のような関心から絵本のような本書を読み、
自分のあたまで考える(←これが中高生にはできないこと)。

もしかしたら世界史上最大の悪人は「経済学の父」アダム・スミスではないかしら。
彼は経済世界なんて放置しておけば競争の論理が働き、
それぞれ利己的に自分勝手に動くだろうから全体経済はうまくいくと言った模様。
だれだって200円のマドレーヌと100円のそれがあったら後者を買う。
だとしたら、より価格を下げたほうがアダム・スミス経済社会では勝者になる。
けれども、200円のマドレーヌを100円にするためには、
どこかの生産費用を削らなくてはならないわけでしょう?
いちばん楽にできる経費節減は人件費。
労働者を酷使すればするだけ競争経済社会では価格を下げることができ、
結果としてお客さまの役に立つ。
会社は労働者の賃金はできるだけ安く抑えたいし、
早く終わらせて早く帰したほうがいい。
そんな労働者にカネがあるかと言ったら、あるはずがない。
稼いだカネでは自社のマドレーヌでさえ食えないという羽目におちいる。

低賃金労働者は本心では10円、100円の金に血まなこになっているのである。
経済の仕組みもなにも知らないパートのおばちゃんの正義は安いこと。
あたしゃ安いもんしか買わんからという理由で自分の労働力も激安販売する。
安いことや早いことはいいことだってテレビも言っている。
もっと早くしてもっと自分たちの給料を下げようと新人にビシバシ注意する。
あたし、間違ってないから。
だって、あたしのほうがベテランだし馴れているから仕事が早いもの。
もっと仕事を早くしようと周囲をピリピリ威圧して、そのぶんみんなの収入は下がる。
おかげでマドレーヌの値段は下がるが、おばさんは3000円のマドレーヌセットを
買う余裕がふんだんにあるかと言ったらそうではない。
人間を自由に競争させるとひどいことになることを、
低賃金職場で働いたことのない経済学者は身をもって知らなかったような気がする。

経済の自由放任主義のアダム・スミスに反旗をひるがえしたのがケインズである。
経済は自由放任よりもある程度、国家で統制したほうがいいのではないか?
いまの話で言えば、自由放任にすると過労死する東大卒女子が出ちゃうわけでしょう。
だったら、そこは国家的にある制限を設けたほうがいいというのが革命児ケインズ。
人間のエゴ(我欲)を肯定して自由競争経済にすると、
残業代ゼロ、商品偽装OK、違法解雇さえ無問題のハチャメチャ世界になってしまう。
アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が通用するのは神のいる国だけではないか?
国家がある程度、市場に介入して計画性のもとに経済をコントロールしたほうがいい。
これが自由競争バンザイのアダム・スミス、
「経済学の父」に反抗した革命児ケインズの主張である。

経済は競争させるといいと思いついたものはデーモンではないか?
職場でピリピリした古株に叱られた薄給のパートさんが、
スーパーで1円でも安いものを探し回り、
レジの人のわずかな不手際に怒りを爆発させる――悪循環というほかない。
このパートさんがどうして働いているのかといったら子どもの塾費用のため。
子どもも子どもで子どものころから競争を迫られ、いい大学いい会社を目指し、
競争は善だという思い込みから同僚とあつれきを起こし退社して、
ひきこもりやニートになったら親はたまらない。

去年イギリスが抜けたらしいけれど、ユーロをつくったのは、
為替リスクや関税障壁をなくし、自由競争経済を活発化させるためらしい。
埼玉県の菓子アソート(詰め)倉庫でも、みんな競争しているところがある。
それもみんなが楽しむためではなく、お互いを苦しめるために。
で、お互い苦しめあって早く帰って、人生カネじゃないと強がる。
スーパーでは50円の違いに大騒ぎするくせにさ。
しかし、まさにその貧乏根性が職場環境とも連動しているのだが。
あるおなじ派遣会社のママさん労働者いわく、「人生はカネしだい」――。
カネを学問するのが経済学で、
その父とも称されている人が自由放任や競争を奨励しているのは、はてまあ。
いや、わかるのよ。ケインズのように国家の統制を入れれば入れるだけ、
民と官との賄賂(わいろ)や癒着(ゆちゃく)が増えてよくないという面もある。
でも、どうして賄賂や癒着がいけないのかという理由も、
自分のあたまでとことんまで考え尽してみればわかると思うが、わからない。
あの八百屋さんでむかしおまけをしてくれたから行こうというのも賄賂でしょう?

おカネがないなら創価してしまえばいいではないかというのが錬金術。
わたしが尊敬するスウェーデンの狂人であり文豪のストリンドベリは、
一時期執筆もしないで友人知人に借金ばかりして、
結局のところ結果が出なかった錬金術研究に取り組んでいたことがある。
ストリンドベリがいくら机上で研究しても発明できなかった錬金術を、
われわれ優秀な日本人はいくつも発案実用しているのである。
本書に指摘があったので、ああ、そうかと膝を打ったがバブルは錬金術の最たるもの。
みんなの価値観に従って生きているわれわれ日本人は、
土地の価値はうなぎ上りに高騰し下がることはないと挙国一致で盲信した。
大企業は土地を買いあさり、銀行はその土地を担保に企業に融資をしまくった。
企業は資産が年々なにもせずに増えるのだからプラス。
銀行も企業から多額の利子をもらいうるおった。
企業はカネがあるからいけいけゴーゴーでおもしろい遊びができた。
大企業の社員がカネをばらまいてくれるから、
末端の飲食店もいい思いをしたことだろう。

快楽がかりに消費(物品やサービス購入)であるとするらなば、
GNP(国内総生産)の高い国のほうが幸福なのだろう。
GNPはいままでどんな経済入門書を読んでもよくわからなかったが、
本書のおかげでようやく(間違っているかもしれないが)理解できた気がする。
たとえばマドレーヌ。あれの原材料はいくらなんだろう。
小麦粉やらなんたらで10円だとする。
それを工場で国籍さまざまな労働者がマドレーヌにするくらいで30円くらいになるのか。
(このとき10円のものを30円にしているから20円の付加価値=生産価値が発生する)
マドレーヌはそのままでは売れないからビニールパック詰めする。
このあたりでマドレーヌを買えば40円くらい?(付加価値10円)
マドレーヌはそのままで売ってもいいが、
見栄えのいい箱に入れると価値が上がるので箱詰めする(付加価値10円?)。
まあ、輸送費なども付加価値になっているのだが、
そこまで計算すると面倒なので飛ばす。
50円のマドレーヌを店頭でお客さんに売るきれいな女性がいなければならない。
(接客の人件費は高そうだから付加価値を20円で計算。残りの10円は会社の利益)
かようにしてこのマドレーヌは80円で販売される。
この場合のGNPは70円。なぜなら10円のマドレーヌが80円になっているから。
お給料というものは、この付加価値からそれぞれの役割に支払われているわけである。
とするならば、GNPが高い国(好景気な国、よくカネを使う国)ほど豊かな国になる。

坊主、丸儲けって言うけれど、あれはまったくの正解。
葬式の司会はともかく戒名にいたっては原価ゼロだから。
あと覚えておいても悪くはないことは価格のつかないものもあるってこと。
国宝級の芸術品には価格がつけようがないでしょう?
価格がつかないってことはゴニョゴニョ、ルノアールっていくら?
基本的に南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏は
現世における数字(価格、年収、偏差値)を否定しているからうまく利用すると儲かる。

狂人ストリンドベリの弟子を自称する我輩としては錬金術へ興味が尽きない。
おカネがないなら創ってしまえばいいのだから(低劣なカラーコピーとかではなく)。
だれか影響力の強い人がこれがほしいと絶叫したら創価できる。
みんなもそれをほしくなる。まあ、これは広告やCM、ステマの基本構造だけれど。
しろうとがなにを言うのかと笑われるかもしれないが、
国債もすばらしい錬金術だよね。
あるかどうかわからない未来を担保にして現在カネを集めるんだから。
あれを考えた人はまさに錬金術師だと思う。
国債なんかいつ便所紙以下になるかもしれないのに、よくみんな買うよねえ。
国債破綻は10年後かもしれないし、20年後かもしれない。
寿命との勝負っていうか、逃げ切れたら勝ちみたいな錬金術ワールド。

商売の基本はアダム・スミスやケインズに教えてもらうまでもなく、
安いものを高く売ること。その価格差が言ってみればGNP。
書店のみならず古本屋にも今年に入ってから一度も顔を出していない。
古本屋はあこぎだけれども、神保町の古書店街とかいまどうなっているんだろう?
古本屋は安く買いたたいて(100円)高く売る(4500円)の、まるで商売の基本。
でもさ、いまはネットがあるから、そこまで乱暴はできないでしょう?
古本屋の場合、コネ(仕入れ客)や古書知識(情報)を売っていたわけである。
わたしは古本世界を味わった最後の世代だからおいしい思いをしたと思う。
いまスマホを持っていたら面倒くさくて古本屋街になんか行けないと思う。
バブルの発端ともなった不動産業も、相変わらずいかがわしくておいしい商売。
聞いた話だが、不動産って売ったり買ったりするとき、
セールスマンと交渉すると売るときはどこまでも高くなるし、
買うときはどこまでも安くなるらしい。
きっと本来、不動産なんて価値のないものだからなのだろう。
ちかぢか来る東京大地震でみんな廃墟と化すのに、
よく不動産業で生きていけると、その営業根性にはただただあたまが下がります。
石ころをいかに創価して宝石に変えるかが錬金術の秘訣であろう。



銀座、お銀座の、マドレーヌはおいしいでございますことよ♪



これも聞いた話だが、ショコラがいちばん入れやすいらしい。
いままで宗教勧誘をされたことは一度もない。
このまえブログに幸福の科学のことを書いたら、
翌日すぐさまポストに機関誌が入っていてキターと思ったけれど。
今日はドアピンポン。
わたしは家では耳栓をしているのでふつうピンポンには気づかない。
それもこれも日蓮大聖人さまの功徳か。
玄関にだれかがいてベルを鳴らした気配が。
「どなたですか?」と聞いても反応はない。
ふつうはここでドアを開けちゃいけないのだが、
わたしはもう失うものがない孤独な中年男性。刺すなら刺せよとドアを開ける。
黒服の壮年男性がふたり。
このパンフレットを読んでくださいと顕正会の本のコピーを渡される。
それだけだった。折伏も討論もなにもなかった。
顕正会とは、わかりやすくいえば現代の創価学会過激派みたいなもの。
日蓮系の過激派新宗教。
いまの学会は穏便らしいが、
大宮を中心拠点とする顕正会は終末思想(この世は亡びる)を離さず、
かなり過激な宗教活動をしているらしい。
創価学会は本部に電話してもけんもほろろなのに、
幸福の科学や顕正会はやる気があるなあ。
ただしわたしを勧誘してくださるなら嫁候補の若い女性が必須なのだが、
そこを幸福の科学も顕正会もわかっていない。
実名過疎ブログを運営して何年かもう忘れた(10年以上?)。
もうあらゆるところに住所や電話番号がばれているのだろう。
ふつうならドアピンポン、黒服男性ふたり、宗教宣伝案内書の手渡しはビビるのだろうが、
そこらへんは当方においてはヘッチャラ。
ついにあの悪名高き(わたしはそうは思っていないが)顕正会の幹部さままで、
拙宅にご挨拶に来てくださるような宗教的身分にまで出世したかと、
おのれのいかがわしい自尊心の充足をいま安酒で祝っている。
しつこいが40まで生きるなんて信じていなかったからいまは余生。
なにかあるとすれば、知りたい。
人間の本当の喜びや悲しみを知り、
それをどういう形であれ(フィクションでも)書きたい。
書きたい。書くために知りたい。人間の喜怒哀楽を。人間の美しさを醜さを。
わたしはなにかを書きたい。書くためにあなたのことを知りたい。
むろん、そのままむき出しには書かないが、本当の人生というものを知りたい。
カッカしたい。生き生きしたい。
いつ死んでもいいと思っているから、どんな危険地帯にも分け入れる。
「トークセミナー『性愛』大論点」(三枝威彰ほか/小学館文庫)

→各界の成功者が、お互いを立てあってベシャクったところの男女論。
去年ある老嬢から、
自分は男に生まれたかったという話を長々と拝聴させていただく機会があった。
女はダメ。女だといくらがんばってもダメ。女では出世できないじゃない。
苦労人の彼女はバツイチで娘さんを女手ひとりで立派に育て上げた。
離婚の理由は、相手のセックスが強すぎたから。
年下の男だったが夜ごと毎晩、こっちが壊れれしまうくらい身体を求められる。
それが、とにかくいやだった。別れた。
こう語る女性のお嬢さんは商業高校を卒業後、大企業の印刷会社に就職。
仕事一筋、ずっとおなじ会社で働いているらしい。男とは縁がなくいまだ独身。
30代後半大企業正社員。
お見合いをしてみないかというようなことを示唆されたが、
そんな真っ当な人と当方が合うはずはなかろうとこわごわ辞退させていただいた。
なにより、めんどくせっ、というこちらの怠惰な精神が問題だった。

結局、男ってなに? 女ってなに? という問題にいま好奇心を抱いている。
・男は力仕事をしなければならない。しないと男らしくないと非難が集中する。
・男はいい会社に入っていい妻をめとりはらませ、妻子を養うのが義務である。
・男は弱音を吐いてはならず、なにごとも辛抱、忍耐しなければならない。
・女は男をサポートするのが義務で、男の仕事を家事育児雑用で支えるべし。
・女の人生は男で決まる。いかに男に好かれるかが勝負の分かれ目。
・女は男の性的消耗品。おのれの性欲より男の性欲を重んじなければならない。

いまの職場では男性よりも圧倒的に女性のほうが強い。
なぜなら女性はかなりの割合で旦那もちのパート主婦。
お金が必要なのは男女ともにおなじだが、
主婦は旦那の定収入という太いパイプがある。
しかし、男の派遣やメイトはこれで生活していかなければならない。
実家住まいならいいだろうが、ひとり暮らしでこの収入だと貧窮は避けられない。
かような理由で、いまの職場ではババアもといおねえさまが強くなるわけだ。
女はカネの事情に敏感だから、格下と見たら男をなめてかかってくる。
「供給」をやっているとき、短期バイトの気の強そうなおばさんに、
バンバンと番重(お菓子を入れる箱)をたたかれたことがある。
ここのお菓子がもうすぐなくなるぞ、と言いたいのはわかるが、口で言えよ。
おれら「供給」はてめえら亭主持ち富裕ババアの奴隷ではないからな。
「バンバンはないでしょう? 口で言ってください」
と短期バイトのおばさんに伝えたが、意味は伝わらなかったと思われる。
あたしはちゃんとした正社員の亭主も子どもも複数いる正規日本人。
どうせこんなところで力仕事をやっている非正規のあんたなんかたかが知れている。
あんたはサルみたいなもんで、言葉をかける必要はないのよ。
おばさんからは「供給」の仕方もからかわれたなあ。
「供給」には男性陣みんながしている身体に負担がかかる雄々しい(男っぽい)
方法と、これだったらあるいは女子でもやれるかという楽な方法があるのだ。
「あんた腱鞘炎なの?(どうしてみんなとおなじように男らしくしない?)」
と聞かれて、「こうしたほうが楽なんです」と答えたら鼻で笑われたような気がする。

男は男らしくしろよ!

男らしいってどういうことだろう?
力仕事をいやがらずにやって、
嫌いな新人には大声で怒鳴って威張るのが男らしい男なのだろうか?
職場にやたら女から慕われ、
女々しいおれさまを怒鳴ってくる愛すべきパチンカスがいるけれど、
ああいうのが男らしいと女から評価されるのだろうか。
本当の男らしいってどういうことだろう?
男の男たるゆえんは体力や罵声、強靭性にあるのではなく、
むしろ思念にあるのではないか。いわゆる「男のロマン」と呼ばれるやつのことだ。

「……男を支えているのはそうしたロマンチシズムであると思うんです。
負ける、死ぬとわかっていても、
それでも行かざるをえないのが男というかな。
男からロマンをとったら、もう何も残らない。
ただのぬけがら、粗大ゴミそのものだと思うんですね」(P105)


女性ってよくも悪くも壮大なロマン(誇大妄想)と縁がないよねえ。
つねにそれは損か得か、おいしいかまずいかの視点しか持ちえないのが、
女性の愛すべきところであろう。
誤解を恐れずにいいはなつと女性は商品。女性は男性に買われる商品。

「女性には、潜在的に大切にされたい、
自分を安く売りたくないという警戒心がありますよね。
性的な関係をもったなら見返りを得るべきという刷り込みが、
マスコミや親から色々な形でなされているんだと思うんです。
それが結婚という保障であったり、
あるいは単純にプレゼントすることだったりするのですが、
とにかく求めますよね」(P63)


いや、そうではない女性もけっこういることを
わたしは人生体験から知っているのだが、しかし一般的にはそうともいえよう。
いったい女性の性欲ってどうなっているんだろう。
一般的に女は男によって性の歓びを教わることになっているが、
じつはそうではないでしょう?
どんな厳格な家に育った少女も14歳ころおのずから自然に性に芽生える。
公立中学校っておもしろい。
なぜなら、選抜された高校大学と違って賢愚、貧富がさまざまだから。
公立中学校なんて男は顔がすべてである。
クラスの最高権力者だったイケメンが
まじめな優等生の同級生女子にこんな悪ふざけをしていたのをおぼえている。
怖いものがないイケメンは偶然を装って学生カバンを女子の股間に押し当てるのである。
ゆっくりピストンさせる。そのまま無言で押し黙っていた優等生女子。
しばらくしてから「なにするの?」と精一杯粋がって抗議する。
イケメンは「毎晩やっているんだろう」と返した。
成績優秀の女子はまさに顔を赤くしてその場から逃げ出したものである。
当時うぶだったわたしはこのシーンの意味をわからなかった。
しかし、長いこと記憶していたから、決してそこまで純真な中学生ではなかったのだろう。
夜ごといけない、いけないと思いながら、自慰にふけっている女子中学生とかいいよねえ。
よくパンチラする子とかいたけれど、あれはわざとだったのだろう。
修学旅行のときの内輪話で聞いたら、男子はみんなその子に注目していた。
女の性欲は男ほど可視化されていないぶん、それだけおもしろいし関心がある。
性交中、女が気持よがったってそんなものの大半は相手を喜ばせる演戯ではないか。
男が女を落として寝てやって攻略したという満足感もどこかしら演技的欺瞞の香りがする。
本当の快楽は男や女という区分を超えたところにあるのではないかと有名AV監督はいう。
代々木忠の言葉である。セックスにおいて――。

「いや、だから、その〝壊れる”っていう自分は、まだ本当の自分じゃないんですよ。
自分だと思い込んでいるけれども、そう思ってる自分というのは、
じつは「人からよく見られたい」と世間に合わせて作ったものだったり、
見栄やプライドが捨てられなかったりする自分だったりするわけだから、
言ってみれば〝制度の世界で造られた自分”ですよね。
それは、言葉を変えれば〝自我(エゴ)”でしかない。
そうした、無意識のうちに作り上げてしまった、
エゴに隠れている本当の自分自身を解放してあげるのが、
[AV監督という]ぼくの仕事でもあるわけです」(P120)


女は女らしくすべきか? 男は男らしくすべきか?
男は男らしくしろという社会的圧力は異常なほど強い。

「男のほうが、肉体的な刺激や快楽で勝負しちゃってる傾向が強いと思いますね。
女性は心で感じるんだという、本当のところがわかっていない。
男らしさとかSEXの強さという世間一般の概念にとらわれ過ぎているんです。
そういう意味では、男のほうが自由じゃない。
男がカッコつけてたり、強がってるのは結局、自分の弱さを隠しているわけでしょう。
本当はそれを隠さずに出しちゃったほうが、女性は安心すると思うんだけど、
それをわかろうとしない男というのは本当に多いですね」(P131)


かぎりなくインチキくさい宗教学者の中沢新一も本書に登場している。
おれもさ、どっか世界の僻地に行ってね、
そこの宗教指導者と酒でも飲み交わしてマブダチになり箔(はく)をつけて、
日本に帰国してから新興宗教のトップになりたいなあ。
チベットで箔をつけて帰ってきた宗教学者の中沢新一いわく――。
チベット密教の修業はセックスと類似性がある(似ている)。

「チベット密教の方法にも、どこか似ていますね。
向こうでは、瞑想するときに女に変身するんですよ。
それで〝大楽(だいらく)”という状態を作り出すんです。
それは性器は使わないんですが、
イメージの世界で完全に女性の神様になってしまうことで
オーガズムを体験する。ぼくも嫌いじゃないから、その訓練というのを体験して、
いまでもときどきやっているんですが……」(P154)


いまの日本って恋愛(性愛)しかないような気がする。
テレビドラマもマンガも大衆娯楽小説も、主題のほとんどはそれ。
マッチポンプだわな(自分で火をつけて消すこと)。
テレビで恋愛(性愛)バンザイをさんざんやらかして、
その影響を受けた庶民が真似をして、
結果やっぱり数字(視聴率)を取れるのは恋愛(性愛)ものだと大企業も判断する。
大企業も広告代理店もテレビ局も視聴者も
みんな恋愛(性愛)という阿片(あへん/麻薬)のとりこ。
わが人生での最大の後悔は、
インドで何度となくすすめられた麻薬や覚せい剤をやらなかったこと。
落ちぶれたいまなら烈しい恋愛をふくめどんな阿片も吸引する準備ができている。
カモン、カモンの状態なのだが、男はゴーゴーというのが社会規範。
男は男らしくとか女は女らしくとかうんざりだけれど、現実がそうならば従うほかあるまい。



ここ↓のマドレーヌはおいしいから食べて。

北戸田劇場の閉幕は今月28日のはずだったが、
派遣会社から4/3~14まで入ってくれないかというお達しが。
しかも「供給」なしでいいというツッチー特別待遇。
時給を書いたからばれたと思うけれど、採算度外視で働いていた。
あの給料では食えません(前職では食えていました)。
でもまあ、商業演劇以外の芝居は持ち出しでするのが相場だから、まあいっかと。
長い人生で3ヶ月くらいプランタニエ劇を味わうのもいいかなあ。
わたしは精神科に行けばたぶん病名がつくと思うが(残念ながらあなたもよ)、
このブログが職場の人に読まれているのではないかという病的妄想を持っている。
いまの職場の人に伝えたいことをこのブログに書いていたという面がある。
わたしの病的妄想が「正しい」ならば反響がかならず返ってくる。
その反響を意識したうえで読む本を変え、感想文を書いていたものである。
これはおととし働いていた書籍倉庫でやっていたことだ。
わたしはこれを最新演劇だと勘違いしていて、生きている最高の楽しみではないかと思う。
いままでは28日が最終日だったから、この日に燃え尽きてもいいという覚悟であった。
わずかでも人に影響を与えたいし、逆に影響を与えられたい(人のことを知りたい)。
いまの仕事は通勤時間が長いためか合わないせいか前職よりもはるかに疲れる。
でも、休日には老体に鞭打っていま読むべき本をものすごい速さで読み感想を書いた。
読書感想文にはいまの職場体験を入れまくっている。
働いているのか遊んでいるのかわからないという感覚であった。
昨日、同僚から聞いたけれど、わたしの「箱だし」のやる気のなさぶりは評判らしく、
話題になっているほどだという。それでも北戸田から来てくれとお声がかかる。
ツッチーはパンダみたいなもので、
職場の一隅にいるだけでおもしろいという面もあるのかもしれない。
ひょっとしたら生産性や効率性を超えた数少ない特殊作業員になったという可能性もある。

自分の書いたものの反応がその場で見られるという最新演劇は怖いが楽しい。
いま春だからか近所で高時給の仕事がたくさん出ている(受かるかは知らん)。
もう少し採算度外視で人生を楽しんでみるのも、一回きりの人生なら悪くもなかろう。
「仕掛ける」というのは師匠の原一男先生の教えである。
味気ない現実になにかを仕掛けていけ。劇的たらしめよ。
そしてドラマというのは出逢いと別れ。
わたしがいまの職場を去ることでひと芝居が終わる。
予定外の延長にもうまく応えられるのが、いい劇作者なのだろう。
しかし、わたしは作者ではない。
いまの職場のキャスト(演者/役者)、だれひとりにもセリフやト書きを指定していない。
みんな自由に話してくださって動いてくださっていい。
それで全体としてひとつの劇が完成する。
いったいどんな劇ができるのだろう。若い男女がくっついたりすることはあるのか。
みんながいまの自分を変えたいと思っているのはなんとなくわかる。
若い子なんかとくにこのままでいいのだろうかという悩みがあろう。
いまのままでそのまんまで生き生きしよう。笑おう。楽しもう。
労働はかならずしも退屈なばかりではない。楽しい労働だってきっとあるさ。
もうしばらく早起きして朝の埼京線に乗ることが続くのだろう。
早起きは嫌いだが、もう少しならばがんばれる。
以上、壮大な病的妄想を書いてみました。
本当はいま職場の直接雇用グループの契約更新期間だが、
驚くほど更新者が少なくて、とにかく使えない土屋でもいいから仕方なく呼ぶか。
現実はそういうところにあるのかもしれない。
あそこで働くのもあと3日。
今日はわたしなんかにとてもよくしてくれたEさんとのお別れの日だ。
Eさんとはほぼおなじ時期にいまの職場に入った。
65歳のEさんは高倉健が好きだと言っていたが、
思い返してみればどこか寡黙なところがかの名優に似ていたような気がする。
男は背中で勝負するというようなところがあるじつに堂々とした人だった。
目がとても若いのである。そして、威張ったところがまったくない。
男の老人は過去の自慢話をしたがるものだが、
いくら話を振ってもそういう武勇伝は聞き出せなかった。
帰途連れだって帰ることがもっとも多かった。
Eさんは歩くのがとても遅いのである。わけを聞いたら――。
「ゆっくり生きようよ。急いでどうする」
おれ40歳になるのに結婚もしていなくて、
本来なら女子高生の子どもがいてもおかしくないのにと愚痴ってみたら――。
「人それぞれだよ」
Eさんはどっしりしているというのか、
かなりわたしの素のスーパーフリーの部分を出せるのである。
まあ、非常識なことを何度も言った。
怒ることは一度もなく人物だと思ったものである。
結局、プライバシーはあまり聞き出せなかった。
税制や社会のことにびっくりするほど詳しいところがあった。

これから人生どうしたらいいんでしょう、と問うたら――。
人に金を貸すときに必要な資格があるんだよ。
勉強してそれでも取って闇金にでも入ったらどう?
なにがおもしろくて生きているんですか? とかかなりガチのことも聞いたなあ。
お茶目な部分もある人だった。
ある日の帰途、パトカーがサイレンを光らせてとまっている。
なにか事件があったようだ。
缶(第三の)ビール片手のわたしが、
「見ていきますか? 人の不幸っておもしろいよなあ」
と不謹慎なことを言ったら、
「わたしがやりました。わたしが犯人です、と言ってきたら」
と笑いながらEさんは言う。「どう見ても不審者だから」
たしかにまだ明るいのに缶ビールをのみながら歩いているわたしは不審者だ。
一本取られたと思ったものである。
ロッカールームで「もうすぐお別れかあ。さみしい」と言ったら、
「さみしいなあ」と湿っぽく合わせてくれた。
いつかどこかで逢うんじゃないか、とも。
結局最後まで正体不明であった。
そこがよかったのかもしれない。わからないのがよかった。
旅とおなじで派遣稼業はこういう出逢いと別れがあるからよろしい。
もう一生逢わないであろう人との一定期間の交流と別離。
踊り念仏の一遍上人の歌が思い出される。

「をのづから相あふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」
わからないことばかりだが、もっともわからないことのひとつは在日差別。
なんで朝鮮人はニートやホームレスのように差別されなければいけないわけ?
わたしは本当に韓国方面と縁がなかった。
育ちも韓国朝鮮とは縁がなく、
キムチをはじめて食べたのは成人近くだったのではないか。
焼肉屋に入ったことは、大学生時代に父に連れられての1回きりである。
あと3日勤務でフィニッシュの派遣先企業は、どうやら韓国に本社があるらしい。
韓国の物価は知らないが、これも縁だと思い切り、
いままで一度も行ったことのない韓国という国を見てみたい。
どのみち29日以降はフリーだし。
パックツアーでもいいのだが、孤独だしひとりだから、だれもいないから、
パックだと追加料金が数万円かかってしまう。
だれか、おいらといっしょに観光パックツアーに行ってくれないかとも思うが、
そんな奇跡は常識的には起こらない。
わたしが文学に開眼(?)したのは、
大学時代に読んだ在日朝鮮人作家の柳美里の「水辺のゆりかご」がきっかけ。
いま韓国へ行きたい。韓国のリアルを知りたい。
ソウルではなく韓国の田舎にわずかでも滞在したいが、
あんがいまずソウルから入ったほうがいいのかもしれない。
もういいおっさんだし、ガイドがいたらなあ。
いまわたしは韓国に興味がある。おまえに興味がある。
昨日の記事であいさつもしないし、
仕事中に仕事のことで話しかけても無視されるMさんのことを書いたけれど、
恨んでいるとか嫌っているとか、そういうことはない。
あっちにもなんか事情はあるんだろうし、
あいさつをしない人なんていままでいっぱい見てきたし、そういう人もいるか程度。
仕事上の報連相ができないのは困るけれど、
向こうが土屋とは入りたくないと言っているのか、
ほとんどいっしょのラインには入らないし、
なにしろ言葉が通じない知的障害者と働いていた経験があるから、
まあ、そういう人もいるんだろうなあと。

いまの職場に派遣で入ったとき、契約確認書みたいのを書けと言われた。
長所とかいう欄があって、横にいたEさんに、
どうしよう、わたし長所なんかないですよといった記憶があるが、
結局書いた長所は「こだわりがない」――。
横のEさんの用紙を見たら、長所は無記入だった。
もうよわい40にもなると、変なこだわりとか薄れつつあるねえ。
いまは他人のミスを指摘したり、注意するのがとくに嫌い。
他人のミスを目を皿のようにして探し回っていた前職の上司からは、
そんなことでは土屋さんは一生人の上には立てないぞ、
とよく注意された(指導された)。
他人のミスを見つけたら、相手に気がつかせないでこっそり直しちゃいたいほう。
相手が気づくと双方気まずい思いをする。

いまの職場はちょっとやばいというか、いや、どこもあんなものなのだろう。
最初に配られたシフト表より2日よけいに休んでくれと言われた。
ホワイトデーを過ぎると仕事量が少なくなるから仕方がないのだ。
でも、ほら、強制的に休ませたとなると法律的にあれだから、
労働者が自分で休みたいので休んだという形式にするわけよ。
で、休日申請書みたいなものを2枚書かせられる。
ある休み明けの日に、
「はい、土屋さん、これ」と言って社員からある紙を渡される。
自分で休みを申告しましたよというまた別の紙で、笑ったのはサイン欄。
わたしの筆跡ではなく、社員がわたしに成りすましてサインしているのである。

私文書偽造? ってほど大げさなものではないけれど、
え? それはちょっと、
と思い女性社員さんにここは自分でサインをするところではと質問する。
相手が困った顔をしていたから、「まあ、いいです。なんでもないです」と丸く収めた。
そうしたらより職位の高いグループ長さんが飛んできて、理由を教えてくれる、
どうしてもこの用紙を昨日、本社に提出する必要があったけれど、
わたしは昨日休みだった。だから、仕方なくわれわれでサインをした。
実際、土屋さんはおなじような紙にサインしているからいいでしょうと?
かなり大きな声だった。わたしは苦笑しながら「だから、いいです。気にしていません」と。
まえにもサイン欄がすでに書かれていたことが数度あったから、
これはここの社風みたいなものなのかと、そういうものならそれはそれで。
いちいちめんどうや騒ぎを起こしたくないし、どこもそんなものでしょ?

先日、ある銀行から向こうの都合で電話をしてきた。
じゃあ、明日は休みだから16時に電話してくださいという話にまとまった。
そうしたら16時どころかその日深夜まで電話を待ったけれど来ないの。
天下の銀行さまがそれはないよなあ、
と思ったけれどなにか特別な事情でもあったのだろうと、
人生まあこんなものさと受け流した。
逆に相手の気まずさを想像したりして。
わたしだったらそういう電話約束を破ったらかなり気まずい思いをするから。
まえにある派遣会社に二度おなじようなことをされ、
その後担当者に逢ったとき、それほど悪いとは思っていなかったようなので、
そのときはさすがにそりゃないんじゃないの? 
と思ったけれど、そのときも、まあ人間なんてこんなもんさと。
銀行からは翌日に電話。不在着信が入っていた。
その30分後くらいに留守電が。昨日は電話をしなくてごめんなさいだって。

いいよ、許す、許す。最近、本当に他人のミスに寛容になった。
なにしろ自分がけっこうミスをするからね。
それにミスなんて、
南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏の宇宙観から見たら塵芥(ちりあくた)。
こう思っているからかたとえ自分のミスを指摘されても、
(怒鳴られないかぎりにおいて)そこまで落ち込まないようになっている。
ミスを指摘され大声で怒鳴られると委縮してミスを連発するのはメンタルの弱さか。
だれでもそうかもしれないけれど、男女問わず怒鳴られるのは嫌い。
職場でよく怒鳴る人がいるけれど、怒鳴る人は絶対に怒鳴られないのね。
怒鳴る人がなぜ怒鳴られないかというと、怒鳴るような人だから。
怒鳴る人もミスをすることがあって、そういときどうするのか見ていると、
まあいっかとごまかし笑いをして済ませている。いろんな人がいるもんさ。
最後に小声でつぶやくと、いまならシナリオ・センターとも和解できるような気がする。
まあ、手打ちの仲介をしてくれるような人がいないだろうけれど。
それに「シナリオ・センター退学処分」の記事を、
元気がないとき読み返してそのたびに笑ってくれるという友人もいるから。
人って驚くほど知らないうちに変わっているよね。
変わろう変わろうと思っても変わらないけれど、
気づくといつの間にか変わっているという不思議。

*出勤まえに急いで書いたから誤字脱字失礼。
Aさんが「供給」の翌日が休日だと1日ぶっ倒れて寝ていると言っていて、
いくらなんでもさすがにそれは大げさだろうと思っていたが、
いまひじもひざも腰も痛い。肩とかうで全体が痛む。
身体のふしぶしが痛いって感じ。
わたしが軟弱すぎるのだろうが、「供給」って身体に悪いんだろうなあ。
高倉健が好きな65歳のEさんは「供給」なんてへっちゃらと言っていたが、
おとといだったが本当に本当ですか? と問い詰めたらやはりきついと。
メイトのKさんも「供給」が嫌いというわけではないと言っていたが本当かしら。
なんか身体がSOSを出しているけれど、あと4日だから這ってでも行くつもり。
本来なら「供給」はオートメーション化(機械化)されていていいと思うんだけれど、
あそこを人力でやらせるのがむかしながらでいいとも言えよう(言えるか?)。
むかし働いていた書籍のラインでは、供給は人力ではなく機械だった。
まだ40歳なのに、これだけ身体が弱いって恥ずかしいことなのかもしれない。
わたしは痛みがあったら、
すぐに薬に頼る根性なしだから今日は痛み止めで乗り切ろう。
毎回「供給」をやっているM青年の自己主張が激しいのも、
「供給」を振られることが多いSさんが息抜きにパチンコをしたくなるのも、
わが身の痛みをもって考えるとわからなくないこともない。
いまの仕事はどうしてかやたら疲れるのである。
ライン作業で常に急かされているのが性格的に向いていないのか。
しかし、昨日なんかとてもラインは遅かったって聞くし(すると「供給」も楽になる)、
やはり当方の身体が軟弱だという結論に行き着かざるをえない。
あと4日、完走したい。