おへその下がズキズキ痛む。立っていられないくらいである。
明日もいまの状態なら、働くのはほぼ無理だろう。
「明日休ませてください」の電話を入れようか、どうしようか。
急場でロキソニンをのんだが、あまり効果があるわけではない。
保険証がないので医者にも行けないワープアのみなさんは、
こんな苦しみを何度も経験してきたのだろう。えらいことです。
脂汗が流れるほどの痛みを久しぶりに経験した。
盲腸を疑ったが、どちらかといえば左寄りだから違うと思う。
当日欠勤するよりは、いま電話するほうがいい。
しかし、明日になったらいくばくかよくなっているかもしれない。
今日はいままでほとんど横臥していた。
ちょっと笑いごとじゃない。

☆結局、明日は休むことにした。病欠ってはじめてじゃないかな。
旬のものはおいしい。
今年の9月に横田増生氏の「潜入ルポ amazon帝国」が上梓。
渦中というか、火中というか、やっぱりわたしは変なものを持っている。
今日は1日、風邪を引いているし、することもないので、
派遣先企業についてネット調査。調査というより下世話な好奇心。
ジャーナリストの横田増生氏の著作は一部ネットで読める。
氏はさすが天才ジャーナリストというべきか。
たった2週間の潜入取材で、
そこまで断定する左翼的な思考枠組(パラダイムとかいうんですか?)
は新鮮だった。わたしは左翼も右翼も創価学会も敵に回したくない。
おいしい思いがしたい快楽主義。
いちばんいいときにいまの派遣先企業にもぐりこんだのかもしれない。

わたしは2ヶ月、
いわば潜入するのだから氏よりおもしろいものを書けるのではないか。
しかし、こちら真実を告発するとか正義みたいなジャーナリスト精神は皆無。
そもそも真実は人の数だけあると思っている。
風邪はあと1週間、2週間、後を引くような気がする。
月火木金のシフトなのだが、
大晦日は入れるが元日は入れない。
元日には社食で餅つきイベントがあるらしいので、
お願いしたら入れてくれるかしら。
そういうのってお金を払っても見られない貴重なイベントよ。
1月1日を盛り上げようとする社員や社食と、
それをシラーっとした視線で眺める、
正月からここで単純作業かよ、
という思いの勤労者の対比を目撃したくもある。
けれど、5日連続労働は辛いのかな。
ネットでうまいと評判の200円カレーだが、
本場仕込みの舌はスキャナーの不快音をPPPP(間違っています)。
これは完全な風邪だろう。
咳をしたときの頭痛の感じ、お腹の下し方はまさに風邪。
とにかく身体が動かなくて、
川口駅発シャトルバスの最終便に発車3分前に乗車。
あわてた。バス車内から見る朝の光りがまぶしかった。
前日研修を受けたストー(商品を棚に入れる作業)だが、
トレーナーは直接的な表現は使わなかったが、
まあ知的障害者でもやれる簡単な作業であると。
おそらくミスを連発したのだろう。
白いスタッフジャンバーを来た社員がすっ飛んできて、
「土屋さん、いますぐピッキングに行ってください」。
あまりにも単純な作業はできないようだ。
やっているうちにどうでもよくなってしまう。
ピッキングは、ほほう、アダルトグッズが異常に多い。
そんな発見もあって、にゃはっ、とほくそ笑むことがある。
オナホ、バイブ、ローター、SMグッズ、包茎矯正リング。ほかにもいろいろ。
まあ、とりあえず風邪のせいにしておく。
もちろん雇用者だからストーをやれと言われたらやりますよ。

わたしとおなじでさっそうにストーをおろされ、
ピックに行かされた50過ぎのおっさん。
Tさんと同病相憐れむ(ストーができない病)で慰め合う。
Tさんは深刻に悩んでいたのである。
いまは短期だが、ここでがんばれば、
雇用を継続してもらえるのではないか。
それなのにこんなミスをしてしまって。
「ずっと働きたいんですか?」
「うん、時給いいし」
「これは1/18までの期間限定価格ですよ。あとはがくっと落ちます」
「そうなの?」
「繁忙期特価というやつです」
「次の仕事決まるかな?」
わたしは満面の笑みを浮かべながら答えました。

「大丈夫! Tさんなら、絶対大丈夫!」
朝、起きて、身体、痛いよ、動かないよ。
やはり昨日「休む」と言っておけばよかった。
おへその下のほうが歩くだけで痛いんだから。
シャトルバスに乗りながら、倉庫についたら、
派遣会社の人に、ここまで来ました。もう限界です。
そう言おうと思っていたら、いない。
天へなにかが通じたのか、はじめて部署を代えられ、最初は座学。
それからも体力消耗度の低いトレーニング程度。
それでもこっそりふらふらしていたが、一応10時間勤務。
明日もストーらしい。
なんとか行って、土日でしっかり休んで、健康を戻したい。
今日のことは忘れられない日になるだろう。
来年の秋とかしんみり思い出しそう。
1日、横になっていたが、寒気がするからこれは風邪も入っているのか。
それとも単に気温が下がっただけなのか。
16時くらいに、「明日休ませてください」と言おうか心底迷った。
しかし、そんなことをしたら代わりの人を急遽見つけなければならないから、
お世話になった派遣会社に迷惑をかけてしまう。
しかし、現場で倒れたりしたら派遣先企業に迷惑をかけてしまう。
1回休んだら、そのままずるずる行かなくなってしまいそうなので怖い。
あのエスカレ倉庫で死んだ人も、こういう葛藤があったのかもしれない。
昨日トレーナーがさ、棚に商品がなかったら、
かならずエスカレしてくださいって。
あの会社の特徴の、エスカレをなまで聞けてちょっと嬉しかった。
おとといわたしの指導教官の女性トレーナーをはじめて名前で読んだら、
ちょっとびくっとして「うわっ、おもしれえ」とか思っちゃった。
3人のトレーナーの名前は覚えた。
大丈夫かな明日、この体調で行って。
こういうのも後には浮き世のいい思い出になるのだろう。
職場の朝礼でこういった意味の唱和があった気がする。
「生きて元気に帰る」
昨日はもう8回目だから、
初回と比べたらかなりピッキングも早くなっていると思う。
それがいけないのか限界までやっちゃって、
最後のほうは燃え尽きていた。
帰宅時なんか下り階段で転ぶんじゃないかと、
手すりを握ったくらい。
ふくろはぎがつる。腰、膝、肩、肘が痛い。
これは内臓系かへその下あたりも痛い。
帰ってほとんど酒も飲まずに、すぐ横になったくらい。
会社の人は悪くない。なんと入ってから一度も急かされたことがない。
作業中、トイレに行っても水を飲んでもいい。
だから、自己責任ということになるのか。
でも、なんかプライド的に早くやりたくなっちゃうんだよね。
で、実際スピードは上がるからもっと上を目指してしまう。
今朝も足がつったり、そもそも起き上がれず、さんざんな状況だった。
明日出勤できるのかと思ったくらい。
いまの感じだともうひと晩寝たら少しは復調しそう。
自分のペースを見つけなければ。
人間にとって、なにをしていいかわからない状況は、ある意味で恐慌。
いまわたしはとりあえず来年の1月半ばまで、
現職場で働くという約束があるから、
それに向けていればとりあえず(2回目)なにも考えずにいられる。
とりあえず(3回目)クリスマスも正月も越せるだろう。
今日なんかもかなり危なかったが、
明朝7時過ぎに川口のバスストップに行くために必要なのは、
衣類の洗濯、それからたまった食器を洗うこと。
いますべきことは明日、川口に行くことを目標としたらいい。
うまく寝て、うまく起きればいい。最低限、約束は守りたいじゃん。
匿名からコメントがあって、あんたのことは会社に通報した。
解雇か告訴だろうって。
いやになってすぐ消したが、そういう監視カメラ社会は息苦しい。

しかし、あれはウソだろう。
だれがわたしなんかに興味があるのかって。
ブログのアクセス数も減るばかり。
それを気に病んでいるわけでもなく、
山田太一さんの本から教わった「だれもあんたなんかに興味はない」
を再確認して、そういうものかと変な安心を得ている。
明日7時くらいに川口駅に行く。
そうして勤務は7回目。
わざわざわたしなんかお雇いくださったのだし、
それにどうやら日本物流社会の悪習「早帰り」「早帰し」はないようなので、
(注:早く作業させて労働者を早く帰し給料を下げること)
可能なかぎり早く正確にピッキングする。
まあ、急ぐとミスが出るのだが。

休みの今日ピッキングのマニュアルを読んだら(時間外労働!)、
そういうことだったのかとわかった。
どうしてこれを初勤務のときにくださらなかったのか。
EFエリアはトートをふたつ使用していいのか。
ひとつのトートが終わったらFエンターか。
で、ふたつめを使えば生産性は高まる。
もうひとつのほうのマニュアルもほしい。
もう老いたし生産性の自信はないけれど、教科書はあっても困らない。
いまの目標は明日のことだけ。
そうすれば来年のこと、八王子菩薩のことは忘れていられる。
「味覚小説名作集」(大河内昭爾:選/光文社文庫)

→いわゆる文豪の食いもん小説のアンソロジー。
岡本かの子の「鮨」は何度読んでもいい。
いまのグルメ番組の根っこにある人情スタイルの元祖はこれだろう。
食はカロリーでも糖質でもインスタ映えでもなく物語である。
糖質制限中毒、糖質制限絶対正義の創価学会、
宮本輝はいくらお金を持っていても鮨(すし)を食えないんでしょう?
銀座の「久兵衛」でなくても、チェーン店「くら寿司」でも、うまいものはうまい。

このアンソロジーの「鮨」に次ぐ作品は矢田津世子の「茶粥の記」。
事前情報なんてぜんぜん得ないで読んでいるから驚いた。
最近の小説かと思ったくらいだ。
矢田津世子は、いまわたしが気になっている坂口安吾のイロ(恋人)で、
超絶美人ではないか。
矢田津世子なんて聞いたこともなかった。
人間の嗜好ってなんなのだろう?
たまたま「いいな」と思う書いた小説を書いた人が、気になる作家のイロ。
まったく(アマゾンのレビューのような)先入観がなくて読んで、
それでいいと思った小説を書いた人が矢田津世子という人で、
だれでもいいが、ちょっと気になって調べてみたら坂口安吾のイロかよ。
摩訶不思議なりミステリー。

矢田津世子「茶粥の記」は早逝した夫を妻が偲ぶという物語。
世間的にはつまらない小役人だった夫はやたらグルメに興味を持っていた。
食べてもいないもののグルメ記事を、さもうまそうに書くのである。
あたかも実際に食べたかのようにである。
そもそもからして食が大好きで、それを語る饒舌はみな舌を巻いた。
なかには実際に食べたと思っていた人も大勢いたが,
妻の自分は本当のことを知っている。
夫は法螺(ほら)を吹いているだけ。
しかし、その法螺話は現実よりも現実らしい。
現実に美食を口にするより、未体験の夫の美食談を聞くほうがおいしい。
あるとき夫はこう言った。

「想像してたほうがよっぽど楽しいよ。どんなものでも食べられるしね」(P51)

夫の死後、妻ははじめて小役人の旦那の書いたグルメ記事を読み思う。

「良人(おっと)の文章はまだ続いて、
土佐の「鰹(かつお)のたたき」のことが、
その料理の仕方まで懇切に述べてあるのだった。
読みながら清子は、
「嘘ばっかり、嘘ばっかり」
と見えない良人を詰(なじ)った。
食べもしないくせに嘘ばっかり書いていると
肚立(はらだ)たしい気分になったが、
しかし不思議に良人の文章から御馳走が抜け出して次つぎと眼前に並び、
今にも手を出した衝動に、
清子はつばが出てきて仕方がなかった」(P62)


みなさん女子さまも現実の男なんかより妄想のほうがいいでしょう?
そこをどううまく書くかだ。
矢田津世子は美人で、安吾より先に世に出ちゃったから(芥川賞候補!)、
無頼男子は怒って別れちゃったという説がある。
食レポって美女美男がやるでしょう?
あれは相乗効果で味も美味いと思ってもらえるからなの。
食品宣伝をやるのは美女美男でしょう? そういうことなの。

水上勉「寺泊」は旅行したとき、
下層民ががつがつ食らうカニがうまそうだったなあ、という食レポ。
ダンディーな水上勉だから成り立つ世界。
おれに食レポ文章を書かせたらうまいと思うが、顔がまずいのでまずい。
庄野潤三の「佐渡」も食レポだが、それは「プールサイド小景」(芥川賞)。
源氏物語で知られている「耳瓔珞」の円地文子の「苺(いちご)」は佳作。
女は好きな男の食べ物の好き嫌いに強い影響を受けてしまうって話。
こちら女っぽいのか、自信がないのか、似た傾向がある。
七味唐辛子が好きな子といたらおなじものが好きになり、
鶏の唐揚げがめっぽう好きな子といたらおなじになるが胸肉はダメ。
ももか皮、ぼんじり。
耕治人という人の「料理」は食事が人をつくるという本音めいた小説。
食べているものの影響って強いよね。仕事とも影響する。
耕治人は戦時中に豪華なメシを食いながら、
自分が仕事をできないのは(売文を書けないのは)
料理の作り手がよくないからだとか書いてしまうおかしな人。
しかし、そういう関係もあって、
いまガチンコ肉体労働10時間をしていると(人によって大したことはない)、
なーんかさ、コンビニの雑な味なものが食いたくなるんだよ。
大好きな刺身とかあんまりうまくない。
これをアマゾンでは生産性という。

矢田津世子が美人で安吾のイロで、
「放浪記」「晩菊」の林芙美子や
チェーホフの湯浅芳子と交友があったということを知ったのは今日の収穫。
こういうゴシップがいちばんおもしろい。
その方面の専門家の小谷野敦さん、住所を教えますから献本してください。
現代のマイナー文壇裏話をすると、
小谷野敦さんの「代理夫婦」――東大vs早稲田事件の、
本当の真相を知っているのは、モデルにもなった当方オンリー。
あれはね、あれなんだよ。

「文豪の探偵小説」(山前護:編/集英社文庫)

→いわゆる文豪の探偵短編小説を集めたアンソロジー。
さあ、行くぞ。
人の読んだ小説の感想なんて
みなさんご興味ないのことを知らないわけではないが、
よしスタート。
みな探偵小説というよりもミステリー。
そもそも人生自体がミステリアス(不可思議)なのだから、
ほとんどの小説がミステリーとも言える。

谷崎潤一郎の「途上」はむかしながらの探偵が登場して、
ある病死を殺人事件だと推理する。
偶然に女は死んだように見えるが、それは夫が
もっとも死ぬ確率が高い境遇に妻を追いやったからだろうと名推理。
これは数学の応用で新しい手法と乱歩が絶賛したらしいが、
文系は理系にコンプレックスがあるから点が甘くなる。
確率統計の論理で言えば、すべての殺人事件は数学的必然である。
数学的に殺人事件も交通事故も決してゼロにはならない。
おなじ論理で日本にたくさん巨大倉庫を持ち、
そこで大勢の作業員が働いていたら確率統計的に死者は出てしまう。
アマゾンがことさら劣悪な労働環境とは言い切れない。

佐藤春夫の「オカアサン」はどこが探偵小説という話で、
人語の真似をする鳥のまえの所有者を空想する物語である。
センチメンタルでとてもよかった。
芥川龍之介の「報恩記」は人情噺で読み物としておもしろい。
こんなにたくさん短編小説を読んだのは、
自分なんかに期待をかけてくれる八王子の人のためにいい小説を書いて、
せめて恩を返そうとのいわば報恩の思いからだったのだが、
それが向こうからの刑事告訴になってしまう人生はミステリー。
あるいは向こうは恩返しが足らないと不満だったのかもしれない。
芥川龍之介のストリンドベリからの影響が見られる一節を抜く。
盗っ人は人の不幸をあざ笑う。

「わたしのように四十年間、悪名ばかり負っているものには、
他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。
(残酷な表情) その時もわたしは夫婦の歎(なげ)きが、
歌舞伎を見るように愉快だったのです。
(皮肉な微笑) しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。
誰にも好まれる草紙[読み物]といえば、悲しい話にきまっているようです」(P105)


まあ、人の不幸っておもしろいよねえ。
武蔵小杉のタワマンとかお悔やみ申し上げるのが世間の建前だが、
本音の「ざまあ!」を隠して隠して隠すのが世間というもの。
建前をあたかも本音のように思ってしまうのは二種類。
シナセンの女社長のような、苦労知らずの善人ぶりたがり屋さん。
それからブラック企業の社員や、新興宗教に洗脳された人たち。
ホワイトかブラックではなく、
トイレに行けないなんてかわいそうだなあと思いながら、
ざまあ! とこっそり舌ペロするのがアダルト。芥川がそう言っている。
芥川がそう言っているだけで、わたしはお気の毒でしょうがなかった。

川端康成の「死体紹介人」は気持の悪い小説。
睡眠薬中毒でガス自殺した川端康成は、
ほんものの変質者だったことがよくわかる。
制服を着てバスの車掌さんをやっていたまじめな乙女、
まだ男を知らない天涯孤独の少女の
(献体のための)全裸死体写真に欲情する話。
倒錯趣味にもほどがあるが、それがわかるわたしはいったい?
いまは女性の裸の価値が暴落したのではないか。
わたしはいまヌードを見たい女性タレントは思い浮かばない。
川端康成「死体紹介人」は女性へのロマンがある。ただし倒錯した。
まじめで内向的で健全で薄幸、若死にした少女の裸はエロいって、
そんな本音を川端は言うのだから。川端康成は「世間を知らない」(笑)。
八王子の怖いおじさんに怒鳴られたほうがいい。
小説は商品なんだから、世間(おれ)のルールを守れ。刑事告訴するぞ。

太宰治の「犯人」は心中する直前に書かれた読み物。
最近、自分はとても不安が強いという認識を得たが、
決して文豪と自分を同列に並べるわけではないが、
太宰もまた不安感に悩まされた人だったのではないか。
小さなこと、些事を針小棒大にも大きな不安に変えてしまう。
ふつうの人なら笑い飛ばすことを真剣に深く悩んでしまう。
太宰の「犯人」は金ほしさに姉をナイフで切りつけた男が、
これで姉を殺した自分の人生は終わったと思いつめ自殺する話である。
実際は姉は軽い怪我で、それほど怒っていなかったというオチである。
うちうちに(警察にはいわず)処理しようと思っていたら、
弟が自殺してしまったことを姉は嘆く。
小さなミスをして、それは小さなことなのに、
大事件を起こしてしまったと先の不安に押しつぶされ、絶望にかられ、
パニックになったあげくに自滅していく人間というものがいて、
それが太宰やわたしである。
宮本輝も不安神経症だったが、男は創価学会で不安を克服した。
不安は宗教か酒、ドラッグに行きつく。異性という人もいるかも。
太宰は「犯人」でおのれの不安をうまく読み物にしている。
ひとつの読解をすれば、この事件の「犯人」は不安である。
些事を大げさに考えすぎた不安。

「もはや、それこそ蜘蛛(くも)の巣のように、
自分をつかまえる網が行く先、
行く先に張りめぐらされているのかも知れぬ。
しかし、自分にはまだ金がある。
金さえあれば、つかのまでも、恐怖を忘れて遊ぶ事が出来る。
逃げられるところまでは、逃げてみたい。
どうにもならなくなったときは、自殺。(中略)
この不安。
スパイが無言で自分の背後に立っているような不安。
いまに、ドカンと致命的な爆発が起りそうな不安」(P216)


太宰って精神科系統の病気を寄せ集めたような人だよな。
すべてを「よかたい」とか「ええがや」で豪快に笑い飛ばせる下品な
お西のほうのおっさんになっていたらよかったが、
津軽の太宰にそれは無理で、もし関西の商売人のようになってしまったら
いまでも少年少女をだますような小説は書けなかっただろう。
先行きの不安におびえながら強がる少女の精神の美しさを太宰は描けた。

志賀直哉「范(はん)の犯罪」は、
事件の真相が「わからない」ことを描いた字義通りのミステリー。
すべての殺人事件がよくわからないでしょう?
殺意の有無とか裁判で問われるけれど、そんなもの、わからないじゃない。
ほとんどの殺傷事件が偶然とも言えなくはない。
ちょっとしたきっかけで殺しちゃったり、殺さなかったりするわけ。
なぜそれをしたのかと問われても自分でもわからない。
ただし世間に通用するストーリーをつくることならできる。
供述調書とか裁判は、
世間さまに通用するストーリーを複数人で作成しているだけとも言える。
なぜミスをしたのか? そんなことはだれにもわからないが、
それでは世間が許さないので、
世間が納得する因果関係(物語)を捏造する。
八王子の人なんかも、なぜ自分がわたしなんかに小説を依頼したのか、
そしてその後に怒り狂って刑事告訴をすると、
よりによって姉に大量のメールを送りつけたのか「わからない」と思う。
わからない。不可思議。それがミステリー。

自分も他人も真相も「わからない」。
法華経でいう唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)。
森鴎外の「高瀬舟」は、まず他人がわからない。
名家でエリート、医者の森鴎外は底辺庶民がわからない。
「高瀬舟」で、
いまでいう役所の中間管理職みたいなことをしている語り手は、
弟殺しの罪で島に流される貧乏人のことがわからない。
なぜなら、それほど不幸そうではないからである。
それどころか旅行を楽しんでいるかのように見える。

「喜助[罪人]は世間で為事(仕事)を見つけるのに苦んだ。
それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、
ようよう口を糊(のり)することのできるだけで滿足した。
そこで牢(ろう)に入ってからは、今まで得がたかった食が、
ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、
生れてから知らぬ滿足を覚えたのである」(P250)


いっぽうで下級役人の自分は定職があるにもかかわらず、
ちっとも生活に満足を感じず、将来の不安にたえずおびえている。
不満と不安だらけである。
どうしてこの罪人はこんなに幸福そうなのだろう。
他人のみならず、話を聞くと真相もわからない。
罪人は弟を殺した罪に問われているが、いまでいう安楽死だったのである。
弟は死病にかかり、貧乏な兄の世話になるのが申し訳ない。
そこで兄のために自殺をはかるのだが、うまくカミソリで喉を切れず苦しい。
苦しみのさなか、兄に見つかってしまう。
弟は兄にカミソリを抜いて、この苦しみから解放してほしいと頼む。
そういうわけで弟思いの兄は願いをかなえてやったら弟殺しの罪人。
これは果たして悪なのだろうか? わからない。
とりあえず世間的に上の人が決めたことなのだろうから、
そうなのだろうと下級役人は自分をごまかす。
わからないのは不安にかられるからである。
本当は自分も他人も世界も真相も、なにもかもわからない。
しかし、そういった本当のことに気づくと不安が生じパニックになる。
このため、世間法が流通しているが、それも怪しいものだ。

最後に正解がないことから生じる不安を克服する言葉を教えます。
それは大丈夫。大丈夫だから。絶対大丈夫。
毎朝、大丈夫! 
という声で起こしてくれる目覚まし時計があったら売れると思うので、
企画立案発注制作してアマゾンで売ってみようかしら。
失敗したらどうするのかって。

絶対大丈夫♪

ある事情から文豪モードになり、
あなたは世間を知らない、刑事告訴だと言われ、
1ヶ月間、今度は法華経を読誦する出家隠遁者モードになり、
どういうわけかいまは朝7時のバスに並んでいる、
むかしでいうところの日雇い(スポット派遣のこと)だが、
43歳にしてお疲れさまです、お疲れさまでした。
「お疲れ」の意味がわかった。
いままでわからなかったのは、それはそれ。
朝から晩まで働いたら、自分の好きなことはできないじゃん。
休日は身体を休ませるだけ。
低賃金では酒も飲めない、趣味も生かせない、なんにもない。
せめてもの救いはギャンブルだが、あれは喫煙みたいなもの。
いまの勤務先の朝や晩のシャトルバスに乗ると、勤労感謝。
みなさんお疲れさまです。
いくら働いても、そのぶんだけ税金を取られ、
だれかがうまいメシを食う。そういうものだ。
「お疲れさまです」の意味がようやくわかった令和元年勤労感謝的日。
世界に土下座したくなった。