人生最大のおもしろみは、わかった! と思うことかもしれない。
先ほど酔っぱらって去年読んだお経の本の感想を書けないかと考えていたら、
10年近く意味がわからなかった阿弥陀仏の誓願の、
いわんとするところがきれいさっぱりわかったのである。
菩薩(ぼさつ)がこう願ったら仏になった。いまは仏がいるから菩薩は正しい。
なんのこっちゃい? 
どう考えてもどの本を読んでもわからなかったことが今日いまもいまふいにわかった。
だれから教わったわけでもない。
いつか読書感想文を書くだろうが、正しく意味を伝えられるか自信はない。
ひとつまえの記事でハムレットの感想文を書いた。
また福田恆存にやられたか。
いま調べてみたらどうやら原文に「どうともなれ」はないような気もする。
いちおう原文は以下である。

O, that this too too solid flesh would melt,
Thaw and resolve itself into a dew!
Or that the Everlasting had not fix'd
His canon 'gainst self-slaughter! O God! God!
How weary, stale, flat and unprofitable,
Seem to me all the uses of this world!
Fie on't! ah fie!


福田恆存訳
「ああ、この穢(けが)らわしい体、どろどろに溶けて露になってしまえばよいのに。
せめて自殺を大罪とする神の掟(おきて)さえなければ。
ああ、どうしたらいいのだ、
この世の営みいっさいが、つくづく厭(いや)になった。
わずらわしい、味気ない、すべてかいなしだ!
ええい、どうともなれ」


木下順二訳
「ああ、この汚れに汚れた肉体よ、溶けて流れて露になってしまってくれ。
せめてあの永遠なる神が、自殺を禁じる
掟をきめずにおいてくれたら。ああ神よ、神よ、
何とわずらわしく色あせて味気なく無益に
この世の営みのすべてが見えることだ!
いやだ、ああいやだ」


小田島雄志訳
「ああ、このあまりに硬い肉体が
崩れ溶けて露と消えてはくれぬものか!
せめて自殺を罪と禁じたもう
神の掟がなければ。ああ、どうすればいい!
おれにはこの世のいとなみのいっさいが
わずらわしい、退屈な、むだなこととしか見えぬ。
いやだいやだ!」


松岡和子訳
「ああ、堅い堅いこの体、いっそ溶けて
崩れ露になってしまえばいい。
せめて全能の神の厳しいおきてが
自殺を禁じていなければ。ああ、神よ、神よ!
この世のいとなみの一切が
退屈で、陳腐で、凡庸で、無駄に思えてならない!
ああ、厭(いや)だ厭だ」


河合祥一郎訳
「ああ、この固い、あまりに固い肉体が、
溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか。
せめて永遠の神の掟が、自殺を禁じたもうことがなければ。
ああ、神よ!神よ! この世のあらゆるものが、
この俺にはんんと疎(うと)ましく、腐った、つまらぬ、
くだらないものに見えることか!
許せん、ああ、許せない」


坪内逍遥訳
「おゝ、此(この)硬き豪(こは)き肉が、何とて溶け融解(とろ)けて露ともならぬぞ!
せめて自殺を大罪とする神の掟がなくばなァ!
おゝ! おゝ!
現世一切の業務(いとなみ)が悉(ことごと)く
厭(いと)はしうも、あさましうも、あぢけなうも、無益(むやく)しうも思はれるゝわい!
ちえッ、あさましい!」


おそらく原文の「O God! God!」をどう訳すかが問題なのだろう。
たぶん福田恆存訳の「ええい、どうともなれ」は、
多少順番を入れ替えての「O God! God!」の意味合いが入っている気がする。
ゴッドの劇を味わいたいと思ったのがハムレットという劇解釈がそこにはきっとある。
福田恆存はおかしな人だったのだろう。
わたしは「ハムレット」を読むなら福田恆存訳がいちばん好きだ。
観る(聴く)なら福田の秘書をしていたこともあるという松岡和子訳かな。
「正しい」ものよりも「おもしろい」ほうをわたしは好む。
「ハムレット」(シェイクスピア/福田恆存訳/新潮文庫)*再読

→ふたつの選択肢があるといえばあるのだろう。
安定は幸福か? 平和は幸福か?
なにごともなく平和に生きていければそれでいいのか? それだけでいいのか?
人間というものは劇を求めるものではないか? カッカしたいと思うものではないか?
食えていければそれだけでいいのか? もっと熱いものを求めたくはならないか?
こんなことを書いているわたしだが、
いまは四十男で、平穏無事の価値も知っているつもりだ。
しかし、ある女性からあおられる。我慢ばかりしていていいのか? 
なぜ本当のことを言わない。勇気がないのね。口だけなのね。
まるで山田太一ドラマじゃないかと思った。
わたしだってもう四十だし、多少は世間を知っているつもりで、
やたらめったら問題を起こしたいわけではない。
まあ、とりあえず1日がなにごともなく終わり、
家に帰って酒でも飲めればそれでOKみたいな怠惰な精神がないわけではない。
そこをガツンとやられるわけだ。それでいいの? 
本当は職場のSのことをいやなのではないか? いやなら行動に移すべきではないか?
自分の吐いた言葉に追い込まれるように行動せざるを得なく、
結果としていま職場でまずい立場にいるが、
これが劇的に生きるということなのかもしれない。明日会社に行くのが怖いよ~。

ハムレットは迷惑な男なのである。
ハムレットが世間を知っていれば劇のようなものは起こらないのである。
というのも、ハムレットは世間的価値観からしたら幸福なのだから。
まず食うに困っていない。身分は王子さま。次の王さまの身分も約束されている。
美しい恋人のオフィーリアもいて、これは解釈のわかれるところらしいが、
どうやらハムレットオフィーリアのけがれなき肉体を思うがままにもてあそんだようだ。
孤独というわけではなくホレイショーという親友がいる。
だったら、いまのままでいいではないか。そのままでも十分に幸福だろう。
恋人がいて親友がいて、地位も身分もありおそらく莫大な財産さえも有している。
しかし、それでもまだ現状に満足しないハムレットは劇を求める。
劇的なことを味わいたいという人間として生まれた根本の欲望に向き合うのである。
もっと生き生きしたい。もっとカッカしたい。もっとヒリヒリした生を味わいたい。
ハムレットの周囲の人間はだれもそんなことを考えていないので困惑してしまう。
ハムレットのまわりにいるのは世間的価値観からいえば善人ばかりなのである。
みんながみんなハムレットのことを心配して、
この悩める青年をまともな方向に引き戻したいと願っている。平和を求めている。
だが、ハムレットは劇を求めて、生きる昂揚や興奮を求めて、
放っておけば万事うまくいくものすべてをメチャクチャに破壊してしまう。
自殺願望(希死念慮)のあるハムレットは味気ないと思う。
恋人がいても味気ない。親友がいても味気ない。地位や身分があっても味気ない。
財産があって一生食うに困らない身分でも、
いやそういう身分だからこそもっと人生に烈しい味わいを求めてしまう。
食って寝ててきとうにテレビやネットでも見て、笑って、それだけでいいのか?
せっかく生まれてきたのだから、もっと烈しい喜怒哀楽、劇的昂揚を味わいたい。
味気ない人生にはうんざり。
もっと烈しいもの、喜怒哀楽、劇的昂揚――いうなれば不幸を身体全体で味わいたい。
シェイクスピアの「ハムレット」はわたしの原点でいちばん多く読み返した作品。
2017年2月「ハムレット」を再読して、ハムレットのやばさはここにあると気づく。
希死念慮、離人症、人格障害的悪魔性をもつハムレット王子はいう。

「ああ、この穢(けが)らわしい体、どろどろに溶けて露になってしまえばよいのに。
せめて自殺を大罪とする神の掟(おきて)さえなければ。
ああ、どうしたらいいのだ、
この世の営みいっさいが、つくづく厭(いや)になった。
わずらわしい、味気ない、すべてかいなしだ!
ええい、どうともなれ」(P22)


みんながみんなとりあえず平和に生きていければいい、
食っていければ万々歳じゃないかというところに、
ハムレットのような男が現われたら迷惑千万なのである。
ハムレットは味気ないというが、それが生活をするということだろう。
みんなそんなかんたんに死ねないから、
わずらわしいこの世の営みをいやいやながら繰り返しているのではないか。
それを「ええい、どうともなれ」とぶち壊そうとするハムレットはなんとはた迷惑で、
同時に彼こそ古今東西の観客および読者を魅惑してきた悪魔的劇人なのである。
それをいっちゃあ、おしめえよをハムレットは劇冒頭で口にしている。
味気ない。つまらない。人生なんにもない。

「ええい、どうともなれ」

いまは競争社会だから、
あちこちの会社がダンピング(格安売り)を行なっていることだろう。
安くものを消費者に届けるためには、生産費用を下げなければならない。
具体的には下請け会社に競争をさせると値段はどんどん下がっていく。
みんなが2千万でしかやれないと言っている仕事を、
うちは半額の1千万でやれると宣言すればいちおう仕事は取れるのである。
さあ、仕事を取ってからどうするか。
部下に丸投げする上司も少なからずいよう。
部下だってひとりではやれないから、
いろいろ外注(アウトソーシング)を頼ることになる。
そもそも新規業者が価格競争だけで取れるような仕事は怪しいものが多い。
どういうものを納品すればいいのか決まっていないものが発注される。
責任は担当者がしょい込まねばならなくなる。
担当者も納品物の意味もわからぬまま手当たりしだいに外注に仕事を振ることになる。
いちばんの下請けの外注ほど辛い立場はない。
格安の賃金でろくな作業マニュアルもないなか多くのストレスにさらされる。
つくってもつくってもダメ出しされることもあろう。
本当はなにがNGかの基準は担当者もよく理解していない。
なぜならこの仕事は上司から任されたものだからである。
その上司だってお世話になっている上役から仕事を意味不明なまま丸投げされている。
だれかがどこかの段階で言えればよいのだろうが、それが難しい。
なにが難しいかといえば、「それは無理です」である。

「無理なものは無理」
「いや、がんばればできるだろう!」
「無理なものは無理」
「そんなことを言っていると、おまえは成長しないぞ!」
「だから、無理なものは無理なんです」
「無理なんて言葉を口にするからダメなんだ。無理というな」
「無理なものは無理」
「おれが言っているのは、やる気の問題だ。やれるだろう?」
「無理なものは無理」
「いいから、やれ。これは命令だ」
「無理なものは無理です」
「がんばれば無理なことはない」
「無理なものは無理」
「無理かどうかはやってみなくちゃわからないではないか? がんばれ、努力しろ」
「やってみなくても、これは無理だから、無理なものは無理」
「努力しないと世界は変わらないぞ」
「無理なものは無理」
「無理でもいいからやれ。24時間死ぬまで働いても無理か?」
「無理なものは無理」
「無理を可能にするのが仕事だろう?」
「無理なものは無理」
「……いったいどうしたらいいんだよ。こっちだって責任が」
「(上司に向けて)自分でおやりになってくださいよ」
「いや、それはきみの役割だろう?」
「自分でそれをできますか?」
「そういう問題ではないだろう」
「自分ができることをやれと言うべきです」
「おれはきみに期待しているんだ」
「アンサーは、無理なものは無理」
「このやろう……」
「自分でおやりになってみてください」
「アウアウ」
「自分でほんとうにこの仕事をできるとお思いですか?」
「……無理なものは……無理かもしれない」
「幸福の科学 大川隆法★心の指針145 自由であるということ」(2017年1月)

→昨日ブログに幸福の科学のことを書いたら、
さっそく郵便ポストに小冊子が入っていた。
幸福の科学は「やる気」があるねえ。
わたしは創価学会は好きだから「悪口座談会」系の記事が掲載されているものなら、
無料でくださるならいくらでも拝読するのに、住所はばれているだろうに、
一度も創価学会機関紙(誌)がポストに入っていたことがないのでさみしい(え?)。
せっかくポストに投函してくれたのだからと即日読んでみた。
なーんか、幸福の科学と創価学会って似ていなくね?
どこがというと、前向き、明るい、笑顔、努力、勤勉、目標、生きる意味等々。
入口はどちらも不幸で、出口はこうしたら幸福になれるである。
いまわたしは不幸だけれど、同時にとびきり幸福なんだよねえ。
昨日なんかも生きているのっておもしろいと超絶に大笑いしたし。
そうしたら今日反動があって、職場の厄介者になっているらしい。
しかし、昨日のAさんの話を聞いたあとなら、なんでも許せちゃう。笑っちゃう。
四捨五入すると還暦の(派遣の)Aさんは25、6歳の彼女がいるというんだ。
ウッソでしょうと思うけれど、
わたしは人生経験から嘘のような本当が実際はたくさんあることを知っている。
どうせ書いても嘘だと思われるから本当のことは書かないけれど。
ダメダメなおれももう少し生きていたら尽くしてくれる彼女ができるのかもしれないぞ。
そんな春の目ざめが精神に生じて昨日は最高に幸福だった。
幸福とか不幸ってなによ?
職場のSさんから何度も大声で怒鳴られ殴りたいとか書いたけれど、
それは不幸ではなく幸福なのよ。
なんにもない人生よりもパチンコ依存症のジジイに怒鳴られるほうが楽しいじゃん。
いつかこいつを殴ってやろうなどと妄想するのはもっと楽しい。幸福だ。
なによりこんなみじめぶざまダメダメな
おれなことを心配してくれる人がいる人生って最高にすてきじゃないか。
いま不幸だけれど、同時に胸躍るほど幸福なんだなあ。
けれど、わたしは人を幸福にしたいとは思わない。
だって、それはそれぞれの人がそれぞれに気づく問題だと思うから。

幸福とは――前向き、明るい、笑顔、努力、勤勉、目標、生きる意味。
おれの場合。
前向き×過去をいつまでも忘れない粘着質な執着性を有す。
明るい×打ち解けたらおれの楽天性や明るさにはびびるぜ。
笑顔○変なところで笑ってしまうのが欠点か。
努力×努力は大嫌い。
勤勉×でたらめいいかげんでええやん。
目標×ありません。
生きる意味○いつか死ぬ日のために生きる。

まえから書いているけれど、悪い女に引っかかってボロボロになりたいんだよなあ。
創価学会や幸福の科学に入っても善男善女しかいないような気がする。
いやいや、そういうおのれの善や正義を誇るものこそじつは悪人なので、
だからわたしは幸福の科学や創価学会といった新興宗教にあこがれるのかもしれない。
わたしの正体はほんものの変質者(根性曲がり)なのに、
みんななかなか気づいてくれないので困ってしまう。ありゃありゃありゃや。
浮世のことに興味をほとんどなくしているので、
清水富美加のこともたまたま職場のテレビで見なかったら知らなかったことだろう。
きれいとかかわいいとかわからないけれど、
いまのきれいな子、かわいい子ってみんなおなじ顔をしているよね。彼女もまた。
これは証拠も調査もなにもなく、おれの直観だけれど、
清水富美加の家は創価学会だったのではないかしら。
どうしてか創価学会と幸福の科学は反目関係にあるらしい。
わたしは幸福の科学はバカバカしく、創価学会の人間味がどちらかといえば好きだ。
けれど、創価学会のうわさ好きおばちゃんのうざったさもわかる。
当方はべつに幸福の科学に入っても創価学会に入ってもいいと思っている。
ふたつの宗教に同時に所属するのもぜんぜんありというのがこちらの認識。
清水富美加は三姉妹の末っ子というでしょう。
学会員は「産めよ増やせよ」で子だくさんが多いことでも知られている。
根拠は当方の直観しかないが、清水富美加は学会文化に嫌気がさしたのではないか。
いやなことでも下積み(水着撮影)はこなせとか、
将来の「夢」のためにいまを辛抱しろとか(月給5万円)。
いまはさ、アイドルも使い捨て。どうせ数年ちやほやされてあとは終わり。
お笑い芸人もそう。いくらテレビに出ようが有名になろうが、たいしたもんじゃない。

幸福の科学は創価学会を敵対視する思想を
おそらく胚胎(はいたい/内に持つこと)しているのだろう。
幸福の科学による創価学会批判本を読めば、それはよくわかることだ。
ところが創価学会サイドが幸福の科学を批判しているという情報は、
こちらの無知が大きいのだろうが耳にしたことがない。
いまのぼくのスタンスは、おもしろいことを味わえるなら、
エルカンターレにも大川隆法にも名誉会長にも日蓮大聖人にも土下座できる。
どこの宗教にも入れる、どこでもいいから宗教に入りたい、
と長らく書いているのにどこからも勧誘メールは来ないのでさみしい。ひとり。
勧誘されたくてもひとり。信心が足りないのかひとり。愛を知らないひとり。
清水富美加はちっぱいアイドルなのか。
女性性の象徴のような巨乳は好きではないから、よきかなよきかな。
勧誘されたらどこの宗教にも入るのに、どうしてかひとりわたしわたしわたし。
今日はバレンタインデーだったらしいが、
人を好きになるとはどういうことなのだろう?
なにかプレゼント(チョコ、身体、金銭地位名誉等)をすればいいのだろうか?
むろんのこと、わたしも人から与えられれば多くは喜ぶだろう。
しかし、人並みにそれをほどこしと思い、負担つまり借りのように感じもしよう。
わたしはだれかを好きになったら、その人の好きなようにしてもらいたいと思う。
(わたしの)好きな人が本当に好きな人を見つけるのが(わたしの)幸福だ。
好きな人には好きにしてほしい。束縛なんかしたくない。
みんながみんな好きなように生きればいいと思う。
どうせ(わたしもふくめ)できないのだが、そのくらいの心構えくらいは持ちたい。
ここまで書いてきて気づいた。
わたしは人を好きになるということを本当には知らないのかもしれない。
好きな人にはその人の好きなように生きてほしい。
プランタニエは来ているのか?
今日は休みなのに朝5時半に起床。結局、直前までやらないんだなあ。
人間の根が腐っている。
昨日までにやっておけばいいことを今朝の期限朝9時までに必死でするか、
といったらそうではなく、だらだらときにマンガを読んだりしながら。
期限3分まえにゴミを捨てるために外に出たら、
給湯器を交換してくださるメンバーたちが全員集合している。
まったくおれは社会人としてなっちゃいねえ。
給湯器交換中にあの仕事(?)のメールを読み返し、あれの問い合わせをする。
いまのわたしには3万円は大きい。それから空いた時間に本を1冊読む。
給湯器交換が終わったらあれのためにちょっとチャリで外出。
そのまえにしっかり洗濯機を回しておくことを忘れない。
こういう効率的行動は大嫌いなのだが、つい直前になると身体が動く。
誇り高きライン作業員としての精神が固まってきているのだろうか。
あそこの美人先生の診察を定時に受ける。
ああ、先生と1ヶ月に1度逢うためだけに生きているのかもしれへん。
先生の関西弁はいまではまったく見られない。
医者だけではなく、患者もまた医師を診ている。きれいにおなりになりましたね。
それから高速で移動して、あそこに行く。
そこで「ふつうはそうなのか」と教えてもらう。まったく世間知らずで困る。
教えてもらったことを参考にして、直後にある会社に電話で問い合わせる。
吃音だから電話は大嫌いだけれど、もうそういうことを言っていられるあれではない。
よくわからないけれど、名前に「美」が入っている女性っていいよねえ。
せっかく都心に出たので、あそこに行く。
ロケットニュース24というネットワイドショーサイトが好きである。
とくにファンであるのはそこの敏腕記者、佐藤英典さん。
彼がおすすめしている新宿近くの某店へ行く。
いまは新聞テレビ情報ではなく、ネット情報で動く人もいることをわが身で実感する。

170213_1650~01[1]

ここはどこ? あたしはだれ?

170213_1654~01[1]

ビールつきで飲み放題10分100円は幸福の科学の陰謀かも。

170213_1710~01[1]

ひとり飲み放題でもぼくのするのは読書さ。タイトルは秘密。
どの店でどのくらい飲みいくら払ったかも忘れてしまった。
帰り新宿駅構内のコージーコーナーでお買い物。
プランタニエとジャンボシューとなんか特別なエクレア。
プランタニエの包装をといてみたら好物のさくらマドレーヌがたくさん入っていた。
ううん、プランタニエってどういう意味だろう?
このところ疑問に思っていたことだ。
プランタニエのリボンをしばるのはきつく、
指がつりそうで動かなくなるとはいつだったか同年齢男性から聞いたこと。

170213_1934~01[1]

いまようやく調べたらプランタニエとはフランス語で春という意味らしい。
えええ? 春(プランタニエ)って買えるの? それって買春では?
明日はバレンタインデー。
わが人生にプランタニエは来るのだろうか?
職場の四半世紀、年齢が上の同僚に聞いたら、
おれの人生はずっと春だとかのたまっていた。
彼と上がりが一緒になると、どうしてか連れだって駅まで歩く。
セブンイレブンで買い食いだ。
彼はコーヒーとピザまんを買い、我輩さまは第3のビールをどれか1本求める。
65歳と40歳が意地汚くも歩きながら飲食し、
ふたりとぼとぼ埼玉の田舎駅に向けて歩を進めるのである。
うーん、こんなプランタニエもありじゃないかとうっかり思ってしまう自分がいる。
ときにはうっかりにも、うっとりと。
あっ、いまの職場で東京から来ているのはぼくだけだと思う。
いまもいまプランタニエなのかもしれない。

(参考記事)ロケットニュース24
http://rocketnews24.com/2017/02/08/859954/
青春の輝きっていいなあ。
今日職場でライン横に入ったスポット派遣さんがかなり若そうなので、
聞いたら高校3年生。
こう書いてもわからないだろうけれど、
眼を隠すモザイクの反対のようなフクスマの防護服めいた白衣を着て作業している。
つまり、相手の顔がわからない。
年齢はおろか性別でさえわからないこともなくもない。
高校3年生の男子とかおいしすぎるじゃないか。
いったいいまの高校生ってどういうことを実際は考えているんだろう?
たしかにネットや漫画でいまの高校生が考えていそうなことはわかるけれど、
それはリアルとは言いがたい。
今春高校卒業後にパスタ屋に就職する、
いまどきの男子高校生はいったい世界をどんなふうに見ているのか。
わたしは進学校だったから、そもそもそういう高校生の事情はわからないし、
さらにいまどきの高校生といえばへたをしたら息子でもおかしくない。
プライバシーだから詳細は書かないが、いろんな話を聞いたなあ。
球技大会での高揚、家族への思い、体育祭、修学旅行――。
いまの彼女からどのように告白されたかまで。今度横浜へふたりで行くんだあ。
リアルだから最高におもしろいのである。
極上の青春映画や青春小説をお金をいただきながら鑑賞したという深い満足がある。
昼休みに休憩室で再会したら、やっぱり超イケメンというか、美少年18歳。
スマホでおなじクラスで女子高生(重言?)の恋人の写真も見せてもらった。
離人症気味だからか、現実ってリアルっておもしろすぎるぜ。
おなじ派遣同士でほとんど上下関係がないから、
こういうその日だけの交流が可能になるのかもしれない。
いまどきのイケメン男子高校生がどういう思いをいだき、
どのようなことに感動し、いまをどのように見ているのか非常に勉強になった。
こちらもとても感激した。今日はいい1日だった。
明日は魔の「供給」2回目である。
一部では明日わたしは途中で職務放棄をして帰るのではないかと噂とのこと。
明日どうなるかなんてわかりゃしねえ。でも、今日は最高に楽しかった。
いい話を聞いたと思う。
いい青春映画や青春小説を味わったかのような、とびきりの1日だった。
若い子はいいなあ。

破滅したいという願望が強力でつよいつよいので(重々言です)困っちゃう。
先日海浜幕張駅で49歳の自衛官が女性のコートの下を盗撮しようとしたとかで逮捕。
実名報道。おそらくたぶんかならずや人生フィニッシュ。
わっかんねえな。どうして女性のスカートのなかを撮影したら逮捕なの?
いったいだれが困っているの? 
おれがおんなだったらスカートのなかを盗撮されても、あはっ、
ちょっとそれは刺激的って感じるくらいで遂行者への罰則意識は持たないだろう。
さらにさらに自衛官が撮影したのはスカートのなかではなく、
コートのなかであるにもかかわらず。
非正規のわたしが49歳自衛官とおなじことをしても厳重注意で終わり。
むろんのこと実名報道もされないだろう。お気の毒さまだなあ。
はじめて行った海浜幕張はとにかく清潔健全思考のかたまりって感じの、
無味無臭潔癖合理的完全な町づくりの完成形って感じ。
休日わたしは朝からぶらぶら海浜幕張を歩き回り、その退屈さにあきあきとして、
しかしながらイオン入口の肉フェスがよかった。
イケメンの肉職人さんにたずねたら、イオンで買ってきた酒類をここで飲んでもいいらしい。
食べたのは塩肉丼600円だったか。
酒を持ち込んでなにか悪いので、160円のチーズトッピングを、
当方の感覚としては賄賂(わいろ)として支払った。
思い返せば、60円の温たまご(半熟卵)もまたつければ、
土曜真昼間の超絶孤独酒宴の華やぎが増したことだろう。
肉はこれまで食べたことがない味でうまく、酒も進んだ。
酔っぱらったかは自分ではわからない。とってもとっても破滅崩壊したかったのだが。
海浜幕張駅で警察に逮捕されるという非日常へのささやかな期待は、
しこうして裏切られた。
なんかのランキングで1位だとかいうイケメンの肉職人さんが新鮮だった。
いまは注文しないでとか、並べとか(場所は指示せず)、
けっこう若き指導者ぶっていたのである。
そんなお偉い職人先生がご料理くださる塩肉丼はたしかにうまかった。
写メを取り忘れたのが後悔しきりである。
本当にうまい肉を安いイオンの酒と平らげたければ海浜幕張へ行け!
期間限定、いまだけ、ナウオンリー!
以上、ロケットニュース24のグルメ記事のへたな真似をしてみました、うふっ♪